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秋を告げる色なき風に吹かれ、岩稜の塩見岳を行く

旅行・地域
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 9月21日(金)~23日(日)、アミューズトラベルで南アルプスの塩見岳に行ってきました。今回のツアーでは二人の方が日本百名山100座を達成されて、ガイドの泉田さんからTシャツを進呈されていました。038.gif

 そのうちのおひとりは男性でバスでは私のお隣に座っている方でした。見た目は私よりも年下かと思いましたが、1歳年上の49歳の、田中さんとおっしゃる方です。田中さんはサラリーマンをしながら年間130座以上の山に登られるそうです。山も日本の山だけではなく、海外遠征や、山以外は沢登りもされるということです。そんな山登りのプロみたいな方が、年寄りばかりのアミューズに参加したのは、1年に1回だけはアミューズに参加することにしており、偶然にも塩見岳だけが行く機会がなく残ってしまっていたそうです。

 その田中さんは日本三百名山も残すところあと2座だとおっしゃっていました。百名山にしろ、三百名山にしろ、数を追い出せば、あっという間に終わるとのことです。二百名山も三百名山も、百名山のそばにあることが多いので、百名山と合わせて行くことが効率よく登るコツだとおっしゃっていました。百名山が終わってから、二百、三百を目指すということになると、同じ場所に何度も行かなければならず、効率がとても悪いということです。

 田中さんの山の話は面白く、昨年行った利尻のレラモシリの渡辺オーナーのお友達でありもあり、利尻やレラモシリのことをいろいろと話してくれました。今回の塩見岳では、三伏峠小屋に2泊しましたが、田中さんは普段は山小屋を利用せず、テント泊がほとんどだそうです。塩見岳の場合は三伏峠小屋と塩見小屋がありますが、塩見小屋の評判が悪く、アミューズでも三伏峠小屋の利用になっていました。評判の悪い小屋、態度の悪い小屋は利用しないことが一番であり、もし自分が泊ろうとしている小屋がひどい小屋であることがわかったら、頑張って次の小屋まで行くべきであると田中さんはおっしゃっていました。

 田中さんが今までひどいと思った山小屋はたくさんあるそうですが、富士見小屋の前で山小屋の写真を撮っていたら、山小屋のおやじから「写真なんか撮るな!」と怒鳴られたそうです。トミーさんもおっしゃっていましたが、富士見小屋では昔、白人の若い女性が山小屋の主人に強姦された揚句に殺害されてしまったという事件があったそうです。現在、富士見小屋が存在するのかどうか、私は知りませんが、そういう事件があった小屋のほとんどはなくなってしまうそうです。

 その田中さんは「山頂のてっぺんで!」というホームページとブログをやっています。みなさん、遊びに行ってあげてください。また田中さんは「いい歳、りょうちゃん」のこのブログを見て、「可愛い女の子がたくさん写っている。」とのメールをいただきました。一体、誰のことを言っているのでしょうか。038.gif037.gif
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 今回の塩見岳の参加者は21名で、ガイドはあの泉田さん、清水さん、添乗員は辻さんでした。この参加者21名の中には私も含めて先々週の「ゆったり飯豊本山」ツアーに参加した8名がいました。添乗員の辻さんは、泉田さんの歩くペースが速すぎるのではないかと大変に心配されており、泉田さんになるべくゆっくり歩いてほしいと進言したそうです。私はそんなことを言う必要はまったくないと思いました。置き去りにされても仕方ない人は、その場でリタイヤさせればいいのです。少なくとも私が参加を断られた「編笠岳~赤岳」ツアーでは置き去りにされる人は参加させなかったはずです。しかしながら、本来参加を許されない人に手心を示そうとする態度は、やはりアミューズトラベルの参加基準がいい加減であるということです。飯豊本山のブログ記事でも書きましたが、実際には「置き去りにされても仕方ない人」も参加を許されていることを知り、アミューズトラベルの参加基準がイカサマ、インチキ、いい加減であるという考えは今後変わることはないでしょう。アミューズトラベルの参加基準は、私などが預かり知らないところにあるということを、感じています。

 さて本題に入ります。塩見岳へのアプローチとして、鳥倉林道の終点の登山口から三伏峠小屋へ向かい、そこで1泊し、翌日、三伏峠小屋からピストンで塩見岳に登頂しました。2日目も三伏峠小屋に泊まり、3日目に登山口まで下山しました。
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 9月21日(金)12時00分、鳥倉林道の入り口の到着。準備体操をして登山口へと向かいました。
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 歩き始めてから、約60分、13時00分に登山口に到着。ここから三伏峠を目指します。三伏峠は標高2590 mで日本一高い峠になります。
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 樹林帯の中を歩いていきます。
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 木の枝、棒でつくられた階段がいくつもありました。
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 三伏峠小屋が近くなると、目指す塩見岳を見ることができました。
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 16時過ぎ、歩き始めてから約3時間で三伏峠小屋に着きました。
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 三伏峠小屋は、缶ビール、日本酒のワンカップも売られており、飯豊本山での禁酒生活の憂さを晴らしました。037.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 昭和22年(1947年)の刑法改正まで、「大逆罪」が生きていました。
 天皇、皇后、皇太子などに危害を加え、また加えようとしたものは、すべて死刑に処せられました。

 明治44年(1911年)1月、その大逆陰謀の首謀者として絞首刑になったのが、明治の社会主義者・幸徳秋水です。

 彼は本名伝次郎、明治4年(1871年)9月22日、高知県中村市に生れました。上京して「万朝報」「平民新聞」の記者をしながら、マルクスの『共産党宣言』うぃ記載したり、日露戦争反対の論陣を張ったりしていましたが、渡米後はアナーキズム(無政府主義)に偏向し、言動が過激になってきました。

 彼の天皇暗殺計画なるものも、今でいう“デッチアゲ”で、現在の裁判なら無実だったでしょう。東京監獄跡地にある記念碑、出身地中村市の墓前では、今でもよく追悼の記念集会や、彼を偲ぶ墓前祭が催されています。

 彼についてこんなエピソードがあります。明治43年(1910年)のある日、秋水は自宅で翻訳の仕事をしていました。隣の部屋で近所の子どもたちがコックリさんをして遊んでいました。お盆を回して、その回った回数で結婚が何年先か、などを占う遊びです。秋水は楽しそうな笑い声に顔を出し、「ひとつ社会主義の時代がいつくるか、やってみてくれ」と頼みました。盆はいきおいよく35回もまわりました。秋水は「あと35年先か、おれが75歳のときだ」とニッコリほほえんだといいます。

 それから35年後は、偶然にも昭和20年終戦の年です。社会主義の国にはなりませんでしたが、社会主義運動が弾圧されない時代になりました。コックリさんのお告げも当たらずとも遠からずです。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)


