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上智大学100年史とともに、銀祝での再会を祝う

旅行・地域
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 日本ダービーの結果は、私が推したロゴタイプは直線伸び切れず5着に敗退し、1番のキズナが外から差し切って優勝しました。私はロゴタイプの持つ朝日杯FS ①着→スプリングS ①着→皐月賞①着の戦績を重視しましたが、優勝できませんでした。レースが終了し、今、考えられることは血統オペレーションが大きく働いていたということが考えられます。キズナはディープインパクト産駒でした。特に3歳の主要レースでは1つの血統だけが起用されることがしばしばあります。今回もHail to Reason系が起用されたということでしょうか。今後検証したいと思います。
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 5月25日(土)は約3週間ぶりにじゃんけんぽんに行ってきました。トントンさんとはるさんから何日か前に私の知り合いで大井町湯屋の会員で若くて目がクリっとしたきれいな女性の方がお店に来たと教えていただきました。目がギャロっとした人は知っていますが、若くてきれいな人は残念ながらおりません。私の知っているみなさんは、もう何年も前に女性でなくなった方ばかりで、私には心当たりがありませんでした。「若くてきれい」という点では、インストラクターのしのちゃんしかいませんが、わざわざ大井町に来るとは思えません。一体、誰だったのでしょうか。ご連絡をお待ちしております。037.gif
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 さてこの日も自分の健康、減量のため、野菜中心で高タンパク低脂肪のお料理を出していただきました。写真は正雪の天満月(あまみづき)という日本酒です。「天満月」とは満月を意味します。
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 鳥貝。
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 鳥のレバー。
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 鳥のムネ、モモ、セセリ。
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 焼き上がり。
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 これは何でしたっけ。
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 最後にカツオの漬け丼をいただきました。私がカツオの漬け丼を食べたいというと、「そんなもの食べてはいけない」と苦言を言って、私の健康と減量を心配し、小さいサイズのものを出してくれました。私を太らせて殺そうとする勇才さんと違って、とても優しいお店です。
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 そして、この日、お店には鳶職の山ちゃんが来ていました。山ちゃんは歯がないため、いつも柔らかいお豆腐しか食べられません。その山ちゃんから「大井町」の名前の由来を教えていただきました。大井第一小学校の近くに光福寺というお寺が今でもありますが、その敷地内に大きな井戸があって、周辺の人たちが生活用水やお産のときの産湯につかっていたそうです。その大きな井戸を中心に人々が生活し、町が形成されていき、「大井町」という名前が付いたそうです。その大きな井戸は現在は存在せず、江戸時代までの話です。何回もこのブログのなかで紹介している「戸越」の由来は、私が小学校2年生の時に社会科の授業で習いましたが、「大井町」の由来は初めて聞きました。私が小学生当時は、地域の名前の由来について、地域ごとに教えていたのだと思います。山ちゃんは鳶職だけあって、相撲取りが大っ嫌いだそうです(め組の喧嘩を調べてください)。037.gif041.gif


(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 詩人竹内浩三といっても、その名前や作品を知っている人は少ないでしょう。彼は大正10年(1921年)、伊勢市に生まれ、宇治山田中学在学中、宮沢賢治の詩に魅かれ、試作の道に入りました。

 昭和17年(1942年)9月、日大芸術科を繰り上げ卒業となり、茨城県筑波山麓の落下傘部隊に入隊しました。その後比島作戦に従軍し、昭和20年(1945年)4月、壮烈な戦士をとげました。陸軍兵長、23歳でした。

 昭和30年(1955年)、姉や同級生の手によって遺稿集『愚の旗』が出されました。私家版のわずか200冊の少数部にしか過ぎませんでしたが、収められた作品『骨のうたう』が注目されました。

 詩人の桑島玄三は、彼の筑波時代の記録『筑波日記』をもとに、『純白の花負いて―――詩人竹内浩三の“筑波日記”』(理論社)を出しました。そして昭和55年(1980年)5月25日には、彼の故郷、竹内家の墓地のある朝熊山上に、遺族や旧友たちの手によって、彼の詩碑が建立されたのです。

