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淡路島・諭鶴羽山を「歩みの会」と歩くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 ブログがなかなか実態に追いつきません。先週は大井町湯屋仲間の晴れ男さん夫妻、おばあちゃんの般若阿部ちゃんと鬼怒川温泉に出かけてきました。最近、阿部ちゃんは面と向かって「おばあちゃん」と言っても怒らなくなりました。その模様はまた後日報告します。024.gif
 羽田空港で缶みそ汁が売られていました。
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 そして、今週と来週は久しぶりに山には行かず、おしきせ週間になりそうです。まず今週末、日曜日はじゃんけんぽんのトントンさん、はるさんと再び亀戸ホルモンへ横隔膜「レンガマックス」を食べに行きます。そして来週はやはり大井町湯屋仲間のエルビー山岸さんの新居に引っ越しお祝いに伺います。よしこさんの知り合いのおじさんや、てらりんさんから「食べすぎだ!」とまた叱られるでしょう。037.gif
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 さてアミューズトラベルのツアーで淡路島と小豆島へ行って来たので報告します。淡路島も小豆島も島で最高峰の山に登って来ました。038.gif
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 羽田空港上空は曇っており、日の出を見ることができませんでしたが、飛行機の窓からは富士山を見ることができました。058.gif
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 1日目は羽田空港から伊丹空港へ行き、そこからバスで淡路島へ渡り、黒岩水仙郷、そして淡路島最高峰の諭鶴羽山(標高608 m)へと向かいます。いつもアミューズトラベルのツアーでは、倉持さんの特配でないと、いい歳、りょうちゃんが断トツの最年少なのですが、今回は25歳のお嬢さんが参加していました。
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そして伊丹空港に着いた時に参加者のおひとりから声をかけられました。お話を伺うと「歩みの会」という山歩きの会で月に1回、倉持さんと白砂さんの案内で山に出かけており、今回の淡路島と小豆島はお孫さんと一緒に参加したとおっしゃっていました。25歳のお嬢さんはその方のお孫さんでした。「歩みの会」からは8名の方が参加し、お孫さん以外のベテラン7名はすでに日本百名山を完登しているとのことでした。038.gif
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 淡路島&小豆島ツアー参加者は女性21名、男性2名、ガイド2名の総勢25名。ガイドさんは関西の神浦ガイド、添乗員はおなじみの辻さんでした。038.gif
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 たこ焼き明太ソースがけ
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 焼き栗マスコット
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 バスの車窓から。電波塔が立っている山が今日登る諭鶴羽山です。
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 まずは淡路島にわたり、黒岩水仙郷で水仙を見学しました。056.gif
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 沼島(ぬしま)
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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「一国を維持するのは、決して二、三の英雄の力にあらず、実に一国を組織する教育あり、知識あり、品行ある人民の力に拠らざるべからず。これらの人民は、一国の良心とも謂うべき人々なり・・・・・・」(「同志社大学設立の趣旨書」より)

 京都に、キリスト教の精神を柱とする同志社大学を創立したのは新島襄です。彼は官学に対する私学として、在野の教育社としては福沢諭吉に並ぶ人だと思います。

 彼は天保14年(1843年)1月14日、群馬安中藩の下級武士の子として生まれました。16歳のとき海軍伝習所に入って蘭学を学びましたが、海外留学を夢みて脱藩。函館港から米国船に乗り込み、国禁を犯して米国に密航しました。アーモスト大学、アンドバ神学校を卒業しましたが、彼が学んだことは、“欧米文化の根底には、常にキリスト教の精神がある”ということでした。

 明治4年(1871年)、岩倉具視一行が、渡米の機会に、政府公認の留学生となり、岩倉の案内役として渡欧し、ヨーロッパの教育制度を視察してきました。明治8年(1875年)、彼は日本にキリスト教主義の学校を創立すべく帰国し、ただちに同志社を結成し、同志社英学校、同志社女学校を開設しました。

 明治21年(1888年)、同志社大学をつくるため、再び渡米し、資金募集にあたりましたが、志半ばにして病にたおれ、明治23年(1890年)1月23日、48歳で亡くなりました。
 しかし、その門下からは、徳富蘇峰、徳富蘆花、安部磯雄、山川均、馬場恒吾など、日本の思想、文化に影響を与えた、数多い人材が輩出しました。やはり新島襄の薫陶が生きていたのでしょう。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 諭鶴羽山の登山口は黒岩水仙郷からバスで5分ぐらいのところです。標高608 mですがほぼ海抜0 mからの登山になります。諭鶴羽山は麓から頂上近くの諭鶴羽神社まで、十八丁から一丁の目印として18体のお地蔵様が道標として立っています。
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 江戸時代は諭鶴羽山にはお寺があり、信仰の山だったそうです。立っているお地蔵さまはその名残で、江戸時代のものがそのまま残っています。
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 諭鶴羽神社、しかしまだ頂上ではありません。
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 諭鶴羽神社でお神酒を戴きました。そしてお参りして、今やいい歳、りょうちゃんにとっては無駄かもしれない「縁結び」のお守りを買いました。しかし、辻さんが「縁結び」とは必ずしも“結婚”のことだけではなく、人と人との出会いすべてが「縁」であるので、山登りで知り合えたこともひとつの「縁結び」だとおっしゃっていました。
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 諭鶴羽山の頂上を目指して、再び出発。
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 この電波塔を過ぎると、諭鶴羽山の頂上。
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 諭鶴羽山の頂上で、「歩みの会」の方々と記念撮影。061.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(坂本スミ子/夜が明けて)

夜が明けて(作詞:なかにし礼、作曲:筒美京平、歌:坂本スミ子)

夜が明けて 手さぐりをしてみた
ぬけがらのとなりには 誰もいない
目をあけて 部屋のなか見てみた
陽がもれる窓のそば 誰もいない
夢を追いかけて
ひとりふかす たばこのけむり
白い 白い
夜が明けて 夢をみたまくらに
あの人のかみの毛が ひとつのこる
テーブルの 灰皿の中には
あのひとのすいがらが ひとつのこる
あせたくちびるを
かんでひいた ルージュの赤が
つらい つらい

われた手鏡に
語りかける おんなの朝は
ひとり ひとり

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諭鶴羽ダムを目指して下山を開始。ここも目印としてお地蔵様が立っていました。最後は二十八丁までになります。
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諭鶴羽ダムに到着。ここからバスに乗って、フェリー乗り場に向かいました。
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サービスエリア前で見た夕陽。058.gif
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バスの車窓から見た夕陽。058.gif
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フェリーに乗って、小豆島の土庄港へ。フェリーの中で記念撮影。
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ビールを飲み干す、よしこさん。
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ガイドの辻さんともう一人の男性客の小室さん。
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ホテルには19時30分に着きました。そのまま大急ぎで夕飯を食べました。「歩みの会」の先輩方から百名山のことを教えていただき、楽しい宴となりました。038.gif
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明日は星ヶ城山に登ります。060.gif

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by ryott-ryott | 2012-01-28 09:30 | 淡路島と小豆島の最高峰に登る | Comments(3)

