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富士山のおひざ元、富士宮高砂酒造酒蔵見学

登山
旅行・地域
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 久しぶりにブログを更新します。相変わらず山には行けておりません。気温も徐々にあがってきて、東京では来週の25~26日あたりに桜が開花する予報が出ています。いい歳、りょうちゃんも徐々に山のほうに足を向けていきたいと思います。
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 さて3月9日(日)、勇才さんのお店にお酒を納入している丸辰有澤商店が企画する酒蔵見学があり、勇才さんにお誘いいただき、参加することにいたしました。代金は10000円で、有沢商店がある田町駅前からバスに乗って、富士宮にある高砂酒造へと向かいます。
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田町駅前のTSUTAYA前にバスが停まっていると教えられていましたが、はとバスのような、とても立派なバスでした。私と一緒に行った知り合いの方は、料金10000円でこんな立派なバスは考えられない、もっとオンボロのバスに違いないと言うので、オンボロのバスを見つけては確認しましたが、酒蔵見学のバスではありませんでした。仕方なくはとバスのような立派なバスの運転手さんに尋ねると、このバスが酒蔵見学のバスだというので、知り合いともども驚きました。そのあとで勇才さんにこんな立派なバスだと思わなかったと伝えると、「見くびってもらっちゃ困るよ!」と叱られました。037.gif
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 渋滞があり、少し予定の時間を過ぎた11時すぎに富士宮の高砂酒造に到着しました。50人ほどの人数であったので、2班にわかれて見学となりました。酒蔵見学はもう何回も経験しているので、だいたいどこの酒蔵さんも同じです。洗米、酒米蒸し、麹室、酒母、醸造タンク、搾り器といった工程順に周ります。次回の見学会からりょうちゃんはいきなり試飲から始めさせていただきたくお願いします。041.gif
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 この高砂酒造さんは、敷地が広く、建物のほとんどが平屋建てで、工程ごとに酒米や発酵したお酒を次の建屋に運んで、次の処理をするそうです。
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 樽を作る場所だそうです。
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 精米機。酒米を上から落として、削っていきます。
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 酒糟が箱に詰められて、所せましと置いてあります。
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 醸造蔵の中。
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 蔵の2階に薬師如来が祀ってありました。
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 搾り器の板。
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 この槽の中に発酵が終わった酒を入れて搾っていきます。最初にとれるのが、あらばしり、つぎに中汲み、最後に残ったおりを搾ったのがせめ取りになります。
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 一通り見学を終えて、試飲になります。一番手前はヨーグルト酒で高砂酒造さんの他にはあまり作っていないそうです。子どもの飲み物ぐらいにしか考えていませんでしたが、なかなか美味しいです。
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 角樽も売っていました。時代劇や落語の世界によくでてくるものです。
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 渋滞があったので自由時間が少なくなってしまいましたが、その僅かな自由時間に浅間神社の前まで行きました。中に入っている猶予はありませんでした。曇っていて富士山は見えませんでした。
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自由時間後、近くのお店に移動してお昼ご飯と、高砂酒造のお酒の試飲になりました。挨拶する高砂酒造の社長さん。
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 昼食後、温泉によって一風呂浴びて、東京に帰ってきました。帰りは大渋滞で19時田町駅前の予定でしたが、21時を過ぎてしまいましたが、無事に到着し、皆さん家路に着きました。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 山に行っていなので、特に報告することはありませんが、2月中旬は私がよく夕日を見に行く場所でダイヤモンド富士が見られるとのことなので、2月22日(土)に海浜幕張ではなく、稲毛海岸まで足を伸ばしてダイヤモンド富士を見るために出かけました。海浜幕張の幕張海浜公園のベストの日は2月19日(水)の平日で、見に行くことができませんでした。早く定年を迎えたいです。041.gif
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 とても良い天気で、今日は間違いなくダイヤモンド富士を見ることができるだろうと誰もが考え、この稲毛海岸にもたくさんのカメラを抱えた方が訪れていました。
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 しかしながら、太陽が西に傾きかけるにつれて、対岸の地平線にはうっすらと雲が姿を現して、富士山の姿があぶりだされてきませんでした。
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 仕方がないので、夕日を見る男女を入れて夕景の写真を撮りました。顔を見たら、年老いたおじさんとおばさんでした。037.gif
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 ついに富士山は現れずに、太陽は雲の中へと沈んで行きました。あの太陽の下に富士山があることを想像して夕日を見ました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(NHK日本名曲アルバム/銀色の道)


(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道






本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

 

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by ryott-ryott | 2014-03-22 10:57 | 富士宮高砂酒造 | Comments(0)