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歩の会、南牧村の岩峰、桧沢岳を行く

登山
旅行・地域
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 ブログが実態に追いついてきました。今年、蔵王山に行くことはできませんでした。日本百名山は会津駒ヶ岳までの90座になります。残りの10座、蔵王山、黒部五郎岳、大朝日岳、火打山、妙高山、十勝岳、大雪山、羊蹄山、荒島岳、白山は来年に山頂を踏みたいと思います。

 12月 3日(水) 庚申山・桜山(山旅クラブ)
 12月 6日(土) 臼井さんとFacebook飲み会
 12月10日(水) ハイキング(トラベルギャラリー、休暇が取れれば)
 12月20日(土)~21日(日) 月居山・奥久慈男体山(山旅クラブ)
 12月23日(火) クリスマス会
  1月10日(土)~11日(日) 四阿屋山(山旅クラブ)
  1月15日(木) 竹寺・子の権現(歩の会、休暇が取れれば)
  1月17日(土) 奥武蔵主脈縦走(日和田山~物見山~越上山、山旅クラブ)
  1月24日(土)~25日(日) 日光・雲竜渓谷(山旅クラブ)
  1月31日(土)~2月1日(日) 八丈島(八丈富士、三原山、トラベルギャラリー)
  2月15日(日) 奥武蔵主脈縦走(関八州見晴台、山旅クラブ)
  3月 1日(日) 宇都宮アルプス(山旅クラブ)
  3月14日(土)  奥武蔵主脈縦走(カバ岳、山旅クラブ)
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 11月13日(木)歩の会の山行、桧沢岳に行ってきました。前回参加したのは5月の鈴ヶ岳だったので6ヵ月ぶりの参加です。待ち合わせ場所は新宿西口モード学園前の交差点です。天気は快晴です。058.gif
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 桧沢岳は南牧村にある岩峰です。岩峰のためか、いつもは26~27人が参加していますが、今日は半数の14人にとどまりました。写真は南牧村の道の駅です。
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 大森橋にバスを止めて、ここから出発しました。
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 登山口から人家の前を通って、ほぼ直登の登山道を山頂へと向かうことになります。
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 途中の見晴台から見た風景。
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 右に見える岩峰が西峰になります。西峰でお昼ご飯を食べました。
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 西峰に向かいます。
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 西峰から浅間山が見えました。
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 西峰から見た本峰。
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 西峰でのお昼ご飯の風景。
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 眼下に紅葉が見えます。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 西峰を降りて、本峰に向かいます。
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 本峰山頂には社がありました。展望はありません。標高1133 m。
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 本峰の急坂を下ります。道はあまり整備されていません。
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 妙義山が見えました。
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 岩場を越えて、あとはつづら折りの山道を降っていきました。
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 降りの紅葉。
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 林道から見た紅葉。
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 バスが待っている大森橋へと向かいます。
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 帰りのバスの車窓から見た桧沢岳全景。
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 やまびこ荘で入浴し、鍋屋ですき焼きを食べました。歩の会常連のフジ子ちゃんから、「今回はお休みを取れたのですか?」と声をかけていただきました。私が、早く定年を迎えて、毎月皆さんと歩の会に参加したいことを答えると、フジ子ちゃんは「りょうちゃんが定年を迎える頃には、私たちみんな死んでるわよ。」とおっしゃっていました。口の悪いトミーさんならば、「まったく、その通りですね!」と言っていたことでしょう。041.gif
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 また今回、私を歩の会にスカウトしてくれたミチ子さんが何年かぶりに歩の会に参加していらっしゃいました。先日の檜枝岐で山椒魚を食べたことと、山形県や檜枝岐村で生の山椒魚を食べる習慣があることを話した所、山形県出身のミチ子さんは自分は駅前だったので生の山椒魚を食べる習慣はなかったとおっしゃっていました。038.gif
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 また来年1月31日の八丈島に歩の会の方が何名か参加されることを聞き、私もすぐに添乗員の辻さんに八丈島の山行を申し込みました。近藤富蔵の終焉の地、八丈島を歩の会の皆さんと行くことを楽しみにしています。038.gif
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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11月15日(土)、城南島海浜公園にご来光を見に行きました。風もなく穏やかな海でした。058.gif
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス



 
11月29日は夫神山、独鈷山に行ってきます060.gif

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by ryott-ryott | 2014-11-23 14:57 | 歩の会・桧沢岳 | Comments(3)

