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紅葉燃ゆ小春空にそびえる法皇山、白砂青松の鳳凰三山を行く

旅行・地域
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 10月19日(金)~21日(日)、アミューズで初心者のための山歩き教室「ゆったり紅葉の鳳凰三山」に行って きました。鳳凰三山は通常は1泊2日だそうですが、1泊2日のツアーは催行中止になっていました。
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 鳳凰三山とは、地蔵岳(標高2764 m)、観音岳(標高2840 m)、薬師岳(標高 2780 m)の総称になっており、出家して法皇となった孝謙天皇が、使いの者と奈良田に滞在中に芦安から登ったことから法皇山の名前がつき、現在の鳳凰山になったと言われています。初日、南御室小屋に泊まりましたが、その名前の「南御室(みなみおむろ)」という名称もその時の名残だそうです。しかしながら、その翌週に伊吹山・恵那山ツアーで泉田さんにそのことを話したら、法皇が登ったのは云い伝えであり、初めて登ったのはあのウェストンであり、地蔵岳のてっぺんに投げ縄をかけて、登ったと教えてくれました。確かに、深田久弥の「日本百名山」鳳凰山のところに詳細に記載されていました。

 今回の鳳凰三山のツアーは3日間とも快晴でした。過去に2泊3日のツアーに参加して、3日間とも雲一つない快晴であったことは記憶にありません。3日間とも雨であったことは何回かありました。この週の初めには台風21号が日本列島の東側沿岸を舐めるように北上するという天気予報であり、ツアーはおそらく中止になるのではないかと心配しましたが、うまく逸れてくれました。058.gif

 平日朝のりんかい線は誰も乗っていません。午前6時7分大井町発のりんかい線の車両の中です。
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 新宿の朝は雲が多くありました。ここからバスに乗って、まずは芦安まで向かいます。参加者は11名、ガイドは千田さん、サブは中野さんで総勢13名でした。
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 バスの車窓から見た白峰(しらね)三山の間ノ岳。
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 鳳凰三山も見えました。
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 空には雲ひとつありません。
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 芦安から乗合タクシーに乗り換えて、夜叉神登山口まで向かいました。午前10時00分に夜叉神登山口から登山を開始、単調な登りから始まります。
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 夜叉神峠には午前11時過ぎに着きました。白峰三山は白く雪化粧をしており、通過して行った台風が降らした雨が雪になって、白峰三山の初冠雪になったそうです。
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 日本第二の主峰、北岳。今回の鳳凰三山ツアーでは終始、雄大なきただけを見ながらの山歩きとなりました。
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 夜叉神の山荘。
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 マユミの実がなっていました。
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 向こうに見えるのは、「大崖頭」です。
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 時折、急登もありましたがおおむね単調な登りが続きます。
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 登山道の東側には雄大な富士山も見えました。
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 初日は山火事跡地から苺平を通って、辻山を巻いて南御室小屋まで向かいます。山火事跡地は昭和36年(1961年)に山火事になり、焼け野原になったそうです。写真はその跡地で、私たちが訪れた時は木々が紅く紅葉していました。
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 苺平を15時過ぎに通過しました。
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 16時過ぎに本日の宿泊先である南御室小屋に到着しました。
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 南御室小屋の夕飯。夕飯時に恒例の自己紹介がありました。今回、鳳凰山で百名山100座目を達成される方がお一人いました。また、わざわざ札幌から参加している方もいらっしゃいました。038.gif
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 消灯20時まで缶ビールとワンカップで乾杯しました。068.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 ”ワンマン宰相”といわれ、戦後の日本の復興期を、強烈な個性によるリーダーシップを発揮して、今日の日本の平和をもたらした、吉田茂元首相は昭和42年(1967年)10月20日、89歳の天寿をまっとうして亡くなりました。

 昔から、人間の評価は「棺を蓋(おお)いて事定まる」といわれます。この人ぐらいその言葉のあてはまる人は、戦後その例を見ることはないでしょう。死後、国葬の礼を遇され、h挿話56年(1981年)には、生誕百年記念として、宮城外苑西ノ丸公園内に立派な銅像が建てられました。

 生前こよなく愛して住んでいた大磯の吉田邸は、現在大磯プリンスホテルの別館旧吉田邸として保存されています。まだ一般公開はされず、外国の賓客との会談や、VIPの視察場所として用いられています。

 当時、重要会談や閑談がなされた、応接間、ローズルーム(ダイニングルーム)、欄の間(温室)はそのまま残され、戦後史の一面を伝えています。吉田邸の内門は別名「講和条約門」と呼ばれています。昭和26年(1951年)、日本講話条約締結を記念して建てられたものです。

 思い起こせば、あのサンフランシスコ平和条約が結ばれる以前、アメリカ、英仏などとの単独講話か、ソ連、中国を含めた全面講和かで、国内世論は大きく二つに分かれました。社会党、共産党はもとより、進歩的学者、評論家、新聞は一斉に、吉田首相の単独講話に反対しました。

 しかし、外交官としての国際感覚、日本の将来を考える政治家としての先見性と決断力は、反対を押し切っての単独講話を実現させました。

 GNP世界第二位の日本の復興は、この吉田茂の指導力があったればこそです。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)


