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大雪渓の彼方、花の白馬岳を行く・前編ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 7月21日(土)~22日(日)は山旅クラブで越後駒ケ岳に行ってきました。またその翌日の23日(月)、久しぶりに歩みの会に参加し、花の百名山「八間山」に行ってきました。その模様は後日報告します。
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 浦安湯屋の森ちゃんたちが7月11日(水)にローレライでのおしきせの会を計画してくれました。しかし、その日、私が仕事の都合でローレライに行くことができなくなったところ、おしきせの会場をわざわざ大井町の陣にしてまで、私が夜遅くても参加できるように配慮していただきました。ありがとうございます。陣よりもローレライのほうが遥かに楽しそうなのに、もったいないことをしましたね。040.gif
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 みんな食べるのに夢中です。037.gif
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 後ろのこの方はかなり酔っていらっしゃいました。037.gif
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 こちらも酔っているようです。お勘定の時に、店の人に聞いたら店の日本酒がなくなってしまったそうです。7人で28合飲んだと聞きました。ひとり平均4合、大したことはありませんね。038.gif
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 森ちゃん、次回こそはローレライに行きましょう。024.gif
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 さて7月14日(土)~16日(月祝)の3連休、アミューズトラベルの初心者のための山登り教室「大雪渓から行く白馬岳」に行ってきました。そのツアーの2日目、15日(日)12時50分ごろに、ツアー参加者の一人が小雪渓のトラバース路で滑落しました。

 このツアーには21名が参加しており、かなりの大所帯でした。しかも白馬岳は3連休ともあって、かなり混雑していました。大雪渓を登り切って、小雪渓の手前の岩場でお昼休憩を済ませてから、登り最後の難所である小雪渓のトラバース路で滑落事故は起こりました。小雪渓はすれ違いがやっとできるほどの人ひとり通れるくらいの幅であり、右手は雪渓の斜面につながっています。そのトラバース路を21人が1列になって進んで行きましたが、私たち以外の登山者も多く、21人の列の途中にも他の登山客が入っていたため、実際はツアーの21人はかなり長い隊列になっていたことは間違いありません。

 私は前から5番手くらいを歩いており、小雪渓のトラバース路が終わったところで、後ろから来た他の登山客から、このトラバース路で誰かが斜面を滑落して行ったということを聞きました。最初は自分たちのツアーの参加者が滑落したとは思いませんでしたが、そのあとから歩いてきた私たちのツアーに参加していた男性が、昨日の前泊で相部屋になった男性が滑落したということを私たちに告げました。目撃者のその男性は、自分の前を歩いていたはずの男性が突然目の前から消えて、「助けて!」という悲鳴ともに雪渓の霧の中に吸い込まれていくように滑落して行ったと、話していました。また滑落を目撃したもう一人の女性は、男性が仰向けに頭のほうからもの凄い速度で滑落して行ったと話していました。

 その話を聞き、先頭のガイドさんは慌てて確認しに下のほうに降りて行きました。残された20名の参加者は、避難小屋の前まで誘導され、そこで1時間ほど行く末を見守るしかありませんでした。残った20人の誰もが「生きていてほしい。」と思いながらも、おそらくは命はないだろうという暗い気持ちで待ちました。10回滑落したら、その半分は死亡してしまう場所だそうです。待っている間、避難小屋のおじさんも、滑落した場合は岩に激突して止まるか、切れているところで下に落ちてしまうため、生きてはいないだろうと私たちに言い聞かせるように話し、何人もの山岳救助隊が斜面を走って降りて行く姿を見て、「救助隊は死んでいる人間のために命を掛けて助けに行くんだ!だから山では転んではいけないんだ!」と戒めるように言っていました。
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 どのくらいの時間が経ったのか、下に確認に行ったガイドさんの一人が戻ってきて、滑落した男性は無事であったことを私たちに告げてくれました。私たちの誰もが「助かってよかった」という気持ちで、安堵の声があがりました。

 その晩、白馬山荘の一室にツアー参加者全員が集められて、ガイドさんから滑落事故の状況について説明がありました。滑落した男性は足が吊って、転んでしまい、お昼休憩を取った岩場あたりまで滑落して行ったそうです。普通に考えれば死亡事故になった可能性が大きい状況で、奇跡的に助かり、骨折も内蔵のダメージもなく、頭部を少し切っただけで済みました。滑落した男性はヘリコプターで病院に搬送されて、翌日には退院し、帰路に着いたということを帰りのバスの中で聞きました。

 ガイドさんは自分の目が行き届いてなかったことを何度も参加者にお詫びをしていました。私はガイドさんに責任はほとんどないと考えます。小雪渓のトラバース路を歩く際も参加者全員に歩き方をきちんと支持していました。大雪渓と岩場のこう配を登った後に、最後の難所である小雪渓をきちんと歩くことができなくなってしまうような、体力に不安のある方をこのツアーに参加させたアミューズトラベルの会社に責任があると考えます。  

 約2週間前、私は編笠岳~赤岳のツアーへの参加を、体力と技術が不十分であり、私ひとりだけが着いていくことができずに、置いていかれるとの推測から、ツアーへの参加を断られました。いまだに断られたことに対して釈然としていません。自分の日ごろの鍛錬が足りないところは大いに反省すべきだと考えていますが、今回の白馬岳についても参加者に対して同じようなジャッジが行われていたのでしょうか?おそらくは行われていなかったでしょう。一方では厳しく参加者のジャッジするのに対して、もう一方では何もなされていないというのが実情であり、アミューズトラベルがやっていることは片手落ちと言わざるを得ません。今回の滑落事故は、アミューズトラベルのいい加減な姿勢から起こったものであることは間違いありません。アミューズトラベルの経営者は大いに反省すべきです。

 そして私はツアーで撮った写真をいつも「なんでもトライアスロン」の掲示板に速報として掲載することにしています。白馬岳の写真を掲示板に掲載し、今回の滑落事故について、滑落した男性が奇跡的に助かったこと、ガイドさんの一人が滑落事故の処理で大町警察署に行かなければならないためにツアー参加者と一緒に帰ることができなかったことを書いて投稿しました。ところがその滑落事故の記事も含めて、投稿したほとんどの記事が削除されてしまいました。どうして削除しなければならないのでしょうか。これは検閲であり、日本国憲法が禁じていることを平気でやっています。

 事故というのは起こらないことに越したことはありません。しかし起こってしまった以上は情報を共有し、なぜ起きてしまったのか、今後起きないようにするためにはどうすればいいのかについてまじめに考えて教訓にすることが次のリスクを低減させる常道であり、注意を喚起するためにも事故を知ってもらうことは登山をする多くの人にとっても有効なはずです。アミューズトラベルはその責務も負っているはずです。滑落事故が起こったということを隠したいという削除したほうの個人的な気持ちは理解できなくもありませんが、事故が起こったことをいつも隠していては、アミューズトラベルは都合の悪いことは常に隠しているという目で見られるのではないでしょうか。



(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 明智光秀の三女、名前は玉、絶世の美女でした。玉は織田信長のすすめもあり細川藤孝(幽斎)の長男忠興に嫁ぎました。その当時は政略結婚がほとんどでしたが、この二人は相思相愛の仲でした。あるとき、庭の植木を剪定に来た植木屋が玉に挨拶しているのが余りにも近過ぎると言って、忠興が植木屋を叩き斬ってしまったほどです。玉は容姿端麗、英明な女性として聞こえていました。

 それが、突如、父光秀による本能寺の変が起こり、事後光秀から親戚である藤孝、忠興父子に加勢の依頼がありましたが、勝敗の帰趨を見通してか、父子はそれを拒絶し秀吉方につきました。忠興は玉が逆臣光秀の娘だけに心を配り、離婚の形を取って丹後半島味土野山中に隠棲させました。

