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冬空に咲いた霧氷の花、荒船山・茂来山を行く

旅行・地域
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 11月17日(土)、この日は大学院の研究室の同窓会が元町・中華街であり、私はみなとみらい線の中にいました。すると、またもアミューズトラベルから1本の電話がかかってきて、12月もすべてのツアーを中止にするとの連絡がありました。12月は韓国岳のツアーを申し込んでいたため、今年の日本百名山は10月末に行った恵那山が最後であり、53座止まりとなりました。前回、11月いっぱい、アミューズトラベルのツアーはすべて自粛になったため、11月に予定していた赤城山・黒檜山に行けなくなったことを報告したばかりです。担当者の方のお話では、1月からは普通にツアーを開始するとのことでした。11月の時も、同じことを言っていたのであてにはできません。
 今年は当初は順調に行けば60座は行けるのではないかと考えていましたが、やはり思い通りにはいかないもので、大峰山で転んでその後1ヵ月間も歩くこともままならなかったり、怪我が治ったあとは自分の意に反してツアーへの参加を冷酷に断られたり、そして例の遭難事故による催行中止で60座には遠く及びませんでした。
 しかしながら、今年は剱岳を始め、幌尻岳、飯豊山など登攀することができました。来年は数の目標だけで言えば、80座を目指しますが、早月尾根からの剱岳、おじいさんと行く約束をした光岳・聖岳、裏銀座から槍ヶ岳、平ヶ岳、仙丈ヶ岳などに行くつもりでいます。

 さて同窓会ですが、今回は第2回目になります。1回目は先生が定年退職した時にお祝いを兼ねてやりました。その時に多くの方から2回目以降も定期的に行ってほしいとの要望があり、昨年に第2回目を行う予定でしたが、あの東日本大震災の影響で中止・延期になりました。今回は2年越しの第2回目の同窓会になりました。
 この同窓会はすでに研究室が存在しないため、現在40歳前半の卒業生が一番若い最後の世代です。学生だった頃の若々しい面影は見る影もありません。皆さん、頭髪の色が黒から白や肌色へと変化していました。「無惨やな 帽子の下の はげ頭」と言ったところでしょうか。037.gif
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 しかし、見た目は中高年ながらも健康に留意された生活を送っている方も多く、山登りをしているとのお話をされる方もいらっしゃり、実年齢に比べるとかなり若づくりに見えました。私もそのうちのひとりであることを話すと、「ウソをつくな!」という懐疑的な目で見られてしまいました。037.gif

 ある先生のお話では、今世紀中におそらく人類は滅亡し、その前には近々に東京大震災が起こって、かなりの人間が死んでしまうそうです。したがって、同窓会は生きていることを確認することの会であり、先生方が生きている以上は同窓会を続けるということでお開きになりました。



(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 パリの歓楽街の踊り子や、娼婦たちなど、世紀末の頽廃を好んで描いた画家ロートレックは、南フランス最古の都市といわれるアルビで、1864年11月24日に生まれました。
 父は中世フランス王家の血筋をひく貴族で、母はその従妹(いとこ)でした。血族結婚のせいか、ロートレックは生来病弱で、よその子供のように、戸外で活発に遊ぶことができなかったようです。

 それだけに家族からは“小さな宝石”と呼ばれて可愛がられ、いつしか室内で絵筆を握るようになりました。そのころのノートや、教科書のスミに描いたデッサンを見ると、早くも画家としての天分を十分に発揮していることに驚きます。
 病弱に加え、少年期に左足や右足大腿骨を骨折し、体が不自由なため、本格的な絵の勉強をするため、18歳のときにパリに出ました。

 彼はモンマルトルにアトリエを持ち、ここでドガやゴッホなど、のちの巨匠たちと知り合いになりますが、同時に金持ちのお坊ちゃんとしてチヤホヤされ、毎晩、酒と女に明け暮れる生活を過ごしました。
 彼が歓楽街の踊り子や、場末の娼婦たちの中に浸っていたのは、日本でいえば永井荷風と同じように、その内側から、彼女たちの生活を通して人生を見ようとしたものと思われます。

 世紀末の頽廃といわれながらも。虚飾のない裸の人々のなかに、彼なりのやすらぎと、生きがいを感じていたのかもしれません。惜しいことに、その不健康な生活がたたり、わずか37歳という若さでなくなってしまいました。
 パリで、ムーラン・ルージュあたりを散歩すると、なんとなくロートレックを思い出します。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 11月以降は隔週で山に行く予定でしたが、アミューズトラベルのツアーで参加者が遭難死したため、少なくともアミューズトラベルのツアーはすべて白紙になってしまいました。今週3連休のうちの2日間、11月23日~24日は恵那山以来3週間ぶりに山旅クラブで山登りに行ってきました。1日目は日本二百名山の荒船山、2日目は信州百名山の茂来山(もらいさん)です。