女神が住む山、雪の蓼科山に挑戦ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 さて先々週から大井町湯屋でパーソナルトレーナーの高岸さんの指導によるトレーニングを2ヵ月ぶりに再開しました。ほぼ毎週、山登りをしているものの、普段、勤務帰りに大井町湯屋へ行けないことも多く、だいぶweight gainになりました。トレーナーの高岸さんとは、その後、Facebookで友達になりました。
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 最近はよしこさんのお友達のおじさまからは「山登りをしていて、どうして太るんだ!」とのお叱りを受け、さら大井町湯屋メンバーで私に山登りのアドバイスをしてくれるてらりんさんからも、「塔の岳でカレーライス3杯はあり得ない!」との厳しいご指摘を受けました。てらりんさんは、私のブログを見て、山登りのあとの「おしきせの会」がよろしくないとおっしゃっていました。要するに、山登りをした以上に私が食べ過ぎているとのご指摘です。皆さんのアドバイスに真摯に耳を傾け、これからはおしきせの会もほどほどにして、普段から有酸素運動を多く取り入れて行こうと思います。
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 1月7日、8日はアミューズのツアーで雪山の蓼科山へ行ってきました。12月の3連休で雪上講習を受けて、はじめての雪山デビューです。そして、私にとって蓼科山は日本百名山30座目になりました。
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 今回は朝7時ではなく夕方17時に新宿をバスで出発し、蓼科高原の民宿に1泊し、翌朝、女神茶屋の登山口から山頂を目指して登り始めました。
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 前日のバスの中では雪があまりなくて、登りにくいとのお話でしたが、比較的雪は積もっていたと思います。
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 最初はいつものように最後尾からついて行きましたが、今日のガイドさんは泉田さんで、しかも雪山経験者のツアーということもあり、写真を撮って遅れをとるとなかなか追いつくのがたいへんになってしまったため、仙石さんから、「泉田さんのすぐ後ろを歩いてください。」と言われ、先頭で歩くことになりました。
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 蓼科山は平坦な部分はほんの少しで、ほとんどは直登の急登でした。泉田ガイドに懸命について行くものの、最初はアイゼンを付けなかったため、急登では岩に積もった雪の上に足をのせると体重の重みで下に滑ります。私の場合は重い体重を支えながら、下に滑らないように踏ん張るので、それだけで体力を消耗しました。
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 ようやくアイゼン装着の指示が出て、少しは楽になるだろうと思いましたが、急斜面の直登はそれを許してくれませんでした。北岳の八本歯のコルを登った時以来のきつい登山となり、息も絶え絶えになりました。もう少しで頂上というところにきて、あまりにも私が疲弊しているので、泉田さんから「息を整えてから、仙石さんと一緒に来てください。」と言われ、置いてかれてしまいました。そして、頂上直下は雪が深いところもあって、千畳敷カールの時と同じように一歩足を踏み出すと膝上まで雪に埋まってしまい、さらにペースダウンしてしまいましたが、仙石さんに励まされながら何とか頂上に辿り着くことができました。
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 蓼科山には「女の神山(めのかみやま)」という別名があり、古来から女神が住む山とされてきました。蓼科に住む女神は麓に流れる川で人々を潤してきた水の神でもあり、農耕の神様としても崇められてきたと言います。やさしい女神が住んでいると言われている割には、蓼科はとても厳しい山でした。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 昭和39年(1964年)10月、東京オリンピックのマラソンで銅メダル(3位)を獲得、久しぶりに日の丸の旗を掲げたのは、福島県須賀川市出身の円谷(つぶらや)幸吉選手でした
 それから4年、メキシコ・オリンピックが開かれる年の正月です。東京オリンピックのマラソンで優勝したエチオピアのアベベ選手が、「今年のマラソンの優勝は、日本の円谷になるだろう」と予言したことから、新聞、テレビなど、マスコミはその談話を大きく取り上げ、円谷への期待を盛り上げました。

 しかし、自衛隊体育学校に籍をおく円谷は、思いがけない足と腰の故障で十分練習ができません。日増しに高まる期待感の重圧に耐えかねて、悶々の日々を過ごしていました。
 そして、ついに正月、故郷に帰った昭和43年(1968年)の1月8日、枕元に遺書を残して自殺しました。
「父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうございました。干し柿、モチも美味しゅうございました。
 敏雄兄、姉上様、おすし美味しゅうございました。(中略)
 父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい。
 気が安まることもなく、ご苦労、ご心配をお掛けいたし申し訳ありません。幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。・・・・・・・」

 この遺書が公表されたとき、ノーベル賞作家の川端康成は、千万言をもってもつくせぬ哀切であると言って、次のように感想を述べています。「“美味しゅうございました”という、ありきたりの言葉が、じつに純ないのちを生きている。そして遺書全文の韻律をなしている。美しく、まことで、かなしいひびきだ。」

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 1月8日の蓼科山山頂は快晴で、あとで聞いたら気温はマイナス10 ℃だったそうです。しかし、風はなく、360度見渡すことができました。きびしい登山ではありましたが、頂上からの眺めは、女神からの贈り物だったと思います。
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 南アルプス。
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 槍・穂高。
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 八ヶ岳、横岳。
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 蓼科山頂ヒュッテから日光方面。
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 浅間山、噴煙が出ています。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(坂本スミ子/夜が明けて)

夜が明けて(作詞:なかにし礼、作曲:筒美京平、歌:坂本スミ子)

夜が明けて 手さぐりをしてみた
ぬけがらのとなりには 誰もいない
目をあけて 部屋のなか見てみた
陽がもれる窓のそば 誰もいない
夢を追いかけて
ひとりふかす たばこのけむり
白い 白い
夜が明けて 夢をみたまくらに
あの人のかみの毛が ひとつのこる
テーブルの 灰皿の中には
あのひとのすいがらが ひとつのこる
あせたくちびるを
かんでひいた ルージュの赤が
つらい つらい

われた手鏡に
語りかける おんなの朝は
ひとり ひとり

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 そして、山頂で集合写真、めいめいの記念撮影と眺めを楽しみ、体が冷えないうちに、下山を開始。ふたたび私は泉田さんの後ろに着いて行くようにとの指示があり、急登を下って行きました。普段の山登りでは、自分は下りに慣れて来て、最近は下りの方が得意だと思っていましたが、登りの疲労で足の太ももがパンパンになっていることがわかりました。
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 今回、はじめての雪山でハイペースの泉田ガイドの後ろを必死に歩いたため、途中で写真を撮影する猶予がなく、写真の枚数はかなり少ないです。そして、急斜面を降りて行くうえで、ダブルストックはかなり役に立ちました。私の重たい体重を支えながら、斜面でブレーキをかけて、降りるのに、ダブルストックは不可欠だと思いました。
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 下山後、仙石さんと記念撮影。下山は予定よりもかなり早く、13時前には温泉に入っていました。
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 温泉施設の前の風景。14時30分にはバスに乗って、新宿に向かい、18時前には新宿に帰って来ることができました。それにしても今回の雪山の蓼科は厳しいものでした。数多く雪山を経験して、慣れることが一番の近道だと思いました。
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次回は淡路島・小豆島の登山を報告します。060.gif

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by ryott-ryott | 2012-01-23 00:57 | 雪山・蓼科山 | Comments(2)

広島修学旅行最終日、尾道陽だまりハイクヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 なかなかブログを更新できませんが、1月7~8日はアミューズで日本百名山の雪山・蓼科山へ、1月14~15日は淡路島&小豆島へ行ってきました。その模様はまた後日報告します。
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 さて広島修学旅行もいよいよ最終日になりました。写真は今回の修学旅行で宿泊したグランドプリンスホテル広島です。きれいな部屋に、従業員のサービスもよく、申し分ないホテルなのですが、1つだけ文句がありました。
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 今回JTBで宿泊先を選びました。辻さんと平和学習と休み山縦走を計画していたので、帰りに夕飯をご一緒することがあると思い、夕飯なしのプランを選びました。1泊23500円です。グランドプリンスを選んだ理由は海のそばで天気がよければ朝陽、夕陽が見えること、そして大浴場があるという2点で選びましたが、この1泊の料金の中に大浴場を利用できる料金は含まれていないとのことでした。朝食のみで1泊23500円は十分に高いと思うのですが、大浴場を利用するには更に1回2150円を支払わなければなりませんでした。これはホテルが悪いと言うより、JTBのプランの提案の仕方がよくないと思います。
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 広島修学旅行最終日、そのホテルの前からようやく日の出を見ることができました。今年、私にとっての初日の出です。058.gif
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 今日は東京に帰らなければなりません。その前に尾道に立ち寄ってから帰ることにしました。今日1日案内してくれるのは、広島観光タクシーニコニコキャブの三由さんです。三由さんには後日、自宅へ尾道や広島のガイドDVDを送っていただきました。有難うございました。038.gif
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 朝9時30分にホテルに迎いに来ていただき、尾道に向かいます。途中、降った雪で白く雪化粧していました。
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「放浪記」作者、林芙美子像。
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ロープウェイに乗って千光寺公園展望台へと向かいます。ロープウェイには「さくら」と「かもめ」があり、私たちが乗ったのは「さくら」でした。
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尾道水道を一望しながら、山頂駅へと登って行きます。
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展望台。
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展望台からの風景。尾道水道を一望できます。
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日立造船所の向こう側に、霞んでいなければ、石鎚山が見えるそうです。この日は見えませんでした。本堂のお母さんが教えてくれました。
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文学の小道を下っていきました。
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鏡岩。
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梵字岩。
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玉の岩。何年か前にこの石を盗みに来た外国人がおり、捕まったそうです。
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大師堂。千光寺は806年に弘法大師によって開かれました。
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鐘楼。除夜の鐘として鳴らされます。
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「音に名高い千光寺の鐘は 一里聞こえて二里ひびく」
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大仙堂。あの日本百名山のひとつ、鳥取県の大山・大山寺のご本尊、大山智明大権現でニコニコ地蔵として親しまれています。
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鼓岩、通称ポンポン岩。叩くと中が空洞であるような音がします。大坂城築城のときに石を切り出すため、そのノミの跡が残っています。
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頼山陽像。
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くさり岩。四国の最高峰・石鎚山の方角を向いており、石鎚蔵王大権現が祀られています。このくさり岩を登ると、日本百名山の石鎚山を登ったのと同じことになるそうです。今回、私は登りませんでした。
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本堂。
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中村憲吉の家。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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昔から、「女は男次第」といわれますが、その典型は松井須磨子だったかもしれません。彼女の本名は小林正子。明治19年(1886年)長野県で生まれました。17歳で姉を頼って上京、その年の暮れ、木更津の旅館の若旦那と結婚しましたが、性病をうつされて離婚。病院に通ううちに知り合った高等師範の学生と再婚しました。須磨子23歳の時です。