 夫の忠興は秀吉にも愛されましたが、その養子の秀次からも可愛がられていました。忠興はそれに甘えて、黄金100枚を借りています。妻が光秀の娘であるため、忠興は秀吉から謀反の疑いをかけられてしまいますが、ふた心(裏切りの心)ないことを誓いました。秀吉はその証として、借りていた黄金100枚をすぐに返すように要求します。この黄金100枚は現在の価値にすると2億~3億円、忠興に返せる充てがありませんでした。しかし、この黄金100枚を貸してくれた人物がいました。黄金100枚で人ひとり買えたら安いものだと言って、徳川家康が貸してくれたのです。

 やがて秀吉が天下を統一した機会に、家康からのはからいで、玉は許されて忠興のところに戻りました。

 大阪城下玉造に住んだその頃、心の安らぎを求め、高山右近の唱えるキリシタンの教えに感動し、洗礼を受けてガラシャ(伽羅奢)の名を受けました。

 慶長3年(1598年)秀吉が死に、同5年には関ヶ原の合戦が始まります。実は忠興が秀次から黄金100枚を借金していることを調べ上げたのは石田三成です。忠興と三成は犬猿の仲でした。石田三成はその前夜、石田三成は城下の武将夫人を人質として入城することを強要します。しかし、忠興は徳川方に従い東軍につきました。

 ガラシャは人質になることを敢然と拒否し、細川家の屋敷のそこここに爆薬を仕掛けて、自分が死んだあとに屋敷に火を放つように命じて、家臣に胸を突かせて自決しました。慶長5年(1600年)7月17日、37歳でした。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 話を元に戻します。7月の3連休はアミューズトラベルのツアーで白馬岳に行ってきました。7月14日(土)は朝から青空で梅雨明けを思わせるような青空が広がっていました。058.gif
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 新宿を朝8時に出発しました。参加者は21名で満席だそうです。初心者のための山登り教室ではいつも担当は中野さんですが、今日は花に詳しい千田さん、石原さん、押田さんの3名体制でした。038.gif
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 3連休ともあり、道路は行楽客で大渋滞していました。私たちが大町の山岳博物館に到着した時は14時を超えていました。この山岳博物館は昨年、燕岳に行った時も立ち寄りました。038.gif
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 山岳博物館の前から見た安曇野の風景。目の前の山は蓮華岳だそうです。
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 博物館ではスイスの山岳特集をやっていました。昨年は世界のライチョウ展でした。
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 ライチョウの剥製。
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 西条八十の詩。
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 草連玉(くされだま)。山岳博物館前に植えられています。
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 白いコマクサもありました。はじめてみました。昨年の草津でも、今回の白馬岳でも白いコマクサを見ることはできませんでした。
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 山岳博物館の喫茶店「こまくさ」で冷たい甘酒を飲みました。大金持ちの小沢さんがご馳走してくれました。038.gif
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 再びバスに乗り、猿倉登山口近くの宿に向かいました。宿には仙台のアミューズトラベルも来ており、アミューズトラベルで貸し切りの状態でした。
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 夕飯後、宿で日本酒を千田さんと飲みながら、山のお話を伺いました。038.gif


(中島みゆき/荒野より)

荒野より(作詞:中島みゆき、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

夜が
望みは何かと訊かれたら君がこの星に居てくれることだ
力は何かと訊かれたら君を想えば立ち直れることだ

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

朝陽の昇らぬ日は来ても君の声を疑う日はないだろう
誓いは嵐にちぎれても君の声を忘れる日はないだろう

僕は歌っているだろう君と歌っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は生きているだろう君と生きているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない
荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない


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 ツアー2日目、7月15日(日)、いよいよ白馬岳を目指します。朝食を済ませて朝6時30分に宿を出ました。バスで猿倉登山口まで移動しました。昨日の青空はどこに行ってしまったのか、朝から大雨でした。6月10日の入笠山以降、雨具を使わずに済んでいましたが、残念ながら今日は雨具を使わなければなりませんでした。057.gif
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 小沢さんも準備万端。胸ポケットペットボトルを入れて、「おっぱいの写真を撮れ!」と私に命じていました。037.gif
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 午前7時30分、しばらくは林道歩きです。
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 タニウツギがたくさん咲いていました。
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 歩き始めて約60分で白馬尻に着きました。ここからいよいよ大雪渓を登っていきます。
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 白馬尻の小屋。
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 衣笠草が咲いていました。大きくて立派な花です。056.gif
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 登山客が鈴なりでつながっているのが見えます。
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 軽アイゼンを装着し、いよいよ登っていきます。
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 雨が降っており、上のほうを見上げても何も見えませんし、振り返っても何も見えず、霧の中に雪渓を登る登山者の隊列がつながっています。
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 約2時間30分登って大雪渓が終わり、しばらく勾配のある岩場になります。午前11時20分、ここでお昼休憩をとりました。
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 おにぎり弁当、おいしくはありません。あとから言われて気がつきましたが、滑落した方は私の隣でお弁当を食べていた男性でした。その方は食欲があまりなく、おにぎりを全部は食べられないと周囲に話していました。
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 昼食を済ませ、再び出発。岩場の登りはミヤマキンポウゲがたくさん咲いていました。
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 そして問題の小雪渓のトラバース路に入ります。冒頭で報告した通りです。
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 問題の滑落事故の間は約1時間ほど避難小屋前で待機し、滑落した男性の無事が確認できて、再び白馬山荘を目指して歩き始めます。滑落した方の無事を喜ぶかのように、山の霧が晴れてきました。
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 ここから足元にはたくさんの花々が咲き乱れていることがわかりました。056.gif
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 ハクサンイチゲ。
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 ウルップソウ。
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 クロユリ。
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 ミヤマオダマキ。
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 イワウメ。
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 イワベンケイ。
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 タカネシオガマ、などなど。きりがありません。
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 村営白馬岳頂上小屋前で休憩。目的地の白馬山荘まではもう少しです。
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 白馬山荘が霧で見え隠れしています。
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 白馬岳についに到着しました。15時20分。038.gif
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 小沢さんと記念撮影。石原さんは再び事故の状況を確認しに降りて行きました。
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 小沢さんが飲めないことは知っていましたが、参加した男性陣のほとんども飲めないそうです。飲めない彼らはコーヒーを飲んで、トットと部屋に戻ってしまいました。ガイドの千田さん、石原さんはまだ戻らず、仕方なく一人で飲みました。レストランを出ると、3人のガイドさんがちょうど戻ってきているところでした。千田さんはここでもお詫びをし、あとで部屋に全員集まってもらって滑落事故の報告をするとおっしゃっていました。
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 レストランで飲んだので夕飯は食べなくてもよかったのですが、17時に夕飯を食べに食堂に行きましたが、長蛇の行列で、20分も待つことになりました。
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 夕飯を済ませて山荘の外に出て、写真を撮りました。
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 白馬三山の杓子岳と白馬鑓ヶ岳。
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 明朝登る予定の白馬岳山頂。片側が切れ落ちている独特の山容です。
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 今回はここまでとします。次の日は白馬岳山頂から小蓮華岳、白馬大池、乗鞍岳(百名山ではありません)を縦走します。

 
白馬岳登山はまだまだ続きます。060.gif

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by ryott-ryott | 2012-07-25 23:05 | 大雪渓の彼方、白馬岳 | Comments(4)