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 2日目、いよいよ鳳凰三山にアプローチします。今日も朝から雲一つない快晴です。気温は氷点下を記録していたと思います。暑がりのりょうちゃんも、この朝の空気は冷たく感じました。
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 ゆったりコースなので朝7時00分に出発。朝日に照らされながら、南御室小屋の後ろの登山道を登っていきます。
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 約1時間ほどで樹林帯を抜けると、再び白峰三山、仙丈ヶ岳の南アルプスの主峰が目の前に現れます。
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 東側に目を向けると、雲海から富士山が頭を出していました。
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 進む方向には薬師岳、観音岳が控えています。花崗岩の白い砂漠を歩いて行きました。
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 一番奥に見えるのは悪沢岳だそうです。
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 鳳凰三山の先峰、薬師岳が見えました。
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 薬師岳小屋の前でウソという鳥が木の実を食べに来ていました。近くで写真を撮っても食べることに夢中で、まったく逃げようとしませんでした。
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 薬師岳の前は花崗岩の白い砂漠の庭園です。この庭園からも白峰三山を見ることができます。
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 八ヶ岳が見えました。
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 鳳凰三山の主峰、観音岳へ向かいます。
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 振り返ると薬師岳の向こうに富士山が見えました。
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 午前10時30分、観音岳に到着。
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 観音岳で記念撮影。
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 青空の下、皆さん笑顔での記念撮影。その後、観音岳の山頂で早いお昼ご飯を食べました。
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 観音岳から見た地蔵岳。その向こうには甲斐駒ケ岳がそびえています。
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 鳳凰三山のトリを務めるのは地蔵岳です。まさに白砂青松の鳳凰山を歩いて、地蔵岳に向かいました。
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 最後の小さなピークを超えると、地蔵岳のオベリスクが目の前に迫ってきます。
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 賽の河原から見た甲斐駒ケ岳。賽の河原のお地蔵様は子宝地蔵で、子どもがほしいと願う人たちが、賽の河原にあるお地蔵様を持ち帰り、子どもが授かると、お礼に再び賽の河原に新しいお地蔵様を安置しに来る風習があったそうです。
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 地蔵岳の前で初心者の山登り教室のご常連の原田さんと一緒に記念撮影。原田さんは今年、15回も初心者のための山登り教室に参加されたそうです。金時山で最初にお会いした時に比べて随分と体重を落とされたようです。038.gif
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 地蔵岳に着いたのは12時過ぎでした。ガイドの千田さんから13時15分までの大休憩を取ることが告げられると、参加者はみんな大喜びでした。
 ゆったり飯豊山の時のように、大休憩を取ろうとしたガイドさんに面罵痛罵(めんばつうば)して文句を言う馬鹿な年寄りは一人もいませんでした。と言うよりは、年寄りが一人もいませんでした。マナーが悪く、頭のおかしい年寄りのいない山行はとても気持ちのいいものです。アミューズトラベルはマナーの悪い、頭のおかしい年寄りを参加させるべきではありません。人生の先輩として知恵を積み重ねてきたわけでもなく、ただ年齢を重ねて無駄に生きているだけで、若い世代の誰からも尊敬されない屍のような老人を参加させているから、若い世代の客層が全く増えないと考えます。このようなことを許していたら、アミューズはいずれ立ち行かなくなると思います。
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 賽の河原にザックをデポし、私たちアミューズチームはオベリスクの巨岩の下、お地蔵様が安置されている場所まで登りました。それ以上は危険であるため登らないようにとの指示でした。
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 オベリスクの巨岩のしたで記念撮影。
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 オベリスクの巨岩によじ登っている人たちがいました。大学の山岳部の学生さんだそうです。
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 地蔵岳のオベリスクで十分に楽しんだあと、花崗岩の砂走りを下って行きました。
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 今日の宿泊先は鳳凰小屋でした。地蔵岳を降り始めてから30分も経たないうちに到着しました。鳳凰小屋には缶ビールはありませんでした。売っていたのは「合成清酒」というなんとも怪しげな紙パックに入っていた日本酒だけでした。それでも何も無いよりはマシなので、その合成清酒を談話室のコタツに入って飲みました。普段、二日酔いはしないのですが、翌朝、頭が重かったです。合成清酒のせいでしょう。037.gif
 鳳凰小屋の消灯はなんと19時30分です。しかも実際には19時を少し回ったところで、すべての電気が消えてしまいました。千田さんと原田さんと3人で1階の部屋で消灯後も合成清酒を飲みながら、山の話をしました。もちろん、千田さんには飯豊山でマナーの悪い、頭のおかしい婆さんがいたこともお話しましたが、やはり千田さんは鎖場で後続の方たちのサポートをしていたため、婆さんの悪行をご存知ありませんでした。婆さんは狡猾なので、倉持さんも婆さんの正体を知らないはずです。そういう、どうしようもない婆さんは参加者のうち、ほんのひと握りなのですが、参加させないことに越したことはありません。アミューズトラベルには毅然とした態度をとってもらいたいものです。このまま放置しておくと、必ずトラブルが起こることは間違いないと思います。
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 鳳凰小屋の前は紅葉が真っ盛りです。
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 次の写真は花が散ったあとのヤナギランです。
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 テント場にも彩豊かなテントの花が咲いていました。
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 テント場の人と一緒に記念撮影。テント場の人にも合成清酒を差し上げました。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村


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 鳳凰三山の旅、最終日です。二日酔いというほどではありませんでしたが、合成清酒を飲み過ぎたせいか、朝は頭がスッキリしませんでした。しかし、朝日に照らされて鳳凰小屋の前の鮮やかな紅葉を見て、目が覚めました。
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 最終日も朝7時00分に出発しました。沢で振り返ると、地蔵岳のオベリスクが別れを告げていました。その勇姿はここで見納めになります。
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 最終日は急勾配の「ドンドコ沢」を下って、青木鉱泉の登山口まで下山します。ドンドコ沢の途中には、五色滝、白糸滝、鳳凰滝の3つの滝があります。下山を初めて1時間も経たないうちに最初の「五色滝」に到着しました。五色滝は朝日に照らされて、虹がかかっていました。
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 五色滝から下ること約90分、2番目の白糸滝に到着しました。
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 今日も晴天であったためトンドコ沢の歩きにくさをそれほど感じませんでしたが、いい歳、りょうちゃんの足の長さをもってしても届かない高さの段差も多くあり、しかも木の根っこがたくさん露出していたため、雨で濡れていたら、かなり慎重さを要求されたと思います。3番目の鳳凰滝は足場が悪く、トラロープを辿っていかなければならないため、スキップしました。
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 白い花崗岩の岸壁に赤と黄色の紅葉が鮮やかでした。
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 最後の悪場を通り、つづら折りの下山道を下って行きます。
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 ドンドコ沢も終盤で、花崗岩の白い岩が転がる白い沢でお昼ご飯を食べました。周囲の山の紅葉が鮮やかでした。
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 登山道から林道へ入り、12時26分に青木鉱泉に到着しました。ストレッチを済ませて、温泉へ向かいました。
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 入浴後、温泉のとなりの道の駅でお酒を調達し、バスの中で乾杯しながら新宿まで戻ってきました。068.gif
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
次回は伊吹山・恵那山の報告をします。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2012-10-31 23:31 | 鳳凰三山

梢の空の彼方に、紅葉に染まる大源太山を行く

旅行・地域
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 10月13日(土)は越後百名山の大源太山へ行ってきました。そこでトミーさんから、9月29日に長衛荘と甲斐駒ケ岳でお会いした太った学校の先生から山旅クラブに連絡があったと聞きました。私は、甲斐駒ケ岳の頂上で一緒に撮った写真を差し上げたいと思っており、トミーさんから先生の連絡先を聞き、電話で連絡を差し上げました。
 先生は「何でこの連絡先を知っているの?」と驚いていらっしゃいました。私から写真のファイルを送りたいのでメールアドレスを教えてほしいとお願いしたところ、先生は携帯もパソコンも持っているそうですが、メールを使ったことがなく、アドレスもわからないので、郵便のメールで送ってほしいとおっしゃっていました。今時、しかも学校の先生で、メールを使ったことがないという江戸時代みたいな人がいることに驚きました。
 先生に次回の山旅クラブはどのツアーに申し込むのか尋ねたところ、まだ決めていないと言い、私は11月23日(金・祝)の荒船山に行くことを考えているので、一緒に申し込みましょうとお誘いしましたが、先生はチベットへヒマラヤトレッキングに出掛けるため、日本に不在であるとおっしゃっていました。先生は体格だけでなく、フトコロも裕福なようです。またお電話を差し上げたときは、明日から巻機山に出掛けるともおっしゃっていました。 先生、いずれ山旅クラブでお会いすることがあると思いますので、その時はどうぞよろしくお願いします。
 写真は甲斐駒ケ岳の頂上で撮ったもので、りょうちゃんの隣に写っている方はトレイルランの山本健一選手、一番右が太った先生です。037.gif038.gif
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 さて今日の大源太山の集合場所は、越後湯沢駅になります。私は前日に上越新幹線の指定席予約をしましたが、普通の指定席は全て売り切れており、仕方なくグリーン車に乗って行きました。グリーン車も当日は全て売り切れていました。山旅クラブは現地集合、現地解散です。
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 今日の山旅クラブの参加者は7名、ガイドのトミーさん、サブリーダーの木之下さんを入れて総勢9名の大所帯でした。木之下さんはキノッピさんと呼ばれています。登山口前で自己紹介(氏名、年齢、目標にしている山)を簡単して、準備体操を済ませて、午前9時過ぎに出発しました。
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 歩き始めて30分も経たないうちに最初の渡渉ポイントに到達しました。石の上を渡れば濡れることはありません。大源太山は渡渉ポイントが2箇所あります。
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 次の渡渉ポイントも30分も歩かないところにあります。2番目の渡渉ポイントは少しだけ難しく、トラロープを辿って渡ります。左側に落ちたらずぶ濡れになりますが、立つことができる深さです。トミーさんとキノッピさんがサポートして、全員無事に渡りました。午前10時00分。
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 渡渉が終わると、しばらく急登が続きます。斜度は20度以上あるのではないでしょうか。皆さん、急登はいつまで続くのかと、口々におっしゃっていました。
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 天気が良ければ、ここのポイントから大源太山の頂上が見えるそうですが、この時は曇っていました。
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 途中、紅葉している木々を眺めながらの登山になります。紅葉は遠目で見るととても綺麗ですが、間近で見ると虫が喰った穴が開いていたり、くすんでいて、それほど綺麗ではありません。女の人にもそういう人がいます。041.gif
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 急登が終わり、頂上に続く弥助尾根に入ると傾斜が緩やかになってきます。
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 大源太山の岩壁の紅葉を見ながら、紅葉に囲まれた尾根道を進んでいきます。
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 尾根道から越後湯沢の町が見えました。
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 頂上に人がいるのが見えます。
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 岩場を登っている途中、青空も見えてきました。
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 尾根の両側が切れているところがありましたが、覗き込むと紅葉の渚が広がっていました。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 昭和57年(1982年)10月14日、南米ペルーの首都リマ市にある「天野博物館」の設立者、名誉館長、”アンデスの男”の異名をとった、天野芳太郎が、リマの自宅で心不全で亡くなりました。84歳でした。

