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2016年明けましておめでとうございます

登山
旅行・地域
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2016年明けましておめでとうございます。
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 昨年は4月に大洗への転勤を命じられて、山行へ出かけることができるのか、案じる日々が続きましたが、無事に日本百名山を5年と44日かけて登りきることができました。お力添えいただいた皆さんに改めて感謝申し上げます。
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 いろいろな方から日本百名山の次の目標を尋ねられますが、今年は目標を持たずに、まぁ1ヵ月に2回くらい山歩きできればよいと考えております。
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 今回は山行の報告ではなく、毎年恒例の初日の出の写真を掲載します。元日の日の出が初日の出であり、元旦といいます。この元旦は2011年からの5年間を見ると、2011年と2014年の2回しか見ることができていません。昨年2015年は曇り空で元旦を見ることはできませんでした。
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 普段大洗にいるときは出勤前に晴れていれば大洗磯前神社神磯の鳥居からの太平洋のご来光を見ていますが、東京にいるときは大田区城南島海浜公園から東京湾のご来光を見ることにしています。今年の元日は東の空を見上げるとオレンジ色に染まっていたので、初日の出を見ることができると判断して城南島海浜公園に向かいました。
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 城南島海浜公園は大井町駅からタクシーで20分です。バスも走っていますが、バスの走行時刻を待っていると、日の出時刻には間に合いません。
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 元日以外はほとんど人がいない城南島海浜公園も元日は初日の出を見に来る人で車も人も大混雑でした。
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 東海上には太陽1つ分くらいの雲が横たわっていましたが、午前6時50分過ぎに、太陽が雲の中から顔を出しました。その瞬間、集まっている民衆から大歓声があがりました。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)
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 初日の出を見たあととは、大井埠頭中央海浜公園に立ち寄り、皇帝ダリアを見てきました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 本来ならば12月31日にその年最後の夕日を見ることにしていますが、2015年の大晦日は曇り空であきらめました。その代わり、元日の昼間は快晴で、夕日を見に幕張海浜公園に出かけました。
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス


 
次回は伊豆ヶ岳の報告をします060.gif

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by ryott-ryott | 2016-01-02 13:23 | 2016年初日の出 | Comments(0)

2014年明けましておめでとうございます/元旦の朝

登山
旅行・地域
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 2014年明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。おかげさまで昨年2013年は目標としている日本百名山の山頂踏破は75座を数え、4分の3を終えることができました。今年の目標は特に設定せずに、ひとつひとつこなしていこうと思います。038.gif
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 この年末年始はとくに山歩きに出かけておりません。毎年のことですが年末年始の風景として、朝焼け、夕景、冬の花、クリスマス会などを写真に撮りましたので掲載します。
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 12月23日(月)じゃんけんぽんのトントンさん、はるさんにクリスマス会にお招きいただきました。お店は大森のイタリアンレストランのBACCOです。068.gif
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 写真は三浦大根など三浦半島で採れた野菜の前菜です。
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 魚の名前を聞きましたが忘れてしまいました。三浦半島の近傍で獲れた魚のカルパッチョです。
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 手前の白い部分はハチミツが塗ってあり、甘いピザです。チーズとハチミツはとても合いますね。
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 ラザニアです。
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 三浦半島で採れた野菜のパスタです。
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 三浦半島で獲れた魚と肉の盛り合わせです。
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 髪型を変えたトントンさん、早々と寝てしまいました。037.gif
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 左から美紀おばさん、岡田家のお嬢さん、岡田ママさん。美紀おばさんと岡田ママさんは顔に自信がないためピースで顔を隠しています。いっそのこと、すべて顔を覆ってくれれば写真の邪魔になりません。041.gif
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 したがって、美紀おばさんと岡田ママさんを抜かした写真がこちらです。まだ19歳だそうです。岡田家のお嬢さんは岡田ママさんに似なくて本当によかったですね。041.gif
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 家に凶暴なかみつき犬を飼っている洋子おばさんと美紀おばさん。相変わらずヒドイ面構えですね。ピースでしっかりと顔を隠してください。041.gif
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 はるさんと変態シェフ。変態シェフも「永遠の0」を見たそうですが、ピンと来なかったとおっしゃっていました。私も早々と「永遠の0」を見に行きましたが泣くことができませんでした。原作本は500ページにも及ぶ大作で、2時間ほどの映画の中に登場人物の細かい心理描写や戦争に関する情報を入れることができなかったのではと思っています。
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 最後は全員で記念撮影。左のおじさんは岡田家がよく通っているお店のマスターだそうです。マスターさんが撮った写真はどれも使えませんでした。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 毎年恒例にしていることにその年の終いの夕日を見に行くことにしています。最近は葛西臨海公園ではなく、JR海浜幕張駅から行ける幕張海浜公園に行っています。12月31日(火)は風もなく穏やかな1日でした。遠くのほうにヨットが浮かんでいました。
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 翌日の元日は新月で、この日も潮が満ちてきており、水に入らなければ堤防に上がることはできませんでした。
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 空を紅く染めながら、太陽が徐々に沈んでいきます。
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 海には水鳥がたくさん浮かんでいました。
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 毎年、今年最後の夕日を見に来る人は数えるほどしかいませんが、今年は珍しく50人ほどの人が見に来ていました。
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 大晦日、地平線近くの空は霞んでいて富士山は最初は見えませんでしたが、夕焼けに炙り出されてきました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

