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北海道百名山完登、荒涼たる花の百名山、十勝岳を行く

登山
旅行・地域

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 ブログがだいぶ追いついてきました。3日目、8月10日(月)は十勝岳に登りました。いつものようにいい歳りょうちゃんが写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。
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 花の百名山を調べてみると、十勝岳はその一つに数えられています。しかし、今回登った十勝岳は花とは無縁で荒涼としていました。望岳台付近に白玉の木とオンタデが少しあったぐらいです。
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 宿で朝食を済ませて、午前7時45分に宿を出発して、十勝岳の登山口に向かいました。
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 今日は午後から雨の予報、雨が降らないうちに戻ってきたいものです。火山特有のザレた登山道が続きます。
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 私たちが登り始めた時には、午後の天候を心配してか、すでに下山する登山者が何名かいました。
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 歩き始めて1時間くらいで避難小屋につきます。小屋には火山の測定機があるようです。
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 ここからザレた急登が始まります。登山道は同じ火山の阿蘇山に似ています。風向きのよっては火山ガス特有の匂いが登山道まで流れてきます。
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 急登を登り切り、稜線にたどり着きました。昭和火口の向こう側には美瑛岳が見えます。
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 山頂部には雲がかかっています。
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 ここから山頂直下までは平坦な火口に沿った登山道になります。
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 ここから見るとどこから山頂へ登るのかわかりません。
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 雪渓というよりは氷河がありました。
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 山頂直下の最後の急登を登り、頂上へと向かいます。
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 山頂に着きました。標高2077 m。いい歳りょうちゃん、日本百名山96座目になりました。寒気に伴う雲が次から次へと流れてきて、日高方面は何も見えませんでした。
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 望岳台の方向は雲が取れると、下の畑まで見えます。
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 記念撮影後、雨が降り始めないうちに下山を開始。ザレ場は降りのほうが危険です。
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 すべてこういう広くて平坦な登山道であれば苦労しません。しかしながら草木1本もなく、本当に花の百名山なのでしょうか。荒涼とした光景はトミーさんの髪型と同じです。037.gif
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 望岳台の手前で恐れていた雨が降りだしましたが、すぐに止んで、雨具を出さずに済みました。
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 2連泊目の白銀温泉大拙観光ホテルに帰って入浴を済ませて、A柳さん、I田ファミリーとともに十勝岳登頂のお祝いをしました。A柳さん、I田ファミリーとは今日でお別れで、明日からはりょうちゃん一人になります。翌日のSTVニュースで十勝岳に登った登山者60人が大雨で足止めされているとの報道がありました。1日ちがいで危ないところでした。
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 翌朝、宿の近くにある青い池にみんなで出かけました。大雪山から白銀温泉に移動してくるときに、大渋滞があり、事故でもあったのかと思いましたが、大渋滞の原因は青い池を見に行くための車の渋滞でした。青い池には白ひげの滝の水が流れ込んでおり、その水の中にはアルミニウムが多く含まれて、青い池の中で形成されるコロイドによる光散乱から青く見えるそうです。
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 I田ファミリーともここでお別れです。お子さんたちはみんなりょうちゃんのカメラ目線です。女の子のお子さんが、りょうちゃんが毎朝生卵を2個食べるのに見て驚いていたそうですが、りょうちゃんを見習って、たくさん食べてくれたようで楽しい旅でした。またトミーさんをお地蔵さんだと思っているようでした。041.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 4日目の8月11日(火)は富良野観光をしました。今回の北海道の旅は、朝はとてもいい天気なのですが、午後から雨、しかも雷雨になるという日々が続きました。I田ファミリーと別れたあとは、富良野へと出発しました。
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 美瑛のマイルドセブンの丘。
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 ラベンダー畑。
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 ケンとメリーの木。
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 セブンスターの木。セブンスターの木は樫の木だそうです。
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 ジェットコースターの道。谷底は十字路になっており、一時停車しなければならないので、降りてきた勢いで走り抜けることはできません。
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 富田ファームに立ち寄りました。写真は姫りんご。
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 黄花シャクナゲ。
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 この紫の花はサルビアです。農芸員が手入れをしているので、ほとんどの人がラベンダーだと思っていました。
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 こちらはラベンダー、サルビアに比べて花が小さいです。
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 お昼休みはジンギスカンを食べました。このあたりから遠くのほうで稲光が見え、ついに雨が降りだしました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 お昼を食べたあとは「北の国から」記念館に行きました。外は土砂降りの雨でした。
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 私自身は「北の国から」というドラマを1度も見たことがありません。都はるみの「北の宿」はよく知っています。「北の国から」に子役であった中嶋朋子が出ていたことは知っていましたが、最近ではNHKの篤姫に出ていたのを覚えているくらいです。
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 記念館で出演者の写真があり、ドラマの中で大友柳太朗が役柄では橋から転落死したと書いてありましたが、実生活でも自宅の窓から転落死したことを覚えています。
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 石の家。
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 拾ってきた家。このバスの家はよくできていました。
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 今日の宿は富良野のリゾートホテル エーデルヴェルメに泊まりました。
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 写真は富良野から見た十勝連峰です。
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 明日はニセコへと移動し、明後日は最後の北海道百名山、羊蹄山に登る予定です。
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス


 
北海道の旅はまだまだ続きます060.gif

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by ryott-ryott | 2015-08-30 15:10 | 大雪山・十勝岳・羊蹄山 | Comments(2)

北海道百名山完登、神々が遊ぶ庭、大雪山を行く

登山
旅行・地域

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 ブログがだいぶ追いついてきました。2010年8月29日(日)に登った富士山が日本百名山1座目でした。それからちょうど5年か経過して、100名山100座達成が目の前に迫ってきました。あの時一緒に富士山に登った大井町湯屋のメンバーで登山を継続しているのは、よしこさんといい歳りょうちゃんの二人だけです。現在100名山は97座まで到達し、残すところ黒部五郎岳、荒島岳、白山の3座となりました。

 今年のお盆休みは北海道の100名山3座、大雪山、十勝岳、羊蹄山に登りました。これで北海道の100名山はすべて登ることになりました。いつものようにいい歳りょうちゃんが写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。9月以降の山の予定は以下のとおりです。

9月19日(土)~23日(水) 黒部五郎岳(日本百名山98座目)
10月 3日(土)~ 4日(日) 八幡平・岩手山
10月10日(土)~13日(火) 荒島岳・白山(日本百名山99・100座目)
10月 17日(土)      囲碁の会
10月24日(土)      生誕50年を祝う会(雪谷高校同窓会)
10月31日(土)~11月1日(日) 本白根山・御飯岳
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 今回の山行は8月8日(土)~14日(金)の6泊7日で北海道の3座、大雪山、十勝岳、羊蹄山に登りました。初日の8日(金)は移動日で、飛行機で旭川空港へと飛び立ちました。飛行機の予約は5月末に取りましたが、当初予定していた便は満席で取ることができず、わずかに残席が残っていた日本航空で旭川までやってきました。旭川空港にはフェリーで北海道入りしたトミーさんのリムジンが迎えに来ていました。今回はいつも乗り慣れている自動車ではなく、真新しいピカピカのリムジンでした。先代のリムジンはついにお役目を終えて、世代交代とのことでした。空港でA柳さん、宿でI田さんファミリーと合流し、賑やかに北海道の旅が始まりました。
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 8月9日(日)は大雪山に登りました。このお盆は南海上に台風14号があり、北からは寒気が入って、大気の状態は常に不安定でした。雨が終日降らなかったのは、8月9日だけで、そのほかの日はいつも午後から激しい雷雨でした。しかしながら、いい歳りょうちゃんの普段の行いがよいため、3座とも登山中は雨に降られることはなく、雨具を一度も使うことはありませんでした。058.gif
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 姿見駅までロープウェイで登り、地獄谷に沿って山頂を目指します。その後、間宮岳、中岳分岐から裾合平に降りて、姿見駅までグルリと一周するコースを歩きました。
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 姿見駅から見た大雪山旭岳。大雪山は約20もの峰からなり、旭岳は北海道最高峰になります。標高2291 m。
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 地獄谷から噴煙が上がっているのが見えます。
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 イワブクロがたくさん咲いていました。チシマギキョウではないかと、いい加減なことを言ってしまいましたが、イワブクロが正式名称で、タルマエソウという別名もあります。樽前山で見つけられたことからこの名前がついています。
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 地獄谷の噴煙が姿見池に映る旭岳。
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 地獄谷の稜線を登っていきます。地獄谷はトミーさんが将来行くところです。037.gif
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 山腹から見た裾平。ところどころ雪渓が残っています。
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 山肌は赤い鉄さびの色をしています。
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 金庫岩。金庫のような直方体の岩です。
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 山頂に到着しました。いい歳りょうちゃん、日本百名山95座目になりました。天気予報では雨の可能性があったためピストンにする予定でしたが、雨が降る様子もなかったため、間宮岳から中岳分岐を通って下山することになりました。
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 旭岳山頂から間宮岳への鞍部への降りはのめりそうになるようなザレ場で、6人の登山者が来なかった水晶小屋へのアプローチを思い出しました。蟻地獄のようなザレ場の恐怖から、女の子が下ることができなくなっていました。
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 これがチシマギキョウでしょうか。チシマギキョウ越しに旭岳を撮りました。
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 ヨコヤマリンドウ。地元のおばちゃんが教えてくれました。大雪山の固有種で、どこにでもあるわけではなく、暗紫色の地味な花で滅多にお目にかかれないとのことでした。
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 石狩岳が見えます。
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 旭岳の山頂には人がたくさんいるのが見えました。
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 間宮岳までは平坦な登山道が続きます。
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 御鉢平。黒岳、北鎮岳が見えます。昨日、I田ファミリーは黒岳に行ってきたそうです。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 間宮岳山頂、標高2185 m。ほぼ平らです。
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 中岳分岐。正面の甘食型の山が中岳でしょうか。
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 リシリトウチソウ。
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 ここを降りていくと中岳温泉があります。
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 上から見た中岳温泉。
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 温泉に浸かっている人がいました。昭文社の地図にはヒグマ注意と書いてありますが、温泉客が多く、ヒグマも出てこれないようです。
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 巨大なダイコン草。こんな大きなダイコン草ははじめて見ました。
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 裾合平には、エゾノツガザクラ、アオノツガザクラ、チングルマ、シオガマ、ハクサンコザクラなど多くの花が咲いていました。
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 これはカラフトイソツツジのようです。
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 夫婦池から見た旭岳。
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 姿見駅まで戻ってきました。
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス


 
北海道の旅はまだまだ続きます060.gif

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by ryott-ryott | 2015-08-29 13:20 | 大雪山・十勝岳・羊蹄山 | Comments(0)

強風を乗り越えて、梅雨明け間近の大朝日岳を行く

登山
旅行・地域

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 ブログが実態にまったく追いついていません。早いもので1週間以上あったお盆休みももう終わりです。お盆休みに行った北海道の大雪山・十勝岳・羊蹄山で日本百名山は97座を数えました。残りはあと3座です。黒部五郎岳、荒島岳、白山になります。9月以降の山の予定は以下のとおりです。

9月19日(土)~23日(水) 黒部五郎岳(日本百名山98座目)
10月 3日(土)~ 4日(日) 八幡平・岩手山
10月10日(土)~13日(火) 荒島岳・白山(日本百名山99・100座目)
10月31日(土)~11月1日(日) 本白根山・御飯岳



(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 本論の山行ですが、7月24日(金)~26日(日)は大朝日岳に登りました。いつものようにいい歳りょうちゃんが写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。
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 初日は山形新幹線で山形駅まで行き、古寺鉱泉に前泊し、2日目は古寺鉱泉から大朝日岳を目指し、大朝日避難小屋に泊まり、3日目に下山の予定です。
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 山形県朝日町の天気予報は徐々に回復傾向の予定でしたが、初日の24日(金)は雨でした。古寺鉱泉は駐車場から約300 m離れています。駐車場には戻らないつもりで、必要なものを持って、古寺鉱泉朝陽館に入りました。今回山頂で宿泊する小屋は営業小屋ではないため、いい歳りょうちゃんもシラフを買って持って行きました。
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 朝陽館の夕飯。岩魚の塩焼きが出ました。
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 古寺鉱泉から大朝日岳山頂までのコースタイムは5時間35分で、地元の小学生は日帰りでピストンすることを考えると、今回避難小屋に1泊する行程はゆったり山行です。朝5時半に朝日館のおにぎり弁当を持って出発しました。いい歳りょうちゃんは出発前に朝陽館で食べてしまいました。
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 2日目。今日は雨が降っていて、先週の妙高山のような泥んこ山道を心配しましたが水はけがよく、とても歩きやすい登山道です。また古寺鉱泉から大朝日岳へ向かうコースには一服清水、三沢清水、銀玉水と3箇所も水場があり、水をたくさん背負っていく必要はありません。避難小屋の下にも金玉水があるそうです。
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 三沢清水で水を飲んだあと、古寺山へ。標高1500 m。今日は何も見えません。しかも風が強くなってきていました。トミーさんのお話では瞬間風速30 m/sはあるとのことでしたが、いい歳りょうちゃんは強風大歓迎です。涼しい風の中の登山となりました。
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 登りでは小朝日岳を巻いて、トラバースを進みました。写真は小朝日岳の断崖絶壁です。昭文社の地図には危険マークがついており、急坂路面注意と記載されています。通りたくないものです。
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 小朝日岳を過ぎてからはますます風は強くなっていきました。りょうちゃんの前を行く大先輩のY崎さん、A柳さんは強風にたいへん苦慮しているようでした。いい歳りょうちゃんにとっては扇風機の風ぐらいにしか感じませんでした。
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 3番目の水場、銀玉水(ぎんぎょくすい、登山者の中には「ぎんだますい」と言っている方もいました)。銀玉水をたっぷり飲んで、避難小屋で使用する水も汲んで、避難小屋へと向かいました。
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 予定では2日目に山頂に立つ予定でしたが、あまりの強風のため、翌朝に山頂へ行くことになりました。避難小屋はほぼ満室状態で、山形県や宮城県の登山者が多かったようです。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 3日目。7月26日(日)の朝、強風はまだやみませんでした。天気予報では回復するはずなのですが、しばらく避難小屋で、強風がおさまるまで待機していました。強風のため山頂に行くことを断念して、下山する方もいらっしゃいました。私たちの隣にいた女性の登山者も今回はピークハントは回避して下山するとおっしゃっていました。何度も山頂には行っているので、今回行けなくてもいいそうです。私たちにも「行かないほうが身のためだ。」ともおっしゃっていました。
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 外の様子を見て、トミーさんが山頂に行くことを英断しました。Y崎さんは山頂にはいかず小屋で待っているとのこと。いい歳りょうちゃんは飛ばされることはないと思いましたが、A柳さんとりょうちゃんは風に飛ばされないように、トミーさんにロープでつながれて、山頂に向かいました。風が少し弱まってきたようでした。強風の中、山頂に到着。いい歳りょうちゃんは日本百名山94座目になりました。
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 小屋前のお花畑は風で花がしなっていました。
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 天気予報の言うとおり、徐々に回復してきました。今まで見えなかった登山道が見え始めました。
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 アオノツガザクラが咲いていました。
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 もう少しで小朝日岳が見えそうです。
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 登山道の横には雪渓がありました。昨日は見えませんでした。
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 銀玉水から見た小朝日岳、もう少しで見えそうです。
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 ついに小朝日岳がはっきりと見えました。
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 大朝日岳はまだ雲の中です。
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 こんな場所もありました。モデルがよくありません。
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 大朝日岳は見えませんでしたが、小朝日岳は常に見ての下山となりました。
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 下山では昨日回避した小朝日岳のピークに登りました。昭文社の地図には危険マークがついており、正直に登りたくありませんでしたが、登ってみると、どこが危険なのかわかりませんでした。
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 小朝日岳から見た大朝日岳。大朝日岳の後ろに大きな雲の塊があり、雲がどんどんと押し流れてきて、大朝日岳山頂部は雲の中です。
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 小朝日岳から見た古寺山方面。
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 小朝日岳から見た鳥原山方面。予定では鳥原山経由で下山することになっていましたが、小屋で待機したこともあり、コースタイムが短い古寺山経由で下山することになりました。
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 古寺山山頂から見た小朝日岳。大朝日岳はまだ雲の中で、今回その勇姿を見ることはできませんでした。
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 天気が回復して、暑さの中での下山となりました。水場に着くたびに水をたらふく飲みました。朝日岳は水をほとんど背負わずに登山できるいい山です。
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 古寺鉱泉に戻ってきました。
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 日帰り温泉で入浴し、山形新幹線に乗って東京に戻ってきました。



本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス


 
次回は北海道の報告をします060.gif

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by ryott-ryott | 2015-08-17 20:53 | 大朝日岳 | Comments(2)