 この天野博物館は、彼が独力で収集した古代アンデス文明の遺物、特にクスコやチャンカイ谷から発掘されたプレ・インカ時代の土器・織物など2万数点を収蔵し、その一部を陳列しているもので、世界的に知られたミニ博物館です。
 リマを訪れる日本人は、年間数千人といわれますが、皇太子殿下をはじめ、ほとんどの人が、この天野博物館を訪ねます。

 現在は、天野芳太郎の長男夫婦が、その遺志を継いで館長をされています。機会があったらぜひ一度見学されることをおすすめします。

 彼は明治31年(1898年)、秋田県に生まれ、31歳までは横浜で実業に従事し、海外雄飛の夢もだしがたく、南米に渡りました。
 第二次大戦まではパナマを中心に中南米で事業を興して成功しましたが、戦争のため強制送還されていったん帰国しました。
 
 終戦になるとともに、1947年再び南米に渡り、ペルーに落着きました。彼はここで、仕事をするかたわら、インカやプレ・インカの文明にみせられて、その後半の生涯を、その遺物の収集に没頭し、ついに独力で博物館を建てるようになった、国際的な変わり種の人物です。

 その意味では、やはりスケールの大きい明治の気骨を持った日本人だったといえるでしょう。昭和55年(1980年)には吉川英治文化賞、同57年(1982年)には、国際交流基金賞などを受賞しました。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 頂上は目前です。
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 鎖場を登ります。
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 頂上にいる人が近くに見えてきました。
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 午前12時26分、越後百名山・大源太山の頂上に着きました。標高1598 m。大源太山の「源太」は人の名前かと思っていましたが、四角い木材のことを「源太」と言うと、ほとんどのブログに書いてありました。また文楽人形の首の部分を「源太」と言うと広辞苑に記載されています。いずれにしろ大源太山とは大きな四角い山ということでしょうか。トミーさん、今度、解説してください。
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 頂上で9名全員の記念撮影(トミーさんのブログからもらいました)。
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 記念撮影後は頂上でお昼を食べました。
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 頂上からの風景。雲は多かったですが日も差してきました。
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 七つ小屋山方面の尾根。
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 今日は見えませんが、雲がなければ巻機山が見えるそうです。
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 先程まで頂上にいた人たちが尾根道を下山していくのが見えます。
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 私たちも12時50分に下山を開始しました。紅葉の尾根道を下山していきます。
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 急登は急勾配の下りになります。
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 登りの時は頂上が見えませんでしたが、下りの途中で大源太山の頂上を見ることができました。
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 15時30分に登山口も戻ってきて、温泉で入浴を済ませました。温泉で今日のサブリーダーのキノッピさんと初めてお話しました。キノッピさんはサラリーマンをする傍らに、ガイドの仕事をされているとおっしゃっていました。ご本人は早くガイド業一本に専念したいとおっしゃっていましたが、奥様がサラリーマンをやめることを許してくれないそうです。一時期は年間150日、山に出かけたこともあるそうです。この年間150日の休暇を取るということは、サラリーマンだと少し難しい数字だと思います。週休2日で年間52週間として土日が104日、国民の祝日は年間15日、一般のサラリーマンの有給休暇は大体20日前後として139日になります。キノッピさんは足りない日数はすべて欠勤だとおっしゃっており、それでもなかなか会社からも解雇されないとおっしゃっていました。
 現在、大学を卒業してもなかなか正規従業員として就職できない人が多いことを考えると、キノッピさんはたいへんに恵まれた職場環境で働いているようです。トミーさんはお風呂場でキノッピさんに「今の仕事なんか早く辞めちゃえば。」と無責任なことをおっしゃっていました。037.gif
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 入浴後、トミーさんのリムジンカーで越後湯沢まで送っていただきました。次回の山旅クラブは12月8日(土)日和田山トレーニングと、クリスマスイブの雪上講習に参加する予定です。11月は都合を確認して、多分、23日・勤労感謝の日の荒船山に行くことになると思います。

 越後湯沢駅には16時30分前に到着しました。新幹線の発車時刻が16時35分に迫っており、私以外の方は新幹線ホームに駆け込むように帰って行きました。ひとり残された私はせっかく越後湯沢駅に来たので日本酒の試飲をして帰りました。500円でお猪口5杯分の日本酒が飲めます。069.gif
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 お塩と味噌は無料でした。
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 当然ながらお猪口5杯では足りるわけがなく、販売している酒の試飲をし、回転寿司屋で飲み、ワンカップを買って新幹線の中でも飲みました。037.gif
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 今日のお酒は、いい歳、りょうちゃんにとっては嘗(な)める酒でした。037.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村