景風と夏雲の日和田山・天覧山を行くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 6月30日、6月の最終土曜日は「ゲンダマ会」の日です。ゲンダマ会とは上智大学の分析化学研究室の同窓会の名称であり、分析化学研究室ができた当時、けん玉が流行しており、先生の佐藤弦先生のお名前とけん玉を掛けて「ゲンダマ会」と命名されました。その佐藤弦先生も今年82歳を迎えたそうです。私を含めた、その当時の学生だった卒業生はどんどんと歳をとっていくことが目に見えてわかるのに対して、弦さんはますますお元気で、私が学生時代の時からその風貌はまったく変わっていません。038.gif
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 来年の2013年で上智大学は100周年、理工学部は50周年を迎えるそうです。今年の1月に広島へ行ったときに、ピースボランティアの方から原爆ドームを設計したヤンレツルは上智大学の校舎も設計しているということを教えていただきました。そのことを佐藤弦さんはじめ、何人かの先生方にも尋ねましたが、みなさん、ご存知ありませんでした。しかしながら、100年前に建築された可能性があるのは、この1号館しか考えられません。
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 みんな、歳をとりました。頭髪は黒、白、肌色と3色になってしまいました。江戸時代ならば、みんな死んでいる年齢です。041.gif037.gif
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 弦さんと杉浦会長と記念撮影。
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 清水先生はいつも肌が浅黒く日焼けしており、遊んでいるとしか思えません。037.gif
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 池内先生は普段、山歩きをされるそうです。若い時は、今できないことはまた来年やればいいと考えていたそうですが、最近は今やらなければいけないと考えるようになったそうです。私もそうです。038.gif
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 お年寄りと写真を撮るよりも、やはり若い人と一緒に撮るのが一番うれしいですね。037.gif
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 あいさつをされる佐藤弦先生。
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 あいさつをされる池内先生。
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 ゲンダマ会が終わって、イグナチオ教会の上に月が出ていました。072.gif
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 大井町に戻ってきて、もう少し飲みたくなって、勇才さんに立ち寄りました。068.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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7月4日は、アメリカの独立記念日です。

15世紀の末、コロンブスがアメリカ大陸を発見した時、彼はインド大陸と思い込んで、そこに住む民族を「インディオ」(インド人)と呼びました。当時、インディアンは、この大陸に約500万人、500部族が生活していたと推定されています。
 
17世紀に入ると、ヨーロッパからの入植者が増え、先住民であるインディアンを駆逐して、大西洋岸北米大陸に、イギリス、フランス、スペインが支配する13の植民地が出来ました。1754年、植民地の領土争いが起こり、アメリカに入るイギリス人がフランスを破りました。この戦争で、イギリス軍の少佐に任命され、故郷のバージニア軍を率いて手柄をたてたのがジョージ・ワシントンです。

この戦争で勝ったイギリスは、財政が悪化し、次々にアメリカ植民地に重税を課しました。13の植民地の人々が猛反対したのは当然です。1775年6月、13州の人々はフィラディルフィアで大陸会議を開き、7月4日には、ついにイギリスからの独立を宣言しました。そして大陸軍の総司令官に、再びワシントンを任命したのです。以来8年間、苦しい独立戦争が続きましたが、フランス、スペインの義勇軍の応援もあって、ようやく1783年、イギリスに勝利し、独立を承認させることができました。

 1787年、憲法が制定され、「アメリカ合衆国」が誕生しました。翌年の大統領選挙には、満場一致で初代大統領にワシントンが選ばれました。
アメリカ国旗に13本のストライプがあるのは、このときの13州を表しています。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 さて7月4日(水)、平日ですが休みを取って、埼玉県飯能市の高麗まで行ってきました。今年の大目標であった剱岳の登攀をアミューズトラベルから断られてしまったことは前回報告しました。今年の目標である剱岳に行きたいという気持ちは変わらず、歩みの会でお世話になっている西村さんに個人ガイドを紹介していただきました。歩みの会では皆さん日本百名山をすべて完登されていますが、アミューズで年齢制限のある山登りは個人ガイドに依頼して登られたということを聞いていました。

 紹介していただいた山旅クラブの富澤さんに剱岳の個人ガイドをお願いしたい旨を連絡したところ、どのぐらいの技術であるのか見たいので、山旅クラブの岩場講習会に一度参加してほしいと話がありました。急遽、日和田山と天覧山での3点確保の講習会を受けるために、西武池袋線・秩父線の高麗駅に向かいました。
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 日曜日の天気予報では7月4日は傘マークがついていましたが、梅雨明けしたのではないかと思うくらいの青空が広がる好天でした。6月以降、小川山以外は雨具を使っていません。058.gif
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 午前8時31分に高麗駅で待ち合わせ。私以外にはお二人が講習会を受けに来ており、ガイドの富澤さんを入れて4人です。そのうちのお一人の方が、私を見て、先週の四阿山に行っていなかったかと尋ねてきました。その方も四阿山のツアーに参加されていたそうです。いつものように私が饅頭を配ったので、私のことを覚えていてくれました。038.gif
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 高麗川。高麗川の水はきれいです。
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 日和田山には高さ20 mの男岩、高さ10 mの女岩がありますが、そのような大きな岩ではなく、数 mの岩で3点確保の講習を受けました。ハーネス、安全環、ヘルメットをつけて、ホールドを探しながら岩場を登り、クライムダウンとテンションで登った岩を降りて行きます。クライムダウンとは3点確保でホールドを探しながら自分の力だけで降りて行きます。テンションとはザイルにぶら下がって降りて行きます。安全環は互い違いに装着します。
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 準備をする富澤さん。
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 3点確保をしながら岩登り。最初の登りは難しく感じました。足の置き場、手の置き場であるホールドを探しながら岩登りをしますが、そのホールドが小さく、足のつま先部分を岩面に垂直にホールドに掛けなければならないところを、足を横にしてしまいがちになったり、大きなホールドを求めて、体が伸びきってしまい、なかなかうまくできませんでした。お二人の先輩の岩登りの姿勢をお手本にして真似ながら挑戦しました。
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 テンションで岩を降りています。ザイルに頼り切って、足を肩幅に開き、足の裏を岩面につけながら降りて行きます。
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 3点確保の練習を約2時間ほど行い、日和田山を降りて、高麗峠を越えて、天覧山に向かいます。この水場の水は飲まないほうがいいそうです。
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日和田山の下でお昼休憩をとりました。
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 次に巾着田を通り、天覧山に向かいます。巾着田は秋になると彼岸花で真っ赤になるそうです。056.gif
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 振り返ると日和田山が見えます。
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 アジサイの花がたくさん咲いていました。056.gif
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 馬がいました。
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 高麗川では多くの人が水遊びをしていました。道の途中にあった温度計を見ると31 ℃を指していました。私もザックをかなぐり捨てて、高麗川に入って行きたくなりました。
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 奥武蔵自然歩道から高麗峠を経て、天覧山の山頂に向かい、山頂の下の岩場で再び3点確保の練習を行います。
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 高麗峠で記念撮影。
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 高麗峠で休憩をし、20分くらいで山頂につきました。標高197 mの低山です。
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 天覧山の名称の由来が書いてありました。愛宕山から羅漢山、そして明治天皇が視察に訪れたことから天覧山と改称されました。
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 天覧山からの風景。晴れてはいても、やはり梅雨時で雲が多く、周辺の高い山は見えませんでした。
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 遊歩道を外れて、山頂の下の岩場に降りて行きました。ここで再び3点確保で岩登りの練習をします。
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 ハーネスをつけて、安全環にザイルを通します。
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 お二人の先輩は足の置き場がないのではないかというような小さなホールドに足を掛けて、岩場を登って行きました。
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 テンションで降りるときは、岩の面に足の裏をぴったりと付けて、体が岩の面に垂直になるように立ちます。足は肩幅くらいの開き、右手をザイルに添えて、左肩越しに下を見ながら、足を下の岩面に移動させて降りて行きます。
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 いい歳、りょうちゃんも挑戦。大きなホールドばかり選んでしまいます。
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 手足を掛けるホールドを探しています。
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 テンションで降りる練習。日和田山での練習に比べて、少しだけコツがわかりました。
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 3点確保は普段の山登りでもやりますが、ハーネスをつけての練習ははじめてやりました。しかも一見、足がかかるかどうかわからないような足場に足を掛けて、岩をよじ登ったため、翌日以降しばらく腕と足が筋肉痛でした。
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岩場トレーニングのあと、山旅クラブの富澤さんから剱岳の個人ガイドを引き受けてもよいとの回答をいただきました。そして「体重を1~2 kgは減らすようにしてください。」とも言われました。体重を1~2 kg減らすだけでも随分と負担がちがうとのことです。8月30日(木)から3泊4日で剱岳に行ってきます。024.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(中島みゆき/荒野より)

