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北アルプスに響く歌声とともに、第100回あづみ野歌声喫茶

登山
旅行・地域
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 今年も残すところわずかになりました。11月に行った歌声喫茶の報告をします。2013年11月17日(日)、第100回あづみ野うたごえ喫茶に行ってきました。特急あずさ号に乗り、松本まで行き、そこから大糸線に乗り換えて穂高駅まで向かいます。
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 車窓から見た白峰三山。
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 甲斐駒ケ岳も見えました。
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 大糸線の車窓から見た常念岳。
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 穂高駅には12時46分に着きました。前回のうたごえ喫茶をに参加したのは1年以上も前のことでした。今回もこのお店でお昼ご飯を食べました。
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 1日10食限定のトンテキ定食を食べました。
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 穂高神社ではそば祭りをやっていました。
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 ゆるキャラが神社内を練り歩いていました。
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 安曇野の野菜をたくさん積んだ山車。
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 嬉しいことに日本酒の試飲会もやっていました。歌う前に一杯飲んでしまいました。
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 このどぶろくが一番美味しかったです。
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 一杯やったところで、会場のホワイトトークハウスに向かいました。
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 少し早めに会場に行ったつもりでしたが、記念すべき第100回目ということもあり、会場はほぼ満席状態でした。80名以上の方が参加されていたそうです。
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 オープニングはいつものようにテーマソング「さあ みんなで 歌おう」から始まります。この歌の作詞作曲者はあづみ野うたごえ喫茶の生みの親、大森隆さんで既に故人となっています。現在は奥様、息子さんが遺志を引き継いで、ついに第100回を迎えています。038.gif
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 その記念すべき第100回あづみ野うたごえ喫茶にオペレ歌手の向野由美子さんが特別ゲストとして招かれていました。
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(Time To Say Goodbye)


(お菓子と娘)


(喝采/ちあきなおみ)
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 約3時間にわたって繰り広げられた第100回あづみ野うたごえ喫茶は無事に閉幕し、東京までの長い長い家路につきました。東の空には満月が浮かんでいました。072.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 ”碁”が日本に伝来したのは、正倉院の御物に、豪華な碁盤と碁笥(ごけ)があるところから、奈良時代と見られています。『源氏物語』にも出てきますが、平安時代はまだ貴族の人たちに限られていました。室町から戦国時代にかけては武士と僧侶の間に普及し、江戸時代に入って、庶民のものになりました。

 江戸時代は、歴代“碁”を保護し、本因坊、井上、安井、林の四家を家元に任じ、五百石の知行を与えて、諸制度の整備をはからせました。毎年1回、11月17日を将軍上覧の「御城碁」と決めて、四家を争わせ、技を競わせました。そしてその勝者を“名人碁所”の地位につけました。名人とは九段の意味で、手合制として七段上手に向先、八段準名人に向
先で打つ資格です。碁所というのは、棋界の統括をする職名です。

 したがって“名人碁所”とは、将軍の碁の指南役であり、御城碁の采配、段位の認定、免状の発行など、碁に関するすべてをとりしきる、最高栄誉、尊称と富を集める最高の役職でした。その意味では江戸時代の囲碁史は、“名人碁所”をめぐる棋院四家の抗争史であったといえます。

 初代“名人碁所”も就任し、その制度の基礎を築きあげたのは、本因坊一世算砂です。算砂は、京都寂光寺の僧侶で、その住居としている塔頭名をとって本因坊を名乗りました。ちなみにに、今日まで正式に名人の地位についた人は、本因坊家では一世算砂、四世道策、五世道知、九世察元、一二世丈和、一九世秀策、二一世秀哉の7人。井上家は元祖中村道碩、四世因碩の2人。安井家は二世算和の一人。合計10人だけで、林家からは一人も名人が出ていません。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 12月の韓国岳・高千穂峰・開聞岳以来、山歩きには出かけておりません。毎年のことですが年末年始は朝日と夕日を見に出かけています。出かけると言いましても遠方へ出かけるわけではありません。朝日は住んでいる品川区内の城南島海浜公園で、夕日はおもにJR海浜幕張駅の幕張海浜公園に見に出かけます。11月から翌年の2月にかけて、冬の晴天率は関東が群を抜いています。関東の沿岸で見る冬の朝焼け、夕景を何枚か掲載します。058.gif
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 11月16日(土)歌声喫茶の前日に幕張海浜公園に出かけました。夕日を見るためです。写真は堤防のはしから見た夕日です。前に夕日を見ている若い女性がシルエットになっています。シルエットでみると誰でも美しく見えます。041.gif
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 この日は雲が多くて、雲の中に太陽が沈んで行きました。
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 振り返ると東の空には月が浮かんでいました。
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 12月7日(土)同じく幕張海浜公園に行きました。砂浜には2つの堤防があり、今日は南側の堤防越しに夕日を見ることにしました。写真は堤防の先端に家族連れが向かっているところです。
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 この日も雲の中に太陽が沈んで行きました。
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 海にたくさんの渡り鳥が浮かんでいました。
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 あきらめて砂浜を歩いて帰ろうとしていると、雲の下から太陽が再び現れました。
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 12月14日(土)、この日の幕張海浜公園は雲がなく、山の稜線に沈んで行きました。
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 12月21日(土)、雲の切れ間から太陽が落ちるように沈んていき、雲に反射して、空が燃えるようでした。
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 12月28日(土)、12月は毎週土曜日4週連続で幕張海浜公園に来ることになりました。この日も南側の堤防越しに見ることにしました。若い女性が堤防の上を歩いています。堤防から落ちるところを写真に撮りたいと思いました。041.gif
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 今日は富士山もきれいに見えました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

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 朝日は城南島海浜公園に見に行きます。城南島海浜公園に行くにはバスしかありませんが、早朝は動いていないのでタクシーか徒歩になります。タクシーで行く場合は大井町駅から約20分で城南島海浜公園の正門にたどり着くことができます。徒歩だと、いい歳、りょうちゃんの足で約2時間かかります。
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 毎年、元旦は初日の出を見るため多くの人が城南島海浜公園の浜辺を訪れます。しかしながら、元旦以外はほとんど人がおりません。浜辺は通常は施錠されていて入ることができませんが、管理人のおじさんによっては、元旦以外の日でも開けてくれ入ることができます。写真は12月14日(土)の様子。人が一人もいません。
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 船で漁をしている人がいました(12月28日)。
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 朝焼けに染まる羽田空港。
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 東京湾は大きな船が行き交います。
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 12月30日(月)も初日の出の下見に行きました。とてもいい写真を撮ることができ、T中さんから「初日の出を見に行かなくても、もうこれでいいじゃないですか!」と言われてしまいました。037.gif
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 このおじさんは海に向かって歌を歌っていました。037.gif
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 朝日を見る男女のシルエット。
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
元旦は初日の出を見に行きます060.gif

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by ryott-ryott | 2013-12-31 10:42 | 第100回あづみ野うたごえ喫茶 | Comments(4)