紅葉を纏う会津の百名山、燧ヶ岳と会津駒ヶ岳を行く

登山
旅行・地域
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 なかなかブログが実態に追いつきません。10月11日(土)~13日(月)体育の日の3連休は燧ヶ岳と会津駒ヶ岳に登るため、会津の檜枝岐村までやってきました。東京・浅草から東武鉄道に乗り、3時間17分かかります。いつものように、いい歳、りょうちゃんが写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。
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 長丁場の電車旅なのでビールと日本酒とおつまみを買い込み、電車に乗りました。電車は特急ではなかったので、他のお客さんと同じ4人掛けの座席に座ります。私の目の前に座った、まったく知らない若者と缶ビールで乾杯しました。話を聞くと、その若者は今年の8月いっぱい、裏銀座の入口ブナダテ尾根を登ったところにある烏帽子小屋で働いていたとのことです。今年の夏はやはり天候不順で、烏帽子小屋では8月はたった1日しか布団を干せなかったそうです。
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 山小屋で働くためには、専用のサイトがあり、登録をするそうです。烏帽子小屋は登山客用のお風呂はありませんが、従業員用にはお風呂があり、3日に1回は入浴できるそうです。尾根に建っている山小屋なので水は貴重なため、毎日はお風呂には入れないそうです。屋根裏に部屋があって、従業員はそこで寝泊まりしているとのことでした。また1日2時間の自由時間が有り、その若者は烏帽子小屋から野口五郎岳まで往復していたそうです。
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 また9月の秋分の日に鹿島槍ヶ岳に行ったことを話すと、鳴沢岳の新越山荘、爺ヶ岳の種池山荘、鹿島槍の冷池山荘を巡回しているオレンジ色の服を着たメガネをかけたお兄さんとは、知り合いで、メガネのお兄さんは3つの山荘を巡回している班長さんだとおっしゃっていました。
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 その若者は今市で降りていきましたが、そこに住んでいる友人と山登りをするそうです。その友人が経営している山小屋でグルーンカレーを食べることができると言っていました。スマホで検索すると、その若者が登ろうとしている山は栃木百名山の笹目倉山で、グルーンカレーを出してくれる山小屋は山小屋ではなく、山小屋風のカフェの清流園であることがわかりました。いつの日か行ってみたいと思います。
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 会津高原尾瀬口駅には予定よりも1時間ほど遅れて着きました。どうやら下今市で乗り換えなければならなかったようであり、日光まで行ってしまい、下今市まで戻って電車を乗り換えたためです。いつものように、国産高級リムジンカーに乗車し、檜枝岐村の民宿すぎのやさんに向かいました。写真はすぎのやさんの夕飯です。とても量が多く、残さずにすべて食べましたが、満腹になりました。トミーさんは高齢のため食べきれず残していました。038.gif
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 岩魚の塩焼きの上に乗っている枝みたいな天ぷらは山椒魚の天ぷらだそうです。誰かさんの指の天ぷらではありません。山椒魚の天ぷらはとても貴重なものだそうです。私が若い女将さんに山形県では春先に雪の上に出てくる山椒魚を捕まえて、そのまま生で食べる習慣があると話したところ、檜枝岐村でも同様に山椒魚を生で食べる習慣があるとおっしゃっていました。
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 写真に写っているもの以外にお蕎麦と舞茸ご飯が出されました。美味しいものをお腹いっぱい食べました。038.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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10月12日(日)、2日目。今日は燧ヶ岳に登ります。民宿すぎのやさんで朝食を済ませて、尾瀬御池の駐車場に向かいました。とても良い天気で朝日に照らされた黄金色の紅葉トンネルの中をリムジンカーが音速で飛ばします。尾瀬御池の登山口から登り始めて、広沢田代、熊沢田代、俎嵓(まないたぐら)、柴安嵓(しばやすぐら)までのピストンになります。駐車場で隣のおばさんは山形から登山に来たそうで、昨日は車中泊だったそうです。折角、会津まで来たので次の日は会津駒ヶ岳に登ろうと考えているが、どこか宿泊するところはないかと聞いてきたので、閑古鳥が鳴いている、すぎのやさんを教えてあげました。
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 午前6時30分に登山口を出発しました。
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 広沢田代までは急登が続きます。トミーさんは雪のない燧ヶ岳登山道は始めて登ったとのことです。
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 向こうに見える丘の向こうに熊沢田代があり、そこから本峰を見ることができます。
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 広沢田代の池塘と明日登る会津駒ヶ岳の平坦なピークが見えます。
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 熊沢田代に向かう途中から見た広沢田代と会津駒ヶ岳。
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 午前8時24分。熊沢田代に到着。燧ヶ岳の山頂が見えました。
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 山腹から見た熊沢田代と会津駒ヶ岳。
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 熊沢田代が小さく見えます。
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 燧ヶ岳は双耳峰です。最初のピーク、俎嵓に午前10時5分に到着。眼下に尾瀬沼が見えます。
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 俎嵓は多くの登山者でひしめき合っていました。右前方には尾瀬ヶ原、至仏山、上州武尊山が見えます。
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 もうひとつのピーク柴安嵓。
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 柴安嵓に午前10時25分に到着。いい歳、りょうちゃん、日本百名山、89座目になりました。
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 尾瀬沼の向こうには日光白根山、男体山が見えます。関東以北では日光白根山が一番高い山ですが、東北以北では燧ヶ岳が最も高い山になります。標高2356 m。燧ヶ岳の名前は山腹に残った雪渓が燧バサミの形であったことに由来します。岳人か何かに書いてありました。
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 山頂から見た尾瀬ヶ原、誰も歩いていません。
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 柴安嵓から見た俎嵓。