荒野より(作詞:中島みゆき、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

夜が
望みは何かと訊かれたら君がこの星に居てくれることだ
力は何かと訊かれたら君を想えば立ち直れることだ

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

朝陽の昇らぬ日は来ても君の声を疑う日はないだろう
誓いは嵐にちぎれても君の声を忘れる日はないだろう

僕は歌っているだろう君と歌っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は生きているだろう君と生きているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない
荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない


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 7月7日と8日は編笠岳~赤岳に参加させてもらえなかったので、7日は囲碁大会に、8日はディズニーランドホテルでの日本酒試飲会に行ってきました。
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 ディズニーランドホテルでの日本酒試飲会は1年に1回開催されます。今回は16の酒蔵さんと浦安の地ビールのハーヴェストムーンが来ていました。
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 明鏡止水「日本の夏」。
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 ハーヴェストムーンの地ビール。
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 料理の写真をあまり撮っていませんでしたが、会場の周りに、たくさんの料理が並べられていました。
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 雁木さんのスパークリング日本酒。
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 浦安湯屋のかずさんも来ていました。今日の日本酒試飲会は阪急の佐藤さんに誘っていただきました。
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 浦安の松乃井さんでの試飲会にお酒を出していた「天明」の蔵元さんも日本酒を出していました。
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 黒龍の蔵元さんから、「このような日本酒試飲会にはよく参加するのか?」と聞かれて、年に2回ほど川崎のBEでの試飲会に行くことを話すと、「西山さんに宜しく伝えてください。」と言われました。
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 試飲会終了後、新浦安のオシャレな店で2次会をして、帰ってきました。新浦安にもお店があるんですね。038.gif
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
7月の3連休、白馬岳に行ってきます。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2012-07-12 12:40 | 日和田山・天覧山 | Comments(4)

嬬恋伝説、四阿山を行くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 前回、アミューズに剱岳と編笠岳~赤岳への参加を断られたことを書きましたが、その後も7月28日の苗場山、8月11日の高妻山も参加申込少数のため催行中止との連絡を受けました。

 今年はツアーへの参加不可や催行中止で4座もの日本百名山に穴があいてしまいました。今年中に通算50座を目指していましたが、黄色信号の点灯です。そこで再度、スケジュールを組み直しました。苗場山と高妻山が中止になってしまったので、7月21日(土)~22日(日)に「山旅クラブ」の越後駒ケ岳に行くことにしました。8月13日は休暇が取れなければ、代替の空木岳も難しいと思っています。

7月 4日(水) 日和田山・天覧山 岩場講習会(次回のブログで報告します。)
7月 7日(土) 囲碁大会(編笠岳~赤岳縦走に参加できないので囲碁大会に行きます)。
7月14日(土)~16日(日) 初心者山歩き教室 白馬岳
7月21日(土)~22日(日) 越後駒ケ岳「山旅クラブ」
7月23日(月) 「歩みの会」 野反湖~八間山
8月 4日(土)~ 6日(月) 幌尻岳
8月11日(土)~13日(月) 空木岳
8月17日(金)~19日(日) 平ヶ岳
8月29日(木)~9月1日(日) 個人ガイド剱岳~立山
9月15日(土)~17日(月) 氷河公園~槍ヶ岳「山旅クラブ」
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 さて6月24日(日)、金峰山縦走の翌日、じゃんけんぽんのトントンさん、はるさんに誘われて、川崎日航ホテルで行われた焼酎試飲会へ行ってきました。038.gif
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 私が会場に着いた時にはすでにトントンさん、はるさん、中丸さん夫妻、咬みつきバカ犬の飼い主のミキちゃん、そして最近ボーイフレンドの姿をまったく見なくなった石井ちゃんが来ていました。037.gif
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 これは「あやこまち」というオレンジ色のサツマイモで作られた芋焼酎です。普通の芋焼酎と明らかに味がちがいます。038.gif
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 宮崎県内では、アルコール度数20度の焼酎が普通であり、25度の焼酎は宮崎県内では売られていないそうです。25度の焼酎は県外の観光客向けにしか作られていないそうです。20度だからといって、薄いということはなく、風味豊かな焼酎でした。
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 はるさんはイケメンの酒蔵さんとツーショットでたいへんご満悦でした。037.gif
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 試飲会会場の隣は結婚式場のようでした。そこの応接間みたいなところで記念撮影をしました。2枚の写真を見比べてください。上の写真と下の写真でのいい歳、りょうちゃんの表情があまりにも違います。隣に座っている人を見ればわかりますね。西山さんのお嬢さんは龍平ちゃんと同じ平成生まれだそうです。写真を撮ってもらった時は、意識していませんでしたが、無意識のうちに表情に出てしまいました。037.gif
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 焼酎試飲会は16時過ぎに終了し、川崎駅前で大道芸人の歌を見物しました。038.gif
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 そして立ち飲み屋さんへ。068.gif
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 かなり酔っているはるさんとミキちゃん。037.gif
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 この日、自宅に戻ってきて、試飲会の写真をすぐFacebookにUPしていますが、写真を整理したことすら覚えていません。今日は無意識に行動することが多い一日でした。038.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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ラフカディオ・ハーン。日本に帰化して小泉八雲と名乗りましたが、この人ぐらい異国人でありながら、日本を愛し、日本の思想、風俗、歴史、伝統芸能に精通し、それを明治時代に世界へ紹介してくれた人は、他にいなかったように思います。

「知られざる日本の面影」「日本雑記」などの評論の他、「骨董」「怪談」など、すぐれた短編小説を海外で発表し、大変な反響を呼びました。
特に「怪談」のなかの一遍“耳なし芳一のはなし”は有名で、戦前の国語の教科書に載りましたし、戦後は映画にもなりました。

ハーンは1850年6月27日、ギリシャで生まれました。父はアイルランド系英国人、母はギリシャ人でした。父母が離婚したので、単身アメリカに渡り、新聞記者をしながら東洋の研究、特に日本について勉強しました。明治23年、彼が40歳のとき来日しました。ニューオリンズの万国博覧会で知り合った文部省事務官服部一三の世話で、松江市の旧制中学、師範学校の英語教師として、松江に赴任したのが、彼の生涯を決定づけました。

