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岩峰並び立つ穂高の盟主、奥穂高岳を行く

登山
旅行・地域
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 ブログがなかなか実態に追いつきません。8月1日(金)~3日(日)は奥穂高岳に行ってきました。いつものように、いい歳、りょうちゃんが写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。
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 日本には3000 mを超える山が21座あります。奥穂高岳は標高3190 mで3番目に高い山になります。

1富士山  3776 m
2北岳   3193 m
3奥穂高岳 3190 m
4間ノ岳  3189 m
5槍ヶ岳  3180 m
6悪沢岳  3141 m
7赤石岳  3120 m
8涸沢岳  3110 m
9北穂高岳 3106 m
10大喰岳  3101 m
11前穂高岳 3090 m
12中岳   3084 m
13荒川中岳 3083 m
14御嶽山  3067 m
15農鳥岳  3051 m
16塩見岳  3047 m
17仙丈ヶ岳 3033 m
18南岳   3033 m
19乗鞍岳  3026 m
20立山   3015 m
21聖岳   3013 m

 あの剱岳は3000 mに1 m足らない2999 mの標高で22番目になります。日本百名山に限定すれば、奥穂高岳はまだ登っていない最後の3000 m峰になります。
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 初日の8月1日(金)は特急あずさで松本駅まで行き、そこから乗り心地抜群のトミーさんの国産リムジンに乗って、沢渡へ行きます。上高地行きのバスに乗り換えて、上高地へと向かいます。今回はタクシーで沢渡から上高地まで行きました。タクシーの運転手さんはたいへんな安全運転で上高地までの道のりをところどころ徐行運転しながら、頼みもしない丁寧な説明をしてくれました。トミーさんは「そんなこと知ってるよ、早くしろ、このバカじじぃ!」と心の中で言っていました。041.gif
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 今回、一緒に奥穂高に行ったメンバーは花の先生、A柳さんと、青年実業家のI田さんです。河童橋からの焼岳や、梓川沿いの林道から見える穂高の山々に、I田さんはとても感激していました。
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 穂高をスケッチするおじいさん。
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 穂高神社から見た明神岳。
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 徳澤キャンプ場と徳澤ロッジ。
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 上高地から3時間で横尾山荘に着きました。初日はここに泊まります。
 横尾山荘の中はとてもきれいで、お風呂もあります。
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 横尾山荘の夕飯。
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 月が出ていました。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 2日目、8月2日(土)。この横尾大橋を渡り、涸沢を経由して、奥穂高岳の山頂まで標高差1570 mを1日で登ります。この横尾大橋を渡るのは初めてになります。
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 第9位の北穂高岳と第18位の南岳の南壁。
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 本谷橋。
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 これが有名な涸沢カール。
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 昨年登った常念岳が見えます。
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 涸沢から雪渓に沿って取り付きまで進みます。皆さん、雪渓で雪をかぶっています。
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 雪渓を歩いてくる人もいました。
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 取り付きから見た常念岳。
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 この岩場、ザイテングラートを登っていくと、穂高岳山荘にたどり着きます。
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 穂高岳山荘前でハーネスを装着し、いよいよ奥穂高岳の山頂を目指します。
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 見るからに危なそうな岩場です。
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 山頂が見えました。
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 槍ヶ岳が雲間からわずかに見えました。
