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いにしえの飛鳥文化を訪ね歩いて、高松塚古墳と若草山山焼き神事

旅行・地域
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 阪急の日本酒祭りに行ってきました。年に1回ほど阪急百貨店の2Fグリーンルームで開催されます。
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 先日、日経新聞のWEBサイトで「訪ねて楽しい日本酒の蔵元 全国ランキング」で末廣酒造が1位に選ばれていました。7位が木内酒造、10位が賀茂泉で、ベストテンのうち3つの酒蔵が来ていました。038.gif
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 さて1月26日(土)~27日(日)は久しぶりに一人旅に出かけてきました。目的地は奈良の飛鳥です。「博物月報」というWEBサイトに高松塚古墳壁画の修理作業室一般公開の応募があり、応募してみたところ、抽選に当たってしまいました。そして、26日は奈良の若草山で年に1度の山焼き神事もあり、山焼きも見に行ってきました。今回の奈良修学旅行を2回にわたって報告します。038.gif
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 高松塚古墳に行くためには奈良県の飛鳥まで行かなければなりません。東海道新幹線で京都まで行き、近鉄特急に乗り換えて橿原神宮前まで行き、さらに近鉄吉野線に乗り、飛鳥駅にたどり着きます。だいたい4時間の行程です。写真は新富士駅付近で車窓から見た富士山です。
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 近鉄特急・橿原神宮前行き。
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 飛鳥駅前。
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 駅前のコンビニで売っていました。じゃばら飴。飛鳥村にだけ自生している「じゃばら」という柑橘類のエキスを添加した飴で花粉症に効果があると書いてありました。
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 飛鳥駅から徒歩10分ほどで高松塚周辺地区に着きました。
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 受付を済ませます。見学は約30分ごとに行われており、1回の見学でおよそ20人が見学します。
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 見学までしばらくあったので、飛鳥歴史公園館に入りました。何しろ屋外はとても寒かったです。
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 修理作業室見学前にセミナールームで文化庁の方から高松塚古墳の概要を聞きました。こういう見学では、写真撮影は禁止、見学場所での飲食も禁止であることはいつものことながらわかっていましたが、録音も禁止されていました。しかしながら、とても立派な資料が配布されました。038.gif
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 写真は修理作業室の外観です。
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 作業室へ移動し、いよいよ見学です。作業室はクリーンルームになっており、古墳を形成していた石室が17のパーツに解体され、壁画を上面にして配置されていました。それぞれの石材は600 kgから1600 kgまでの重量の凝灰岩からできており、当時としてはとても高い技術水準であったようです。
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 作業室では壁画の上に足場が組まれており、壁画に生えてしまったカビを除去し壁画を修繕する作業が行われています。壁画になぜカビが生えてしまったかということについて説明がされていました。石室の中に隙間などから入り込んだムカデが死に、その死骸にカビが生えて、そのカビを食べるダニが壁画の上を動き回ることによって、カビが広がってしまったと分析されていました。カビの除去は、壁画を顕微鏡で観察しながらの作業で、、1 cm四方のカビの除去に1時間もかかるそうです。
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 この高松塚古墳は昭和47年(1972年)4月に発見されました。天井中央部には天極五星、四輔四星(しふしせい)、二十八宿の星辰、東壁に日像と青龍、男女各4人の人物群像、西壁に月像と白虎、男女各4人の人物群像、北壁に玄武が描かれています。南壁には盗掘口があり、朱雀が描かれていたと推測されていますが残っていません。西壁女子群像は見た目で約40 cm四方に描かれており、意外と小さいものでした。そのほかの壁画は見学室のガラス越しからでは全くわかりませんでした。
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 高松塚古墳は発見当初、持統天皇の孫の文武天皇(在位697年~707年)の陵墓と考えられていましたが、ほかに文武天皇陵が見つかり、現在では誰の墓であったのか不明です。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 わが国犯罪史上空前といわれる毒殺事件「帝銀事件」が起きたのは、昭和23年(1948年)1月26日です。この日午後3時半ごろ、東京池袋・帝国銀行(現・三井銀行)椎名町支店に、厚生省技官、兼東京都防疫課員を名乗る中年の男が現れました。

 近所に集団赤痢が発生したので、GHQ(占領軍総司令部)の命令で行員全員に予防薬を飲んでもらうと偽り、行員16名に青酸カリを飲ませ、12人を毒殺(4人は生存)、現金・小切手18万円を強奪して逃走しました。

 捜査は難航しましたが、8月21日、東京在住の画家平沢貞通を小樽で逮捕しました。平沢ははじめ否認していましたがついに自白、昭和25年(1950年)7月、東京地裁で死刑判決が下りました。彼は無実を訴え上告しましたが、昭和30年(1955年)4月、最高裁は上告を棄却、死刑が確定しました。

 しかし、この裁判については毒薬の入手経路、筆蹟鑑定に疑問、真犯人は戦時中“細菌部隊”でおそれられた731部隊の関係者ではないか、平沢の獄中からの無実を叫ぶ手紙などとともに、新聞の社会面を長い間賑わわせてきました。

 平沢を逮捕し自供させた当時の特捜班長居木井為五郎警部補(警視正で退官)も健在で、昭和60年(1985年)4月、死刑判決確定後30年を経過して「時効釈放」の訴えが出されたときも、「絶対クロ」を主張して、その理由を「週刊新潮」(昭和60・5・23刊)にのせています。

