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今年最後の百名山、丹沢山を目指してヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 さて11月26日(土)~27日(日)はアミューズトラベルのツアーで「政次郎尾根からの丹沢主脈縦走」へ行ってきました。ガイドはアミューズで一番厳しいと言われている泉田さんと、先々週昇仙峡の羅漢寺山でご一緒した清水さんでした。このツアーは最初は書策(かいさく)新道から登ることになっていましたが、書策新道は崩落がいちじるしく、丹沢観光協会が立ち入りを禁止したため、大倉尾根(通称バカ尾根)と行者岳につながる表尾根の間にある「政次郎尾根」から登ることになりました。
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 立ち入り禁止になった「書策新道」の書策(かいさく)というのはこの登山道を切り開いた人の名前です。泉田さんは、この書策さんに何度もお会いしたことがあるといいます。書策さんは書策新道を登りきったところに「書策小屋」を建て、5年前まで住んでいたそうです。書策小屋は基礎もなく、地面にただ柱を立てた、所謂、掘立小屋だったそうです。書策さんは80歳過ぎまで書策小屋で頑張っていましたが、ついに自分の力では下山できなくなりヘリコプターで山を降りたのが5年間になります。主を失った書策小屋は傷みもひどくなり、2年前に撤去されました。

 初日は戸沢駐車場から登山口に入り、政次郎尾根を登ってゆき、書策小屋の跡地、新大日小屋、木ノ又小屋を通過し、塔の岳(標高1490 m)の尊仏山荘を目指します。
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 新宿安田生命ビル前に集合。バスは、バスの下に荷物を入れる場所のない小さなマイクロバスでした。登山口のある戸沢駐車場まで行くには、道が狭くて中型以上の車両は通ることができないためです。私が新宿に着いた時には、よしこさんはもうバスに乗っていました。参加者は15名(うち男性は3名)で、またもや、りょうちゃんが最年少でした。道路は最初は少し渋滞しましたが、予定通り10時前に目的地に着き、準備体操をして、出発しました。
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 準備体操は駐車場で行いました。車の出入りがあるので、泉田さんが皆さんに「車に注意してください。」と言う声を聞いた清水さんは、わざと車が通る方へおどけて行くと、「お前なんかひかれちまえ!」という泉田節がいきなり清水さんに炸裂しました。041.gif038.gif037.gif
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 登山口前に小さな渡渉。泉田さんから「滑るから気を付けてください!」との注意喚起がありましたが、モタモタしている年配者に「だから滑るって、言ってんだろ!」との泉田節が再び炸裂。りょうちゃんはいつものように最後方にいたので、炸裂はまぬがれました。037.gif038.gif
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 ここからはひたすらに登ります。清水さんが泉田さんに「結構暑い。」と言うと、「だから着るものは涼しいくらいにしろと言ってんだ!」と再び清水さんに炸裂。038.gif037.gif
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上に行くに従い、空の色は青色から鈍色に変わっていきました。登っているときは結構暑くて、いつものように半袖でしたが、風邪もあったため休憩で立ち止まると暑がりのりょうちゃんも寒いと感じるくらいの気温でした。037.gif
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向うに見えるのは行者ヶ岳。急斜面の鎖場を人が降りているのが見えました。038.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう



(岩崎宏美/思秋期)

(第89回安曇野歌声喫茶/思秋期)

思秋期(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし、歌:岩崎宏美)

足音もなく 行き過ぎた
季節をひとり 見送って
はらはら涙あふれる 私十八
無口だけれど あたたかい
心を持った あのひとの
別れの言葉抱きしめ やがて十九に
心ゆれる秋になって 涙もろい私
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ふとしたことで はじめての
くちづけをした あのひとは
ごめんといった それきり
声もかけない
卒業式の まえの日に
心を告げに 来たひとは
私に悩む顔見て 肩をすぼめた
誰も彼も 通り過ぎて
二度とここへ 来ない
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ひとりで紅茶 のみながら
絵葉書なんか 書いている
お元気ですか みなさん
いつか逢いましょう

無-邪-気な 春の語らいや
はなやぐ 夏のいたずらや
笑いころげたあれこれ 思う秋の日

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 エジプトの秘宝、ツタンカーメン王の“黄金のマスク”が発見されたのは、1922年11月26日の夕刻でした。発見者は、学術調査のスポンサーになったイギリス貴族のカナーボン卿と、その発掘作業を指揮した、同じイギリスの考古学者カーターの二人です。王家の谷と呼ばれる諸王の墳墓のなかで、5年前に発掘を中止したラムセス6世の墓の近くを、再び掘り進んで、この快挙となったものです。

 ツタンカーメン王は、今から3200年前、エジプト第一八王朝期に18歳で亡くなった幼帝でした。したがって、王墓としては一級品ではありませんが、その王のミイラを入れた“黄金のマスク”をはじめ、約5000点に及ぶ、家具調度品、宝石、ガラスの装身具類は、ほぼ完全な形で発見されたのですから、世界の専門家がビックリしたのも当然でした。

 墓の入り口に、「王者を騒がすものには、死の翼がはためく」と文字が書いてあったためか、発掘の関係者が次々と死んでいきました。
 まず、スポンサーであったカナーボン卿が、原因不明の熱病で発掘後間もなく亡くなり、その6ヵ月後には、その弟が、そして引き続いて、カナーボン卿の看護婦が変死しました。 そのほか、カーターの秘書が死亡し、埋葬室の壁に穴をあけた考古学者アーサ・メイスも死にました。ミイラのレントゲン写真をとったエジプト政府の学者をはじめ、ミイラに直接手を触れた学者が15人も変死したといいます。

 ツタンカーメンの墓所には、現代の科学では解明できないある種の毒物が塗りこめられていたのではないかという説もあったりしましたが、このミステリーについてはわからず、今日にいたっています。
 
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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ひとまず2年前まで書策小屋があった跡地まで登って来ました。12時26分。登山開始して約2時間30分経過。ここでひとまずお昼ご飯を食べることになりました。しかし、ここから風は強まる一方で、本当に寒く感じました。寒いので、皆さん、食べ物を飲み込むようにしてさっさと食べて、12時40分過ぎには寒さに耐えきれず、塔の岳山頂を目指して歩きだしました。
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今、登って来た政次郎尾根。
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これから行く塔の岳方面。
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アップダウンが少しあります。
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新大日を過ぎるとあきらかに崩落したと思われる所がありました。
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尊仏山荘までもう少し。070.gif
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13時44分。尊仏山荘の前に着きました。尊仏山荘の前は寒さにもかかわらずたくさんの人が集まっていました。私たちも集合写真をさっさと撮影して、山小屋の中へ避難しました。
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この時は空は雲におおわれていて、富士山は見えませんでした。
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山荘の外には角の立派な雄鹿が来ており、「中村君」と呼ばれていました。先代に「太郎君」という鹿もいたそうです。
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ストーブの前にずんぐりしたネコちゃんが気持ちよく寝ていました。本名は「丹沢ミー君」と言うそうです。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(坂本スミ子/夜が明けて)

夜が明けて(作詞:なかにし礼、作曲:筒美京平、歌:坂本スミ子)

夜が明けて 手さぐりをしてみた
ぬけがらのとなりには 誰もいない
目をあけて 部屋のなか見てみた
陽がもれる窓のそば 誰もいない
夢を追いかけて
ひとりふかす たばこのけむり
白い 白い
夜が明けて 夢をみたまくらに
あの人のかみの毛が ひとつのこる
テーブルの 灰皿の中には
あのひとのすいがらが ひとつのこる
あせたくちびるを
かんでひいた ルージュの赤が
つらい つらい