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 天気が良かったため、30分以上山頂に留まり、写真をたくさん撮りました。日本百名山だけでもざっと20座は見えていました。トミーさんは富士山がうっすらと見えると言っていましたが、りょうちゃんにはわかりませんでした。トミーさんは普段の行いは悪いですが、目だけはいいようです。041.gif
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 山頂からの景色を存分に楽しみ、登ってきた道を下山しました。太陽の向きが変わり、会津駒ヶ岳が紅葉で赤く見えました。
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 下山途中の熊沢田代で缶ビールで乾杯しているグループがいました。今夜はここでビバークするのでしょうか。068.gif
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 熊沢田代を降ると燧ヶ岳を見ることができません。ここで見納めになります。
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 紅葉を楽しみながら、広沢田代から登山口駐車場に戻ってきました。13時50分。
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 帰り道、紅葉トンネルでリムジンカーを降りて、紅葉の写真を撮りました。NHKの日本百名山の特集で、落葉樹はなぜ紅葉するのかということを説明していました。葉っぱの中には、緑の葉緑素以外に黄色のカロチノイドや赤色のアントシアニンも存在し、秋になると緑の葉緑素が消えていくため、黄色や赤の色素が浮かび上がってきて、黄葉、紅葉が進むとのことです。黄色のカロチノイドが多ければ黄葉し、赤のアントシアニンが多ければ紅葉することになります。
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 帰り道に裁ちそばを食べて、燧の湯に立ち寄り入浴し、すぎのやに戻りました。
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 今晩のすぎのやさんの夕飯もたっぷりありました。トミーさんは高齢のため残していました。
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 イワナの刺身。
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 そば粉ともち米を半分ずつ混ぜて作ったスイーツ。名前は忘れました。今夜もお腹いっぱいになりました。
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 10月13日(月)、3日目。今日は会津駒ヶ岳に登ります。駐車場が小さいため、午前5時過ぎ、早めに民宿を出ました。この日は接近する台風の影響で午後から雨が降る予報でした。
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 雨が降り始める前に下山することを目標に、ヘッドランプをつけて、登山を開始しました。
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 午前6時前、ようやく明るくなり、雲間から太陽の光が見えました。
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 どんよりとした曇り空の下、紅葉を見ながらの登山になります。青空であったら、どんなにきれいだったことでしょう。
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 曇っていますが遠くの山並みまで見えました。向こうに那須の朝日岳が見えました。
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 8合目あたりからついに雨が降りだしました。しかし、よく見ると白い粒であられでした。積乱雲が発達している証拠であるとトミーさんが教えてくれました。
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 ベンチから会津駒ヶ岳の山頂部が見えます。
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 駒ノ小屋が見えます。
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 駒ノ小屋で小休止。
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 山頂は目前です。
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 駒の小屋から約20分。午前8時44分。ついに会津駒ヶ岳の山頂に到達しました。いい歳、りょうちゃん、日本百名山90座目になりました。トミーさんによると雪山のほうが笹が押しつぶされていて、展望がいいそうです。
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 中門岳の尾根が見えます。天気が良くて、時間がたっぷりあったら、歩いてみたかったです。
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 昨日登った燧ヶ岳がはっきり見えます。
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 山腹にあるダケカンバの葉が落ちて、木が骨のように見えます。
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 雨がひどくならないうちに下山を開始。
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 会津駒ヶ岳から見る燧ヶ岳はここで見納めになります。
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 会津駒ヶ岳の山頂もここで見納めになります。
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 紅葉を楽しみながら下山していきました。途中、尾瀬御池の駐車場で民宿すぎのやを教えてあげたおばさんに会いました。昨晩民宿にいなかったので、泊まらなかったことはわかりましたが、おばさんが言うには予約以外は夕飯が用意できないことを理由に宿泊を断られたそうです。あれだけの夕飯の量と、山椒魚を調達するのが大変なのでしょう。
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 登り始めはヘッドランプだったのでわかりませんでしたが、こんな泥道の急登があったのですね。
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 午前11時15分。登山口に戻ってきました。
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 駐車場のそばに山ぶどうがなっていることがわかりましたが、手が届きません。トミーさんはたいへんに悔しがっていました。山ぶどうはりょうちゃんの口には合わず、決して美味しいものだとは思えません。常々、トミーさんは自分はいいところの出であるとおっしゃっていますが、本当は山家育ちなのではないでしょうか。037.gif
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 駒の湯に入浴し、会津高原尾瀬口駅でトミーさんと三種合体麺を食べて、東京に戻ってきました。三種合体麺とは、そば、うどん、ラーメンがひとつの丼の中に入っている珍しい食べ物です。今回は、すぎのやの食べきれないほどの夕飯(全部食べましたが)、裁ちそば、三種合体麺と、常に満腹の嬉しい山行でした。038.gif
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス



 
11月13日は歩の会・桧沢岳に行ってきます。060.gif

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by ryott-ryott | 2014-11-11 22:44 | 燧ヶ岳・会津駒ヶ岳 | Comments(0)

頂上大地を彩る紅の草もみじ、苗場山を行く

登山
旅行・地域
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 なかなかブログが実態に追いつきません。9月26日(金)~28日(日)は久しぶりにトラベルギャラリーで火打山・妙高山に行く予定でしたが、残念なことに人が集まらず、催行中止との連絡がありました。この3日間は天気がよかったので、とても残念でした。そしてこの天気のよい9月27日(土)に御嶽山が噴火しました。浅間山に出かけていたトミーさんも御嶽山の噴煙を見たとおっしゃっていました。

 御嶽山は昨年の9月8日に登りました。2020年東京オリンピックが決まった日の翌日で、土砂降りの雨が降っていました。御嶽山の山頂は、ほかの山とちがって神社になっています。御嶽山噴火のニュースで山頂を映していましたが、銅像の首がなくなっていました。生存者の証言では電子レンジから軽トラックほどの噴石が降ってきたそうであり、亡くなった方のほとんどが噴石による損傷死で即死だったそうです。普段の登山では、滑落や雷雨などが大きなリスクとして認識していましたが、噴火というリスクもあるということを改めて思い知らされました。
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 9月の最終週は予定していた火打山・妙高山が催行中止になってしまったため、お誘いをいただいていた日本酒試飲会に出かけました。その会場でめずらしい方にお会いしました。大井町湯屋でかつて一緒にステップなどの有酸素運動に参加していたS木さんが試飲会に来ていました。現在、大井町湯屋のスタジオプログラムは面白いものは全くなく、年寄りどもが幅を利かせているとのことでした。しかしながら、S木さんは大井町湯屋を退会することなく、今も細々とやられているエアロに参加するため、通っているとのことです。会場でかつての大井町湯屋仲間を記念撮影しました。一番右の人相の悪い男性は、S共D一製薬の優秀な研究者のI川さんです。研究者としては優秀とのことですが、人としては疑問符がつく方です。
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 11月13日(木) 歩の会(桧沢岳)
 11月15日(土) 囲碁の会
 11月22日(土) ボジョレー試飲会
 11月29日(土)~30日(日) 夫神山・独鈷山(山旅クラブ)
 12月 3日(水) 庚申山・桜山(山旅クラブ)
 12月10日(水) ハイキング(トラベルギャラリー、休暇が取れれば)
 12月20日(土)~21日(日) 月居山・奥久慈男体山(山旅クラブ)
 12月23日(火祝) クリスマス会

 10月4日(土)~5日(日)は苗場山に出かけてきました。いつものようにいい歳、りょうちゃんが写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。