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 大源太山の翌日、10月14日(日)は大井町の名店「じゃんけんぽん」のトントンさんとはるさんに誘っていただき、神奈川県海老名にある泉橋酒造に酒米の稲刈りに行ってきました。海老名駅は横浜駅で相鉄線に乗り換え終点まで行きます。この日は日曜日だというのに、制服を着た中学生・高校生が平日と同じくらい多く駅を歩いていました。はるさんが言うには、最近はほとんどの子どもたちは土曜日も日曜日もお弁当を持って、朝から夜まで受験のための塾通いをしているそうです。いい歳、りょうちゃんが子どもの時とはエライ変わりようです。私が子どもの頃も受験のための塾は確かにありはしましたが、通っている人はほんのひと握りでした。りょうちゃんは、小学生の時に字の読み書きをお習字の塾に習いに行ったり、昔、学校の先生をやっていた人のところに算数の計算を習いに行ったことはありましたが、土曜日も日曜日も朝から晩まで塾通いしたという経験はありませんでした。むしろ、寺子屋みたいな塾をやっていたお宅でお菓子をもらったり、そのお宅の飼い犬や手乗りインコで遊んでいたのを覚えています。
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 泉橋酒造さんは、米作り、精米、醸造をすべて一貫して行っている酒蔵さんです。038.gif
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 この日は招待された酒屋さん、飲食店の店主さんなど、約200名が稲刈りに集まりました。稲刈りの方法について、泉橋酒造の社長さんから説明がありました。石田純一ではありません。
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 たわわに実った山田錦の稲穂です。文字通り、稲穂がたわむほどに実っています。
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 稲穂は根元を親指を下側にして持ち、根元を鎌で断ち切ります。逆に持つと小指を切ってしまうことがあるそうです。親指を下にすることによって神経が集中するため、親指を切るということはないそうです。
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 トントンさんも一生懸命、稲を刈っています。
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 この列は、りょうちゃんがひとりで猛スピードで刈り取りました。ほかの人たちは働きが悪いです。
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 刈り取った稲穂は根元を藁で縛り、写真のように棒に吊るしていきます。稲穂を乾燥させるためです。
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 午前10時30分から稲刈りを開始して、田んぼ一反分の稲穂を刈り取り、吊るし終わったのがお昼の12時30分過ぎでした。
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 刈り取った稲穂の前で記念撮影。
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 稲刈りが終わると、参加者全員が楽しみにしていた泉橋酒造さんのお酒を試飲しながらの芋煮会が、社長さんの乾杯の挨拶で始まりました。
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 写真は泉橋さんで作っているお米で握ったおにぎりです。これに味噌をつけると、日本酒によく合います。味噌をつけおにぎりを日本酒で胃袋に流し込むように食べました。また、このおにぎり1個を作るためには稲穂50本分のお米が必要になるそうです。稲穂1本でも食べられるお米の実をつけるまでには数ヵ月の時間を要することを考えると、秋の恵みを無駄にすることはできません。
トントンさんのお店「じゃんけんぽん」ではランチの営業もしていますが、最近はごはんを一口だけ食べて、あとは手もつけずに残すお客さんが増えているそうです。稲穂1本育てるために費やした生産者の苦労を考えると、ごはんを残すということはやはり罰当たりな行為です。残すのであれば、食べる分だけをもらうというのがマナーだと思います。
 ごはんを変な残し方にしている人を見ると、ほとんどがブサイクな太った女性であり、綺麗な人ほど残さず全てきれいに召し上がっていると、トントンさんがおっしゃっていました。キレイになるためには、偏食せずにきちんと食べるということが大事だということですね。038.gif
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 鮎の塩焼きも全員にひとり1本振舞われました。頭から尻尾まで全て食べられます。この鮎はヒゲのおじさんが網ですくって、鮎が傷つかないように1匹ずつ手で獲ってきてくれました。りょうちゃんは鮎をおかわりしてしまいました。037.gif
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 しかしながら、私たちの隣の席に、耳たぶに金属の棒を縫い付けた若者たちのグループがおり、鮎の背中を少しかじっただけで、もったいない食べ方をして残していました。こんなに美味しいものを、そんなヒドイ食べ方をして、バカじゃなかと思いましたし、その若者たちを連れてきた店主も鮎の食べ方ひとつ、若者にきちんと教えられないなら、飲食店を経営する資格などないダメ店主だと思います。はるさんも、連中の鮎のヒドイ食べ方を見て、バカじゃないかと怒っていました。
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 このヒゲのおじさんが鮎を獲ってきてくれました。泉橋酒造のお酒、秋の味覚を存分に楽しんだあとは、ヒゲのおじさんが一本刀土俵入りを披露してくれました。
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 午後2時過ぎに芋煮会はお開きになり、東京に帰ってきました。写真は泉橋酒造の近所に植えてあったアケビです。
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
次回は鳳凰三山の報告をします。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2012-10-23 14:29 | 大源太山

神々が棲む遠野の郷に響く早池峰物語

旅行・地域
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 台風21号が週末にかけて、日本列島を襲いそうな動きです。果たして鳳凰三山は催行されるのでしょうか。いい歳、りょうちゃんの今後の予定は以下のとおりです。

10月19日(金)~21日(日) 鳳凰三山(アミューズ)(台風が心配です)。
10月27日(土)~28日(日) 伊吹山・恵那山(アミューズ)
11月 3日(土)      同窓会
11月10日(土)      赤城山・黒檜山(アミューズ)
11月17日(土)      同窓会(りょうちゃんが幹事です)。
11月23日(金)~24日(土) 荒船山・茂来山(山旅クラブ)
12月 8日(土)      日和田山トレーニング(山旅クラブ)
12月15日(土)~16日(日) 韓国岳・開聞岳(アミューズ)
12月24日(月・祝)    谷川岳雪上訓練(山旅クラブ)
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 10月8日(月)、東北3座最終日。今日は遠野物語で有名な早池峰山に登ります。早池峰の山頂にはかつては池があり、水が枯れてしまっても、修験者が祈ればたちまちにして水が湧き出ることから「早池(はやち)の泉」と名付けられたことに早池峰の名は由来していると言われています。
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 私たちはホテル花巻を午前5時に出発しました。今日もバスの中で朝食の弁当を食べました。小田越登山口までは約90分かかります。見上げる空は青空ですが、外は冷たい風が吹いていました。今日の早池峰山は小田越登山口から登ります。
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 久しぶりにこの方のストレッチを写真に撮りました。凄い柔軟性です。普通の人が真似をしたら怪我をします。038.gif
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 今回の東北3座のツアーにはこの方も参加しました。雨の北岳以来の参加です。しかし今日は快晴でした。058.gif
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 登山口からは頂上の岩稜帯が見えます。午前6時50分に歩き始めました。今日もアスリートの浦安湯屋のメンバーは誰ひとりとして前にいかないので、今日もいい歳、りょうちゃんが石原さんの番手を取りに行きました。037.gif
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 30分も歩かないうちに樹林帯は終了し、目の前に早池峰山の岩稜帯が現れます。
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 西のほうに目をやると、昨年登った鳥海山が見えました。
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 空は雲一つない青空です。
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 朝日に照らされた紅葉が鮮やかです。
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 早池峰ウスユキソウの残骸。
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 早池峰山の登山道は岩場が連続し、巨岩と奇岩が目に付きます。
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 巨岩の上で石原さんの得意のポーズが出ました。
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 7合目を過ぎると、さらに急勾配になります。
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 早池峰山最大の難所、鉄の梯子が現れました。梯子がかかっていなかったら、この岩場は登れないでしょう。
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 梯子を次々と登っていきます。
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 梯子を登りきったところが8合目です。誰も滑落することなく、全員梯子を登りきって、笑顔のポーズ。
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 午前9時20分、歩き始めて2時間30分で早池峰の稜線に出ました。目の前に早池峰山超避難小屋が見えます。
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 午前9時36分、山頂に到着しました。標高1917 m。いい歳、りょうちゃん、日本百名山折り返しの50座目達成です。038.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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  いのち短し恋せよ乙女
  朱き唇あせぬ間に
  熱き血潮にの冷えぬ間に
  明日の月日はないものを

 よく歌われる『ゴンドラの唄』です。
 大正4年(1915年)、松井須磨子主演の芸術座公演の劇中歌として作られたものです。戦後は、昭和27年(1952年)、ベルリン国際映画祭で銀賞をとった、黒沢明監督の作品『生きる』で歌われて、再び流行するようになりました。この作詩者が吉井勇でした。

 吉井勇は耽美歯の代表的歌人、芸術院会員、歌会始の選者などをつとめました。彼は、明治19年(1886年)10月8日、東京芝高輪の伯爵家の次男として生まれました。中学時代、与謝野鉄幹の主宰する「明星」に魅かれて歌人の道に入りました。

 あゝ祇園わが思う子の噂など つたへて春の風は吹くらむ

 当時の文人墨客の先輩の影響か、“酒・女・旅”に耽溺し、頽廃享楽的な、人生の哀歓をうたいあげた独自の作風をもつ歌人として知られました。とくに祇園をこよなく愛した彼は、祇園について数々の歌を残しました。なかでも、第一歌集『酒ほがひ』に収められた“祇園冊子”の巻頭歌は吉井勇の代表歌の一つでしょう。

  かにかくに祇園はこひし寝るときも 枕の下を水の流るゝ

 この歌碑は、祇園白川沿いの河畔に建てられています。昭和35年(1960年)11月19日、75歳で逝去しました。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)