 アア 戦死ヤアワレ
 兵隊ノ死スルヤアワレ
  コラエキレナイサビシサヤ
 国ノタメ 大君ノタメ
 死ンデシマウヤ ソノ心ヤ

 『骨のうたう』の最後の一節が刻まれています。

 昭和57年(1982年)8月には、神戸女子大教授足立巻一の『戦士ヤアワレ―――無名兵士の記録』(新潮社)が出され、さらに同年8月には、NHKが湯浅譲二の音楽で、ドキュメンタリー『戦死ヤアワレ』を放送して話題を呼びました。『君死にたもうことなかれ』につぐ反戦詩です。「戦死ヤアワレ」ですが、「戦争ハモットアワレ」です。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 5月26日(日)は上智大学に行ってきました。この日は卒業後25周年の「銀祝」という同窓会がありました。
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 25周年の「銀祝」の他にも、50周年の「金祝」と15周年の「銅祝」がありました。
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 この日は上智大学が創設100周年を迎え、構内は屋台が並び、大勢の人で賑わっていました。
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 この写真は10号館で行われた「金・銀・銅祝」のお祝いセレモニーの様子です。まずは校歌斉唱から始まりましたが、私はこの校歌の曲調は25年経ってもあまり好きにはなれません。
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 この方はNHKの解説員だそうです。
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 セレモニーが終わって、銀祝の祝賀会が始まるまで約1時間半もあったので、ブラブラと露店を周り、ビールを飲みながら、化学科がある4階フロアーに行ってみました。25年経過しても、研究室の様子は変わらず、汚いままでした。以前に有明に移転するというお話も聞きましたが、入札に負けて頓挫してしまったそうです。また敷地の一角にあった上智会館が取り壊されて、2号館規模の建物を新築する計画があり、寄付金を募っていました。しかしながら、その新しい建物の中にも理工学部は移る予定はなく、しばらくは現在のままだそうです。
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 土手にも行きました。日曜日にもかかわらず、体育会系の学生が練習に励んでいました。
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 土手からは迎賓館が見えます。また25年前にはなかった六本木ヒルズも確認できました。
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 土手に咲いていた名も無き花です。しばらく土手を散歩しましたが、ここでも親指大の巨大なスズメバチが耳元をかすめていきましたので、慌てて退散しました。おそらくは、この土手のどこかにスズメバチの巣があるのでしょう。大学の皆さん、ハチに刺されないように気をつけてください。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

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 スズメバチから逃げるようにして、また大学構内に戻ってきました。露店で買った生ビールを飲んでいると、隣の銀祝に出席すると思われる男性が私の顔をじっと見ているので、「化学科出身の方ですか?」と尋ねると、違うとのことでした。037.gif
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 幹事の方から昨年の銀祝の様子の写真が公開されていることを教えていただき、その写真は見ていましたが、写っている方々のお顔は25年前の22~23歳の若いお嬢さん、若い青年の顔ではなく、やはり50歳の坂に差し掛かる中高年のお顔ばかりであったので、今日の銀祝で25年前の同窓生の顔が判るか、あるいは相手が自分を判ってくれるかという思いで、会場へ向かいました。
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 今日の銀祝には化学科のメンバーは21名が出席していました。私は当時の同窓生の顔がわからないでのはないかと思っていましたが、その予測は見事に裏切られました。たしかに20歳代の顔ではありませんが、25年前の痕跡をとどめており、はっきりと認識することができました。中には、25年前と顔つき、体つきが全く変わらない、とても50歳を目前にした人とは思えない、若さを保った方も数名いらっしゃいました。マイケル・ジャクソンのように薬物を打っているのではなかとか、整形しているのではないかとの様々な疑惑と噂が持ち上がっていましたが、少林寺拳法をやっており、5段の腕前とのことです。私も少林寺拳法をやってみようかと思いましたが、まあ無理ですね。037.gif
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 私の顔もすぐわかっていただいたようです。また卒業して25年が経ち、たぶん初めて話をした方もいました。初めて話をして、「こういう声だったのか。」ということが判り、銀祝では新しい発見がいろいろとありました。またよく喋るようになったとも言われました。学生時代はそれだけ人間関係が希薄だったということですね。銀祝会場での記念撮影が続きます。杉森先生を囲んでの記念撮影。038.gif
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 私の記憶では左側のお嬢さんは、ミス ソフィアに選ばれていたはずです。25年が経ちました。038.gif
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 みなさんの評価では、私の容貌は学生時代と変わっていないそうです。中には少し痩せて、若返ったのではないかと言ってくれる人もいました。現在と大学生時代の体重を比べるとほとんど変わっていません。大学の時は88 kgでした。その間は随分と乱高下しましたが現在は90 kgちょうどです。これも普段、山歩きをしているおかげでしょうか。
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 化学科のメンバーと記念撮影。
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 応援団の田中さんが何か話しています。何を話しているのかみんな聞いていませんでした。037.gif
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 2次会までしばらく時間があるので、25年前のミスソフィアと、大学院に一緒に行ったべんちゃんと、まりちゃんと喫茶店へ行きました。正門前にゆるキャラがいて、一緒に記念撮影しました。名前はソフィアンくんと言うそうです。024.gif
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


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2次会では銀祝を上回る35名の方が参加されました。また数名の先生方にもご出席いただき、賑やかな夜が更けていきました。
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何名か現在の近況について報告せよとの依頼があり、私もここまで書き綴ったことと、上智大学と広島の原爆ドームの設計者が同一人物であったということをお話させていただきました。山登りの話は忘れてしまいました。

 最後に、この化学科の同窓会は今後も定期的に継続されるとのことです。幹事の皆さん、お疲れ様でした。
 また会う日を楽しみにしております。038.gif024.gif

(追)その設計者の名前はヤン・レツルで、今年の1月2日のブログに記事を掲載しています。写真だけ再度掲載しておきます。
上智大学の赤レンガ校舎。
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 赤レンガ校舎の教室。
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 メインストリート。昭和7年(1932年)。
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 聖イグナチオ教会の前のカマボコハウスと書いてあります。昭和25年(1950年)。何のために建てられたのでしょうか。
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 聖イグナチオ教会。昭和30年(1955年)。左上に見えるのは迎賓館だと思います。
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 上智会館学生寮。昭和33年(1958年)。現在は取り壊されて、ありません。
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来週は皇海山に行ってきます。060.gif

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by ryott-ryott | 2013-05-27 14:43 | 上智大学銀祝

