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スズランの歌声ひびく入笠山を行くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 6月9日土曜日にNHKで放送された「MEGAQUAKEⅡ巨大地震 第3回大変動期 最悪のシナリオに備えろ」を見ました。昨年の3月11日におこったM9.0の東日本大震災以降、日本各地の火山で異常な活動が観察されているといいます。秋田駒ケ岳では斜面の温度が上昇して樹木が枯れ、福島県の吾妻山では今まで観察されていなかった場所に噴気孔ができています。さらに東京でも微小な地震波の観察が激増しています。
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 M9.0以上の地震が起こった場合、その直後から数年以内に火山の爆発が例外なく起こっています。現在から遡ること約1000年の西暦869年、平安時代に東北三陸沖でM9.0規模の地震が起こりました。それに連動するように9年後の西暦878年に関東で、さらにその9年後の西暦887年に東南海で地震が起きています。その間に日本の内陸でも大きな地震があり、富士山をはじめとする活火山が噴火しています。
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 番組は首都直下型地震と火山噴火に焦点をあてていました。東日本大震災により関東の地下ではひずみが大きくなっており、茨城県南部、千葉県東部、東京湾北部でM7.0以上の地震が起こる可能性があるといいます。また2004年のインドネシアでの大地震のあと10年間に6つの火山が爆発しています。東日本大震災で富士山はいつ爆発してもおかしくない時期に入ったと言われています。
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 実はこの日の夕刻に勇才さんに行きました。勇才さんはこの手の話はお得意で、富士山からの湧水の温度の上昇が観察されていることを考えると、秋田駒ケ岳の状況と同じであり、富士山の爆発は他人事ではないとおっしゃっていました。さらに2012年12月21日から23日の間にマヤ暦の区切りが訪れる際に人類が滅亡するということを真剣に信じており、そのときの天変地異はヨーロッパの火山群の爆発から始まるということをお話ししてくださいました。038.gif
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 また2001年9月11日に起きた同時多発テロはアメリカが仕組んだ茶番であるともおっしゃっています。世界貿易センタービルにアルカイダがハイジャックした航空機が午前8時46分に突っ込み、約1時間後の午前9時59分に南棟が崩壊、次いで午前10時28分に北棟もあとかたもなく崩壊した大事件です。アメリカ政府はアルカイダのオサマ・ビィンラディンの仕業だとして、直ちにアフガニスタンとイラクとの戦争へ突入します。その後、イラクのフセインが捕えられ、ビィンラディンも殺害され、解決をしたかに見えていますが、これはすべてアメリカの仕組んだ茶番劇だったというのです。
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もともとアメリカは敵対関係にあったイラクの石油基地を手に入れようと狙っていました。いくら敵対関係にあったとはいえ、アメリカから戦争を仕掛けるわけには行きません。そこで実在しないアルカイダの指導者オサマ・ビィンラディンを仕立てあげて、世界貿易センタービル爆破を計画します。世界貿易センタービルは1966年から1973年までに建設された古いビルであり、現在のハイテクノロジーとはかけ離れた建物であったそうです。世界貿易センタービルを失うことはアメリカにとって惜しくはありませんでした。しかしながら、このビルはボーイング707が衝突しても崩壊しないように設計されていました。ではなぜ南棟も北棟も崩壊してしまったのか、しかも航空機が激突したのは94階や78階という高い場所であったにもかかわらずです。
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同時多発テロ実行の何日か前に、ビルの警備の強化を名目に、世界貿易センタービルを空っぽにしたことがあったそうです。その時に爆発物を仕掛けて、9月11日に合わせて、ビルを爆破させて、あたかも航空機が激突したことが原因して崩壊したと見せかけたというのです。イラク戦争が終わって、危惧されていた大量破壊兵器は発見されませんでした。そして、アメリカはまんまとイラクの石油基地を押さえることに成功しています。アメリカはそういうことを平気でやる国だということを勇才のご主人から永遠と聞かせていただきました。
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 マンボウの腸。味はありません。酢味噌をつけていただきます。
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 サクラマスの開き。
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 クリガニ。身をとるのが大変でした。しかし、おいしいです。
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 このお酒は竹炭が入っており、真黒です。お酒の名前は「どくろ」といいます。
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 〆はハマグリの吸い物とシラス温卵ご飯でした。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 “傾国の美女”と呼ばれた楊貴妃は、本名は楊玉環(ようぎょくかん)、今の四川省に勤務する一軍人の娘として生まれました。傾国とは色香で国をも滅亡させる美女。貴妃は名前ではなく、二番目の王妃の位です。
 