 今回の山行はいつもとちがってピストンではなく、赤湯林道から入って鷹ノ巣峠を越えて、赤湯山口館に1泊して、2日目は昌次新道を歩き、苗場山山頂を踏んで、和田小屋へと縦走する予定です。越後湯沢駅でお風呂道具をトミーさんの国産高級リムジンカーにデポし、タクシーで赤湯林道の小日橋まで向かいました。本当ならばM下さんも来る予定だったそうですが、直前に来ることができなくなり、お客はいい歳、りょうちゃん一人での山行になりました。
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 写真は小日橋。越後湯沢からここまでタクシーでやってきました。
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 清津川に沿って林道を歩いていきます。10時08分。
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 一番奥に見えるのは日本二百名山の佐分流山です。天候悪化を予測して佐分流山をあきらめて下山してくるパーティーに出会いました。翌日の日曜日は台風の影響を受けて、雨の予報でした。
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 もみじが地面に落ちて、だいぶ踏みしめられています。
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 歩き始めて、約2時間で鷹ノ巣峠に着きました。12時12分。
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 せっかく登ったのに、山口館へ行くためには沢のほうに降りていかなければなりません。この橋を渡ると山口館はもうすぐです。
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 橋の上から露天風呂が見えました。入っている人が手を振っていました。
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 13時13分。赤湯山口館につきました。
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 早速、温泉に入浴しました。立ち寄りで温泉に入っているお兄さんがいました。赤湯には宿泊せずに、そのまま鷹ノ巣峠から赤湯林道へ向かい帰宅するとのことでした。
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 温泉に入ってくつろぐトミーさん。沐浴しているお坊さんではありません。041.gif
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 赤湯山口館の夕飯。ランプの灯りで食べました。
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 山口館は基本的には電気がなく、行灯とランプで灯りをとります。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 10月5日(日)、2日目。今日は赤湯山口館を出発して、昌次新道、シラビソ廊下を通り、頂上大地の苗場山の山頂を踏んで、雷清水、神楽ヶ峰、祓川コースを下山して和田小屋まで、昭文社の地図で10時間5分のコースタイム、休憩を入れて行動時間11時間30分のロングコースを歩く予定です。先々週の光岳も同じくらいの行動時間でしたが、軽トラックの荷台に乗せてもらって随分と短縮できたことを考えると、昨年のトムラウシ以来の10時間超えになります。
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 2日目の天気予報は午後から台風の影響で雨が降る予報になっており、なんとか降らずに保ってほしいと願いつつ、ヘッドランプをつけて山口館を午前5時20分に出発しました。山口館から赤倉山への分岐、桂ノ沢に至るまでは、りょうちゃんの苦手なトラバース路が続き、トミーさんとの差が広がるばかりでした。果たして11時間30分で歩けるのかと思いつつ、トラバースで転ばないように超スローで歩いていました。
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 桂ノ沢を登りきると、フクベノ平までしばらく平坦の道が続きます。
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 黄葉したコシアブラ。新芽は天ぷらにして食べると美味しいそうです。
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 フクベノ平から急登を登り、シラビソ廊下へと足を進めました。8合目くらいから、心配していた雨がついに降りだしました。
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 シラビソ廊下の突き当たり、この岩場を登れば、頂上大地に上がることができます。
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 振り返ると、歩いてきたシラビソ廊下が霧に煙っていました。
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 頂上大地も雨に煙っており、遠くまで景色を見ることはできません。
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 晴れていたら、どんなにきれいな光景が広がっていたことでしょう。池塘が点在し、田んぼのように見えることから苗場山という名前がつきました。
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 苗場山頂ヒュッテが見えます。
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 山頂に到達。10時20分、標高2145 m。いい歳、りょうちゃん、日本百名山88座目になりました。038.gif
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 雨のため展望もなく、雨と風が強まりつつあったので、写真を撮ってすぐに下山を始めました。
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 頂上大地から雷清水に至るまで、急な降りが続きます。ここも晴れていたら、きれいな光景を見ることができたでしょう。
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 雨が止むことはなく、カメラのレンズに水滴がついて写真も滲んでしまいました。雨が降っていても、真っ赤な紅葉がきれいでした。
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 下山中に肉眼で見た高石尾根の紅葉がきれいでした。写真はイマイチです。
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 ついに和田小屋に到着しました。時計を見ると14時05分。予定していた行動時間11時間30分を大きく短縮し、赤湯山口館を出発して8時間45分でした。
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 この和田小屋のスキー場は神楽スキー場で、有名な苗場スキー場ではありません。苗場スキー場は苗場山の山腹にあるものだと思っていましたが、苗場スキー場の山のピークはたけのこ山で、苗場山とまったくちがう山なんだそうです。トミーさんは、たけのこ山スキー場と名前をつけたら、お客が誰も来ないので、苗場スキー場と命名したとおっしゃっていました。
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 駒子の湯に入浴して、台風接近の東京に帰宅しました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道






本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス



 
次回は燧ヶ岳・会津駒ヶ岳の報告をします060.gif

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by ryott-ryott | 2014-11-10 20:48 | 苗場山 | Comments(0)

紅葉に染まる後立山の盟主、鹿島槍ヶ岳を行く

登山
旅行・地域
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 なかなかブログが実態に追いつきません。ようやく右眼球の出血もおさまり、赤い部分の面積も小さくなってきました。先週蔵王はキャンセルしました。また倉持さんから12月10日(水)のハイキングをお誘いいただきました。平日なので休暇を取ることができれば行きたいと思います。

 11月 8日(土) 同窓会
 11月13日(木) 歩の会(桧沢岳)
 11月15日(土) 囲碁の会
 11月22日(土) ボジョレー試飲会
 11月29日(土)~30日(日) 夫神山・独鈷山(山旅クラブ)
 12月 3日(水) 庚申山・桜山(山旅クラブ)
 12月10日(水) ハイキング(トラベルギャラリー、休暇が取れれば)
 12月20日(土)~21日(日) 月居山・奥久慈男体山(山旅クラブ)
 12月23日(火祝) クリスマス会