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 年が明けて2014年。紅白なんかを見て夜ふかしなんてしていられません。毎年恒例の初日の出を城南島海浜公園へと見に行きました。昨年、一昨年は雲が多くて元日に初日の出を見ることができていないため、見ることができれば2011年以来3年ぶりの元日の初日の出になります。朝5時前におきて、タクシーを呼びました。城南島海浜公園に行くにはバスか徒歩しかありません。徒歩で行くと2時間もかかるため、往きはタクシーを利用します。大体3000円弱かかります。通常ならば、大井町駅前からタクシーを拾うのですが、元日はタクシーが並んでいないことがあるため、電話でタクシーを呼びました。それでも元日はタクシーの台数が少ないために断られることが度々あります。
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 太陽が顔を出しました。058.gif
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 空を赤く染めながら、太陽が昇ってきました。それと同時に周囲からは大歓声が上がります。普段、ほとんど人がいない城南島海浜公園も元日だけは初日の出を見に来る人が大勢いて、公園の砂浜を埋め尽くします。071.gif
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 今日は新月のため、潮が満ちて砂浜に潮だまりが出来ています。
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 初日の出を拝んで、2014年を健康に乗り切ることができるように祈り、家に帰ってきました。写真は年末に戸越銀座で買ったのし鳥と西山さんから買ったローストビーフです。のし鳥とは鶏肉をのして(伸ばして)、卵などで固めて焼いたおせち料理です。「のし」とはのし紙の「のし」で、おめでたいときの贈り物に使う包み紙です。昔はのし鮑が使われていましたが、簡素化されてのし鮑をかたどった「のし」紙になり、「のし」紙を見立てたのし鳥という料理ができました。「おめでたい」という意味がある料理です。038.gif
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 さて今まで2011年の初日の出の写真を表紙に使ってきましたが、今日から写真を変えることにしました。しかしながら2014年元旦の写真ではありません。年末年始は天候がよくほぼ毎日朝日を見ることができています。元日の日の出の写真は少し霞みがかっていたため、次回きれいな初日の出を撮ることができるまでは前回紹介した12月30日(月)に撮った日の出の写真を表紙として使うことにします。038.gif


新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 

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by ryott-ryott | 2014-01-02 22:14 | 2014年初日の出 | Comments(0)

新春陽だまりハイク、丹沢山系の高取山・仏果山・経ヶ岳を行く

旅行・地域
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 今年も初日の出を見るため、城南島海浜公園へ出かけてきました。元日の日の出は午前6時50分です。朝5時前に起きて、タクシーを呼び、城南島海浜公園に行きました。この日の天候は天気予報では快晴でした。昨年の初日の出は空一面の曇り空で見ることができなかったため、今年は見ることができるとの期待で目的地に到着しました。
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 毎年のことですが、城南島海浜公園はいつもは立ち入り禁止になっている砂浜が解放されます。多くの人が初日の出を見るために詰めかけていました。西の空には月が浮かんでおり、上空の空は快晴そのものでしたが、東側の空を見ると水平線上には鈍色の雲がベッタリと貼り付いていました。徐々に東の空は明るくなるものの、心配したとおり、水平線から登ってくる赤く丸い朝日を見ることはできませんでした。写真が精一杯の初日の出の写真です。058.gif
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 名残惜しそうに砂浜で海を眺める人たち。
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 帰りは城南島海浜公園から大井町駅を目指して歩いて行きました。写真は途中の橋から見た東京ゲイトブリッジ。
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 大田スタジアムまで来た時、太陽もかなり上まで昇り、ダイヤモンド状の太陽を撮ることができました。
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 寒椿。056.gif
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 帰ってきて、前日に用意した料理を食べながら、酒を飲みました。写真は卵の黄身をアルミのトレイに落として、その中に醤油を入れて、醤油漬けにしたものです。半日以上経過すると固まって、いいつまみになります。日本テレビの3分クッキングで紹介していました。
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 こちらは味噌バージョン。いずれも食べ過ぎると塩分とコレステロールの摂りすぎになると思います。しかし美味しいものが健康に悪いのは常識だと思います。
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 今年は自分で焼豚を作りました。タコ糸で縛り上げた豚肉の塊を余っているインスタントコーヒーで煮て、適当に作ったタレに漬け込みました。テレビでは鳥の胸肉をコーヒーで煮たコーヒーチキンを紹介していましたが、豚肉に適応してみました。結構、食べられます。
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 戸越銀座で買ってきた豚の胃袋、耳、のし鳥です。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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社会主義の国と違って、自由主義国、わけても日本から他の国に亡命することはほとんどありません。それが、戦争前の昭和13年(1938年)1月3日、まだ日本の領土であった樺太(サハリン)の国境を、人気女優がその愛人と、恋の逃避行を兼ねて、ソ連に越境、亡命をはかったのですから、当時としては大変な話題を巻き起こしました。その第一報を伝えた新聞記事です。

