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30年ぶりの再会を祝う、雪谷高校100周年記念同窓会&ゲンダマ会

旅行・地域
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 5月26日(日)に上智大学で卒業後25周年同窓会「銀祝」が行われたことはすでに報告しましたが、幹事さんから2次会の集合写真を送っていただいたので掲載します。
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 また「銀祝」の祝賀パーティーの模様が大学のホームページに掲載されたので、何枚か引用します。
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 今年は上智大学100周年記念と自分たちの「銀祝」が重なりました。
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 記念のミサの様子。私は出席しませんでした。
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 「銀祝」化学科の集合写真。プロが撮る写真はやはりきれいですし、みんな笑顔でよく撮れています。038.gif
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 この写真を撮ろうと思いましたが、すぐに終わってしまいました。しかしプロのレンズはしっかりと捉えていました。どうしても撮りたいという写真ではありません。037.gif
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 現役の学生さんたちによる校歌斉唱。同窓会であった25年前の同窓生がそんなに年をとっていないと書きましたが、現役の女子大生には敵いません。肌のハリがちがっていました。038.gif037.gif
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 映画「奇跡のリンゴ」を見に行ってきました。いい映画でした。内容は書きませんが、風景として日本百名山の岩木山が背景になっていました。7月の3連休に行ってきます。038.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 梅雨にふさわしい花は「あじさい」でしょう。「あじさい」は、普通は青色ですが、開花中に白から藍、藍から淡紅色に変化するので、別名「七変化」「八仙花」とも呼ばれます。小さい花がいっぱい集まって、マリのような形をしていますが、実はそれは萼(がく)の変形で、実を結ばず、装飾花といわれます。

 「あじさい」は日本が原産で、古く『万葉集』にその名が出てきます。「紫陽花」と書かれるのは、中国の詩人白楽天の詩からきています。西洋にこの花を紹介したのは、有名なシーボルトで、学名を、自分の愛人長崎丸山の遊女“お滝さん”の名をとって“オタクサ”とつけました。「あじさい」の花言葉は“無情”です。寂しい感じを与えているからでしょうか。

   うるはしき色は匂へど何となく 淋しく見ゆる紫陽の花

 明治天皇のお歌です。吉行淳之介の短編に『紫陽花』がありますが、この中で“縁起の悪い花だ”と書かれています。これは、よく寺院に咲いているためでしょう。寺院と「紫陽花」では、鎌倉の明月院が全国的に知られていて、別名「あじさい寺」と言われています。

 6月15日ごろの花の見ごろには、北鎌倉の駅から、寺院まで、訪れる人波でごったがえします。戦後、近藤菊夫住職が、古寺巡礼で訪れる人々のために植えたのが、いつの間にか主客転倒で、花見の客に変わってしまったそうです。それにしても近藤住職の努力がなければ、こんなには有名になりません。