 真実はいずれにあるのせよ、平沢貞通も90歳を超えています。死刑判決確定後30年という歳月は、死刑執行以上に過酷な刑罰だと思います。人情論としては「時効釈放」も肯定できますが、わが司法当局はそれを許しませんでした。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 高松塚古墳の見学を終えて、近鉄奈良駅までやってきました。奈良県にやってきた目的はもう一つあります。年に1度、1月26日に若草山の山焼きがあり、それを見るために奈良までやってきました。写真は猿沢池です。
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 山焼きの由来を教えてもらいましたが、その説明を聞いても、何故山焼きをするようになったのか、私には理解できませんでした。もともと若草山は興福寺の持ち物でありましたが、その所有をめぐって東大寺としばしば争いがあったそうです。もともとは山焼きする習慣はあったようで、度々、山焼きの火が東大寺まで延焼する危険に見舞われたといいます。東大寺は奉行所に山焼きをやめるように訴えを起こしますが、興福寺がこれに猛反発し、山焼きが続けられたと言われています。写真はその興福寺の五重塔で、日本で2番目の高さを誇っています。1番は京都の東寺の五重塔です。
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 興福寺南円堂。
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 興福寺の御朱印です。
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 奈良公園では鹿にエサをやっている人がいました。紙袋を持った人は、鹿に襲われて、紙袋をビリビリに破られて、袋の中の食べ物を強奪されていました。041.gif
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 奈良公園から見た若草山。
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 私は若草山の山焼きを見るため、若草山の入山ゲートまで行きました。
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 夕日に染まる若草山には山焼きを見物する人で溢れていました。
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 若草山から見た夕日。058.gif
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 日が沈み、奈良の街に灯が灯り始めました。072.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度


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 若草山が夕闇に包まれたとき、山焼き神事が始まりました。若草山の麓の野上神社から点火する火が運ばれてきました。
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 東大寺、春日大社、興福寺、金峰山寺の聖火隊が松明に火をつけて、山の中央部まで運んでいきます。
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 中央部の大松明に火を点火しました。
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 若草山のあちらこちらから冬の夜空を彩るように鮮やかな花火が打ち上がりました。
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 花火大会が終わると、ついに若草山に火を放ちます。火は瞬く間に燃え広がり、若草山と夜空を焦がしていきました。
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 火の側に立っている人たちは消防団お方たちです。燃え広がった火は人為的に消すのではなく、自然に鎮火するのを待ちます。そのため、飛び火しないように消防団員がつきっきりで火を見守っています。
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 一年に一度の若草山の山焼き神事を見終わり、宿へ戻ってきました。写真はライトアップされた興福寺五重塔です。
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 宿に戻ってから、一杯やりました。翌日は東大寺から薬師寺、唐招提寺に行く予定です。024.gif
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
次回、奈良修学旅行・後編を報告します。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2013-01-31 22:50 | 奈良修学旅行 | Comments(0)

東京夕日レポート、幕張海浜公園&東京ゲートブリッジ

旅行・地域
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 1月19日の囲碁大会が中止になってしまいましたが、ほかの用事が出来て、山に行くことができませんでした。用事を済ませて、さかいやスポーツへ行き、カンジキとATCを買ってきました。もっと高いものかと思いましたが、カンジキは7056円、ATCは1995円でした。いずれもポイント500円引きで買いました。
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 ATCは懸垂下降の時にロープを通して使用する治具です。店には、通常のもの、1本のロープだけを通して使うもの、ロープの摩擦が効くように溝が切ってあるものの3種類がありました。店員さんは私を見て、溝が切ってあるものは摩擦が効くため、体重が重い人でも楽に操作ができると説明してくれました。私はその肥満者用のATCを購入しました。037.gif
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 19日の天気予報は晴れのち曇りでした。空を見ると雲は全くなく、きれいな夕日が見ることができるのではないかと思い、幕張海浜公園へ行きました。幕張海浜公園はJR海浜幕張駅から徒歩で20分ほどです。大晦日にも夕日を見に行ったところです。058.gif
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 幕張海浜公園の浜辺ではパラグライダーでおじさんたちが遊んでいました。
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 夕日を背景におじさんが飛んで行きました。
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 赤い夕日が空と海を赤く染めながら、海の向こうの山並みに沈んでいきました。058.gif
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 最初は見えなかった富士山が、夕焼けに炙り出されて、姿を現しました。058.gif
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 空に月が浮かんでいました。072.gif
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 太陽が沈みきったあともまだ空を飛んでいました。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 慶応4年(1867年)3月、徳川慶喜が大政奉還をしたにもかかわらず、新政府側は、この際徳川家を根こそぎ滅ぼし、旧幕府の土地をすべて没収すべく、、東征軍を派遣、江戸城の総攻撃を命じていました。

 幕府側にも強い主戦論がありましたが、時の陸軍総裁勝海舟はそれをおさえ、総攻撃の前日、東征大総督参謀西郷隆盛と、高輪にある薩摩藩邸で歴史的会見を行い、総攻撃の中止、江戸城の無血開城を約し、その通り実行しました。現在、東京大森の旧薩摩藩邸跡には、その歴史的会見の記念碑が建てられています。

 “江戸を救った男”勝海舟は、文政6年(1823年)江戸本所で、御家人勝小吉の子として生まれました。勝家は幕臣には違いありませんが、曽祖父の男谷検校が株を買って武士になった新しい家柄で、禄高40俵という貧しい家庭で育ちました。

海軍伝習所の教授方頭取、幕府の軍艦「咸臨丸(かんりんまる)」の艦長として渡米、帰国後、幕府の海軍創設に尽力して軍艦奉行、のちに陸軍総裁になりました。

明治政府になってから、参議兼海軍卿、元老院議員、枢密顧問官などを歴任、明治32年(1899年)1月19日、76歳で亡くなりました。

 多数の著書がありますが、有名なのは晩年彼の座談をまとめた『氷川清話(ひがわせいわ)』です。先見力に富み、江戸っ子らしい語り口でで、、ザックバランに本音を吐いて世相、人物を斬りまくっている内容は、若い人にも一読の価値があると思っています。