 この土地で、松江藩士の娘、小泉節子と結婚しました。妻の姓と、出雲の故事が気に入って「小泉八雲」と姓名をかえ、日本に帰化したのです。その後、五高(熊本)、東大、早稲田大学で教鞭をとりながら。作品を書き続け、明治37年9月26日、東京の自宅で亡くなりました。54歳でした。彼の功績は、日本を海外に紹介しただけではなく、逆に欧米の文学を日本に紹介した点も見逃すことはできません。松江市には、彼が新婚時代を過ごした武家屋敷が、そのまま記念館として保存されています。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 さて金峰山縦走の翌週、6月27日(水)に日本百名山の四阿山(あづまやさん)へアミューズで行ってきました。この日は平日なのですが、週末はゲンダマ会に行く予定が入っており、毎週山へ行く連続記録を途切れさせたくなかったため、休みをとって、山に行きました。(しかし、冒頭で報告したように、いまや毎週山に行く連続記録は途絶えてしまいました。)
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 この日も天候に恵まれました。6月10日の入笠山から雨に降られていません。そして、この日も小沢さんと一緒でした。小沢さんと一緒のツアーに参加するのは今年4回目ですがすべて晴れています。小沢さんは倉持さんと一緒になるときは大半が雨だと嘆いていました。
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 渋滞もなく登山口には午前10時30分前に着きました。今日は菅平牧場のわきの登山道を登り、根子岳を経由して、日本百名山の四阿山へ向かいます。四阿山の名称の由来は、日本武尊が東征からの帰りに、妻である弟橘姫(おとたちばなひめ)を偲んで、「吾妻はや(わたしの妻はどうしているのか)」と鳥居峠に立って嘆いたことから、吾妻山と名付けられ、四阿山となりました。また山の形が四阿(あずまや)に似ていることから、この名前が付けられたという説もあります。
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 菅平牧場のわき道を通って、根子岳を目指します。なだらかな斜面を登っていきます。2週前の男体山に比べれば、お子様コースです。
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 牧場の牛もお見送り。
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 リンドウが咲いていました。056.gif
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 ハクサンチドリも咲いていました。
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 中腹で休憩。
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 しかし、この中腹から約10分で根子岳の頂上に着きました。
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 根子岳の頂上から見た風景。
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 根子岳の頂上で写真撮影後、目標の四阿山へ向かいます。過去に噴火した時の溶岩が観察され、根子岳は四阿山の外輪山であることを知りました。
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 ミツバオーレン。
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 標高2207 mの根子岳から急こう配を下り、約170 mも降りて行きます。
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 ツマトリソウ。
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 170 m下りきって、笹原の向こうに四阿山を見ることができます。
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 ここから標高2354 mの四阿山山頂まで約300 m以上、急登を登っていきます。しかしながら、男体山を経験したおかげで、この急登も大したことはありませんでした。037.gif
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 振り返ると根子岳が見えます。
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 四阿山の頂上が見えました。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(中島みゆき/荒野より)

荒野より(作詞:中島みゆき、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

夜が
望みは何かと訊かれたら君がこの星に居てくれることだ
力は何かと訊かれたら君を想えば立ち直れることだ

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

朝陽の昇らぬ日は来ても君の声を疑う日はないだろう
誓いは嵐にちぎれても君の声を忘れる日はないだろう

僕は歌っているだろう君と歌っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は生きているだろう君と生きているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない
荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない


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 登山開始から3時間30分、14時過ぎに四阿山頂上に到着しました。3週間連続でご一緒した小沢さんと記念撮影。次回は7月の3連休、白馬岳でご一緒する予定です。
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 私がいつもお饅頭を持っていくことにいい顔をしてくれない川上ガイドと記念撮影。しかし、お饅頭持参をやめるつもりはありません。037.gif
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 四阿山頂上からの風景。
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 花が笑っているように見えました。
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 四阿山の頂上でお昼御飯を食べて、下山を開始しました。14時30分。
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 途中、峰桜が咲いていました。6月末に桜を見ることができると思いませんでした。
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 外輪山の火口を歩いている感じです。
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 根子岳が雄大に見えます。
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 イチヤクソウ。
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 ツマトリソウ。
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 白樺林。
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 登りも下りもレンゲツツジが満開でした。
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 オドリコソウ。
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 クリンソウ(九輪草)も咲いていました。
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 登山開始からちょうど6時間、16時30分に登山口に戻ってきました。日本百名山36座目登攀です。038.gif
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 ストレッチを済ませて、牧場のソフトクリームを食べながら、新宿まで戻ってきました。068.gif
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
次回は日和田山・天覧山の岩場トレーニングの報告をします。060.gif

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by ryott-ryott | 2012-07-07 22:05 | 根子岳・四阿山縦走 | Comments(0)

百貫の貫録 金峰山縦走ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 足の怪我が治って、5月最終週から今のところ毎週末、山へ行っていますが、今年の最大目標にしている剱岳への参加をアミューズトラベルから断られてしまいました。理由は私の体力と技術が不十分であるため、他の参加メンバーの安全も考慮すると最難関の剱岳にはとても連れていけないとのことです。また7月7日に組まれている編笠岳~赤岳縦走についても同様の理由で参加させられないとの連絡を受けました。剱岳は仕方ないとしても、編笠岳~赤岳縦走も参加させてもらえないことについては、いまだに釈然としません。私と同じように小川山に参加して、剱岳への参加を断られた方が7月7日の編笠岳~赤岳縦走には参加できると聞き、この線引きの理由を是非とも聞かせてもらいたいとアミューズには問い合わせましたが、私が他のメンバーにたぶん着いて行くことができず、戻ってもらうことになるとの推測だけで、きちんとした回答は得られませんでした。したがって剱岳まで毎週山へ行く予定でしたが、早くも来週、穴があいてしまうことになりました。

 前回の男体山では3人の方が足を吊ってリタイヤされました。アミューズトラベルはリタイヤされた3人の方に「あなたはリタイヤする可能性があるから、男体山への参加はできません。」と伝えていたでしょうか。そうではなかったと思います。たとえ途中で帰されたとしても、挑戦したかったというのが私の思いであり、今回の編笠岳~赤岳縦走へ参加できないとのアミューズの裁定には不公平を感じます。

 文句を言っていても、前には進まないので、編笠岳~赤岳縦走はあきらめることにしました。また剱岳についてはまだあきらめていません。歩みの会の西村さんに今回のアミューズとの経緯を伝えて、何名かの個人ガイドを紹介していただきました。歩みの会ではアミューズトラベルで年齢制限のある山については、個人ガイドを依頼して、ガイドをしてもらったことがあったと聞いていました。紹介していただいた何名かのガイドさんのうち、山旅クラブの富澤さんに連絡したところ、日和田山と天覧山の岩場講習に参加して、それから個人ガイドしてもらえるかどうか判断してもらえることになりました。とりあえず岩場講習会に行ってきます。

さて、いい歳、りょうちゃんの今後の予定です。

7月 4日(水) 日和田山・天覧山 岩場講習会
7月 7日(土) 囲碁大会(編笠岳~赤岳縦走に参加できないので囲碁大会に行きます)。
7月14日(土)~16日(日) 初心者山歩き教室 白馬岳
7月23日(月) 歩みの会 野反湖~八間山
7月28日(土)~29日(日) 苗場山
8月 4日(土)~ 6日(月) 幌尻岳
8月11日(土)~12日(日) 高妻山
8月17日(金)~19日(日) 槍ヶ岳
8月29日(木)~9月1日(日) 個人ガイド剱岳(岩場訓練で引き受けてもらえれば)。
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 6月23日(土)はアミューズで金峰山へ行ってきました。4月に行った大峰山が本来の金峰山という名称であり、現在の金峰山は大峰山本山から蔵王権現を分祀して名付けられたもので、最初は甲州の金峰山と呼ばれていました。身近なところでは青梅市の御岳山の別称も金峰山であり、武蔵御嶽神社が大峰山から蔵王権現を分祀しています。全国には、現在の金峰山を含めて、肥後熊本、薩摩鹿児島など9つの金峰山が存在します。
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 今日の天気予報は曇りですが、雨は降らずに何とかもちそうです。いつものように新宿でバスに乗り、途中の道の駅でタクシーに乗り換えて、大弛峠(おおだるみとうげ)まで行き、そこから朝日岳を経て金峰山に向かいます。そして瑞牆山荘まで縦走する予定です。大弛峠の標高は2360 m、目指す金峰山は標高2599 mであり、その標高差はわずか239 mです。
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 雨が降らない天気と休日ということもあり、大弛峠の駐車場は満車状態。われわれはタクシーなので、駐車には無関係で、大弛峠で下車し、準備体操を済ませて10時30分に金峰山を目指して出発しました。
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 単調な登りが続きます。先週の男体山に比べるとお子様コースです。平坦な登山道もところどころあり、あくびが出てしまいます。037.gif038.gif
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 歩き始めて約1時間で、樹林帯を抜けました。
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 11時43分に朝日岳に着きました。
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 朝日岳山頂から見た金峰山。五丈石がはっきりと見えます。
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 朝日岳からは急こう配を下り、鉄山を巻いて、金峰山へ向かいます。
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 ミツバオーレン。056.gif
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 コミヤマカタバミ。056.gif
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 シカ肉バーガー。037.gif
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 ふもとに見えるのは川上村。
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 先ほど通過した朝日岳。
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 昨年行った瑞牆山が雲で煙っていました。
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 いたるところに白いシャクナゲが咲いていました。056.gif
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 幅広い稜線を歩いていけば金峰山の頂上はもうすぐです。
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 頂上への最後の岩稜帯。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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    夕焼け 小焼けの 赤とんぼ
    負われて見たのは、いつの日か
    ・・・・・・・・