中国王朝の後宮(ハーレム)には、3000人の美女がいましたが、それぞれ階級がありました。皇后の下には、貴妃、淑妃、徳妃、賢妃の順に4人の王妃、その下には九賓と呼ばれる9人の王妃、さらにその下に3段階に分かれた王妃。このたくさんの王妃に仕える女官たちにもさまざまの階級がありました。

楊玉環の場合は、その美貌と才智が買われ、幸運にも玄宗皇帝の嫡男寿王の后に抜擢されました。ところが父である玄宗皇帝は寵愛の王妃が急死すると、とたんに息子の嫁がほしくなり、無理やり楊玉環を貴妃として迎え入れました。玄宗皇帝59歳、楊貴妃26歳のときでした。

それから二人の仲は、白居易の長編抒情詩「長恨歌」にうたわれた通り、「老いらくの恋」、「傾国の愛」に燃えに燃えました。

唐の始祖太宗皇帝に次ぐ名君と言われた玄宗皇帝も、楊貴妃の色香に迷い、政治は乱れるばかりです。国民の不平不満、反感が強まるのは当然です。やがて楊貴妃は、信頼していた養子の安禄山に裏切られ、クーデターで長安を追われ、玄宗皇帝とともに馬嵬(ばかい)に脱出しました。しかし、ここでも兵士の反乱に会い、楊貴妃は玄宗皇帝の面前で斬られてしまいました。天保十五載(756年)6月14日、楊貴妃38歳、玄宗皇帝71歳でした。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 6月9日土曜日、ついに関東地方も梅雨に入りました。しかし、翌日の日曜日は梅雨の中休み、新宿の空は青空でした。
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 この日はアミューズの初心者のための山歩き教室で、日本三百名山のひとつの入笠山(にゅうがさやま、標高1955 m)に行ってきました。バスはいつもの春日部観光バスではなく、「ゆめ湖」観光バスでした。参加者は28名、ガイドさんは中野さん、後藤さん、千田さん、倉持さんの4人体制でした。
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 午前7時30分に新宿を出発し、渋滞もなく、10時20分にロープウェイの山麓駅前に着きました。
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 いつものように準備体操を済ませて、28名は2班に分かれて、入笠山を目指します。私は中野さんと後藤さんの1班のしんがりから行きました。じゅんやさんのお友達の長野さんは2班で、はじめて倉持さんに会ったとおっしゃっていました。
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 ゴンドラ山頂駅前に人工的に植えられたスズランの群生があり、見ごろを迎えていました。ドイツスズランで花は日本のものよりも大きいです。056.gif
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 ホテイアツモリ草も花が咲いていました。
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 タチスボスミレ。
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 鹿が湿原に入らないように鉄格子の柵がありました。
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 入笠湿原には80万株のスズランが自生しています。しかしまだ見ごろではありませんでした。
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 日本のスズランはドイツスズランに比べると花は小粒です。
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 入笠湿原でお昼ご飯を食べました。
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 梅雨の中休みとあってか、人もスズなりでした。
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 この赤い花はクリンソウ(九輪草)といいます。
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 子どもたちが遠足に来ていました。
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 シロバナヘビイチゴ。
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 ニリンソウ(二輪草)。
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 これは白いクリンソウか。
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 弾痕笹がありました。横一列の穴は虫が喰った後で、弾痕のように見えるため、弾痕笹と言われています。この弾痕笹を弾よけのお守りとして懐に入れて、兵隊たちは戦地へ向かったといいます。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(中島みゆき/荒野より)

荒野より(作詞:中島みゆき、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

夜が
望みは何かと訊かれたら君がこの星に居てくれることだ
力は何かと訊かれたら君を想えば立ち直れることだ

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

朝陽の昇らぬ日は来ても君の声を疑う日はないだろう
誓いは嵐にちぎれても君の声を忘れる日はないだろう

僕は歌っているだろう君と歌っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は生きているだろう君と生きているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない
荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