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 50座目を祝ってくれているような青空の下、いつもの記念撮影。避難小屋のおじさんがこんなにいい天気の早池峰は年に1~2回しかないとおっしゃっていました。058.gif038.gif
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 すみお姉ちゃんは40座目達成だそうです。
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 山頂でも、得意のポーズを披露する石原さん。038.gif
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 昨日登った岩手山がきれいに見えました。
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 山頂で早めのお昼ご飯を食べ、倉持さんが作ってくれたミルクティーを飲み、30分の大休憩をとって、頂上からの景色を存分に楽しみました。038.gif
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 太陽が輝いている早池峰山の山頂の写真はたいへんに珍しいそうです。
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 そして西の空には下弦の月も見えていました。
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 山頂に別れを告げて、午前10時15分に下山を開始。いい歳、りょうちゃんは下山は得意なので、列の後ろで和さんと一緒に写真を撮りながら、着いて行きました。
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 稜線から降りるところまで来ると、早池峰山の山頂は見おさめになります。
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 写真は、河原の坊からの登山道沿いの紅葉です。下山時に観る紅葉は太陽に照らされて赤く燃えているようです。
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 午前10時40分、梯子を降りていきました。
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 前に見える薬師岳もほんのりと紅く色づいていました。
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 紅葉を楽しみながら、下山しました。
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 マイヅルソウの実。
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 ツルリンドウの実。
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 12時30分。登山口に戻ってきました。もうひとつの登山口から見た早池峰山の中岳が見えます。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(中島みゆき/荒野より)

荒野より(作詞:中島みゆき、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

夜が
望みは何かと訊かれたら君がこの星に居てくれることだ
力は何かと訊かれたら君を想えば立ち直れることだ

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

朝陽の昇らぬ日は来ても君の声を疑う日はないだろう
誓いは嵐にちぎれても君の声を忘れる日はないだろう

僕は歌っているだろう君と歌っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は生きているだろう君と生きているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない
荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない


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 帰り道、道の駅に寄りました。「紫波」と書いて「しわ」と読みます。
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 くだもの、野菜、ジュースがとても安い値段で売られていました。皆さん、いろいろ買われていました。
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 いい歳、りょうちゃんは「ほおずき」のアイスを買って食べました。食用のほおずきを使っているそうです。とても美味しかったです。
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 温泉で入浴を済ませ、ビールと冷麺で乾杯しました。068.gif
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 盛岡駅ではわんこそばに挑戦しようと思いましたが、となりの店の限定10食の鴨重にひかれて、日本酒を飲みながら鴨重を食べました。
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 帰りの新幹線の中でもワンカップで一杯やりながら、東京駅まで戻ってきました。浦安湯屋の皆さん、よいお年をお迎えください。次回お会いできるのは来年でしょうか。それまでお元気で。029.gif
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
次回は大源太山の報告をします。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2012-10-15 23:13 | 八幡平、岩手山、早池峰山

詩人たちの歌を風にのせて、南部の富士、岩手山を行く

旅行・地域
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 東北3座(八幡平、岩手山、早池峰山)の旅、2日目は標高2038 mの岩手山に登ります。登山口の馬返しから標高差1400 m以上のピストンになります。
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 午前4時30分に八幡平ライジングサンホテルを出発し、登山口までは約60分かかります。バスの中で朝食のお弁当を食べました。時間通り、午前5時30分に登山口の到着し、準備体操を済ませて、午前5時40分に出発しました。ガイドの石原さんが「体力に自信のない人は前に来てください。」と言いましたが、さすがアスリートで構成されている浦安湯屋メンバーは誰一人として前に行こうとしなかったので、浦安湯屋メンバーに比べてはるかに体力と技術が劣っているいい歳、りょうちゃんが石原さんの2番手で歩くことにしました。038.gif
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 石原さんのすぐ後ろで歩かせてもらったおかげで、石原さんから面白いお話をたくさん聞かせていただきました。石原さんが登山のときに行う呼吸法は「フッ――。」と細く深く一気に吐くというものであり、そうすることによって腹式呼吸となり空気をたくさん取り込めるということです。私が普段、泉田さんから教えてもらっている「フッ、フッ、フッ、フッ、フッ」と比較的短めに息を吐く方法は同じ腹式呼吸法ですが、犬のような動物が行う呼吸法を取り入れたもので、8000 m級の山を登る人が身につけている高度な呼吸法であるとおっしゃっていました。
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 岩手山は新道と旧道があり、登りは展望のよい旧道から登りました。3連休とあって、たくさんの登山者が登っていました。
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 旧道の両脇には紅葉の渚が頂上のほうまで駆け上っています。
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 旧道は溶岩の岩場が続きます。
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 旧道の途中で休憩。
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 上を見上げると青空も見えてきました。
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 しかし、すぐに雲が上がってきます。雲の一進一退が続きます。
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 午前9時15分。歩き始めて約3時間30分、7合目に到着しました。ここから岩手山の本峰、火口を取り巻く山頂のドームが見えます。
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 7合目で記念撮影、かずさんに撮ってもらいました。
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 外輪山の手前に避難小屋が見えます。
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 午前9時30分、岩手山8合目避難小屋に到着。避難小屋といっても管理人がおり、ピンバッチ、Tシャツ、コーヒー、ココア、カップヌードルなどを売っていました。
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 避難小屋から山頂のドーム直下まで移動します。先ほどまでははっきり見えていたドームが霧で隠れてきました。霧と風で、暑がりのいい歳、りょうちゃんも中間着を着て、砂礫の斜面を登って行きました。
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 ドーム中腹から見た外輪山。
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 岩手山は信仰の山であり、頂上部分のお鉢の登山道には石仏が点々と置かれています。
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 霧の中、お鉢の登山道を頂上へと向かう登山者たち。天気が良ければ、山頂部が見えるのでしょうが、今は霧の中で見えません。
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 午前10時30分、霧の向こうの中に山頂を示す標識と人影が見えました。
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 午前10時40分、歩き始めてから5時間が経過し、馬返しから標高差1400 mの岩手山山頂に着きました。
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 恒例の山頂での記念撮影。いい歳、りょうちゃん、日本百名山49座目になりました。038.gif
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 女性陣も記念撮影。霧の山頂に彩り豊かな花が咲きました。きれいな色の服装です。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 終戦後の混乱がまだ続く昭和24年(1949年)10月7日「日本のマーク・アントニー」と呼ばれた、80歳の老政治家が、東大附属病院の一室でひっそりと亡くなりました。その人の名は斎藤隆夫。

 彼は兵庫県選出の代議士で、政治生活40余年、戦前の軍国主義はなやかしころ、軍部の専横に身体を張って抗議してきた、気骨のある政治家の一人でした。尾崎咢堂と並ぶ、憲政史上に一条の光を投げかけた、記憶されてしかるべき人だと思います。

 「日本のマーク・アントニー」といわれたのは、暗殺されたシーザーの屍の上で弔辞を読んだ、ローマ切っての雄弁家になぞらえたもので、彼の演説のうまさは定評がありました。歴史的に名高い、彼の三大名演説のなかから、その一節を紹介しましょう。

 「寸にして断たざれば尺の憾あり、尺にして断たざれば丈の憾あり、一木と雖(いえど)もその根が深く地中に蟠居(ばんきょ)するに至っては、之を倒すことは容易ではありません。・・・・・」
 これは、昭和11年(1936年)、2・26事件直後の大69特別議会での“粛軍演説”の一節です。

 「戦場の露と消えた数万の将兵は、法律の力に依って死んだのでありましょうか。決してそうではありません。・・・・・・」
 昭和13年(1938年)2月24日、第73議会で「国家総動員法」批判の演説を行ったときの一節です。

 「徒(いたずら)に聖戦の美名にかくれて、国民的犠牲に閑却し、曰く道義外交、曰く世界の平和、かくの如き雲を摑むような文字を並べて・・・・・・」
 昭和15年(1940年)2月2日、第75議会において、「支那事変処理に関する質問演説」の一節です。

 草柳大蔵『斎藤隆夫かく戦えり』(文芸春秋)の一読をすすめます。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)


