<   2014年 05月 ( 3 )   > この月の画像一覧

第81回日本ダービーを考える

登山
旅行・地域
b0190242_102351.jpg


 このブログをはじめて5年になりました。今年も6月1日に行われる日本ダービーの予測を書きます。結論は8枠16番のレッドリヴェールが私の日本ダービー馬です。

 今年のダービーは皇太子殿下が拝謁されるそうです。前回、皇太子殿下が拝謁した日本ダービーは第74回でした。その時に優勝したのは3番ゼッケン牝馬のウオッカでした。皇太子殿下が拝謁するダービーは牝馬が勝つ法則があると思われます。レッドリヴェールのゼッケン番号は16番、逆から数えると3番目です。74回の時は正3番が勝ち、今回は逆3番が勝つと予測します。相手はわかりませんが、皐月賞馬の枠を買っておけばいいのではないでしょうか。好きな馬を買ってください。皆さん、岩永先生の健闘を祈ります。041.gif
b0190242_1023692.jpg



(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

b0190242_1033383.jpg

 
 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

b0190242_105177.jpg


 歩の会の後輩、兵藤さんからギフチョウの写真を送っていただきましたので、掲載します。
b0190242_1051565.jpg

b0190242_105368.jpg

b0190242_1055599.jpg

b0190242_106837.jpg

b0190242_1062393.jpg

b0190242_1064576.jpg

b0190242_1065995.jpg

b0190242_1071284.jpg

b0190242_1073138.jpg

b0190242_1075229.jpg



(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(NHK日本名曲アルバム/銀色の道)


(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道






本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス



 
来週は甲武信ヶ岳に行ってきます060.gif

b0190242_1081196.jpg

b0190242_1083074.jpg

b0190242_1085750.jpg

by ryott-ryott | 2014-05-31 10:12 | 第81回日本ダービー

歩の会・5月の厳冬期、赤城おろし吹く鈴ヶ岳を行く

登山
旅行・地域
b0190242_21182592.jpg

b0190242_21412824.jpg


 5月22日(木)、休暇を取って、歩の会に参加しました。場所は赤城山・鈴ヶ岳です。登山をするのは実に6ヵ月と20日ぶり、歩の会に参加するのは約1年ぶりでした。写真は早朝6時のりんかい線の中の様子で、ほとんど乗客が乗っていません。
b0190242_21185277.jpg

b0190242_21191799.jpg

 集合場所は今までは新宿駅西口の安田生命前でしたが、この4月からバスを止められなくなったそうであり、モード学園の十字路の一角が集合場所に変わっていました。空は雲一つない青空です。058.gif
b0190242_21193572.jpg

 午前10時40分に登山口のある駐車場に到着しました。5月も下旬にさしかかろうというのに、強風が吹き、凍えるほどの寒さでした。暑がりのいい歳、りょうちゃんも寒さに耐え切れず、上着を着てしまいました。
b0190242_2120312.jpg

b0190242_21203098.jpg

 準備運動を済ませて、午前10時50分に駐車場を出発しました。歩の会、最年少49歳のいい歳、りょうちゃんの前を歩いているのは、歩の会の最年長82歳の森さんです。038.gif
b0190242_21204993.jpg

 登山口の標高は1415 m、鈴ヶ岳山頂の標高は1564 m。標高差はわずか149 m。これならば、6ヵ月ぶりに登山に挑む、いい歳、りょうちゃんでも楽勝だろうとナメテいましたが、2度の登り返しが獲得標高は700 m以上はあったのではないでしょうか。
b0190242_21211686.jpg

 途中の突端から見た地蔵岳。
b0190242_21214834.jpg

b0190242_21221463.jpg

 なだらかな稜線歩きが続きます。
b0190242_21223249.jpg

 雲がかかり、赤城山系最高峰の黒檜山の山頂は見えません。
b0190242_21225932.jpg

 荒山と鍋割山が見えます。一昨年、山旅クラブで行きました。
b0190242_21232717.jpg

 歩き始めて約1時間で鍬柄山の山頂につきました。ここでお昼ご飯を食べることになりました。途中でピックアップした登利平のとりめしです。大きい鶏肉がたくさん入っていて、とても美味しいです。5箱は食べられそうです。037.gif
b0190242_2123448.jpg

b0190242_2124041.jpg

b0190242_21241928.jpg

 まりちゃんと班長の野中ちゃん。038.gif
b0190242_21243027.jpg

 森さんは今年から宿泊の山行は自重するとのことで、次回は9月の日帰りに一緒に参加しましょうと約束しました。
b0190242_21245011.jpg

 鍬柄山山頂の標高1562 mで、鈴ヶ岳の山頂標高とほとんど変わりません。ここからは稜線歩きで山頂に向かうのかと思いましたが、登った標高差と同じ分だけ最低鞍部まで下っていきました。
b0190242_2125237.jpg

b0190242_212556100.jpg

 下ったら、当然ながら登らなければなりません。
b0190242_21261797.jpg

 岩場を真剣に登る新房ちゃん。038.gif
b0190242_21263736.jpg

 登り道の脇にシャクナゲが咲いていました。遠目で見ると綺麗な感じなんですが、近づいてみるとあまり綺麗でありません。そんな感じの女の人、よく見かけます。041.gif
b0190242_21265357.jpg