われた手鏡に
語りかける おんなの朝は
ひとり ひとり

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 尊仏山荘前から富士山がバッチリと見えるそうですが、すっかり空は鈍色の雲におおわれて、丹沢初日は富士山はお預けかと思いましたが、私たちの願いが天に通じ、雲の中から富士山が頭を出してくれました。058.gif038.gif
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ダイヤモンドと富士山。058.gif
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日の入りは16時30分くらい。16時を過ぎると、太陽がオレンジ色に焼けてきました。雲がなければ、もっと赤くなったと思います。12月17日は雲のない赤い富士山を見れるように祈っています。058.gif
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尊仏山荘の夕飯は17時ちょうどから。席に限りがあるので、席がいっぱいになったところで締め切られて、前のグループが食べ終わってから、次のグループと入れ換わります。アミューズは運よく初回から食べることができました。メニューはカレーライスです。おかわりは自由です。食べることができる量を、山荘の人に申告して、おかわりをします。隣に座ったよしこさんが、「こんなに食べることができない。」と言って、カレーの半分を私の皿に入れてしまいました。他のみなさんは「私はごはん3分の1でお願いします。」「私はごはん少しだけお願いします。」と申し訳なさそうに言っている中、いい歳、りょうちゃんはカレーを2回、ふつう盛りでおかわりし、よしこさんのもらった半分も入れて3杯と半分食べました。あきちゃんなら7杯、倉持さんなら5杯は食べることができると思います。そのくらいにおいしいカレーライスでした。038.gif038.gif
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尊仏山荘の消灯は20時30分です。夕飯後、食堂の前の部屋で泉田さん、清水さんを囲んで売店で売っている酒を買って飲みました。日本酒1合、ビール350 mlはそれぞれ500円、ペットボトルの水500 mlは400円、ポカリスウェット500 ml 1本500円です。たくさん飲む方は持って行った方がいいかもしれません。売っているワンカップの日本酒は頼めば熱燗にしてくれます。りょうちゃんの目の前に座っていた外人さんは熱燗を頼んで“Very Nice!”と言っていました。038.gif
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 尊仏山荘からの夜景も素晴らしく、まさに「地上の星」という感じです。りょうちゃんは三脚を持っていかなかったので撮影できませんでした。小さな三脚でも持って行けばよかったです。それから尊仏山荘の宿泊は2階ですが、とても寒いです。北岳の白根御池小屋に泊まった時は布団もかぶらずに寝ましたが、11月末の尊仏山荘は凍えるような寒さでした。12月17日丹沢特配に参加される方は寝るときのために1枚着るものを持って行った方がいいと思います。
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丹沢2日目は素晴らしい富士山を見ることができました。038.gif
このつづきはまた次回、お楽しみに。1枚だけ載せます。
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丹沢主脈縦走はまだまだ続きます。060.gif

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by ryott-ryott | 2011-11-28 17:44 | 丹沢主脈縦走 | Comments(0)

101番目の日本百名山、茅ヶ岳と金ヶ岳を行くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 昨日、大井町の名店「じゃんけんぽん」で思いがけない方に会うことができました。憲一さんのご両親です。そう、変人シェフのご両親です。変人シェフの名前が憲一さんということもはじめて知りました。トントンさんもはじめて聞いたとおっしゃっていました。はるさんは知っていたそうです。憲一さんのご両親は青物横丁の近くでお米屋さんを営んでおり、今日は大井町駅近辺の銭湯に来た帰りにじゃんけんぽんに立ち寄ったとおっしゃっていました。
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 これから師走にかけて、お米屋さんではお正月用のお供え餅やのし餅の準備に追われ、たいへんに忙しい生活が待っているそうです。お供え餅もただつけばいいものではなく、もち米の粒が残るようにつかないとお供え餅特有の形状にならず、誰かさんの体のように自重でだらりと広がってしまうとのことです。お供え餅をつくることは結構難しい作業であるとおっしゃっていました。また直径30 cmのお供え餅は伊勢エビや昆布で飾り付けをしたものは50万円もするそうです。お餅は古くから保存食として食べられていたそうですが、緑色のカビは生えないように水に漬けて水餅にするようになったのは江戸時代からのようです。現在ではカビが生えないように「わさび」の成分を塗ったシートが販売されており、そのシートに包むとカビが生えないと教えてくれました。その他にもお米の入れる袋の変遷や一番おいしいお米は新潟の魚沼産で、この米に勝てる味の米はないなど、いろいろなことを話してくれました。038.gif038.gif038.gif
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 とてもあの無愛想な変人シェフのご両親とは思えないくらい気さくな方でした。お父さんのお話が面白くて、写真を撮らせてもらうのを忘れてしまいました。次回、お会いした時は憲一さんのご両親の写真を撮らせてもらうことにします。037.gif038.gif037.gif038.gif037.gif


(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう



(岩崎宏美/思秋期)

(第89回安曇野歌声喫茶/思秋期)

思秋期(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし、歌:岩崎宏美)

足音もなく 行き過ぎた
季節をひとり 見送って
はらはら涙あふれる 私十八
無口だけれど あたたかい
心を持った あのひとの
別れの言葉抱きしめ やがて十九に
心ゆれる秋になって 涙もろい私
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ふとしたことで はじめての
くちづけをした あのひとは
ごめんといった それきり
声もかけない
卒業式の まえの日に
心を告げに 来たひとは
私に悩む顔見て 肩をすぼめた
誰も彼も 通り過ぎて
二度とここへ 来ない
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ひとりで紅茶 のみながら
絵葉書なんか 書いている
お元気ですか みなさん
いつか逢いましょう

無-邪-気な 春の語らいや
はなやぐ 夏のいたずらや
笑いころげたあれこれ 思う秋の日

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 明治の女流作家として知られる樋口一葉は、明治29年(1896年)11月23日、師であり恋人でもあった半井(なからい)桃水への思慕を抱きながら、貧しくも美しい、24歳の短い生涯を閉じました。

 一葉の遺言とも思われる、手控帳に書かれた一節を読みますと、しみじみとあわれを感じます。

 「身はもと江湖の一扁船、みずから一葉となのって、
芦の葉のあやふきをしるといへども、
波静かにしては釣魚自然のたのしみを
わすするゝあたわず。
よしや海龍王のいかりにふれて、
狂らん、たちまち、それも何かは、
さりとはの浮世は三分五里霧中」
(和田芳恵『樋口一葉』講談社親書)

 樋口一葉が、日本の近代文学のなかでも、高い位置づけをされているのは、『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』『わかれ道』『大つもごり』など5つの名作を書き、また、数え年の16歳から市の直前まで、大量の日記を残したからだといわれています。

 人によっては、樋口一葉の文学的功績は、王朝時代の紫式部・清少納言・和泉式部の女流文学最盛期から約1000年後、再び女流文学を開花させた中興の祖であると絶賛をしております。

 いずれにせよ、一葉の作品は、父を失ったあと、母妹と一緒に裁縫の内職をしたり、下谷竜泉寺で荒物・駄菓子屋をして失敗、本郷丸山福山町に移り住んだ明治の下町情緒の哀歓が、生き生きと写しだされているところが、読む人の心を魅きつけてはなしません。
 新派のお芝居に、一葉の名作がしばしば上演されるのもむべなるかなです。
 竜泉寺町には一葉の記念館が、丸山福山町には一葉の文学碑が建っています。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 11月23日の勤労感謝の日は日本百名山を選んだ深田久弥終焉の地・茅ヶ岳と金ヶ岳に特配で行ってきました。
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 小説家であり登山家でもあった深田久弥は1903年3月11日、石川県大聖寺町、現在の加賀市で生まれました。すでに少年時代から登山をはじめていましたが、一高から東大文学部時代も山に親しみながら、在学中に出版社の編集部員になります。このころに『オロッコの娘』『あすならう』を発表したとありますが駄作だったとの評価でした。
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 その後、大学を中退、出版社もやめて、本格的な作家生活に入ります。日本山岳会に入ったのは1935年32歳のときでした。その後、同棲を続けていた北畠八穂と入籍しますが、初恋の女性・木庭志げ子と再会し、不倫の関係になります。逢引きを繰り返すうちに、不倫相手の志げ子との間の子ができ、八穂にも不倫がばれてしまいます。八穂はこのとき脊椎カリエスで寝たきりの体だったそうです。時代は日本が戦争へと突き進んでいた最中であり、深田久弥はこの不倫騒動から逃げるように中国へと出兵して行きます。
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 終戦後、日本に復員してきた深田久弥は本妻の八穂の元には帰らずに、志げ子と再婚します。この時に以前深田久弥が書いたものとして発表した作品は実は八穂が書いたものであることを、怒り心頭の八穂に暴かれてしまいます。作家としての信用を失った深田久弥は、このころから登山の文章だけを書くようになったと言われています。

 有名な「日本百名山」は戦前から山岳雑誌に連載されていましたが、戦争により中断されており、戦後、山岳雑誌『山と高原』に連載が再開されました。1号につき2山づつ掲載され、50回にわたって連載されました。100山すべての連載が終わったのは昭和38年(1968年)4月号のときで深田久弥は60歳になっていました。この連載を単行本にまとめたものが『日本百名山』です。深田久弥はこの1冊で人気作家に返り咲き、昭和39年(1964年)に読売文学賞を受賞、昭和43年(1968年)に日本山岳会副会長に就任、昭和44年に山渓賞を受賞します。