 東京駅から長野新幹線に乗って、佐久平に向かいました。この日の天気は曇りのち雨の予報でした。東京はうす曇で、途中の高崎では日差しがあり、天気予報はハズレたと思いましたが、トンネルを通り抜けた軽井沢ではかなりの雨が降って落胆し、新幹線に乗ること約90分で佐久平の駅に到着しました。

 駅の改札前には、山旅クラブ主催者のトミー富澤さんが奥様とともにお出迎えいただき、恒例になっている高級リムジンカーで登山口まで送迎していただきました。今日のメンバーはトミーさんの同級生の林さん、トミーさんの奥様、そしてアミューズで知り合った面白くないダジャレばかり言う原田さんの総勢5名での山登りになりました。多分、原田さんは家でダジャレを言っても奥さんに冷たくあしらわれるので、私たちの前でその憂さを晴らしていたようです。人を笑わせることほど難しいことはありません。
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 今日は日本二百名山の荒船山に登ります。荒船山は文字通り、その山容が荒波を突き進む船に見えることから、その名前は由来しています。荒船山の特徴である高さ200 mの断崖は艫岩(ともいわ)と言われています。「艫(とも)」とは「船の後方。船尾。」と広辞苑に簡潔に書いてあります。
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 荒船山登山口。空を見上げると、うっすらと青空が見えつつありました。
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 直前にかなりの雨が降ったらしく、登山を諦めて下山してくるパーティーがありました。泥で滑る急勾配の傾斜を悲鳴を上げながら下山をしていました。037.gif
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 途中から艫岩が見えました。
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 登山を開始してからちょうど2時間で艫岩展望台に到着しました。ここは何年か前に漫画「クレヨンしんちゃん」の作者が転落死した場所です。
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 その展望台で記念撮影。写真はトミーさんのブログからもらいました。
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 艫岩から下を覗き込む富沢夫妻。この危険な行為、いい歳、りょうちゃんはとても真似ができません。037.gif
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 艫岩展望台の四阿でお昼ご飯を食べました。富沢家の広大な庭に成っていた柿を戴きました。
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 荒船山の船体の上、平坦な登山道を歩いていきます。
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 荒船山の頂上は経塚山(きょうづかやま)と言います。行塚山とも書きます。
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 経塚山に続く最後の登り。写真に写っているのは別のパーティーです。
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 経塚山の山頂に到着。標高1423 m。
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 経塚山で記念撮影。周りは雲に覆われて展望は何もありません。
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 朝は天気が回復するかと思いましたが、雲も厚くなり、下山時にはついに雨が降りだしました。
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 15時すぎに登山口に戻ってきました。再び高級リムジンカーに乗って、今日の宿泊施設、「クアハウス佐久」へ向かいました。
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 玄関には珍しいクマのストーブがありました。
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 お風呂に入って、生ビールを飲み、楽しい夕餉です。今日はお酒を飲めるメンバーが揃い、トミーさんもご満悦のようです。私も出張で経験がありますが、お酒を飲めない人と一緒に食べる夕飯ほど楽しくないものはありません。お酒を飲めない方は最初からご飯と味噌汁を食べ、10分もしないうちに夕飯を終えてしまいます。 私たち愛飲家はまずビールを飲み、おつまみを食べて、アルコール濃度の高いお酒へとステップアップしながら、最後にご飯を食べる、あるいはご飯を食べずにお酒を飲み続けるというのが通常のコースです。どんなに急いでも1時間はかかります。お酒を飲まない嫌飲家の皆さんは、夕飯にこんなに時間をかけることを馬鹿げたことだと思っているようです。
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 このあとも私は再び温泉に入って、トミーさんのお部屋でお酒をいただきました。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(中島みゆき/荒野より)

荒野より(作詞:中島みゆき、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

夜が
望みは何かと訊かれたら君がこの星に居てくれることだ
力は何かと訊かれたら君を想えば立ち直れることだ

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

朝陽の昇らぬ日は来ても君の声を疑う日はないだろう
誓いは嵐にちぎれても君の声を忘れる日はないだろう

僕は歌っているだろう君と歌っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は生きているだろう君と生きているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない
荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない


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 さて2日目は、トミーさんの同級生の方と入れ替わりに、この夏からほとんどの山旅クラブの山行でご一緒した青柳さんが参加になります。別れ際に林さんからりんごのお土産を戴きました。本当にありがとうございました。038.gif
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 トミーさんの高級リムジンカーに乗り、茂来山の登山道に続く林道入口に午前8時30分に到着しました。ここでストレッチをして、山頂を目指し、まずは林道を歩いて行きました。
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 林道を歩くこと約30分で登山口に到着しました。
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 この沢の水は飲めるそうです。トミーさんも水を補給していました。夏の暑い時は1日4リットルは飲んでいたのに、今回は気温が低かったせいか、下山するまでに500 mlも水を飲みませんでした。
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 登山口から約40分ほどで、「森の巨人たち100選」の茂来山トチノキの「コブ太郎」が現れます。コブ太郎は樹齢250年のトチノキで、穀物の取れない土地ではその栃の実が大切な食料になったそうです。人々に森の恵みをもたらすコブ太郎は明治になってからも伐採されることはなく、現在まで大切に保存されています。
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 トチノキと戯れるトミーさんと青柳さん。このトチノキはコブ太郎ではありません。
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 ここから急登をひたすらに登っていきます。斜面は日が当たらないため凍結しており、かなり歩きづらかったです。前日までツマラないダジャレを見さかいなく言いまくっていた原田さんはこの斜面がこたえたのか大人しかったです。
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 中腹から見えた湯ノ丸山。
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 稜線が近くなると、樹樹には霧氷がついていました。
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 そして、ついに稜線に到達すると、景色は一変しました。霧氷がついた樹々は真っ白な花が咲いたようでした。
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 上を見上げると、青空に霧氷が映えます。
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 霧氷のトンネルの中、頂上へと向かいます。
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 地面には風で落ちた霧氷が白い絨毯を作っていました。
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 午前11時10分、ついに頂上に到着。
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 冬空に咲いた霧氷の花を見飽きることはありませんでした。
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 真っ白な浅間山がそびえています。
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 昨日、登った荒船山が霧氷越しに見えました。
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 八ヶ岳の硫黄岳。茂来山の名前の由来は、硫黄岳の噴火で飛んできた岩をもらって、できた山であることから、この「茂来山(もらいさん)」という名前がついたそうです。
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 霧氷の向こうには両神山が見えます。
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 30分以上の大休憩を頂上で撮り、写真も沢山撮って下山しました。
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 下山も道が凍結しており、下山が得意なりょうちゃんも少し苦戦しました。それよりも原田さんはほとんど口を開いていませんでした。たぶん、家で奥さんの前でもあんな感じなんでしょう。037.gif
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 下山後は再び「クアハウス佐久」で入浴し、餃子で一杯やりました。
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
次回は日和田山へトレーニングに行ってきます060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2012-11-27 23:00 | 荒船山・茂来山 | Comments(0)

夕日散策・葛西臨海公園&焼肉おしきせの会・悠雅亭

旅行・地域
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 11月10日(土)、この日はアミューズトラベルのツアーで赤城山・黒檜山へ行く予定でしたが、催行中止になってしまいました。これはアミューズトラベルのツアーで、11月4日に中国河北省の万里の長城で3人の日本人が遭難死したためです。
 火曜日の夕方に同社の担当の方から電話がかかってきて、11月いっぱいのすべてのツアーについて、自粛する方針とのことでした。ただし12月以降は通常通りにツアーを催行するとのことであり、ツアー申し込みについても受け付けているとのお話でした。
 私は11月8日の歩みの会には参加できませんでしたが、おそらくは中止になってしまったのではないのでしょうか。また浦安湯屋仲間の方やよしこさんからも、浦安の特別手配のツアーも中止になったと伺いました。

 事故の翌日の月曜日、火曜日は朝も夜もアミューズの事故を伝えるニュースが報道されており、社長の他に知っているガイドさんも頭を下げている姿が放映されていました。トムラウシの時と同じように、今後、今回の事故がどうして起こってしまったのかについて、究明・検証されていくことと思いますが、観光庁の同社の立ち入り検査を行ったとの報道もあり、しばらくしたら、またも営業停止処分になってしまうのではないのでしょうか。私が常日頃アミューズの参加基準はとてもいい加減だと指摘し、その考えは変わることはないと思いますが、トムラウシの時の社長は辞任したものの会長として留まっており、社長のイスを一部の人間が私物化しているということを聞くと、会社の体質は2009年の時と変わっていないのではないでしょうか。
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 さて、11月10日は赤城山に行けなくなってしまったこともあり、急遽、私たちの山行およびおしきせ仲間でもあるミウラッチ三浦さんのお見舞いに行くことにしました。三浦さんは健康診断で胃にガンが見つかり、つい先日、胃袋を5分の4も切除する手術を受けたばかりでした。三浦さんには剱岳登攀の時、剣沢小屋でお会いした以来になりますが、その時も胃の調子がよくなかったそうです。しかし、今回の手術で快方へ向かっているようで、安心しました。あと2週間ほど入院しなければならないそうですが、早くよくなって、また山行やおしきせの会でご一緒できる日をお待ちしています。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 明治5年(1872年)11月9日、明治新政府はこの日、西欧にならって、旧暦を廃止し、新暦(太陽暦)を採用することを布告しました。