越後路の最高峰、頚城山塊、妙高山・火打山を行く

登山
旅行・地域

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 ブログが実態にまったく追いついていません。7月に入ってからは晴天の日が増え、転勤先の大洗でも朝のご来光を見ることができる機会が増えました。転勤先では雨が降らなければ、アパートから大洗海岸にある神磯の鳥居まで散歩をし、ご来光を眺めています。眺めるというよりは、正確には写真を撮りに行っています。
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 先日の8月初旬に鉾田の海岸で体長4 mもあるホオジロザメが目撃され、大洗海岸も遊泳禁止になってしましましたが、夏休みまっさかりとあって、朝早くから観光客が海岸にご来光を見に来たり、釣りに来たりしています。
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 山行のほうは大朝日岳のあと、お盆休みに残っていた北海道の3座、大雪山・十勝岳・羊蹄山に行ってきました。いつになるかわかりませんが、また後日報告します。9月以降の山の予定は以下のとおりです。

9月19日(土)~23日(水) 黒部五郎岳(日本百名山98座目)
10月 3日(土)~ 4日(日) 八幡平・岩手山
10月10日(土)~13日(火) 荒島岳・白山(日本百名山99・100座目)
10月31日(土)~11月1日(日) 本白根山・御飯岳



(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 さて本論の山行ですが、7月18日(土)~20日(月・祝)は妙高山・火打山に行ってきました。昨年はTG社に同山行を申し込んでいましたが、参加者が少ないということで、催行されませんでした。ちょうど同じ日に御嶽山が噴火したことを覚えています。
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 北陸新幹線(旧長野新幹線)に乗って長野駅まで行き、北信濃本線に乗り換えて妙高高原駅まで移動しました。初日は笹ヶ峰駐車場の登山口から歩き始めて、十二曲り、富士見平を経て黒沢池ヒュッテまでの行程になります。いつものように、いい歳りょうちゃんが写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。
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 黒沢橋。まずは黒沢で一休み。
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 十二曲りから富士見平にかけては、急登が続きます。急登がなくなると、ドロドロにぬかるんだ悪路が続きます。黒沢池ヒュッテまでの行程は急登か悪路のいずれかしかありませんでした。
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 急登と悪路を乗り越えて、ようやく黒沢池ヒュッテに到着したと思ったら、その前に登山者をあざ笑うかのような恐ろしい雪渓が横たわっていました。
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 特徴的な形の黒沢池ヒュッテ。
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 黒沢池ヒュッテの夕飯。今回は2連泊しましたが、夕飯も朝食も2日間とも同じメニューでした。
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 2日目。7月19日(日)は妙高山に登りました。天気予報では初日よりは2日目のほうが回復傾向だったはずでしたが、朝から強い雨が降っていました。しばらくヒュッテに停滞し、雨が弱まるのを待ってから出発しました。
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 黒沢池ヒュッテから妙高山へは外輪山である大倉乗越を越えて行かなければなりません。
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 大倉乗越を越えてしばらく行くと雪渓のトラバースがありました。その先は崖ぐずれがあったようで、小屋のおじさんが目印のピンク色のリボンを付けていました。
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 雪渓のトラバースのあとは、雪渓の急登を登ります。写真は下山時に撮影しました。
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 あとはひたすら急登を登ります。山頂に近づくに連れて、急登はだんだんと緩やかになるものだと思っていましたが、妙高山の急登は最後まで緩むことはありませんでした。
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 外輪山の登り返し、雪渓のトラバースと急登を乗り越えて、ようやく山頂に着きました。いい歳りょうちゃんは日本百名山92座目になりました。
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 明日登る火打山が見えます。
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 妙高山は大きな標識がある北峰の場所が最高点ではありません。南峰のほうが北峰に比べて約9 m高い標高2454 mで最高点になります。