 深田久弥は「日本百名山を選ぶ以上は、その数倍の山に登らなければならない。」と言っており、日本百名山を含め、1000に及ぶ数の山に登頂したと言われています。
日本百名山の選定基準としては「誰が見ても立派な山だと感嘆するもの」すなわち「山の品格」、「昔から人間と深いかかわりを持つ山」つまり「歴史を持つ山」、そして「その山だけが具えている独自のもの」である「山の個性」を重要視し、その他に「ある程度の高さ」が必要だとして1500 m以上という条件を付け加えた。しかし、1500 m以下の山は5座選ばれています。筑波山(877 m)、開聞岳(924 m)、伊吹山(1377 m)、天城山(1406 m)、雌阿寒岳(1499 m)。

 そして深田久弥は昭和46年(1971年)3月21日、友人たちと茅ヶ岳に登山中に脳卒中で倒れ、帰らぬ人になりました。68歳でした。深田の死後、日本山岳会は「日本三百名山」を選び、さらに深田久弥を敬愛する人たちで組織された深田クラブは百名山に100山足して「日本二百名山」を選んでいます。
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 茅ヶ岳登山口に深田記念公園があり、「百の頂に 百の喜びあり 深田久弥」という自筆の文字が刻まれています。
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 渋滞もなく、茅ヶ岳の登山口まで辿り着き、空は雲ひとつない快晴。まさに登山日和です。058.gif
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 いつものように準備体操。凄い柔軟性をこれでもかと見せつける倉持さん。038.gif
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 青空のもとなだらかな山道を進みます。070.gif
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 ヤブムラサキ。056.gif
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 女岩の前で休憩。
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 大菩薩に引き続き、じゅんやさん夫妻と一緒になりました(許可を戴いて掲載しています。第3者はつべこべ言わないでください)。じゅんやさん夫妻とは12月23日(金・祝)の浅間山雪上講習でもご一緒します。038.gif
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 道は徐々に険しくなっていきました。
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 深田久弥終焉の地、ここで倒れて亡くなりました。
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 そばの展望台から瑞牆山、金峰山が見えました。
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 登山を開始し、約3時間、茅ヶ岳の頂上に着きました。いつものように倉持さんと記念撮影。茅ヶ岳は101番目の百名山と言っていいでしょう。038.gif
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 森ちゃん、今日は奥様不参加でなんだか元気があるみたい。037.gif
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 服の色もあでやかな往年の山ガールの皆さん。037.gif
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 集合写真撮影後、今日は珍しく山頂でお弁当を食べることができました。038.gif
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 これから向かう金ヶ岳。左側には八ヶ岳が見えます。058.gif
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 富士山はかすかにうっすらとしか見えませんでした。
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 茅ヶ岳の山頂ダイヤモンド。058.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(坂本スミ子/夜が明けて)

夜が明けて(作詞:なかにし礼、作曲:筒美京平、歌:坂本スミ子)

夜が明けて 手さぐりをしてみた
ぬけがらのとなりには 誰もいない
目をあけて 部屋のなか見てみた
陽がもれる窓のそば 誰もいない
夢を追いかけて
ひとりふかす たばこのけむり
白い 白い
夜が明けて 夢をみたまくらに
あの人のかみの毛が ひとつのこる
テーブルの 灰皿の中には
あのひとのすいがらが ひとつのこる
あせたくちびるを
かんでひいた ルージュの赤が
つらい つらい

われた手鏡に
語りかける おんなの朝は
ひとり ひとり

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 折角、茅ヶ岳に登ったのに、金ヶ岳へ向かうため、100 mほど下り、また200 m近く登ります。結構、岩場のアップダウンが続き、あきちゃんもりょうちゃんも息も絶え絶えでした。
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 ようやく金ヶ岳の山頂に到着、先ほどまできれいに晴れていましたが、下を見ると怪しげな雲が広がって来ていました。金ヶ岳山頂からのダイヤモンド。058.gif
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金子さんとハニー羽入さん、ここまで来ると帰りの車中でのおしきせだけが楽しみです。037.gif
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りょうちゃんといつも後方で最下位を争っているライバル・あきちゃん。038.gif
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 金ヶ岳山頂からはもう下るだけです。最近は下りの方が得意になってきたと思っていましたが、金ヶ岳の下りは斜めの岩場が多く、しかも片側が切り立っている場所もあり、慎重に降りなければなりません。いつもの下りに比べると、難度はかなり上で、写真を撮る余裕がありませんでした。こんなことでひるんでいては大目標の剱岳は厳しいですね。
 この写真は危険な個所を過ぎたところの下り道です。枯れ葉が多く、滑りやすいので、ここも慎重に降りました。
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 16時前に予定通りのコースタイムで全員無事に下山することができました。
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 今日の温泉はこちらの「明野ふるさと太陽館 茅の湯」です。温泉入浴後、楽しみにしていた車中でのおしきせの会で大騒ぎしながら上野まで帰って来ました。その模様は掲載に絶えないので載せないことにします。つべこべ言わないでください。037.gif041.gif037.gif038.gif
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さて今週末は今年最後の山歩きになります。
土日に丹沢山に行ってきます。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2011-11-25 22:17 | 茅ヶ岳・金ヶ岳 | Comments(0)

ボジョレ―おしきせの会&「法然と親鸞」特別展ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 今週末の土曜日も雨、しかも大量に降る豪雨でした。11月19日(土)は大井町の名店「じゃんけんぽん」で解禁になったボジョレーヌーボの試飲会がありました。大井町湯屋からはプールの佐藤さん、大井町の母のよしこさんが参加、プールの佐藤さんは大井町湯屋No.1、よしこさんはNo.2のポジションであり、AKB48で言えば前田、大島にあたる方です。かなり年齢と容貌には大きな隔たりがありますが。また浦安湯屋からは最近転ばなくなったような気がするすみ姉ちゃん、はせやん、タッキーおじさんが来てくれました。038.gif
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 普段、じゃんけんぽんは土日は営業しておらず、平日しか店を開いていませんが、試飲会は大体土曜日に3時間の時間限定で行われます。プールの佐藤さんは私たちがおばあちゃんと親しみを込めて呼んでいる大先輩です。おばあちゃんは本当はボジョレ―はあまり好きではないとおっしゃっていましたが、孫のいい歳、りょうちゃんに会うために試飲会に来たとおっしゃってくれました。そして、おばあちゃんのファースト・ネームは「ますみ」さんなので、すみ姉ちゃんと「すみちゃん、ますみちゃん」と呼びあって意気投合していました。
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 今日、来ることができなかったかずさんから、何が美味しいかチェックしておいてと言われていましたが、飲み過ぎて忘れてしまいました。069.gif037.gif
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 サロマ湖産の牡蠣。
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 塩麹の鳥鍋。最近、じゃんけんぽんへ行くと塩麹を使った料理が必ず出てきます。以前にも説明しましたが、麹液に肉類を漬けておくことにより肉のタンパク質が分解しアミノ酸になるため、旨みが増すそうです。
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 阪急百貨店の佐藤さんが合流しました。佐藤さんは阪急の酒屋さんに勤務しており、いい歳、りょうちゃんが特配に持っていく日本酒はすべて佐藤さんが選んでくれています。タッキーおじさんに佐藤さんとの写真を撮ってもらいましたが、何度撮ってもいい歳りょうちゃんのほうがからだが大きく見えます。実は佐藤さんはいい歳、りょうちゃんの10 m後ろに立っています。037.gif
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 ここで一人一枚顔写真。(掲載についてはすべて本人の了解を得ています。茅ヶ岳・金ヶ岳特配のバスの中で第3者がつベこべ言わないでくださいね!)。037.gif
大井町湯屋No.2、大井町の母、よしこさん。
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大井町湯屋No.1のますみおばあちゃん。
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 大井町の名店「じゃんけんぽん」の女主人、はるさん。
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 阪急の佐藤さん。佐藤さんは浦安在住で前回の霧ヶ峰・美ヶ原特配に来る予定でしたが、体調を崩して来ることができませんでした。折角、山行きの装備を一式揃えたのでまずは初級の山登りに行きたいとおっしゃっていました。倉持さん、はじめて山登りをする初心者向けにお勧めの山行きを教えてあげてください。
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 タッキーおじさん、今日は職場からずぶ濡れになりながら来てくれました。038.gif
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 はせやん、来週アミューズの「雪の山歩き教室」講習会に参加し、いい歳、りょうちゃんと一緒に雪山に行くことを約束しました。038.gif
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 すみ姉ちゃんは「じゃんけんぽん」に来ることができてとても満足していました。
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 じゃんけんぽんのご主人トントンさんの妹のみきちゃんと整体師の若先生。若先生は誰も笑わないダジャレばかり言っています。離婚の原因はそこにあったかもしれません。037.gif
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 いつもながらに、みんなで記念撮影。またの再会を約束して、ボジョレーヌーボおしきせの会はお開きとなりました。038.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう



(岩崎宏美/思秋期)

(第89回安曇野歌声喫茶/思秋期)

思秋期(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし、歌:岩崎宏美)

足音もなく 行き過ぎた
季節をひとり 見送って
はらはら涙あふれる 私十八
無口だけれど あたたかい
心を持った あのひとの
別れの言葉抱きしめ やがて十九に
心ゆれる秋になって 涙もろい私
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ふとしたことで はじめての
くちづけをした あのひとは
ごめんといった それきり
声もかけない
卒業式の まえの日に
心を告げに 来たひとは
私に悩む顔見て 肩をすぼめた
誰も彼も 通り過ぎて
二度とここへ 来ない
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ひとりで紅茶 のみながら
絵葉書なんか 書いている
お元気ですか みなさん
いつか逢いましょう

無-邪-気な 春の語らいや
はなやぐ 夏のいたずらや
笑いころげたあれこれ 思う秋の日

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親鸞は、京都で「お東さん」「お西さん」と呼ばれる、浄土真宗の総本山、東西両本願寺教団の開祖です。苦悩と波乱に富んだ革新的宗教家の事績と、主著「強行信証」、その語録「歎異抄」に魅かされるのか、親鸞に関する本は現在もあとをたちません。
 親鸞は、覚如の書いた「親鸞上人伝絵」によりますと、父は藤原一門、皇太后宮職をつとめた日野有範で、本来ならば、宮廷に使える殿上人(てんじょうびと)の生涯を送る人であったと言われます。

 8歳のとき父の勧めで出家し、比叡山延暦寺で修行に励みましたが飽き足らず、山を下りて、「専修念仏」を唱える、法然の門に入りました。当時、僧侶の妻帯は許されていませんでしたが、性に悩む若き親鸞は公然と結婚し、「破壊僧」と指さされながらも、長子善鸞をもうけました。
 やがて「専修念仏」への弾圧がはじまり、師の法然とともに流罪となり、親鸞は越後に流されます。ここで親鸞は、越後介三善為則の娘恵信と結ばれ、のちに男女6人の子どもをつくりました。恵信尼は、かなり教養のあった女性で、親鸞宛の数々の手紙が残されていますが、立派なので感心します。

 建暦元年(1211年)流罪を許され、親鸞は京都へ帰らず、親子ともども、新しい布教の地として常陸を選びました。約20年、彼は数多くの門徒、弟子を捨て、再び京都に戻りました。不服な門徒たちの要請に応え、長男善鸞を派遣しますが、この善鸞が父に背いてしまいます。京都はまだ弾圧の余波が残り、親鸞の悩みは尽きません。しかし親鸞にも終焉の時がやってきました。弘長2年(1262年)11月28日、愛の炎をくぐり抜け、煩悩と苦渋に満ちた90年の生涯を閉じました。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(坂本スミ子/夜が明けて)

夜が明けて(作詞:なかにし礼、作曲:筒美京平、歌:坂本スミ子)

夜が明けて 手さぐりをしてみた
ぬけがらのとなりには 誰もいない
目をあけて 部屋のなか見てみた
陽がもれる窓のそば 誰もいない
夢を追いかけて
ひとりふかす たばこのけむり
白い 白い
夜が明けて 夢をみたまくらに
あの人のかみの毛が ひとつのこる
テーブルの 灰皿の中には
あのひとのすいがらが ひとつのこる
あせたくちびるを
かんでひいた ルージュの赤が
つらい つらい

われた手鏡に
語りかける おんなの朝は
ひとり ひとり

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今年も残すところ40日ほどになりました。来年2012年は浄土宗の開祖、法然の800回忌とその弟子で浄土真宗の開祖、親鸞の750回忌にあたり、上野の東京国立博物館で「法然と親鸞 ゆかりの名宝」特別展が12月4日まで開催されており、見てきました。
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 法然は1133年、美作の国(現在の岡山県)稲岡荘の押領使(おうりょうし)の子として生まれました。13歳で比叡山にのぼり天台を学び、叡空について念仏の門に入り、法然房源空と名乗ります。法然は「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、誰でも極楽浄土へ往生出来るとの悟りに達します。43歳の時に比叡山を降り、念仏だけにすがる専修(せんじゅ)念仏の救いを説きますが、当時の仏教界は仏像や寺院をつくり難解な教義や厳しい戒律を強要しており、念仏さえ唱えれば経済的負担も学問も戒律も必要としないとする法然の教えに激しい迫害をはじめます。さらに法然の門弟の一人、柱連が安楽寺で行った六時礼賛で、御所の女房が出家してしまったことで後鳥羽上皇の逆鱗に触れてしまいます。朝廷は法然、その弟子の親鸞が説く専修念仏禁止令を裁定し、法然は讃岐に、親鸞は越後に流罪になりました。この時、法然は75歳、親鸞35歳でした。この流罪により、法然と親鸞は二度と会うことはありませんでした。その後、流罪が赦免され、法然はようやく京都への入京を許されますが、翌年1212年1月25日、80歳で亡くなりました。
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 一方の親鸞ですが、1173年日野有範(ありのり)の子として京都に生まれます。9歳で出家し、比叡山へのぼり、29歳で法然の門弟となりました。法然が讃岐に流された時、親鸞は越後に流されて、赦免後も越後にとどまりあす。その後は常陸の国(現在の茨城県)へ移り住み、関東の農民に教えを広めます。63歳で京都へ帰り、90歳で亡くなりました。親鸞は念仏を唱えた瞬間に極楽往生が約束されると説きました。そして罪深い悪人こそが阿弥陀仏が救済しようとしている対象であるとの「悪人正機説」をたてます。親鸞もまた立派な仏像や寺院、戒律などの形式は何の意味もないと考え、当時、妻がいたことを隠す僧侶もいましたが、親鸞は自分が結婚していることを隠さず、肉も食べ、農民の中に進んで入って行きました。親鸞の教えは多くの農民の信者の心をつかみます。

   明日ありと思ふ心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは   親鸞

 この歌にあるように、明日桜を見ることを楽しみにしていても、嵐が来れば桜は一晩で散ってしまう。人生においてもやるべきことを明日に延ばしたり明日があるなどと思ってはいけない。日々を誠実に生き、今日の命を大切にするという教えです。
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23日は深田久弥終焉の地、茅ヶ岳・金ヶ岳へ行ってきます。060.gif

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by ryott-ryott | 2011-11-20 23:42 | museum | Comments(0)

