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御巣鷹の尾根、昇魂之碑を超えて、西上州の高天原山・大蛇倉山を行く

登山
旅行・地域

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 ブログが実態に追いついてきました。大洗に転勤になり2ヵ月が過ぎようとしています。またこのブログをはじめて、6年になりました。大洗では、雨が降っていなければ出勤前に、神磯の鳥居まで散歩し、大洗磯前神社の御本殿にお参りして帰ってきます。写真は最近撮りました神磯の鳥居から見た太平洋のご来光です。来月は夏至なので、日の出時間もだいぶ早くなりました。5月末で午前4時20分くらいです。
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 来月からは日本百名山100座を目指して、山行の季節に入っていきます。いい歳。りょうちゃんの予定は以下のとおりです。

6月 6日(土)~ 7日(日) 越後米山・刈羽黒姫山
6月13日(土)~14日(日) 蔵王(日本百名山91座目)
6月20日(土)      囲碁の会
6月27日(土)      げんだま会
7月18日(土)~20日(月) 火打山・妙高山(日本百名山92・93座目)
7月24日(金)~26日(日) 大朝日岳(日本百名山94座目)
8月 8日(土)~14日(金) 大雪山・十勝岳・羊蹄山(日本百名山95・96・97座目)
9月19日(土)~23日(水) 黒部五郎岳(日本百名山98座目)
10月10日(土)~12日(月) 荒島岳・白山(日本百名山99・100座目)
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)


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 5月23日(土)~24日(日)は西上州のカイト山、高天原山、大蛇倉山に山旅クラブで行きました。いつものようにいい歳、りょうちゃんが写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。
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 初日は高崎から上信電鉄に乗り換えて終点の下仁田駅まで行きます。途中に世界遺産になった富岡製糸場があり、ほとんどの乗客は上州富岡駅で降りていきました。
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 下仁田駅にはトミーさんのリムジンが迎えに来ており、久しぶりに会った山ちゃんと一緒にカイト山登山口へと向かいました。上野村の道の駅。
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 登山口前には石仏があります。
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 登山口は林道の工事をしていました。
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 途中、両神山を見ることができました。
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 登山口から10分ほど行ったところに、江戸時代の石仏がありました。天保11年と刻んであります。1840年です。打田栄一の薮岩魂には江戸時代に十石街道があった証拠だと書いてあります。
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 明日登る大蛇倉山。
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 二子山が見えました。
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 登山口から約30分ほどでカイト山山頂に着きました。標高1343 m。両脇が切れ落ちている岩峰で、危険な山はやはり楽しくありません。
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 危険な山ですが、360度の展望があり、周辺の山を一望できました。写真は榛名山。
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 浅間山も見えました。
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 カイト山山頂から見た両神山。
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 この人たちは怖くないようです。天国に近づきたいのでしょうか。
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 山頂は狭いので、少し降りたところでお昼休みの大休止となりました。
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 カイト山を下山後は、時間があるということで、関東一大きいと言われる鍾乳洞、不二洞へ山ちゃんと行きました。入場券売り場から入口まで、結構な坂道を登らなければならず、カイト山よりも疲れました。
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 鍾乳洞のイメージとして、地底湖があり、もっと煌びやかな風景を想像していましたが、茶色く乾いた鍾乳洞であり、まったく感動しませんでした。
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 天空回廊。
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 天空回廊から見た風景。
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 今日の宿泊先は民宿旅館の不二野家さんでした。
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 不二野家さんの夕飯にはなんと熊肉が出ました。不二野家の昭ちゃんが猟犬を連れて討ち取ったものだそうです。
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 右が熊肉、左がイノシシの肉で、焼き肉で食べました。
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 イノブタのコロッケ。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 2日目は西上州で最も高い高天原山と二番目に高い大蛇倉山に登りました。この高天原山と大蛇倉山は群馬県と長野県の県境尾根に位置します。そして、アプローチは御巣鷹の尾根の昇魂之碑を経由して上へと登っていきます。
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 御巣鷹の尾根とは、今から30年前の1985年8月12日に日航機123便が墜落した場所になります。御巣鷹の尾根と呼ばれていますが、御巣鷹山自体は別の場所にあり、当時、この近傍で名前がついているのは御巣鷹山しかなかったため、日航機墜落の場所は御巣鷹の尾根と呼ばれるようになったようです。
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 まずは登山口から昇魂之碑へと向かいます。登山口が標高1300 mで昇魂之碑が標高1500 mなので、約200 mも上がらなければなりません。
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 昇魂之碑には生花が供えられていました。ご遺族がお参りにこられているようです。下山時のも何人もの方がお参りに来ていました。
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 昇魂之碑から上は地図上は破線ルートですが、最近は普通に登られているようであり、はっきりとした登山道が形成されていました。しかしながら、かなりの急登で登りも降りも大変でした。
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 急登を登りきると、群馬県と長野県の県境尾根にたどり着きます。まずは西上州の最高峰・高天原山へと向かいました。岩場が一箇所ありました。
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 ひと登りして、高天原山に到着。標高1979 m。別名蟻ヶ峰とも言い、表札は蟻ヶ峰となっていました。山頂からは南アルプスと八ヶ岳を見ることができました。
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 元来た道を戻って、大蛇倉山へと向かいます。
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 先ほどの岩場。
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 シャクナゲが咲いていました。
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 大蛇倉山への最後の登り。
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 大蛇倉山に到着。標高1962 m。
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 展望台から八ヶ岳を見ることができました。うっすらと南アルプスも見えました。
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 ダムの手前に見える小さなピークが御巣鷹山になります。
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 この人たちは怖くないのでしょうか。もうすぐ天に召されるのだから、死に急がなくてもいいのではないでしょうか。
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 大蛇倉山から分岐を経て昇魂之碑へと下山していきました。
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 下山後はしおじの湯に入浴して東京に戻ってきました。
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス


 
来週、越後米山・刈羽黒姫山に行ってきます060.gif

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by ryott-ryott | 2015-05-31 14:38 | 御巣鷹山

今年3度目の桜、歩の会 妙義山・さくらの里

登山
旅行・地域

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 ブログが実態に全く追いついておりません。大洗に転勤になり1ヵ月が経過しました。月曜日から金曜日までを大洗で過ごし、週末は東京に帰ってくるという生活が定着してきました。また朝は出勤までの時間に、神磯の鳥居まで行き、ご来光を拝み、大洗磯前神社にお参りをして住まいまで帰ってくることが習慣になりました。
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 5月6日(水)は大洗に一日早く帰って、いつものように早朝の散歩をして、大洗を歩いてみました。この日の朝は晴天の連休最終日であったためか、神磯の鳥居の前には20人ほどご来光を見に来ていました。またテレビ局の取材も来ており、誰かにインタビューしていました。いい歳、りょうちゃんにインタビューしてくれたら、大洗をほめちぎってあげたのに、カメラ写りもいいんだから。テレビ局は見る目がないですね。037.gif
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 この日は日の出の太陽がダルマのようになるダルマ朝日を見ることができました。
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 ご来光を拝んだあとは神社にお参りしました。5月上旬の日の出の時刻は午前4時40分くらいですが、日の出を見終わって、神社にお参りするのはだいたい5時くらいになります。いつもお参りをしたあとに御朱印をもらおうと思うのですが、神社の氏子どもはまだ寝ているため、御朱印をもらうことができません。一旦、住まいに戻って朝食を済ませて、出直して、ようやく御朱印をもらうことができました。神社の氏子なら、日の出とともに起きてもらいたいものです。037.gif
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 神社の中には「つつじの小径」があり、ツツジが花開いていました。
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 海岸沿いに歩いて、水族館まで行きました。サーファー以外にも海の中に入っている人がいました。
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 これが有名な大洗水族館。連休中はたいへんな人出だから、やめたほうがよいとアドバイスをいただいていましたが、あまり混んでいませんでした。入場料金は大人ひとり1850円です。
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 よくテレビで放映されている大水槽。半沢直樹のロケでも使われていました。
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 アンコウ。じっとしている魚はキレイに写せます。吊し切りにされないでよかったな。011.gif
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 クラゲ。
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 マンボウが水槽の中でエサを与えられていました。
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 こちらにも動かない魚がいました。
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 オオカミウオは横を向いています、生きているのか!
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 日本で一番大きい飼育されているミズダコだそうです。35 kgあるそうです。食べがいがありそうです。011.gif
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 東京スカイツリーの水族館にもいるチンアナゴ。砂の下は何 mも埋まっているそうです。
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 サメの剥製。
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 マンボウの剥製。
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 古代サメの顎の骨格。体長13 mもあったそうです。
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 プランクトン特集でカニの幼生が展示されていました。これがカニミソになるのか!
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 水族館のあとは願入寺に行きました。願入寺から見る夕景は水戸八景と言われているほど有名だそうですが、願入寺の中からは見ることができません。願入寺の裏手にある展望台のようなところからの風景になるそうですが、木が邪魔ですね。037.gif
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 海門橋、那珂湊につながっています。
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 この日は干潮であったようで、朝見る風景とはちがい、海の中からは岩が現れて、なんと神磯の鳥居で釣りをしている人がいました。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)