 13時7分、歩き始めてから2時間17分で鈴ヶ岳の山頂に到着しました。
b0190242_21271394.jpg

 山頂での森さん。
b0190242_21273668.jpg

 山頂で集合写真を撮りました。この写真はまりちゃんから送っていただきました。
b0190242_21275481.jpg

 山頂で小休憩し、元来た道を引き返します。先ほど登った岩場を下ります。
b0190242_21282828.jpg

 最低鞍部まで降りてきた道を登らなければなりません。
b0190242_21284810.jpg

 鍬柄山から見た荒山と鍋割山。朝とはちがう色をしていました。
b0190242_21294037.jpg

 黒檜山は相変わらず見えません。
b0190242_21295842.jpg

 15時11分、登山口に戻ってきました。
b0190242_21302330.jpg

 帰りの温泉は、山旅クラブでも何度か寄ったことのある富士見温泉ふれあい館でした。帰りのバスでは森さんと日本酒を飲みながら帰ってきました。新宿は土砂降りの雷雨でした。057.gif
b0190242_21305055.jpg



(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

b0190242_21313072.jpg

 
 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

b0190242_21314727.jpg


 5月18日(日)はじゃんけんぽんのトントンさん、はるさん、カツオおばさんと一緒に西山屋さんのワインの試飲会に行きました。
b0190242_2132294.jpg

b0190242_2132291.jpg

 ワイン試飲会のあとは日比谷オクトーバーフェストに行きました。大変な混雑でした。
b0190242_21324665.jpg

b0190242_2133526.jpg

b0190242_21331970.jpg

b0190242_21334966.jpg

 夕方は新橋のガード下で一杯やりました。
b0190242_21341287.jpg

b0190242_21343234.jpg

b0190242_21344781.jpg



(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(NHK日本名曲アルバム/銀色の道)


(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

b0190242_21364676.jpg


 5月2日の幕張海浜公園の夕景を何枚か載せます。
b0190242_21373020.jpg

b0190242_21381179.jpg

b0190242_21383752.jpg

b0190242_2139377.jpg



本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス



 
次回は甲武信ヶ岳に行ってきます060.gif

b0190242_21395650.jpg

b0190242_21403582.jpg

b0190242_2141073.jpg

b0190242_21411518.jpg

b0190242_21413377.jpg
b0190242_21414689.jpg

b0190242_21421250.jpg

b0190242_21422212.jpg

b0190242_21425548.jpg

b0190242_21443565.jpg

by ryott-ryott | 2014-05-25 21:49 | 歩の会・赤城山鈴ヶ岳

今年のGW、根津神社つつじ祭り、初夏の昭和記念公園

登山
旅行・地域
b0190242_17353685.jpg


 5月に入りましたが、まだ山には行けておりません。昨年12月2日に開聞岳に行って以来、6ヵ月が経ちました。現在は年寄りの面倒を見ながら、近所の公園の花を撮り、出かけるとしてもせいぜい4~5時間で帰って来ることができる千葉県美浜区の幕張海浜公園や立川の昭和記念公園に行く程度です。
b0190242_1736864.jpg

 先日、山旅クラブのトミーさんから6月以降の日本百名山の予定をいただきました。年寄りの状態も安定してきているので、そろそろ、いい歳、りょうちゃんも始動しようと考えています。何しろ6ヵ月以上も山にも出かけていませんし、大井町湯屋にも1年以上行っていませんので、体重もうなぎのぼりになっています。037.gif
b0190242_17364943.jpg

 今年の山行ですが、5月22日(木)の歩みの会から始動することにしました。赤城山・鈴ヶ岳です。もちろん会社は休暇を取りました。歩みの会の皆さんにも10ヵ月以上会っていないので、とても楽しみです。それよりも問題なく登ることができるかが心配です。6ヵ月以上のブランクで、体重はうなぎのぼりですが、体力はガタ落ちになっています。みなさんと一緒にゆっくり登りたいと思います。024.gif
b0190242_1737293.jpg