夫が東京俳優学校の講師となったことから、須磨子も演劇に関心を持つようになりました。坪内逍遙、島村抱月など演劇研究所をつくり、女優を募集することを聞いて須磨子も応募しました。無学な須磨子でしたが、その熱心さにほだされて、別科生という補欠入所を許されました。芸に専心するため夫とも離婚しました。須磨子の初舞台は、明治44年(1911年)5月、帝劇の「ハムレット」、つづいて11月公演、イプセンの「人形の家」のノラ役で大評判をとりました。
 
その後、数々の舞台を踏みますが、指導する抱月と須磨子の仲は急速に接近し、師弟の域を越えて、男女の関係に発展して行きました。やがて二人は、芸術座を結成し、大正3年(1914年)「復活」を上演。その劇中歌として歌った「カチューシャの唄」が大ヒット。須磨子は一躍大スターの座につきました。しかし、大正7年(1918年)、日本を襲ったスペイン風邪で、11月5日、突然抱月は亡くなりました。

 最愛の人を失った須磨子は、抱月の命日の2カ月後、大正8年(1919年)1月5日、舞台化粧のまま、牛込の芸術倶楽部で縊死(いし)を遂げました。あと追い心中です。
 須磨子は「あの人と一緒に埋めて」と遺書を残しましたが、抱月夫人の反対で、実現しませんでした。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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尾道は坂の町で、猫が住みやすい町と言われています。
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そして、尾道商店街へ。
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船の帆に使われている布で作ったものが売られており、「帆布」と言い、尾道では女性に人気があるそうです。
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お風呂屋さんを改造して、喫茶店に。
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この喫茶店の裏に林芙美子が住んでいた家があります。この喫茶店の中に入らなければ見ることはできません。
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この蒲鉾屋さん「桂馬」はテレビにも出たことがある日本一おいしい蒲鉾屋さんだそうです。この日はお休みでした。
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因島でははっさくが採れ、大福に包んだのが「はっさく大福」です。店頭に並ぶとすぐに売り切れてしまうそうです。店を訪れた時、幸運にも出来たてが並んでいました。
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 はっさく大福を食べながらニコニコキャブに乗り、しまなみ海道へ向かいました。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(坂本スミ子/夜が明けて)

夜が明けて(作詞:なかにし礼、作曲:筒美京平、歌:坂本スミ子)

夜が明けて 手さぐりをしてみた
ぬけがらのとなりには 誰もいない
目をあけて 部屋のなか見てみた
陽がもれる窓のそば 誰もいない
夢を追いかけて
ひとりふかす たばこのけむり
白い 白い
夜が明けて 夢をみたまくらに
あの人のかみの毛が ひとつのこる
テーブルの 灰皿の中には
あのひとのすいがらが ひとつのこる
あせたくちびるを
かんでひいた ルージュの赤が
つらい つらい

われた手鏡に
語りかける おんなの朝は
ひとり ひとり

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しまなみ海道は、向島、因島、生口島、大三島、伯方島、大島、今治へと続きます。時間の関係上、生口島の多々羅大橋のところまで行きました。
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山の上から見た多々羅大橋。
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この木はクロガネモチ。
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尾道からしまなみ海道、そして広島空港へと帰って来ました。ニコニコキャブの三由さんともここでお別れです。東京に戻ってからFacebookで友達になっていただきました。
写真は広島空港で見た夕陽です。058.gif
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広島空港の中にある居酒屋「てっ平」。
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小いわし煮。
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利き酒2杯セット、630円。おちょこ2杯ではありません。1合の湯呑2杯です。お店の方にこの値段は安すぎないかと尋ねると、お酒に関しては奉仕でやっているとおっしゃっていました。広島空港では、この利き酒が飲みたかったのです。038.gif
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広島平和記念資料館での平和学習から始まって、休み山から音戸大橋までの縦走、獺祭酒蔵見学と広島市内めぐり、そして最終日は尾道散策としまなみ海道、3泊4日の広島修学旅行を無事に終えて東京に戻って来ました。今度、広島へ行くときには三由さんに勧められた「きのえ温泉」に行ってみたいと思います。
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次回は日本百名山、雪山の蓼科山の報告をします。
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広島修学旅行、これにて完。060.gif

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by ryott-ryott | 2012-01-17 02:21 | 広島修学旅行 | Comments(0)

獺祭酒蔵見学&広島の歴史を歩くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 さて広島修学旅行3日目は、広島県から少し離れて山口県周防高森にある獺祭酒蔵へ行きました。広島から山陽本線に乗って岩国まで行き、そこで岩徳線(岩国-徳山)に乗り換えて周防高森まで行きます。広島から岩国まで51分、岩国から周防高森まで33分の行程です。
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 広島は晴れていましたが、お隣の山口県まで行くと雪が舞い始めました。
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 岩国駅でとてもきれいな電車が停車していました。錦川清流線です。
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 周防高森に行くには岩徳線に乗り換えます。この1両編成の黄色い電車です。
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 岩徳線に揺られること33分。周防高森駅に到着。
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 時刻表を見てください。1時間に1本もありません。駅から酒蔵まではタクシーで10分ぐらいでしょうか。タクシーの運転手さんは車で5分ぐらいのところで、すぐ近くだと言うので、歩いて行けるのかと思いましたが、タクシーに乗ってみて、とても歩いて行ける距離ではないことがわかりました。獺祭での酒蔵見学は毎日13時30分から30分間行われます。電車の時刻の関係から私は12時ちょうどに酒蔵の前に着きました。もう1本電車を遅らせると周防高森駅には13時29分に到着することになり、見学に間に合いません。しかし、見学開始まで90分もありました。
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 外を見ると雪はどんどん降って来ています。見学は私の他には親子連れ4名、合計5名でした。見学にやってきた親子連れの方たちも自家用車で12時過ぎに着き、見学者全員がそろったので、見学開始を1時間早めていただき、12時30分に開始していただきました。
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 この酒蔵ではお酒の他、石鹸、酒粕、レトルトカレー、ケーキを売っていました。私は300 mlのお酒を1本買って行って、ホテルで飲みました。
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 いよいよ見学開始。分析室の前で帽子と白衣を着ました。分析室の中では白衣を着た女性が分析をしており、お酒をろ過していました。分析室では糖度、アミノ酸量をおもに分析しているそうです。しかし、この旭酒造では農学部出身の新卒者を採用することはないそうです。大学での通り一遍の知識だけでは酒造りなどとてもできないというご意見でした。
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洗米は機械では行わずに人の手で行っています。洗米を行うことによって、米が水を吸収します。機械で洗米してしまうと、米が吸収する水の量のばらつきは1%以下にコントロールすることができないため、人の手で洗っています。旭酒造では吸収する水の量を0.1%にコントロールしています。038.gif
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洗米した酒米は蒸しあげて、ベルトコンベアでタンクの中に移します。タンクの前に写っている小さな缶の中には酵母が入っています。小さい容器を使っているのは他の雑菌、雑酵母が入りこまないようにするためです。お正月によく食べるミカンなどの皮には雑酵母がたくさんついているそうです。他の酵母が入りこまないように、乳酸を入れているそうです。酵母にも種類があり、繁殖力が強いものと弱いものがあり、弱いものが強いものと一緒にされると負けてしまいます。そのため、酵母の強弱によって配分をコントロールしています。
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米から糖分をつくりだす麹室。この中は37から38 ℃に保ちながら、湿度を下げています。湿度があることによって、雑菌が入りこみやすくなります。
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 恒温室で発酵を行います。温度は9 ℃くらいにコントロールします。発酵がすすむと温度は11 ℃くらいまで上昇します。現在は恒温室、冷却装置、サーミスターで温度コントロールしていますが、温度コントロールする機器がなかった時代は杜氏さんが手で温度を感じ取っていたそうです。ただその日の陽気によって感じ取る温度にも誤差が生じていたそうです。酒造りはかつては秋から冬にかけて行われていましたが、現在、旭酒造では年間4期酒造りを行っています。038.gif
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 圧搾機。
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 遠心分離機。遠心分離では40%しか酒を採取することができません。
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 びん詰と火入れをしていました。
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 13時少し過ぎ、およそ30分間の酒蔵見学は終了しました。電車の時刻は13時38分でした。これを逃すと15時1分になってしまいます。酒造の方が大急ぎで駅まで送ってくれました。有難うございました。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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「君はどんなものを食べているか言ってみたまえ、君がどんな人であるか言ってみせよう」ブリヤ・サラバンの言葉です。