福沢諭吉は大の勝嫌いで、「痩我慢の説」で彼をこきおろしています。海舟の夫人も、彼の墓に一緒に入るのを嫌ったと伝えられます。毀誉褒貶(きよほうへん)、逸話の多い人物であったことはたしかです。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 翌日の1月20日(日)の天気予報は快晴でした。前日の19日が晴れのち曇りで、きれいな夕日を見ることができたので、今日も間違いなく見ることができると考え、東京ゲートブリッジへ出かけました。東京ゲートブリッジに出かけた理由は、日経新聞のWEBで、「東京23区から見える富士山、ベスト10は」という記事があり、東京ゲートブリッジの橋脚の下からのダイヤモンド富士の写真が掲載されており、20日はダイヤモンド富士の日ではありませんでしたが、素晴らしい夕日を見れるのではないかと思ったからです。写真はWEBから引用しました。
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 東京ゲートブリッジはりんかい線の新木場駅から徒歩で60分かかります。今日は若洲キャンプ場行きのバスに乗りました。バスに乗ること約10分で目的地に着きました。
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 折角、ゲートブリッジに来たので、橋の上に上がり中防昇降施設まで往復歩きました。
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 ダイヤモンド・ゲートブリッジ。
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 向こうにもダイヤモンドが見えます。
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 橋の上から見た光景。東京スカイツリーが見えます。
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 写真からはわかりませんが、東京ゲートブリッジの上は大変な強風でした。こんな日にゲートブリッジを歩いている人はほとんどいませんでした。あまりの強風で、路肩に寄せられてしまっているお年寄りがいました。037.gif
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 空には月が浮かんでいます。
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 中坊昇降施設までは写真を撮りながらゆっくり歩いて約30分でした。この先は行き止まりになっており、また若洲まで戻らなければなりません。
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 天気はいいのに、振り返っても誰もいません。
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 橋の上は寒いので、早々に若洲まで引き返し、下まで降りました。しかし、下も寒かったです。
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 私は東京ゲートブリッジの真下に赤い太陽が落ちてくるのが見える位置に移動しました。ところが昼間は天気予報どおり快晴であったのに、太陽が傾きかけた午後4時過ぎ、太陽が沈む方向に雲がベッタリと貼り付き始めました。普通、これだけ風が強ければ、雲は流されてしまうはずで、私の他にも夕日を撮りに来た人がたくさんいました。しかし無情にも、雲は流されないまま、その場所に留まり続け、19日に見たような夕日を見ることができませんでした。
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 これが今日精一杯の東京ゲートブリッジの夕日です。寒い思いをして行ったのに、“あゝ、無情“というしかありません。031.gif
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 右側に富士山が炙り出されてきました。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度


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 17時01分のバスに乗り、新木場駅まで帰ってきました。バスは40分に1本くらいしかありません。東京ゲートブリッジと新木場駅間は歩くと1時間かかります。
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 大井町湯屋で風呂に入って行こうかと思いましたが、1月20日は休館日であることを忘れていました。休館日がわからないほど、最近は大井町湯屋へ行っていません。そして、この日は日曜日でしたが、勇才さんが営業しているというので、夕飯を食べに行きました。068.gif
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 日曜日であるにもかかわらず、私を含めてお客さんは9名も来ました。最初は年配者3名、若いカップル1組、そして、いい歳、りょうちゃんの合計6名でしたが、その後、予約を取っていないという若者1名とカップル1組が来ました。
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 私の隣に座ったのは保母さんと若者のカップルで山形県出身だそうです。私が鳥海山に行ったことがあることを話すと、その若者は雪山歩きで雪の上に出てくる黄色い山椒魚を食べるのが習慣であると話してくれました。山椒魚をツルッと飲みこんでしまうそうです。私にはマネできそうもありません。037.gif
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 鴨鍋。
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 鴨南蛮。
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 名前を忘れてしまいました。こんな顔したオバサンいますね。
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 蒸し牡蠣。
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 ひつまぶし。
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 写真のお酒は年配者3名のお客さんが持ってきた「どぶろく」の上澄みで25度あるそうです。勇才さんは密造酒であるに違いないとおっしゃっていました。041.gif
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
今週末は奈良の若草山に行ってきます。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2013-01-23 21:31 | 海浜幕張&東京ゲートブリッジ | Comments(0)

碧空と飛雪の浅間を望む、浅間隠山、鼻曲山を行く

旅行・地域
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 今週は14日(祝・月)に成人式がありましたが、爆弾低気圧の猛威にさらされて、首都圏は雪に見舞われました。在来線は軒並み運転見合わせで、大混乱だったようです。私はこの3連休のうち。13日(日)と14日(祝・月)は山旅クラブで日本二百名山の浅間隠山と、信州百名山の鼻曲山に行ってきました。どちらも雪山登山でしたが、東京のほうがはるかに寒いと思います。
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 13日(日)は上越新幹線に乗って、高崎に向かいました。天気は快晴で、素晴らしい景色が期待できそうです。058.gif
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 高崎駅でトミーさん夫妻と待ち合わせて、いつものように高級リムジンカーに乗って、浅間隠山登山口に向かいました。高崎駅に午前8時8分に到着し、二度上峠前の登山口に着いたのは10時過ぎでしたので、約2時間の行程になります。浅間隠山は公共交通機関ではアクセスが難しい山のようです。
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 二度上峠から真っ白な浅間山がバッチリと見えました。060.gif
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 ストレッチと準備を済ませて、写真に示す階段から浅間隠山へ向かいます。浅間隠山の由来は、文字通り浅間山を隠してしまう山ということから名付けられています。群馬県の吾妻町や中之条町から見たときに浅間山がすっぽりと隠れてしまということがほとんどのWEBに書いてあります。
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 浅間隠山の頂上を目指して、最初は道なき雪道を参加者で順番に先頭に立って、冬枯れの樹々をへし折りながら進んでいきます。037.gif
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 最後は竹やぶを踏み倒しながら、正規の登山道に辿り着きました。あとでわかったことですが、立派な登山道があるにもかかわらず、ひどい道を歩かされたのは、いろいろなことを体験させてあげたいというトミーさんの親心からだそうです。私の前を歩いていた女性の方は、竹やぶの中を進むのが大変そうに見えましたが、植物を踏み倒すように歩けば比較的容易に進めると思いました。
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 正規の登山道に出たのは午前11時30分を過ぎていました。ここからアイゼンを装着し、浅間隠山の頂上を目指して登っていきます。
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 道中のほとんどは樹林帯で、浅間隠山の肩と山頂が見えました。
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 樹林帯を抜けると頂上はもうすぐです。
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 今、通ってきた浅間隠山の肩が登山道の向こうに見えます。
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 目の前には雄大な浅間山が構えています。
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 山頂に到着。13時18分。標高1756 m。記念撮影を撮りました。りょうちゃんが写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。
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 山頂からの風景。榛名山。
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 独特の山容の妙義山が見えます。
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 北アルプスも見えます。
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 山頂の方位盤に槍ヶ岳の文字があり、トミーさんが当てずっぽうで「あれではないか」と教えてくれました。槍の穂先は、浅間山の白い裾野に黒くぽつんと見えました。写真の浅間山裾野の右から2番目のピークあたりに黒い点がありますが、これが槍の穂先のようです。写真ではまったくわかりません。
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 頂上で景色を存分に楽しみ、お昼を食べて、13時40分に下山を開始しました。
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 下山は正規の登山道を下って、正規の登山口に戻ってきました。14時49分。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 鎌倉に幕府を開いた、源氏の統領源頼朝は、壇の浦で平氏を滅亡させたあと、その13年後の建久9年(1198年)の12月27日、相模川の橋供養に臨んだ帰途落馬し、病床に臥していましたが、翌正治元年(1199年)1月13日亡くなりました。