   紫陽花や白よりいでし浅みどり  渡辺水巴

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 さて今年は同窓会が4つもあります。すでに「銀祝」は終了しました。6月29日(土)、2つ同窓会がありました。その1つめは都立雪谷高校の創立100周年記念の同窓会が六本木ラフォーレミュージアムで行われました。
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 私は折角の100周年記念同窓会は母校の雪谷高校で開催してもらいたいと思いましたが、アルコールが入った飲食を伴うため、現在の校長が高校での開催を許可しなかったと聞きました。大変に無粋な校長だと思いますが、私たちが高校生の時とはちがって、現在は教員も役人のようになっているようです。
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 写真はフジテレビアナウンサーの須田哲夫で、雪谷高校の卒業生だったようです。
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 あまりの混雑ぶりに、用意されていた食料もすぐになくなってしまい、ドリンクをもらうにも長蛇の列でした。料理は体に悪い唐揚げしか残っておらず、知っている人もいないので唐揚げをかじりながらチェアガールを見たら帰ろうと思っていました。068.gif
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 缶ビールを飲みながら、狭い会場内をフラフラとしていると、30年前の同級生に会うことができました。向こうから私のほうを気がついていただきました。「銀祝」のときにも言われましたが、私は30年前の高校生の時と比べて、あまり変わっていないそうです。写真は30年前の女子高生です。お二人とも高校生の時はとても可愛かったことを覚えています。あれから30年が経ちました。037.gif
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 ツーショットで写真を撮っていただきましたが、あまり嬉しくありませんでした。041.gifやはり30年前、一緒に写真を撮っていただきたかったですね。041.gif
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 同学年の男性が私以外には2名来ていました。男性は面影がはっきりと残っていました。一緒に写っている男性はまったく同じ顔でした。体つきは太くなっていました。また先生も何名か会場にいらっしゃっていました。体育の清水よう子先生は私を見て、「あの色の白い子ね。」と声をかけてくれました。私が「色は白いけど、腹は黒い子でした。」と答えると、先生はすかさずに「それは今でしょ。」と切り返されました。その先生ももう75歳だそうです。038.gif
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 こちらの女性はお名前を伺いましたが、記憶になく、今回初めてお話したと思います。帰宅してから、卒業アルバムを引っ張り出して見ると、まったくの別人になっていました。30年の長さを改めて思い知らされました。037.gif
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 思いもよらない人から声をかけていただきました。普段、山登り、おしきせの会仲間の森ちゃんと野球をやっている堀口さんです。森ちゃんから雪谷高校の知り合いがいると聞いており、いずれ一緒に飲みましょうということになっていましたが、今回の同窓会で会うことができるとは思いませんでした。その堀口さん夫妻と一緒に記念撮影しました。038.gif
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 右の男性、藤岡さんも森ちゃんと野球仲間だとおっしゃっていました。森ちゃんの知り合いに高校の同窓会で二人も会うことができました。038.gif
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 往年の女子バスケットクラブのメンバー。もう太ももを見せることはできません。041.gif
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 最後に記念撮影をして、私は2つ目の同窓会、ゲンダマ会に向かいました。024.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

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 6月29日(土)は2つ同窓会があり、2つ目は毎年恒例のゲンダマ会に行ってきました。038.gif
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 ゲンダマ会の冒頭、40年間、ゲンダマ会の会長を務めてきた杉浦さんから、井上さんへの会長交代がありました。写真は会長辞任の挨拶をする杉浦前会長。杉浦さんは私が学生の時から会長でした。038.gif
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 満場一致で選出された井上新会長。40年間頑張ってください。038.gif
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 左から井上新会長、すっかり年をとった大先輩、弦さん。
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 そして今年のゲンダマ会には、珍しい方が2名いらっしゃいました。お一人は平形さんです。先日の「銀祝」で奥さんにお会いした時に、6月のゲンダマ会に夫婦で是非来てくださいとお願いしていました。最初、私に向かって笑顔で手を上げるで、誰だかわかりませんでしたが、名札を見て平形さんだとわかりました。すっかり立派な体格になられていました。30 kgのweight gainだそうです。写真は池内先生と平形さん。
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 杉浦前会長、池内先生と記念撮影。
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 遠藤先生、遺影に使ってください。037.gif
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 弦さんと記念撮影。
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 挨拶をする佐藤弦先生。
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 もうひとかた、ゲンダマ会にめったに来ない星野さんがいらっしゃいました。星野さんは、今年長崎大学の副学長に就任されたそうです。病弱のため、学生の時とまったく体型が変わりません。星野副学長を囲んで記念撮影をしました。038.gif
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 皆さん、また来年のゲンダマ会で会いましょう。038.gif024.gif


新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地




 
次回こそ猫魔岳・磐梯山の報告をします。060.gif

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by ryott-ryott | 2013-06-30 11:57 | 都立雪谷高校100周年同窓会