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 翌朝、午前5時40分に三伏峠小屋を出発。まだ薄暗くヘッドランプをつけての出発です。三伏峠があれば、三伏山もあります。標高2615 m。下山時に撮影。
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 三伏山から見た三伏峠小屋。下山時に撮影。
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 本谷山(標高2658 m)の手前、目指す塩見岳の向こうから太陽が登ってきました。058.gif
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 空は雲が高く、秋の空です。
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 本谷山から周辺を見渡すと南アルプス、中央アルプスが見えました。来週行く予定の仙丈ヶ岳と甲斐駒ケ岳。
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 仙丈ヶ岳、甲斐駒ケ岳、北岳、間ノ岳、西農鳥岳、農鳥岳が見えました。
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 中央アルプス。
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 本谷山からアップダウンを経て、塩見小屋に到着。午前8時30分。ツアーに参加する前から塩見小屋の評判はよくありませんでした。塩見小屋にはトイレがなく、簡易トイレを利用する際には管理人のレクチャーを受けなければなりません。小屋の中を見ても、お世辞にもきれいとは言えません。管理人は口うるさく、客を客だと思っていないような言動を浴びせられると言います。アミューズトラベルでも塩見小屋は利用しないということを決定したと聞きました。また三伏峠小屋を出発する際に、塩見小屋の前で「三伏峠小屋の食事はよかった。」とか「三伏峠小屋は快適だった。」のようなことを絶対に言わないようにとの注意を受けました。以前に、アミューズトラベルの参加者が、塩見小屋の前で三伏峠小屋との比較をする発言をして、塩見小屋の管理人とトラブルになったことがあるそうです。
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 黒豆の木。
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 ヨツバシオガマのなれの果て。
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 塩見小屋の前から見た仙丈ヶ岳。
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 ここからいよいよ塩見岳の核心部に入って行きます。手前に天狗岩、向こうに塩見岳の西峰が見えます。
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 天狗岩を巻くように越えて行きます。
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 本峰につづく稜線。いよいよ塩見岳本峰の岩稜帯を登って行きます。私は隊列の後ろのほうにいましたが、前のほうから泉田さんの喝が飛んでいるのが聞こえてきました。もっと怒鳴ってやってください。037.gif
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 午前10時00分、塩見岳の西峰(標高3047 m)に到着。
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 塩見岳の東峰(標高3052 m)は目と鼻の先です。西峰から見た東峰。
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 東峰から見た西峰。
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 東峰で、たまにツアーでお会いするお姉さんと記念撮影。お姉さんも今年、剱岳に登攀されたそうです。
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 西峰で記念撮影。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(中島みゆき/荒野より)

荒野より(作詞:中島みゆき、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

夜が
望みは何かと訊かれたら君がこの星に居てくれることだ
力は何かと訊かれたら君を想えば立ち直れることだ

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

朝陽の昇らぬ日は来ても君の声を疑う日はないだろう
誓いは嵐にちぎれても君の声を忘れる日はないだろう

僕は歌っているだろう君と歌っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は生きているだろう君と生きているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない
荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない


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 冒頭に紹介したように東峰で百名山を達成した方の表彰式がありました。塩見岳東峰から仙丈ヶ岳をつないでいる仙塩尾根を歩いて行くパーティーがいました。
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 西峰から見た東峰、たばこを吸っているのが田中さんです。
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 静岡百名山の蝙蝠岳。
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 下山を開始、ピストンなので元来た道を戻って行きます。泉田さんから岩場の「下山は危険なので、集中してもらいたい。」ということと、「安全な場所に出るまでは写真は撮らないようにしてください。」との注意がありました。下山時に撮った天狗岩。
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 下山時も泉田さんの喝が飛んでいました。「オッラッー!! 反動をつけちゃいけないんだよ!そんなことをしたら、あんた死ぬよ!あんた、名前は!」と年配者に厳しい言葉が飛んでいました。037.gif
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 天狗岩の前まで戻ってくると、泉田さんの喝も飛ばなくなっていました。
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 写真は北俣尾根で、現在は廃道になっているそうです。田中さんが教えてくれました。
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 塩見小屋方面に続く稜線。私の前を歩いているお父さんは2月の倉持さん添乗のバリ島に夫婦で参加されるそうです。私にも一緒に行かないかと誘っていただきました。5泊6日で料金は15万円くらいだそうです。幌尻岳に行くぐらいの料金で、おいしい料理に、カヌーによる川下りなど、面白そうだから行ってみることにしたそうです。私も行ってみたいですが、2月に6日間の休暇をとるのはかなり厳しいので、お休みが取れないと思うと答えておきました。時間がたくさんある浦安湯屋の方々、参加されたらいかがでしょうか。038.gif
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 コケモモの実。甘酸っぱいといよりも酸っぱいです。しかし、山になっている実の中ではおいしいほうだと思います。
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 塩見小屋前から見た天狗岩と塩見岳西峰。逆光の朝よりきれいに撮れました。
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 西峰の上に人がいるのが見えました。
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 下山時、本谷山から見た塩見岳。本谷山で泉田さんから「少し痩せたか!」と尋ねられ、笠ヶ岳のときより更に3 kg減ったと答えました。「調子、いいだろう。」と声をかけていただきました。
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 三伏峠小屋までも戻ってくると、小屋の裏にテントがたくさん張られていました。小屋の前で田中さん、バリ島に行くお父さんと缶ビールとワンカップで乾杯しました。
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 翌朝は冷たい雨が降っていました。全員無事に鳥倉登山口まで戻ってきました。
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 温泉宿で入浴を済ませて、昼飯をいただきました。清水さんが私に「これだけじゃ、足りないんじゃないの?」と聞くと、泉田さんが「だめだ!あと2 kg痩せなきゃだめだ!」と私の代わりに答えていました。笠ヶ岳のときは10 kgの減量を要求されていたので、約1ヵ月で2 kg減量に昇進することができました。泉田さんはバスの中のあいさつで、ただゆっくり歩けるだけではだめで、緊急時には早く歩けるように体力をつけておかなければならないということと、年齢を重ねると眠れなくなって山で思わぬ症状が出ることがあるとおっしゃっており、田中さんは「ひげのおじさんはいいこと言う。」と感心していました。038.gif037.gif
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 9月28日(金)~29日(土)は山旅クラブで南アルプスの甲斐駒ケ岳に行ってきました。その模様はまた後日報告します。来週の10月3連休は、アミューズ特配で東北3座、八幡平、岩手山、早池峰山に行ってきます。この東北3座で百名山折り返しの50座に到達予定です。



新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
次回は甲斐駒ケ岳の報告をします。060.gif

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by ryott-ryott | 2012-09-30 20:31 | 塩見岳 | Comments(0)