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 安全な場所で記念撮影。疲れた顔をしています。いい歳、りょうちゃん、日本百名山、81座目になりました。そして、3000 m峰の日本百名山はすべて登ったことになります。
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 前穂から明神が見えます。
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 西穂からジャンダルム。私たちが登頂したときにトミーさんの知り合いのガイドさんがお客さんを連れてジャンダルムのほうから歩いてきました。I田さんもいつの日かジャンダルムに行ってみたいとおっしゃっていました。いい歳、りょうちゃんは温泉宿泊+手軽な山行以上のことは望みません。
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 上高地の街があんなに小さく見えます。
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 穂高岳山荘に戻り、みんなで登頂のお祝いをして、ビールで乾杯しました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 3日目、8月3日(日)。今日は下山して東京に戻ります。
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 朝日の中の常念岳。
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 今日は昨日以上に登山者が多く、続々と登ってきます。
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 ザイテングラートを下山中、こぶし大ほどの石が落ちてきました。幸いにして登山者の列からは外れて行ったので誰もケガをすることはありませんでした。トミーさんが言うには、落石のほとんどは他の登山者が落としたものだそうです。何年か前にも同じ場所で他の登山者が落とした石でおじいさんとお孫さんが亡くなった事故があったそうです。登山では落石には注意すると同時に、自分も落石させないように安全に留意した登山を心がけたいものです。
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 ハクサンイチゲ
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 涸沢小屋で小休止。ジョッキパフェを頼みました。2000円也。昨年までは1800円だったそうです。
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 なんとラショウモンカズラが咲いていました。羅生門の話はよくご存知だと思いますが、渡辺綱に鬼が切り落とされた腕の形に似ているということで、このような名前がつけられています。
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 ナナカマドの白い花がたくさん咲いていました。
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 帰り道はA柳さんと花をたくさん写真に撮って、上高地まで戻りました。写真はシャジン。
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 センジュガンピ。
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 クガイソウ。
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 ヤマホトトギス。
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 これはなんだっけ。比較的大きな花です。
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 オミナエシ。
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 オトギリソウも咲いていました。オトギリソウの謂われについて、I田さんに話してあげました。オトギリソウは薬草で、秘密として扱われていましたが、弟がその秘密を漏らしたため、兄が弟を斬り殺したという故事があります。I田さんは、往きでは横尾までの道のりに大変感激していましたが、帰りはもう飽きたとおっしゃっていました。私も今回4回目ですでに飽きています。トミーさんは40回は来ているそうです。037.gif
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 いつもの横尾山荘のカレーライス。しかしながらキッチン槍のカレーライスには及びません。キッチン槍のカレーライスも、その他のメニューもすべてレトルトであれだけ美味しいのは驚きます。
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 アザミ。
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 トリカブト。
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 オダマキ。
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 ながいながい道のりを経て、上高地にようやく辿り着きました。タクシーで沢渡に戻り、せせらぎの湯、龍神温泉に入浴して、東京に戻ってきました。
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス



 
次回は高妻山の報告をします060.gif

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by ryott-ryott | 2014-08-31 15:22 | 奥穂高岳 | Comments(0)

火山群の吾妻の秘境、西吾妻山を行く

登山
旅行・地域
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もう8月も終わります。ブログがまったく実態に追いついていません。近況を話しておきますと、先週、8月23日(土)日本酒仲間の小澤さんと木曽駒ケ岳に行ってきました。日本百名山84座に到達しました。その模様は、いつになるかわかりませんが、おいおいに報告します。

 9月以降の日本百名山の旅は以下のとおりです。

  9月 6日(土)~ 7日(日) 八ヶ岳・赤岳(山旅クラブ)
  9月12日(金)~15日(月) 南アルプス・光岳(山旅クラブ)
  9月20日(土)~23日(火) 北アルプス・爺ヶ岳~鹿島槍ヶ岳(山旅クラブ)
  9月26日(金)~28日(日) 火打山・妙高山(トラベルギャラリー)
 10月 4日(土)~ 5日(日) 苗場山(山旅クラブ)
 10月11日(土)~13日(月) 燧ヶ岳、会津駒ケ岳(山旅クラブ)

予定している山をすべて登ることができたならば、日本百名山は92座までに到達します。残りは8座、蔵王、黒部五郎岳、荒島岳、白山、大朝日岳、大雪山、十勝岳、羊蹄山です。北海道の3座は来年の8月のお盆休みに行くことを決めました。100座目をどこにすべきかそろそろ決めようと考えています。
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7月26日(土)~27日(日)は西吾妻山に行ってきました。いつものようにいい歳、りょうちゃんが写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。
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土曜日は猪苗代まで行き、国民宿舎裏磐梯に前泊しました。土曜日はとてもいい天気で昨年登った磐梯山がはっきりと見えました。058.gif
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国民宿舎裏磐梯の夕飯はバイキングになっており、食べたいものを食べたいだけ食べました。山旅クラブの代表ガイドのトミーさんも、もう55なので、これからの山旅クラブは温泉宿泊と手軽な山行にシフトしていくとおっしゃっていました。55とはトミーさんの髪の毛の本数ではありません、年齢です。041.gif
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岩魚の骨酒。この国民宿舎で一番のお目当てです。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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7月27日(日)の天気予報は雨マーク。土曜日は磐梯山が見えるほど天気が良かったのに、天気予報はあたってしまいました。台風12号から変わった低気圧が通過するため、朝から雨となりました。
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予定ではロープウェイで山頂駅まで行き、そこから西吾妻山の山頂を目指す予定でしたが、ロープウェイが強風で運転見合わせになっており、運転再開するとしても1時間以上あとになるとのことでした。
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山麓駅にはロープウェイの運転再開を待っている登山者がたくさんいました。天元台スキー場のほうへ移動した人もいるようでしたが、山行をあきらめて帰っていく人もいました。
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どんな状況でも、安全に山に連れて行ってくれるところが山旅クラブのいいところです。グランデコスノーリゾートスキー場に沿って、山麓駅から山頂駅まで90分かけて歩いてから、西吾妻山の山頂を目指すことになりました。057.gif
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山頂駅に着いたのは午前10時45分でした。本来のスケジュールよりも約2時間のビハインドです。
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午前11時過ぎに登山口から登り始めました。
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登山道は木の根っこと泥の悪路が続きました。
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12時58分。西大嶺に着きました。地図には「展望が良い」と書いてありますが何も見えません。
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何も見えない道をひたすらに歩きます。
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雨足も強まり、階段状の登りも川になっています。
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 避難小屋のあたりから木道が現れます。
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 13時48分。山頂に到着しました。樹林のなかにあり、晴れていても展望はありません。いい歳、りょうちゃん、日本百名山80座目になりました。写真を撮って、とっとと下山します。
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 シナノキンバイの花畑がありました。
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 イワイチョウも咲いています。晴れていたらどんなにきれいだったことでしょう。
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 ロープウェイの最終時刻は16時ちょうどです。登ってきた悪路を必死に下りました。トミーさんはどんどんと先に行ってしまい、トレードマークの頭は見えません。最後は走って、16時5分前に山頂駅にようやく到着し、ロープウェイに間に合うことができました。国民宿舎裏磐梯に日帰り温泉に入浴しましたが、到着したのは16時50分。本来ならば日帰り入浴の受付は16時30分までとのことでしたが、やさしい従業員さんが「本日だけ、次回から16時30分までにお願いします。」と言って、入れてくれました。次回からは走らない手軽な山行を希望します。037.gif
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道





本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス



 
次回は奥穂高岳の報告をします060.gif

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by ryott-ryott | 2014-08-30 11:44 | 西吾妻山 | Comments(0)