第80回日本ダービー馬を考える、天狗伝説舞う大小山を行く

旅行・地域
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 今週で「いい歳、りょうちゃんの春夏秋冬、土曜日歳時記」を始めて満4年が経ち、5年目に入ります。
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 先週のオークスでは4枠は連対しませんでしたが、木曜日に発表された第80回日本ダービーの枠順を見ると、私が推すロゴタイプとヒラボクディープはそろって4枠に入っています。ロゴタイプからヒラボクディープの8番→7番が本線です。また青葉賞を1番人気ありながら11着に敗れた外国産馬17番レッドレイブンも押さえたいと思います。1番人気を獲得した馬は大敗しても時として1着馬のように振舞うことがあります。2009年の勝ち馬ロジユニヴァースは皐月賞を1番人気に支持されながら、皐月賞で14着に大敗しますが、ダービーでは1着になりました。いつもではありませんが、1番人気と1着は同等に扱う必要があります。17番は人気薄なので押さえてもよいでしょう。
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 第80回日本ダービーの私の最終結論は、単勝8番ロゴタイプ、馬番8番→7番本線、8番→17番押さえです。

 いい歳、りょうちゃんの決まっている今後の予定は以下のとおりです。

 5月26日(日)      上智大学銀祝
 6月 1日(土)~2日(日) 皇海山(トラベルギャラリー)
 6月10日(月)      歩みの会・鹿俣山
 6月15日(土)~16日(日) 猫魔ヶ岳&会津磐梯山(山旅クラブ)
 6月23日(日)      天覧山・岩登り講習会(山旅クラブ)
 6月29日(土)      昼間:都立雪谷高校100周年同窓会
             夕方:ゲンダマ会
 7月13日(土)~15日(月) 岩木山&八甲田山(山旅クラブ)
 7月20日(土)~21日(日) 上州武尊山(山旅クラブ)
 7月27日(土)~31日(水) 荒川三山&赤石岳(山旅クラブ)
 8月 3日(土)~ 7日(水) 早月尾根・剱岳(山旅クラブ)
 8月11日(日)~18日(日) 裏銀座コース、鷲羽岳・水晶岳・槍ヶ岳(山旅クラブ)
 8月24日(土)~26日(月) トムラウシ山(トラベルギャラリー)
 8月31日(土)~9月1日(日) 仙丈ヶ岳(山旅クラブ)
 9月21日(土)~23日(月) 五竜岳(トラベルギャラリー)
 9月25日(水)      歩みの会・三壁山~エビ山



(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 天慶9年(946年)5月18日は、『古今和歌集』の選者の一人、『土佐日記』の著者として有名な王朝の歌人、紀貫之が亡くなった日です。78歳の生涯でした。

 『古今和歌集』は、『万葉集』以後、最初の勅撰和歌集(醍醐天皇の命により編纂された)で、全20巻、平安朝初期の和歌千百余首をのせています。選者は、紀友則、紀貫之、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)、壬生忠の4人で友則が没し、編集の中心は紀貫之になりました。

 ちなみに、『古今和歌集』に10首以上載っている歌人は10人いますが、紀貫之の歌は、なんと99首も入っています。六歌仙に続く古今和歌集風の大成者といわれることがうなづけます。そのなかで、よく知られている歌をあげましょう。

     人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂いける

 この『古今和歌集』で圧巻とされるのは、わが国初の仮名書の序文です。紀貫之の作です。

 「やまとうたには、人の心を種として、よろずの言の葉とぞなれりける。・・・・・」という書き出しではじまる彼の歌論は、輸入された中国詩論に対する日本的発想、表現による1つの文学宣言であると評価されています。

 『土佐日記』は、彼が四国・土佐守の任期を終えて、海路京都に戻るまでの道中日記です。そのころ、日記は男性が漢文で書くものとされたものです。

 彼はそれを女性が書いたように擬装して、しかも、仮名で書き上げました。わが国最古の仮名書き日記として注目されるのは当然です。彼はまた書道の名手としても著名な人です。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 先週の5月18日(土)はトラベルギャラリーで大小山に行ってきました。大小山の登山口にある阿夫利神社には大天狗と小天狗が棲んでいたという伝説からこの名前が付いたそうです。写真はバスの車窓から見た大小山です。「大小」の文字盤は1つ7 m四方、「大小」の文字2つで2トンの重量があり、1855年(安政2年)に周辺の住民によって掲げられたとガイドの石原さんが説明してくれました。038.gif
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 いつものように歩き始める前の準備体操。この写真はもう見飽きたでしょうか。もっと若いお嬢さんの同じ姿を見たいものです。037.gif041.gif
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 9時30分過ぎに登山口から歩き始めました。この日は晴天に恵まれ、最高気温は27 ℃だったそうです。とても暑く、いい歳、りょうちゃんは2.5 L以上(ペットボトル5本)の水を飲んでしまいました。042.gif068.gif
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 阿夫利神社の石尊の滝で、かつては4つまであり、信者が滝に打たれたと書いてありますが、これが滝と言えるでしょうか。珍百景と言われているそうです。037.gif
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 徐々に岩場が現れます。そして今日は試飲仲間のかずさんの大奥様、ともちゃんが参加していました。一昨年の九州の百名山、阿蘇・祖母・九重に行った時に、村田英雄伝説を教えてくれた人です。とてもいい話であったので、私が口述筆記し、このブログと自分のFacebookのノートに記載し、多くの方から「いい話だ。」との感想をいただきました。その全文をもう一度掲載します。写真は見晴らし台から見た大小山、山頂に人がいるのが見えました。
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その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