景風と夏雲の日和田山・天覧山を行くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 6月30日、6月の最終土曜日は「ゲンダマ会」の日です。ゲンダマ会とは上智大学の分析化学研究室の同窓会の名称であり、分析化学研究室ができた当時、けん玉が流行しており、先生の佐藤弦先生のお名前とけん玉を掛けて「ゲンダマ会」と命名されました。その佐藤弦先生も今年82歳を迎えたそうです。私を含めた、その当時の学生だった卒業生はどんどんと歳をとっていくことが目に見えてわかるのに対して、弦さんはますますお元気で、私が学生時代の時からその風貌はまったく変わっていません。038.gif
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 来年の2013年で上智大学は100周年、理工学部は50周年を迎えるそうです。今年の1月に広島へ行ったときに、ピースボランティアの方から原爆ドームを設計したヤンレツルは上智大学の校舎も設計しているということを教えていただきました。そのことを佐藤弦さんはじめ、何人かの先生方にも尋ねましたが、みなさん、ご存知ありませんでした。しかしながら、100年前に建築された可能性があるのは、この1号館しか考えられません。
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 みんな、歳をとりました。頭髪は黒、白、肌色と3色になってしまいました。江戸時代ならば、みんな死んでいる年齢です。041.gif037.gif
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 弦さんと杉浦会長と記念撮影。
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 清水先生はいつも肌が浅黒く日焼けしており、遊んでいるとしか思えません。037.gif
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 池内先生は普段、山歩きをされるそうです。若い時は、今できないことはまた来年やればいいと考えていたそうですが、最近は今やらなければいけないと考えるようになったそうです。私もそうです。038.gif
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 お年寄りと写真を撮るよりも、やはり若い人と一緒に撮るのが一番うれしいですね。037.gif
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 あいさつをされる佐藤弦先生。
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 あいさつをされる池内先生。
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 ゲンダマ会が終わって、イグナチオ教会の上に月が出ていました。072.gif
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 大井町に戻ってきて、もう少し飲みたくなって、勇才さんに立ち寄りました。068.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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7月4日は、アメリカの独立記念日です。

15世紀の末、コロンブスがアメリカ大陸を発見した時、彼はインド大陸と思い込んで、そこに住む民族を「インディオ」(インド人)と呼びました。当時、インディアンは、この大陸に約500万人、500部族が生活していたと推定されています。
 
17世紀に入ると、ヨーロッパからの入植者が増え、先住民であるインディアンを駆逐して、大西洋岸北米大陸に、イギリス、フランス、スペインが支配する13の植民地が出来ました。1754年、植民地の領土争いが起こり、アメリカに入るイギリス人がフランスを破りました。この戦争で、イギリス軍の少佐に任命され、故郷のバージニア軍を率いて手柄をたてたのがジョージ・ワシントンです。

この戦争で勝ったイギリスは、財政が悪化し、次々にアメリカ植民地に重税を課しました。13の植民地の人々が猛反対したのは当然です。1775年6月、13州の人々はフィラディルフィアで大陸会議を開き、7月4日には、ついにイギリスからの独立を宣言しました。そして大陸軍の総司令官に、再びワシントンを任命したのです。以来8年間、苦しい独立戦争が続きましたが、フランス、スペインの義勇軍の応援もあって、ようやく1783年、イギリスに勝利し、独立を承認させることができました。

 1787年、憲法が制定され、「アメリカ合衆国」が誕生しました。翌年の大統領選挙には、満場一致で初代大統領にワシントンが選ばれました。
アメリカ国旗に13本のストライプがあるのは、このときの13州を表しています。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 さて7月4日(水)、平日ですが休みを取って、埼玉県飯能市の高麗まで行ってきました。今年の大目標であった剱岳の登攀をアミューズトラベルから断られてしまったことは前回報告しました。今年の目標である剱岳に行きたいという気持ちは変わらず、歩みの会でお世話になっている西村さんに個人ガイドを紹介していただきました。歩みの会では皆さん日本百名山をすべて完登されていますが、アミューズで年齢制限のある山登りは個人ガイドに依頼して登られたということを聞いていました。