3000 m縦走、天空の稜線を行く、氷河公園~槍ヶ岳ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 先週の週末はアミューズで塩見岳に行ってきました。その模様は後日報告します。
 そして9月15日(土)~17日(月・祝)の3連休は山旅クラブで氷河公園から槍ケ岳までの縦走へ出かけてきました。雲ひとつない青空のもと、3000 mを越える中岳、大喰岳(おおばみだけ)を縦走して、最後に槍ヶ岳へと向かいました。結果から話しますと、こんなに天気がいいにもかかわらず、槍ヶ岳の穂先には登ることができませんでした。槍ケ岳山荘始まって以来の大混雑で、槍ケ岳山荘のすぐ手前まで穂先に登る待ち行列ができており、登った人に聞いてみると並び始めてから戻ってくるまで3時間から4時間もかかったとのことです。
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 絶好の晴天にもかかわらず、予定の日に穂先に登ることはあきらめて、翌朝登ることにしました。キッチン槍の前でカレーライスを食べていたときに、隣に座ったおじさん二人組は午前7時30分に並び始めて、12時過ぎにようやく降りてきたとおっしゃっていました。何と4時間半もかかっています。私たちが槍沢ロッジを6時ちょうどに出発して、氷河公園、中岳、大喰岳を経由して13時ちょうどに槍ケ岳山荘の到着するまで、7時間かかりましたので、その時間の3分の2も費やさないとたかだか標高差100 mの穂先に立てないほどの大混雑でした。そのおじさん二人組は本来ならば槍の穂先に立った後、私たちが歩いてきた道を辿って南岳へ行く予定だったそうですが、予定の変更を余儀なくされ、槍沢のほうへ降りて行きました。
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 では翌朝は果たして登れたかというと、登ることはできませんでした。前日、雲ひとつない青空でしたが、翌朝は強風と霧で何一つ見えませんでした。この天候で槍の穂先の登ることは危険であるとトミーさんが判断し、今回穂先に立つことを断念しました。したがって、今回、日本百名山46座目の登頂は果たせませんでした。来年、裏銀座コースの黒部五郎、鷲羽岳、水晶岳を経由して、槍ヶ岳に挑戦することにします。
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 私たちと同じように翌朝に穂先に登ることを考えていた方も多くいたようです。しかしながら天候の悪さにクラブツーリズムの団体さんも穂先に立つことをあきらめて、午前4時30分に下山して行きました。この大混雑の原因は何だったのでしょうか。テレビドラマの「サマーレスキュー」の影響だったようです。私は「サマーレスキュー」は見ていませんでしたが、ヒットドラマがあると舞台となっている場所に押し掛けるのは日本人の悪い癖なのでしょう。実際に槍ヶ岳に来てもお目当ての向井理なんてどこにもいません。トミーさんもそんな浅はかな山女子連中を見て、「なんだ!あのシマシマのタイツは!」とおっしゃっていました(笑)。038.gif037.gif
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 今回の山旅クラブは上高地から入り、槍沢ロッジを経由して、氷河公園、中岳、大喰岳を縦走して槍ヶ岳へと向かいました。初日はあずさ1号に乗って終点の松本まで行き、そこからトミーさんの高級リムジンカーに乗せていただき、沢渡の市営駐車場へと向かいます。市営駐車場でもうおひとりの参加者、青柳さんと合流し、バスに乗りこみ、上高地へと向かいました。3連休のためか、特急あずさ1号も市営駐車場もバスも混雑していました。
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 上高地も大混雑。河童橋の上は人でごった返していました。梓川を渡渉している人がいました。
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 川面のバイカモが美しく映えています。ところどころ、岩魚が泳いでいるのが見えました。岩魚の骨酒を飲みたくなりました。068.gif
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 明神池前から見た前穂高。
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 梓川に沿って、今日の目的地の槍沢ロッジに向かいます。一番奥に見えるのは大天井岳です。
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 前穂高、北穂高の峰々。
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 徳沢のキャンプ場。
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 水のない梓川の河原を猿が闊歩していました。
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 横尾山荘。
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 16時40分。歩き始めてから約4時間30分で槍沢ロッジに着きました。
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 定員160名に対して、260名が押し掛け、槍沢ロッジは大混雑でした。廊下にも布団が敷かれ、私たち4人は廊下で寝ることになりました。
 この槍沢ロッジにはお風呂があります。私も行水をしましたが、翌朝、水場が混んでいたので、お風呂の脱衣所にある水道で顔を洗おうと思い、脱衣所に入って行くとそこにも寝ている人がいました。
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 槍沢ロッジでの夕飯も5回戦、19時過ぎでした。
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 翌朝、朝食を済ませて、午前6時に槍沢ロッジを出発。
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 ババ平のキャンプ場にはたくさんのテントが張られていました。
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 槍沢の大雪渓のわきを通って行きました。
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 トリカブト。
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 これから歩く稜線が見えています。
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 槍ヶ岳をバックに記念撮影(トミーさんのブログからもらいました)。
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 槍沢から見た槍ケ岳。
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 私たちは槍沢を巻いて、氷河公園の天狗池へと向かいました。上から眺めた天狗池です。それほど大きな池ではありません。近所の戸越公園の池のほうが大きいです。038.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 江戸時代前期、朱子学、神道の儒者として名高い山崎闇斎(あんさい)は、天和2年(1682年)9月16日、64歳でこの世を去りました。

 彼は日常、朱の手拭を腰につけ、朱色の羽織、朱色の表紙の書物など、朱色一式に凝った朱子学の信奉者で、名前も朱子の号「晦庵(かいあん)」の晦(くらい)をとって闇斎と名づけた異色の学者です。

 のちに吉川惟足(きっかわただたる)に神道を学び、号を「垂加(しでます)」とつけ、垂加神道を興しました。

 寛文4年、時の幕閣の中枢にいた会津藩主保科正之に賓師の礼をもって招かれたのが縁で、会津藩のみならず、徳川幕府官学の師として活躍しました。

 歴史というのは面白いもので、じつは会津松平家の祖になった保科正之は、二代将軍秀忠の生涯ただ一度の浮気で生れた妾腹の子で、恐妻家のためひそかに、信州高遠の保科家に預けられた御落胤(ごらくいん)です。

 三代将軍家光の代になって異母弟と認知され、家光にも信愛されて会津藩主に抜擢されました。

 この正之が、闇斎と相談してつくったのが、あの落城の悲劇の原因になった『御家訓十五条』です。
 
 大君ノ義一心ニ大切ニ 忠勤ヲ存スベシ、
 列国ノ例ヲ以テ自ラ処スベカラズ、
 若シ二心ヲ懐カバ、
 則チ我ガ子孫ニアラズ
 面々決シテ従ウベカラズ

 「大君」とは将軍のことです。九代藩主松平容保が、京都守護職就任を固辞しづけ、最後に承諾させられたのは、この家訓第一号のためでした。

 もしもこのとき、保科正之が山崎闇斎ではなく、朱子学反対の儒者、会津出身の山鹿素行を迎えていたら、あの悲劇は避けられたかもしれません。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)