歌声をクリスマスのベルにのせて♩ 第90回あづみ野うたごえ喫茶ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 今週末の3連休は浅間山および千畳敷きカールでの雪上講習へ行きます。その雪山装備を揃えるために四谷にある「山の店 デナリ」に行ってきました。「デナリ」はJR四谷駅四谷口を出て、タクシー乗り場のはす向かいにあります。
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 携帯電話で見るネットに紹介されている地図では、新宿通りを少し進んで、右手の花屋さんとその先のローソンの間に店の位置がプロットされていますが、その位置にお店はありませんのでご注意願います。私は携帯のネットの地図を見て行ったので、花屋とローソンの間を店を探してうろうろしてしまいました。上の地図は的確です。
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 店に電話をして再度、店の位置を確認して、ようやく店にたどりつくことができました。通りをはさんでタクシー乗り場の目の前にありました。
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 店に入ると、店員さんが2名いましたが、「いらっしゃいませヽ(^o^)丿」とも何も言わないので、店員さんに「はじめて冬山に行くので、必要な装備をすべて揃えたい。」と伝えました。私が話しかけた店員さんは店長の平野応典(おうすけ)さんで、山岳雑誌のPEAKSに山道具のことで記事をときどき投稿している方でした。038.gif
 平野さんは私に「山道具は何を持っているの?冬山はどこへ行くの?」と尋ねるので、ザック以外は冬装備は何も持っていないこと、今後の雪山歩きの予定をすべて伝え、アミューズでもらった装備の一覧も見せると、私を2階へ連れて行き、まずはウエアから揃えることになりました。着るものはウエア(Wear)、登山靴やクランポンなどはギア(Gear)と専門用語で言うそうです。
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 まずは肌に直接身につける肌着とチョッキを選んでもらいました。平野さんがおっしゃるには肌に直接身につけるものはぴったりしたサイズを選ぶことが重要であり、密着した肌着を着ることにより肌と肌着の間に動かない空気層が形成されて暖かさを保つことができます。大きめのサイズを着てしまうと肌と肌着の間に空間ができて、空気が動いてしまうため、暖かさを保つことができません。この動かない空気層のことをDead Airと言い、Dead Airをつくることができるサイズの肌着を選ぶことが冬山装備のウエア選びで最も重要になります。
 現在販売されているウエアの生地はほとんどほPOLARTEC(ポーラテック)という繊維が使われています。以下の写真のように細かいメッシュが切られており、溝があることによってDead Airが形成される構造になっています。
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 デナリでは最初から値段の高いものは勧められませんでした。オーバージャケットなどは10万円前後するものもざらにあり、初心者はクランポンやピッケルでウエアに穴をあけてしまうことがた多いため、最初は機能は同じで型落ちして安くなっているものを身につけておき、自分の技術があがってから、徐々によいものを替えて行けばいいとおっしゃっていました。最初から高価なウエアを揃えて、引っかけて穴をあけると「かなりへこむよ。」とおっしゃっており、コストパフォーマンスを重視して選んだほうがいいと勧めてくれました。したがって、私にも定価は69000円でしたが、型落ちして60%OFFになっているオーバージャケットを選んでいただきました。
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 ズボンに関しても考え方が同じで、肌着でDead Airをつくり、その上にオーバーパンツを履きます。その他、帽子、目出し帽、インナーグローブ、オーバーグローブを用意していただき、これでウエアは終わりです。
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 つぎにギアです。アミューズの雪山歩き教室では、ピッケルは手に持った時にシャフトの先端が自分のくるぶしの位置までに来る長さのものを選ぶようにとの指導でしたので、そのような長さのピッケルを用意したいと平野さんに話すと、平野さんは「そんなこと言う奴は頭がおかしい!」とバッサリ切り捨てられました。くるぶしまでの長さのピッケルは、長すぎて使いにくいとのことです。傾斜がきつくなればなるほど、より短いものが使いやすく、長いものは邪魔になるとおっしゃっていました。実際にくるぶしまでの長さのピッケルと、それよりも短いピッケルを持って、店の階段を上り下りしましたが、長いほうが手の位置が上に来ていることがわかりました。あまりに長いとシャフトの部分を握ってしまうことにもなるので短いものを勧められました。また滑落停止の練習では短い方が有利であるともおっしゃっていました。平野さんは身長171 cmで普段は48 cmのピッケルを使っているそうです。私の場合は身長177 cmで、くるぶしまでにすると70 cmのピッケルになりますが、平野さんの勧めで65 cmの長さのピッケルを買いました。これから冬山に何度も行くようになれば、もっと短いピッケルが欲しくなる筈だとおっしゃっていました。
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 登山靴とゲーター(ロングスパッツ)はデナリに私の足にフィットする大きいサイズがなかったため、平野さんに探していただき、神保町のさかい屋で買いました。さかい屋で登山靴とゲーターを買ってきて、デナリでその靴にあうクランポンを用意していただきました。アミューズではアルミ製の12本爪のクランポンを勧められましたが、平野さんからはアルミ製は消耗が激しいためクロムモリブデン製のものを勧めてくれました。特に私のように体重があると、雪のない岩場の上に乗ってしまった場合にアルミ製クランポンの歯は簡単に曲がってしまうので、硬いクロムモリブデン製クランポンがよいとのことです。アルミ製は本当に雪しかないような場所を歩く時に使うのがよいそうです。そして装着方法も教えていただきました。家でクランポン装着の練習をするときは、くれぐれも畳やフローリングの上では行わないように注意を受けました。クランポンの歯で畳やフローリングは簡単に切れてしまいます。装着の練習をするときは公園の砂場が一番いいそうです。
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 ハーネスは私のウエストにあうサイズがなかったので取り寄せていただきました。平野さんからはこれ以上太らないように言われました。037.gifもちろんハーネスの装着方法も教えていただきました。ハーネスは腰骨の上で固定し取り付けて、お店の天井から吊るされているザイルに安全環付きカラビラを通してハーネスと結んで、天井にぶら下がりました。どこかが痛く感じるようだと、このハーネスは合わないとのことです。
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このように私の冬山装備のほとんどを四谷の「山の店 デナリ」で揃えました。2日間にわたり、約6時間の時間をかけて、装備の使い方も親切に教えていただきながら、必要なものを用意していただきました。1日目は2回の休憩をはさんで、12時にお店に行ってから16時半までかかりました。平野さんの山道具の説明は大変わかりやすく、勉強になりました。038.gif
冒頭にデナリの店員は「いらっしゃいませ!」と言わないと書きましたが、デナリでは来店客に「いらっしゃいませ!」は言ってはいけないことにしているそうです。装備を本当に必要としているお客さんは自分から店員に尋ねてくるので、そういうお客さんに時間をかけて使い方の説明をすることを心掛けているとのことです。038.gif
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 また平野さんは「山の店」を経営しているにもかかわらず、山には全く興味がないそうです。山の店デナリを早く辞めて、マクドナルドをやりたいとおっしゃっていました。冬山用の登山靴ひとつとっても、すべてのサイズを店に揃えるとなると1つの種類に対して10足ほど仕入れておく必要があり、1足5万円とした場合、それだけで50万円になり、10種類では500万円になります。そして仕入れた商品はすべて売れるという保証がないので、博打のような商売だとおっしゃっていました。そして、今年の冬山用品を売っているこの時期から、すでに来年の冬山用品の仕入れが始まっていると話していました。
 平野さんは山にも行くそうですが、景色よりも登山者が身に付けているものに目が行ってしまい、とてもリフレッシュにはならず仕事とかわらなくなってしまうため、通常は遊びのフィールドは海の方にしているそうです。よくブリを釣りに直江津まで行くとおっしゃっていました。
 デナリで揃えた冬山装備で雪上講習へ行ってきます。038.gif038.gif038.gif
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(BELIEVE)

BELIEVE(作詞、作曲:杉本竜一)


たとえば君が 傷ついて
くじけそうになった時は
かならずぼくがそばにいて
ささえてあげるよその肩を
世界中の希望のせて
この地球はまわってる
いま未来の扉を開けるとき
悲しみや苦しみが
いつの日か喜びに変わるだろう
I believe in future 信じてる

もしも誰かが君のそばで
泣き出しそうになった時は
だまって腕をとりながら
一緒に歩いてくれるよね
世界中のやさしさで
この地球をつつみたい
いま素直な気持ちになれるなら
憧れや愛しさが
大空にはじけてひかるだろう
I believe in future 信じてる
いま未来の扉を開けるとき
I believe in future 信じてる