 紹介していただいた山旅クラブの富澤さんに剱岳の個人ガイドをお願いしたい旨を連絡したところ、どのぐらいの技術であるのか見たいので、山旅クラブの岩場講習会に一度参加してほしいと話がありました。急遽、日和田山と天覧山での3点確保の講習会を受けるために、西武池袋線・秩父線の高麗駅に向かいました。
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 日曜日の天気予報では7月4日は傘マークがついていましたが、梅雨明けしたのではないかと思うくらいの青空が広がる好天でした。6月以降、小川山以外は雨具を使っていません。058.gif
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 午前8時31分に高麗駅で待ち合わせ。私以外にはお二人が講習会を受けに来ており、ガイドの富澤さんを入れて4人です。そのうちのお一人の方が、私を見て、先週の四阿山に行っていなかったかと尋ねてきました。その方も四阿山のツアーに参加されていたそうです。いつものように私が饅頭を配ったので、私のことを覚えていてくれました。038.gif
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 高麗川。高麗川の水はきれいです。
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 日和田山には高さ20 mの男岩、高さ10 mの女岩がありますが、そのような大きな岩ではなく、数 mの岩で3点確保の講習を受けました。ハーネス、安全環、ヘルメットをつけて、ホールドを探しながら岩場を登り、クライムダウンとテンションで登った岩を降りて行きます。クライムダウンとは3点確保でホールドを探しながら自分の力だけで降りて行きます。テンションとはザイルにぶら下がって降りて行きます。安全環は互い違いに装着します。
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 準備をする富澤さん。
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 3点確保をしながら岩登り。最初の登りは難しく感じました。足の置き場、手の置き場であるホールドを探しながら岩登りをしますが、そのホールドが小さく、足のつま先部分を岩面に垂直にホールドに掛けなければならないところを、足を横にしてしまいがちになったり、大きなホールドを求めて、体が伸びきってしまい、なかなかうまくできませんでした。お二人の先輩の岩登りの姿勢をお手本にして真似ながら挑戦しました。
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 テンションで岩を降りています。ザイルに頼り切って、足を肩幅に開き、足の裏を岩面につけながら降りて行きます。
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 3点確保の練習を約2時間ほど行い、日和田山を降りて、高麗峠を越えて、天覧山に向かいます。この水場の水は飲まないほうがいいそうです。
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日和田山の下でお昼休憩をとりました。
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 次に巾着田を通り、天覧山に向かいます。巾着田は秋になると彼岸花で真っ赤になるそうです。056.gif
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 振り返ると日和田山が見えます。
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 アジサイの花がたくさん咲いていました。056.gif
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 馬がいました。
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 高麗川では多くの人が水遊びをしていました。道の途中にあった温度計を見ると31 ℃を指していました。私もザックをかなぐり捨てて、高麗川に入って行きたくなりました。
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 奥武蔵自然歩道から高麗峠を経て、天覧山の山頂に向かい、山頂の下の岩場で再び3点確保の練習を行います。
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 高麗峠で記念撮影。
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 高麗峠で休憩をし、20分くらいで山頂につきました。標高197 mの低山です。
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 天覧山の名称の由来が書いてありました。愛宕山から羅漢山、そして明治天皇が視察に訪れたことから天覧山と改称されました。
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 天覧山からの風景。晴れてはいても、やはり梅雨時で雲が多く、周辺の高い山は見えませんでした。
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 遊歩道を外れて、山頂の下の岩場に降りて行きました。ここで再び3点確保で岩登りの練習をします。
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 ハーネスをつけて、安全環にザイルを通します。
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 お二人の先輩は足の置き場がないのではないかというような小さなホールドに足を掛けて、岩場を登って行きました。
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 テンションで降りるときは、岩の面に足の裏をぴったりと付けて、体が岩の面に垂直になるように立ちます。足は肩幅くらいの開き、右手をザイルに添えて、左肩越しに下を見ながら、足を下の岩面に移動させて降りて行きます。
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 いい歳、りょうちゃんも挑戦。大きなホールドばかり選んでしまいます。
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 手足を掛けるホールドを探しています。
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 テンションで降りる練習。日和田山での練習に比べて、少しだけコツがわかりました。
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 3点確保は普段の山登りでもやりますが、ハーネスをつけての練習ははじめてやりました。しかも一見、足がかかるかどうかわからないような足場に足を掛けて、岩をよじ登ったため、翌日以降しばらく腕と足が筋肉痛でした。
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岩場トレーニングのあと、山旅クラブの富澤さんから剱岳の個人ガイドを引き受けてもよいとの回答をいただきました。そして「体重を1~2 kgは減らすようにしてください。」とも言われました。体重を1~2 kg減らすだけでも随分と負担がちがうとのことです。8月30日(木)から3泊4日で剱岳に行ってきます。024.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(中島みゆき/荒野より)