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 天狗池に映る逆さ槍。038.gif
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 これからこの氷河公園を上の稜線まで登って行きます。
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 雪渓を横切ります。
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 途中、木イチゴを食べながら、上にあがって行きました。氷河公園を上がり切ると、目の前には屏風岩と前穂高から北穂高の峰々、表銀座コースから常念岳、遠くは富士山から南アルプスまで見ることができました。
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 屏風岩。
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 富士山から南アルプス。
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 常念岳、三角形でとても形のいい山です。
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 槍ヶ岳をバックにポーズをとるトミーさん、三遊亭小遊三師匠ではありません。037.gif
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 さらに3000 mの稜線に出るため、岩場を登って行きます。
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 ついに3000 mの天空の稜線に。午前10時40分。
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 目の前には8月に行った笠ヶ岳が横たわっています。
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 これからこの稜線を歩いて、槍ヶ岳へと向かいます。
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 11時50分、まず中岳に到着。標高3084 m。
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 ここから一気に下ります。鉄の梯子を下って、大喰岳への稜線へ向かいました。
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 下から見上げた岩だらけの中岳。こんな顔したオバサンいますね。037.gif
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 梯子に人がいるのがわかります。
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 大喰岳に到着。12時40分。標高3101 m。
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 もう目の前には最後の目標、槍ヶ岳が見えています。しかも槍ヶ岳にはアリの行列が貼り付いているのが見えました。この大喰岳ですれ違った方は穂先に登るのに約3時間かかったとおっしゃっていました。
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 大喰岳から見た槍ケ岳山荘。山荘の前まで行列が並んでいるのがわかります。
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 穂先には10人ほど人が立っているのがわかります。槍の穂先は狭くて、10人も立つと満員状態だそうです。
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 13時過ぎに槍ケ岳山荘に到着しました。槍沢ロッジを出発して約7時間経過していました。今から並び始めると降りてくるまでに17時を越えてしまうし、鎖場、梯子の場所で長時間待っているのは安全面からも良くないとの判断から翌朝、穂先に登ることにしました。
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 キッチン槍のカレーライス。隣の人が食べているのを見て、りょうちゃんも注文してしまいました。りょうちゃんがカレーライスを食べているのを見て、りょうちゃんの周りで小遊三師匠に似ていると評判になっているトミーさんも何だかんだと言いながらもカレーライスを注文していました。
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 参考までに下山時に横尾山荘で食べたカレーライス。トミーさんがおっしゃる通り、キッチン槍のカレーのほうがおいしかったと思いますが、山登りしているためか横尾山荘のカレーライスも十分、おいしかったです。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(中島みゆき/荒野より)

荒野より(作詞:中島みゆき、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

夜が
望みは何かと訊かれたら君がこの星に居てくれることだ
力は何かと訊かれたら君を想えば立ち直れることだ

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

朝陽の昇らぬ日は来ても君の声を疑う日はないだろう
誓いは嵐にちぎれても君の声を忘れる日はないだろう

僕は歌っているだろう君と歌っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は生きているだろう君と生きているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない
荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない


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 翌朝、午前3時30分に目が覚めて、外に出てみると、空は満天の星空でした。槍ヶ岳の穂先にはヘッドランプの明かりが見えました。これならば穂先に登れると期待して、寝床に戻り、1時間もしない午前4時30分に再び外に出てみると、天気は一変していました。霧と小雨で何一つ見えず、強風が吹き付けていました。しばらく様子を見ることにしましたが、一向に天気が快方へ向かう気配がありません。時間切れで、今回は穂先に登らずに下山することになりました。冒頭にも書いた通り、多くの方が大混雑と天候に翻弄されて、穂先に登らずに下山することを余儀なくされました。
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 槍ヶ岳山荘で朝食を済ませ、キッチン槍でパンを買って、槍沢へと下山を開始しました。下山前に槍ケ岳山荘の玄関前で記念撮影。来年、また来ます。038.gif
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 槍ヶ岳を開山したと言われる播隆上人が53日間こもった播隆窟。
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 続々と下山してきます。
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 シロツメクサ。
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 シシウド。
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 ハクサンフウロ。
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 アザミ。
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 ゴゼンタチバナの実。
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 シラタマの木。実はハッカのにおいがします。
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 徳沢のソフトクリームをトミーさんの奥様、青柳さんと一緒に食べました。
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 前穂をバックに記念撮影。
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 帰りはせせらぎの湯で入浴し、松本駅まで高級リムジンカーで送っていただきました。次回の山旅クラブは9月28日(金)から2泊3日で甲斐駒ケ岳と仙丈ヶ岳へ出かけてきます。台風18号の動きが気になります。
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
次回は塩見岳の報告をします。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2012-09-25 23:26 | 氷河公園~中岳~大喰岳~槍ヶ岳 | Comments(0)

夏の青風吹く緑の稜線・飯豊連峰を行くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 剱岳登頂以来、ブログをなかなか更新できていませんので、近況と今後の予定を書いておきます。先週の9月15日(土)~17日(祝月)の3連休は山旅クラブのトミーさんと氷河公園から槍ヶ岳への縦走へ行ってきました。その模様はまた次回報告します。いい歳、りょうちゃんの今後の予定は以下の通りです。

9月21日(金)~23日(日) 塩見岳(アミューズトラベル)
9月28日(金)~30日(日) 甲斐駒ケ岳・仙丈岳(山旅クラブ)
10月 6日(土)~ 8日(月) 八幡平・岩手山・早池峰山(アミューズ特配)
10月13日(土)~14日(日) 皇海山を申し込みましたが申込少数で催行中止。
10月15日(月)      歩みの会・甲子山(休暇が取得できれば)
10月17日(水)      歩みの会・総会(休暇が取得できれば)
10月19日(金)~21日(日) 鳳凰三山(アミューズトラベル)
10月27日(土)~28日(日) 伊吹山・恵那山(アミューズトラベル)
11月 3日(土)      同窓会
11月10日(土)      赤城山・黒檜山(アミューズトラベル)
11月17日(土)      同窓会

 トントンさん、はるさん、岩崎先生、剱岳登攀が終わったら、レンガマックスを一緒に食べに行く約束は決して忘れていません。というよりは私に構わず行って来てください。一段落したら必ず私のほうから声をかけますので、一緒に行くのはしばらくお待ち願います。040.gif

 倉持さんから皇海山の林道が開通したとの連絡をいただいたので、10月13日の皇海山を申し込みましたが、申込少数で催行中止になってしまいました。同じ日に巻機山がありますが、こちらも同じ理由で今のところ催行されない可能性が大きいようです。また硫黄岳・横岳・赤岳がありますが、赤岳に関しては今年屈辱的に参加を断られた編笠岳~赤岳を来年、再度申し込もうと考えていますので、巻機山が催行されなければ久しぶりにどこへも行かない土日になります。歩みの会についてはいずれも平日であるため休暇が取れることが参加の条件です。
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 さて剱岳登攀の翌週、9月8日(土)~11日(火)までの4日間、平日は休暇を取って、アミューズで飯豊本山へ行ってきました。通常は2泊3日で行くコースを1日延長した3泊4日の「ゆったり」ツアーで、体力のない年寄り向けのツアーでした。しかし年寄り向けのツアーとはいえ、明らかに置いていかれても仕方がないという方が私の見る限り3人はいました。そのうちの1人は、私が今年の7月に屈辱的に参加を断られた「編笠岳~赤岳」に参加していたというのです。白馬岳で滑落事故が起こったのはアミューズトラベルの参加基準がいい加減であるためだという考えは今も変わりません。
 何度でも書きますが、アミューズトラベルから告げられた、私が「編笠岳~赤岳」参加を断られた理由は、体力と技術がともに劣っているために私一人だけがこのツアーで置き去りにされるというものでした。ガイドの白砂さんに途中で引き返すことになっても構わないから、挑戦させてほしいということをお願いしましたが、決して聞き入れられることはありませんでした。
 しかしながら、今回の飯豊本山のツアーで明らかに自分よりも体力が劣っている人が「編笠岳~赤岳」の参加を許されていたことを知り、さらに憤りを感じました。アミューズトラベルの参加基準は「いい加減」だけではなく、「インチキ」、「イカサマ」と言わざるを得ません。アミューズトラベルへの批判を書くと浦安湯屋のメンバーから激しく叱責を受けますが、アミューズトラベルが「インチキ」、「イカサマ」、「いい加減」なことを続けている以上は、筆誅を加えることを止めるつもりはありません。