 『赤とんぼ』の作詞者(作曲・山田耕筰)として知られる三木露風は、明治22年(1889年)6月23日、兵庫県竜野市で生まれました。祖父は初代竜野町長や、九十四銀行の頭取をつとめていました。ところで、日本の代表的な童謡・歌曲として親しまれている、この『赤とんぼ』、一体どこを背景にしてつくられたのでしょうか。

 露風研究家である竜野市の図書館長木村逸雄の説によりますと、当然、夕焼け空の美しい故郷・竜野市であるといわれます。
 “負われて見たのは・・・・・・”というのも、母親か、それとも子守かの二説がありますが、木村図書館長は母親説をとります。

 露風は5歳の時に母と生別しているので、幼少時代からよく竜野の鶏篭山に登っては母を偲んでいました。露風の詩や短歌にも、母を恋い慕う作品が多くあるのも、その裏づけの一つだといいます。

 現在、露風の故郷・竜野市の公園には、「赤とんぼ歌曲碑」が建っています。赤とんぼの季節に、ここの公園から『赤とんぼ』の歌のチャイムを聞きながら、夕焼け空を眺めるのは、幼き日の郷愁をそそる一幅の絵といってよいかもしれません。

 露風は、若き日、函館トラピスト修道院の講師をしながら、高踏詩社を主宰して、詩集『廃園』『寂しき曙』『白き手の猟人』などを出していました。
 昭和3年(1928年)から36年間、三鷹市に住み、詩作を続けていましたが、昭和39年(1964年)12月29日、タクシーに跳ねられ、亡くなりました。享年75歳でした。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 ゴロゴロした岩場を越えれば、金峰山の頂上です。標高2599 m。
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 これが有名な五丈石。高さ15 mほどあります。
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 頂上で記念撮影。今週もこの人と一緒でした。というか私が天城山に一緒に行けなかったので、金峰山を一緒に行く約束をしました。
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 五丈石の前で記念撮影。
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 五丈石をさわっているような写真を清水ガイドが撮ってくれました。
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 五丈石前はたくさんの登山客で賑わっていました。昔は五丈石の前には蔵王権現の奥の宮があり、蔵王権現の像が安置されていたそうです。現在はありません。
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 五丈石に登っている人がいました。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(中島みゆき/荒野より)

荒野より(作詞:中島みゆき、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

夜が
望みは何かと訊かれたら君がこの星に居てくれることだ
力は何かと訊かれたら君を想えば立ち直れることだ

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

朝陽の昇らぬ日は来ても君の声を疑う日はないだろう
誓いは嵐にちぎれても君の声を忘れる日はないだろう

僕は歌っているだろう君と歌っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は生きているだろう君と生きているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない
荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない


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 五丈石前でお昼を済ませて、13時15分に瑞牆山荘を目指し、下山を開始しました。
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 裏側から見た五丈石。
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 この岩稜を越えていきます。
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 来た道を振り返ると、五丈石が小さくなっていました。
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 イワカガミ。見あきるほど咲いていました。
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 砂洗いの頭から見た瑞牆山と大日岩。
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 砂洗いの頭から急こう配を下っていきます。瑞牆山荘のほうから登ってくる登山者もたくさんいましたが、急登の登山は大変そうでした。038.gif
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 ここもシャクナゲがはるか下のほうまで咲いていました。056.gif
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 大日岩直下。
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 この黄色い花はなんという花でしょうか。056.gif
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 急こう配の下りはまだ続きます。
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 ロープをつたわって降りる場所がありました。
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 富士見平山荘が近付くと、多くのテントが設営されていました。
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 富士見平山荘、多くの登山者がいました。
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 最後の下り。
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 木の間から瑞牆山が見えます。
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 17時25分、瑞牆山荘の前に辿り着きました。ストレッチをして、バスに乗り、新宿まで戻ってきました。
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
次回は四阿山の報告をします。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2012-07-02 00:05 | 金峰山縦走 | Comments(4)

百貫の貫録 金峰山縦走ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 足の怪我が治って、5月最終週から今のところ毎週末、山へ行っていますが、今年の最大目標にしている剱岳への参加をアミューズトラベルから断られてしまいました。理由は私の体力と技術が不十分であるため、他の参加メンバーの安全も考慮すると最難関の剱岳にはとても連れていけないとのことです。また7月7日に組まれている編笠岳~赤岳縦走についても同様の理由で参加させられないとの連絡を受けました。剱岳は仕方ないとしても、編笠岳~赤岳縦走も参加させてもらえないことについては、いまだに釈然としません。私と同じように小川山に参加して、剱岳への参加を断られた方が7月7日の編笠岳~赤岳縦走には参加できると聞き、この線引きの理由を是非とも聞かせてもらいたいとアミューズには問い合わせましたが、私が他のメンバーにたぶん着いて行くことができず、戻ってもらうことになるとの推測だけで、きちんとした回答は得られませんでした。したがって剱岳まで毎週山へ行く予定でしたが、早くも来週、穴があいてしまうことになりました。

 前回の男体山では3人の方が足を吊ってリタイヤされました。アミューズトラベルはリタイヤされた3人の方に「あなたはリタイヤする可能性があるから、男体山への参加はできません。」と伝えていたでしょうか。そうではなかったと思います。たとえ途中で帰されたとしても、挑戦したかったというのが私の思いであり、今回の編笠岳~赤岳縦走へ参加できないとのアミューズの裁定には不公平を感じます。

 文句を言っていても、前には進まないので、編笠岳~赤岳縦走はあきらめることにしました。また剱岳についてはまだあきらめていません。歩みの会の西村さんに今回のアミューズとの経緯を伝えて、何名かの個人ガイドを紹介していただきました。歩みの会ではアミューズトラベルで年齢制限のある山については、個人ガイドを依頼して、ガイドをしてもらったことがあったと聞いていました。紹介していただいた何名かのガイドさんのうち、山旅クラブの富澤さんに連絡したところ、日和田山と天覧山の岩場講習に参加して、それから個人ガイドしてもらえるかどうか判断してもらえることになりました。とりあえず岩場講習会に行ってきます。