荒野より(作詞:中島みゆき、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

夜が
望みは何かと訊かれたら君がこの星に居てくれることだ
力は何かと訊かれたら君を想えば立ち直れることだ

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

朝陽の昇らぬ日は来ても君の声を疑う日はないだろう
誓いは嵐にちぎれても君の声を忘れる日はないだろう

僕は歌っているだろう君と歌っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は生きているだろう君と生きているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない
荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない


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 7月7日と8日は編笠岳~赤岳に参加させてもらえなかったので、7日は囲碁大会に、8日はディズニーランドホテルでの日本酒試飲会に行ってきました。
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 ディズニーランドホテルでの日本酒試飲会は1年に1回開催されます。今回は16の酒蔵さんと浦安の地ビールのハーヴェストムーンが来ていました。
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 明鏡止水「日本の夏」。
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 ハーヴェストムーンの地ビール。
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 料理の写真をあまり撮っていませんでしたが、会場の周りに、たくさんの料理が並べられていました。
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 雁木さんのスパークリング日本酒。
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 浦安湯屋のかずさんも来ていました。今日の日本酒試飲会は阪急の佐藤さんに誘っていただきました。
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 浦安の松乃井さんでの試飲会にお酒を出していた「天明」の蔵元さんも日本酒を出していました。
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 黒龍の蔵元さんから、「このような日本酒試飲会にはよく参加するのか?」と聞かれて、年に2回ほど川崎のBEでの試飲会に行くことを話すと、「西山さんに宜しく伝えてください。」と言われました。
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 試飲会終了後、新浦安のオシャレな店で2次会をして、帰ってきました。新浦安にもお店があるんですね。038.gif
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
7月の3連休、白馬岳に行ってきます。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2012-07-12 12:40 | 日和田山・天覧山

生きることは時間を元に戻すことができないことヽ(^o^)丿

旅行・地域
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)060.gif

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村

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 6月最終土曜日は毎年恒例のゲンダマ会へ行ってきました。ゲンダマ会とは分析化学研究室の指導教官であった佐藤弦先生のお名前と、その当時、大流行していいた剣玉を合わせて命名された同窓会の名前です。018.gif
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 今年は3月11日に東日本大震災が起こり、その後何もかもが自粛されてしまい、果たしてゲンダマ会が例年通り開催されるのか気になっていたところでしたが、無事に開催されました。これは分析化学研究室の先生方、学生さんの努力のお陰だと思います。038.gif
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 そして今年から研究室には、化学科ではない新生学科に入学した学生さんたちが卒業研究生として分析化学研究室に入って来ていました。そして彼らはみんな平成生まれです。ついに平成生まれの学生さんたちが4年生として入って来る時代がやってきたのだなと思いました。
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 江戸時代の人がいなくなり、明治時代の人がほとんど居なくなっていくように、昭和生まれもまた時間の流れに淘汰されていきます。卒業してしまうとなかなか同窓会に足を運べなくなるのが実情のようですし、健康上の問題もあるでしょう。しかし、その中で私たちを指導して下さった三人の先生がたはとてもお元気で、私たちが学生のときとまったく変わっていませんでした。038.gif
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 特に弦さんは最近、ぎょうせいという聞き慣れない出版社から「化学熱力学への誘い生命科学・化学を学ぶ人たちへ」という熱力学の入門書を執筆されたそうであり、ゲンダマ会で宣伝していました。ゲンダマ会の杉浦会長が「よく寝れる本」と揶揄する場面もありましたが、熱力学の特徴は時間の流れをもとに戻すことができない唯一の学問であり、他の時間をもとに戻して考える物理学とは違うということをおっしゃっていました。そして生きているということは、まさに時間の流れを元に戻すことができないという状態であり、「生きていること」を学ぶ学問が熱力学であるという名言をお話になっていました。038.gif
 