 頼朝は、源義朝の第3子、清和源氏の嫡流として生まれました。13歳のとき、父に従って平治の乱に参加しましたが敗れ、父は東国で捕らえられて殺害、頼朝も隠れ家を捕らえられましたが、幸い平清盛の継母池禅尼のはからいで、かろうじて一命をとりとめ、伊豆の蛭ヶ小島に流されました。

 それから20年の歳月、頼朝はまじめに念仏三昧の日を過ごしました。歴史とはおもしろいものです。その頼朝が治承4年(1180年)8月17日、東国の源氏ゆかりの人々の手によって、源氏再興、平氏追討の挙兵をはかるのですから皮肉です。

 それにしても、あの戦国乱世の時代には、勝者は徹底的に敗者一門の根だやしをはかりました。将来仇討ちや復讐などの計画させないためです。あの時、清盛が頼朝や義経などに比較的寛大だったのは、どうしてだったのでしょうか。

 根底には清盛のヒューマニズムだったのかもしれません。しかし、私は清盛の勝者としての安心感があったためだと考えています。

 平氏と源氏を比較すると、例えば平治の乱をみてもわかる通り、源氏の力は弱い。ましてや幼児の頼朝や義経など、生かしても将来なにもできまい。それに、伊豆の蛭ヶ小島を、名前の通り、海を隔てた離れ小島と思い違いをしたのかもしれません。

 歴史に「もしも、あの時・・・・・・」はありませんが、それを思い起こさせるいい材料のように思います。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 13日の夜は、はまゆう山荘に宿泊しました。ヨーロッパの建物を思わせるような立派な施設です。
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 はまゆう山荘の談話室。グランドピアノと暖炉がありました。
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 玄関フロント前の狼の彫刻。
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 薪のストーブ。
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 中庭にはかまくらがありました。
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 入浴後、食堂でみんなで乾杯しました。068.gif
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 部屋でも乾杯。トミーさんは「明日も仕事だから、あんまり飲ませないでくれよー。」とおっしゃっていましたが、お酒をたくさん召し上がって、「八重の桜」を見ながら綾瀬はるかが登場する前に寝てしまいました。037.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度


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 2日目、14日はふたたび二度上峠まで行き、鼻曲山を登る予定です。14日は前日とは天候が一変し、雪がしんしんと降る中の山登りとなりました。
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 登山口で記念撮影。
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 昨日の登山口。
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 今日は浅間山が見えません。
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 昨日13日の二度上峠。
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 昨日上がっていった階段も雪で真っ白です。
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 昨日の階段の写真。
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 鼻曲山はアップダウンが多い山です。歩き始めて、しばらくして梯子が壊れている場所があり、スリングを伝わって降りていきました。
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 鼻曲山は片側が切れ落ちている場所も多くありました。
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 最初のピークでの記念撮影。
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 登山道はトレースがなく、昨日と同じく参加者で交替に先頭に立ちながら進んで行きました。
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 この天気なので景色を望むことができず、ただただ雪道を歩いていくのみです。
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 山頂まであと1 kmというところでしたが、天候も悪化に伴い、風雪も強まり気温も下がってきたので、山頂を踏むことはあきらめて、引き返すことになりました。
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 先ほど急斜面を下ってきたところを、今度は急登を登ることになります。かなりキツく、汗びっしょりになってしまいました。042.gif
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 ひたすらに歩きます。
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 前に見えるのは獅子岩です。
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 獅子岩を過ぎると、さきほどスリングで降りた場所を今度は登ります。
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 13時10分、登山口に戻ってきました。トミーさんの高級リムジンカーは雪に埋まっていました。
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 ふたたび、はまゆう山荘まで戻り、温泉に入りました。はまゆう山荘はもともと横須賀市の厚生施設として建てられたものであり、海軍カレーがお土産として売られていました。入浴後、食堂で海軍カレーを戴きました。
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 高崎駅まで高級リムジンカーで送り届けていただきました。新幹線はほとんど満席で、私は40分後の新幹線のグリーン車を取ることができました。東京の電車も雪で大混乱だったようであり、ダイヤが大幅に乱れていました。そして浅間隠山や鼻曲山よりも東京のほうがはるかに寒く感じました。


新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
来週は奈良の若草山に行ってきます。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2013-01-19 12:23 | 雪山の浅間隠山・鼻曲山 | Comments(0)