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 入笠湿原でお昼ご飯を食べ、いよいよ入笠山に向かいます。
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 入笠湿原から入笠山まではおよそ30分の行程ですが、頂上直下は結構な急こう配でした。
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 ついに頂上に到着。
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 梅雨の中休みとはいえ、雲が多くて、360°の展望は望めませんでした。
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 今日は倉持さんではなく、倉持さんよりも30歳以上も若い後藤陽子さんと記念撮影。038.gif
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 山頂で小倉山荘の明月小倉山をみんなで食べて小休憩後、大阿原湿原を目指して下山しました。
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 入笠山を下山すると30分も行かないうちに車道に出て、この車道にそって大阿原湿原へ向かいます。
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 途中、首切り清水がありました。ここは高遠藩の金奉行が参勤交代の藩主に公金を届けるために大阿原湿原に出て、この清水で水を飲んでいるときに、着けてきた盗賊に襲われて首を切られてしまったという話が残っています。
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 大阿原湿原に到着。
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 湿原を一周しました。
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 湿原を1周後、ふたたび車道を歩いて、駐車場に向かいます。
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 踊子草。
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 みんなが騒いでいるので行って見ると、なんと蛇が排水溝の管の中に入っていました。
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 途中、蓼科山が見えました。
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 金鶏の湯で入浴を済ませ、新宿まで戻ってきました。アカシアの花がたくさん咲いていました。056.gif
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
来週は男体山へ行ってきます。060.gif

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by ryott-ryott | 2012-06-12 18:46 | 入笠山

「剱岳をめざして」、新緑とシャクナゲ色の小川山をゆくヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 先週は天城山のツアーに参加でき、ようやく大峰山で怪我をした足も元に戻ってきました。平日の大井町湯屋へも久しぶりに行ってきました。足の痛かった約1ヵ月の間は山登りも大井町湯屋へもほとんど行っていなかったので、久しぶりに会った人は誰もが「太ったんじゃないの?」「太ったね!」「太ったよ!」の言葉ばかり浴びせかけてきます。「そんなこと、お前らに言われなくても、わかっとるっわ!」そういう気持ちでこの1週間過ごしました。実は怪我をする前と1ヵ月経過した現在との体重を比較するとほとんど変わっていません。おそらくは密度の大きい筋肉が落ちてしまい、それが密度の軽い脂肪へ変わったため、体重はほとんど変わらずに、からだの体積が増えてしまったのでしょう。これから、その逆を目指して、からだの体積を減らすように、山登りに、有酸素運動に、筋力トレーニングに取り組んでいきたいと思います。038.gif
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 さて先週の6月2日(土)と3日(日)は、8月末に予定されている剱岳登山の練習のため、廻目平キャンプ場へ行き、岩場の訓練と小川山登山をしてきました。
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 いつものように午前7時ちょうどに上野駅に集合し、バスに乗車します。今回は参加者11名、ガイドさん3名でした。
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 今日は渋滞もなく、10時過ぎには廻目平の近くのスーパーで今日のバーベキューの食材を調達し、キャンプ場に11時過ぎに到着しました。写真はバスの車窓からの風景で、険しい岩峰が見えます。
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 廻目平キャンプ場。
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 岩壁を登っている人の姿が見えます。
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 到着後テントを設営しました。今晩はテント泊になります。いい歳、りょうちゃんは還暦を迎えたタッキーおじさんと一緒のテントになりました。ベジー太宮崎さんはいびきがうるさいそうなので、他のテントへ行ってもらうことにしました。037.gif
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 テントの中は意外と広いです。
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 テント設営後はお弁当でお昼ご飯を食べました。
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 昼食を済ませたら、いよいよ岩場訓練講習。キャンプ場でヘルメットとハーネスを着けて、近くの岩場に行きました。いい歳、りょうちゃんは雪山でハーネス、安全環、スリングを用意していたので、自分のものを持参しました。
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 石垣に張ったザイルに、スリングに通した2つの安全環をかけて、剱岳のカニの横ばいの練習です。キーポイントは、足場を目で確認して足を置くこと、岩壁に対してからだの正面を常に向けておくこと、進むときには足を交差しないことです。
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 この石垣をカニの横ばいと想定して、皆さん慎重に歩を進めていきます。実際の剱岳では、絶壁の上での実践になります。
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 余裕のよしこさん。038.gif
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 余裕のすみちゃん。038.gif
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 真剣なあやちゃん。038.gif
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 真剣みが感じられないベジー太宮崎さん。夕方、お酒を飲むことしか考えていません。037.gif
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 剱岳では「スラブ」と呼ばれる手掛かりのない表面がつるつるした岩場があり、「スラブ」を想定した岩場の登り降りの練習もしました。この後ろ姿は誰でしょうか?
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 下りは鎖を想定したザイルに伝わって降りて行きます。片手は鎖を持ち、もう一つの片手は岩に置き、足場を確認しながら下ります。なるべく平らになっている場所を自分の目で探し、一歩ずつ足をかけていきます。ここでも足場を確認することが重要になります。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 明智光秀が、京都の本能寺に信長を急襲し、彼を自害させたのは、天正10年(1582年)6月2日のことでした。しかし、天下を取った光秀は、備中からすぐに兵を返した秀吉と戦って敗れ、逃げる途中、山科小栗栖の里で、土民の竹槍で刺され、あっけなくその生涯を閉じてしまいました。