紅葉の昇仙峡に秋の声を聞く、白妙の富士を臨む羅漢寺山を行くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 さて先週末はアミューズトラベル(株)の「雪の山歩き教室」の講習会と羅漢寺山へ行ってきました。その前に来週の週末は大井町の名店「じゃんけんぽん」でボジョレーヌーボの試飲会があり、いい歳、りょうちゃんチームの最終人数をお店に連絡しておきました。大井町湯屋のNo.1、No.2のおばあさんの佐藤さんとよしこさん、山歩きで上手にすっ転ぶことができる、浦安湯屋のすみお姉ちゃんとはせやんも来てくれることになりました。038.gif069.gif
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蒸し牡蠣
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塩麹に漬けた鶏肉の鍋。塩麹に漬けることによって鶏肉のタンパク質がちょうどよく分解されて、いい味が出ています。
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この日、じゃんけんぽんには、第一三共製薬で病に苦しむ人たちを救うために日夜、新薬の研究に取り組んでいる石井ちゃんが恋人と来ていました。
じゃんけんぽんの春さん、トントンさん、トントンさんの妹のみきちゃんが、今日の石井ちゃんはいつもと違うとおっしゃっていました。いつもの石井ちゃんならば、ビールは1杯目だけであとは酩酊するまで焼酎を飲み続けますが、恋人同伴のこの日の石井ちゃんはビールしか飲まず、まったく酔っぱらっていませんでした。また、いい歳、りょうちゃんが石井ちゃんに舌戦を仕掛けていくと、いつもならば殴りかかって来るのに、今日はそれもありませんでした。「今日は彼の前だから、おしとやかにしている。」とお店でみんなで大笑い。石井ちゃんでもおしとやかになれるのだから、皆さん、自信を持ちましょう。照れ屋の彼は、写真はご勘弁願いますとのことでした。037.gif
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そのあと、春さんと桑野さんと3人でバーディーさんに謡いの会へ行き、最近、日本テレビで放映されている実写版の「妖怪人間ベム」のベラ役の杏はベラにそっくりではまり役であるという話になりました。「妖怪人間ベム」という番組は、私が小学校に入るか入らないかくらいのころ、春さんと桑野さんが大学生のころに、アニメとして放映されていました。現在放映されている番組では、ベム、ベラ、ベロが名前のない男(柄本明)に操られている悪い人間と対決する設定になっていますが、アニメの方は人間を苦しめる悪霊や悪い妖怪と闘う正義の妖怪として描かれています。3人は人間にあこがれて、常に人間になりたいと願うところは同じです。アニメの方のドラマの結末では、人間の魂を喰らう妖怪姉妹との格闘の末、3人は自分の魂を人間の体に乗り移らせれば人間になれることに気がつきます。しかし今まで妖怪としての特殊能力で人間たちを守ってきた自分たちが人間になってしまったら、邪悪な妖怪から人間を守ることができなくなることを悟り、望んでいた人間になることをあきらめ、人間のために妖怪であり続けることを決意します。そして、警察によって火を放たれた館の中で、3人は燃え盛る炎の中に消えて行くという最終回の場面になっています。子どもが見る番組としてはあまりにも切ないドラマです。
謡いの会は午前2時半まで続きましたが、私はいつものようにお店で寝てしまいました。037.gif



(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう



(岩崎宏美/思秋期)

(第89回安曇野歌声喫茶/思秋期)

思秋期(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし、歌:岩崎宏美)

足音もなく 行き過ぎた
季節をひとり 見送って
はらはら涙あふれる 私十八
無口だけれど あたたかい
心を持った あのひとの
別れの言葉抱きしめ やがて十九に
心ゆれる秋になって 涙もろい私
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ふとしたことで はじめての
くちづけをした あのひとは
ごめんといった それきり
声もかけない
卒業式の まえの日に
心を告げに 来たひとは
私に悩む顔見て 肩をすぼめた
誰も彼も 通り過ぎて
二度とここへ 来ない
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ひとりで紅茶 のみながら
絵葉書なんか 書いている
お元気ですか みなさん
いつか逢いましょう

無-邪-気な 春の語らいや
はなやぐ 夏のいたずらや
笑いころげたあれこれ 思う秋の日

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 京都・洛北の紅葉が見ごろになる11月12日の前後をはさんで、日本美術史上に特筆される、江戸時代初期の大芸術家・本阿弥光悦を偲ぶ大茶会“光悦会”が鷹峰(たかがみね)の光悦寺で催されます。この会は、茶道界に力をもつ美術商たちが世話人でやる大寄せの大茶会で、茶器の名店が出品され、手にふれて賞玩できるのが楽しみで、多くの人が集まります。

 光悦という人は、桶狭間の戦いの2年前、永禄元年(1558年)に、刀剣鑑定の名家本阿弥家8世光二の子として京都に生まれました。代々京都の本阿弥辻に住んでいましたが、元和元年(1615年)、光悦の代になって家康から、洛北鷹峰の土地を与えられました。
 光悦は当時、家業である刀剣の鑑定、磨磈(とぎ)、浄拭(ぬぐい)にたずさわらず、レオナルド・ダ・ビンチに比較されるほど、漆芸、書、絵画、作陶など、幅広い領域で一流の仕事をしていました。ですから鷹峰の土地へは、絵師、蒔絵師、紙筆職人、陶工など、本阿弥家ゆかりの一族郎党を引きつれて移り住み、“芸術村”を形成しました。

 絵画、蒔絵の工芸品に光悦作と伝えられる名品がたくさん残されています。しかし、一番評価の高いのは、書と作陶ではないでしょうか。書は、近衛信尹(のぶただ)、松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)と並び「寛永の三筆」の一人といわれました。作陶では、光悦茶碗として知られる「不二」をはじめ、「毘沙門堂」「加賀光悦」「雨雲」など、世に知られる傑作が十指余り残されています。

 晩年は茶道に熱心で、織田有楽斎、古田織部など、代表的茶人と親交を結んで活躍しました。寛永14年(1637年)2月3日に逝去。80歳でした。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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11月12日土曜日はお茶ノ水のアミューズトラベル本社で「雪の山歩き教室」の講習会があり参加してきました。講師はエベレストをはじめ、世界の大陸の最高峰へ一般者を登頂させるガイドをし、ご自身もエベレスト登頂を果たしている安村淳さんです。講習会は前後半で初心者向けと経験者向けの2つあり、私は両方受けました。
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 これはエベレストの石だそうです。038.gif
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 エベレストに登頂した人だけが授与される勲章。038.gif038.gif
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 初心者向けでは主に服装の話が中心でした。雪山では気温が氷点下前後でも、雪山装備で登山をすれば汗だくになるため、すぐ乾く化繊の下着を着ることが非常に重要だということです。普通の山登りでも綿の下着は汗でぬれると乾かないので厳禁だと教えられますが、雪山ではいざというときに生死を分けるほど下着の選択は重要だとおっしゃっていました。そして、雪山を始める方でよくカッコから入って、見えないところにお金をかけない人がいるそうですが、まずは見えないところの下着にお金をかけてほしいとのことです。
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 靴については初心者はまずは普段履いている軽登山靴と軽アイゼンでよいそうです。軽登山靴とは軽い登山靴ではなく、「軽登山(トレッキング)」ができる登山靴のことをいい、英語ではトレッキングブーツ(trekking boots)と言います。これに対して経験者用の登山靴は、重登山靴ではなく、マウンテニアリングブーツ(mountaineering boots)と言います。このマウンテニアリングブーツは先端と踵のところに切れ込みが入っており、10本歯以上のアイゼンを装着しやすいようになっています。アイゼンをはじめて揃えるのであれば、縦走用の12本歯のアイゼンを買った方がいいとのことでした。アイゼンには縦走用とアイスクライミング用の2種類あり、前の歯が縦走用は水平方向の歯が2本あるのに対して、アイスクライミング用では垂直方向の1本の歯になっています。これは水の結晶である氷の軸が縦方向に伸びているため、垂直方向の氷の軸に平行に歯を差し込まないと氷が割れてしまい、登れないためです。
 またアイゼンの材質はモリブデンクロム(MoCr)が主流ですが、MoCrは重いため、軽量のアルミニウム製(Al)のものを勧められました。Al製はMoCr製に比較して2000円ほど高いとのことです。またAl製は摩耗が大きいですが、毎週行かなければ、問題ないとのことです。8000 m級の山へ登る場合は軽量化を図るためにチタン(Ti)製のものを使うそうですが1足5万円するそうです。
 私たちが普段使っている6本歯の軽アイゼンは日本独特のもので、海外にはないそうです。これは雪の少ない九州地方の人がアイゼンの軽量化を図るために前と後ろの歯を取り去って、6本歯のものを考えました。アイゼンは英語ではクランポン(crampon)と言い、海外へ行ってアイゼンと言っても通じないとおっしゃっていました。
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 経験者向けのツアーでは10本歯以上のクランポン以外には、ピッケル、ハーネス、120 cmスリング、安全環付カラビナが必要とのことです。また重要なアイテムとして手袋は必需品になります。氷点下15 ℃の世界で金属性のピッケルやカラビナを素手で触ってしまうと、皮膚に固着してしまうため、予備も含めて手袋を持っていかなければなりません。また手袋を強風で飛ばされてしまうことがあるので、流れ止めの紐を付けておいた方がいいそうです。
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 13時から約4時間にわたってトップガイドの安村さんの雪山講習を聞きました。その他にはピッケルの使い方や歩き方などの解説もありましたが、雪上講習を受けることが早道だということなので、いい歳、りょうちゃんも雪上講習への参加を申し込みました。今からとても楽しみです。冬の間は日本百名山登山がないので、雪山で日本百名山を幾つか登ろうと思います。
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 講習会が終わった後は、じゃんけんぽんのトントンさんのお誘いで、久しぶりに大崎にあるイタリアンの名店OTTO(オットー)に行きました。あの変人シェフの店です。私は変人シェフの店に行くのは、3月11日の東日本大震災以来になります。
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 変人シェフは写真に撮られることをひどく嫌がるので、今回その姿をお見せすることはできませんが、ぼさぼさに伸ばしていた髪の毛をバッサリと切り、瀬戸内寂聴に近いヘアスタイルになってしまいました。普段、変人シェフが人を人とも思わない言葉で面罵痛罵してきたことを懺悔しているのかと思いましたが、失礼な態度は変わっていませんでした。しかし、料理だけは褒めてあげましょう。041.gif037.gif
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(坂本スミ子/夜が明けて)