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 さて本論の山行ですが、4月20日(月)は休暇を取って、歩の会で妙義山さくらの里へ行ってきました。今年は東京、転勤先の大洗、そしてさくらの里と3回目の桜となりました。
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 この日はあいにくの雨であったため、駐車場からさくらの里まで桜を見ながら降りていこうかとの話もありましたが、歩の会の方々はその提案を敢然と拒否し、当初の予定通り、中之嶽神社から中間道を通って第四石門まで行き、下に降りてきました。
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 第四石門に到着。
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 大砲岩。3年前にAトラベルで中間道に来ましたが、あの時は雨量も多く、煙っていて、第四石門から大砲岩を見ることはできませんでした。
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 第四石門前で記念撮影。
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 これは第二石門。
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 その後、さくらの里でお花見になりました。ミチコさんが幻の十四代を持ってきてくれました。
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 テラスで記念撮影。
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 さくらもたっぷりと楽しみました。056.gif
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 お花見宴会のあとはゴルフ場の宿泊施設で入浴し、東京まで帰ってきました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道






本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス


 
5月末、御巣鷹山に行ってきます060.gif

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by ryott-ryott | 2015-05-09 15:16 | 歩の会、妙義山・さくらの里

神話と伝説の茨城山行、竪破山とイワウチワ大群落の土岳を行く

登山
旅行・地域

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 ブログが実態に全く追いついておりません。2月の終わりに大洗への転勤が決まり、3月は2回ほど引越しのために、大洗で住むアパートへと出向きました。私の場合は、東京に年寄りを残しての転勤のため、洗濯機、冷蔵庫などを新しく買って、大洗の住まいへと送りましたが、安い洗濯機はうるさいですね。洗濯機をまわすたびに、隣から苦情が来るのではないかと思っています。
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 引越しのついでに、折角なので水戸の偕楽園に寄って、東京に戻ってきました。この日は平日だったのですが、たいへんな数の見物客が訪れていました。世の中はお休みだったのでしょうか。
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 千波湖のほとりを歩いて偕楽園に行きました。
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 青空に梅の花がよく映えています。058.gif
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 ニセ黄門と記念撮影をしていました。037.gif
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 しだれ梅。しだれ桜はよく見かけますが、しだれ梅は中国で品種改良されて作られたそうです。中国整体の李先生に教えてもらいました。
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 好文亭から見た景色。千波湖の周辺も梅が満開でした。056.gif
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 トサミズキ。
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 ボケの花。
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 常磐神社に寄って、御朱印をもらって帰ってきました。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)