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 頂上で記念撮影後、霧と風のため、早々に下山しました。
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 一瞬、霧が晴れて山頂部が見えましたが、すぐにまた霧にかくれてしまいました。
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 お鉢の登山道を降りて行きます。
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 比較的傾斜のある斜面を下山して行きます。火山特有の砂走りで、砂礫をザクザクと踏んで下山します。富士山の砂走りにそっくりです。
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 しかし岩手山の砂走りは短くて、普通の登山道に戻りました。
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 避難小屋の前まで戻ってきて、ここでお昼ご飯を食べました。午前11時50分。気温が低く、かなり寒かったので、いい歳、りょうちゃんは避難小屋でカップヌードルを買いました。1カップ300円でした。いい歳、りょうちゃんが寒いというのだから、本当に寒いです。
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 山頂を見上げると、ドームのお鉢の上を人が歩いているのが見えました。
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 登りは旧道を上がってきましたが、下りは新道を降りて行きました。新道は登山口まですべて樹林帯の中でした。新道は旧道に比べると急こう配であり、浮き石が多く転がる歩きにくい道でした。また、いい歳、りょうちゃんの長い脚をもってしても、届かないほどの段差が何か所もありました。
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 新道から見た旧道の様子。
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 新道から見た旧道のわきの紅葉。
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 また登山口の近くには多くのウメバチソウが咲いていました。この季節に花を見ることができるとは思いませんでした。
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 新道と旧道の分岐点の開けた場所で、正面を見ると円錐形のかたちのよい山が見えました。この山は姫神山と言います。その美しさから、岩手山と早池峰山で、この姫神山を取り合ったという伝説があると石原さんが教えてくれました。今回のツアーでは、取り合うような姫君はいませんでした。写真を見れば、わかりますね。
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 14時50分、歩き始めて9時間10分で登山道に戻ってきました。ストレッチを済ませて、今日の宿のホテル花巻に向かいました。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(中島みゆき/荒野より)

荒野より(作詞:中島みゆき、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

夜が
望みは何かと訊かれたら君がこの星に居てくれることだ
力は何かと訊かれたら君を想えば立ち直れることだ

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

朝陽の昇らぬ日は来ても君の声を疑う日はないだろう
誓いは嵐にちぎれても君の声を忘れる日はないだろう

僕は歌っているだろう君と歌っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は生きているだろう君と生きているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない
荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない


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 ホテル花巻もアミューズトラベルのツアーにしてはとても立派なホテルでした。写真は今回の東北3座ツアーのお世話をしてくれる倉持さんです。いつもカメラを向けても写真など撮らせてくれませんが、珍しくというより、はじめて正面の写真を撮らせてくれました。どうかしてしまったんでしょうか。037.gif
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 今日の夕飯です。夕飯時に知っている者同士で自己紹介をしました。いい歳、りょうちゃんは明日の早池峰山で日本百名山50座目達成の予定であることを報告しました。試飲会仲間のかずさんから赤ワインを差し入れていただき、前祝いをしていただきました。038.gif
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 浦安湯屋の姫神山たち。写真がピンボケになってしまいました。そのほうがよかったでしょう。037.gif
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 夕飯を済ませてから、ホテルのロビーで「鹿踊(ししおどし)」と津軽三味線の上演がありました。
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 鹿踊は、空也上人が可愛がっていた鹿が心ない何者かに殺されてしまい、その供養のために行った踊りが鹿踊の始まりと言われています。
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 津軽三味線の演奏の様子。鹿踊と津軽三味線の上演が終わったのは21時15分でした。すっかり夜更かしをしてしまい、部屋に帰ってすぐ布団に入りました。037.gif
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
東北3座の旅はまだまだ続きます。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2012-10-11 00:02 | 八幡平、岩手山、早池峰山

いにしえの奥羽伝説を訪ね歩いて、八幡平を行く

旅行・地域
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 10月の3連休、10月6日(土)~8日(月)はアミューズの特配で東北3座(八幡平、岩手山、早池峰山)へ行ってきました。先週の甲斐駒ケ岳までで日本百名山47座目まで重ねてきたので、今回無事に3座とも登頂できれば、百名山の半分の50座目まで到達することができます。
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 初日の10月6日(土)は八幡平(はちまんたい)に登ります。午前7時30分に赤煉瓦の駅舎にリニューアルされたばかりの東京駅が集合場所です。改札を出て、駅舎の写真を何枚か撮りました。
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 待ち合わせ場所の銀の鈴に行くと、栗駒山ツアーに出かける千田さんがいました。
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 また今年、小豆島でご一緒した小室さんに会いました。小室さんは千田さんたちと栗駒山へ行かれるそうです。038.gif
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 東京駅の売店は午前7時00分に開店します。八幡平で食べる行動食を買いました。
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 午前7時56分のはやて103号に乗って盛岡に向かいます。特配に参加するのは剱岳登攀を不合格にされた剱岳トライアルの小川山以来です。今回の参加者は11名、ガイドの石原さんと倉持さんを加えて、総勢13名でした。午前11時4分に盛岡駅に到着しました。盛岡駅前では産地直売のグリーンフェスタをやっていました。
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 盛岡駅前からバスに乗って、八幡平の登山口へと向かいます。八幡平の登山口までは1時間30分かかるので、バスの中での昼食となりました。写真は本日配られた鮭親子弁当です。アミューズトラベルのお弁当としては今までにない大変に豪華なものでした。明日以降のお弁当はもう期待できません。037.gif
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 12時55分、茶臼岳の登山口から茶臼岳を経由して、八幡平の山頂(標高1614 m)へと向かいます。
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 八幡平の地は、源氏の棟梁、八幡太郎源義家が陸奥の豪族・安部一族を追討するために立ち寄った場所であり、その時に八つの旗(「幡」)を立てた湿原(「平」)から「八幡平」という名前が付けられたそうです。山歩きというよりは大半が湿原・沼のほとりを歩いているといったほうが正確だと思います。
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 今日の天気は曇りで風も少しあったため、とても涼しく、八幡平も紅葉に彩られていました。
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 目の前に見えるのは茶臼岳です。標高1578 mです。
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 避難小屋の茶臼小屋。
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 中は結構きれいにしてあります。今日、泊る方がいるようでした。
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 茶臼岳の山頂です。
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 茶臼岳の山頂からの風景。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 大阪落語界の代表者といえば、故人では二代目桂春団治によどめをさすでしょう。春団治の本名は岩井藤吉、明治11年(1878年)大阪で生まれました。28歳のとき桂文哉に入門、続いて桂文団治になりました。

春団治の芸風は、陽気で天衣無縫、古い落語の型に満足せず、独創的な関西落語を創りました。したがって、チャランポランの春団治とか、無茶団治とか、落語通、先輩落語家からはひんしゅくをかいました。

しかし、人気は鰻のぼりで、吉本興業の一枚看板として、大正末期から昭和のはじめにかけて、“笑いの王様”として、関西喜劇界の大スターとして君臨しました。

実生活の面でもエピソードが多く、特に女性関係は有名でした。後年は、妻子を捨てて医療品問屋の未亡人といい仲になり、とうとう入り婿になって話題を呼びました。ですから高座にあがると、“後家殺し!”と声がかかって、ますます人気に拍車がかかったといいます。

晩年は借金がかさみ、漫才の人気に押され、病気がちな生活を送り、胃ガンのために昭和9年(1934年)10月6日、57歳でこの世を去りました。息を引きとるとき、さすが落語家らしく、「これでワシもイガン免職や」とオチををつけたといいますから立派なものです。

長谷川幸延の名作『桂春団治』は、松竹新喜劇の渋谷天外の春団治役から現在の藤山寛美に受け継がれ、松竹新喜劇の当たり狂言として、ときどき上演されています。こんな魅力のある、型破りな落語家は、このさき生れてこないのではないでしょうか。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)