夜が明けて(作詞:なかにし礼、作曲:筒美京平、歌:坂本スミ子)

夜が明けて 手さぐりをしてみた
ぬけがらのとなりには 誰もいない
目をあけて 部屋のなか見てみた
陽がもれる窓のそば 誰もいない
夢を追いかけて
ひとりふかす たばこのけむり
白い 白い
夜が明けて 夢をみたまくらに
あの人のかみの毛が ひとつのこる
テーブルの 灰皿の中には
あのひとのすいがらが ひとつのこる
あせたくちびるを
かんでひいた ルージュの赤が
つらい つらい

われた手鏡に
語りかける おんなの朝は
ひとり ひとり

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さて11月13日は昇仙峡の羅漢寺山に行ってきました。羅漢寺山は別名・弥三郎岳ともいいます。標高1058 m。その昔、羅漢寺に弥三郎という酒造りの職人が住んでおり、酒も造るのですが、酒を飲むことも大好きで、たくさんお酒を飲んでは失敗ばかりしていたそうです。ある時、酒癖の悪さを寺の住職からひどく戒められ、さすがの弥三郎も反省して、最後に一升だけ酒を飲みほして、禁酒することを決意しました。しかし、その後、弥三郎は羅漢寺の裏にある山の頂上から天狗になって姿を消したという伝説があり、その山を羅漢寺山あるいは弥三郎岳と言うようになりました。
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ここのところ毎週土日のどちらかが雨でしたが、今週は久しぶりに土曜日も日曜日も晴れて、山行きにぴったりの天候になりました。来週末はまた雨のようですが。
新宿安田生命ビル前に午前7時に集合し、昇仙峡に向かいます。途中談合坂から真っ白に雪化粧した富士山の頭が見えました。道中、車窓からも南アルプスが見え、先週、雨模様だった大菩薩の鬱憤を晴らしてくれそうな展望が期待できます。談合坂での休憩で、先週大菩薩でご一緒したお姉さんにお会いしました。他のツアーも似たルートで目的地に向かうようです。
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午前10時前に昇仙峡の入口、長瀞橋の前に到着。ここから2時間ほどかけて、昇仙峡の渓流沿いをロープウェイまで歩いてゆきます。好天もあって、昇仙峡はかなりの人出でした。ご存知のようにロープウェイまでの道は舗装されており、トレッキングというよりも昇仙峡の観光です。
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紅葉も結構見ごろで、昇仙峡の渓谷を楽しむことができました。056.gif
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そしてロープウェイでパノラマ台へ。到着した私たちの一行から大歓声が上がりました。そこには先週大菩薩で見ることができなかった富士山の雄姿がありました。しかも、パノラマ台から見る富士山はとても大きかったです。038.gif
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私たちは富士山の感動も束の間に、パノラマ台からすぐに弥三郎が天狗になって消えた頂に向かいました。パノラマ台からわずか10分程度に弥三郎岳山頂があります。頂上は狭いので、いくつかの班に分かれて、頂上に登りました。パノラマ台から近いためか、登山靴でない普通の靴で上がってくる方もいらっしゃいました。滑ったら、危ないと思います。
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頂上は球の一部に近い円形状になっています。
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山の説明をする清水ガイド。
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金峰山。
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白く小さく出ているのが5月に行った瑞牆山。
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来週23日(水・祝)に行く茅ヶ岳、金ヶ岳。
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甲斐駒ケ岳からの南アルプス連峰。
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日本盟主、富士山。
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ダイヤモンド櫛形山。
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パノラマ台には和合権現というご神木があり、お参りすると夫婦円満、良縁に恵まれると言います。
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写真は和合権現をお参りする清水ガイド。清水ガイドとは再来週の政次郎尾根からの丹沢縦走でご一緒することになっています。そして、あの厳しい泉田さんの名前もありました。清水さんは泉田さんと一緒にツアーに行くのは久しぶりで、昔は山に一緒に行った時はよく喧嘩をしたとおっしゃっていました。丹沢ツアーは当初は書策新道(かいさくしんどう)を通って尊仏山荘へ行く予定になっていましたが、夏の雨で書策新道のいたるところが崩落しており、丹沢観光協会が書策新道への立ち入り禁止を決めたそうです。書策新道の名称は、この道を切り開いた人の名前から付けられたものであり、以前は書策小屋もあったそうです。
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弥三郎岳頂上、パノラマ台で富士山を見飽きるぐらい見て、下山を開始。下山はロープウェイとは反対側の山道を下って行きました。この下山道は樹林帯で展望は見えませんでしたが、途中、くるみの実が落ちており、花も咲いていました。056.gif
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くるみの実。
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キバナニガナ。
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カマキリ。
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お地蔵さん。
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樹林帯が切れたところからも富士山が見えました。
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そして長瀞橋まで戻って来ました。
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最後はいつもように温泉に入って、新宿まで戻って来ました。038.gif
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次回は23日(水・祝)に特配で茅ヶ岳、金ヶ岳に行ってきます。060.gif

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by ryott-ryott | 2011-11-14 18:00 | 山梨百名山、羅漢寺山 | Comments(0)

甲源一刀流、音無しの構え、大菩薩峠を行くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 今年の日本百名山の旅も残すところ、大菩薩嶺と丹沢山の二つになりました。11月6日(日)にアミューズトラベルの初心者のための山歩き教室で大菩薩嶺に行ってきました。日本百名山28座目です。038.gif
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 その前に飛び石連休の間に大井町湯屋仲間の晴れ男さん夫妻とおばあちゃんの般若阿部ちゃんと大井町の「陣」で温泉行きの相談飲み会をやりました。結論として、1月15日(日)~16日(月)に1泊で鬼怒川あさやホテルに行くことになりました。私は月曜日休めるかどうか心配です。
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 晴れ男さんの奥様のりえちゃんとおばあちゃん。037.gif
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 晴れ男さんと記念撮影。このおじさんは、こんな顔していながらも、結構な読書家で今回の飲み会でもストレスが遺伝することを教えてもらいました。わかりやすい例で話をすると、自分が受けたストレスとして、親から虐待を受けていた場合、虐待を受けていた子どもが成長して、自分が親になったときに「自分の子どもにだけは虐待はしない」と思いつつも虐待をしてしまうそうです。以前にこのブログでも紹介しましたテレフォン人生相談で同じような内容の話がありました。
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 ある女性が自分の子どもが医師から発育障害があると診断され、どう対応したらよいかとの相談がテレフォン人生相談にありました。しかし、よく話を聞いてみるとその女性が息子に暴力をふるっており、それが原因で発育障害になったことがわかります。そして、その女性は幼い時に自分の父親が再婚した相手の連れ子に暴力をふるっていたことを話し始めます。その連れ子は知恵遅れで父親が嫌っており、いつも暴力をふるっていました。その暴力をふるう父親も、連れ子とはいえ自分の兄にあたるその子を助けることもできなかった自分も大嫌いだったといいます。
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その女性は自分が成長して、結婚をし、授かった息子に対して、自分の父親が兄に行ってきた暴力を同じようにふるっているというのです。あんなに憎んでいたはずの暴力を、自分の愛する息子に振るってしまっているのです。この狂った自分を止めることはもはやできないと言います。その女性に、テレフォン人生相談のパーソナリティーのマドモアゼル愛さんが、何も話すことのできない自分の息子が、自分の体を以って、「おかあさん、気がついて!」と言っていることに何故気がつかないのかと涙ながらに訴えていました。
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このように幼い時に受けてきたストレスは、成長してからも正常な判断ができなくなってしまうほど精神を傷つけてしまい、それはあたかも遺伝しているかのようです。
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その他には、晴れ男さんからはNHKでピンポン球を使った発電機が紹介されていた話を聞きました。ピンポン玉が水の満たされた管の中を浮力で上がってゆき、上がりきったところで重力により落下して発電機の歯車を回して、発電を行い、再び水で満たされた管の中に入って行き、上昇と落下を繰り返して、発電を行うことができるとの話をしてくださいました。ただし、この話は信用することはできません。これは永久機関であり、永久機関はこの世には存在しないからです。ピンポン玉が水による浮力と重力による落下を繰り返して発電機の歯車を回し続けるなら、どこかにエネルギーの注入源があるはずです。
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私が晴れ男さんに「永久機関は存在しないので、この装置には必ずカラクリがある。」と言いましたが、晴れ男さんはこの装置は本当だと言ってききません。晴れ男さんは本当に頑固な人です。たまにいい話もしてくださいますが、このようなエセ科学の話も大好きなようです。この日は話題に上がりませんでしたが、芸能人の誰それが同性愛者であるという情報にも精通されています。そして、最後には夫婦喧嘩をするというのがお決まりです。晴れ男さん、鬼怒川温泉では夫婦喧嘩はしないでくださいね。037.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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(岩崎宏美/思秋期)