南アルプス最南端の百名山、聖岳を行く、聖岳~上河内岳~茶臼岳縦走

登山
旅行・地域
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 ブログがなかなか実態に追いつきません。7月19日(土)~22日(火)は南アルプスの聖岳~上河内岳~茶臼岳縦走に行ってきました。いつものようにいい歳、りょうちゃんが写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。
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 昨年と同じ時期に同じ南アルプスに行くことになりました。静岡駅で山旅クラブのトミーさんと待ち合わせをし、乗り心地抜群のリムジンカーで、椹島へのバス乗り場へと向かいました。今回の山行はお孫さんのいるよくしゃべるお姉さん、S木さんと、いつものA柳さんと、総勢4名での山登りになります。
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 1日目は椹島へ移動して、前泊となります。私たちが東海フォレストのバス乗り場まで来ると、サイレンの音とともに救助隊が山の中へと入っていきました。ヤレヤレ峠から吊り橋へと降りてくるトラバース路で転落したとのことでした。私たちも最終日に同じところを通りましたが、人一人が通れるくらいの幅で片側は河川敷まで切れ落ちており、昨年行った水晶小屋へのアプローチのザレ場と同じくらいに大変に恐ろしい場所でした。
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 写真は椹島の夕飯です。
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 2日目は聖平小屋まで移動しました。東海フォレストのバスで椹島ロッジから聖沢登山口まで移動し、いよいよ聖岳を目指します。朝は月が出ており、午後からくずれるとの予報でしたが、なんとかもってほしいと祈りつつ出発しました。午前6時50分。
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 吊り橋がいくつもあり、結構揺れます。
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 聖平までの登山道は沢沿いにあるため、幅が狭く大変に危険なトラバース路を延々と歩いていくことになります。
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 岩頭滝見台から見た滝二筋。いい歳、りょうちゃん以外の3人は切れ落ちた滝見台の際まで行き、騒ぎながら滝を眺めていました。とても真似できません。038.gif
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 この場所も向こう側は奈落の底の崖で、皆さんは身投げでもする気でしょうか。037.gif
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 13時過ぎにようやく安全な聖平に着きました。こういう道がいいですね。037.gif
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 ミヤマキンポウゲが咲いていました。056.gif
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 13時36分。雨に降られることもなく、2日目に宿泊する聖平小屋に到着しました。
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 宿泊者にはフルーツポンチが無料でふるまわれました。聖平小屋についてまもなく雨が落ちてきて、土砂降りとなりました。057.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 3日目は聖平小屋から聖岳をピストンで登り、上河内岳~茶臼岳を経由して、茶臼小屋へと縦走します。写真は聖平小屋前から見た、笊が岳から昇るご来光。午前5時40分に聖平小屋を出発しました。
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 易老岳への分岐。信州大学の山岳部が来ていました。
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 小聖岳から見た富士山。ほとんど雲に隠れています。
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 小聖岳から見た聖岳。雲が取れないかと祈りつつも、このあとは雲の中から姿を現すことはありませんでした。
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 先日NHKの日本百名山で聖岳を放映しており、あっさりと山頂に到達していましたが、小聖岳から聖岳山頂までの標高差350 mは途中に痩せ尾根や砂礫の大斜面が待ち構えており、そう簡単に行けるものではありません。午前8時10分、大斜面を登りつめ、山頂に到着しました。いい歳、りょうちゃん、日本百名山79座になりました。白い霧に覆われて、周囲は何も見えませんでした。
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 向こうに見えるのは昨年登った赤石岳かなぁ。
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 聖岳から聖平まで下山し、次は日本二百名山の上河内岳へと向かいました。
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上河内岳の肩にはキバナシャクナゲとイワカガミがたくさん咲いていました。肩にザックをデポし、山頂へ登りました。
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 13時10分、日本二百名山、上河内岳登頂。標高2803 m。二百名山は数えていなので、何座目かわかりません。
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 上河内岳を降り、岩のやせ尾根を通り、奇岩竹内門へ。
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 草原を通過し、茶臼岳へ。
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 15時10分、日本三百名山、茶臼岳登頂。標高2604 m。
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 雲にかかった上河内岳が見えました。
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 茶臼小屋の夕飯にマグロの刺身が出ました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(NHK日本名曲アルバム/銀色の道)


(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 4日目はいよいよ下山します。朝起きると、朝焼けに染まった富士山が見えました。
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 4日目の下山も急坂の連続で、大腿四頭筋にだいぶ効きました。しかも、陽気なS木さんのおしゃべりは止まりません。いい歳、りょうちゃんが必死に降りているのに、後ろからテレビ番組のストーリーを話しかけてきます。もう聞いていないので、どうぞ勝手に喋ってください。037.gif
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 冒頭に書いたヤレヤレ峠から畑薙大吊橋までの降りは大変危険で、滑って転んだら約100 m下の河川敷に真っ逆さまに落ちていきます。S木さんのおしゃべりにはもう付き合ってはいられません。041.gif
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 畑薙大吊橋をわたり、なんとか東海フォレストのバスに間に合うことができました。
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 帰りは昨年立ち寄った白樺荘で入浴・食事のはずでしたが、毎週火曜日は定休日で営業していませんでした。仕方なく田代温泉に入浴しました。
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 白樺荘が休みだったので、トミーさんは峠の蕎麦屋に寄るつもりだったようですが、「あんなマズイところはイヤッ!」とS木さんの大反対で、田代温泉で教えてもらった店に行きました。
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帰りの静岡駅中の美味しそうな店を見て、次回の昼食はここにしてもらおうと約束して、S木さんと静岡駅でお別れしました。