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 八幡平は茶臼岳よりも標高はわずかに36 m高く、大源太森、八幡沼を経由して行きます。写真は大源太森の頂上、元気なお姉さんが写っています。037.gif038.gif
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 大源太森からの風景。向こうに見えるのは八幡沼です。
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 大源太森から八幡沼へは湿原地帯を歩いていきます。
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 山歩きで喜びを隠せないすみお姉ちゃん、とてもりょうちゃんより年上とは思えません。038.gif
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 八幡沼のほとりの陵雲荘に着きました。ここも避難小屋です。先ほどの茶臼小屋と同じく、中はきれいでした。中をのぞくと、誰か寝ているようでした。
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 展望台に人がたたずんでいます。
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 展望台から見た八幡沼。
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 この池は深さが22 mもあるそうです。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(中島みゆき/荒野より)

荒野より(作詞:中島みゆき、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

夜が
望みは何かと訊かれたら君がこの星に居てくれることだ
力は何かと訊かれたら君を想えば立ち直れることだ

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

朝陽の昇らぬ日は来ても君の声を疑う日はないだろう
誓いは嵐にちぎれても君の声を忘れる日はないだろう

僕は歌っているだろう君と歌っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は生きているだろう君と生きているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない
荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない


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 八幡沼を通過し、八幡平の頂上へと辿り着きました。16時23分、八幡平の頂上に着きました。展望台があるはずですが、工事中で撤去されていました。
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 仕方がなく、頂上の標識手前の地図の前で集合写真、記念撮影を撮りました。お隣りはいつも元気なすみお姉ちゃん。いい歳、りょうちゃん、日本百名山48座目になりました。038.gif
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 ガイドの石原さん、倉持さんと一緒に記念撮影。
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 途中、メガネ池など湖沼のわきを通り、駐車場へと出てきました。写真はメガネ池で、湖面に木が写っています。
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 今日泊まる宿は八幡平ライジングサンというホテルで、アミューズトラベルのツアーで泊る宿としてはやはり大変に立派です。038.gif
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 夕飯をいただき、明日の岩手山登山に備えます。私は長野県から参加されたお姉さんと一緒に一杯やりましたが、驚いたことに私以外の男性陣は誰一人お酒を飲んでいませんでした。どこか具合でも悪かったのでしょうか。037.gif
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
東北3座の旅はまだまだ続きます。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2012-10-09 20:12 | 八幡平、岩手山、早池峰山

紅葉に染まる南アルプスの貴公子、甲斐駒ケ岳を行く

旅行・地域
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 今日は休暇をとりました。左足親指の爪が巻きづめで、皮膚に食い込んで炎症を起こしてしまったため、かかりつけのお医者さんに行って抜爪(ばっそう)してもらいました。実は昨年7月も抜爪しており、今回もまったく同じ箇所でした。昨年は雌阿寒・斜里・羅臼のツアー前日に抜爪し、翌日、北海道に行ったのを覚えています。
 お医者さんは巻き爪は癖になるとおっしゃり、爪を切るときに深爪をしないこと、普段きつめの靴を履かないことなどの注意を受けました。そして少しでも痛くなったときに、すぐに医者に診てもらえば、抜爪をせずに処置だけで治ることがあるそうです。
 抜爪した今週末の3連休はアミューズで東北3座(八幡平、岩手山、早池峰山)に行ってきます。台風19号の動きが気になります。058.gif
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 さて9月28日(金)~30日(日)、南アルプスの甲斐駒ケ岳と仙丈ヶ岳に行く予定で北沢峠へと向かいました。29日(土)は好天に恵まれて秋の甲斐駒ケ岳の山歩きができましたが、翌日の30日(日)に予定していました仙丈ヶ岳は登山することができませんでした。
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 台風17号が速度を速めて、日本列島を北上しており、日曜日午後のバス運休を山梨交通バスがいち早く決定したためです。私は折角なので、もう1泊長衛荘に宿泊して、翌朝、北沢峠を出発しようと考えましたが、小屋のスタッフが「降水量によっては南アルプススーパー林道が閉鎖されて、広河原から甲府へ戻ることができなくなる可能性がある。」と言うので、仕方なく、大慌てで帰り仕度をして、15時30分発の最終バスに乗りました。甲斐駒ケ岳の下山中は早くスープカレーを食べながらビールを飲みたいと考えて降りてきましたが、楽しみにしていたビールを飲むこともなく甲府まで戻ることになりました。台風で登山ができなかったのは今年ははじめてでした。

 9月28日(金)は北沢峠までの移動になります。朝9時30分発の特急かいじ号に乗り、甲府へと向かいます。平日ですが車中はそこそこ人が乗っていました。
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 甲府駅前、意外と大きな街です。
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 バスターミナル6番線から広河原へと向かいます。12時00分発のバスに乗り、広河原に着くのは13時58分です。運賃は2000円でした。
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 バスの車内。
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 バスの車体に描かれている金魚はあまり可愛くありません。
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 芦安駐車場からトミーさんと青柳さんが乗ってきました。13時58分に広河原に到着。目の前の建物は昨年、北岳に行ったときに来た広河原インフォメーションセンターです。
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 広河原から北沢峠までのバスに乗り換えました。北沢峠まで25分、運賃は750円です。
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 今日と明日の宿は、長衛荘です。とてもきれいな山荘でペンションのようです。038.gif
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 長衛荘の前で記念撮影。(トミーさんのブログからもらいました)。
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 長衛荘の前でビールで乾杯していると、学校の先生であるという二人の男性が私たちの隣で飲み始めました。私が柿の種を差し上げると、ビールをくれました。明日は私たちと同じく甲斐駒ケ岳に登る予定であり、甲斐駒ケ岳の頂上でトレイルランの選手と待ち合わせをするとおっしゃっていました。そのうち一人の方はこの春に教師を定年退職して、今は一人で百名山を目指しているそうであり、私を見て「同じデブ同志、一緒に百名山を目指しましょう。」と大変に失礼なことを言っていました。後で写真を見せますが、この元教師のほうが、いい歳、りょうちゃんよりもはるかにだらしなく太っています。037.gif
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 夕飯は5時ちょうどからで、この日、長衛荘に泊まっているお客さんは10人いなかったと思います。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 海軍提督のネルソンといえば、イギリスの国民的英雄の一人で、ロンドンのトラファルガ広場には、彼の勇姿が立派な銅像として建立されています。

 ネルソンは、1758年9月29日、イギリスのノーフォーク州で生まれました。13歳で海軍入りしましたが、有名になったのは1793年、地中海艦隊の艦長になってからです。

 翌年、コルシカ島攻略では右目を失い、97年のカナリア諸島の海戦では右腕を失いました。98年には、エジプト遠征中のフランス軍の補給路を断ち、ナイル河港のアブキール湾を攻めて、フランス艦隊を全滅させました。

 1803年、フランスと戦争が再発し、彼は再び地中海艦隊司令長官として出動しました。ツーロン港に集結していたフランス・スペイン連合艦隊を封じ、さらに1805年、トラファルガ沖の海戦では、この連合艦隊に壊滅的な打撃を与え、イギリスに勝利をもたらしました。この海戦に際し、彼が全艦に発した信号は次の通りでした。

 「イギリスは、各員が、その義務を果たすことを期待している」そして彼は、この海戦で戦死しました。「神はほむべきかな、わたしはわたしの義務を果たした」とつぶやいて息絶えたといいます。47歳でした。遺骸はセント・ポール寺院に葬られました。

 この英雄も、人気の割にひんしゅくを買ったのは女性問題でした。ナポリ駐在の若い公使夫人エマと恋に落ち、妻と離婚してエマと結婚しました。

 ネルソン戦死後、未亡人となった美貌のエマは、またたく間にその遺産を浪費し、カレーへ逃げて、そこで落ちぶれて死んでいきました。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)