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 さて本論の山行ですが、4月4日(土)~5日(日)に転勤後初めての山行として、茨城県日立市十王町にある茨城百名山の竪破山(たつわれさん)と土岳に行きました。いつものようにいい歳、りょうちゃんが写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。
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 源氏の頭領の八幡太郎義家が奥州征伐で立ち寄り、戦勝祈願したところ、その晩、夢の中に黒坂命(クロサカノミコト)が現れて、太刀を義家に授けました。義家がその太刀を一振りすると巨岩が真っ二つに割れたと言われています。その割れた巨岩は太刀割石と言われ、その太刀割石が転化して、竪破山という名前になったそうです。
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 義家伝説でもわかるように、この竪破山には多くの奇岩が存在していました。写真は竪破山の登山口です。たいへんわかりにくいところに位置しており、とても一人では来ることができません。
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 不動石。石の上にお不動様が祀られています。
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 烏帽子石。義家がかぶっていた烏帽子に似ていることから、この名前がつけられました。
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 畳石。
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 山の中に神社がありました、黒前神社。義家の夢に現れた黒坂命(クロサカノミコト)が祀られています。このクロサカノミコトも蝦夷征伐のためにこの地に戦勝祈願に立ち寄ったとされています。見事に蝦夷を平定後、お礼参りに再び立寄りますが、病気にかかって命を落としてしまいました。その後、この山は黒前の山と呼ばれ、現在の竪破山の前身になっています。崇神天皇の時代の出来事で、ほとんど神話の世界です。
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 これが伝説の太刀割石です。直径7 mあるそうです。丸い巨岩を二つに割ったように見えます。あの水戸黄門がこの地を訪れて、丁寧に祀ったそうであり、江戸時代は石の上には簡単に登ることができなかったそうです。罰当たりの山旅クラブの人たちは石の上にあがって記念写真を撮りました。
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 兜石。
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 黒前神社の前を通って山頂へ向かいます。
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 竪破山の山頂に到着。標高658 m。山頂は樹林に囲まれているため、展望台があり、周囲を見渡せるようになっています。この日は薄曇りで、かすかに那須連峰が見えました。
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 舟石。
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 神社の門の中を覗き込んだトミーさんが叫び声をあげて、後ろに後ずさりしていました。中に仁王像があり、睨みつけられて、驚いたようです。普段、相当に後ろめたいことをしているんですね。037.gif
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 この日は茨城県立国民宿舎の鵜の岬に宿泊しました。この国民宿舎は稼働率98%で、なかなか予約が取れないそうです。トミーさんがお正月に朝から電話をかけつづけて、ようやく1部屋だけ予約が取れたそうです。038.gif
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 宿舎の前にある碁石が浜。碁石はありませんでした。
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 料理は幾つかランクがあるそうです。山旅クラビでは下から2番目の料理を頼んだとのことでした。みんなで乾杯しました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 2日目は花貫渓谷から土岳に登りました。
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 これが有名な名馬里ヶ淵。なんで、こんな名前が付いたのでしょうか。この淵の主は大蛇だったそうです。その昔、この川下の集落の家で飼われていた馬はよく、この淵に遊びに来ていました。その馬が子馬を産みました。子馬は馬小屋で寝ることはなく、木の上にのぼったり、屋根の上で寝ていたことから、村人たちは「これは馬の子ではなく、大蛇の子だ。」と思うようになり、村にいずれ大きなわざわいをもたらすにちがいないと考え、この子馬を淵に沈めて殺してしまいました。すると空がたちまち黒い雲におおわれて、激しい風雨が続き、大洪水が発生して、集落は村人もろとも流されてしまいました。それ以来、この淵は名馬里ヶ淵と呼ばれています。
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 不動の滝で釣りをしている人がいました。
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 釣り橋を渡り、いよいよ土岳の登山口へ。
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 最初は整備されたハイキングコースかと思いましたが、徐々に勾配もきつくなり、土岳という名前に似つかわしくない岩場の急登もありました。
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 足元を見ると、大きなイワカガミがたくさん咲いているではありませんか。トミーさんのブログではイワウチワだと記載されていましたが、大きなイワカガミの大群落が山の斜面一面に広がっていました。
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 馬酔木もたくさん咲いていました。
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 午前11時に土岳山頂に到着。この天気なので何も見えませんでしたが、イワウチワの大群落と馬酔木を見ることができ、満足の山行でした。下山後は国民宿舎鵜の岬の日帰り温泉に入浴し、旧スーパーひたちに乗って東京に帰ってきました。
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス


 
次回は歩の会・妙義山さくらの里を報告します060.gif

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by ryott-ryott | 2015-05-05 09:47 | 茨城百名山、竪破山

七賢、正雪、酒蔵見学~第3回奥武蔵縦走

登山
旅行・地域

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 ブログがまったく実態に追いついておりません。2月15日(日)は山旅クラブで第2回奥武蔵縦走へ参加する予定でしたがまたしても仕事の都合でキャンセルとなりました。それから1ヵ月後の3月14日(土)、同じく第3回奥武蔵縦走に参加しました。この縦走シリーズは、日和田山から丸山まで3回に分けて縦走するというものです。
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 第3回奥武蔵縦走の前に、この1ヵ月の間に2回の酒蔵見学に出かけましたので、簡単にその報告をします。1回目は山梨県の七賢へ見学に行きました。私が時々行く勇才さんのお店にお酒を納めている有澤酒店が毎年企画しているものです。酒蔵見学は日本酒の製造工程を見学し、そのあとは試飲会になります。勇才さんはいつも見学などなくてもよいから、すぐに試飲会にしろとおっしゃっていましたが、今回は鉄砲の大会のため不参加でした。
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 この日は寒い日でした。皆さん、暖炉の前に集まっていました。
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 洗米。
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 麹室。
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 醸造室。見学できるように整備されていました。
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 七賢の飼い犬。七賢なので名前は「SEVEN」。
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 お待ちかねの試飲会。試飲会では純米大吟醸、純米吟醸、純米酒が用意され、ワイングラスで飲み比べました。香り豊かな純米大吟醸はワイングラスで飲んだほうが香りと一緒に飲むことができて、湯呑で飲んだ時とは明らかに風味が増していました。酒蔵の人も純米大吟醸はワイングラスで飲むことを勧めていました。湯呑だと香り成分が器の構造上、逃げてしまうとのことでした。
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 最後は日帰り温泉に入浴して、東京に戻ってきました。