 では、この食べ方はどうでしょう。
 「朝食は卵のほか、魚のフライ、ステーキ、それに必ず毎朝1.5リットルのオレンジジュース。11時半は昼食前のスナックと称して2ダースのカキ、またはハマグリ。
昼食には伊勢エビ3匹とステーキ、午後の間食は魚料理。
夕食は必ずブロードウェーの高級料理店“レクタ―”に出かけて、まずはカキを3ダース、カニを6匹、カメのスープを前菜とし、そのあと伊勢エビ7匹、カモを2羽分、それに大きなサーロインステーキ。
食後のデザートに約1 kgのチョコレートを食べる。」加藤秀俊『一年諸事雑記帳』(文春文庫)に紹介されている、世界一の美食家・大食家といわれた、アメリカの億万長者J・ブラディです。

 当然のことながら胃腸をこわし、1917年1月4日、61歳で亡くなりました。好きなものをたらふく食べて、早死にしましたが、本人にとってそれが本望なのかもしれません。

 スウェーデンのカロリンスカ医科大学名誉教授で、老齢額の世界的権威フォルケ・ヘンシェンは、長生きと食生活について、こんな見解を示しています。「百歳以上長生きした人たちに、長生きの秘訣を聞いても混乱するだけだ。ある人は菜食主義者であり、ある人は魚を食べ、ある人はタバコを吸わず、ある人は肉をたくさん食べる。なかには毎晩酒を飲み、酔っぱらって寝込む人もいる。・・・・・・」(長渡敏幸『この人、そして食』文理書院)
 あまり食べ物に神経質になるのも疑問ですね。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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酒蔵見学が1時間繰り上がり、思いのほか早くに広島駅に戻って来ることができたので、縮景園と広島城を見物することにしました。
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縮景園は1620年、浅野長晟(ながあきら)のときに広島藩の別邸の庭園として、家老の上田宗箇がつくらせました。浅野長晟は浅野長政の次男です。有名な赤穂藩の浅野匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)は長政の三男、長重の4代目にあたります。
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縮景園は中国の西湖を模しており、幾多の景勝を凝縮していることから、その名前は由来していると言われています。1940年に浅野家から広島県に寄付され、原爆によって壊滅してしまいましたが、整備を進めて復元されました。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(坂本スミ子/夜が明けて)

夜が明けて(作詞:なかにし礼、作曲:筒美京平、歌:坂本スミ子)

夜が明けて 手さぐりをしてみた
ぬけがらのとなりには 誰もいない
目をあけて 部屋のなか見てみた
陽がもれる窓のそば 誰もいない
夢を追いかけて
ひとりふかす たばこのけむり
白い 白い
夜が明けて 夢をみたまくらに
あの人のかみの毛が ひとつのこる
テーブルの 灰皿の中には
あのひとのすいがらが ひとつのこる
あせたくちびるを
かんでひいた ルージュの赤が
つらい つらい

われた手鏡に
語りかける おんなの朝は
ひとり ひとり

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縮景園を見学した後は広島城へ行きました。戦前の広島城は原爆によって破壊されたため、現在建っている広島城は戦後に復元されたものです。
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 1520年代、広島城は太田川支流のデルタ地帯を埋め立てて毛利家が築城したものです。その後、毛利家は関ヶ原の戦いで西軍についたため、東軍で活躍をした福島正則が入城します。その当時、城を普請するには幕府の許可が必要でしたが、正則は城の改築を許可なく行ったため秀忠の怒りを買い、現在の長野県に島流しになりました。福島正則にかわって広島城をおさめることになったのは浅井長政の次男、長晟でした。長晟の兄弟の末永に赤穂藩の長矩(浅野匠頭)がいます。
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広島城の天守閣から原爆ドームが見えました。
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広島城内の観覧は17時までです。城を出ると、宮島の方角に夕陽が見えました。
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近くの廣島護国神社にお参りしました。
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広島駅の駅ビルの中に牡蠣の専門店があり、牡蠣を食べました。「かなわ」とおうお店です。東京・銀座にもあるそうです。
酢牡蠣、私はこれが一番おいしかったと思います。038.gif
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牡蠣の塩辛。
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牡蠣のしゅうまい。
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生牡蠣。
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牡蠣の釜めし。
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鯛の酒とう。
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広島修学旅行はまだまだ続きます。060.gif

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by ryott-ryott | 2012-01-10 00:05 | 広島修学旅行 | Comments(2)

休み山から音戸大橋へ、平清盛伝説の瀬戸を行くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 さて広島修学旅行2日目は引き続き辻さんと呉市にある休み山(標高501 m)から今話題になっている平清盛で有名な音戸大橋まで歩いて来ました。
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 朝8時48分広島発広行の呉線に乗って、呉に向かいます。呉線沿線にはマツダやセーラー万年筆の工場があります。隣の駅までの間隔はおよそ数分で、呉線には急行もありますが、マツダの最寄り駅には停まらないそうです。
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 呉駅前。休み山を目指して、駅前から歩き始めました。海抜0 mからの登山になります。
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 高田帽子店。緒方拳主演のNHKドラマ「帽子」の舞台になった高田帽子店。辻さんも帽子を購入されたそうです。1月3日は開店していませんでした。
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 高校の向こうに見えるのがこれから向かう「休み山」。
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 今年初めての初登山の無事を祈願し、亀山神社へお参りしました。
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 しばらくは町の中を歩いて行きます。
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 源宗坊の奇怪な銅像がありました。
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 駅前からあること約1時間、休み山の登山口に到着しました。10時39分。
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 しばらくは単調な登りが続きます。またところどころ車道を通ったり、横断します。休み山への登山道は車道とほぼ並行していました。
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 中腹からの展望。辻さんの職場もこのあたりに見えるそうです。11時12分。
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 そして30分ほど登山道を歩いてゆくと、休み山の頂上につきました。11時40分。
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 休み山頂上の展望台でお昼ご飯を食べました。思ったよりも風が少なく、おだやかな陽射しでした。ただ今日は雲もあり、四国は見えませんでした。展望がいいと愛媛の松山の街並みを見ることができるそうです。
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展望台で記念撮影。辻さんは普段はマラソンをされているアスリートであり、66歳のときに剱岳へ登られたそうです。今年、私の最大目標は剣岳へ登ることだとお話したら、難しい山ではないからと言って、激励してくれました。辻さんが今まで登られた山では白馬岳の山小屋はまるで高級ホテルのようだったとお話されていました。
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 約1時間展望台でお昼を食べながら、登山やお互いの仕事の話などをして、音戸大橋に向かって出発しました。12時40分。
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 先ほどまでいた休み山がみるみる小さくなっていきました。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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社会主義の国と違って、自由主義国、わけても日本から他の国に亡命することはほとんどありません。それが、戦争前の昭和13年(1938年)1月3日、まだ日本の領土であった樺太(サハリン)の国境を、人気女優がその愛人と、恋の逃避行を兼ねて、ソ連に越境、亡命をはかったのですから、当時としては大変な話題を巻き起こしました。その第一報を伝えた新聞記事です。

「新派、井上正夫一座の女優岡田嘉子(38)がひょっこり厳寒の北樺太に登場。北緯50度の国境線近くで行方不明となり、関係方面で目下捜索中である。嘉子は実父が昔、樺太で事業に関係したところから、かねて雪の樺太にあこがれをもっていたが、この暮れ、出演契約中の大阪の劇場から1ヵ月の休暇をもらったので、若き愛人、新協劇団所属の演出家杉本良吉こと吉田好正君(32)と携えて樺太を訪問し、雪の異国情調を満喫すること2日、慰問袋その他を買い、国境線守備隊の警察官慰問に出かける旨を宿の者に残し、自動車で国境に向け出発した。」(「東京日日新聞」5日付)

 当時、亡命は確認されませんでしたが、戦後2人ともモスクワ放送局の日本向けアナウンサーとして手伝っていたことが明らかにされました。彼女はその後、モスクワ大学で演劇を学び、病死した愛人杉本良吉の遺志をついで、演出家として活躍していました。
 
しかし、“望郷”の念もだしがたく、昭和48年(1973年)、35年ぶりに日本に帰ってきました。ときどきソ連に戻ったりしましたが、日本に滞在し、たまにテレビドラマに出演したりしながら日ソ親善のために尽くしました。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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梅の木峠を越えて、三津峰山へ。標高380 m。三津峰山展望台からの展望。造船所、製鉄所などの工場地帯が広がります。港には潜水艦が停泊しているのが見えました。
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上の方に写っている白い細長い建物は弾薬庫だそうです。
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戦時中、この場所から飛んでくるアメリカ軍のB29を狙って鉄砲で撃ったそうです。戦没者慰霊碑が建っています。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(坂本スミ子/夜が明けて)