(第89回安曇野歌声喫茶/思秋期)

思秋期(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし、歌:岩崎宏美)

足音もなく 行き過ぎた
季節をひとり 見送って
はらはら涙あふれる 私十八
無口だけれど あたたかい
心を持った あのひとの
別れの言葉抱きしめ やがて十九に
心ゆれる秋になって 涙もろい私
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ふとしたことで はじめての
くちづけをした あのひとは
ごめんといった それきり
声もかけない
卒業式の まえの日に
心を告げに 来たひとは
私に悩む顔見て 肩をすぼめた
誰も彼も 通り過ぎて
二度とここへ 来ない
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ひとりで紅茶 のみながら
絵葉書なんか 書いている
お元気ですか みなさん
いつか逢いましょう

無-邪-気な 春の語らいや
はなやぐ 夏のいたずらや
笑いころげたあれこれ 思う秋の日

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 ロシアの生んだ世界的な作曲家、ピョートル・チャイコフスキーは、1840年5月7日、ウラル地方のボトキンスクで生まれました。
 
父親は冶金工場の総監督、母親は後妻で音楽を愛し、ピアノを弾き、歌も上手でした。 彼は幼いときから音楽と詩に非凡な才能を示し、“ガラスの子ども”と呼ばれるほど、病的で神経質な子でした。両親は、これ以上音楽を勉強させるのは危険だと判断し、10歳で法律学校に入学させました。

 彼は役人になりましたが、あきたらず、1860年、ルビンシュタインがペテルブルグ(今のレニングラード)で音楽院を開いた機会に役人を辞めて、音楽院に入りました。卒業した彼は、やがてモスクワ音楽院の教授となり、作曲家としての道を歩みはじめました。内気な彼は、自作の曲を指揮するのもあがってしまい、以来20年も指揮台に立ちませんでした。 恋にも破れ、生涯独身で通しました。

 36歳のとき、フォン・メック夫人という後援者が現れ、年金の形で彼の生活の援助を続けました。彼は学校を辞め、作曲に専念できたのです。この彼女は手紙のやりとりだけで、生涯チャイコフスキーとは会わずじまいであったといいます。
 
彼の作品は、ロマンチシズムと哀愁が漂い、人々に親しまれました。『白鳥の湖』『眠れる森の美女』『くるみ割人形』などの3大バレエ曲、『エフゲニー・オネーギン』などの歌劇、『アンダンテ・カンタービレ』などの弦楽四重奏曲、そして交響曲では、最後の作品になった6番『悲愴』がよく知られています。1893年11月6日、53歳で逝去しました。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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大菩薩嶺の話に行く前に、もうひとつ話があります。前日の土曜日に大学院の同窓会に行ってきました。この同窓会では毎年、先生のお宅で芋煮会をやります。
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下ごしらえ、万全。038.gif
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芋煮をはじめる前に、再会を祝して乾杯。068.gif
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芋煮をつくるのは毎年、このお方。頭がすっかり白くなりました。037.gif
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ばあさんは憎たらしいけど、子どもは本当に可愛いですね。40年後、憎たらしいばあさんにならないでくださいね。そのころ、りょうちゃんはこの世の人ではないと思いますが。037.gif
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みんなで記念撮影。
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先生のお宅のお庭に咲いていた「お茶」の花。はじめて見ました。056.gif
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柿とり。
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本当に楽しいひと時でした。みなさん、また来年会いましょう。038.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(山口百恵/秋桜)

(第89回安曇野歌声喫茶/秋桜)

秋桜(作詞:さだまさし、作曲:さだまさし、歌:山口百恵)

うすべにのコスモスが秋の陽に
何気ないひだまりにゆれている
このごろ涙もろくなった母が
庭先でひとつせきをする
縁側でアルバムを開いては
わたしの幼い日の思い出を
何度も同じ話くりかえす
ひとりごとみたいに小さな声で
こんな小春日和の穏やかな日は
あなたのやさしさがしみてくる
明日嫁ぐわたしに苦労はしても
笑い話に時がかえるよ
心配いらないと笑った

あれこれと思い出をたどったら
いつの日も一人ではなかったと
今さらながらわがままな私に
くちびるかんでいます
あしたへの荷造りに手をかりて
しばらくは楽しげにいたけれど
突然涙こぼし元気でと
何度も何度もくりかえす母
有難うの言葉かみしめながら
生きて見ます私なりに
こんな小春日和の穏やかな日は
もう少しあなたの子どもで
いさせてください



(坂本スミ子/夜が明けて)

夜が明けて(作詞:なかにし礼、作曲:筒美京平、歌:坂本スミ子)

夜が明けて 手さぐりをしてみた
ぬけがらのとなりには 誰もいない
目をあけて 部屋のなか見てみた
陽がもれる窓のそば 誰もいない
夢を追いかけて
ひとりふかす たばこのけむり
白い 白い
夜が明けて 夢をみたまくらに
あの人のかみの毛が ひとつのこる
テーブルの 灰皿の中には
あのひとのすいがらが ひとつのこる
あせたくちびるを
かんでひいた ルージュの赤が
つらい つらい

われた手鏡に
語りかける おんなの朝は
ひとり ひとり

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さて11月6日(日)は大菩薩嶺に行ってきました。天気はあいにくの雨模様。大井町湯屋仲間のよしこさんは週間天気予報を見て、早々とキャンセルしたそうです。057.gif
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集合は新宿安田生命ビル前。辻さんがいらっしゃいました。辻さんからまた倉持さんの特配に誘ってほしいとおっしゃっていました。11月23日(水・祝)に茅ヶ岳・金ヶ岳、12月17日(土)~18日(日)に丹沢山、1月7日(土)に沼津アルプスの特配があることを伝えておきました。私は茅ヶ岳・金ヶ岳にしか行けません。
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今回も初心者のための山歩き教室「大菩薩嶺」を案内してくれるのは、中野さん、高橋恵里香さん、ミンミンさんの3人体制です。恵里香さんは北岳の八本歯のコルで声をかけられて以来です。私たちが倉持さんの特配・北岳で木村カエラと瑛太夫妻に会ったことを皆さんご存知だったようで、「木村カエラは顔小さかった?」と複数の方に聞かれました。皆さん、小顔に憧れがあるようです。041.gif037.gif
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そして、本日の初心者のための山歩き教室のテーマは「地図とコンパスの使い方」でした。中野さんがバスの中で地図とコンパスの使い方を説明していましたが、ほとんどの方は、というか、ばあさんたちは車窓から見える紅葉に「きれ~い」と言って、まったく話を聞いていませんでした。中野さんもあきらめて、歩き始める前にレクチャーすることになりました。
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レクチャーすると言っても、配られた資料を読めば簡単に使い方がわかります。私は偶然にも使い方を知っていましたが、中野さんのレクチャーを聞いて、さらに理解が深まりました。私は普段、自分の身のまわりで文字を読んで理解する人がいかに少ないか、特に若い人に対して感じていましたが、若い人だけでないことがわかりました。
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私はいつものように隊列のしんがりを進み、私の後ろには今年からアミューズのガイドになった中国出身のミンミンさんが付いてくれました。ミンミンさんは今年、同行したツアーは1回だけ晴れただけで、あとはすべて雨だったそうです。そして、きょうも雨でした。写真はロッジ・長兵衛、この前で準備体操をして、出発しました。
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福ちゃん荘。
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福ちゃん荘の前のお地蔵様。
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富士見山荘前、晴れていれば、ここから富士山が見えるそうです。
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大菩薩峠。晴れていれば、ここからも富士山と稜線沿いに大菩薩嶺が見えるそうです。
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介山荘。作家・中里介山の「介山」です。中里介山と言えば、未完の大作「大菩薩峠」。甲源一刀流の使い手、机竜之介が大菩薩峠でひとりの老人を叩き斬るところから物語は始まります。主人公の机竜之介は甲源一刀流・音無しの構えで相手を斬って、斬って、斬りまくり、女性とみればただちに犯し、亡者をも相手にする猛士として描かれています。中里介山が大菩薩峠の連載を始めたのは1912年、38歳のときでした。以降、31年間、大菩薩峠の執筆を続け、18巻、未完のままで1943年4月28日、腸チフスで亡くなりました。享年59歳。
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雨の中、大菩薩嶺に向かって進みます。
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賽ノ河原。
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雷岩。
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そしてついに頂上の大菩薩嶺に到着。標高2059 m。今日は怪我を克服した浦安湯屋のじゅんやさんと一緒に記念撮影。
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じゅんやさんご夫妻。この写真を掲示板、ブログに載せてもよいと、快く了承していただきました。じゅんやさんは現在リハビリ中で、山歩きを再開されたそうです。ただ、まだ細かいコントロールを必要とする動きはもう一歩とのことでした。いい歳、りょうちゃんの動きに比べたら、一歩も二歩も上を行っています。次回は11月23日の茅ヶ岳・金ヶ岳に参加されるとおっしゃっていました。また「おまんじゅう」持って行きますね。038.gif
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大菩薩嶺で記念撮影をした後、雷岩の分岐まで戻って、下山を開始。結構石が多くて、しかも雨模様のため、慎重に下ります。あの方がいたら、多分、すっ転んでお尻が泥だらけになっていたと思います。037.gif
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登山を開始して4時間足らずで、ロッジ長兵衛のところまで戻って来ました。今回は雨模様で眺望もきかず、撮った写真も少なかったです。ストレッチをして、バスに乗り、大菩薩の湯へ行きました。
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風呂上がりにお食事処へ行くと、岩櫃山でご一緒したおかあさんが生ビールを飲んでいました。岩櫃山のときも一緒にビールを飲み、そして今回も再会を祝して乾杯しました。068.gif038.gif
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今週末は雪山講習会と羅漢寺山に行ってきます。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2011-11-08 21:06 | 大菩薩嶺 | Comments(0)