 11月8日(土)は研究室の同窓会に行ってきました。先生方はもちろんのこと、皆さん健康に留意した週末を過ごされているようです。私が登山で今年は日本百名山90座まで到達したことを報告すると、先生からは登山をやっていて、どうしてその体格が維持できるのかと苦言をいただきました。037.gif
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 9月20日(土)~22日(月)鹿島槍ヶ岳に出かけてきました。当初は今週が光岳の予定でしたが、光小屋が9月14日(日)で今季の営業終了になるため、鹿島槍ヶ岳と光岳の予定を入れ替えました。いつものようにいい歳、りょうちゃんが写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。
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 鹿島槍ヶ岳の登山口は、長野駅から特急バスに乗って扇沢駅まで向かいます。劔岳に行った時と同じです。初日は柏原新道を登って種池山荘に宿泊します。室堂に行くたびに登山口の前を通過していましたが、ついにその登山口から鹿島槍ヶ岳に向かうことになりました。先週の光岳の天気はまずまずで、帰宅後の週間天気予報で確認したら、なんと鹿島槍ヶ岳に行く3日間はすべて傘マークが付いていました。しかしながら、先週に引き続き、いい歳、りょうちゃんの普段の行いも良さが、トミーさんとA柳さんの行いの悪さをはるかに上回ったため、今季一番の天気に恵まれました。058.gif
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 この登山口から柏原新道が始まります。柏原正泰が昭和30年代から昭和42年までにツルハシとスコップで開拓した山道で、それまでは扇沢から種池山荘を直登していたそうです。トミーさん、S木さん、A柳さんの時代です。
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 柏原新道から見た扇沢。
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 途中にケルンがありました。
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 前方の尾根に種池山荘が見えました。
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 柏原新道の紅葉を眺めながら、木苺を食べながら、種池山荘へ向かいました。
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 こんな危険なザレ場もありました。
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 ようやく種池山荘が見えてきました。
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 チングルマが真っ赤に紅葉していました。
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 明日登る鹿島槍ヶ岳も見えました。
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 雲の中には劔岳が見えます。
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 爺ヶ岳南峰。
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 種池山荘前で乾杯。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 9月21日(土)2日目。とてもよい天気で、朝焼けの中、遠くに富士山を見ることができました。
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 昨日真っ赤だったチングルマは、朝露が凍り、真っ白になっていました。
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 剱岳と種池山荘。翌日の柏原新道下山まで、常に剱岳を見ながらの山行になりました。
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 シャクナゲも霜で白くなっていました。
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 紅葉の向こうに鹿島槍ヶ岳の双児峰が見えます。
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 遠くに槍・穂高連峰が見えます。
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 爺ヶ岳の影、影爺が種池山荘にかかっています。
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 爺ヶ岳南峰から見た富士山と八ヶ岳連峰。
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 爺ヶ岳の頂上を踏んで、鹿島槍ヶ岳と向かいます。
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 冷池山荘と鹿島槍ヶ岳。ここから見ると、冷池山荘は崖の上に建っており、どうやって行けばいいのかと思います。
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 冷池山荘に着替えとおつまみなどをデポして、鹿島槍ヶ岳へと進みます。
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 冷池山荘のベンチから見た鹿島槍ヶ岳。
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 冷池山荘のテント場から見た劔岳。
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 布引山から見た爺ヶ岳。
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 布引山山頂。
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 目前に鹿島槍ヶ岳の南峰が見えます。
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 ついに鹿島槍ヶ岳南峰の山頂に着きました。
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 いい歳、りょうちゃん、日本百名山87座目になりました。
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 山頂から見た五竜岳。去年行きました。
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 今回北峰にも足を伸ばしました。急な岩場の降りがあり、写真を撮る余裕はありませんでした。目の前に北峰に続く登山道が見えます。地図では南峰から北峰まで25分と書いてありますが、もう少しかかったような気がします。
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 北峰山頂で記念撮影。
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 北峰から見た南峰と劔岳。
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 雪田。7月に来るともっと大きいそうです。地図にも雪田に迷い込まないようにと書いてあります。
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 恐ろしい吊り尾根を渡り、南峰に戻ってきました。12時34分。午後になり雲が増えてきました。今日宿泊する冷池山荘を目指します。
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 ウラシマツツジ。
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 イワベンケイ。
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 立山連峰の雪渓が顔に見えます。
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 ヒョウタンボク。
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 ハクサンフウロがまだ残っていました。
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 冷池山荘が見えました。テント場から冷池山荘へのザレ場は慎重に降ります。過去に2名の方がこのザレ場から落ちて亡くなっているそうです。
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 冷池山荘のベンチで鹿島槍ヶ岳登頂を祝って乾杯。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 9月22日(月)、3日目。今日は爺ヶ岳中峰を通って、種池山荘から柏原新道を下山します。朝焼けに染まる鹿島槍ヶ岳。
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 冷池山荘前から見たご来光。モデルは若い女性登山者。決してA柳さんでないことはわかるはずです。041.gif
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 冷池。
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 冷乗越から見た鹿島槍ヶ岳と冷池山荘。
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 爺ヶ岳中峰、標高2669 m。中峰のほうが南峰より標高が高くなっています。
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 紅葉、種池山荘、劔岳。
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 種池山荘に戻ってきました。朝8時30分から生ビールを飲んでいるパーティーがいました。羨ましい。写真は種池。
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 柏原新道の紅葉を楽しみながら、下山してきました。
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 扇沢出会いには月見草が咲いていました。
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 薬師の湯で一杯、ダムカレーを食べて、東京に戻ってきました。
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス



 
次回は苗場山の報告をします060.gif

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by ryott-ryott | 2014-11-09 21:38 | 鹿島槍ヶ岳 | Comments(0)

南アルプスの光る岩塔、光岳にブロッケンを見た!