 光秀政権はわずか11日間で、世に“光秀の三日天下”といわれました。“悲運”というより“不運”の人かもしれません。なぜならば、不運の第一は毛利家への密書です。
光秀は本能寺の変のあと、近隣の群雄に密書を送り、信長の死を報じるとともに、自分への協力を呼びかけました。

 光秀としては、中国攻めで秀吉が対戦している毛利軍の小早川隆景宛に密書を送り、秀吉討伐を依頼しました。それがなんと、暴風雨のせいもあって、飛脚が陣地を間違えて秀吉陣営に飛び込んでしまったのです。
 そこは秀吉、なにくわぬ顔で早々と和議を結び、その足で一気に北上しました。毛利家に第二の飛脚が変報を届けたのは、和議締結の2日後ですから、あとのまつりです。

 第二に、信長の盟友徳川家康を一日の違いで逃がしてしまったことです。堺見物をしていた家康は、変報を聞くと直ちに伊賀山中を越えて三河に脱出しました。光秀の追っ手が襲ったときは一足違いで逃げられたあとでした。

 第三は、土民の竹槍で殺されたことです。これなども大将たるもの不運のきわみです。

 光秀はすごくマジメ人間であったようですが、天下を取るには、それだけの器量と、“運”に恵まれていなければいけないという、歴史の教訓の一つです。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 岩場の猛特訓を夕方まで行い、この後はバーベキューです。バーベキューの食材のほとんどを倉持さんの旦那さんが調達し、調理もすべてやってくれました。038.gif
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 洗い場で野菜を切って、バーベキューの仕度をしています。
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 バーベキューの仕度をしている間に、倉持さん、タッキーおじさん、いい歳、りょうちゃんは川辺に行き、キャンプファイヤーで燃やす薪を拾いに行きました。
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 川辺にはシャクナゲの花がたくさん咲いていました。056.gif
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 食材は次々と焼かれていき、私たちのお腹の中に次々と入って行きました。
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 火を囲んで、お酒で乾杯し、午後9時に明日の小川山登山に備えて就寝しました。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(中島みゆき/荒野より)

荒野より(作詞:中島みゆき、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

夜が
望みは何かと訊かれたら君がこの星に居てくれることだ
力は何かと訊かれたら君を想えば立ち直れることだ

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

朝陽の昇らぬ日は来ても君の声を疑う日はないだろう
誓いは嵐にちぎれても君の声を忘れる日はないだろう

僕は歌っているだろう君と歌っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は生きているだろう君と生きているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない
荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