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大学の売店で販売されているというので売店に行きましたが、もう閉まっていました。

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(中島みゆき/宙船)

宙船(作詞、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか
その船は今どこで ボロボロに進んでいるのか
流されまいと逆らいながら
船は挑み 船は傷み
すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は自らを宙船(そらふね)と 忘れているのか
その船は舞い上がるその時を 忘れているのか
地平の果て 水平の果て
そこは船の離陸地点
すべての港が灯りを消して黙り込んでも
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

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ラフカディオ・ハーン。日本に帰化して小泉八雲と名乗りましたが、この人ぐらい異国人でありながら、日本を愛し、日本の思想、風俗、歴史、伝統芸能に精通し、それを明治時代に世界へ紹介してくれた人は、他にいなかったように思います。

「知られざる日本の面影」「日本雑記」などの評論の他、「骨董」「怪談」など、すぐれた短編小説を海外で発表し、大変な反響を呼びました。
特に「怪談」のなかの一遍“耳なし芳一のはなし”は有名で、戦前の国語の教科書に載りましたし、戦後は映画にもなりました。

ハーンは1850年6月27日、ギリシャで生まれました。父はアイルランド系英国人、母はギリシャ人でした。父母が離婚したので、単身アメリカに渡り、新聞記者をしながら東洋の研究、特に日本について勉強しました。明治23年、彼が40歳のとき来日しました。ニューオリンズの万国博覧会で知り合った文部省事務官服部一三の世話で、松江市の旧制中学、師範学校の英語教師として、松江に赴任したのが、彼の生涯を決定づけました。

 この土地で、松江藩士の娘、小泉節子と結婚しました。妻の姓と、出雲の故事が気に入って「小泉八雲」と姓名をかえ、日本に帰化したのです。その後、五高(熊本)、東大、早稲田大学で教鞭をとりながら。作品を書き続け、明治37年9月26日、東京の自宅で亡くなりました。54歳でした。彼の功績は、日本を海外に紹介しただけではなく、逆に欧米の文学を日本に紹介した点も見逃すことはできません。松江市には、彼が新婚時代を過ごした武家屋敷が、そのまま記念館として保存されています。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(コブクロ/あの太陽が、この世界を照らし続けるように。)

(映画「岳」予告編)

あの太陽が、この世界を照らし続けるように。
(作詞、作曲:小渕健太郎)
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どんな悲しみにも ひとつの意味を注ぐように
世界中の夜に 朝を連れてくる太陽
ぼくは彷徨ってた 生きる意味を探して
君に出逢うまでの僕じゃ あの壁は越せない

この手は君を守るため この瞳は君を探すため
こころは君を愛すため この命は君と生きるため
ぼくに生きる意味をくれた その微笑み

人ごみに紛れて 逃げ出すのは容易くとも
一人きりの夜に 孤独から逃げ出せない
ガラス玉のような心を抱え生きてる
落とすたびに砕け散った 涙を忘れない

転がりながら辿り着いた 今がいつも君だけの頂上
心のままに生きてゆけば 時には人はぶつかり合うけれど
その魂に刻まれた模様はきっと 美しきヒビとなる

どんな命も輝いてる
あの太陽が、この世界を照らし続けるように

この手は君を守るため この瞳は君を探すため
こころは君を愛すため この命は君と生きるため

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 理工学部には化学科のほかに物理学科、数学科、機械工学科、電気工学科の5つの学科がありましたが、統合されて新しく物質生命理工学科、機能創造理工学科、情報理工学科の3つの学科ができました。2008年のことだそうです。その前年のゲンダマ会で清水先生が理工学部から化学科がなくなってしまうという報告をされて、涙を流している卒業生、研究室の学生さんがいたことを覚えています。
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 残念なことに理工学部が有明に移転する話も、7号館の横に理工学部の新校舎を建てる話も今は立ち消えになっているそうです。清水先生は、理工学部の新しい校舎を建てるために、統合しなくてもよかった5学科を統合したのにもかかわらず、新しい校舎を建てる話がなくなってしまったことに対して、「理事長はみんなを騙して嘘をついた!」と言って、大変にご立腹でした。私もそう思います。
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 以前にも報告しましたが池内先生は退職後は絵を描いたり、山に行ったりの悠々自適の晴耕雨読の生活を送られているそうです。何とも羨ましい限りです。私も早く退職したいと思いました。そして今度一緒に山歩きをしましょうと約束しました。先生はもう年なのでたくさん歩けないとおっしゃっていましたが、私が明日、谷川岳に行く予定であると話すと、谷川岳はこんな山であるとお話してくださいました。