本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス



 
次回は西吾妻山の報告をします060.gif

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by ryott-ryott | 2014-08-17 15:07 | 聖岳・上河内岳・茶臼岳 | Comments(0)

湿原と池塘の日本百名山、平ヶ岳を行く

登山
旅行・地域
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 なかなかブログを書く時間がありません。約1ヵ月ぶりの更新になります。近況は以下のとおりです。高妻山まですでに終了しています。

7月12日(土)~13日(日) 平ヶ岳
7月19日(土)~22日(火) 聖岳~上河内岳~茶臼岳
7月26日(土)~27日(日) 西吾妻山
8月 1日(金)~ 3日(日) 奥穂高岳
8月 9日(土)~10日(日) 高妻山
8月13日(水)~17日(日) 黒部五郎岳・薬師岳
8月23日(土)~24日(日) 木曽駒ヶ岳

 今日は平ヶ岳の報告をします。一昨年、越後駒ヶ岳に行ったときと同じく銀山平のログハウスに前泊し、翌朝4時に登山口へと宿のマイクロバスで向かいます。いつものように、いい歳、りょうちゃんの写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。越後駒ヶ岳は山旅クラブで行った初めての日本百名山でした。
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 銀山平のログハウス白光の夕飯、食べきれないくらいの食事の量でした。りょうちゃんは全部食べました。037.gif
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 となりに写っているのはM下さんです。ご一緒するのは昨年の仙丈ヶ岳以来でした。
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 この日は月が地球に最接近したスーパームーンの夜でした。
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 まだ太陽が昇ってこない午前4時に宿のマイクロバスで登山口へ向かいました。登山道への林道は銀山平の宿の共同所有で、いずれかの宿に泊まらなければ、この林道の登山口から登ることはできません。
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 先週の巻機山に引き続き、この平ヶ岳もとても手ごわかったです。山容は平らで、上州では塗桶山とも呼ばれているそうですが、その平らの部分に登るまでが急登に次ぐ急登で、トミーさんとM下のシルバーバックを何度も見失いました。037.gif
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 途中の急登を撮る余裕はとてもなく、登り始めて約3時間の午前8時にようやく頂上台地に着きました。
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 これが有名な玉子石です。花崗岩からできており、風化によってこのような形に玉子形になりました。
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 玉子石の根元、くびれており、ひとつの石からできているのがわかりました。
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 玉子石から頂上台地の木道を歩いて、平ヶ岳の山頂へと向かいます。
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 恐ろしい雪渓が現れました。
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 秋に行く予定の燧ヶ岳を見ながら、歩きます。
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 姫池に着きました。
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 姫池から見た平ヶ岳山頂部。
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 ワタスゲ、チングルマが木道の脇にたくさん咲いていました。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 午前9時16分、平ヶ岳の山頂につきました。いい歳、りょうちゃん、日本百名山78座目になりました。標高2141 m。利根川源流域で2000 mを超える山は、上州武尊、至仏山と、この平ヶ岳の3座しかないそうです。
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 チングルマ、今年初めて見ました。
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 ショウジョウバカマ。
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 マイクロバスが登山口に向かいに来るのは13時。先ほど登ってきた急登を必死に下っていきます。登りもきついですが、降りもきついです。トミーさんのショウジョウバカマのような頭を目印に降りていきましたが、何度も見失いました。041.gif
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 ひざがガクガクで、何人ものおじいさん、おばあさんに抜かされながらも、12時30分前に何とか登山口にたどり着くことができました。
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 朝は暗くて見えませんでしたが、この沢から3泊4日で深田久弥は平ヶ岳へ登って行ったそうです。この沢を登りつめると姫池にたどり着くそうです。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(NHK日本名曲アルバム/銀色の道)


(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道






本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス



 
次回は聖岳の報告をします

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by ryott-ryott | 2014-08-11 11:41 | 平ヶ岳 | Comments(0)