夜が明けて(作詞:なかにし礼、作曲:筒美京平、歌:坂本スミ子)

夜が明けて 手さぐりをしてみた
ぬけがらのとなりには 誰もいない
目をあけて 部屋のなか見てみた
陽がもれる窓のそば 誰もいない
夢を追いかけて
ひとりふかす たばこのけむり
白い 白い
夜が明けて 夢をみたまくらに
あの人のかみの毛が ひとつのこる
テーブルの 灰皿の中には
あのひとのすいがらが ひとつのこる
あせたくちびるを
かんでひいた ルージュの赤が
つらい つらい

われた手鏡に
語りかける おんなの朝は
ひとり ひとり

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そして休み山から音戸大橋への縦走も終盤へ。平清盛像がある音戸の瀬戸公園へ到着しました。
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現在の音戸大橋。
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現在建設中の新しい音戸大橋。2年後に完成予定です。
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吉川英治文学碑。
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向こう側には音戸渡り船で渡らなければなりませんが、1月3日はお休みでした。音戸大橋は交通量が多く、とても歩いてゆくことができないので、タクシーを呼んで、音戸大橋を渡りました。
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音戸大橋の下に平清盛を祀った平清盛塚があります。
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呉の街並み。
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 清盛塚の近くのバス停からバスに乗って呉駅に帰って来ました。バスに乗ったのが16時26分だったので、朝、呉駅前から歩き始めて6時間40分以上経っていました。ふたたび呉線に乗り、広島駅まで帰ってきました。呉線沿線にも原爆慰霊碑が建っていました。
 広島駅前で辻さんと焼き牡蠣で乾杯しました。2日間にわたって、平和記念資料館、休み山縦走を案内してくれた辻さんともここでお別れです。辻さん、本当にありがとうございました。また広島に平和学習に行きます。その時はまた宜しくお願いいたします。
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広島修学旅行はまだまだ続きます。

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by ryott-ryott | 2012-01-09 09:39 | 広島修学旅行 | Comments(10)

相手を憎むことだけでは平和は訪れない、広島修学旅行ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 皆さん、今年もよろしくお願いします。元旦はいつものことながら、家で正月料理を食べました。次の写真はアレグロピアットで買ったイタリアンのおせち料理です。038.gif
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 そして夕方はじゃんけんぽんのトントンさん、はるさんのお宅にお呼ばれし、ご馳走になりました。おいしいお料理、有難うございました。今回、写真を撮り忘れましたが、はるさんが一年に一度しかつくらない料理のローストビーフを戴きました。
 それからトントンさんの妹のミキちゃんが飼っている、あの憎らしい咬みつき犬もお宅に連れて来られていました。私を見るなり、けたたましく吠えついて、新年のご挨拶。今年はじめての殺意に駆られました。私に限らず誰かがお手洗いに立つたびに吠えつくので、一番悪い咬みつき犬の首領を捕まえて、コタツのコードで縛りつけて動けないようにしてしまいました。すると身動きできないためか誰かが立ちあがっても、吠えつかなくなりました。咬みつき犬の首領が吠えつかなければ、他の2匹も大人しくしています。次回から咬みつき犬は縛り上げることにします。
 次の写真は昨年撮ったローストビーフの写真、おいしさは変わりません。038.gif
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 私は1月2日から5日まで広島に出かけていました。昨年の1月に平和記念資料館を訪れた時に知り合ったピースボランティアの辻さんに再び館内を案内していただき、原爆に関する平和学習をしました。そして、翌日、その辻さんと一緒に広島呉市にある休山(やすみやま、標高501 m)から音戸大橋まで縦走してきました。
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 2日は朝7時20分羽田発のボーイング787に乗り、広島空港へ。ボーイング787の中はすごいですね。各席にテレビがついており、窓から入って来る陽射しはボタンを押すことにより窓が青く色づき遮光するようになっています。
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 私は映画「サラリーマンNEO劇場版」を見ましたが、広島までの飛行時間ではすこし時間が足りませんでした。
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 飛行機の窓から見えた富士山。飛行機で富士山を見る時は、左のA列に座らなければ、見ることができないことがようやくわかりました。羽田空港での地上は日の出が見えないほど曇っていましたが、富士山ははっきりと見えました。
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 いつものことながら5分遅れで飛行機は出発しましたがほほ定刻の9時30分に広島空港に到着しました。広島空港からはリムジンバスに乗って、広島バスセンターに向かいます。片道1300円。車窓からは雪が確認できました。前の晩に雪が降ったそうです。少し渋滞がありましたが、約65分で午前10時50分に広島バスセンターに到着しました。荷物をコインロッカーに預けて、辻さんと待ち合わせをしている広島平和記念資料館に向かいました。
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 相生橋。
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 被爆前の相生橋。
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 原爆ドーム(広島県産業奨励館)。
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 被爆前の原爆ドーム(広島県産業奨励館)。大変に貴重な写真です。
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 原爆の子の塔、たくさんの折り鶴が飾られています。
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 「平和の池」、「平和の灯」の向こう側に原爆死没者慰霊碑があります。慰霊碑からは原爆ドームが見えるようにつくられています。
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 祈りの泉。ちょうど陽射しがあり、太陽が真上に来るように写真を撮りました。
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 広島平和記念資料館。ここで辻さんと再会しました。辻さんは週に1度、おもに土曜日にピースボランティアとして平和学習の案内をされています。この日、私のわがままに付き合っていただき、平和記念資料館の中を説明案内していただきました。
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 ローマ法皇から寄せられた平和アピールの碑。上の2つのオブジェはハトをあらわしています。
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 平和の時計。原爆投下からの日数と、最後の核実験が行われた日からの日数を刻んでいます。最後の核実験が行われてから、1年も経っていません。
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 そして、もうひとかた、辻さんのボランティア仲間で同じく週1回平和学習の案内をされている細川さんを紹介していただきました。細川さんはIAEAのお仕事をされていた方で、原子力に造詣が深く、興味深い話をしてくださいました。
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 原爆ドームは1915年(大正4年)にチェコ人の建築家ヤン・レツル(Jan Letzel)が設計したことは昨年の広島修学旅行の記事で紹介しました。このヤン・レツルに設計を依頼したのは当時の広島県知事の寺田知事でした。寺田知事は、広島県知事の前に宮城県知事をしており、ヤン・レツルが設計した松島パークホテルを見て、広島県産業奨励館の設計をヤンに任せることを決めました。当時の県知事は公選ではなく、官邸から任命されていました。当時、この洋風の建物は太田川の支流である元安川と本川で形成された大デルタ地帯に実によくマッチしたと言われています。
 この他にもヤンが設計した有名な建物には上智大学の校舎があると聞いて驚きました。私が通っていたころの1号館は現在すでに取り壊されていて、近代的なビルになっています。その前に立っている4号館は昨年6月の時点でまだありましたが、遠くない将来に、理工学部の移転などに伴って取り壊されると言うことを聞きました。私もはじめてこのことを知りましたし、毎年ゲンダマ会に参加している人お何人が「原爆ドームの設計者と上智大学の校舎の設計者が同一人物であること」を知っているでしょうか。おそらくは誰も知らないのではないでしょうか。ヤンは他には双葉学園の正門やアンデルセンの建物も設計していると教えていただきました。ヤンが設計した松島パークホテルは火災で焼失し現在はないとおっしゃっていました。またチェコのライン川の傍に原爆ドームとそっくりな建物が建っていますが、この建物はヤンが設計したものではないそうです。チェコに観光に行った日本人はよく同じ人物が設計したと思いこんで帰ってくるそうですが、同じ人物の設計ではありません。
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 また細川さんは現在の平和学習は片手落ちの部分もあるとおっしゃっていました。広島への原爆投下は原爆搭載戦闘機B29エノラ・ゲイによって投下されたことはご承知の通りです。このときエノラ・ゲイには2機の随伴機を伴っていました。エノラ・ゲイは原爆投下後、その衝撃波を避けるため急旋回して立ち去りましたが、2機の随伴機のうち、1機は墜落して全員死亡、もう1機は不時着して、2名のアメリカ人が捕虜として捕えられました。その当時、広島に捕虜収容所があったため、その2名は広島に送還されて被爆して死亡しました。この2名のアメリカ人の名前も原爆死没者名簿の中にきちんと記録されているそうです。しかしながら、現在の平和学習ではこの事実には一切触れられていません。ボランティアの中にも賛否両論があり、触れるべきではないとおっしゃる方もいるそうです。細川さんはそういう事実を隠すべきではないとおっしゃっていました。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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正月二日は、昔は仕事始めといって、職人の家では、例えば大工は鉋(かんな)を研ぐ、きりこは鋸(のこぎり)の目立をする。農家ではわらを一把だけ打つとか、それぞれ新しい年を迎えた正月行事を行いました。商家の家では、初荷、初市が催されました。一般の家庭では、芸事の事始めで、書初(かきぞめ)、弾初(ひきぞめ)、舞初(まいぞめ)が行われました。