 そしてもうひとつ、驚いたのは、頭のおかしい年寄りが参加していたことです。先ほど、このツアーで置き去りにされても仕方のない人が3人いたと書きました。体力のない人や、下りや登りのいずれかが苦手であるという人は苦手だというところで前を歩いてもらって、みんなでサポートしながら山歩きをすることは、全員の登攀を成功させるためには重要であると考えます。その3人のうちの1人は、下りが苦手であるということで、下山は常にガイドさんのすぐ後ろを歩いていました。このこと自体は問題ないのですが、最後の懺悔坂の鎖場をひとりずつ降りて行ったときに、その先頭を下山していたババァが後から降りてくる人に対して「こっちに来るな!」と怒鳴っているではありませんか。そのババァは自分が今待っている場所に「腰掛ける場所がない」ので、その場所まで降りてくるなと主張していました。しかし、その場所には立ち待ちするスタンスはたくさんありましたし、腰掛けることができる場所もありました。そのババァは置き去りにされるような速度で隊列全体を律速して全員に迷惑をかけているにもかかわらず、後続を歩いてくる人に「来るな!」とわめいているは、愚かで非礼としか言いようがありません。アミューズトラベルは、こういう愚かな年寄りの参加こそ許してはいけないと思います。

 私から見て明らかに体力が劣っている人が「編笠岳~赤岳」ツアーへの参加を許されたり、置き去りにされても仕方のない頭のおかしい年寄りが参加を断られないのは、その連中がアミューズトラベルへの売り上げへの貢献度が大きいためと私は推察します。私のように週末しかツアーに参加できない者よりも、暇を持て余して年がら年中遊んでいる年寄りを顧客として大切にするのは企業の経営戦略として正しいことは理解できます。体力・技術が劣るから参加を断るというのは建前ではないかと、最近感じています。
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 飯豊本山の本題に入ります。飯豊連峰は新潟県、山形県、福島県の3県にまたがり、南北20 kmに及ぶ巨大な山塊です。今回も4日間とも晴天に恵まれたというよりは、むしろカンカンの日照りの中の登山でした。058.gif
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 米沢平野の向こうに見えるのは蔵王連峰。
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 途中、道の駅に立ち寄りました。写真は小茄子です。
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 山形の名産の「トビ茸」。
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 初日は白川荘に泊まりました。夕飯に岩魚の焼き魚が出てきました。
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 翌朝は午前7時に白川荘を出発しました。今回の山登りのネックとなったのは山小屋に水がないということです。関東の利根川水系が水不足であることは連日報道されていますが、この日照りが飯豊山でも深刻さを増していました。山小屋の周りにいくつか水場があるそうですが、水が流れているのはわずかに1ヵ所のみで、少なくとも今日泊まる切合小屋までの水は持って行かなければなりませんでした。
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 山登りはいきなり急登から始まります。この登りを懺悔坂といいます。
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 懺悔坂の急登を登ると、単調な登りが続きます。
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 地蔵岳、標高1539 m。
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 会津磐梯山が見えました。
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 アカモノ。
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 センジュガンピ。
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 ヒメシャジン。
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 登山を開始して6時間、地蔵岳を越えてまだ切合小屋(きりあわせごや)までの道のりは続きます。13時30分。
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 マツムシソウが咲いていました。飯豊連峰に秋が近付いていますが、まだまだ暑いです。
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 ウメバチソウ。
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 ようやく切合小屋が見えてきました。その手前の沢で空になったペットボトルに水を汲みました。私は白川荘から2.5 Lの水(ペットボトル5本)をすべて飲みきってしまい、この沢で救われました。登山道中はとにかく暑くて、さきほど話した置き去りにされても仕方のない3人のうちの一人は熱中症でリタイアしたのではないかと思いました。
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 切合小屋に着いたのは17時近くでした。汗でびっしょりになった服を着替えて、外で夕飯。夕飯はカレーライスでした。切合小屋は避難小屋なので本来食事は出ませんが、山小屋の持ち主が炊事をしてくれました。朝食は卵かけご飯でした。038.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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安永4年(1775年)9月8日、俳人として有名な加賀の千代が亡くなりました。72歳です。加賀藩の史料によると、千代は元禄16年(1703年)、加賀国松任(まつとう)(現・石川県松任市)の表具師福増屋六兵衛の娘として生まれ、小さい頃から俳句に興味を持って、句作に励んでいたといいます。
 18歳のとき、加賀藩足軽福田満八に嫁ぎ、一子をもうけますが、結婚7年目で夫が病死し、翌年子どもも失って、松任の実家にもどってきました。
 以後、俳諧一筋に生き、宝暦4年、52歳のとき出家して俳号を素園と改めました。

  朝顔につるべとられて貰い水 千代女

 加賀の千代というと、まっ先に思いだされるおなじみの句です。
 私たち日本人にとっては、朝顔という花が、つかの間の生命(いのち)であることを知っているだけに、その可憐な花をいとおしむ、千代の心に共感を覚えるせいでしょうか。
 江戸の川柳子は早速これを材料にしています。

  来年はつるべをよけてたねを植え

 千代の句で、同じように有名なのがあります。

  しぶかろか知らねど柿の初契ちぎり
  起きて見つ寝て見つ蚊帳の広さかな

 最初のは、千代が結婚初夜に詠んだもの、あとの句は夫と死別したときに詠んだものとされます。
 しかし、この二つの句は、いずれも千代の句ではないと主張する説が最近でてきました。やはり江戸の川柳子たちの作なんでしょうか。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)