 6月以降の考えている山行を以下のとおりです。
 
5月22日(木) 赤城山・鈴ヶ岳(歩みの会)
6月 7日(土)~ 8日(日) 甲武信ヶ岳(山旅クラブ)
6月15日(日) 焼酎試飲会
6月21日(土)~22日(日) 蔵王連峰・熊野岳(山旅クラブ)
6月28日(土) ゲンダマ会
7月 5日(土)~ 6日(日) 巻機山(山旅クラブ)
7月12日(土)~13日(日) 平ヶ岳(山旅クラブ)
7月19日(土)~23日(日) 聖岳(山旅クラブ)
7月26日(土)~27日(日) 西吾妻山(山旅クラブ)
8月 1日(金)~ 3日(日) 奥穂高岳(山旅クラブ)
8月 9日(土)~10日(日) 高妻山(山旅クラブ)
8月13日(水)~19日(日) 黒部五郎岳~薬師岳(山旅クラブ)
8月第3~4週は山旅クラブでは劔岳と富士山なので小澤さんと木曽駒ケ岳に行こうかなと画策中です。
9月 6日(土)~ 7日(日) 赤岳(山旅クラブ)
9月13日(土)~15日(日) 鹿島槍ヶ岳(トラベルギャラリー)
9月20日(土)~23日(火) 茶臼岳~光岳(山旅クラブ)
9月26日(金)~28日(日) 火打山~妙高山(トラベルギャラリー)
10月4日(土)~ 5日(日) 苗場山(山旅クラブ)
10月11日(土)~13日(日) 会津駒ケ岳~燧ヶ岳(山旅クラブ)

 予定した日本百名山すべての山頂を踏むことができれば94座になります。残り6座は北海道の3座(大雪山、十勝岳、羊蹄山)、荒島岳、白山、大朝日岳になります。038.gif
b0190242_17375596.jpg



(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

b0190242_1738299.jpg

 
 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

b0190242_17392012.jpg


 昨年のGWは至仏山と常念岳に行きましたが、今年は山に行くことはなく、幕張海浜公園と根津神社に行ってきました。
 4月27日の幕張海浜公園の夕景です。天気予報では4月29日から30日にかけて、天候が崩れるということであったので、いつもよりも赤い夕日を見ることができました。058.gif
b0190242_1740384.jpg

 女の人が散歩をしていました。顔を見たら、おばさんでした。041.gif
b0190242_1740498.jpg

b0190242_17413427.jpg



(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(NHK日本名曲アルバム/銀色の道)


(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

b0190242_17424197.jpg


 GW真っ只中で、普段は誰も来ることがない根津神社もツツジ祭りが開催されており、たくさんの人が見物に来ていました。056.gif
b0190242_17425496.jpg

 ツツジにも名前がついています。花びらの細い、この花はハナグルマ。
b0190242_1743815.jpg

b0190242_17434779.jpg

 ミシマツツジ。
b0190242_17442313.jpg

 キリシマ。
b0190242_17443713.jpg

 フジツツジ。
b0190242_17445093.jpg

 黄色いツツジはキレンゲツツジ。
b0190242_17451214.jpg

 キリン。
b0190242_17453651.jpg

b0190242_1745568.jpg



本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

b0190242_17463821.jpg


 先週の5月10日は久しぶりに立川にある昭和記念公園に行ってきました。
b0190242_17465935.jpg

 遠くから見ると水浴びをしているように見えます。
b0190242_17471881.jpg

 天気が良くて、たくさんの人が遊びに来ていました。みんなの原っぱ。
b0190242_17473747.jpg

 みんなの原っぱの北側に菜の花が咲いていました。
b0190242_17475212.jpg

 日本庭園。新緑が眩しい。
b0190242_17482328.jpg

 立派なシャクナゲが咲いていました。
b0190242_17483679.jpg

 田植えの準備をしていました。
b0190242_1749348.jpg

 赤いシャレーポピーが一面に咲いています。
b0190242_17493027.jpg

b0190242_17501324.jpg

 畑では麦、じゃがいもを作っています。
b0190242_17503366.jpg

b0190242_17504812.jpg

 チューリップもまだ咲いています。
b0190242_1751296.jpg

b0190242_175129100.jpg

 みんなの原っぱにはアイスランドポピーの花畑があります。
b0190242_17521062.jpg

b0190242_17522870.jpg

 マロニエの木。
b0190242_175337.jpg

 約3時間ほど散策をして、帰路につきました。
b0190242_17532854.jpg

b0190242_1754832.jpg

b0190242_17535236.jpg

b0190242_17543041.jpg

b0190242_17544926.jpg


 
赤城山・鈴ヶ岳に行ってきます060.gif060.gif

b0190242_17554378.jpg

b0190242_17561520.jpg

b0190242_17562888.jpg

b0190242_17564623.jpg

b0190242_17572174.jpg

b0190242_17574324.jpg

b0190242_1759742.jpg

b0190242_17583851.jpg

by ryott-ryott | 2014-05-17 18:02 | 根津神社・つつじ祭り