歩みの会、福笑いの新年山行、新春の筑波山を行く

旅行・地域
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 いつも載せている冒頭の写真は、2011年の元旦、東京都城南島海浜公園で撮影しました初日の出です。前回2013年の初日の出は見ることができず、1月2日に水平線から上がる日の出を見ることができましたが、2011年の元旦にまさる日の出はなかなか見ることができないと思います。今後もしばらくは2011年元旦の写真を冒頭に使います。058.gif
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 さて1月5~6日は山旅クラブで観音山&新年会に参加する予定でしたが、直前に家で取り込みごとがあり、残念ながらキャンセルしました。12月29日から1月6日までの9連休ではありましたが、休みというものはあっという間に終わってしまいます。休みの最後に、映画「妖怪人間ベム」を見に行きました。
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 映画のストーリーは書きませんが、テレビで宣伝されているほど感動的な映画ではありませんでした。「妖怪人間ベム」は私が子どもの時にアニメとしてテレビで放映されており、テレビアニメのほうがはるかに出来がいいと思います。今から40数年前のことです。
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 現在の実写版では妖怪人間ベムたちが悪い人間と闘う構図になっていますが、40年前の番組では悪い妖怪から人間たちをまもるという構成になっていました。そして人間になることを望んでいた彼らは、人間になる方法を見出すことができますが、自分たちが人間になってしまうと悪い妖怪から人間を守ることができなくなるため、人間になることをあきらめるという最終回でした。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 1月10日は、大阪今宮戎(えびす)神社の祭礼で、一般に”十日戎”といって大変な賑わいをみせます。

 昔は、道頓堀にある戎橋が参道の入口で、そのあたりから参拝客が延々と続いていたといわれます。今はその面影はありませんが、それでも神社近くの参道の両側には、びっしりと出店が並び、参拝客で賑わっています。

 東京は暮れの縁起物として「酉の市」で熊手が売られますが、大阪は新年の縁起物として、この「戎さん(えべっさん)」(大阪ではこう呼びます)で笹が売られます。
 “商売繁盛、笹もってこい!”の掛け声が示すように、笹につけられた「吉兆の小宝」が、その年の運を招くのだと信じられているからです。

 いかにも大阪らしい雰囲気を感じさせる、新春を寿ぐ伝統行事です。その“十日戎”の夜、大阪の下町の生活を愛し、それを作品に描きつづけた一人の作家が死にました。織田作之助です。彼は大正2年(1913年)10月26日、大阪天王寺区上汐町に生まれました。

 大阪府立高津中学から三高に学び、はじめ一級上の森本薫を目標に劇作家を志しましたが、戯曲の評価が芳しくなく、たまたまスタンダールの『赤と黒』を読み、主人公ジュリアン・ソレルの境遇や心情に共鳴、本格的に小説を書くようになりました。

 昭和15年(1940年)に発表した『夫婦善哉』が改造社の第1回文芸推薦作品になって、一躍新進作家として注目されるようになりました。

 戦後は坂口安吾、太宰治と並びデカダンの無頼派と称される流行作家となり、東京に出て読売新聞に『土曜夫人』を連載中、喀血して入院、昭和22年(1947年)のこの日、東京病院で亡くなりました。34歳でした。墓は大阪の楞厳寺(りょうごんじ)にあります。
 
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 9連休の年末年始休みが終了し、1月10日(木)は休暇を取って、久しぶりに「歩みの会」に参加しました。この日は新年山行で筑波山に行ってきました。歩みの会では、今までアミューズトラベルで山行を行ってきましたが、昨年末にそのアミューズがなくなり、今後の山行がどうなってしまうのか大変に心配していました。ジョイフル観光で企画提案型の山行を引き受けてくれることが決まり、今後も今まで通りに参考ができることになったと浅場会長がおっしゃっていました。歩みの会に同行してくれるガイドと添乗員も今まで通り白砂さんと倉持さんです。その白砂さんは今年の3月にトラベルギャラリーというツアー会社に移籍されるとおっしゃっていました。
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 いつものように新宿西口に集合。午前7時15分に24名を乗せたバスが出発しました。これから筑波山へと向かいます。
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 朝焼けの中の東京スカイツリー。
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 釣鐘もなか。歩みの会では朝からバスの中でいろいろなお菓子、食べ物が配られます。038.gif
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 バスを乗ること約2時間で大鳥居の前に到着しました。午前9時15分。
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 ストレッチを済ませて、まずは筑波山神社で初詣のお参りをしました。
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 筑波山は江戸城の鬼門の方角に当たるため、徳川家光により多くの社堂伽藍が造営され、宝物が寄進されました。現在ある日枝神社、春日神社、厳島神社、御神橋も家光が寄進したものです。写真は日枝神社の「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿です。三猿といえば、日光東照宮のものが有名ですが、筑波山神社は東照宮が作られる3年前に造営されており、筑波山神社の造営に関わった大工が、東照宮の建築も行ったと言われています。
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 つくば市指定の天然記念物、標本木の「マルバクス(丸葉楠)」。日本の植物学者、牧野富太郎に名付けられました。
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 今日は白雲橋コースから女体山山頂を目指し、男体山山頂を経由して、薬王院コースから下山する予定です。
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 最初の休憩。考えれば、ちょうど1年前の小豆島ツアーで歩みの会のみなさんとご一緒できたのがきっかけで、歩みの会に最年少で入会させてもらい、その後、剱岳に連れて行ってくれたトミー富澤さんを紹介していただきました。038.gif
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 浅場会長はFacebookでいい歳、りょうちゃんのお友達になってくれています。038.gif
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 この場所から女体山の山頂が見えます。こうやって見ると、結構険しそうに見えます。
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 弁慶七戻りの石門。
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 高天ヶ原。ここから奇岩群が連続します。
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 母の胎内潜り。
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 陰陽石。
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 国割り石。
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 出船入船。
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 裏面大黒岩。
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 女体山の山頂まで岩場が続きます。結構滑ります。
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 大仏岩の下を通ります。
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 大仏岩。
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 もうすぐ頂上です。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度