登山
旅行・地域
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 なかなかブログが実態に追いつきません。先週の10月24日(土)は蔵王に行く予定でしたが右眼球からの出血で、診察を受けるため、翌週に延期しました。しかし、今週末も会社に休日出勤しなければならなくなり、蔵王行きをキャンセルしました。蔵王は来年モンスターでもまた見に行こうかと考えています。11月以降の予定は以下のとおりです。

 11月 8日(土) 同窓会
 11月13日(木) 歩の会(桧沢岳)
 11月15日(土) 囲碁の会
 11月22日(土) ボジョレー試飲会
 11月29日(土)~30日(日) 夫神山・独鈷山(山旅クラブ)
 12月 3日(水) 庚申山・桜山(山旅クラブ)
 12月20日(土)~21日(日) 月居山・奥久慈男体山(山旅クラブ)
 12月23日(火祝) クリスマス会
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 9月12日(金)~14日(日)は南アルプスの光岳に行ってきました。当初、翌週の飛び石連休に光岳を予定していましたが、光小屋の年内営業が9月14日で終了のため、予定を1週間早めて光岳に行くことになりました。紅葉シーズンを前にして営業を終了してしまうのは、光小屋が県営だからでしょうか。トミーさんは「公務員はサービス業に対する姿勢がなっていない、けしからん!」と言って、カンカンに怒っていました。いつものようにいい歳、りょうちゃんが写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。
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 9月12日(金)は前泊で下栗の里に宿泊しました。豊橋駅から飯田線特急伊那路に乗り換えて平岡駅まで行きます。聖岳でご一緒したS木さんに電車の中でお会いしました。相変わらずS木さんの口車の回転は早く、2時間かかる平岡駅にあっという間に到着しました。037.gif
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 平岡駅にはいつもの国産高級リムジンカーが迎えに来ており、S木さんと共に日本のチロル下栗の里に向かいました。下栗の里だけあって、道路には大きな栗の実がたくさん落ちており、トミーさんとS木さんは夢中で拾っていました。
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 この日は天気がよく、下栗の里から7月に登った聖岳、上河内岳、茶臼岳が見えていました。天気予報では3日間はまずまずの天候のようです。
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 民宿にチェックインする前に下栗の里の遊歩道に行きました。写真は遊歩道の展望台から見た下栗の里です。
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 本日宿泊する民宿みやしたさん。民宿の名前はみやしたですが、経営者はみやしたさんではありませんでした。
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 ご主人が囲炉裏でじゃがいもを焼いてくれました。
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 民宿みやしたの豪華な夕飯。私たち4名の他に写真家の人が夕飯を食べに来ていました。朝夕の写真を撮りに来ているそうです。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 9月13日(土)、光岳山頂に向けて出発します。予定では行動時間は12時間。車で行くことを予定していた林道が台風で崩れて、90分ほど林道を歩かなければならなくなったため、行動時間が結構伸びました。宮下さんのお話では台風で林道が崩れてから、登山客はあまり来ないとのことでしたが、発電所手前の駐車場は登山客の車でいっぱいでした。90分の林道歩きを少しでも短縮するため、自転車に乗って登山口まで行く登山者も多く見られました。