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 ツアー3日目、いよいよ切合小屋を午前6時40分に出発し、飯豊本山の頂上へ向かいます。小屋の前から真っ赤なご来光を見ることができました。058.gif
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 飯豊本山から大日岳にかけての稜線。飯豊連峰の最高峰は飯豊本山ではなく、大日岳のほうです。
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 この緑の登山道を進み、頂上へと向かいます。
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 姥権現。かつて飯豊本山は女人禁制の山でした。飯豊へ出かけて帰ってこない子どもを探しに来た母親が、山の神さまの怒りにふれて、石にされたという伝説が残っています。
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 御秘所という岩場を越えて、本山へ向かいます。かつてはこの御秘所を越えて、はじめて一人前の男とみなされたそうです。
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 登りはまだまだ続きます。
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 途中、ガンコウランを口いっぱいに頬張って、口の中が紫色になってしまいました。
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 草履塚を越えて、最後の登りを上がって行くと本山小屋に着きます。ここも避難小屋で無人です。
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 あとは頂上まで稜線を歩いて行くだけです。
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 午前10時前、ついに飯豊本山の頂上に到着しました。いい歳、りょうちゃん、日本百名山45座目です。
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 ガイドさん3人と頂上で記念撮影。038.gif
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 本山小屋方面の稜線。
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 頂上からの風景を十分に楽しんだ後、再び稜線を歩いて本山小屋まで戻ってきました。振り返ると頂上に誰かが立っていました。
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 本山小屋の中。
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 再び御秘所を通ります。
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 12時30分に草履塚まで戻ってきました。抜けるような青空で、あまりにもいい天気であり、ビールも何も置いていない避難小屋に早く戻っても何もすることがないので、草履塚からの景色をしばらく楽しむため、千田ガイドが「13時30分まで大休憩を取りましょう。」と言うと、ババァ連中が「休憩が長すぎる!」と文句を連発し、大反発していました。
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 折角、千田さんが景色を楽しむ時間を取ってくれたのに、ババァどもは景色などどうでもいいのです。ババァ連中は、散々、グズグズ歩いておきながら、「早く小屋に戻りたい!」と身分不相応なことを平気で言い放っていました。
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 小屋に戻るグループと、景色を楽しむグループの2班に分かれることになりました。景色を楽しむグループとして、その場に残ったのは、いい歳、りょうちゃんと、もう一人の男性客の斎藤さん、千田ガイドとサブガイドの宮川さんの4名だけで、人生を無駄に生きているだけのババァ連中はグズグズ歩きながら小屋に戻って行きました。
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 草履塚から、今通ってきたばかりの御秘所から本山小屋まで続く斜面、本山小屋から飯豊本山の頂上、大日岳へと続く稜線の風景は、北海道で見た幌尻岳の風景によく似ていました。青い空と緑の稜線、点在する白い雪渓、夏の終わりを告げる青風、この心惹かれる風景を見れば、かつてこの山には人々に恵みをもたらす神が住み、五穀豊穣を祈る山であったことがわかります。
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 十分に景色を楽しんだ後、登山道に咲く花を楽しみながら小屋に戻って行きました。途中にリンドウがたくさん咲いている場所があり、「飯豊の宝石」とよばれるイイデリンドウが咲いていないか探しました。イイデリンドウはミヤマリンドウの変種で花びらの間にガクがなく、独立した5枚の花びらを持つことが特徴です。そこに咲いていたリンドウにはすべてガクがありましたが、千田さんが「縦に立っているガクが開いており、これはイイデリンドウではないか。」とおっしゃるので、斎藤さんと私はイイデリンドウだと信じて大喜びで写真を撮りました。056.gif
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 そのほかにもシロバナニガナ、シオガマ、ホツツジ、カラマツソウなどたくさんの花を見ることができました。
 シロバナニガナ
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 シオガマ
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 ホツツジ
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 カラマツソウ
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 ツバメオモトの実
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 小屋に戻ってから、イイデリンドウの写真を撮ったことを倉持さんに言って、その写真を見せると、「これはガクがあるから違う!」ともう一人のババァと一緒に頭ごなしに否定されました。斎藤さんは、「千田さんがイイデリンドウだと言うのだから、登山道で見たリンドウはイイデリンドウだと思えばいい。」とおっしゃっていました。結局はイイデリンドウではなかったのですが、リンドウの群落がつくる青い渚の風景を見ることができ、大きな収穫でした。
 それにしても、さっさと小屋に帰ってしまったババァ連中は、その美しい光景を見ることができなかったため、私たちが見てきたものをすべて否定しようとする性質(たち)の悪い連中です。
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 今日の夕飯も昨日と同じカレーライスでした。しかし何もない避難小屋まで登ってきて、つくってくれたカレーライスは格別でした。ババァに食べさせるのはモッタイナイです。そしてカレーライスをつくってくれた山小屋のおじさんは飯豊に関することをたくさん話してくれました。先ほど紹介した姥権現の伝説もそうですし、この切合(きりあわせ)小屋の名前の由来も教えてくれました。この飯豊山は水が豊富であるため、その水をめぐって会津(福島)、越後(新潟)、米沢(山形)の3藩(県)が争っており、切り合い(刀で殺し合った)したことから付いた地名だということです。ところどころにあるケルンは争いで命を落とした人たちを供養するためのものだそうです。
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 夕飯後、小屋の裏へ行き、夕景を見ました。テントを張っている3人の学生さんがいて、大日岳の向こうに沈んでいく太陽を眺めていました。私もババァ連中の集団ではなく、この若い3人と並んで夕日が見たかったです。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



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 4日目、最終日。今日は長い長い登山道を戻り、下山します。朝、ご来光と滝雲を見ることができました。滝雲はとても珍しい現象なんだそうです。038.gif
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 朝5時30分に切合小屋を出発し、2日目に登ってきた道を下って行きます。4日目も強い日差しが照りつける暑い朝でした。
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 空は秋の空です。
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 飯豊連峰もこれで見おさめです。
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 懺悔坂の鎖場まで戻ってきました。ここで愚かで非礼なババァが怒鳴っていました。
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 下山も8時間近くもかかって、登山口まで降りてきました。白川荘で入浴し、昼食に焼肉定食をいただきました。初日に立ち寄った道の駅でお土産を買って、新宿まで戻ってきました。
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 21日(金)から2泊3日で塩見岳に行ってきます。ガイドは泉田さんだそうです。ババァどもをコテンパンに怒鳴りつけてほしいものです。私も怒鳴られると思いますが。037.gif


 
次回は槍ケ岳の報告をします。060.gif

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by ryott-ryott | 2012-09-20 21:36 | 飯豊連峰 | Comments(2)

難所を乗り越えて、雄峰・剱岳を行くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 8月30日(木)~9月2日(日)に日本百名山の屈指の難峰・剱岳から立山連峰を縦走して来ました。いい歳、りょうちゃんの今年の最大の目標であった剱岳登頂を通過点とすることができたのは、ガイドを引き受けてくれたトミー富澤さんのサポートのおかげであり、トミーさんを紹介してくれた歩みの会の西村さんのおかげです。今年の1月に小豆島で歩みの会の皆さんとの出会いがなければ、今回の剱岳の登攀はできていなかったでしょう。歩みの会の皆さんと、トミーさんに心から感謝申し上げます。040.gif
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 今回は室堂から剱沢小屋へ行き、剱岳の登攀と、別山尾根から立山連峰を縦走する予定です。私は29日(水)に長野で前泊して、翌日の8月30日(木)に川中島特急バスで扇沢まで行きました。