 明治5年(1872年)12月3日を明治6年(1873年)1月1日にするというのですから、国民はびっくりしました。その年の大みそかがなくなってしまったのです。借金とりは青くなり、借金をした者はほっと一息という、思いがけない悲喜劇に大騒ぎでした。

 太陽暦は、正確にはグレゴリオ暦といいます。大昔、エジプト人が星占いから1年は365日であることを知り、さらに、4年に1度は1日分をたして366日にすることも、ユリウス・カエサルの時代にはわかっていました。これがユリウス歴です。
1582年、ローマ法皇グレゴリオ13世によって、さらにずれの少ない、現在使われている太陽暦が定められました。これがグレゴリオ暦です。

 ところで、日本の暦には、新暦になっても「大安」「仏滅」のたぐいが載っています。これは、江戸時代にはなかったもので、明治の改暦の際、民間で自由に暦の印刷・出版ができるようになり、頭のいい業者のアイディアでつけられたものが、販売競争でどの暦にもつけられるようになったのが真相です。暦業者、易占業者、婚姻事業業者などに、上手に利用されてきたのです。

 江戸時代の学者、伊勢貞文という人は、随筆に、「吉日、凶日、日に吉凶はなきことなり。吉日に悪事をすれば刑罰免かれがたし、凶日に善事を行えば褒賞せらる。・・・・」と書いています。“大安”も“仏滅”もなく、毎日が心のもち方一つで「日々是好日」のはずなのです。でも、改めるのは難しいですね。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)


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 山に行かないと、このブログで報告する内容はほとんどありませんが、お見舞いのあと、私は葛西臨海公園に久しぶりに行きました。この日はとても天気がよく、葛西臨海公園で富士山の横に沈む夕日を見ることができるのではないかと思ったからです。結論から言うと、丸く赤い夕日を見ることはできませんでした。あんなに天気が良かったにもかかわらず、西の空には雲があり、太陽は丸く赤い夕日になる前に雲の中に沈んで行きました。058.gif
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 葛西臨海公園駅前の噴水。太陽に照らされて輝いています。
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 たくさんの人が夕暮れ散歩を楽しんでいました。
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 海の向こうにうっすらと房総半島が見えました。
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 凧あげをしていました。
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 黄昏の中でささやくふたり。
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 黄昏の中の乙女。
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 この太陽がもう少し沈むと丸く赤い夕日になります。しかし、雲の中に沈んでしまいました。
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 夕暮れの中、富士山があぶり出されるように見えてきました。
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 東京ゲートブリッジも見えます。
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 あぶりだされた富士山を浜辺で多くの人が眺めていました。
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 東京地酒祭りが開催されていました。
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 一杯味見をしました。037.gif
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 紺碧の空にライトアップされた大観覧車。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(中島みゆき/荒野より)

荒野より(作詞:中島みゆき、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

夜が
望みは何かと訊かれたら君がこの星に居てくれることだ
力は何かと訊かれたら君を想えば立ち直れることだ

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

朝陽の昇らぬ日は来ても君の声を疑う日はないだろう
誓いは嵐にちぎれても君の声を忘れる日はないだろう

僕は歌っているだろう君と歌っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は生きているだろう君と生きているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない
荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない


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 今日はお見舞いに行く他に、森ちゃんが美味しい焼肉店に連れてってくれると言うので、新浦安・堀江の悠雅亭に行ってきました。私よりも遅い時間にお見舞いに行ったよしこさん、あやちゃんたちと駅で合流し、噂の焼肉店へとタクシーで向かいました。
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 悠雅亭の前で記念撮影。よしこさんは前日は倒れそうなほど具合が悪かったそうですが、すっかり元気になり、お見舞いと今回の焼肉おしきせに参加することになりました。上からマリコさんにお会いするのは3月に行った亀戸ホルモン以来です。そして、このお店には森ちゃんのご子息がアルバイトとして働いており、上からマリコさんの面影が伺えるイケメン、22歳でした。そのイケメンぶりに、浦安湯屋の黄昏女性陣はご自分の年齢を忘れて大騒ぎでした。ご自身の年齢をよく考えてくださいね。037.gif
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 本日のおすすめメニュー。「二秒上ロース」とは片面2秒ずつあぶるだけ食べる上ロースです。2秒ずつあぶっただけではほとんど生食同様ですが、生でも食べられるくらい鮮度の高いお肉です。森ちゃんは普通は生で食べるとおっしゃっていました。食べるのに夢中で、写真を撮り忘れました。037.gif
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 上カルビ。
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 ハラミ。柔らかく、とても美味しいです。
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 野菜も食べなければなりません。
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 ゴルフ帰りの森ちゃんも合流。ご機嫌なよしこさん。
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 カルビクッパ。
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 チーズチジミ。チーズが入っているチジミです。普通のチジミもオーダーしましたが、皆さんはチーズチジミのほうがいいとおっしゃっていました。
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 テグタンクッパ。その他にもホルモンのマルチョウ、ギャラ(牛の胃袋)を食べました。ミウラッチが胃袋を5分の4も切除したお見舞いの帰りに、私たちは牛の胃袋を食べてしまいました。037.gif次回は年末くらいにおしきせの会で会うことを約束して、皆さんとお別れしました。038.gif
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 いい歳、りょうちゃんの今後の予定です。山旅クラブとアミューズを交互に入れていますが、アミューズが12月以降、本当に催行できるのかはわかりません。