「新派、井上正夫一座の女優岡田嘉子(38)がひょっこり厳寒の北樺太に登場。北緯50度の国境線近くで行方不明となり、関係方面で目下捜索中である。嘉子は実父が昔、樺太で事業に関係したところから、かねて雪の樺太にあこがれをもっていたが、この暮れ、出演契約中の大阪の劇場から1ヵ月の休暇をもらったので、若き愛人、新協劇団所属の演出家杉本良吉こと吉田好正君(32)と携えて樺太を訪問し、雪の異国情調を満喫すること2日、慰問袋その他を買い、国境線守備隊の警察官慰問に出かける旨を宿の者に残し、自動車で国境に向け出発した。」(「東京日日新聞」5日付)

 当時、亡命は確認されませんでしたが、戦後2人ともモスクワ放送局の日本向けアナウンサーとして手伝っていたことが明らかにされました。彼女はその後、モスクワ大学で演劇を学び、病死した愛人杉本良吉の遺志をついで、演出家として活躍していました。
 
しかし、“望郷”の念もだしがたく、昭和48年(1973年)、35年ぶりに日本に帰ってきました。ときどきソ連に戻ったりしましたが、日本に滞在し、たまにテレビドラマに出演したりしながら日ソ親善のために尽くしました。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 さて翌日、1月2日(水)、この日の天気予報も「快晴」でした。しかも東側の空を見るとうっすらと赤くなっていました。今日こそは初日の出が見ることができるのではと思い、またまたタクシーを呼んで、城南島海浜公園に駆けつけました。1月2日は元日とは一変し、人が数えるほどしかおらず、屋台も来ていませんでした。また砂浜も解放されていなく、扉が固く閉ざされていました。元日と2日はこうも違うものなのです。
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 東側の空には元日ほどではありませんが、やはりうっすらと雲がかかっていました。
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 徐々に東側の空が明るくなっていきます。
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 船の影から太陽が顔を出して、昇ってきました。船が邪魔です。
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 船の煙で太陽が燃えているようです。058.gif038.gif
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 これが今年の私の初日の出になりました。038.gif
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 お正月は勇才さんが営業しているというので、お店に行きました。
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 お正月らしく。
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 茶碗蒸し。
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 今日はキジが出されました。キジの手羽。
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 キジのもも肉。
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 キジの雑煮。
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 イノシシの焼肉。
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 最後は漬け丼をいただきました。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度