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 土曜日に映画「リアル・スティール」を見ました。2020年、人間同志がボクシングをする時代はすでに終わり、人間の替わりにロボット同志を戦わせて賭け試合を行うようになっていました。ヒュー・ジャックマン扮するチャーリーは元ボクサーで、ロボットボクシングの賭け試合で生計をたてていましたが、ロボットボクシングでは思うように勝利をあげることができず、手に入れたロボットは大破し、借金に追われるようになります。
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 そのチャーリーのもとにかつての恋人の間にできた息子マックスがやってきます。チャーリーは、マックスを養子として引き取りたいという叔母夫婦にマックスの親権を渡す見返りに10万ドルを要求し、その金で新しいロボット、Noisy Boyを手に入れます。しかしながら、そのNoisy Boyもロボットボクシングで強敵の前にスクラップ同然にされてしまいます。命運尽きたチャーリーはロボットの部品を調達するために、息子のマックスとともにロボットの墓場となっているゴミ捨て場に忍び込み、旧型ロボット、ATOMを拾ってきます。ATOMは戦闘用ではなくスパーリング用として造られたロボットでした。息子のマックスはATOMが人間の動きを学習するようにプログラミングされていることを知り、チャーリーにATOMにボクシングを教えてほしいと頼みます。
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 ここからチャーリーとマックスの挑戦が始まります。ボクシングの動きをおぼえたATOMは次つぎと強敵を倒していきます。ゴミ捨て場から掘り起こされた無名のロボットATOMの目覚ましい活躍ぶりは、ロボットボクシングで無敵を誇るゼウスのオーナーであるロシアの財閥ファラの耳にも入り、ATOMを20万ドルで売ってほしいと言われます。チャーリーはいずれATOMも強敵に敗れてスクラップになる前に20万ドルでファラに売ってしまいたいと考えますが、息子マックスはATOMを売ることに同意しませんでした。それどころか、無敵のゼウスに挑戦を申し込むのです。
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 誰もがATOMはゼウスの餌食になり、1Rでスクラップになることを予想しました。戦いのゴングが鳴り、ATOMとゼウスの戦いが開始されました。ゼウスの圧倒的な戦闘力になす術もなく、応戦一方のATOM。ついにはATOMの音声識別システムも破壊され、チャーリーとマックスの指示がATOMに届かなくなってしまいます。
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 しかし、ATOMには人間の動きを見て学習する能力が残っていました。マックスがチャーリーに瀕死のATOMと一緒に戦ってほしいと頼みます。元ボクサーのチャーリーはATOMに“Watch me!”と言い、ATOMの視界の中でボクシングの動きをします。ATOMはすぐにその動きを学び取り、ゼウスへの反撃が始まりました。いままで1度もダウンを奪われたことのないゼウスがATOMの攻撃に2回もダウンを取られます。そして最終第5Rへ。戦いの流れは完全にATOMに傾いていました。ゼウスはほとんど動かなくなってしまいましたが、ゼウスはダウン寸前にゴングに救われ、判定に持ち込まれます。果たして、その結末は・・・・・。
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 ほとんど内容を書いてしまいましたが、判定の結果はゼウスの勝利で終わります。判定の結果に会場からは大ブーイングの嵐でしたが、チャーリーとマックスの表情は爽快でした。
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 テレビの宣伝でタレントの中山秀行が「リアル・スティール」を見て、感動して何度も泣いたと言っていますが、正直に私はこの映画を見て感動することはありませんでした。無名のATOMがピンチを乗り越えて強敵を倒して行く場面は確かに面白いと思うのですが、ATOMが強敵を倒して行くことも、無敵のゼウスとの死闘の末、判定にまで持ち込んで、判定負けすることも見ていて予測できます。先日じゃんけんぽんで変人シェフ憲一さんは、私に映画の結末を話すなと言いましたが、憲一さんも多分がっかりされるのではないかと思います。「リアル・スティール」の映画宣伝が誇大であると私は思っています。あの宣伝を見てしまうと期待をして映画館へ足を運ぶことになりますが、期待通りではなかったというのが私の感想です。そして、この映画のどの場面に泣くほど感動したのか、タレントに聞いてみたいと思いました。これから「リアル・スティール」をご覧になる方、ごめんなさい。これは私の映画を見た感想です。040.gif

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(中島みゆき/時代)

時代(作詞、作曲:中島みゆき)


今はこんなに悲しくて
涙も枯れはてて もう二度と笑顔には
なれそうもないけど

そんな時代もあったねと
いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ
だから今日はくよくよしないで
今日の風にふかれましょう
まわるまわるよ時代はまわる
喜び悲しみくり返し
今日は別れた恋人たちも
生まれかわってめぐりあうよ

旅を続ける人々は
いつか故郷に出会う日を
たとえ今夜は倒れても
きっと信じてドアを出る
たとえ今日は果てしもなく
冷たい雨が降っていても
めぐるめぐるよ時代はめぐる
別れと出会いをくり返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれかわって歩き出すよ

まわるまわるよ時代はまわる
別れと出会いをくり返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれかわって歩き出すよ
今日は倒れた旅人たちも
生まれかわって歩き出すよ




(倍賞千恵子/下町の太陽)

下町の太陽(作詞:横井弘、作曲:江口浩司、歌:倍賞千恵子)


下町の空に輝く太陽は
喜びと悲しみを映すガラス窓
心の痛むその朝は
足音しみる橋の上
ああ太陽に呼びかける

下町の恋を育てた太陽は
縁日に二人で分けた丸い飴
口さえきけず別れては
祭りの午後のなつかしく
ああ太陽に涙ぐむ

下町の屋根を温める太陽は
貧しくも笑顔を消さぬ母の顔
悩みを夢を打ち明けて
路地にも幸の来るように
ああ太陽ときょうもまた

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 さて12月18日の日曜日は第90回あづみ野歌声喫茶へ行ってきました。いつものホワイトトークハウスでの歌声喫茶ではなく、10周年記念とクリスマスイベントということもあり、会場を穂高交流学習センター「みらい」に移して、開催されました。060.gif
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 日曜日は天気もよくて、あずさ号の車窓からは富士山や南アルプスが見えました。058.gif
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 10周年イベントに多くの人が集まり、会場前は長蛇の列ができていました。038.gif
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 オープニングはミュージックベルでクリスマスソングメドレーの演奏。038.gif
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 あづみ野歌声喫茶にテーマソングがあることをはじめて知りました。038.gif
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 歌声喫茶のメンバーの紹介とともに、1曲ずつ歌を歌いました。038.gif
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 そして、この10周年記念の歌声喫茶では3組のゲストによる歌と演奏がありました。1番手は松本の中学校で先生をされているテノール歌手の鷲沢幸毅(わしざわこうき)さんでした。オペラの「燃える心を」、「アベマリア」を披露していただき、BELIEVEをみんなで歌いました。鷲沢先生は歌声喫茶に集まった方々の元気な歌声を教えている生徒さんたちにも聞かせてあげたいとおっしゃっていました。038.gif
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 お2人目のゲストはシャンソン歌手の神谷ありこさんでした。ありこさんは高校生のときまで名古屋にお住まいだったそうですが、信州にあこがれて、信州の大学に進学され、そのまま信州の長野に住みついてしまったそうです。ご自身はシャンソン歌手ではなくて、サンソン(山村)歌手だとおっしゃっています。またあり子さんは歌声喫茶を立ち上げたお一人で、「笑点」で言えば立川談志のような方なんだそうです。037.gif038.gif
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 そのあり子さんの歌声はもちろん素晴らしいのですが、年寄り受けする軽妙なトークが面白く、さながら信州の綾小路きみまろのようでした。ありこさんは普段は病院やお寺で年配者の方に歌をきかせることが多いそうですが、私も是非ありこさんのコンサートを聞きに行ってみたいと思います。038.gif
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 3人目のゲストはいつも歌声喫茶でギターの演奏を担当している小林和彦さんが率いる「沖縄チャンプルー」というグループでした。歌声喫茶ではギターを弾いているときの小林さんしか見ることはありませんでしたが、小林さんの歌声はクリスマスにぴったりであり、私は東京に帰ってからTBSのEXILE魂を見て、EXILEのATUSHIに一歩も引けを取っていないと思いました。038.gif
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 残念ながら帰りの汽車の時刻が迫り、沖縄チャンプルーの演奏の途中で失礼することになりましたが、歌声喫茶のクリスマス一大イベントに参加することができ、楽しい時間を過ごすことができました。そのあとは歌声名曲選として私の大好きな「下町の太陽」や「銀色の道」「岬めぐり」が歌われたそうです。次回は月曜日に休暇を取って、穂高に宿泊するつもりで歌声喫茶に伺いたいと思います。038.gif038.gif038.gif038.gif038.gif038.gif038.gif038.gif038.gif
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3連休は浅間山と千畳敷きカールに雪上講習に行ってきます。060.gif