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 見晴台で小休憩。みんな、水をがぶがぶ飲んでいました。068.gif
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 ここから登り返しがあり、大小山の山頂を目指します。岩場の登山道を登っていきます。
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 午前10時27分、大小山の山頂に到着しました。標高282 m。
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 さらに歩を進めて、妙義山の山頂に到着。地図にはこの妙義山の山頂が大小山の山頂になっていました。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

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 大小山の山頂で集合写真を撮ったあと、大坊山を目指します。途中にこんな岩場もありました。一人づつ慎重に降りていきます。
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 休憩場所から見た大坊山。
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 休憩場所で記念撮影。
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 大坊山へ向かうと途中、岩稜帯を進んでいきます。両側が切れているところもありましたが、親指大のスズメバチがビュンビュン飛んでおり、そちらのほうが恐ろしかったです。042.gif
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 越床峠から急登を上がって行きます。
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 番屋の12時20分過ぎに到着。ここでお昼ご飯になります。
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 この番屋は足利鉱山の持ち物だそうです。
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 下を見下ろすと、足利鉱山の採掘場になっています。
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 先ほど通過した岩稜帯。
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 目の前に大坊山が見えます。
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 13時40分過ぎに大坊山の山頂に到着しました。標高285 m。かつてここには大山祇神社があったそうですが昭和40年(1965年)に落雷で焼失し、社殿は山腹に移されたそうです。
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 大根の花が咲いていました。056.gif
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 大根のようなお姉さんたちと記念撮影。
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 「鹿島園」という入浴施設で入浴し、いつものようにバスの中では大宴会で東京まで戻ってきました。写真は鹿島園のフロントに置いてあった16 kgの巨大大根です。037.gif
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地




 
明日は銀祝に行ってきます。060.gif

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by ryott-ryott | 2013-05-25 12:15 | 大小山

第80回日本ダービー馬を考える&夏山に向けて減量を開始する

旅行・地域
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 大小山の模様は次回報告します。今日は来週5月26日(日)に行われる第80回日本ダービーの予想から書きます。024.gif
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 結論から言うと、2013年の日本ダービー馬はロゴタイプにします。ロゴタイプの戦績は、かつてのダービー馬、ミホノブルボン、ナリタブライアンのものと瓜二つです。500万下、朝日杯FS、スプリングSを1着で通過した皐月賞馬は例外なく日本ダービー馬になっています。3年前のローズキングダムは朝日杯FS馬でありながら、スプリングSは3着、皐月賞は4着であったため、日本ダービーは2着に甘んじたと考えます。今年の私の日本ダービー馬はロゴタイプです。

 相手は青葉賞を勝ったヒラボクディープにします。ミホノブルボンのときの2着は同じ7枠のライスシャワーで、もう一頭の同枠馬は青葉賞を勝ったゴールデンゼウスでした。ナリタブライアンのときは2着は青葉賞を勝ったエアダブリンでした。

 また5月の東京競馬場で行われるGⅠは出目が連動する傾向があります。第1週のNHKマイルCは4枠の馬が勝ちました。2週目のヴィクトリアマイルは4枠の馬が2着でした。今週のオークスで4枠が連対すれば、来週の日本ダービーでも4枠が連対する可能性が高くなると思います。

 結論は、ロゴタイプからヒラボクディープの馬番、出目を考慮すればロゴタイプから4枠の2頭、ロゴタイプが4枠に入った場合は(4-4)の揃い目、ロゴタイプの入った枠の揃い目も抑えたほうがいいでしょう。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 安政4年(1857年)5月26日、この日幕府はアメリカの下田領事館ハリスとの間に、第二下田条約を結び、和親条約の一部を改正しました。

   かごでいくのはお吉じゃないか
   下田港の春の雨
   泣けば椿の花が散る・・・・・

 世にいう“唐人お吉”は、実はこの条約の交渉中に起こってきたものです。交渉の途中でハリスから、身のまわりの世話をする女を出せと、要求されたからです。つまり“おめかけさん”の提供です。
 奉行所は、普通の家の娘さんでは親が承知しないだろうと、芸妓のなかから選考することにし、無理矢理お吉に承諾させました。

 お吉は下田の船大工の娘として生まれ、7歳のとき下田の芸妓置屋に養女として出されていました。
 ここで遊芸の道を仕込まれ、14歳で芸妓になりましたが、唄が上手で“新内明烏のお吉”ともいわれ、気っぷもよく評判の芸妓だったといわれます。
 それだけに、異人さんのおめかけ“洋妾”(ラシャメン)になったことは、下田だけでなく、江戸でも話題になりました。だれいうとなく“唐人お吉”の名前がつけられました。

 お吉は安政6年(1859年)5月に、下田の領事館閉鎖とともに横浜に移り、ラシャメンもやめて、女髪結として明治4年(1871年)に、故郷下田にもどってきました。
 しかし、世間の風は冷たく、彼女も恋人鶴松と別れ、深酒に浸り、職も転々として、晩年は中風で倒れ、明治23年(1890年)3月27日、稲生沢河畔に身を投じて死にました。享年50歳でした。
 
この薄幸なお吉の墓は下田の宝福寺にあり、訪れる観光客のたむける香華が絶えないそうです。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)