 長野新幹線。
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 長野駅東口から特急バスに乗ります。
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 約1時間45分バスに乗り、扇沢へ。ここでトミーさんと合流しました。
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 立山黒部アルペンルートで室堂へと向かいます。以前に行った時は土日であったので大混雑していたのを覚えています。今日はウィークデーの木曜日であったため、とても空いていました。写真は黒部ダムの観光放水で、1秒間あたり10~15 tonの水が放流されます。
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 黒部平。正面に見えるのは針の木岳。
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 鹿島槍ヶ岳。
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 12時40分に室堂に着きました。当初の予定では初日に室堂から剱沢小屋まで向かう予定でしたが、天候が不安定であるため、ミクリガ池山荘に泊まることになりました。
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 ここミクリガ池山荘には温泉があり、温泉につかって、カフェでビールを飲みました。これから厳しい山登りをするのに、こんなにくつろいでいいのでしょうか。068.gif
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 天気予報通り、夕方から雨足が強くなり、雷鳴が轟いていました。
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 ミクリガ池山荘の夕飯。刺身に生ハムにエビチリがあり、山荘でこんな贅沢な夕飯ははじめてでした。料金は1泊2食付きで9000円ですから、他の山荘の料金とほとんど同じです。トイレもたくさんあり、しかもウォシュレットを完備しており、今まで泊った山荘の中で一番であることは間違いありません。トミーさんは、ここは山荘ではなくホテルと同じだとおっしゃっていました。038.gif
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 贅沢な山荘でゆっくりし、翌日は雷鳥沢キャンプ場を通り、別山乗越から剱沢小屋へと移動します。朝食を午前6時に食べて、午前7時30分に山荘を出発しました。2日目ものんびりした1日でした。
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 雷鳥沢キャンプ場。
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 別山乗越へは大日岳への稜線から向かいました。雷鳥沢から別山乗越の間にはチングルマの大群落がありました。056.gif
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 チングルマの花。
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 イワイチョウ。
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 剱御前小屋までやってきました。剱沢小屋はもう少しです。アミューズチームの1泊目はこの剱御前小屋だったそうです。
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 剱御前から剱沢までは40分ほどでした。その間にウサギギクがたくさん咲いていました。中には色あせて黄色が抜けてしまっているウサギギクもあり、大井町湯屋には色あせたウサギギクのようなバアさんがたくさんいます。037.gif
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 剱沢小屋前で記念撮影。
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 雲が多いものの、目の前には明日挑戦する剱岳がそびえています。
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 一服剱に人がいるのが見えました。
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 剱沢小屋でお昼にカレーライスを食べました。1杯1000円です。トミーさんはラーメンを食べました。
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 そして近く岩場へ行き、ロープワークの練習をしました。実際にはカニの縦ばいと平蔵のコルで安全環にロープをつないで、実践しました。
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 あとは夕飯まで小屋の前で缶ビールと日本酒を飲んで過ごしました。昨日のミクリガ池山荘から飲んですっかりくつろいでしまっています。こんなことで本当に登れるのでしょうか。近くの雪渓で練習している人がいました。
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 剱沢小屋の夕飯はコーンポタージュスープと豚肉をソテーしたものでした。とてもおいしく、ミクリガ池山荘の夕飯に決して負けていませんでした。いよいよ明日は剱岳登頂です。
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   待てど暮らせど来ぬ人を
   宵待草のやるせなさ
   こよひは月も出ぬさうな
          (竹久夢二『宵待草』)

 「竹久夢二は、1884年(明治17年)、岡山県に生まれ、四十九年の生涯を、夢と憧れを失うことなく生きた不世出の詩画人であった。
 女の哀しさと美しさ、ひっそりと息づく、つつましやかな情熱―――――いつの世にもかわらない女の命を、繊細で可憐な絵に託して描いた世界は、夢二の独壇場といえよう。
 そこに張るみずみずしい感受性と清冽なロマンは、青春のはかなさ、やるせなさを表現しつくしてあますところがない。」
 生誕百年を記念して出された復刻『夢二慕情』(ノーベル書房)のPR文句の一節です。

 たしかに“夢二型美人”は大正期一世を風靡しました。目が大きくてほっそりした柳腰の美人、いつも愁いをふくみ、そして清純さと退廃的エロチシズムをただよわせる“夢二好みの美人”は、現代でもその魅力は失われてはおりません。

 夢二の復刻版が出され、各地で夢二展が開かれるなど、今なお人気は続いています。
 モデルも女性たちは、ほとんど彼の女性遍歴によって親しくなった女性たちでした。

 昭和9年(1934年)9月1日、信州富士見公園療養所で、肺結核のため、49歳で亡くなりました。東京雑司ヶ谷霊園にある墓には、有島生馬筆の「竹久夢二を埋む」の碑文が刻まれています。

 夢二は、詩と絵のほかに、短歌、散文、童話、小説なども、いい作品を残しています。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 登頂前日、控えめながらも、缶ビールと日本酒をいつも以上に飲んでしまっていたため、早く寝ることができました。もちろん、その分は早く目が覚めてしまい、時計を見ると午前3時前でした。小屋の外に出てみると満月が煌煌と輝いていました。今月8月はめずらしく月2回満月がめぐってくる大変に縁起のいい月です。この月をブルームーンといい、願いごとが叶うといわれています。果たして、いい歳、りょうちゃんの剱登頂の願いは叶うのでしょうか。072.gif