 11月17日(土) 同窓会&ボジョレー試飲会
    23日(祝・金)~24日(土) 荒船山・茂来山(山旅クラブ)
 12月 1日(土) 明神ヶ岳・明星ヶ岳(アミューズ)
     8日(土) 日和田山トレーニング(山旅クラブ)
    15日(土)~16日(日) 霧島・韓国岳~開聞岳(アミューズ)
    24日(月) 谷川岳雪上講習(山旅クラブ)
  1月 5日(土)~6日(日) 雪山・伯耆大山(アミューズ)  



新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
 次回は荒船山・茂来山へ行ってきます。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2012-11-11 21:10 | 焼肉おしきせ・悠雅亭 | Comments(0)

秋の音色に古代伝説を聞く、伊吹山・恵那山を行く

旅行・地域
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 伊吹山・恵那山の報告の前に、映画の話をします。10月22日(月)、この日は勤め先が創立記念日でお休みでした。久し振りに映画を見に行ってきました。しかも2本です。1本目はかねてから見たいと考えていた安井算哲の生涯を描いた「天地明察」。そしてもう1本は「使者(ツナグ)」です。
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 安井算哲は将軍家の御前で囲碁を打つ囲碁棋士でした。囲碁は奈良時代に日本に伝来したと言われています。源氏物語にも囲碁を打つ場面が出てくるように平安時代は主に貴族に限られています。室町時代から戦国時代にかけては武士と僧侶の間に普及し、江戸時代に入ってからようやく庶民のものになりました。
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 江戸幕府は、本因坊、井上家、安井家、林家の四家に家元を命じ、毎年1回、11月17日に将軍上覧の「御城碁(おしろご)」を行い、四家を競わせ、その勝者に「名人碁所」の地位を与えました。その当時の段位で、九段が名人位、八段が準名人、七段が上手という資格になっていました。
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 「天地明察」の主人公、安井算哲は安井家の二世で、御城碁で本因坊道策と対戦し4目勝ちをおさめて、七段の上手の資格が与えられていました。しかしながら、算哲は囲碁よりもむしろ数学、天文暦学のほうに興味があり、囲碁でも初手に「北極星」をあらわす天元に好んで打ったそうです。映画でも初手・天元を打つシーンが出てきます。
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 映画では会津藩主の保科正之の命を受け、北極出地へ参加し、その後にあの水戸黄門で有名な水戸光圀から改暦を命じられ、その当時、朝廷が採用していた宣明暦の間違いを指摘し、やはり中国の暦であった授時暦の採用を試みようとしますが、授時暦による食の予測で失敗し、改暦の申し出は退けられました。授時暦もまた、宣明暦同様に間違っていたからです。算哲は中国から伝わった暦は信用せず、独自の暦を作り上げたのが貞亨暦(じょうきょうれき)でした。映画の中では大和暦という名前で紹介されています。大和暦による食の予測で見事に皆既日食をいい当てて、その功績により大和暦が貞亨歴として採用され、以後70年間使用されることになります。幕府から天文方にも任命され、それと同時に囲碁棋士を辞めることになりました。これを機に、安井算哲から渋川春海と名を改めて、明治まで天文方は世襲されていきます。
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 映画「天使明察」はその安井算哲の半生を描いたものです。映画を見て、朱子学、神道の儒学者として有名な山崎闇斎が、改暦のための天測の最中に朝廷側の刺客に襲われて死亡する場面が出てきますが史実とは異なりますし、安井算哲が水戸光圀と映画で描かれているほど入魂の中であったのか、暦に関して貴族が絶対の実権を握っていたのかなど、疑わしい場面もありましたが、エンターテイメントとして面白い映画だったと思います。周囲の人から支えながら、計算と天測を重ねて日本独自の暦、大和暦を完成させようとする算哲の姿は、映画「おくりびと」の監督・滝田洋二郎が「人とのふれあい」を再びテーマにした映画だと思います。
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 そしてもう1本「使者(ツナグ)」を続けて見ました。これはいい映画でした。人は必ずいつかは死ぬ、しかしながら、いつ死ぬのか、死んだらどうなるのかについては生きている間は知ることはできません。この映画では生きている人間が、死んだ人間と会うことにより、生きている人間の姿勢、心を正してくれることを描いていると思いました。
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 生きている人間が生涯でたった一度、たったひとりの死んだ人間に会うことができ、その仲介ができるのが「ツナグ」です。映画では3つのケースが描かれています。1つはガンで亡くなった母親に本当のことを告げられなかった中年男性、2つ目は親友だと思っていた友人から裏切られたと思い、殺意を抱くようになった女子高生、最後は行方不明になった婚約者の女性を想い続ける男の話です。
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 2つ目の二人の女子高生の話では、演劇部に所属する二人が、演劇の主役に二人が立候補することにより、主役の座を奪われてしまった嵐のほうが主役の御薗に殺意を抱く心理が描写されています。