 虎ノ門にこんな神社があるのを発見しました。072.gif
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 今年のGWはすでに報告したとおり至仏山と常念山脈へ出かけ、10連休のうち6日間も山歩きしていました。連休の最終日はじゃんけんぽんへ行きました。
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 5月から徐々に山歩きを開始しています。トミーさんのご忠告を真摯に受け止めて、今後負担なく山歩きをするべく、減量していくために、トントンさんには野菜中心で高タンパク低脂肪の料理をお願いしました。写真は高タンパク低脂肪の茶碗蒸しです。037.gif
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 日本酒も飲みました。このGWはじゃんけんぽんは2日間しかお休みしなかったそうです。038.gif
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 高タンパク低脂肪のお刺身。
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 トマトが入った野菜サラダ。トマトのリコピンは脂肪を燃焼してくれるそうです。
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 私の高タンパク低脂肪の要望に応えてくれ、今日は鶏肉の焼肉をつくってくれました。せせり、もも、胸肉になります。
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 焼きあがり。いくらでも食べられます。038.gif037.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

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 高タンパク低脂肪の食生活はまだまだ続きます。5月9日(木)は勇才さんで日本酒の試飲会があるというので山歩き仲間の森ちゃんとはせやんの3人で参加しました。この日は島根県安来市の吉田酒造の日本酒試飲でした。森ちゃんは安来市に出張でよく行ったそうで、ご存知のようでした。
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 トマト。リコピンが脂肪を燃焼してくれます。
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 高タンパク低脂肪の鶏肉。
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 野菜の煮物。
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 今日は立食での試飲になります。店内は大賑わいでした。024.gif
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 吉田酒蔵の蔵元さん。
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 試飲会の挨拶をする勇才さん。
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 カツオの干物だそうです。
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 いつもの蒸し牡蠣。
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 今日、試飲した吉田酒造の月山ラインナップ。
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 試飲会では大抽選会があり、森ちゃんと私は誰も買わない勇才Tシャツが当たってしまいました。勇才Tシャツを着て、蔵元さんと記念撮影。037.gif
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 外でも大賑わい。
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 最後は勇才さん定番の筍ご飯のカレーライス。高タンパク低脂肪ではありませんが、カレーの中のクルクミンなどのスパイスは脂肪を燃焼し、代謝をアップするそうです。しかしながら勇才さんは、自分が作った料理を食べるお客が太っていくのを見ると、とても嬉しいそうです。悪い人です。037.gif
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


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 5月16日(木)、先週の試飲会からちょうど1週間後、同じく山歩き仲間のタッキー瀧本さんが会社の懇親会を大井町の勇才を貸し切ってやるとのご連絡をいただき、タッキー瀧本さんの会社とは全く関係のない私も誘っていただきました。040.gif
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 茶碗蒸し。
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 マグロの漬け。
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 サザエさん。
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 鮎。
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 日本酒を次から次へと飲みました。
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 これからタイのグリーンカレーを作るという勇才さん。
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 出来上がったグリーンカレー。今日も勇才さんは料理を食べた客が太っていくのを見るのが楽しみだとおっしゃっていました。勇才さんは私をもっと太らせたいようです。037.gif
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 タッキー瀧本さん、会社のご同僚の方と一緒に記念撮影。お話を伺うと、私が勤めている会社のすでに退職された先輩方と実懇の間柄であったと聞き、とても懐かしく思いました。タッキー瀧本さん、どうも有難うございました。また、おしきせの会をやりましょう。038.gif
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次回、大小山の報告をします。060.gif

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by ryott-ryott | 2013-05-19 11:02 | 第80回日本ダービーを考える

安曇野の大地溝帯、白き常念山脈を行く

旅行・地域
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 5月連休の後半、5月3日(金)~5日(日)は山旅クラブで燕岳~大天井岳~常念岳に行ってきました。例によって、いい歳、りょうちゃんが写っている写真はトミーさんのブログからもらいました。038.gif
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 1日目は大糸線の穂高駅まで移動し、中房温泉から燕山荘まで登ります。GW真っ只中、東京駅の新幹線乗り場は大混雑していました。これから長野まで行き、長野からリゾートビューしなの号に乗って松本まで移動し、大糸線に乗り換えて穂高駅に向かいます。しなの号も大糸線もほぼ満席でした。
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 本日からの北アルプス縦走への参加者はお客6名、トミーさん夫妻とサブガイドを入れて総勢9名でした。いつのもリムジンカーではなく、大型の乗合いタクシーに乗って中房温泉の登山口へ向かいました。写真は中房温泉で、午前11時30分に到着し、昼食と準備体操を済ませて、午前11時50分に登り始めました。
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 第一ベンチまでは雪もなく、普通の登りですが、第一ベンチを過ぎたあたりから雪がつき始め、アイゼンを装着しました。
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 このおじさんは誰かわかりますか。私はアミューズのツアーで何度もお世話になった瀬川さんが、本日山旅クラブのサブガイドとして同行しました。038.gif
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 ひたすらに登り15時30分に合戦小屋につきました。今日はスイカは売っていませんでした。
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 合戦小屋まで来ると、樹林帯を抜けて、雪の稜線を歩いていきます。今回の雪山は至仏山のように雪に沈むことなく歩くことができました。037.gif
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 ここまでくると雪の槍ヶ岳を見ることができます。
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 今日、歩いてきた雪の稜線。
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 17時00分に燕山荘につきました。燕山荘前から見た槍ヶ岳。
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 燕岳には2日の朝に行く予定です。
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 燕山荘といえば赤沼オーナーのアルプスホルンの演奏があります。今日も夕飯のときに赤沼オーナーのホルン演奏と、山のお話がありました。私たちは2日目以降は大天井岳~常念乗っこしまで縦走する予定でしたが、赤沼オーナーのお話では夏山のトラバース路は大変に危険であるため、トラバース路には入らずに、大天井岳は直登するようにとのことでした。先日もトラバース路に入ってしまったパーティーがレスキューを呼ぶことになったとお話していました。
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 夕飯後、瀬川さんが赤沼オーナーに交渉して、一緒に記念撮影を撮っていただきました。038.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 「憲法は、革命やクーデターの決算書である」こんな言葉がありますが、たしかにいずれの国でも、一国の政治的支配体制が変革をすると、新しい支配体制の意向を受けた、法的統括としての憲法がつくられます。