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by ryott-ryott | 2011-12-21 12:29 | あづみ野うたごえ喫茶 | Comments(0)

雪の山歩きに向けてヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 第89回あづみ野うたごえ喫茶の模様がYouTubeにアップされたので、いくつかの動画を記事の中に貼り付けました。いい歳、りょうちゃんも映っています。060.gif038.gif
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 また浦安湯屋のともちゃんから「くじゅう山」の記事で書いた村田英雄伝説について、よくまとまられているとお褒めの言葉を戴いたので、村田英雄伝説を再度載せました。記事はすべて友ちゃんから聞いた話を文字にしたものです。YouTubeで船村徹が歌っている動画が幾つかありますが、結構歌が上手です。038.gif
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 11月に入ったというのに、気温は一向に下がらず、暑い日が続いています。1日は仕事で九州・福岡へ出張に行きましたが、最高気温28 ℃と30 ℃に迫る暑さでした。7時20分発の飛行機であったため、羽田空港から日の出を見ました。飛行機は朝早い便であるにもかかわらず、ほぼ満席でした。
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 福岡空港と言えば、九州3座のときも立ち寄った「おでん屋さん」。いかの姿造りがあったので、頼んでしまいました。037.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう



(岩崎宏美/思秋期)

(第89回安曇野歌声喫茶/思秋期)

思秋期(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし、歌:岩崎宏美)

足音もなく 行き過ぎた
季節をひとり 見送って
はらはら涙あふれる 私十八
無口だけれど あたたかい
心を持った あのひとの
別れの言葉抱きしめ やがて十九に
心ゆれる秋になって 涙もろい私
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ふとしたことで はじめての
くちづけをした あのひとは
ごめんといった それきり
声もかけない
卒業式の まえの日に
心を告げに 来たひとは
私に悩む顔見て 肩をすぼめた
誰も彼も 通り過ぎて
二度とここへ 来ない
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ひとりで紅茶 のみながら
絵葉書なんか 書いている
お元気ですか みなさん
いつか逢いましょう

無-邪-気な 春の語らいや
はなやぐ 夏のいたずらや
笑いころげたあれこれ 思う秋の日



(第89回安曇野歌声喫茶/遠い世界に)


(第89回安曇野歌声喫茶/羽田発七時五十分)
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 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(ともちゃんから聞いた「村田英雄伝説」より)038.gif038.gif038.gif038.gif038.gif038.gif038.gif038.gif038.gif


(船村徹/王将)





(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(奥村チヨ/終着駅)

(第89回安曇野歌声喫茶/終着駅)

終着駅(作詞:千家和也、作曲:浜圭介、歌:奥村チヨ)


落ち葉の舞い散る 停車場は
悲しい女の 吹きだまり
だから今日もひとり 明日もひとり
涙を捨てにくる
真冬に裸足は 冷たかろう
大きな荷物は 重たかろう
なのに今日もひとり 明日もひとり
過去から逃げてくる

一度離したら 二度とつかめない
愛というなのあたたかい 心の鍵は
よくにた女が 降りてくる
そして今日もひとり 明日もひとり
過去から逃げてくる

一度離したら 二度とつかめない
愛というなのあたたかい 心の鍵は
よくにた女が 降りてくる
そして今日もひとり 明日もひとり
過去から逃げてくる

そして今日もひとり 明日もひとり
過去から逃げてくる

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(山口百恵/秋桜)

(第89回安曇野歌声喫茶/秋桜)

秋桜(作詞:さだまさし、作曲:さだまさし、歌:山口百恵)

うすべにのコスモスが秋の陽に
何気ないひだまりにゆれている
このごろ涙もろくなった母が
庭先でひとつせきをする
縁側でアルバムを開いては
わたしの幼い日の思い出を
何度も同じ話くりかえす
ひとりごとみたいに小さな声で
こんな小春日和の穏やかな日は
あなたのやさしさがしみてくる
明日嫁ぐわたしに苦労はしても
笑い話に時がかえるよ
心配いらないと笑った

あれこれと思い出をたどったら
いつの日も一人ではなかったと
今さらながらわがままな私に
くちびるかんでいます
あしたへの荷造りに手をかりて
しばらくは楽しげにいたけれど
突然涙こぼし元気でと
何度も何度もくりかえす母
有難うの言葉かみしめながら
生きて見ます私なりに
こんな小春日和の穏やかな日は
もう少しあなたの子どもで
いさせてください

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(坂本スミ子/夜が明けて)

夜が明けて(作詞:なかにし礼、作曲:筒美京平、歌:坂本スミ子)

夜が明けて 手さぐりをしてみた
ぬけがらのとなりには 誰もいない
目をあけて 部屋のなか見てみた
陽がもれる窓のそば 誰もいない
夢を追いかけて
ひとりふかす たばこのけむり
白い 白い

夜が明けて 夢をみたまくらに
あの人のかみの毛が ひとつのこる
テーブルの 灰皿の中には
あのひとのすいがらが ひとつのこる
あせたくちびるを
かんでひいた ルージュの赤が
つらい つらい

われた手鏡に
語りかける おんなの朝は
ひとり ひとり

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(辻さんから送ってもらった栗拾いの写真)
 
11月3日はアミューズトラベルの背戸峨廊に申し込んでいましたが、崖崩れのため催行中止になってしまいました。いい歳、りょうちゃんの今後の予定です。070.gif

11月 6日(日) 大菩薩嶺
/週間天気予報では傘マークがついています。よしこさんはキャンセルするようです。

   13日(日) 羅漢寺山

   19日(土) 大井町のじゃんけんぽんでボジョレーヌーボ試飲会
 /よしこさん、おばあさんの佐藤さん、浦安湯屋のすみお姉ちゃんとはせやんもご一緒する予定です。
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   26日(土)~27日(日) 政次郎尾根からの丹沢山縦走
 /最初は書策新道を通る予定でしたが、道が通れないそうであり、政次郎尾根に変更になりました。

12月18日(日) 第90回あづみ野うたごえ喫茶060.gif
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   23日(金) 浅間山雪上講習
 /11月12日(土)にアミューズトラベルでの雪山講習会を聞いてきます。1月から5月まで蓼科山、蔵王熊野岳、武尊山、至仏山、立山と毎月1回雪の山歩きを申し込みました。

 
11月6日、大菩薩嶺に行ってきます。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2011-11-03 20:16 | あづみ野うたごえ喫茶 | Comments(0)