この舞染の日に、それにあやかってか、高名な一人の日本舞踊家が亡くなりました。その人の名は、文化功労賞も授与された藤蔭流家元の藤蔭静枝です。昭和41年(1966年)1月2日、享年86歳でした。

亡くなる2年前、84歳で歌舞伎座で踊りましたから立派なものです。本名は内田八重。新潟で評判の芸妓でした。19歳の時に初恋の相手を追って上京しましたが、その人とは結婚できず、舞踊で身を立てようと、藤間勘右衛門に弟子入りをして修行しました。

3年で踊りの名取になり、新橋から舞踊芸妓八重次を名乗ってお座敷に出ました。この教養ある美人芸妓に猛烈に熱を上げたのがかの『濹東奇譚』で有名な永井荷風でした。彼女は二代目市川左団次夫妻の仲人で結婚しましたが、わずか半年で別れ、ふたたび新橋に返り咲いてしまいました。この間のいきさつは、荷風の随筆『矢はず草』に詳しく書かれています。

二人はその後は結婚せず、つかず離れず、友人として付き合っていました。離婚の原因は彼女のやきもちといわれますが、かなり激しい気性の持ち主であったようです。その気性が踊りに生かされたのだと思います。

梅の精狂う舞初うつくしく 山口青邨

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 細川さんから貴重なお話を聞いた後、辻さんに資料館内を案内していただきました。
原爆が広島に投下された時刻の時計の大きな写真があります。資料館には多くの学生さんが訪れますが、最近は8時15分に投下されたことを知らない子どもが増えているそうです。これは学校できちんと教えていないためだとおっしゃっており、資料館では時計の写真、8時15分で壊れて動かなくなった時計を展示しています。
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 原爆ドームの70分の3の模型。
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 アメリカ軍によって撮影された原爆の投下前と投下後の写真。
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 愛媛の松山から見えたキノコ雲。10000 mの高さあったと言われていましたが、現在、また評価しなおされて18000~20000 mの高さあったと計算されています。
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当時の中学生が来ていた服。その当時の中学生の平均身長は130 cm、体重33 kgだったそうです。
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被爆で苦しむ人のジオラマ。このジオラマは恐ろしく見えますが、実際にはこんなものでなかったと「はだしのゲン」の原作者、西沢さんはおっしゃっています。目は飛び出し、腹は裂けて、内臓が飛び出し、腸をひきずりながら、水を求めて死んでいきました。そして、西沢さんは公の場で「この戦争を引き起こした連中を絶対に許さない。」といつもおっしゃっているとお話されていました。
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 原爆体験の絵。この絵のほとんどは体験後、約30年の後に描かれています。しかし、30年経過しても原爆が投下された時の記憶は鮮明に脳裏に焼きついているとおっしゃっていました。
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 マルセル・ジュノ―博士記念碑。
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 ノーマン・カズンズ氏記念碑。
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 平和記念ポスト。
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 広島市立高女原爆慰霊碑。アインシュタインの関係式が刻まれています。辻さんにもこの式の意味を質問されましたが、この式は質量が変化した時にその質量分のエネルギーが放出か吸収されます。そのような例は実はあまりなくて、電子と陽子がぶつかった時に、その質量の和と光速の二乗の積の光子が放出される現象くらいです。原子力や原爆から有害な放射能が出てくるのは、ウランが核分裂して発生するエネルギーは結合エネルギーの放出であって、質量は保存されて、放射性原子核として残ってしまうためです。
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 この日、辻さんから2時間30分にわたって、館内の説明を受けました。昨年、一度聞いたところや私が知っているところはスキップして、説明いただきましたが、すべてを体得するにはまだまだ時間が必要だと感じました。
 広島平和記念資料館の中にはショップがあり、「はだしのゲン」も売っていますが、「図録 広島平和記念資料館 ヒロシマを世界に The Spirit of Hiroshima」という本が販売されています。展示物の簡潔な説明が一通りついています。戦前戦後の広島の様子や原爆開発の経緯、投下後の被害状況、復興への道のりなど、園内のガイドマップが2枚付いていて、1冊1000円(税込)です。闇市の様子も記載されています。辻さんから最近の学生さんは「闇市」と言う言葉を知らないと聞きました。紙の質、掲載されている写真などを見ると、1冊1000円はとても安いと思います。私も1冊買いました。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(坂本スミ子/夜が明けて)

夜が明けて(作詞:なかにし礼、作曲:筒美京平、歌:坂本スミ子)

夜が明けて 手さぐりをしてみた
ぬけがらのとなりには 誰もいない
目をあけて 部屋のなか見てみた
陽がもれる窓のそば 誰もいない
夢を追いかけて
ひとりふかす たばこのけむり
白い 白い
夜が明けて 夢をみたまくらに
あの人のかみの毛が ひとつのこる
テーブルの 灰皿の中には
あのひとのすいがらが ひとつのこる
あせたくちびるを
かんでひいた ルージュの赤が
つらい つらい

われた手鏡に
語りかける おんなの朝は
ひとり ひとり

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 最後に平和記念館とレストハウスの地下室の見学をしました。
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 レストハウスは元大正呉服店で原爆で残った数少ない建物の1つです。当時、大正呉服店で働いていた野村さんはたまたま地下室に書類をとりに行った時に原爆が投下され、地下室にいたため助かりました。地下室にいなかった従業員は全員死亡しました。そして、大量の放射線を浴びたと思われますが、野村さんは84歳まで生きたそうです。
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辻さんと原爆ドームを前に記念撮影。
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平和の鐘。
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辻さんと再会を祝して、広島で最も賑やかな商店街で乾杯しました。辻さんからはお土産にと、4冊の本を戴きました。1冊は「Switch on, Imagination. NOW!」という核廃絶をイラストを多用してうたった本です。広島平和記念資料館の理事長Steven Leeper氏のサイン入りでした。2007年に理事長に就任されました。アメリカ人が理事長に就任されることははじめてのことだそうです。Leeper氏ははじめて原爆の惨状を見た時に、「原爆なんて、たいした威力がないなぁ。」と思ったそうです。建物も幾つか残っているし、生存者もいる。広島のすべてを壊滅することはできなった原爆など、大した兵器ではないと考えていたと言います。しかし、Leeper氏は西沢さんの「はだしのゲン」を読んで、考えが変わったそうです。放射能の後遺症など、いまだに人々を苦しめ続ける現状、永遠の平和を手に入れるにはまずは核兵器廃絶しかないという結論に至っています。
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 現在、平和学習が抱える課題は数多くあると辻さんは言います。戦後67年目を迎えて、被爆体験者は次つぎと亡くなっています。いずれは実際に原爆を体験した人はひとりもいなくなってしまう前に、風化させずに、次の世代がそれを受け継ぐことが急務であるとおっしゃっていました。また原子爆弾を落としたアメリカは憎いのだけれど、相手を憎むだけでは平和になることは決してない。このことを理解して前進することが重要だとおっしゃっていました。
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広島修学旅行はまだまだ続きます。

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by ryott-ryott | 2012-01-06 17:03 | 広島修学旅行 | Comments(1)