さて、いい歳、りょうちゃんの今後の予定です。

7月 4日(水) 日和田山・天覧山 岩場講習会
7月 7日(土) 囲碁大会(編笠岳~赤岳縦走に参加できないので囲碁大会に行きます)。
7月14日(土)~16日(日) 初心者山歩き教室 白馬岳
7月23日(月) 歩みの会 野反湖~八間山
7月28日(土)~29日(日) 苗場山
8月 4日(土)~ 6日(月) 幌尻岳
8月11日(土)~12日(日) 高妻山
8月17日(金)~19日(日) 槍ヶ岳
8月29日(木)~9月1日(日) 個人ガイド剱岳(岩場訓練で引き受けてもらえれば)。
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 6月23日(土)はアミューズで金峰山へ行ってきました。4月に行った大峰山が本来の金峰山という名称であり、現在の金峰山は大峰山本山から蔵王権現を分祀して名付けられたもので、最初は甲州の金峰山と呼ばれていました。身近なところでは青梅市の御岳山の別称も金峰山であり、武蔵御嶽神社が大峰山から蔵王権現を分祀しています。全国には、現在の金峰山を含めて、肥後熊本、薩摩鹿児島など9つの金峰山が存在します。
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 今日の天気予報は曇りですが、雨は降らずに何とかもちそうです。いつものように新宿でバスに乗り、途中の道の駅でタクシーに乗り換えて、大弛峠(おおだるみとうげ)まで行き、そこから朝日岳を経て金峰山に向かいます。そして瑞牆山荘まで縦走する予定です。大弛峠の標高は2360 m、目指す金峰山は標高2599 mであり、その標高差はわずか239 mです。
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 雨が降らない天気と休日ということもあり、大弛峠の駐車場は満車状態。われわれはタクシーなので、駐車には無関係で、大弛峠で下車し、準備体操を済ませて10時30分に金峰山を目指して出発しました。
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 単調な登りが続きます。先週の男体山に比べるとお子様コースです。平坦な登山道もところどころあり、あくびが出てしまいます。037.gif038.gif
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 歩き始めて約1時間で、樹林帯を抜けました。
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 11時43分に朝日岳に着きました。
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 朝日岳山頂から見た金峰山。五丈石がはっきりと見えます。
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 朝日岳からは急こう配を下り、鉄山を巻いて、金峰山へ向かいます。
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 ミツバオーレン。056.gif
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 コミヤマカタバミ。056.gif
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 シカ肉バーガー。037.gif
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 ふもとに見えるのは川上村。
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 先ほど通過した朝日岳。
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 昨年行った瑞牆山が雲で煙っていました。
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 いたるところに白いシャクナゲが咲いていました。056.gif
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 幅広い稜線を歩いていけば金峰山の頂上はもうすぐです。
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 頂上への最後の岩稜帯。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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    夕焼け 小焼けの 赤とんぼ
    負われて見たのは、いつの日か
    ・・・・・・・・

 『赤とんぼ』の作詞者(作曲・山田耕筰)として知られる三木露風は、明治22年(1889年)6月23日、兵庫県竜野市で生まれました。祖父は初代竜野町長や、九十四銀行の頭取をつとめていました。ところで、日本の代表的な童謡・歌曲として親しまれている、この『赤とんぼ』、一体どこを背景にしてつくられたのでしょうか。

 露風研究家である竜野市の図書館長木村逸雄の説によりますと、当然、夕焼け空の美しい故郷・竜野市であるといわれます。
 “負われて見たのは・・・・・・”というのも、母親か、それとも子守かの二説がありますが、木村図書館長は母親説をとります。

 露風は5歳の時に母と生別しているので、幼少時代からよく竜野の鶏篭山に登っては母を偲んでいました。露風の詩や短歌にも、母を恋い慕う作品が多くあるのも、その裏づけの一つだといいます。

 現在、露風の故郷・竜野市の公園には、「赤とんぼ歌曲碑」が建っています。赤とんぼの季節に、ここの公園から『赤とんぼ』の歌のチャイムを聞きながら、夕焼け空を眺めるのは、幼き日の郷愁をそそる一幅の絵といってよいかもしれません。

 露風は、若き日、函館トラピスト修道院の講師をしながら、高踏詩社を主宰して、詩集『廃園』『寂しき曙』『白き手の猟人』などを出していました。
 昭和3年(1928年)から36年間、三鷹市に住み、詩作を続けていましたが、昭和39年(1964年)12月29日、タクシーに跳ねられ、亡くなりました。享年75歳でした。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 ゴロゴロした岩場を越えれば、金峰山の頂上です。標高2599 m。
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 これが有名な五丈石。高さ15 mほどあります。
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 頂上で記念撮影。今週もこの人と一緒でした。というか私が天城山に一緒に行けなかったので、金峰山を一緒に行く約束をしました。
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 五丈石の前で記念撮影。
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 五丈石をさわっているような写真を清水ガイドが撮ってくれました。
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 五丈石前はたくさんの登山客で賑わっていました。昔は五丈石の前には蔵王権現の奥の宮があり、蔵王権現の像が安置されていたそうです。現在はありません。
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 五丈石に登っている人がいました。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(中島みゆき/荒野より)

荒野より(作詞:中島みゆき、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

夜が
望みは何かと訊かれたら君がこの星に居てくれることだ
力は何かと訊かれたら君を想えば立ち直れることだ

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

朝陽の昇らぬ日は来ても君の声を疑う日はないだろう
誓いは嵐にちぎれても君の声を忘れる日はないだろう

僕は歌っているだろう君と歌っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は生きているだろう君と生きているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない
荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない


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 五丈石前でお昼を済ませて、13時15分に瑞牆山荘を目指し、下山を開始しました。
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 裏側から見た五丈石。
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 この岩稜を越えていきます。
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 来た道を振り返ると、五丈石が小さくなっていました。
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 イワカガミ。見あきるほど咲いていました。
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 砂洗いの頭から見た瑞牆山と大日岩。
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 砂洗いの頭から急こう配を下っていきます。瑞牆山荘のほうから登ってくる登山者もたくさんいましたが、急登の登山は大変そうでした。038.gif
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 ここもシャクナゲがはるか下のほうまで咲いていました。056.gif
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 大日岩直下。
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 この黄色い花はなんという花でしょうか。056.gif
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 急こう配の下りはまだ続きます。
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 ロープをつたわって降りる場所がありました。
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 富士見平山荘が近付くと、多くのテントが設営されていました。
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 富士見平山荘、多くの登山者がいました。
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 最後の下り。
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 木の間から瑞牆山が見えます。
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 17時25分、瑞牆山荘の前に辿り着きました。ストレッチをして、バスに乗り、新宿まで戻ってきました。
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
次回は四阿山の報告をします。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2012-07-02 00:05 | 金峰山縦走 | Comments(0)

一たびは喜び、一たびは悲しみ、フタラの山、男体山を行くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 6月17日(日)、日本百名山の男体山へ行ってきました。アミューズトラベルの日帰りトレーニングです。ガイドは泉田さん、サブは木元さんと宮川さんでした。当初、満席と聞いていましたが、前日の荒天、当日も雨が降るとの予報があり、何名かがキャンセルして、参加者は19名でした。その中に大台ケ原と大峰山でご一緒した小沢さんがいらっしゃいました。038.gif
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 予定通りに7時に新宿を出発し、大きな遅れもなく午前10時前に二荒山神社に到着しました。空は鈍色の曇り空です。今年の1月に大井町湯屋の晴れ男さん夫妻とおばあちゃんの般若阿部ちゃんと鬼怒川に来た時に、華厳の滝のエレベーター前から男体山を眺めて、6月のこの日帰りトレーニングに行こうと決めていました。おばあちゃんと晴れ男さんを再三お誘いしましたが、お二人は山登りには興味がないようであり、一緒に来てくれませんでした。037.gif
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 牛石の近く、二荒山神社の前で準備体操して、神社の境内を抜けて、いよいよ登っていきます。泉田さんから「なるべく荷物は軽くするように。」と声をかけられました。038.gif
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 境内を抜けて、しばらくは樹林帯を登ってゆき、一度、林道に出ます。この林道で衣服調整をしました。この時に持っていたお饅頭を参加者全員に配り、泉田さんにも差し上げると、「行動食なんか、重いから持ってこなくていいんだ!」といつもの口調で叱られました。お饅頭はほとんどが小豆なので重いのは確かですが、小沢さんは喜んで何個も食べてくれました。038.gif
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 ほぼ平坦の林道を20分ぐらい歩くと、本当の登山口が現れます。ここからがいよいよ本当の男体山登山になります。見上げると急登ははるか上まで続いていることがわかりました。泉田さんの計算では平均斜度は24.3°だそうです。
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 険しい急登とは対照的に、山の斜面にはたくさんのヤシオツツジが咲いていました。056.gif
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 そして私も他の参加者も天気予報から雨具を使うことを覚悟していましたが、雲の切れ間から青空がのぞき、この日一日、雨具を使うことはありませんでした。058.gif
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 白いヤシオツツジも咲いていました。056.gif
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 五合目の標識。
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 険しさはさらに増します。1月に行った蓼科山の急登より男体山のほうがきついと思います。
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 中腹から見た中禅寺湖。
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 7合目に到着。ここで19名の参加者のうち、3名が足を吊るなどして、リタイヤしました。リタイヤした3名は私たちが頂上まで行って帰ってくるまで待つことになります。
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 見上げると、この岩場の急登。この7合目から9合目の手前まで岩場の急登が続きました。042.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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    夏がくれば 思い出す
    はるかな尾瀬 遠い空
    霧のなかに うかびくる
    やさしい影 野の小径
    水芭蕉の花が咲いている
           (以下略)