「ねがい」を歌にのせて、第89回あづみ野うたごえ喫茶ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 宿は安曇野アンビエントホテルに泊まりました。このホテルが常念岳の一の沢登山口に一番近いからです。あとで聞いたことですが、一の沢登山口から登るよりも、中房温泉登山口から登って、燕岳から常念岳へ向かうコースの方が人気があるそうです。
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歌声喫茶の開始時間は午後2時からのため、午前中は安曇野観光を行いました。大王わさび農場へ行きました。この農場の名前にある「大王」とはこの安曇野の地を治めていた怪力無双の首領・魏石鬼八面大王のことです。
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時代は桓武天皇(781~806年)の頃です。時代は奈良から平安へ移り変わっていく時期であり、称徳女帝が死去し、それまで権力をほしいままにしていた称徳女帝の愛人・道鏡が追放されると、それまでの天武天皇の皇統にかわって天智天皇系の白壁王が即位し光仁天皇となります。その子ども山部親王が即位し桓武天皇となりました。
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奈良時代の仏教政治の弊害から脱却するために784年に平城京から現在の京都府日向市に位置していた長岡京に遷都を決めました。しかしながら、長岡京遷都に反対する勢力の抵抗に遭い、桓武天皇の腹心で長岡京遷都を主導していた藤原種継が暗殺される事件が起こります。この事件の主犯格とされる皇太子の早良(さわら)親王(桓武天皇の弟)が処刑される一方で、桓武天皇の母親と皇后が相次いで亡くなりました。こうした不幸は早良親王の怨霊によるものとされるなか、なかなか完成しない長岡京から再度遷都が行われます。794年、新しい都は平安京と名づけられ、源頼朝が鎌倉幕府を開くまでの約400年間を平安時代と呼んでいます。
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名前は平安京ですが、桓武天皇の基盤は確固としていませんでした。とくに東北地方には中央政権に刃向う蝦夷(えみし)と呼ばれる異民族がいました。この蝦夷を制圧するため、東北では実に30数年間にわたって戦争状態が繰り返されました。
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八面大王は桓武天皇の中央政権に刃向うひとりでした。桓武天皇は八面大王一族を制圧するため、あの坂上田村麻呂を副使として大軍を送ります。怪力無双を誇る大王は安曇野の地を守るために立ち上がり、田村麻呂軍と戦いを続けます。しかし圧倒的な数を誇る田村麻呂軍に大王は後退を余儀なくされます。そして一族の女、子供も戦いに巻き込まれて犠牲になり、村は次々と焼き払われて行きました。追いつめられた大王は残された家臣と有明山の麓まで逃れ、岩屋にこもって、力の限り戦いましたが、矢に撃たれて、力尽きてしまいました。
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田村麻呂軍は、敵ながらも強すぎた八面大王が再び生き返らないように、遺体をバラバラにして各地に埋めたと言います。大王わさび農場の一角に、その八面大王の胴体が埋められていると言われており、大王神社として祀られています。
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道祖神も見に行きました。数百体の道祖神のうち、彩色されているのは2体ほどしかないそうであり、道祖神祭りのときに子どもたちが色を塗りなおします。
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水色の時道祖神。
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おひさまにでてきた道祖神。
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早春譜。060.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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(中島みゆき/宙船)

宙船(作詞、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか
その船は今どこで ボロボロに進んでいるのか
流されまいと逆らいながら
船は挑み 船は傷み
すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は自らを宙船(そらふね)と 忘れているのか
その船は舞い上がるその時を 忘れているのか
地平の果て 水平の果て
そこは船の離陸地点
すべての港が灯りを消して黙り込んでも
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

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「生まれながらの詩人は、詩的な死に導かれる」と言われますが、中原中也もその一人でしょう。 豊かな才能もむなしく、31歳で夭逝しました。

薄幸な人生であっても、その業績は永遠で、書店の店頭からその名が消えたことはありません。角川書店から「中原中也全集」全5巻と、従来の研究・評論を集大成した別巻が出されました。

友人の小林秀雄は「彼は一流の抒情詩人であった」と評していますが、彼の作品が今日なお愛好されているのは、この抒情に裏打ちされた「青春の挫折感」に共感を覚えるからでしょう。処女詩集「山羊の歌」、第二詩集「在りし日の歌」に、彼の絶唱が熱っぽくうたわれています。

 汚れちまった悲しみに
 今日も小雪の降りかかる
 汚れちまった悲しみに
 今日も風さへ吹きすぎる
      (「汚れちまった悲しみに」)

 ホラホラ、これが僕の骨だ
 生きていた時の苦労にみちた
 あのけがわらしい肉を破って、
 しらじらと雨に洗はれ
 スックと出た、骨のさき
      (「骨」より)

その他「サーカス」の詩の最後に繰り返される「ゆあーん ゆよーん ゆあゆよん」の表現がまだ耳に残っています。

昭和11年11月、3歳になった長男文也を失った彼は、急に精神に異常をきたし、昭和12年(1937年)10月23日午前0時10分に永眠しました。墓は郷里の山口市湯田温泉の経塚にあります。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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北アルプス展望台にも行って、北アルプスの山々を見ようと思いましたが、かなり雲が多く、見ることができませんでした。
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陽射しもあり、展望台は絵を描いている方がたくさんいました。
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うたごえ喫茶へ行く前に安曇野の風景を見て、お昼に穂高駅前まで戻って来ました。昨日入ったおそば屋さんにまた行って、お昼のおそばを食べました。もちろんおしきせも。037.gif
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そして、いよいよ歌声喫茶の会場のホワイトトークハウスへ。歌声喫茶は14時からですが、13時過ぎに着いてしまい、ホワイトトークハウスの中へ入っていくと、歌声メンバーの方たちが最後のリハーサルを行っているところでした。2ヵ月に1回の歌声喫茶は、歌声メンバーの方々が曲選びとその曲の練習を何度も繰り返して、実際の歌声喫茶の何倍もの時間を費やして、私たちに楽しい歌声喫茶を届けてくれていることがリハーサル風景を見て、わかりました。038.gif
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今日の歌声喫茶は「深まりつつある秋」をテーマにした歌が中心でしたが、安曇野はとても蒸し暑く、今日は秋はどこかに行ってしまったようです。058.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村

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今回の<覚えて歌ってみよう>は「りんどうの花咲けば」でした。
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お手本を歌うお父さん。038.gif
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(鳴海日出夫/りんどうの花咲けば)
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(大橋節夫/倖せはここに)
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(岩崎宏美/思秋期)
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思秋期(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし、歌:岩崎宏美)

足音もなく 行き過ぎた
季節をひとり 見送って
はらはら涙あふれる 私十八
無口だけれど あたたかい
心を持った あのひとの
別れの言葉抱きしめ やがて十九に
心ゆれる秋になって 涙もろい私
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ふとしたことで はじめての
くちづけをした あのひとは
ごめんといった それきり
声もかけない
卒業式の まえの日に
心を告げに 来たひとは
私に悩む顔見て 肩をすぼめた
誰も彼も 通り過ぎて
二度とここへ 来ない
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ひとりで紅茶 のみながら
絵葉書なんか 書いている
お元気ですか みなさん
いつか逢いましょう