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 女体山の山頂に到着。標高877 m。12時19分。
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 山頂から見た関東平野。
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 女体山の山頂で記念撮影。
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 2年前に来た時はここは凍結していました。その翌週、あの東日本大震災が起こりました。
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 御幸ケ原で昼食を食べました。
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 御幸ケ原で野鳥観察しているグループがいました。ジョウビタキでしょうか。
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 御幸ケ原から見た加波山、関東百名山だそうです。
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 日光男体山も見えます。
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 筑波山の男体山で記念撮影。標高871 m。13時30分。
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 男体山から見た関東平野。
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 遠くに東京スカイツリーが見えます。
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 帰りは薬王院コースを下山していきました。この階段は800段近くあります。
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 15時過ぎに登山口に降りてきました。写真はバスの車窓から見た筑波山の女体山です。
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 下山後は「あけの元気館」で入浴。
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 入浴後は、もちろんビールで一杯。なんと大洗のマグロが売られていました。1パック700円です。038.gif
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 そして夕飯は「鴨亭」まで移動して、鴨鍋を戴きました。
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 夕飯後はお年玉商品をかけて、顔ジャンケンをして大抽選会が行われました。024.gif
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 皆さん商品が当たって、ニコニコ顔です。024.gif
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 いい歳、りょうちゃんも珍しく顔ジャンケンに勝ち残り、素敵な商品を戴きました。有難うございます。038.gif
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 帰りのバスの中で、ビールと日本酒を飲みながら新宿まで戻ってきました。歩みの会には昨年の7月「八間山」以来の参加でしたが、相変わらず笑いの絶えない楽しい山行でした。次回は3月11日(月)の古賀志山に休暇が取れたら参加する予定ですので、皆さんどうぞよろしくお願いします。038.gif



新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
次回は浅間隠山・鼻曲山の報告をします。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2013-01-16 22:58 | 歩みの会・新年山行、筑波山 | Comments(0)

新春陽だまりハイク、丹沢山系の高取山・仏果山・経ヶ岳を行く

旅行・地域
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 今年も初日の出を見るため、城南島海浜公園へ出かけてきました。元日の日の出は午前6時50分です。朝5時前に起きて、タクシーを呼び、城南島海浜公園に行きました。この日の天候は天気予報では快晴でした。昨年の初日の出は空一面の曇り空で見ることができなかったため、今年は見ることができるとの期待で目的地に到着しました。
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 毎年のことですが、城南島海浜公園はいつもは立ち入り禁止になっている砂浜が解放されます。多くの人が初日の出を見るために詰めかけていました。西の空には月が浮かんでおり、上空の空は快晴そのものでしたが、東側の空を見ると水平線上には鈍色の雲がベッタリと貼り付いていました。徐々に東の空は明るくなるものの、心配したとおり、水平線から登ってくる赤く丸い朝日を見ることはできませんでした。写真が精一杯の初日の出の写真です。058.gif
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 名残惜しそうに砂浜で海を眺める人たち。
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 帰りは城南島海浜公園から大井町駅を目指して歩いて行きました。写真は途中の橋から見た東京ゲイトブリッジ。
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 大田スタジアムまで来た時、太陽もかなり上まで昇り、ダイヤモンド状の太陽を撮ることができました。
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 寒椿。056.gif
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 帰ってきて、前日に用意した料理を食べながら、酒を飲みました。写真は卵の黄身をアルミのトレイに落として、その中に醤油を入れて、醤油漬けにしたものです。半日以上経過すると固まって、いいつまみになります。日本テレビの3分クッキングで紹介していました。
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 こちらは味噌バージョン。いずれも食べ過ぎると塩分とコレステロールの摂りすぎになると思います。しかし美味しいものが健康に悪いのは常識だと思います。
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 今年は自分で焼豚を作りました。タコ糸で縛り上げた豚肉の塊を余っているインスタントコーヒーで煮て、適当に作ったタレに漬け込みました。テレビでは鳥の胸肉をコーヒーで煮たコーヒーチキンを紹介していましたが、豚肉に適応してみました。結構、食べられます。
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 戸越銀座で買ってきた豚の胃袋、耳、のし鳥です。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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社会主義の国と違って、自由主義国、わけても日本から他の国に亡命することはほとんどありません。それが、戦争前の昭和13年(1938年)1月3日、まだ日本の領土であった樺太(サハリン)の国境を、人気女優がその愛人と、恋の逃避行を兼ねて、ソ連に越境、亡命をはかったのですから、当時としては大変な話題を巻き起こしました。その第一報を伝えた新聞記事です。

「新派、井上正夫一座の女優岡田嘉子(38)がひょっこり厳寒の北樺太に登場。北緯50度の国境線近くで行方不明となり、関係方面で目下捜索中である。嘉子は実父が昔、樺太で事業に関係したところから、かねて雪の樺太にあこがれをもっていたが、この暮れ、出演契約中の大阪の劇場から1ヵ月の休暇をもらったので、若き愛人、新協劇団所属の演出家杉本良吉こと吉田好正君(32)と携えて樺太を訪問し、雪の異国情調を満喫すること2日、慰問袋その他を買い、国境線守備隊の警察官慰問に出かける旨を宿の者に残し、自動車で国境に向け出発した。」(「東京日日新聞」5日付)

 当時、亡命は確認されませんでしたが、戦後2人ともモスクワ放送局の日本向けアナウンサーとして手伝っていたことが明らかにされました。彼女はその後、モスクワ大学で演劇を学び、病死した愛人杉本良吉の遺志をついで、演出家として活躍していました。
 
しかし、“望郷”の念もだしがたく、昭和48年(1973年)、35年ぶりに日本に帰ってきました。ときどきソ連に戻ったりしましたが、日本に滞在し、たまにテレビドラマに出演したりしながら日ソ親善のために尽くしました。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 さて翌日、1月2日(水)、この日の天気予報も「快晴」でした。しかも東側の空を見るとうっすらと赤くなっていました。今日こそは初日の出が見ることができるのではと思い、またまたタクシーを呼んで、城南島海浜公園に駆けつけました。1月2日は元日とは一変し、人が数えるほどしかおらず、屋台も来ていませんでした。また砂浜も解放されていなく、扉が固く閉ざされていました。元日と2日はこうも違うものなのです。
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 東側の空には元日ほどではありませんが、やはりうっすらと雲がかかっていました。
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 徐々に東側の空が明るくなっていきます。
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 船の影から太陽が顔を出して、昇ってきました。船が邪魔です。
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 船の煙で太陽が燃えているようです。058.gif038.gif
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 これが今年の私の初日の出になりました。038.gif
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 お正月は勇才さんが営業しているというので、お店に行きました。
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 お正月らしく。
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 茶碗蒸し。
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 今日はキジが出されました。キジの手羽。
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 キジのもも肉。
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 キジの雑煮。
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 イノシシの焼肉。
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 最後は漬け丼をいただきました。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度