 私たちも林道歩きから登山口へと向かっていましたが、登山道を整備するおじさんの車が通りかかり、荷台に乗せて登山口まで連れて行ってくれました。自転車を飛ばす連中を次々と追い越し、90分かかる林道を20分足らずで登山口まで来ることができました。いい歳、りょうちゃんの普段の行いの良さが、トミーさん、S木さん、A柳さん、3人の行いの悪さを大幅に上回っていたためでしょう。
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 S木さんは車に乗せてくれたおじさんにお礼のお金を渡そうとしていましたが、受け取れないと断られていました。トミーさんが、「S木さんがおじさんにチューしてあげればいいんだよ。お金は俺にくれ。」と言っていましたが、当然ながら、おじさんにチューも断られってしまったみたいです。世の中の人は全員断ると思います。写真は登山口の駐車場です。午前5時34分。041.gif
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 登山口の橋を渡るといきなり急登になります。
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 面平で休憩。午前7時20分。
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 午前10時23分。易老岳に到着。樹林に囲まれて展望のない山頂です。しかもどこがピークかわかりにくい平坦な山頂です。
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 三吉平~三吉ガレ。
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 ガレた登山の先輩たち。
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 地図ではゴーロの谷筋と書いてあります。11時56分。歩き始めて6時間30分がすでに経過。このゴーロの谷筋はかなり長く、向こうに光岳につづく尾根筋が見えていますが、なかなかたどり着きません。この時点で結構疲れていましたが、やはり林道を車に乗せてもらった効果がかなり大きかったと思います。038.gif
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 12時40分。ようやく尾根筋の静高平にたどり着きました。
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 丘みたいな山がイザルヶ岳です。翌日登りました。
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 光小屋が見えます。その後ろが光岳です。
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 12時59分。光小屋に到着。着替え、食料などの余計な荷物を小屋にデポし、山頂に向かいました。
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 13時30分。光岳山頂に到着しました。いい歳、りょうちゃん、日本百名山86座目になりました。光岳山頂も樹林に囲まれ、展望はありません。
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 光岳山頂から約7分の場所に有名な光石がありました。石灰岩の大きな岩のかたまりです。
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 光石の周囲は切れ落ちており、いい歳、りょうちゃんはすぐに安全な登山道に戻りました。寿命の少ない先輩がたは、いつまでも光石の上をウロウロして天国に行く準備をしていました。
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 光岳の山腹から見たイザルヶ岳。左側に静高平の木道が見えます。
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 15時に光小屋に戻ってきました。1時間半も遊んでいたんですね。光小屋は素泊まりで、食事は自分で持参しなければなりませんが、小屋にはビール、日本酒、ペットボトル、アルファ米、カップヌードルも売っています。S木さんは平岡駅でカップヌードルを買っていきましたが、「小屋に売っているなら買ってこなければよかった。」と話していると小屋のご主人は「高いから買わないほうがいい。」と言ってきました。売るつもりがないようです。それともS木さんだからでしょうか。
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 光小屋の前で、光岳登頂を祝って、乾杯していると、私たちを荷台に乗せてくれたおじさんたちが小屋に到着しました。横断幕を持って、小屋の前で記念撮影をしており、私たちにも横断幕を貸してくれました。左から二人目の白髪のメガネをかけたおじさんが光小屋のご主人です。
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 光小屋はたいへん空いており、2階のひとつのフロアに私たち4人で使うことができました。夕飯のアルファ米を持ってきていましたが、お酒とおつまみでお腹がいっぱいになり18時過ぎに寝てしまいました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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9月14日(日)、イザルヶ岳に立ち寄り、下山します。持参したアルファ米を食べた後、光小屋の前から、富士山5合目あたりからのご来光を見ることができました。S木さんからは「このアングルで写真を撮って!」と早朝から小うるさい指示をたくさんいただきました。
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 イザルヶ岳の山頂に人がいるのがわかりました。
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 光小屋にお別れし、私たちもイザルヶ岳へ向かいました。木道脇の登り口からわずか5分くらいでイザルヶ岳山頂に到着できます。広い平坦な山頂です。
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 今日は3日間のうちで最も天気がよいはずでしたが、霧が立ち込めてきました。そして86座目にしてはじめてブロッケン現象を見ることができました。太陽を背に、自分の前方に円形の虹ができており、その円形の虹の中心部に自分の影が投影されています。この虹と、虹の中に投影された自分の影をあわせてブロッケン現象と呼んでいるようです。
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 子どもの頃に見た少年誌に、「雲の中にイエス・キリストを見た!」という特集記事を興味深く読んだものですが、今考えるとイエス・キリストなんかではなくブロッケン現象だったのだと思います。トミーさんのブロッケン現象の場合は、イエス・キリストではなく、「雲の中にお地蔵様を見た!」になってしまいますね。037.gif
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 ブロッケン現象を存分に楽しんだあとは、昨日登ってきた道を下山していきました。たくさんの方がすれ違いで光小屋のほうへ向かっていました。光小屋最終日に宿泊しようという登山者ではないでしょうか。S木さんによれば、すれ違った人が70人以上いたそうです。70人全員宿泊したら、1つのシラフを3人くらいで使わないと泊まれないでしょう。
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 下山時の易老岳。標識が新しくなっています。昨日は何が書いてあるかわかりませんでした。整備のおじさんたちが取り替えたのでしょう。帰りも車に乗せてくれないものかと、話しながら下山しました。
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 11時40分に登山口に戻ってきました。整備のおじさんたちは来なかったので、発電所駐車場まで林道を歩きました。川に釣り人がいました。
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 駐車場でA柳さんとお別れし、入浴を済ませて、飯田線に乗って3時間もS木さんの話を聞きながら、帰ってきました。
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス



 
次回は鹿島槍ヶ岳の報告をします

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by ryott-ryott | 2014-11-03 09:28 | 光岳 | Comments(0)