無-邪-気な 春の語らいや
はなやぐ 夏のいたずらや
笑いころげたあれこれ 思う秋の日

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(山口百恵/秋桜)
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 今回の歌声喫茶も、岩崎宏美の「思秋期」や山口百恵の「秋桜」などいい歌がたくさんラインナップされていましたが、なかでも広島市立大州中学校の平和学習の中で生まれた「ねがい」という曲には感動しました。このブログの最初の方に歌詞を書き写しました、どうぞ読んでみてください。私はこの詩を読み、歌を聞き、広島で聞いた悲しい物語の数々を思い出し、涙が出てきました。本当に原子爆弾を落とす必要があったのでしょうか。戦争の恐怖や飢えの苦しみはこの地球上にはまだまだ残っています。これらの禍や災害は「まがつび」のなせる業ではないのです。私たち自身が「まがつび」になってしまうこともあるのです。
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 歌声喫茶の前日に、穂高交流学習センター「みらい」に立ち寄ると、東日本大震災で被災した地域へ赴き、支援活動を続けている方々が、東北地方の惨状の写真を公開していました。その方は震災以来、何度も被災地に足を運んでいるとおっしゃっていました。そして、「被災地がもとに戻るまで、行くのをやめることはできない。」ともおっしゃっていました。「飢えで苦しんでいる人は神様に見捨てられたのではなく、私たちが見捨てているのです。」これはマザー・テレサの言葉です。私たちが手を差し伸べれば、救うことができるものはたくさんあるのです。

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さて次回は美ヶ原・霧ヶ峰に出かけてきます。060.gif

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by ryott-ryott | 2011-10-27 01:11 | あづみ野うたごえ喫茶 | Comments(0)

私の百名山、花の谷川岳ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 6月19日に参加した第87回あづみ野うたごえ喫茶のYouTube動画が更新されていました。いい歳、りょうちゃんも一番手前の2列目に写っていました。037.gif
 
(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村


(あづみ野うたごえ喫茶/ふるさと)
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 土曜日にゲンダマ会に参加して、翌日曜日にはアミューズトラベルの初心者のための谷川岳ツアーに参加しました。私にとっては日本百名山10座目になります。初心者のための山歩き教室に参加するのははじめてです。この山歩き教室は人気があり、私が申し込んだときはキャンセル待ちの5番目だったそうですが、何とか空席が周って来て、参加することができました。038.gif

(あづみ野うたごえ喫茶/希望)
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 しかし日曜日も空は鈍色の曇り空で、青空を期待することはできない典型的な梅雨空でした。山歩き教室は毎回テーマが設定されています。今回の谷川岳では「山の天気を知る」というテーマで雷の話、天気図の見方として高気圧と低気圧の特徴、前線の種類とそれぞれの前線の近傍での天気の状態、観天望気についてガイドの中野さんから説明がありました。
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 特に山の天気は変わりやすく、これから暑くなる夏の季節で最も注意をしなければならないのが雷だそうです。夏の強い日差しによって地面が暖められると、地面に接する空気も暖められて、まわりの空気よりも軽くなって上昇気流が起こります。この上昇気流こそが雲をつくる原因となるのです。大気中で高度が高くなるにつれて、気圧も低くなるので、上昇していく空気のかたまりは膨張します。しかも同時に温度も下がります。いわゆる物理学でいう断熱膨張であり、それに伴って温度が下がることを断熱膨張冷却と言います。空気は100 m上昇すると0.6 ℃気温が下がります。
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 空気の温度が下がっていくと、その中に含まれている水蒸気が凝結して水滴になります。この温度を露点といいます。この水滴こそが私たちが見ている雲の正体で、雲粒と専門用語で言っているようです。
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 その後も空気のかたまりが更に上昇して、温度が0 ℃を下回ると氷の結晶ができ始めます。高度の高いところにある雲は氷の結晶の集まりと言うことになります。
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 実は雲には高度によって10種類に分類されるそうですが、真夏の空にまっすぐ伸びる入道雲は上昇気流に伴って急激に成長した積乱雲であり、雲の中で摩擦によって生じた電荷が雷として放電します。積乱雲の高さは12 kmまで伸びることがあります。
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 山岳部では風が山にあたって、山の斜面に沿って上昇気流が生じるために、雲が発生しやすく、時には雷を伴う積乱雲にまで発達するため、注意が必要になります。雷は高いところに落ちやすいということは聞いていましたが、岩場の稜線も落雷しやすく、他の岩場に落雷した雷が電撃流として流れてくるという話には驚きました。
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 空を見て天気を予測することを観天望気と言います。昔はアメダスなどはなかったので空模様を見てこれからの天気を予測することは必要でした。とくにこれから海へ出て漁に行くときなど、観天望気による判断は生死をも決っしてしまうほど重要だったに違いありません。
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 昨年の11月に開聞岳に行ったときに、開聞岳の山頂付近に雲が巻きつくように周回していると翌日は晴れると言ったことを地元の方に教わりました。これも立派な観天望気でした。
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 ガイドの中野さんから天気の講義を受けて、しばらくするとバスはロープウェイの土合駅に到着しました。ここからロープウェイに山頂駅まで乗り、そこから谷川岳トマの耳とオキの耳を目指します。山頂駅は霧で真っ白、ここで早めのお昼ごはんを食べました。
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 出発前のいつもの準備体操。新浦安ツアーでは倉持さんのストレッチの指導を受けていますが、きょうは半分の年齢ぐらいの若いツアーリーダー高橋絵里香さんの準備体操で新鮮でした。038.gif
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 先ほどまで立ち込めていた霧も、出発前に徐々に晴れてきて、曇り空ではありましたが、視界が開けていました。中野さんは「今日は晴れ女、晴れ男がたくさんいる。」とおっしゃっていました。その通りです。
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(中島みゆき/宙船)

宙船(作詞、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか
その船は今どこで ボロボロに進んでいるのか
流されまいと逆らいながら
船は挑み 船は傷み
すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は自らを宙船(そらふね)と 忘れているのか
その船は舞い上がるその時を 忘れているのか
地平の果て 水平の果て
そこは船の離陸地点
すべての港が灯りを消して黙り込んでも
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

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    更けゆく秋の夜 旅の空の
    侘びしき思いに ひとりなやむ
    恋しや古里 なつかし父母

   私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。

 林芙美子の自伝小説『放浪記』の書き出しです。彼女は、この『放浪記』で文壇にデビューし、一躍女流作家の名声をほしいままにしましたが、彼女の残した“花のいのちは短くて、苦しきことのみ多かりき”の言葉通り、昭和26年(1951年)6月28日、48歳を一期に急逝しました。

 彼女は広島尾道の女学校を卒業すると上京しました。そして女中奉公、セルロイド工場の女工、株屋の店員、毛糸屋の売子、女給、筆耕、夜店の商人・・・・・いろいろな職業を転々としました。

 『放浪記』の後書きに彼女が書いていましが、愛読したハムスンの『飢え』と同じ境遇をたどりました。

 ノーベル賞作家になった、このノルウェー生まれのクヌウト・ハムスンも、15歳から故郷を離れ、放浪の途中、小僧、行商人、靴工、人夫、小役人、家庭教師、競売人、理髪師など、あらゆる下積みの職を転々としたあげく、『飢え』を書いて文壇にみとめられ、人気のでた作家です。

 林芙美子も、『清貧の書』『浮雲』『飢え』『めし』など数多い作品を書きましたが、やはり『放浪記』が一番読まれています。

 この『放浪記』が映画やテレビに舞台に、今なお繰り返し上映・上演される秘密は、彼女の波乱にとんだ人生を乗り越えていくバイタリティーと明るさに、涙しながらも共感を誘うものがあるからでしょう。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(コブクロ/あの太陽が、この世界を照らし続けるように。)

(映画「岳」予告編)

あの太陽が、この世界を照らし続けるように。
(作詞、作曲:小渕健太郎)
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どんな悲しみにも ひとつの意味を注ぐように
世界中の夜に 朝を連れてくる太陽
ぼくは彷徨ってた 生きる意味を探して
君に出逢うまでの僕じゃ あの壁は越せない