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 1月3日(木)、この日は山旅クラブで丹沢山系の仏果山から経ヶ岳を歩いてきました。今日のガイドはキノピー木之下さんです。午前8時30分に小田急線の本厚木駅で待ち合わせです。写真は本厚木駅東口商店街、人の乗り降りも少なく閑散としています。
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 本厚木駅前からバスに乗り、仏果山登山口前へ向かいます。バスは毎時40分発で1時間に1本しかありません。バスに乗ること約45分、午前9時25分にバス停に到着しました。
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 準備体操をして、これから登山開始になります。私が足のストレッチをしていると、木之下さんから朝は筋肉が固くなっているので、ストレッチはせずに、関節を回す程度で良いと教えていただきました。ラジオ体操が準備体操としては一番適しているそうです。午前9時30分に出発しました。
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 空を見上げると、青空の中を絹雲が流れていました。
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 目の前には宮ケ瀬湖が横たわっています。ダムでできた人造湖です。
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 登山者カードを入れる箱のそばにヤマビルを駆除する「ヤマビルファイター」のスプレーが置いてありました。春から秋にかけてはヤマビルが多く発生するそうです。
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 山歩き開始です。日差しで登りでは汗が出るほどであり、新春陽だまりハイクとなりました。
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 結構な急登です。
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 登っているときは暑いのですが、稜線で休憩を取ると冷たい風で寒くなりました。
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 宮ケ瀬の分岐点から高取山に立ち寄ることにしました。午前10時34分。
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 高取山頂上。標高705 m。午前10時47分。
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 高取山の展望台。
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 高取山展望台から、宮ケ瀬湖越しに丹沢山系が見えます。後ろの稜線が丹沢山系。
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 相模湾が見えます。
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 宮ケ瀬ダム。
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 橋本の街。
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 遠く東京スカイツリーが見えました。
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 高取山から目的地の仏果山に向かいます。木々のあいだから見える仏果山。
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 午前11時30分に仏果山山頂に到着しました。標高747 m。
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 仏果山の山頂にも展望台がありました。仏果山の展望台から見た高取山。
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 相模湾の向こうに島が見えます。江ノ島でしょうか。
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 仏果山の山頂で大休止を取り、お昼にしました。木之下さんがおしるこを作ってくれました。頂上には家族連れが来ていました。
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 午前12時00分。仏果山を出発し、半原越から経ヶ岳へ向かいます。写真は痩せ尾根を下っているところで、両側が切れており今回一番の難所でした。
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 比較的細い尾根道が続きます。
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 このように長い急勾配の階段をいくつも下りました。
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 半原越が近くなると経ヶ岳が見えました。
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 半原越から最後のピーク経ヶ岳に登っていきます。ここもかなりの急登でした。
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 半原越から登り始めてから約25分で経ヶ岳のピークに到着。標高633 m、13時57分。
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 林道をショートカットし山を下っていきます。この下りは地図では1時間と記載されていますが、1時間以上かかりました。木之下さんが言うには地図を作った人は実際に歩いて測ったわけではなく、登りの時間の7割か8割掛けしているとおっしゃっていました。
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 樹々の間から見えた最後の風景。真ん中に東京スカイツリー、右端にちょこんと立っているのは東京タワーです。私は肉眼ではわかりませんでしたが、木之さんに教えてもらい、デジカメのレンズを通して、ようやく認識できました。山旅クラブのガイドさんは共通して目がとてもいいというのが私の印象です。私が木之さんにトミーさんも目がいいと話すと、「トミーさんはその方角に何があるのか体で覚えているので、見えなくても適当に言っているだけだ。」とおっしゃっていました。037.gif
 またもう一つわかったことは、山旅クラブのガイドさんはよく「おなら」をするということです。木之さんもトミーさんと同じように道中の80%以上は放屁をしながら歩いていました。お客さんが若い綺麗な女の人でも同じようにガイドするのか一度見てみたいものです。041.gif
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 15時20分に無事に目的地に到着しました。もともと高取山には寄る予定はなかったので、予定よりとても早い到着でした。15時30分のバスに乗って、本厚木の駅前まで戻ってきました。
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 駅前の焼き鳥屋で木之さんとお酒を飲み、新年会をやりました。木之さん、ご馳走いただき有難うございました。038.gif
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 1月4日(金)はお昼に武蔵小山の「ガブ」というお店に行きました。年末に勇才さんに行った時に「ガブ」のご主人夫妻と息子さんが食事に来ており、お店を教えていただきました。このお店はタレントの石ちゃんが取材に来たこともあり、最近ではいつも長蛇の列の末にやっと食べられるというお店だそうです。今日はお正月ということもあり、お店はすいていました。営業は、昼間は11時30分から13時30分まで、夜は18時00分から23時00分まで。日曜日は夜のみの営業だそうです。土曜日が定休日です。
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 写真はその「ガブどん」です。「肉1.5」というメニューで普通のガブどんの1.5倍の270 gのローストビーフが花びらのように盛られています。一人前1700円です。
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
次回は新年山行・観音山に行ってきます。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2013-01-04 17:27 | 高取山・仏果山・経ヶ岳 | Comments(0)