 今日は午前5時に剱沢小屋で朝ご飯を食べてから、出発します。トミーさんと食堂の前で朝食ができるのを待っていると、倉持さん率いるアミューズチームの精鋭の皆さんが剱沢小屋にやってきました。皆さんは午前4時にお弁当を持って、剱御前小屋を出発したそうです。私も朝食を済ませて、外へ出ると、とっくに出発していると思ったアミューズチームはまだ小屋の前にいました。アミューズチームの記念撮影に一緒に入れてもらい、いい歳、りょうちゃんはアミューズチームよりも少し早い午前5時20分に剱沢小屋を出発しました。
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 トミーさんの天気の読みがズバリ的中し、朝日に照らされての出発になりました。058.gif
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 剱岳は、一服剱、前剱(ぜんけん)、平蔵のコルと頭、カニの縦ばいを通過して頂上へと進んでいきます。まずは一服剱へと歩を進めます。朝の柔らかな日差しの中、最初の鎖場に到着。
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 前剱から見た一服剱、標高2618 mです。
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 一服剱では登山道の両側にたくさん花が咲く中を歩いていきます。紫色の花はトリカブトです。
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 次の前剱への登りでは風景は一変します。岩の鎧をまとった岩峰になります。浮き石も多く、カニの縦ばいや横ばいよりも、この前剱での事故が最も多く、事故の8割は前剱で起こっているそうです。
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 前剱の大岩の間を抜けていきます。
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 午前7時05分に前剱頂上に到着。標高2813 mです。
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 振り返ると最終日に登る予定の立山連峰が剱御前越しに見えました。
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 一服剱から前剱の頂上までは剱岳本峰は見えませんが、前剱の頂上まで来ると剱岳本峰が眼前に迫ってきます。
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 前剱を越えたところからが剱岳の核心部へと入って行きます。まずは平蔵のコルと頭です。長さ5 mくらいのステンレス製の板がすっぱり切れ落ちているところ渡されていました。下を見ると奈落の底です。落ちたら死んでしまうでしょう。トミーさんから怖かったら、しゃがんで這って渡るようにとの指示がありました。いい歳、りょうちゃんはしゃがまずに行きました。しゃがむとバランスを崩して落ちるのではないかと思ったからです。いままで自分は高所恐怖症ではないと思っていましたが、下を見ると結構、怖くて、ヒヤヒヤしながら平蔵のコルに抱きつくようにたかだか数mの板を渡りました。
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 安全環の掛け替えを行いながら、何とか平蔵のコルと頭を越えて行きました。そして午前8時15分、剱岳最大の核心部、カニの縦ばいに到着。私たちが辿り着いた時は、誰も登っておらず、ノータイムで待つことなく、登ることになりました。昨日練習した通りにロープを私のハーネスにつながれた安全環に通し、トミーさんが先に登ります。トミーさんが上でロープの確保行い、合図とともにいい歳、りょうちゃんがビレーをはずして登って行きます。カニの縦ばいは至る所に大きな杭が打ち込まれており、足場も多く、平蔵のコルに比べると登りやすく感じました。しかし、息が切れました。042.gif
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 カニに縦ばいを登る、いい歳、りょうちゃん(写真はトミーさんのブログからもらいました)。
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 カニの縦ばいの上から見た平蔵の頭。ゴジラの背中のようです。
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 カニの縦ばいから見たカニの横ばい。登山者が下りているところです。
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 カニの縦ばいから下を見ると登山者が登ってきているところでした。この白いヘルメットをかぶったおじさんとは最初から最後までほとんど一緒でした。
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 カニの縦ばいを通過すれば、もうほとんど危険なところはありません。ひたすらに頂上を目指します。途中、早月尾根との分岐があり、標高差2240 mの直登コースを登ってくる登山者の姿が見えました。
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 赤い屋根は早月小屋です。来年、この早月尾根のコースから剱岳を目指すことをトミーさんと約束しました。
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 午前9時すぎ、剱沢小屋を出発して3時間40分でついに剱岳の頂上に立つことができました。トミーさんと祠の前で記念撮影。いい歳、りょうちゃん、日本百名山43座目です。弘法大師が草鞋6000足を費やしても登ることができなかった剱岳の頂上にいい歳、りょうちゃんは立つことができました。038.gif
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 北方尾根から八ツ峰。
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 源治郎尾根。9月2日(日)に自宅に戻り、テレビを見るとイモトアヤコがこの源治郎尾根を懸垂下降で下り、剱岳を登頂してところが放映されていました。
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 頂上での景色を思う存分に楽しんで、午前9時30分に下山を開始しました。カニの横ばいの前で、アミューズチームとすれ違いました。「りょうちゃん!」と声をかけてもらい、精鋭チームと握手を交わしながら下山しました。
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 カニの横ばいに着いたのは午前9時49分でした。
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 カニの横ばいといっても、ほとんどは縦に下り、途中のわずかな距離だけ横に進みます。あの有名な見えない足場もありました。いい歳、りょうちゃんもなかなか足を掛けることができず、トミーさんの指示で何とか手間取りながらクリアしました。やはり一人で剱岳を登頂するにはまだまだ研鑽が必要です。

 そのあと長い垂直の梯子がありました。(写真はトミーさんのブログからもらいました)。
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 下りはまだ続きます。(写真はトミーさんのブログからもらいました)。
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 そして、あの平蔵の頭、コルから前剱へと向かいます。あのすっぱりときれ落ちているところに立てかけてあるステンレスの板をまた渡らなければならないのかと思いましたが、下りは別ルートの巻き道を通り、ステンレスの板を通らずに済みました。
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 前剱の下りも気を抜けません。落石に注意しながら下ります。しかし、りょうちゃんは浮き石を何回か転がしてしまいました。ガレ場の浮き石は乗らないに越したことはありませんが、その上を歩かなければならないときは小股で浮き石を上から押さえつけるように乗ればいいとトミーさんに教わりました。
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 あとはもう一服剱を越えるだけです。一服剱の登り返しのところにはトリカブトがたくさん咲いていました。そして、木イチゴもたくさん実をつけていました。その木イチゴを食べながら、一服剱までの最後の登りを上がりました。
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 一服剱の上で休憩していると若者が3名、奇声を発しながら登ってきました。彼らは前に見える前剱が本峰であると勘違いしているようであり、私たちに本峰までどのくらいかかるかと聞いてくると、白いヘルメットおじさんが「あと1時間ぐらいかな。」ととてもいい加減なことを言っていました。トミーさんは若者たちに「こんな遅い時間に登り始めることが間違っている。」と注意を促しましたが、行ける所まで行ってみると言って、行ってしまいました。037.gif
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 一服剱から最後の下りを通り、剱山荘の前を通過して、剱沢小屋へ戻ってきました。12時50分、出発してから7時間30分が経過していました。
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 小屋でトミーさんとうどんを食べて、シャワーを浴びました、この剱沢小屋にはシャワーが備え付けられています。
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 シャワーを浴びて、髪を拭いていると、アミューズチームが戻ってきました。アミューズチームと談話室でビール、日本酒で剱岳登頂を祝って、乾杯しました。アミューズチームの若いあややが頂上で泣いてしまったという話を聞いて、翌日の帰り道、トミーさんは「頂上で泣いちゃうなんて、可愛いね!」と何度も言っていました。夕飯後は再び談話室でミウラッチの45歳のお誕生祝いがありました。もう45歳になるとは、りょうちゃんとほとんど変わらないのですね。この日の剱沢の夕飯はとんかつとビーフシチューでした。
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 翌日、9月2日はアミューズチームと別れて、別山尾根から真砂岳、富士の折立、立山連峰の最高峰・大汝山、そして3大霊山の雄山を縦走しました。富士の折立から常にガスで白く霞んでおり、立山連峰からの展望を望むことができませんでした。
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 別山、標高2880 m。
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 別山尾根越しに見た剱岳山頂、これで今回の山登りでは見おさめになりました。
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 真砂岳、標高2861 m。
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 真砂岳からの稜線。
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 富士の折立への登り。
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 大汝山、標高3015 m。
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 雄山、標高3003 m。
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 大汝山と雄山の間の登山道で雷鳥のつがいが砂浴びをしていました。近づいても全く逃げようとしませんでした。
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 雄山から一の越しへの下りは登山客と観光客でとても混んでいました。私たちは室堂に着いたのは11時55分でした。12時20分発のトロリーバスに乗って、扇沢まで下りてきました。黒部平、黒部ダムは雨が降っていましたが扇沢では日が差していました。
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 大町温泉郷の薬師の湯に立ち寄ると、私たちよりも約3時間も早く室堂に着いているはずのアミューズチームがまだ温泉にいました。宴会をしていたそうです。私も温泉につかりましたが、この温泉の露天風呂にミツバチがたくさん飛んでおり、平蔵のコルよりもミツバチのほうが怖かったです。4日間お世話になったトミーさんともこの薬師の湯でお別れです。次回、3連休で氷河公園から槍ケ岳で再会することを約束しました。大町温泉郷から特急バスに乗り、長野駅から新幹線で東京に帰ってきました。
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来週は飯豊本山へ行ってきます。060.gif

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by ryott-ryott | 2012-09-06 02:08 | 剱岳・立山連峰縦走 | Comments(6)