 明治憲法も、明治維新を成し遂げた明治政府の意向を入れた憲法です。戦後の「平和憲法」と称される現行日本国憲法も、昭和22年(1947年)5月3日に施行されました。

 当時の吉田茂首相は「われわれ国民の自由な総意によって確定された・・・・・」と談話の中で強調していますが、それはタテマエ論であって、実際は新しい政治体制の支配者、アメリカ占領軍の意向を尊重してつくられたものです。現在、憲法“第9条”が問題になっていますが、マッカーサー司令部が最初に示した草案は、次のようなものです。

 国家主権の発動としての戦争は廃止される。日本は、紛争解決の手段としての戦争のみならず、自国の安全を維持する手段としての戦争をも放棄する。日本は、その防衛と保全とを、今や世界を動かしつつある崇高なる理想に委ねる。
 日本が陸・海・空軍を維持する機能は将来共に許可されることがなく、日本軍に交戦権が与えられることもない。

 この起草者が、実はチャールズ・ケーディス陸軍大佐でした。彼は昭和33年(1958年)に批准されたパリの不戦条約をモデルに、理想的な“第9条”を書き上げたのです。

 この“不戦のの誓い”の平和憲法、現在の国際情勢の変化のなかで、果たして守りきれるでしょうか。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 5月4日(土)、2日目はまず燕岳の頂上を踏みに行って、燕山荘から表銀座コースを通って、大天井岳直登、常念乗っこしまでのロングコースを歩く予定です。
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 6時30分に燕山荘を出発し、6時50分には燕岳の頂上に到達しました。頂上で記念撮影。
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 メガネ岩の前でも記念撮影。
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 イルカ岩。
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 燕岳の稜線からの槍ヶ岳。
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 テント場の右には雪庇がありした。
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 午前8時00分、いよいよ常念小屋までのロングコースを歩くことになります。
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 今年の夏に歩く裏銀座コースを眺めながら大天井岳を目指します。写真はゲイロ岩で、この岩の中をくぐって、向こう側へと抜けていきます。
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 稜線の先に真っ白な大天井岳が見えます。歩いても歩いて、なかなか到着しません。042.gif
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 今回の最大の難所、大天井岳の直登コースに到着しました。
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 いい歳、りょうちゃんも含め、技術的に不安のあるメンバーはトミーさんとロープで繋がれて、この直登コースをロープがたるまないように慎重に登っていきました。この直登コースは夏山だとコースタイムは40分だそうです。体力的にも大変でしたが、急斜面の直登は剱岳の平蔵のコルよりも怖く感じました。042.gif
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 12時24分、ようやく大天井岳の頂上に到着しました。頂上につく少し前から曇り始め、雪が降りだしました。さっさと写真を撮って、先へと進みます。
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 大天井小屋は営業していませんでした。営業開始は6月30日になります。
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 大天井岳から常念乗っこしの常念小屋までもとても長かったです。雪がついていない、石が転がっている登山道をおおくあり、アイゼンをつけたまま歩くと、足への負担が大きく、墓石山のときと同じように疲労困憊になりました。037.gif
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 途中白い雷鳥がいましたが、私のカメラではこの大きさが精一杯です。
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 15時19分、ようやく眼下に常念小屋が見えました。しかしまだまだ距離があります。
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 ここまで来ると、雪の常念岳も見えます。
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 16時過ぎにようやく常念小屋に到着しました。燕岳への往復も入れると約9時30分の行動時間でした。
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 常念小屋は連休とあって多くの人が泊まっていましたが、一人一枚の布団で寝ることができました。写真は常念小屋の夕飯です。今回も常念小屋について、ビールを飲み、夕飯を食べたあと、疲れて19時過ぎに寝てしまいました。037.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