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(小柳ルミ子/星の砂)

星の砂(作詞:関口宏、作曲:出門英、歌:小柳ルミ子) 060.gif


二度と出来ない恋を捨てあなた遠く
離ればなれになってゆくの 今つらいわ

嫁ぐ日岬にひとりたたずみ君住む島に
別れを告げる
凪いで凪いでまぶしいサンゴの島が
にじんで落ちて 星の砂

過ぎし日 二人は海辺に遊び
変わらぬ愛を 夕陽に祈る
いつかいつか 二人は運命にさかれ
私は遠く 石垣へ

髪にかざした ブーゲンビリア
そえぬ運命に赤く咲く
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい 星の砂

ルルル・・・・・ルルル・・・・・
ルルルル・・・・・

風よ吹け 波よ打て
それであなたにつぐなえるならば
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい この想い
届けてほしい この想い

 
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 そして現在の分析化学研究室の教授の早下先生から、昨年度は国際学会で5人の学生さんがポスター賞を受賞されたというお話がありました。私が通学していたころには私も含めて優秀な学生はそんなにいませんでしたが、現在の分析化学研究室は優秀な学生さんが支えていることは間違いないようです。
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by ryott-ryott | 2011-06-27 23:29 | ゲンダマ会

いい歳、りょうちゃんの「いいこと」との邂逅ヽ(^o^)丿

旅行・地域

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らてこんさんから、この場所はパワースポットであることを指摘されました。072.gif

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最近は火曜日の大井町湯屋でインストラクターの高島梓さんと世間話をするのが習慣化しています。高島さんは、おばあさんと親子三代で洗足池の近くに住まわれているそうです。洗足池の近くにある環七と中原街道の交差している場所は戦時中、戦争で命を落とした人の亡骸を並べており、今もなお、その場所には幽敵が彷徨っているので、おばあさんから行ってはいけないと教えてもらっているというお話を聞きました。夏になると、このような話題が増えますね。045.gif
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川崎のビルから見た景色
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そして今週はたくさんの再会、集いがありました。まずは日曜日。私がお世話になった大学院の先生が今年3月に定年退職され、そのお祝いの同窓会がありました。先生は私が卒業して1年後に他の大学へ移られたため、研究室の同窓会ははじめて開かれました。研究室の方々との再会は18年ぶり、先生は18年前とほとんどお変わりないのですが、その当時、学生だった方たちは明らかに年相応の風貌へシフトしていました。男性は、頭の黒い部分が減り、白と肌色の部分が大分広がっていました。037.gifしかし、そこにはまぎれもなく18年前の研究室で一緒に学生生活を送った仲間が集っていました。

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琴を愛好するする人なら、宮城道雄の名前を知らない人はいないでしょう。
盲目の邦楽家、宮城流筝曲の家元として、作曲に演奏に、幅広い活躍をされていました。
しかし、“盲目でも人手をかけない”の主義が災いし、昭和31年(1956年)6月25日、演奏旅行途中の夜行列車から誤って転落し、不慮の死を遂げました。享年62歳でした。
 『春の海』『秋の調べ』『水の変態』『越天楽(えてんらく)変奏曲』など、彼の作曲した名曲の数々は、今や古典として永遠に残されていくでしょう。
 宮城道雄は、明治27年(1894年)、神戸に生まれました。2歳で母と死別、祖母に育てられましたが、7歳のときに失明し、8歳で二代目中島検校に預けられ、筝曲の指導を受けました。
 13歳になると、祖母に連れられ、病気になった父のいる朝鮮の仁川にわたり、そこで琴と尺八を教えて一家の生活を支えました。ここでの大きな収穫は、軍楽隊と仲良くなり、外国のレコード、演奏を通じて洋楽の勉強が出来たことです。
大正6年(1917年)、帰国した彼は、すぐさま上京し、洋楽と邦楽を融合させた“新日本音楽”の運動を興しました。
 自らも創作活動に力を入れ、注目を浴びる幾多の名曲を生み出していきました。
 昭和12年(1937年)、東京音楽学校邦楽科の教授に迎えられましたが、前後、芸大と名称、組織が変わったときに、ほかの官学出身の教授たちから、学歴のない盲人の教授はおかしいとクレームがつけられ、この偉大な音楽家も講師に格下げされました。
 日本の芸術家の心のせまさの典型です。芸術の世界における派閥、官尊民卑の多いのは、日本だけでしょうか。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに


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そして、6月25日金曜日は、普段、大井町湯屋でヨガの指導にあたられている、スピリチュアル・ヨガインストラクターのらてこんさんとお食事する席に同席することが出来ました。大井町湯屋仲間の吉田さん夫妻がらてこんさんをお食事に御招待し、その席に私も呼んでいただきました。場所はゼームス坂にある鉄板料理屋の「八天(はってん)」というお店。最初に吉田さんの奥さんからゼームス坂のお店を予約したと聞いた時には、「そんな、こきたない店にらてこんさんを連れて行っていいの?」と心配しましたが、とてもゼームス坂にあるお店とは思えないほど、スタイリッシュでお洒落なお店でした。ゼームス坂というだけで「お洒落な店は存在しない」という偏見を持ってはいけませんね。041.gif
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4月以降、日曜日は休日出勤が多くて、なかなか、らてんこさんのレッスンに参加できていなかったので、らてこんさんにお目にかかるのは実に2ヵ月ぶりでした。らてこんさんは相変わらず、おきれいで、熊野古道へ参詣してからは益々運気が巡っているとのことです。
 私が青森の旅で撮影した写真をらてこんさんに見ていただくと、円覚寺の写真にはたくさんの精霊(オーブ)が写っており、そのような場所は今話題のパワースポットであるとおっしゃっていました。らてこんさんから、近いうちに私の身に「いいこと」があるとおしゃっていただきました。
そして、吉田さんの奥様から8月の最終土曜日と日曜日に富士登山をしようとのお誘いが唐突にあり、何故か私も行くことになってしまったようです。行動の早い吉田さんの奥様はすでに申し込みをされたとの連絡が翌朝ありました。富士山頂の酸素濃度は13 %、通常、酸素濃度が18 %未満の職場を酸欠職場といって危険であることを考えると、富士登山はとても「いいこと」とは思えません。断るべきだったでしょうか。
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 今週の土曜日は、大井町湯屋は風呂だけにして、毎年6月最終土曜日に開催されるゲンダマ会に行きました。ゲンダマ会とは私が出た大学の分析化学研究室の同窓会名です。昔は今と違って任天堂DSやiPadなどは当然なくて、けん玉がゲームとして流行しており、指導教官の佐藤弦先生の名前と合わせて、ゲンダマ会と名付けられたと聞きました。
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 何年か前にゲンダマ会に参加した時は、理工学部が組織改編で化学科という名称がなくなってしまうというお話を聞き、そのことに涙を流している方がいたのを覚えています。その新生・理工学部のビルを同じ大学構内に建築し、2010年に完成するということでしたが、いろいろな思惑があって、ストップしてしまっているそうです。有明の方に理工学部を移すという案も上がっているとのことですが、理工学部の大部分の方は四谷を離れることに反対しているそうです。
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 もうひとつ驚いたことは、私が大学を卒業したころ、そして、しばらくの間は研究室に所属する学生数は毎年10数名でしたが、現在、分析化学研究室は30名以上であり、その半数が女学生であることです。私から見れば羨ましい限りですが、今の男子学生からすると女性の権力が絶大で閉口気味なんだそうです。
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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん)060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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by ryott-ryott | 2010-06-27 02:35 | 同窓会