高峰山・千畳敷カールの雪上講習ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 いつも冒頭に掲げている写真は2011年元旦に城南島海浜公園で撮った初日の出の写真です。この写真よりもいいショットが撮れたら差し替えようと思っていますが、なかなか撮ることができないでいます。今日、2012年元旦も初日の出を見ようと出掛けましたが、厚い雲に阻まれて初日の出を見ることはできませんでした。058.gif
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 1月の城南島では目の前の水平線から日が昇ってきます。あきらかに雲で初日の出が見えないというのに、多くの人が海岸線に列をつくって立っていました。
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 船の上にもたくさんの人がいるのが見えました。初日の出ツアーで初日の出を見に来たのでしょう。お気の毒さまです。
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 羽田の夜景。072.gif
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 さて12月23日からの3連休はアミューズの雪上講習に参加してきました。まず23日は日帰りで高峰山へ行ってきました。本来は浅間山の麓で雪上講習を行う予定でしたが、浅間山は雪が少ないため高峰山に変更になりました。
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 今回もじゅんやさん夫妻とご一緒出来ました。アミューズに連絡して、じゅんやさん夫妻と横並びの席にしてほしいとお願いし、その通りにしていただきました。海外の勤務事情の話から、海外での食事はおいしくないという話に至り、そこからヨーロッパの人種、いわゆるコーカソイドは舌にアミノ酸のグルタミン酸などの旨み成分を感知する味覚がないため、ヨーロッパ人が作る食事はおいしくないということを教えていただきました。
 コーカソイドは甘い、塩辛い、苦い、酸っぱいなどの基本的な味覚はありますが、旨いという感覚がないそうです。コーカソイドが読んだら怒るかもしれませんね。037.gif
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 バスは高峰高原ホテルの駐車場に停車させて、クランポンとストックを持って、近くのスキー場へ。班わけをして、そこで歩く練習をしました。
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 クランポン装着後、斜面の上り降りをしました。歩幅は小さく、なるべく地面に平行に足を運び、クランポンをズボンにひっかけないように、こぶし1個分開けます。
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 一通り練習した後、高峰山の山頂へ向かいました。
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 空は雲ひとつなく、雪化粧した黒斑山が見えました。
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 富士山も見えました。
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 頂上でじゅんやさんたちと記念撮影。
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 高峰神社。
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 山頂から撮ったダイヤモンド。058.gif
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 下山後は高峰高原ホテルで入浴して帰って来ました。もちろん、じゅんやさんたちと盃をかわしながらです。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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「東京裁判」・・・・正式には、戦後連合国側が設置した「極東国際軍事裁判」といいます。
 昭和21年5月3日から、東京市谷の元陸軍省の建物で開かれ、2年半の歳月をかけて、昭和23年11月12日に判決が下りました。各国から派遣された裁判官の中には、インドのパル判事、フランスのベルナール判事のように「裁判のやり方が公平でない。戦争犯罪人などは裁けるものではない。」と全員無罪を主張した少数派もいました。しかし、結局はアメリカ、ソ連など勝った大国側の主導で押し切られ、国内国外二千数百人が戦犯として処刑されました。

開戦時の首相・陸軍大将東条英機など、7人のA級戦犯(重要戦争犯罪人)は、判決の下った翌月の12月23日零時過ぎ、絞首刑となりました。連合国軍側は、その遺骨が埋葬され、将来殉国者の扱いを受けるのをおそれ、火葬にしてその骨灰をひそかに海中に投棄させました。しかし、実際は日本人関係者の一人がその骨灰の一部を盗み出し、名古屋郊外三ヶ根山頂に埋葬しました。現在その場所には「殉国七士の墓」の石碑が建っています。

それにしても、「東京裁判」とは何だったのでしょう。「平和」と「人道」を掲げて裁いた国々は、あれ以降もベトナム、アフガン、フォークランド、中東など、世界各地で戦争を繰り返しています。仕掛け人はわかっていても、一向に戦争の犯罪を裁く軍事法廷は開かれておりません。結局今となってみると、「東京裁判」は、勝者が敗者を裁く懲罰、復讐、報復にしか過ぎなかったことがわかってきたからでしょうか。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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そして翌12月24日は1泊で千畳敷カールでの雪上講習へ出かけてきました。天気にも恵まれた出発となり、ホテル千畳敷でのご来光撮影に胸が膨らみます。
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駒ヶ根でバスを乗り換え、ロープウェイのしらび平駅へ。標高があがるにつれて、先ほどまでの青空はどこかへ行ってしまいました。上の方を見ると雲がかかっており、寒々としていました。千畳敷の駅に着いて、温度計を見ると氷点下13 ℃でした。
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ホテル千畳敷の食堂で食事を済ませて、不要なものはホテルにデポして、すぐに寒風吹きすさぶ外へ出ていきました。クランポンを装着し、準備体操を行って、真っ白な千畳敷カールへと歩いてゆきます。
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 ここでいい歳、りょうちゃんにトラブル発生。雪は思ったよりも深く、一歩踏み出すと腰まで入ってしまい、足を引き抜くのも一苦労。もがけばもがくほど、疲労が重なり、雪上講習の目的地に着くまでかなり体力を消耗してしまいました。
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 まずは歩き方の練習で、ガイドの五十嵐さんの指示で斜面を5往復するようにとのこと。この斜面も当然ながら雪が深く、私にとっては白い蟻地獄同然でした。他の年配者の方々が膝まで入らない深さで往復してゆくのに対して、やはり私は一歩踏み出すと膝では留まらず、腰まで埋まってしまいました。足を踏み出せば、その繰り返しです。見兼ねた五十嵐さんが私の前に立って、歩き方を丁寧に教えてくれました。足を引き抜く時に膝で雪を押し固めながら、その押し固めた雪の上に足をおく繰り返しをするとのこと。5往復はできませんでしたが、何とか、もがきながらも2往復しました。あの泉田さんも私の前に立って歩き方のコツを教えてくださいました。体を真っ直ぐ重力方向と平行に立てて、足をけり込みながら歩くのだそうです。
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 そして、ここで班わけして斜面を迂回する練習をしました。私は五十嵐さんのグループで、あまりにも無様だったためか、五十嵐さんのすぐ後ろにつくように指示されました。迂回するときは山側の足は進行方向に平行に、下側の足は少し斜めにして下側に向けて進みます。そうすることによって、下側の足で滑ることを防止できます。
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 そしてピッケルを使っての耐風姿勢と滑落停止の練習。滑落した時はすぐにうつ伏せになってピックを斜面に突き刺します。しかし、滑落のスピードがついていると、ベテランの人でもなかなか止められないため、転倒、滑落しないように歩くことが重要になります。

 一通り、1日目の訓練を終えて、またもやラッセルしながらホテルへと戻って行きました。私はこの行き帰りのラッセルでくたびれてしまい、部屋に着いてすぐ寝てしまいました。そして雌阿寒岳、斜里岳、羅臼岳でご一緒した兵頭さんと同じ部屋になりました。兵頭さんも「観光に来たのにこんなに疲れるとは。」とおっしゃっていました。
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 ホテル千畳敷の夕飯。
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 夕飯後はガイドさんの部屋に集まって、クリスマスの抽選会がありました。私は年末ジャンボ宝くじを戴きました。まだ番号をチェックしていません。038.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(坂本スミ子/夜が明けて)

夜が明けて(作詞:なかにし礼、作曲:筒美京平、歌:坂本スミ子)

夜が明けて 手さぐりをしてみた
ぬけがらのとなりには 誰もいない
目をあけて 部屋のなか見てみた
陽がもれる窓のそば 誰もいない
夢を追いかけて
ひとりふかす たばこのけむり
白い 白い
夜が明けて 夢をみたまくらに
あの人のかみの毛が ひとつのこる
テーブルの 灰皿の中には
あのひとのすいがらが ひとつのこる
あせたくちびるを
かんでひいた ルージュの赤が
つらい つらい

われた手鏡に
語りかける おんなの朝は
ひとり ひとり

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 千畳敷2日目はスリングの使い方の練習です。ザイルに60 cmスリングを巻きつけて、安全確保をしながら、ザイルに沿って進む練習です。最初はセルフビレ―も含めて、ホテル千畳敷の食堂で練習をしてから、外へ行き、目的地に歩いてゆきました。この目的地に歩いてゆくのが一苦労です。042.gif
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 仙石さんと泉田さんが張ったザイルにひとりずつスリングを巻き付けて、斜面の上まで登って行きます。食堂ではうまくザイルに巻きつけることができましたが、屋外で雪が降る中、オーバーグローブをはめての操作はなかなかうまくいきません。ようやく60 cmスリングを巻きつけて安全環カナビラとハーネスを連結し、斜面の頂上で120 cmスリングでセルフビレ―を行って、60 cmスリングを斜面を降りるザイルに巻つけなおして、斜面を下って行きます。他の人が何往復かしている中、私は1往復しかできませんでした。
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 ここで2日間の全講習を終了し、ホテル千畳敷に戻りました。雪が降り、風もあったので、ロープウェイの運行が心配されましたが、無事にしらび平まで降りて来ることができました。しらび平では雪かきをしていました。
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駒ヶ根の湯に入って、新宿まで戻って来ました。
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2日から広島修学旅行へ行ってきます。060.gif

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by ryott-ryott | 2012-01-01 14:47 | 雪上講習 | Comments(0)