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 5月5日(日)、3日目。前日19時すぎに寝てしまったため、午前2時に目が覚めてしまいました。しかし午前3時頃に仕度をして小屋を出ていく人も何人もいました。今日の日の日の出は午前4時50分。小屋の前ではたくさんの人はご来光を待っていました。058.gif
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 太陽が昇ってくると大歓声が上がりました。まるで初日の出を見ているかのようです。058.gif
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 朝焼けに染まる槍ヶ岳。
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 朝焼けに染まる常念岳。
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 今日の天気は快晴。ザックを小屋の前にデポして、午前6時30分に常念岳の山頂を目指しました。
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 この天気のよさに常念岳の登山道は大渋滞です。
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 つねに槍ヶ岳連峰を見ながらの登山です。
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 山頂に人がいるのが見えます。
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 午前8時15分、常念岳の山頂に到着しました。山頂で記念撮影。いい歳、りょうちゃん、日本百名山56座目になりました。038.gif
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 頂上から360度見わたすことができました。木曽御嶽山と乗鞍岳。
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 穂高連峰、右から奥穂高、唐松岳、前穂高、西穂高、北穂高。山口さんが教えてくれました。
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 蝶ヶ岳。
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 遥か向こうに見えるのは中央アルプスでしょうか。
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 たくさん写真を撮って、山口さんと青柳さんに山の名前を教えてもらって、午前8時30分に下山を開始しました。
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 常念小屋前には午前9時30分に戻ってきました。大休憩をとり、午前10時に登山口を目指して下山を開始しました。常念乗っこしで記念撮影。
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 下山は沢づたいに一の沢を目指して降りていきました。
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 スキーで降りてくる人もいました。
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 途中から夏道に合流し、14時前に一の沢登山口に降りてきました。
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 近くのしゃくなげの湯で入浴し、GW終盤の大混雑のスーパーあずさに乗って東京に戻ってきました。
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 来週の5月18日(土)はトラベルギャラリーで大小山に行ってきます。


新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地




 
来週、大小山に行ってきます。060.gif

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by ryott-ryott | 2013-05-12 12:00 | 燕岳・大天井岳・常念岳

夏を待つ白き尾瀬、雪山の至仏山を行く

旅行・地域
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 4月27日(土)~29日(月)は山旅クラブで雪山の至仏山に行ってきました。今回の参加者は私一人だけでした。いつものようにいい歳、りょうちゃんが写っている写真はトミーさんのブログからもらいました。038.gif
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 今回の予定は27日(土)に鳩待山荘まで移動し、28日(日)に至仏山登頂、29日(月)はアヤメ平方面の雪山ハイクになります。4月27日、東京は青空が広がり、上越新幹線は熊谷までは富士山をうっすらと見ることはできましたが、上毛高原は鈍色の曇り空でした。いつものようにトミーさんのリムジンカーに乗せていただき、鳩待山荘へと向かいました。038.gif
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 鈍色だった曇り空はさらに雲が厚くなり、ついに雨が降りだし、さらに標高が上がると雪へと変わっていきました。鳩待山荘に到着した頃には、風も強く、積雪10 cm以上の猛吹雪でした。
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 至仏山に登る28日の天気予報は晴れであるので、27日はコンビニで調達したおつまみとお酒で乾杯し、夕飯を食べたあと、19時前には寝てしまいました。写真は鳩待山荘の夕飯です。068.gif
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 19時前に寝てしまったので、夜中の1時過ぎに目が覚めてしまいました。外からは唸るような風の音が聞こえてきて、本当に天気が回復するのだろうかと思いで朝を待ちました。しかしながら、天気は回復せず、雪が降り続いていました。朝食を済ませて、ワカンをつけて、午前8時に登山口を出発しました。
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 私たちのような登山者は少なく、ほとんどがスキーヤーかボーダーでした。彼らはスキーあるいはボードを背負って、頂上の高みから下まで滑るため、登っていきます。
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 昨日降った雪のため、新雪が積もり、心配していたことに常に苦労しました。ワカンをつけているものの、体重がある私は常に新雪に足を取られて、足を持ち上げても持ち上げても前にはわずかしか進むことができず、昔の体育の時間でしごかれていることを思い出しました。果たして、日本百名山の数を1つ付け加えることができるであろうか、半分は諦めながらの登山となりました。トミーさんも諦めていたようです。写真はトミーさんが撮ってくれたもので、トミーさんからかなり引き離され、しかも後ろのスキーヤーにも抜かされてしまいました。私は頂上に到着するまで、ほとんど写真を撮る余裕がありませんでした。042.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 会津若松市に、会津藩家老西郷頼母の屋敷を復元した「会津武家屋敷」があります。この屋敷の当主西郷頼母の一生は、苦悩に満ちた悲運の生涯でした。

 鶴ヶ城落城の寸前には、頼母の母、妻、娘など一家21人の婦女子がことごとくこの屋敷で自刃して果てました。しかし西郷頼母は、時世を見て終始非戦論、和平論を唱えて行動し、自らも生き残ってしまったために、会津ではあまり同情されておりません。

 彼の悲劇は、いや会津藩の悲劇は、藩主松平容保が京都守護職を引き受けたときから起こりました。国元の筆頭家老西郷頼は、急ぎ江戸に上り、守護職就任の辞退をすすめますが聞きとどけられません。1年後再び京都に出向いて辞職を迫りますが、かえって不敬であるとされ家老職を免ぜられます。

 やがて、鳥羽、伏見の戦で敗れた会津藩は、朝敵にされ、薩長連合の西軍に攻められる立場に変わります。この非常事態の発生で頼母も許されて家老に復活、白河口の守備総督につきます。情勢の不利はまぬがれず、彼は西軍と和平交渉を開始しますが阻止されmまたまた蟄居を命じられました。