この手は君を守るため この瞳は君を探すため
こころは君を愛すため この命は君と生きるため
ぼくに生きる意味をくれた その微笑み

人ごみに紛れて 逃げ出すのは容易くとも
一人きりの夜に 孤独から逃げ出せない
ガラス玉のような心を抱え生きてる
落とすたびに砕け散った 涙を忘れない

転がりながら辿り着いた 今がいつも君だけの頂上
心のままに生きてゆけば 時には人はぶつかり合うけれど
その魂に刻まれた模様はきっと 美しきヒビとなる

どんな命も輝いてる
あの太陽が、この世界を照らし続けるように

この手は君を守るため この瞳は君を探すため
こころは君を愛すため この命は君と生きるため

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 今日の谷川岳ツアー参加者は総勢20名。私はいつものように最後尾から写真を撮りながら着いて行きました。いつもは私の後ろには倉持さんがいますが、今日はガイドの渡辺さんにサポートしていただきました。040.gif
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空は曇り空ですが、谷川岳には珍しい花がたくさん咲いており、私が渡辺さんに「これは何という花ですか?」と質問すると、すぐに答えていただき、名前が出てこない場合も渡辺さんが携帯してきたポケット図鑑ですぐに調べて教えてくれました。038.gif
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渡辺さんがおっしゃるには、谷川岳の山頂は鉄分を多く含んだ蛇紋岩帯で構成されているため、めずらしい植物が多く自生しているとのことです。
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ブナの木。緑色の実が秋にドングリになります。056.gif
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銀龍草。タツノオトシゴのような形をしています。透明に近い白い花が土色の山の斜面に顔を出しているので遠くからでもすぐに見つけることができます。宝石のような花です。056.gif056.gif
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おなじみのイワカガミ。安達太良や日光白根山では濃いピンク色でしたが、ここ谷川岳では薄い桃色で、中には真っ白な花もありました。白い花はヒメイワカガミと言うそうです。イワカガミは見飽きるぐらいたくさん咲いていました。056.gif
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イワイチョウ。056.gif
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マイヅルソウ。056.gif
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ウラジロヨウラク。056.gif
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タニウツギ。056.gif
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サクラドウダン。056.gif
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モウセンゴケもありました。058.gif
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標高の高く樹林帯出はないところにも甲虫やバッタがいました。

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(小柳ルミ子/星の砂)

星の砂(作詞:関口宏、作曲:出門英、歌:小柳ルミ子) 060.gif


二度と出来ない恋を捨てあなた遠く
離ればなれになってゆくの 今つらいわ

嫁ぐ日岬にひとりたたずみ君住む島に
別れを告げる
凪いで凪いでまぶしいサンゴの島が
にじんで落ちて 星の砂

過ぎし日 二人は海辺に遊び
変わらぬ愛を 夕陽に祈る
いつかいつか 二人は運命にさかれ
私は遠く 石垣へ

髪にかざした ブーゲンビリア
そえぬ運命に赤く咲く
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい 星の砂

ルルル・・・・・ルルル・・・・・
ルルルル・・・・・

風よ吹け 波よ打て
それであなたにつぐなえるならば
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい この想い
届けてほしい この想い

 
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時折、霧が晴れて、谷川岳の山容が明らかになります。058.gif
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この写真だけ見ると雪山のように見えます。
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雪渓を登っていくと、肩の小屋があります。肩の小屋前でしばしの休憩、小屋の屋根には太陽光パネルが設置してありました。山頂トマの耳はもうすぐです。058.gif
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そして遂にトマの耳(1963 m)に到着。皆さん、中野さんとガッチリと握手し、谷川岳制覇の喜びを分かち合いました。いつものように記念撮影。038.gif
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谷川岳は双二峯であり、もうひとつの山頂オキの耳へ向かいました。その途中にも多くの花々が咲いていました。056.gif
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コバイケイソウ。日光白根山では葉だけでしたが蕾が鈴なりのように付いていました。056.gif
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ハクサンイチゲ。056.gif
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ハクサンコザクラ。小さくて可愛い花です。
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もうひとつの山頂オキの耳(1977 m)で記念撮影。038.gif
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下山を開始。肩の小屋から先ほど登った雪渓を注意深く下ります。前の人が踏みしめて平らになった場所に足を運びながら慎重に降りて行きました。中野さんの指示では、雪渓を下っていくときは前かがみになって重心を前にしたほうがいいそうです。また万が一、滑ってしまったら、腹ばいになって摩擦力を増やすようにすれば、運よく止まることもあるようです。
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オキの耳から雨が降り出しましたが、雪渓を降りてくると雨もやんで、薄日も差していました。
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花崗岩や蛇紋岩は雨にぬれてとても滑りやすくなっていました。私も1回滑りましたが、渡辺さんは私よりも滑っていました。037.gif
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ひとりもケガなく無事に山頂駅まで戻って来ました。時計は4時50分を指しており、今週もギリギリでロープウェイに間に会いました。私はこの谷川岳で日本百名山10座目でした。この調子で何とか60歳までに100座を目指します。038.gif
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湯テルメで温泉に入って、ビールを買って、新宿まで戻って来ました。途中、森ちゃんから「今、飲んでいるの?」とのメール。私は、倉持さんの指示通りに、後ろでおとなしく飲んでいました。周りの方はほとんど寝ていたので、いつもの倉持ツアーのようには行かないようです。再来週の乗鞍岳は、浦安湯屋と大井町湯屋の強力なお姉さんと一緒に参加することになり、少し不安です。すみちゃん、よしこさん、いつもの倉持さんのツアーではないので、大騒ぎしないでくださいね。無理でしょうか。041.gif037.gif
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さて、次回は同じく中野さんと高橋絵里香さんのツアーで、草津白根山にコマクサを見に行ってきます。
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by ryott-ryott | 2011-07-02 13:28 | 谷川岳 | Comments(0)

青空を探しに、あづみ野うたごえ喫茶ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 6月18日(土)に日光白根山へ行ったことを前回報告しました。その翌日、6月19日(日)、新宿駅から特急あずさ号に乗り、安曇野へ行きました。松本駅からは大糸線に乗り換えて穂高駅で下車。朝8時過ぎに家を出て、穂高駅に着いたのは12時35分でした、約4時間30分の長旅です。018.gif
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 この日、安曇野の「ホワイトトークハウス」という喫茶店で、歌声喫茶が開かれます、「第87回あづみ野うたごえ喫茶」です。この模様はYouTubeで定期的に配信されており、昔の懐かしい歌をYouTubeで検索すると、「あづみ野うたごえ喫茶」の動画によくヒットします。
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(下町の太陽)
 私も倍賞千恵子の「下町の太陽」を検索すると、「あづみ野うたごえ喫茶」で「下町の太陽」が歌われている動画がヒットし、その模様を見て、今度是非行って歌ってみたいと思っていました。そして、ついに、この日曜日に実現できました。038.gif
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 穂高駅には12時35分に到着。大糸線は自分でボタンを押してドアを開閉する電車なんですね。東京は朝、雨が降っていましたが、あずさ号に乗り、あずみ野の方へ近づくにつれ、陽射しがこぼれ、青空でした。058.gif
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 ちょうどお昼時もあり、駅前でこの「元祖ソースかつ丼」ののぼりを見て、こちらのお店に迷わず入ってしまいました。037.gif
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 もちろん「元祖ソースかつ丼」を注文しました。すると隣に座っていた男性がお仲間と「あづみ野うたごえ喫茶」のことについて話をしていたので聞いてみると、今朝、群馬県からはじめてうたごえ喫茶に参加するため、やってきたということでした。その男性は私よりも幾つか年上のようであり、自動車の部品工場に勤めているサラリーマンで、3月の震災の影響で7月から休日が土日から水木へシフトになるため、是非とも今日の日曜日に「あづみ野うたごえ喫茶」へ参加するという意気込みで群馬県から駆けつけたとおっしゃっていました。その男性の方は普段は地元の群馬県で謡いの会に参加されているそうです。
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 元祖ソースかつ丼で腹ごしらえを済ませ、いよいよ「ホワイトトークハウス」を目指します。ホームページには徒歩10分と書いてありましたが、ゆっくり歩いたためか15分以上かかりました。途中、麦畑や花の写真を撮りました。