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 嵐と御園は演劇部に所属し、発表会の演劇に向けて練習を積み重ねる日々を送っており、お互いに親友だと思っていました。嵐は当然、自分が主役であり、親友の御園は主役に立候補するなどと考えてもいませんでした。配役を決める日、嵐のほかに主役に立候補の手を上げる部員がいました。それが親友の御園でした。しかし嵐は御薗に負けて、主役を逃すとは思っていませんでした。
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 オーディションの日、部室の中から「あたしに敵うわけがないと思うよ。」と御園がほかの部員に話しているのを嵐は聞いてしまいます。そして、オーディションの舞台に二人は立ちました。その結果、主役の座を射止めたのは嵐ではなくい、御園のほうでした。
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 嵐は御園に裏切られたという気持ちから、「御園さえ、いなければ。」という殺意が芽生えます。嵐と御園が毎朝、通学で通る坂道の途中に水道の蛇口がある駐車場があり、時折、水が出たままで、寒さで道が凍結したら危険であるということを気にしていました。ある朝、嵐は御薗よりも早くその坂へ行き、蛇口をひねり、水道を出したままにして、学校へ向かいます。
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 嵐が演劇部へ行くと、その中は騒然としていました。主役の御園が通学途中に転倒し、自動車に跳ねられて死んだという知らせが耳に入ってきました。御薗の死亡により、主役の座は嵐のもとにやってきましたが、自分が道路を凍結させて、御園を死なせてしまったという後目痛(うしろめた)さと罪悪感に苛(さいな)まれることになります。
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 あるとき、嵐が部室の前で聞いた「あたしには敵わないと思うよ。」と御園が言った言葉は、実は「嵐(あらし)には敵わないと思うよ。」と言っていたことを聞き間違えていたことを知ります。嵐は「ツナグ」に依頼して、死んだ御薗に会うことにしました。会うことの真意は、御園が「ツナグ」を通してほかの誰かに、「嵐に殺されてしまった」ことを話されては困るという恐怖心からです。なぜならば死んだ人間も会うことができる人間はたったひとりであるということを知っていたからです。御園が嵐に会えば、嵐の殺意とその行為をほかの人間にあって話すことはできなくなります。
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 「果たして御園は自分に会ってくれるのだろうか。」と思い悩みますが、死んだ御園が嵐に会うということを承諾したと、ツナグから連絡がありました。嵐は指定されたホテルの一室に向かいます。死んだ人間と会って、話ができるのは太陽が昇る翌朝までです。嵐は御園に会って、他愛もない話をし、御園が自分の殺意と道路を凍結させるために水を出し放しにしたということを知らないと確信します。
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 嵐は御薗に別れを告げて、部屋を出て、ロビーで待っているツナグにカードキーを返却しました。その時に嵐はツナグから御薗からの伝言を告げられます。「道路は凍ってなかったよ。」というものでした。御園は嵐の自分に対する殺意も、行った行為もすべてわかっていたのです。嵐は自分のしてしまったことを後悔し、ふたたび部屋に戻って御薗に会おうとしましたが、死んだ人間に会うことができるのは一度だけです。ツナグから引き止められ、その場で泣き崩れて、御薗に詫びました。
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 この場面を見て、映画館に来ていたほとんどの人が泣いていました。坊ちゃんもお嬢ちゃんもおじさんもみんな涙を拭いていました。泣いていないのは映画館で弁当を食べていたババァだけです。ほかにも行方不明になった婚約者(桐谷美玲)のことを想い続ける男の話がありますが、映画を見てください。037.gif
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 何年か前までテレビ朝日で「オーラの泉」が放送されており、今やまったくメディアに現れなくなってしまった江原啓之と美輪明宏がゲストの前世や周囲の亡くなった人からのメッセージを伝えるという内容でした。私もよく見ていました。その中で死んだ人からのメッセージで、「生きているときはわからなかったけれども、死んだ今、ようやくその謎が解けた。」というものがありました。周囲との人との関わり、現在抱えている悩み、自分がどうしてこの状況下に置かれているのか、自分がどうして現在この世の中を生きているのか、生きているうちはわからないけれども、自分が死んだ後にその理由がわかるといいます。
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 今生きているこの肉体は機械と同じで、いずれ動かなくなった時が死ぬ時であり、その肉体は朽ち果てて、消失してしまいますが、この機械・肉体を動かしている正体は個体の死と同時に機械を抜け出していくのだと思います。そのことは生きている今は認識できませんし、科学でも詳らかにされていませんが、人間はそのことを本能ではわかっているのではないかと、この「ツナグ」の映画から考えさせられました。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 日本の古代国家、四世紀大和朝廷時代の歴史を解明する、貴重な史料として脚光を浴びているのが、高句麗(こうくり)の「好太王碑」です。