雪の山歩きに向けてヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 第89回あづみ野うたごえ喫茶の模様がYouTubeにアップされたので、いくつかの動画を記事の中に貼り付けました。いい歳、りょうちゃんも映っています。060.gif038.gif
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 また浦安湯屋のともちゃんから「くじゅう山」の記事で書いた村田英雄伝説について、よくまとまられているとお褒めの言葉を戴いたので、村田英雄伝説を再度載せました。記事はすべて友ちゃんから聞いた話を文字にしたものです。YouTubeで船村徹が歌っている動画が幾つかありますが、結構歌が上手です。038.gif
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 11月に入ったというのに、気温は一向に下がらず、暑い日が続いています。1日は仕事で九州・福岡へ出張に行きましたが、最高気温28 ℃と30 ℃に迫る暑さでした。7時20分発の飛行機であったため、羽田空港から日の出を見ました。飛行機は朝早い便であるにもかかわらず、ほぼ満席でした。
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 福岡空港と言えば、九州3座のときも立ち寄った「おでん屋さん」。いかの姿造りがあったので、頼んでしまいました。037.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう



(岩崎宏美/思秋期)

(第89回安曇野歌声喫茶/思秋期)

思秋期(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし、歌:岩崎宏美)

足音もなく 行き過ぎた
季節をひとり 見送って
はらはら涙あふれる 私十八
無口だけれど あたたかい
心を持った あのひとの
別れの言葉抱きしめ やがて十九に
心ゆれる秋になって 涙もろい私
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ふとしたことで はじめての
くちづけをした あのひとは
ごめんといった それきり
声もかけない
卒業式の まえの日に
心を告げに 来たひとは
私に悩む顔見て 肩をすぼめた
誰も彼も 通り過ぎて
二度とここへ 来ない
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ひとりで紅茶 のみながら
絵葉書なんか 書いている
お元気ですか みなさん
いつか逢いましょう

無-邪-気な 春の語らいや
はなやぐ 夏のいたずらや
笑いころげたあれこれ 思う秋の日



(第89回安曇野歌声喫茶/遠い世界に)


(第89回安曇野歌声喫茶/羽田発七時五十分)
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 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(ともちゃんから聞いた「村田英雄伝説」より)038.gif038.gif038.gif038.gif038.gif038.gif038.gif038.gif038.gif


(船村徹/王将)





(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(奥村チヨ/終着駅)

(第89回安曇野歌声喫茶/終着駅)

終着駅(作詞:千家和也、作曲:浜圭介、歌:奥村チヨ)


落ち葉の舞い散る 停車場は
悲しい女の 吹きだまり
だから今日もひとり 明日もひとり
涙を捨てにくる
真冬に裸足は 冷たかろう
大きな荷物は 重たかろう
なのに今日もひとり 明日もひとり
過去から逃げてくる

一度離したら 二度とつかめない
愛というなのあたたかい 心の鍵は
よくにた女が 降りてくる
そして今日もひとり 明日もひとり
過去から逃げてくる

一度離したら 二度とつかめない
愛というなのあたたかい 心の鍵は
よくにた女が 降りてくる
そして今日もひとり 明日もひとり
過去から逃げてくる

そして今日もひとり 明日もひとり
過去から逃げてくる

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(山口百恵/秋桜)

(第89回安曇野歌声喫茶/秋桜)

秋桜(作詞:さだまさし、作曲:さだまさし、歌:山口百恵)

うすべにのコスモスが秋の陽に
何気ないひだまりにゆれている
このごろ涙もろくなった母が
庭先でひとつせきをする
縁側でアルバムを開いては
わたしの幼い日の思い出を
何度も同じ話くりかえす
ひとりごとみたいに小さな声で
こんな小春日和の穏やかな日は
あなたのやさしさがしみてくる
明日嫁ぐわたしに苦労はしても
笑い話に時がかえるよ
心配いらないと笑った

あれこれと思い出をたどったら
いつの日も一人ではなかったと
今さらながらわがままな私に
くちびるかんでいます
あしたへの荷造りに手をかりて
しばらくは楽しげにいたけれど
突然涙こぼし元気でと
何度も何度もくりかえす母
有難うの言葉かみしめながら
生きて見ます私なりに
こんな小春日和の穏やかな日は
もう少しあなたの子どもで
いさせてください

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(坂本スミ子/夜が明けて)

夜が明けて(作詞:なかにし礼、作曲:筒美京平、歌:坂本スミ子)

夜が明けて 手さぐりをしてみた
ぬけがらのとなりには 誰もいない
目をあけて 部屋のなか見てみた
陽がもれる窓のそば 誰もいない
夢を追いかけて
ひとりふかす たばこのけむり
白い 白い

夜が明けて 夢をみたまくらに
あの人のかみの毛が ひとつのこる
テーブルの 灰皿の中には
あのひとのすいがらが ひとつのこる
あせたくちびるを
かんでひいた ルージュの赤が
つらい つらい

われた手鏡に
語りかける おんなの朝は
ひとり ひとり

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(辻さんから送ってもらった栗拾いの写真)
 
11月3日はアミューズトラベルの背戸峨廊に申し込んでいましたが、崖崩れのため催行中止になってしまいました。いい歳、りょうちゃんの今後の予定です。070.gif

11月 6日(日) 大菩薩嶺
/週間天気予報では傘マークがついています。よしこさんはキャンセルするようです。

   13日(日) 羅漢寺山

   19日(土) 大井町のじゃんけんぽんでボジョレーヌーボ試飲会
 /よしこさん、おばあさんの佐藤さん、浦安湯屋のすみお姉ちゃんとはせやんもご一緒する予定です。
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   26日(土)~27日(日) 政次郎尾根からの丹沢山縦走
 /最初は書策新道を通る予定でしたが、道が通れないそうであり、政次郎尾根に変更になりました。

12月18日(日) 第90回あづみ野うたごえ喫茶060.gif
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   23日(金) 浅間山雪上講習
 /11月12日(土)にアミューズトラベルでの雪山講習会を聞いてきます。1月から5月まで蓼科山、蔵王熊野岳、武尊山、至仏山、立山と毎月1回雪の山歩きを申し込みました。

 
11月6日、大菩薩嶺に行ってきます。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2011-11-03 20:16 | あづみ野うたごえ喫茶 | Comments(0)