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 翌朝、先生たちは午前3時に長衛荘を出て行きました。私たちは朝弁当を長衛荘で食べてから、午前5時30分に出発しました。まずは仙水峠へと向かいます。写真は仙水小屋。
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 仙水峠と向かう道は大きな岩がごろごろしています。
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 左手にこれから向かう甲斐駒ケ岳の摩利支天が見えました。
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 仙水峠から見た風景。雲海の中に関東の山々が見えました。朝、暗いうちに出発して行った人はこの仙水峠から朝日を見たのではないでしょうか。
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 振り返ると仙丈ヶ岳が見えます。
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 仙水峠から約1時間、急登を登り、駒津峰へ向かいます。写真は先週行った塩見岳です。
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 鳳凰三山、地蔵岳のオベリスクが見えます。
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 アサヨ峰の後ろから富士山が見えました。
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 午前8時50分に駒津峰に到着。
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 西に目をやると中央アルプスの峰々が見えました。一番向こうの稜線の中央の山は乗鞍岳です。手前の双児(ふたご)山の山頂に人が立っているのがわかります。
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 岩峰の鋸岳。鋸岳を経由して甲斐駒へ向かうルートは上級者コースだそうです。
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 仙丈ヶ岳のカールがはっきりとわかります。
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 駒津峰から見た南アルプスの貴公子、甲斐駒ケ岳。紅葉に白い山容がよく映えています。
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 南アルプスの峰々、手前の栗駒山の後ろから北岳、間ノ岳、塩見岳。
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 駒津峰を少し下って行き、奇岩の六方岩に出ます。ここからいよいよ甲斐駒ケ岳の本峰へと迫ります。
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 直登コースと巻き道コースがあり、直登コースは上級者コースということで、初心者のりょうちゃんたちは巻き道コースで頂上を目指しました。
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 巻き道コースから見上げた甲斐駒ケ岳の白い岩壁。
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 こんなところに1本だけダケカンバが生えています。038.gif
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 鳳凰三山の向こうに富士山が見えます。
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 甲斐駒ケ岳は花崗岩からできており、白い砂漠を登って行くという感じです。
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 八ヶ岳も見えました。
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 最後の斜面を登り、午前10時20分に甲斐駒ケ岳の山頂に到着しました。長衛荘を出発して3時間50分が経過していました。下のほうを見ると、先生たちが頂上で待ち合わせをしているというトレイルランの選手が上がってきているところでした。038.gif
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 青い空に秋の雲。頂上の様子。
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 いつものように頂上で記念撮影。いい歳、りょうちゃん、日本百名山47座目です。038.gif
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 そしてトレイルランの選手とも一緒に写真を撮っていただきました。この方は山本健一さんといって、韮崎工業高校の先生をする傍らで、2009年の国際的なトレイルランレース「ウルトラトレイル・デュ・モンブラン」で総合8位になった有名な選手です。一番右に写っている太ったおじさんは長衛荘で知り合った学校の先生で山本健一さんとは先生仲間とのことです。先生たちは午前3時にヘッドランプをつけて長衛荘を出発し、午前7時30分に頂上に着いたそうです。そして山本健一さんが上がってくる10時30分までの3時間も頂上で待ち続けたとおっしゃっていました。その間は風を避けるようにして岩場の陰で寝ていたそうです。037.gif038.gif
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 頂上の岩の上でポーズをとるトミーさん。038.gif
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 北に目をやると八ヶ岳が見えます。
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 鳳凰三山の向こうに見える富士山の上には傘雲が掛かっていました。台風が近づいているということでしょうか。057.gif
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 頂上で先生たちとまた長衛荘で酒を酌み交わす約束をして、私たちは一足先に下山し、摩利支天に立ち寄ることにしました。
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 花崗岩の岸壁が迫ってきます。花崗岩は、無色透明の石英、長石が主成分であるため、白くキラキラと輝いています。黒く見えるのは黒雲母などの有色鉱物です。
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 摩利支天の頂上には午前11時20分に到着しました。摩利支天からの景色も絶景でした。
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 摩利支天から見た鳳凰三山とその後ろに富士山が見えます。やはり富士山には立派な傘雲がかかっています。青柳さんと一緒に摩利支天様に「明日も天気にしてください。」と神頼みしましたが、その願いも見事に打ち砕かれました。
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 摩利支天からは黒戸尾根の南側の大岸壁を見ることができます。甲斐駒ケ岳の頂上からは決して見ることはできません。
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 正座をして大岸壁の写真を撮る青柳さん。この向こうは奈落の底です。りょうちゃんは腰が引けて、真似できませんでした。038.gif
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 摩利支天の前で記念撮影。(トミーさんのブログからもらいました)。
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 摩利支天の上にもコケモモの実がたくさん成っていました。トミーさんが入れてくれたコーヒーの飲み、コケモモの実を口いっぱいに頬張りました。037.gif
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 摩利支天からの帰り道、甲斐駒ケ岳の南の切れ落ちている白い大岸壁。
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 奇岩群。龍の頭に見えます。
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 先端がすっぱりと切れている岩。花崗岩はもろくて風化しやすいのでさまざまな奇岩群を見ることができました。
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 恐竜の背中を思わせる岩。
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 六方岩まで戻ってきました。午前12時20分。
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 鋸岳の先端部の向こうに北アルプスの槍ヶ岳の穂先が見えます。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



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 そして駒津峰まで戻ってきました。13時00分。駒津峰から見る甲斐駒ケ岳はやはり美しいです。
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 アサヨ峰の後ろの富士山。先ほどの傘雲が消えていました。私たちの願いが摩利支天様に通じたのでしょうか。
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 下山は仙水峠を経由せず、双児(ふたご)山を経由して北沢峠へと向かいました。
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 駒津峰の上に甲斐駒ケ岳のてっぺんが見えています。
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 13時50分に双児山に到着。標高2643 m。
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 双児山から樹林帯に入ってしまうので、双児山から見る甲斐駒ケ岳が見おさめになります。緑と紅葉の駒津峰の向こうに青空の下、白い貴公子がそびえます。
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 南に目をやると北岳、間ノ岳、塩見岳が見えます。この南アルプスの峰々もここで見おさめになります。
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 約1時間20分ほど樹林帯を下り、15時過ぎにようやく北沢峠に帰ってきました。早く生ビールとスープカレーを食べたくて仕方がありませんでしたが、長衛荘で宿泊手続きをしているトミーさんから衝撃的な通告がありました。冒頭にも紹介した通り、山梨交通バスが日曜日の午後のバスの運行をすべて運休するということを決定したということです。台風17号が速度をあげて、日本列島を舐めるように縦断し、こちらに迫っているためでした。天気予報では北沢峠は今夜から雨が降り始めるとのことでした。明日、日曜日の午前の最終バスは11時15分であり、標高3033mの仙丈ヶ岳に登って、とても午前中に戻ってくることができないので、残念ながら仙丈ヶ岳の登攀は断念せざるを得ませんでした。
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 青柳さんはすぐに帰ることを決めました。私は、明日の午前中バスがあるならば、長衛荘にもう1泊して朝のバスで帰ることにしようと思いましたが、降水量が多くなると広河原からのバスがすぐ運休してしまうということを聞き、帰ることにしました。大慌てで、長衛荘にデポした荷物をザックに入れて、3人で15時30分の最終バスに乗り込みました。そういえば、頂上で酒を飲むことを約束した先生方の姿も長衛荘にありませんでした。先生方は摩利支天に寄らなかったと思いますので、私たちよりも早く下山しているはずであり、山荘で同じことを聞いて、帰路に着いたのでしょう。
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
3連休は東北3座に行ってきます。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2012-10-02 14:06 | 甲斐駒ケ岳