(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 七賢を見学した翌週3月8日(日)は、西山酒造さんが企画した正雪で有名な神沢川酒造へ行きました。静岡県由比にあります。西山酒造さんの酒蔵見学を、バスで行くのは久しぶりでした。
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 洗米。先週見た七賢とは全く違います。酒米についた糠を落とすことが最も重要であり、洗米は5人で大量の水を使って、洗い流すように行うとのことです。
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 酒母。ヨーグルトの香りがしました。乳酸を加えているそうです。
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 麹室。麹米を自由に食べさせてくれました。あまり美味しいものではありません。
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 お待ちかねの試飲会。
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 静岡県の由比と言えば、桜えびが有名です。試飲会には桜えびの料理が出されました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 さて本論の山行ですが、第3回奥武蔵縦走のコースは、正丸駅~旧正丸峠~カバ岳~大野峠~丸山~芦ケ久保駅になります。いつものようにいい歳、りょうちゃんが写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。次の写真は今回のものとは関係ありませんが、歩の会のマリコさんが写っている写真がトミーさんのブログにありました。この頃のトミーさんは髪がフサフサです。037.gif
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 西武秩父鉄道の正丸駅に集合。この沿線は登山する人が多く見受けられました。
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 まずは旧正丸峠に向かいます。
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 途中、黄色い福寿草が咲いていました。
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 道祖神でしょうか。
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 旧正丸峠。これから虚空蔵峠と向かいます。
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 途中こんな岩がありました。
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 露岩帯もありました。
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 カバ岳を通過。
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 大野峠、ここは車道です。ゴールの丸山は目の前です。この季節はスギ花粉が多く、トミーさんはクシャミとオナラを連発し、お忙しそうでした。037.gif
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 ゴールの丸山についに到着。
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 あいにくの薄曇りで、展望台からは武甲山くらいしか見えませんでした。
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 下山を続け、芦ヶ久保駅へ向かいます。
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 今年は第2回は参加できませんでしたが、来年企画されれば参加して、奥武蔵縦走を完登したいと思います。



本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス


 
次回は竪破山の報告をします060.gif

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by ryott-ryott | 2015-05-04 10:04 | 第3回奥武蔵縦走

歩の会、早春の淡雪山を行く

登山
旅行・地域

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 ブログがまったく実態に追いついておりません。大洗に転勤し、1ヵ月が経過しました。4月23日までは毎日暖房を入れなければならないほど、寒い毎日が続いていましたが、連休直前から真夏を思わせるような暑い日が続いています。こんな極端な天候の年もめずらしいのではないでしょうか。
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 前回報告したように大洗では起床してから出社するまでの3時間ほどの間に近隣を散歩して、アパートに帰ってきて朝食を済ませています。散歩のほとんどは、大洗磯前神社の神磯の鳥居で太平洋のご来光を眺めて、神社にお参りをすることが習慣になってきました。この神磯の鳥居からのご来光は日の出の景勝地であり、4月29日の祝日は20人以上がカメラ片手に集まっていました。写真は4月30日の朝です。(30日は平日であったため4人しかいませんでした)。
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 神社は日の出とともに玄関を開けるようです。
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 神社の入口はツツジの花が満開でした。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 八丈島のあとは、2月6日(金)歩の会で淡雪山に行きました。南アルプスと甲府盆地を一望できる甲府市内の標高790 mの里山です。いつのもように新宿西口のモード学園の前での待ち合わせです。先週の八丈島で歩の会の皆さんと会ったばかりで、1週間経たないうちのうれしい再会になりました。
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 初狩SAから見た真っ白に雪化粧した富士山です。
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 登山口の近くの道路から見た白嶺三山。
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 甲斐駒ケ岳も見えました。
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 この池は大正池というそうです。
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 金子(きんす)峠から見た富士山。
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 この建物は弥勒館という美術館で、この建物の右側から登っていきます。
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 登り始めてわずか10分で淡雪山の山頂に到着。それでも東京の高尾山よりも高い標高790 mあるそうです。山頂からは白嶺三山を一望できました。
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 次は興因寺山(こういんじやま)へと向かいます。写真は山腹から見た甲府盆地と富士山です。
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 白嶺三山も見えました。
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 この登りは普通に見えますが、ぬかるんでいて、結構な悪路です。
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 興因寺山の山頂に到着。標高は854 mです。山頂で記念撮影。
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 これからは傾斜のある降りが続くということで、山頂で軽アイゼンを装着しました。
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 午後2時前に入浴施設に到着。わきには要害山の登山口がありました。
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 入浴を済ませたあとは、当然ながら生ビールです。帰りのバスの中でもお酒を飲みながら新宿まで戻ってきました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道





本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス


 
次回は第3回奥武蔵縦走の報告をします060.gif

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by ryott-ryott | 2015-05-03 09:48 | 歩の会、淡雪山・興因寺山