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 山頂から黒沢池ヒュッテには当然ながら同じ行程をたどって戻りましたが、山頂から雪渓の急登に至るまでの下り道は、水が浮いた泥田のような悪路の下りで、油断をすれば転倒して何mも滑り落ちてしまいます。トミーさんの特徴的な頭はどんどんと遠ざかっていきましたが、何とか黒沢池ヒュッテにたどり着くことができました。
 私の後ろには、私よりもはるかに歩くのが遅い単独登山の男性がおり、雪渓のトラバースで転倒し、木の枝につかまり、滑落をまぬがれていました。妙高山は危険がいっぱいの恐ろしい山でした。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 3日目。7月20日(月・祝)は火打山に登りました。3日目にしてようやく太陽が顔を見せ、青空の下歩くことができました。黒沢池ヒュッテを出発して、茶臼山、高谷池、天狗の庭、雷鳥平を経て、火打山へと向かいます。
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 茶臼山への山腹から昨日登った妙高山が見えます。
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 昨年登った高妻山も見えます。
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 茶臼山のピークに近づくと火打山が見え始めます。
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 茶臼山を通過したところから、北アルプスの白馬連山が見えました。
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 高谷池と高谷池ヒュッテ。
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 高谷池を過ぎると雪渓が広がっていました。こちらの雪渓は平らで、安心して歩くことができました。
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 天狗の遊び場、天狗の庭に到着。
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 ホツツジが咲いていました。
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 火打山の山腹から見た高谷池と妙高山。
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 雷鳥平はまだ雪渓に覆われていました。
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 いよいよ火打山の山頂へと向かいます。
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 ミヤマキンポウゲとコバイケイソウがたくさん咲いていました。
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 ウサギギク。
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 火打山の山頂に到着しました。いい歳りょうちゃんは日本百名山93座目になりました。
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 火打山山頂から見た妙高山。
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 風の通り道でしょうか、ダケカンバが斜めに立っています。
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 山頂から見た天狗の庭。
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 衣笠草。
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 高谷池には水芭蕉も咲いていました。
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 高谷池ヒュッテ、木乃さんとアイスクリームを買いに行きましたが売っていませんでした。
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 高谷池の湿原にはハクサンコザクラがたくさん咲いていました。
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 高谷池をあとにして、富士見平、十二曲り、黒沢橋そして登山口へと戻ってきました。写真は富士見平に咲いていたアカモノです。
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 帰りも黒沢橋で一休み。悪路でドロドロになった登山靴を洗いました。
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 日帰り温泉で入浴し、妙高高原駅から長野駅まで戻って、新幹線の切符を買おうと思ったら、3連休最終のため、ほとんどが満席で、19時長野発のグリーン車がようやく取れました。新幹線乗車まで2時間もあったので、長野駅の駅ビルにあるお蕎麦屋さんで一杯飲みました。写真は抹茶アイスクリームではありません。ずんだをのせたお蕎麦です。
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス


 
次回は大朝日岳の報告をします060.gif

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by ryott-ryott | 2015-08-16 13:28 | 妙高山・火打山 | Comments(0)

日本百名山91座目、ふたたび蔵王へ

登山
旅行・地域

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 ブログが実態にまったく追いついていません。昨年はそろばん塾のババァの飼い猫と思われる白と黒のまだら猫が、ミケ、シロ、クロの3匹の仔猫を連れて、いい歳りょうちゃんの庭によく訪ねてきていましたが、りょうちゃんが大洗に転勤してからは、週末に自宅に帰ってきても3匹の姿を見ることがめっきりと少なくなりました。
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 転勤から2ヵ月が経過した5月末の週末に自宅に戻ってきた時、庭のほうが騒がしいので見てみると、あのそのばん塾のまだら猫が4匹の仔猫を連れてきていました。ミケ、クロ、シロの兄弟になります。3匹が全身黒毛で、そのうち1匹は尾が短く、2匹は尾が長いクロネコです。残りの1匹は顔が白と黒の八割れ模様の白黒ネコです。
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 特に白黒ネコは4匹の中で最も体が小さく、母ネコのおっぱいを飲むことができず、これから生きていけるのか大変心配でした。転勤さえなければ、飼ってあげたいと思ったほどです。
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 しかしながら、りょうちゃんの心配をよそに白黒ネコも他の3匹と同様に育っていき、今では室外機や洗濯機の上に軽々と飛び乗れるようになりました。週末自宅に帰って来ると、りょうちゃんが帰ってきた気配を感じとってか、必ず訪ねてきます。4匹の仔猫たちにキャットフードと魚肉ソーセージを食べさせるのが、週末の習慣になっています。今年のネコたちも魚肉ソーセージには飽きたようで、キャットフードがなくなると仕方なく魚肉ソーセージを食べています。
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 山行のほうは大朝日岳のあと、お盆休みに残っていた北海道の3座、大雪山・十勝岳・羊蹄山に行ってきました。いつになるかわかりませんが、また後日報告します。9月以降の山の予定は以下のとおりです。