 西軍は白河口を突破し、会津鶴ヶ城も包囲され、敗色は濃厚になってきました。頼母は城内に入り、無血開城を説きますが、殺気だった藩士たちに、逆に殺されそうになりました。藩主容保は、将軍要請の名目で彼を場外に脱出させました。仙台で落城を聞いた彼は、そのまま函館の戦に参加しますが敗北し、館林に幽閉されます。

 明治新政府ができて許され、容保がついた東照宮宮司の下で禰宜などをつとめましたが、故郷忘れがたく、晩年はひっそりと会津若松に帰り、明治36年(1903年)4月28日、74歳で没しました。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 雪の勾配のある斜面をようやく登りきると、樹林帯を抜けて、少し平らな場所に出てきます。しかし、風は強く、視界はホワイトアウトでほとんど何も見えませんでした。私たちを抜かしていったボーダーの人たちも、これ以上進むのは危険だと言って、引き返してくる方たちが何人もいました。
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 写真はたぶん小至仏を登っているところです。この小至仏を越えて、至仏山の本峰へと向かうのですが、ここの斜面の登りが今回最もきつかったです。足は膝くらいまで新雪に沈んでしまい、トミーさんからは「何でそんなに沈んじゃうの?体重が重いんだな。」「早くしないと日が暮れちゃうよ!」と散々に言われながらも、必死に登りました。しかし前になかなか進みません。山は雪がないほうがいいですね。037.gif
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 12時40分、登り始めてから4時間30分以上もかかって、ようやく至仏山の山頂に到着しました。疲労困憊で、写真の山頂の標識を見たとき、墓石に見えました。いい歳、りょうちゃん、日本百名山55座目になりました。037.gif
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 至仏山の墓標と一緒に記念撮影。037.gif038.gif
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 山頂にはスキーヤー、ボーダーが沢山いました。滑るために、晴れるのを待っていました。何も見えない状態で滑ることは危険だそうです。
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 私たちは登山に来たので、晴れるのを待たずに13時過ぎに下山を開始しました。下山を開始して10分も経たないうちに、徐々に雲が取れてきました。正面には登りでは何も見えなかった小至仏が見えます。
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 小至仏のトラバース路に人の行列が見えます。
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 山頂方面。
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 振り返ると白い尾瀬ヶ原と燧岳が見えました。
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 小至仏を降りてくると、正面にきれいな三角錐の山が見えます。尾瀬の笠ヶ岳だそうです。
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 麓のほうには沼か湖も見えました。
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 天気が回復し、ボーダーの人達が続々と登っていきました。
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 正面に見える黒い山塊は赤城山・黒檜山だそうです。
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 小至仏の前の平原。登るときに何も見えなかった場所です。
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 りょうちゃんの横をスキーヤーが滑っていきました。
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 すっかり青空が広がり、日光白根山、皇海山、赤城山、上州武尊山の関東の百名山が見えました。
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 左側に鳩待山荘も見えます。
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 尾瀬ヶ原と燧岳。
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 15時30分に鳩待山荘に戻ってきました。鳩待山荘にはお風呂があります。お風呂に入って、汗を流し、缶ビールと日本酒を飲み、同室の方からダバダ火振り(栗焼酎)ももらって、夕飯を済ませると、昨日と同様に19時前には布団を引いて寝てしまいました。037.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

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 翌日29日(月)は鳩待山荘の裏手から横田代の湿原を通って、中原山、アヤメ平方面まで雪山ハイクの予定でしたが、再び私が雪に足を取られてしまい、進むのに四苦八苦してしまったため、横田代の湿原までのハイクとなり、中原山とアヤメ平までは行くことができずに戻ってきました。トミーさんは横田代も行けないと思ったそうです。私も行けないと思いました。前日のダメージもあり、深いところでは膝下まで沈んでしまったため、至仏山以上につらい雪山ハイクになりました。写真は鳩待山荘の裏手から見た真っ白な至仏山。
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 足取り重く歩いています。前日と違い、気温も高く汗びっしょりになってしまいました。042.gif
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 こちらのほうはほとんど人が歩いていませんでした。この雪山ハイクですれ違ったのは、夫婦2組と地元の高校生だけでした。
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 傘雲でしょうか、天気は翌日にかけて下り坂の予報です。
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 午前10時20分過ぎ、歩き始めて約3時間で横田代の湿原に到着しました。
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 湿原は樹林が切れるため、周囲の山を見ることができました。写真は燧岳。
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 至仏山。
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 平ヶ岳。
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 会津駒ケ岳。
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 午前10時40分に下山を開始。鳩待山荘にお昼過ぎに戻ってきました。
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 その後、リムジンカーに乗り、花咲くの湯で入浴し、食堂で一杯やりました。
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 花咲くの湯からは皇海山が見えました。
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 これはウルップ草かと思いましたが違うようです。
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 写真は花咲の湯の前の鯉のぼり。トミーさんに上毛高原駅まで送っていただき、18時30分に帰宅できました。今回の至仏山では、かなり雪に苦しめられて、5月3日からの燕~大天井~常念岳は何度もキャンセルしようかと思いましたが、トミーさんが大丈夫だと励ましてくれるので、行くことにしました。5月3日から燕~大天井~常念岳に行ってきます。
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地




 
連休後半は燕~大天井~常念岳に行ってきます060.gif

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by ryott-ryott | 2013-05-01 13:34 | 雪山・至仏山