 江間章子作詞、中田喜直作曲『夏の思い出』です。昭和24年(1949年)6月17日から1週間「ラジオ歌謡」として放送されたものです。この歌は、尾瀬の自然の美しさ、高原のさわやかさを思い起こさせる“夏への誘い”“初夏の序曲”として、この季節になると毎年テレビ、ラジオから流れてきます。

 尾瀬沼は昔は小瀬沼といわれていました。福島・群馬の県境にまたがる火山堰止湖で、周囲約6 km、海抜1665 m、沼の周りの湿原は高山植物の宝庫、秘境として知られてきました。最近はこの歌の影響もあってか、訪れる人も多く、初夏から初秋まで、年間70~80万人に達し、自然破壊が心配されてきました。

 この尾瀬で忘れてはならない人がいます。この沼のほとりにある、古い歴史をもつ「長蔵小屋」を建てた平野長蔵とその一家です。
 彼は明治2年(1869年)、福島県桧枝岐に生まれ、尾瀬に魅せられて、明治23年(1890年)にこの山小屋を建てました。以来、息子の長英、孫の長靖と、3代にわたって、尾瀬とともに生き、尾瀬の自然を守ってきました。

 残念なのは、祖父と父の遺志を継ぎ、尾瀬を愛し、尾瀬の発展と保護に尽力してきた3代目長靖が、昭和46年(1971年)12月1日、尾瀬沼から下山途中、三平峠と一之瀬の間で、吹雪と深雪にはばまれ、36歳の短い生涯を閉じたことです。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 8合目に到着。しかし、急登はまだまだ続きます。いい歳、りょうちゃんはもう写真を撮る余裕はありませんでした。そして、ついに泉田さんから、泉田さんのすぐ後ろを歩くように声をかけられてしまいました。泉田さんから「呼吸を腹式呼吸で常に息を吐くようにしなさい。」と、指導を受けました。普通の呼吸だと、すぐにばててしまうとのことです。
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 九合目に到着。ここからは隊列に関係なく、速く歩ける人はどんどん前に行くようにとの指示。いい歳、りょうちゃんは青息吐息でだいぶ離されて後ろの人たちと一緒に頂上に辿り着きました。泉田さんは頂上に辿り着いた人とガッチリと握手をしてくれました。いつも握手などしない泉田さんが珍しく握手をしてくれるのを見て、小沢さんは「アミューズトラベルをやめるんじゃないか。」とおっしゃっていました。037.gif038.gif
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 標高2486 m。頂上には雲に乗った二荒山大神の銅像が祀られています。
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 深田久弥の「日本百名山」には約1200年ほど前の782年3月に勝道上人によって、男体山の初登頂が果たされたと書かれています。勝道上人は767年4月に最初の登山を試みましたが、深い雪と岩と嵐にまで阻まれて、登頂を断念しています。その後、14年後の781年4月にふたたび挑戦しますが、このときも荒天に阻まれて失敗しました。今度こそと堅く意を決し、翌年782年3月にふたたび登山の足を踏み出します。時に勝道上人48歳でした。
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 湖畔から山頂までの1200 mの標高差、登りづくめの急登で、残雪深く、樹木をかき分けて攀(よ)じ登って行きました。途中二夜の野営を経て、ついに男体山の絶頂に立ちます。その時の勝道上人の言葉が「終(つい)にその頂を見る。怳怳惚惚(こうこうこつこつ)として。夢に似たり・・・・・一たびは喜び、一たびは悲しみ、心魂持し難し。」で、空海の『性霊集(しょうりょうしゅう)』に載っています。
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 昨年行った日光白根山。
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 太郎山。筑波山のように双二峰の山では、一方を男神、もう一方を女神とする慣わしがあり、男体山は単独峰ですが、女峰山と対に付けられた名前であり、その間に大真名子山、小真名子山、北側に太郎山があり、一家族五山の山になっています。
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 釣鐘から見た山頂の御影石。
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 この場所に以前は鉄剣が建っていたそうですが、折れてしまったようです。
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 鉄剣のあった場所で外人さんが雄たけびを上げていました。037.gif
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 頂上から見た中禅寺湖。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(中島みゆき/荒野より)

荒野より(作詞:中島みゆき、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

夜が
望みは何かと訊かれたら君がこの星に居てくれることだ
力は何かと訊かれたら君を想えば立ち直れることだ

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

朝陽の昇らぬ日は来ても君の声を疑う日はないだろう
誓いは嵐にちぎれても君の声を忘れる日はないだろう

僕は歌っているだろう君と歌っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は生きているだろう君と生きているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない
荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

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 二荒山大神像の前で記念撮影。二荒山は男体山の別称です。
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 この人も記念撮影。このあと、金峰山、四阿山、白馬岳もご一緒することになっています。お酒が一滴も飲めません。037.gif
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 三角点。
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 中禅寺湖の右側には戦場ヶ原。
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 中禅寺湖を見ながら下山開始。重力に従って降りて行く下山はいい歳、りょうちゃんにとってはやはり楽ちんです。037.gif
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 登りが急登ならば、下りは急こう配を降りて行きます。
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 途中、蝶がたくさん飛んでいました。
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 9合目から8合目の急こう配。よくもこんなところを登ってきたものだと降りながら思いました。
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 中腹から見た中禅寺湖。7合目でリタイヤされた方たちと合流し、下山が続きます。
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 16時09分、登山口に戻ってきました。小沢さんと木元さん。木元さんは名古屋のアミューズに異動になるため、今日の男体山が新宿発のツアー最後とのことです。
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 マムシグサがたくさん生えていました。マムシグサは毒があるため、鹿に食べられず、他の植物よりも多く残ってしまうそうです。また秋になるとあの毒々しい赤い実をつけることはよく知られていますが、この実にも毒があると同時に、腰痛にも効く成分が含まれています。腰痛持ちの人が腰痛に我慢できずに、マムシグサの実を食べて、よく救急車で運ばれると、木元さんに教えてもらいました。毒と薬は紙一重ということです。
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 林道を通り、二荒山神社に戻ってきました。16時55分。
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 牛石の前でストレッチをして、バスに乗り、ビールで乾杯しながら、新宿まで戻ってきました。小沢さんは甘いものを飲んでいたと思います。新宿に着き、泉田さんから「強くなった。」とお褒めの言葉をいただきましたが、「そのお腹を凹まさなければ駄目だ!」とも言われました。いい歳、りょうちゃん、日本百名山34座目になりました。038.gif038.gif038.gif037.gif
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
 次回は金峰山の報告をします。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2012-07-01 10:42 | 日帰りトレーニング男体山 | Comments(4)