 好太王は、古代朝鮮を支配した高句麗19代の国王で、18歳で即位し、在位22年間、多くの治績を残して、412年、39歳で没しました。

 碑は高さ約6.6 mもある巨大なもので、長い間地中に埋もれていたものを1882年(明治15年)に発掘されたものです。建てられたのは、好太王没後2年たった414年10月28日です。

 碑文は総字数1758で、3段に分けて刻まれています。まずは王家の由来を述べ、次に百済(くだら)、新羅(しらぎ)への大遠征、倭軍(日本軍)を撃破して領土を拡大したことなど、好太王の偉大な功績を謳歌し、最後に守墓人を規定して終わっています。

 日本では、明治16年(1883年)、参謀本部の酒匂景信(さこうかげあき)中尉が、その碑文の拓本を持ち帰ってから、その解釈をめぐり、あるいは上代紀念論について、活発な意見が交わされるようになりました。

 たとえば、「而倭以辛卯年来渡海破残○○新羅以為臣民」の一文を、戦前の日本の歴史学者は、朝鮮侵略に都合のいいように、「しかるに倭(日本軍)は辛卯年に海を渡り、百済や新羅を破り、臣民にしました」と日本が占領したかのように解釈をしています。

 戦後、大韓民国や朝鮮民主主義人民共和国側の学者は、「倭が辛卯年に来たので、高句麗は海を渡って攻撃し、百済・新羅を討って、これを臣民にしました」と解釈しています。

 ともあれ、この碑が建てられたことから考えても当時、倭国の集団が朝鮮半島に渡り、高句麗と戦ったことだけは間違いありません。碑は現在、中国吉林省輯安県に再建されています。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)


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 さて先週末、10月27日(土)~28日(日)、百名山の伊吹山と恵那山へアミューズで行ってきました。伊吹山は滋賀県と岐阜県の県境にある滋賀県最高峰の山(標高1377 m)になります。新宿から朝7時にバスに乗って、伊吹山の9合目駐車場に着いたのは何と13時過ぎでした。東名高速、名神高速を乗り継いで約6時間の行程になります。
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 今日の参加者は13名、ガイドはあの泉田さんと仙谷さんで総勢15名のツアーでした。浦安湯屋からはすみちゃんが参加しました。大井町湯屋のよしこさんは足の指の骨折が完治せず、今回のツアーはキャンセルしていました。また浦安湯屋のあやちゃんもすみちゃんがお誘いしましたが、ポケットに500円玉1個しかなかったそうであり、ご一緒することができませんでした。041.gif037.gif
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 いつもの山行ならば、目的地までに1~2回の休憩で到着しますが、今回は3回もの休憩が入りました。新幹線で行ったほうが早かったのではないでしょうか。写真は2回目の休憩の浜松SAです。とても綺麗で、売っているものも美味しそうなものばかりでした。私が食べ物を買うたびに、泉田さんの厳しい目が光っていました。037.gif
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 メロンパン。
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 静岡おでん。
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 浜松にはヤマハがあり、ピアノ、楽器が展示されていました。
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 伊吹山はヤマトタケルが東征からの帰りに立ち寄った場所で、麓の村人から伊吹山の妖神が悪行をするので退治して欲しいと頼まれます。ヤマトタケルは伊吹山の神の化身である白い猪(イノシシ)と闘いますが、負けてしまい、命からがら逃げ帰ります。その闘いの痛手がもとでヤマトタケルは伊勢で命を落としてしまうという伝説があります。古事記では白い猪、日本書紀では白い蛇と記載されているそうです。泉田さんの説明では、白い猪とは、吹雪のことで、古事記に記載されている伝説はおそらくは一番最初に記されている吹雪による遭難例ではないかとのことです。
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 伊吹山登山口にある観音様。
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 伊吹山の山頂は登山口から歩いて、30分ほどで辿り着きます。山頂には伝説のヤマトタケル像が建てられています。
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 ヤマトタケル像の前で記念撮影をしました。
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 写真はセメントの原料になる石灰岩です。泉田さんからこの石は石灰岩で、この関ヶ原の周辺には石灰岩が溶けてできた鍾乳洞がたくさんあると教えていただきました。登山口に真っ白な光沢のある砂利が敷かれていましたが、石灰岩を砕いて撒いたものだろうとおっしゃっていました、
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 イブキトラノオのように「イブキ」の冠名がついた植物がたくさんあるように、伊吹山は植物の宝庫で、伊吹山で初めて見つけられた花は数多くあります。花の季節ではありませんでしたが、イブキトラノオが一つ残っていました。056.gif
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 この石像もヤマトタケルの像です。
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 頂上から下山を開始し、約30分で駐車場に戻ってきました。帰りのバスの中からカメラの砲列が並んでいるのが見えました。後で聞くと、イヌワシが旋回していたそうです。
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 今日の宿泊先は昼神あさひ苑というホテルでした。アミューズにしては立派なホテルです。このホテルでの夕飯の時に、鳳凰三山の地蔵岳オベリスクにウエストンが投げ縄をかけて登ったということを泉田さんが話してくれました。いつも厳しい泉田さんですが、今回の伊吹山・恵那山のツアーではとてもニコヤカで、いろいろなことを教えてくれました。
 またアミューズトラベルでは今年も雪山登山のツアーを数多く企画しており、年末年始に「富士山の佐藤小屋で過ごすお正月」というツアーが予定されているそうです。仙石さんはほぼ毎年、佐藤小屋に行かれており、お酒が飲み放題だとおっしゃっていました。佐藤小屋の中は室内でもあっても-5 ℃くらいであり、あ酒を飲んでいないと凍死してしまうそうです。037.gif
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 2日目は恵那山に登りました。日本百名山53座目です。恵那山は頂上の稜線が長く、遠くから見ると船を伏せたような形に見えるので、舟覆山(ふなぶせやま)とも呼ばれています。
 また子どもが生まれた時の後産での胎盤や臍の緒を桶に入れて、恵方の土中に埋めるという胞衣(えな)の儀式があります。イザナミとイザナギの間に生まれた天照大神の胞衣を山頂に納めたという伝説があり、胞山(えなさん)となり、恵那山という山名になったと言われています。