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(中島みゆき/宙船)

宙船(作詞、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか
その船は今どこで ボロボロに進んでいるのか
流されまいと逆らいながら
船は挑み 船は傷み
すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は自らを宙船(そらふね)と 忘れているのか
その船は舞い上がるその時を 忘れているのか
地平の果て 水平の果て
そこは船の離陸地点
すべての港が灯りを消して黙り込んでも
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

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 「斜陽」「人間失格」などの名作で知られる作家の太宰治が、愛人山崎富枝と武蔵野玉川上水で心中し、その死体が発見されたのは昭和23年(1948年)6月19日の朝でした。
太宰治39歳、山崎富枝29歳。二人は赤い腰紐で固く結ばれていました。

太宰のファンたちは、この日を彼の命日として、墓のある東京三鷹下連雀の禅林寺において、毎年「桜桃忌」を開いています。「桜桃忌」と名付けたのは、彼の晩年の作の「桜桃」という名作があり、死亡した季節が桜桃の熟するころであったという理由です。

太宰の死は、当然、情死もしくは心中だと思われていました。太宰の生家は、常陸宮妃とつながりがある津軽の名家であり、旧華族の津島家の一族でした。そのため、情死や心中などは不名誉の極みであり、愛人山崎富枝に殺されたと主張しています。
 
また文壇仲間でも、太宰の遺書に、彼の師事した文壇の先輩井伏鱒二を罵倒する記述があったところから、太宰治は麻薬常習者、精神錯乱者で、死ぬ意志がなかったのを、彼女に謀殺されたのだと、主張する一派がありました。
 気の毒なのは、両方から悪女にされた山崎富枝とその家族でした。彼女の日記、太宰の遺書、二人の行動、死体検証の結果などからみても、明らかに情死・心中であった反論しています。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(コブクロ/あの太陽が、この世界を照らし続けるように。)

(映画「岳」予告編)

あの太陽が、この世界を照らし続けるように。
(作詞、作曲:小渕健太郎)
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どんな悲しみにも ひとつの意味を注ぐように
世界中の夜に 朝を連れてくる太陽
ぼくは彷徨ってた 生きる意味を探して
君に出逢うまでの僕じゃ あの壁は越せない

この手は君を守るため この瞳は君を探すため
こころは君を愛すため この命は君と生きるため
ぼくに生きる意味をくれた その微笑み

人ごみに紛れて 逃げ出すのは容易くとも
一人きりの夜に 孤独から逃げ出せない
ガラス玉のような心を抱え生きてる
落とすたびに砕け散った 涙を忘れない

転がりながら辿り着いた 今がいつも君だけの頂上
心のままに生きてゆけば 時には人はぶつかり合うけれど
その魂に刻まれた模様はきっと 美しきヒビとなる

どんな命も輝いてる
あの太陽が、この世界を照らし続けるように

この手は君を守るため この瞳は君を探すため
こころは君を愛すため この命は君と生きるため

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ホワイトトークハウスは大糸線の線路と平行に流れる川に沿って松本方面の方へ歩いて行き、大きな道路にでると目の前に公園があるので、そこで右に曲がり、大きな図書館の前にあります。
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ホワイトトークハウスは名前の通り、真っ白でお洒落な建てもので、青空のもと陽射しを受けて白く輝いていました。
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受付を済ませて、自分の座りたい場所に着席。会場は当たり前ですがYouTube で見た通りの会場でした。この日、うたごえ喫茶には80名以上が集い、長野県外からは12名が参加しまた。私もその12名のひとりです。
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午後2時開演。うたごえメンバーの先生たちが会場に入って来ると、群馬県から来た男性はYouTubeの動画で見るよりも実物の方が「きれいだ」とおっしゃっていました。うたごえメンバーはギターとアレンジ以外はすべて女性で構成されています。司会の大森さんとアレンジの大森さんは親子なのでしょうか。
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「第87回あづみ野うたごえ喫茶」はビューティフルサンデーで開幕。唱歌から歌謡曲まで全部で20数曲を歌いました。うたごえ喫茶は4名の歌唱誘導の先生がみなさんが歌いやすいようにお手本となって指導をしてくださいます。
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<覚えて謡ってみよう>のコーナーでは安曇野出身のシンガーソングライター掘六平作詞作曲の「わさびの花の咲く頃」が紹介されていました。なかなかいい歌で、私は家に帰ってからYouTubeで検索すると掘六平「わさびの花の咲く頃」がヒットしました。


(掘六平/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村

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この歌詞の中で「うちに帰れば おしきせもある」の「おしきて」は晩酌のことを意味するそうです。広辞苑には同じ読みで「御仕着せ」はありましたが、晩酌の「おしきせ」はありませんでした。甲州のことばのようです。
 また滋賀県彦根市からやってきたうたごえグループが「押し花」を披露していました。
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コーヒーブレイクで配られていたお菓子は、外側の皮がカリッとしており、中はこしあんのおまんじゅうでとても美味しかったです。かりん糖饅頭というあずみ野の銘菓だそうです。写真を撮る前に食べてしまいました。
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そして6月19日は父の日ということもあり、お父さんたちが前に出て「別れの一本杉」、「リンゴ村から」、千昌夫の「夕焼け雲」をみんなで大合唱しました。

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(小柳ルミ子/星の砂)

星の砂(作詞:関口宏、作曲:出門英、歌:小柳ルミ子) 060.gif


二度と出来ない恋を捨てあなた遠く
離ればなれになってゆくの 今つらいわ

嫁ぐ日岬にひとりたたずみ君住む島に
別れを告げる
凪いで凪いでまぶしいサンゴの島が
にじんで落ちて 星の砂

過ぎし日 二人は海辺に遊び
変わらぬ愛を 夕陽に祈る
いつかいつか 二人は運命にさかれ
私は遠く 石垣へ

髪にかざした ブーゲンビリア
そえぬ運命に赤く咲く
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい 星の砂

ルルル・・・・・ルルル・・・・・
ルルルル・・・・・

風よ吹け 波よ打て
それであなたにつぐなえるならば
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい この想い
届けてほしい この想い

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 7月16日(日)に安曇野で加藤登紀子のコンサートが予定されており、「百万本のバラ」を歌う時に一緒に壇上で合唱してくれる人を募集していました。

(百万本のバラ)
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 中高年登山家のいい歳、りょうちゃんにふさわしい「坊がつる賛歌」、なつかしい、五木ひろしの「ふるさと」、フィナーレの「希望」、「365歩のマーチ」を歌い、エンディング「今日の日はさようなら」で「第87回あづみ野うたごえ喫茶」は閉幕となりました。

(坊がつる賛歌)


(五木ひろし/ふるさと)

(岸洋子/希望)

 あづみ野うたごえ喫茶は2ヵ月に1度開催されており、次回「第88回あづみ野うたごえ喫茶」は8月21日(日)の予定です。この日は私の47回目の誕生日でもあり、是非とも参加したいところなのですが、よくよく考えたら「北岳・間の岳」ツアーに参加することを決めていました。次回は10月、12月の秋とクリスマスの安曇野を訪れたいと思います。
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 穂高駅からは雲に煙る有明山が見えました。雲がなければ有明山の向こう側に7月16日~18日に行く予定の燕岳、燕山荘まで見ることができるそうです。

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by ryott-ryott | 2011-06-25 23:41 | あづみ野うたごえ喫茶 | Comments(0)