ゆく年、来る年、おしきせの会ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 なかなかブログが更新できないままで、2012年の日付に変わろうとしています。大掃除は大体のところであきらめました。先日、ヤマダ電機でダイソンの掃除機を買いました。28日に届いたのですが、今まで使っていた掃除機が新しい掃除機が届く30分前にぴたりと動かなくなってしまいました。古い掃除機は自らの役割を全うして、動かなくなってしまったような気がします。それにしてもダイソンの掃除機の吸引力はスゴイです。038.gif
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 さて12月の3連休はアミューズの雪上講習に参加しましたが、その前に忘年おしきせの会の報告をします。アミューズトラベルの倉持さんの特配で知り合った浦安湯屋のメンバーと大井町のイタリアンの名店「アレグロピアット」で忘年おしきせの会を行いました。「おしきせ」とは甲州の言葉で「晩酌」と言う意味があります。酔っぱらう前に、到着してすぐに店の前で集合写真を撮りました。037.gif
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 浦安湯屋メンバー、なんでもトライアスロンのメンバー、そして大井町湯屋メンバーが集まり、実に24名という今までにない賑やかな「おしきせの会」となりました。大勢の方に集まっていただいたので、お店を貸し切りにしてもらいました。あきちゃん、あやちゃん、金子さん、宮崎さん、倉持さん、すみちゃん、中島さん夫妻、森ちゃん夫妻、はせやん、チギ、スネオ君、安藤さん、かずさんとともちゃんの樋口さん夫妻、原田さん、よしこさん、高久さん、ハニー羽入さん、じゅんやさん、米ちゃん、そして吉田さんといい歳、りょうちゃん、洩れている人はいませんね。038.gif
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 いい歳、りょうちゃんが山に行くきっかけをつくったのは吉田さんの奥さんです。吉田さんの奥さんから富士登山に誘われて、最初は躊躇しましたが、背中を押されて取りあえず行ってみようかということでした。そのようにして始まったいい歳、りょうちゃんの山巡りは、2011年の今年だけで日本百名山に25座、百名山以外の山に15座行きました。現在、日本百名山は29座目を数えています。こうなったら、60歳までに日本百名山100座を目指す目標をたてましたが、私を誘ってくれた吉田さんの奥さんは富士登山以来、山には来ていません。
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 おしきせの会でちょっと驚いたのは、皆さんのカッコです。普段は山で会っているので登山の服装の皆さんを見かけていますが、この日は仕事帰りの方も多く、男性陣のほとんどはスーツ姿でした。
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 そしてもっと驚いたのは、倉持さんのカッコです。私は皆さんに「レディ・ガガ」がいると紹介しましたが、レディ・ガガが玉手箱を開けてしまったのかと思いました。041.gif037.gif
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 倉本さんのレディ・ガガのヘアスタイルはかつらだったようであり、そのかつらをかぶって皆さん悪ふざけをしていました。041.gif037.gif
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 こちらの二人はかつらがない方が似合っています。041.gif037.gif
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 森ちゃんの奥様も来てくれました。奥様は森ちゃんとは喧嘩するほど顔を合わせていないとおっしゃっていました。
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 そして12月25日は森ちゃんの、12月29日は中島さんの奥様のお誕生日で、そのお祝いもかねました。
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 最後は店の前で記念撮影。このあと、よしこさん、じゅんやさん、吉田さんとバーディーさんに謡いの会に行きました。じゅんやさんはタクシーで帰ることになってしまい、帰宅後に奥様にめちゃめちゃに怒られたそうです。奥様、私から誘ったので許して下さいね。040.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 推理小説を戦前は探偵小説といいました。日本の探偵小説、現代の推理小説を開拓した、草分けの一人として知られているのが、江戸川乱歩です。

 戦後、日本推理作家協会の初代理事長をつとめました。本名は平井太郎。ペンネームの江戸川乱歩は、推理小説の始祖エドガー・アラン・ポーにあやかりたくてつけたといわれています。彼の作品によく登場した名探偵が“明智小五郎”です。推理物ファンの間では、今でも懐かしい人物です。
 また世間を騒がせた「グリコ・森永事件」の犯人グループが、“怪人二十一面相”を名乗りましたが、これは彼の作品『怪人二十面相』と、二一世紀をひっかけてつけたのかもしれません。

 この乱歩の弟子で、乱歩のあとを引き継いだのが、推理小説界の最長老だった横溝正史です。彼は明治35年(1902年)に神戸で生まれました。大阪薬専を卒業後、家業の薬屋に勤務しましたが、乱歩に招かれて、雑誌「新青年」の編集長などをしたのち、推理作家として独立した変わり種です。
 昭和56年(1981年)12月28日、79歳で亡くなりました。墓は川崎の春秋苑にあります。

「犬神家の一族」「悪魔の手毬唄」「獄門島」「本陣殺人事件」「八墓村」「人形佐七捕物帳」など、かれの代表作はすべて映画化、テレビドラマ化されて人気を呼んでいます。

乱歩の作品に登場する名探偵は、さきに紹介した明智小五郎でしたが、彼の場合は、名探偵金田一耕助が活躍しました。
名前のモデルは言語学者の「金田一京助」博士から拝借したもの。着物姿のモデルは「若さま侍捕物帳」の作者・城昌幸をイメージに考えたと、彼は打ち明けています。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 実は翌日も、そしてその翌日もおしきせの会がありました。2日目のおしきせの会は大井町湯屋メンバーの晴れ男さん夫妻とエルビー山岸さん、そして晴れ男さんがいつもおばあちゃん呼ばわりしている般若の阿部ちゃん、めずらしく大崎さんも今回は参加しました。
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 場所は東急大井町線荏原町駅の「陣」1号店で行いました。大内さんが店長だったときにホールにいた五木さんが料理をすべて作っています。大内さんの話によると、大井町店は五木さんに任せようと思っていたそうですが、五木さんに断られたと聞いていたので、何故、断ったのか聞いてみると、「荏原町の方が知り合いが多く、荏原町に残りたかった。」と五木さんはおっしゃっていました。従業員の平均年齢は荏原町店の方が若いようです。
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そして「陣」荏原町店では木曜日は一部のメニューが半額になっています。半額になっているものばかり頼んでしまいました。037.gif
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 山岸さんと晴れ男さん。
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 山岸さんは最近、マンションを購入されて引っ越しされたとのことです。近々にお祝に押し掛けたいと考えています。また晴れ男さんは雑誌のNewtonを読むことが趣味で、今回もいろんなことを教えていただきました。しかしNewtonの話よりも興味深かったのは、「ゲイ」と「おかま」との違いをきちんと教えていただいたことです。「ゲイ」も「おかま」も体は男でありながら恋愛対象は男であるのですが、「おかま」は男でありながらも自分自身の心は女の心を持っており、男を好きになるのに対して、身体も心も男でありながら男を求めるのが「ゲイ」なんだそうです。芸能界では福山雅治や「海猿」で有名な伊藤英明はゲイの噂があるそうです。038.gif
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 晴れ男さんお奥様のりえちゃんとおばあちゃん。1月の第3土日に鬼怒川のあさやホテルに一緒に行って、温泉旅行をすることになりました。
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 「陣」でのおしきせの会が終了後、またまたバーディーさんに行き、謡いの会をやりました。晴れ男さんは森進一や北島三郎の歌を物まねしながら歌うのがお好きなようであり、もっぱら似てないと言われています。私は聞きあきて寝てしまいました。037.gif
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 3日目のおしきせの会は、ホームグラウンドの大井町「じゃんけんぽん」で整体師の岩崎先生と先生の何人目かの彼女さんと3人でこじんまりと飲みました。先生の彼女に、亀戸ホルモンに行ったときの写真を見せていると、先生が晴るさんの肩を抱いている写真を見て少し怒っていました。037.gif
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 金目鯛のカブト焼き
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 このウニはおいしかった。
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 前回出してもらったレバー味のこんにゃく。
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 この絵は第一三共製薬の石井ちゃんのお父さんが書いた絵です。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(坂本スミ子/夜が明けて)

夜が明けて(作詞:なかにし礼、作曲:筒美京平、歌:坂本スミ子)

夜が明けて 手さぐりをしてみた
ぬけがらのとなりには 誰もいない
目をあけて 部屋のなか見てみた
陽がもれる窓のそば 誰もいない
夢を追いかけて
ひとりふかす たばこのけむり
白い 白い
夜が明けて 夢をみたまくらに
あの人のかみの毛が ひとつのこる
テーブルの 灰皿の中には
あのひとのすいがらが ひとつのこる
あせたくちびるを
かんでひいた ルージュの赤が
つらい つらい

われた手鏡に
語りかける おんなの朝は
ひとり ひとり

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 さて12月31日大晦日は海浜幕張公園まで行って、2011年最後の夕陽を見てきました。昨日だったらきれいに見えたのかもしれませんが、大晦日の空は雲が多く、多分見れないと思いましたが、こういう写真を撮るときはあきらめないことが肝心なので、行ってきました。
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 去年も書きましたが、初日の出のときはたくさんの人が太陽が顔を出すのを見に来るのに対して、今年最後の日没は誰も見に来ません。私ぐらいです。
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 天気予報どおり、地平線上には雲があり、太陽は雲の中に沈んで行きました。
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 下の隙間から太陽の一部が見ました。
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 このブログを書いているうちに2012年1月1日の日付にかわってしまいました。今年もどうぞ宜しくお願いいたします。
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次回、雪上訓練の模様を報告します。

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by ryott-ryott | 2012-01-01 02:15 | おしきせ | Comments(0)