 宿を午前5時に出発し、まだ暗いうちに林道の入口に到着しました。しかも宿を出発した頃から雨模様。雨具を着て、ヘッドランプをつけて、準備体操後に、まずは登山口まで林道を歩いて行きました。
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 午前6時20分。丸太橋を渡って、登山道に入っていきます。紅葉の中の急登が続きます。
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 恵那山は舟覆山と呼ばれるようにある程度急登を登ると平坦に近い単調な登りになります。登山道はほとんど樹林帯の中で、展望もなく、とても退屈な山登りでした。この山が日本百名山に選ばれた理由は、イザナギとイザナミの神話があるというほかには、なかなか見つけられません。登山道の大半は写真のような感じです。
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 途中の山腹から見た景色。雨が上がったあと、雲も薄くなって、雲の波間に峰々が見え隠れしていました。この景色を見ることができたことだけでも救いとなりました。
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 山頂とイザナミ・イザナギが祀られている祠を通過して、避難小屋の前でお昼休憩を撮りました。午前9時50分。気温は低く、避難小屋の中には薪のストーブがあり、先程まで火が炊かれていたようです。
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 お昼を済ませて、また山頂まで戻ってきました。山頂には展望台がありましたが、曇り空で何も見えませんでした。
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 山頂で浦安湯屋のすみちゃんと記念撮影。すみちゃんはツアー参加前は泉田さんをたいへんに怖がっていましたが、時には冗談が飛び出すほど終始ニコヤカな泉田さんに接し、楽しく山歩きができたようです。
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 朝の登り始めは薄暗くて、よくわかりませんでしたが、下山時はすっかり明るくなって、恵那山の紅葉が鮮やかでした。
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 特に林道歩きはどんなにいい山でも退屈なものですが、恵那山下山後の林道歩きは、周囲の紅葉が鮮やかで、山歩きしている時よりも多くカメラのシャッターを押しました。
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 「湯ったりーな、昼神」で入浴を済ませて、みなさんとビールで乾杯して、新宿までの長い長い道のりをバスに乗って戻ってきました。068.gif
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 来週は日本百名山の赤城山・黒檜山へ大井町湯屋のよしこさんと行く予定です。また本日11月4日(日)は福島県の霊山(りょうぜん)に行く予定でしたが、家の事情でキャンセルしました。一緒に行く約束をしていた原田さん、ごめんなさい。山旅クラブの荒船山・茂来山で行かれるのならば、ご一緒しましょう。その次は12月の韓国岳ですね。
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来週は赤城山へ行ってきます。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2012-11-04 16:27 | 伊吹山・恵那山 | Comments(0)