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 昨晩は夜9時30分には寝てしまったため、朝の3時に目が覚めてしまいました。しかも外からは鳥のキツツキのような鳴き声がけたたましく聞こえていました。テントから外を見ると東側の空は白々としていました。実は日曜日は、小川山周辺は朝から雨が降る予報でしたが、予報に反して太陽が昇るにつれて青空が広がっていきました。タッキーおじさんといい歳、りょうちゃんの普段の行いがよいおかげです。038.gif
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 6月とはいえ、廻目平キャンプ場の朝はかなり冷え込みます。気温は5~6 ℃だったそうです。倉持さんの旦那さんが朝ご飯にラーメンを用意してくれ、寒い朝にからだが温まりました。
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 テントを解体し、朝食を済ませて、準備体操を行なって、いよいよ小川山へ出発です。午前6時00分。
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 カモシカ遊歩道の登山口から小川山(標高2413 m)を目指します。
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 最初はみんな笑顔ですが、急登につぐ急登と、危険な岩場に笑顔は消えて行きました。037.gif
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 ジグザグの急登を登ること1時間で、岩場に着きました。ここから岩場が1時間以上続きます。まずは梯子を登り、梯子で下っていきます。ガイドさん3人が付きっきりサポートしてくれました。038.gif
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 この岩は一枚岩だそうです。風化して格子状の紋様がついています。
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 いい歳、りょうちゃんはいつものようにしんがりから行きましたが、連続した岩場と急登で先団グループに大きく引き離されてしまいました。追いつくのがやっとで、この間の写真を撮っている猶予はありませんでした。やっとのことで先団に追いつき、すみちゃんに聞いたら、10分ぐらい離れていたそうです。浦安湯屋の面々からは「日ごろの鍛錬が足りない」とのキツイ一言をいただきました。私が疲弊しているのを見かねて、白砂さんが一番先頭で歩くようにしてくれました。峰岸ガイドのすぐ後ろで歩くのは4月1日に参加した雪山の武尊山以来2回目です。
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 しかし、まだ頂上まで登りは続きます。ここからは危険な場所はほとんどありませんでしたが、やはり先頭での歩きは楽ですね、なぜでしょうか。すみちゃんはいつも楽な山登りをしていますね。037.gif
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 先団に追いついてから約50分、午前10時ちょうどに小川山の山頂に到着しました。朝は青空が広がっていたのに、空は雲に覆われて、金峰山も瑞牆山も見ることはできませんでした。
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 いつものように山頂で記念撮影。白砂さん、他のツアーでも変顔をしてくださいね。037.gif
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 白砂ガイドと記念撮影。
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 百名山以外でも倉持さんと記念撮影。
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 空が今にも泣きだしそうなので、集合写真を撮った後、山頂で軽い昼食休憩をとり、すぐに下山を開始しました。やはり、からだの重たいいい歳、りょうちゃんにとっては、下山のほうがはるかに楽でした。しかし、登山道に露出している木の根っこには滑らないように注意が必要でした。

 下山を開始して間もなく心配していた雨が降り出し、あわてて雨具を着けました。登りの時は撮ることができなかった場所の写真を撮りました。
 ロープの下り。写真では急こう配であることが分かりづらいです。
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 岩場の登り返し。
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 小川山もシャクナゲがたくさん咲いていました。先週行った天城山よりも花の数は多く、花も大きいとおもいます。
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 この写真の山は金峰山だと思っていましたが、峰岸ガイドからちがうと言われました。頂上の四角い突起の岩を金峰山の目印の五丈岩だと勘違いしていました。037.gif
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 14時30分、廻目平キャンプ場に戻ってきました。雨も上がって、青空が見えていました。058.gif
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 ストレッチをしてバスに乗って温泉へ。入浴後はバスの中で大宴会をして東京まで戻ってきました。
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 今回のツアーでは倉持さんの旦那さんが同行し、テント設営の指導、バーベキューの食材調達、調理、朝御飯の仕度、片付けまですべてやっていただき、楽しいツアーになりました。また倉持さんのつくったシフォンケーキもとてもおいしかったです。倉持さんは食べるだけでなく、作ることもできるのですね。本当にありがとうございました。038.gif038.gif038.gif
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき

うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
来週は入笠山に行ってきます。060.gif

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by ryott-ryott | 2012-06-04 15:15 | 小川山・総合講習