年末年始の風景、大晦日その年最後の夕日

旅行・地域
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 新年あけましておめでとうございます。年末年始から暴飲暴食の日々が続いています。その暴飲暴食の片棒を担いでいるのは勇才さんです。通常のお店は12月28日までの営業ですが、勇才さんのお店は年末年始休まずに営業し、1月5日(土)から9日(水)までお休みするそうです。その勇才さんに行くと、12月22日マヤ暦最終日には何も起こらなかったけれども、確実に最終章へのカウントダウンが始まった気がするとおっしゃっていました。
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 また先日の12月16日(日)に行われた衆議院選挙では不正選挙が行われた可能性があるともおっしゃっていました。投票用紙、投票箱、票の回収と集計は株式会社ムサシという会社が一手に請け負っており、当初の出口調査と比べると、明らかに1000万票が忽然と消えてしまったと言うのです。この1000万票が消えなければ、日本未来の党が30%以上の得票率で第1党になっていたはずであり、そうはさせてはいけないという力が働いたというのが勇才さんのご意見です。こういうお話を勇才さんにさせると、いつまでも話しています。 今年も木曜スペシャル的なお話、楽しみにしています。038.gif
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 おだまき。茶碗蒸しにうどんを入れたものです。勇才さん子どもだった頃のおやつだそうです。
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 お刺身。
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 西京漬け。
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 鴨鍋。
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 グリーンカレー。
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 このお酒はモーツァルトを聴かせて発酵させたそうです。“Sonzen”(ソナタ)といいます。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 12月31日の夜のテレビは「紅白歌合戦」「ゆく年くる年」に続いて、各地の”除夜の鐘”を聴かせてくれます。最近は、衛生中継を使って中国の名刹寒山寺の”除夜の鐘”まで聞かせてくれるので、近年はこの寺の”除夜の鐘”を聴きに、大晦日になると、たくさんの日本人観光客が訪れます。

 寒山寺は、中国蘇州の西郊5 kmの楓橋鎮にあって、6世紀初頭(梁代の天監年間)に建立され、唐代の詩僧寒山が住職をしていた関係で、寒山寺と名づけられました。唐代の詩人張継がこの寺に寄って、楓橋鎮に夜泊したときつくったのが、『唐詩選』に載っている有名な七言絶句『楓橋夜泊』の詩です。

  月落烏啼霜満天(月落ち烏啼いて霜天に満つ)
  江楓漁火対愁眠(江楓漁火 愁眠に対す)
  姑蘇城外寒山寺(姑蘇城外 寒山寺)
  夜半鐘声到客船(夜半の鐘声 客船に到る)

 愁眠とは旅愁のことで、旅先でなかなか寝つかれないこと。姑蘇城は今の蘇洲の町。春秋時代、呉王夫差の宮殿のあったところです。古来、この近くに烏啼山という山があるので、「月は烏啼に落ち」と読むのが正しいと議論されましたが、調べた結果、この山の命名はこの詩のできたあととわかって一件落着しました。
張継は中唐の詩人で、襄州(湖北省襄陽)の人です。官吏で『楓橋夜泊』と題する詩集一巻があるだけです。

 “除夜の鐘”は日本では大晦日、百八の煩悩を洗い清めるために撞きますが、本来中国では唐の時代は各寺院で朝夕毎日撞いていたそうです。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 さて、ようやく休暇に入り、年末は神棚の御札を納めに戸越八幡神社へ行ってきました。その途中に戸越公園があるのですが、ヒマラヤザクラが咲いていました。056.gif
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 戸越八幡神社。
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 「戸越」の名前の由来の碑。ここは坂道の上に有り、昔は小高い丘になっていたようであり、その丘を越えていくと江戸を超えるので、「戸越(とごし)」という地名がついたようです。私はこのことを小学校2年生の社会科で習ったのを覚えています。
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 ルンビニ幼稚園のお地蔵様。
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 12月16日のブログで、映画館「大井武蔵野館」があった通りの写真を品川WEB写真館から引用して紹介しました。
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 その通りは現在、このようになっています。左手前のマンションの場所に「大井武蔵野館」がありました。
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 その奥に見える高い建物は広町にあるJR社宅のアパートです。昔は郷ひろみとその家族が住んでいたという噂がありましたが、見たことはありません。
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 年末の大掃除で書類を整理していると、上智大学から送られてきた来年度のカレンダーが出てきました。その写真の中に大正3年(1914年)に完成した赤レンガの校舎の写真がありました。昨年の1月、広島へ行った時にピースボランティアの辻さんのお仲間の細川さんから、原爆ドームである広島物産陳列館を設計したヤンレツルが上智大学の校舎も設計していることを教えていただき、6月のゲンダマ会のときに、先生方はじめ、知っていそうな年寄りの方にそのことを尋ねてみましたが、誰ひとりご存知の方はいませんでした。その後、フェイスブックにヤン・レツルの記事があり、あのウキペディアに上智大学は関東大震災(1923年)で倒壊したと記述されていました。校舎の一部でも残っていたら、写真に撮りたいと考えており、90年も前に地震で倒壊したら、その一部も残っていないだろうとあきらめていました。
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 しかし、そのカレンダーには大正3年(1914年)の校舎が写っていました。年代的に見ても、おそらくはこの赤レンガの校舎こそ、ヤン・レツルが設計したものに間違いないと思います。私はこの写真をスキャンして、すぐに広島の辻さんへ送りました。写真はその上智大学の赤レンガ校舎で、カレンダーをスキャーナーで画像にしたものです。
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 赤レンガ校舎の教室。
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 メインストリート。昭和7年(1932年)。
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 聖イグナチオ教会の前のカマボコハウスと書いてあります。昭和25年(1950年)。何のために建てられたのでしょうか。
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 聖イグナチオ教会。昭和30年(1955年)。右上に見えるのは迎賓館だと思います。
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 上智会館学生寮。昭和33年(1958年)。現在は取り壊されて、ありません。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度


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 12月31日、お天気であれば、毎年、その年の最後の夕日を見に行くことにしています。初日の出はたくさんの方が見に行かれるようですが、その年最後の夕日を見に行く人はほとんどいません。おそらくはいい歳、りょうちゃんだけではないでしょうか。今年は海浜幕張に行ってきました。海浜幕張駅を降りて、約20分で海浜幕張公園の砂浜につきます。天気が良ければここから富士山が見えるのですが、今日の大晦日は見えませんでした。
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 南のほうは青空が見えています。
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 北のほうには東京スカイツリーが見えます。
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 この日は風もなく、穏やかな一日であり、浜辺に遊びに来ている人がいました。
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 徐々に日が傾き、真上の厚い雲の中から師走の太陽が現れました。058.gif
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 周囲を赤く染めながら、太陽が降りてきます。
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 工場の煙突からの炎で太陽が燃えているように見えます。
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 太陽が沈みきり、海と空が真っ赤に染まりました。
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
新年山行は丹沢・仏果山に行ってきます。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2013-01-02 11:56 | 2012年最後の夕日 | Comments(0)