9月19日(土)~23日(水) 黒部五郎岳(日本百名山98座目)
10月 3日(土)~ 4日(日) 八幡平・岩手山
10月10日(土)~13日(火) 荒島岳・白山(日本百名山99・100座目)
10月31日(土)~11月1日(日) 本白根山・御飯岳



(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 さて本論の山行ですが、6月13日(土)~14日(日)、蔵王連峰の外輪山である瀧山(りゅうざん)と熊野岳の行けるところまでへと行ってきました。残念ながら熊野岳は火口周辺警報が発令されており、警報区域の中にある熊野岳山頂を踏むことはできませんでした。いつものように、いい歳りょうちゃんが写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。
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 初日は蔵王の外輪山である瀧山に登りました。瀧山は本峰の熊野岳から見て北西に位置します。標高1362 mです。山形駅に群馬前橋のフォルクスワーゲンが迎えに来ました。この日は山形駅とその周辺で商品券が格安で買えるらしく、商品券を買い求める客の長蛇の列がとぐろを巻いており、お祭り騒ぎでした。6万円分の商品券を5万円で買えるそうです。写真は駅前の花笠音頭の様子です。
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 瀧山登山口。瀧山ゲレンデ、スキー場の脇にあります。
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 登山口にはベニバナイチヤクソウがたくさん咲いていました。
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 登山道はこんな感じ。しばらくは樹林帯が続きます。
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 露岩帯や崩壊している場所もありました。
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 山腹から明日行く地蔵山と熊野岳が見えました。
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 ハクサンチドリ。
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 レンゲツツジ。
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 山頂に到着。
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 山頂から見た地蔵岳・熊野岳。
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 山頂から見た山形市内。
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 山頂には斎藤茂吉の歌碑があり、北蔵王が見えます。
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 山腹から見た瀧山山頂部。普通の薮山に見えます。
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 瀧山ゲレンデまで戻ってきました。
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 ゲレンデから見た瀧山。
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 ウラジロヨウラク。
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 ミヤマオダマキ。
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 お地蔵様ではありません。037.gif
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 昨年まで山旅クラブで利用した旅館は客の減少で閉店になり、今年は同じ系列のヴァルトベルクに泊まりました。早く火口周辺警報を解除してもらいたいものです。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 2日目。6月14日(日)は蔵王主峰の熊野岳に登ります。
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 ロープウェイには私たちの他に誰もいません。出発直前に1つのパーティーが駆け込んできましたが、ガラガラの状態です。
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 地蔵山頂駅。ここで登山届けをトミーさんが提出しましたが、無情な係員から山頂には行けないことを伝えられました。行くことができるのは、山頂目前のワサ小屋跡までです。ワサ小屋跡から熊野岳山頂まではコースタイムでわずか25分です。
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 山頂駅前のお地蔵様。TG社で行った時は、雪が積もって頭しか出ていませんでした。立っているお地蔵さんだと思っていましたが、実際は座っており、意外と高くないと感じました。
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 行けるところまでに向かって出発しました。
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 登山道は雪解けしたばかりのようで、ショウジョウバカマが咲いていました。
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 峯さくらも咲いていました。
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 地蔵山山頂。一昨年の3月、TG社で行った時は強風のためここまでだったと思います。
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 地蔵山山頂から見たお地蔵様。先ほどロープウェイに乗ってきたパーティーが手を合わせていました。
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 正面に熊野岳の山頂を見ながら、鞍部のワサ小屋跡まで歩を進めました。
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 ワサ小屋の「ワサ」とは人の名前だったんですね。ここにワサさんが切り盛りする山小屋がここにあったそうです。
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 私たちの後方にもパーティーがいましたが、山頂に行く方は一人もいらっしゃいませんでした。皆さん、本当にお行儀がいいですね。いい歳りょうちゃんの熊野岳山頂は、このワサ小屋跡にすることにしました。日本百名山91座目になりました。
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 三宝荒神山にも立ち寄りました。ドウダンツツジがたくさん咲いていました。
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 私たちが熊野岳を訪れてから、わずか2日後、熊野岳の火口周辺警報が解除されました。いい歳りょうちゃんは、なんと蔵王には縁がないのでしょうか。いずれ登れるときに登りたいと思います。
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス


 
次回は妙高山・火打山の報告をします060.gif

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by ryott-ryott | 2015-08-16 08:52 | 蔵王山 | Comments(0)