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 1月3日(木)、この日は山旅クラブで丹沢山系の仏果山から経ヶ岳を歩いてきました。今日のガイドはキノピー木之下さんです。午前8時30分に小田急線の本厚木駅で待ち合わせです。写真は本厚木駅東口商店街、人の乗り降りも少なく閑散としています。
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 本厚木駅前からバスに乗り、仏果山登山口前へ向かいます。バスは毎時40分発で1時間に1本しかありません。バスに乗ること約45分、午前9時25分にバス停に到着しました。
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 準備体操をして、これから登山開始になります。私が足のストレッチをしていると、木之下さんから朝は筋肉が固くなっているので、ストレッチはせずに、関節を回す程度で良いと教えていただきました。ラジオ体操が準備体操としては一番適しているそうです。午前9時30分に出発しました。
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 空を見上げると、青空の中を絹雲が流れていました。
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 目の前には宮ケ瀬湖が横たわっています。ダムでできた人造湖です。
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 登山者カードを入れる箱のそばにヤマビルを駆除する「ヤマビルファイター」のスプレーが置いてありました。春から秋にかけてはヤマビルが多く発生するそうです。
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 山歩き開始です。日差しで登りでは汗が出るほどであり、新春陽だまりハイクとなりました。
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 結構な急登です。
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 登っているときは暑いのですが、稜線で休憩を取ると冷たい風で寒くなりました。
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 宮ケ瀬の分岐点から高取山に立ち寄ることにしました。午前10時34分。
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 高取山頂上。標高705 m。午前10時47分。
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 高取山の展望台。
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 高取山展望台から、宮ケ瀬湖越しに丹沢山系が見えます。後ろの稜線が丹沢山系。
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 相模湾が見えます。
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 宮ケ瀬ダム。
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 橋本の街。
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 遠く東京スカイツリーが見えました。
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 高取山から目的地の仏果山に向かいます。木々のあいだから見える仏果山。
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 午前11時30分に仏果山山頂に到着しました。標高747 m。
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 仏果山の山頂にも展望台がありました。仏果山の展望台から見た高取山。
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 相模湾の向こうに島が見えます。江ノ島でしょうか。
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 仏果山の山頂で大休止を取り、お昼にしました。木之下さんがおしるこを作ってくれました。頂上には家族連れが来ていました。
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 午前12時00分。仏果山を出発し、半原越から経ヶ岳へ向かいます。写真は痩せ尾根を下っているところで、両側が切れており今回一番の難所でした。
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 比較的細い尾根道が続きます。
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 このように長い急勾配の階段をいくつも下りました。
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 半原越が近くなると経ヶ岳が見えました。
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 半原越から最後のピーク経ヶ岳に登っていきます。ここもかなりの急登でした。
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 半原越から登り始めてから約25分で経ヶ岳のピークに到着。標高633 m、13時57分。
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 林道をショートカットし山を下っていきます。この下りは地図では1時間と記載されていますが、1時間以上かかりました。木之下さんが言うには地図を作った人は実際に歩いて測ったわけではなく、登りの時間の7割か8割掛けしているとおっしゃっていました。
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 樹々の間から見えた最後の風景。真ん中に東京スカイツリー、右端にちょこんと立っているのは東京タワーです。私は肉眼ではわかりませんでしたが、木之さんに教えてもらい、デジカメのレンズを通して、ようやく認識できました。山旅クラブのガイドさんは共通して目がとてもいいというのが私の印象です。私が木之さんにトミーさんも目がいいと話すと、「トミーさんはその方角に何があるのか体で覚えているので、見えなくても適当に言っているだけだ。」とおっしゃっていました。037.gif
 またもう一つわかったことは、山旅クラブのガイドさんはよく「おなら」をするということです。木之さんもトミーさんと同じように道中の80%以上は放屁をしながら歩いていました。お客さんが若い綺麗な女の人でも同じようにガイドするのか一度見てみたいものです。041.gif
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 15時20分に無事に目的地に到着しました。もともと高取山には寄る予定はなかったので、予定よりとても早い到着でした。15時30分のバスに乗って、本厚木の駅前まで戻ってきました。
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 駅前の焼き鳥屋で木之さんとお酒を飲み、新年会をやりました。木之さん、ご馳走いただき有難うございました。038.gif
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 1月4日(金)はお昼に武蔵小山の「ガブ」というお店に行きました。年末に勇才さんに行った時に「ガブ」のご主人夫妻と息子さんが食事に来ており、お店を教えていただきました。このお店はタレントの石ちゃんが取材に来たこともあり、最近ではいつも長蛇の列の末にやっと食べられるというお店だそうです。今日はお正月ということもあり、お店はすいていました。営業は、昼間は11時30分から13時30分まで、夜は18時00分から23時00分まで。日曜日は夜のみの営業だそうです。土曜日が定休日です。
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 写真はその「ガブどん」です。「肉1.5」というメニューで普通のガブどんの1.5倍の270 gのローストビーフが花びらのように盛られています。一人前1700円です。
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
次回は新年山行・観音山に行ってきます。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2013-01-04 17:27 | 高取山・仏果山・経ヶ岳 | Comments(0)

A Happy New Year!ヽ(^o^)丿大歓声の2011年初日の出

旅行・地域
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 2011年お正月。年末から何箇所か初日の出スポットを探していたため、今日の元日は素晴らしい初日の出を拝むことが出来ました。
 朝4時に起床し、準備をして、城南島海浜公園へ行きました。先日の下見のときは誰もいなかったのに、今日は天気がいいこともあって、たくさんの人が初日の出を一目見ようと、城南島海浜公園に詰めかけていました。

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 東京湾の向こう側から徐徐にオレンジ色の光が増して、太陽が顔をのぞかせると、周りから新年を祝う大歓声が上がりました。
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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 社会主義の国と違って、自由主義国、わけても日本から他の国に亡命することはほとんどありません。
 それが、戦争前の昭和13年(1938年)1月3日、まだ日本の領土であった樺太(現・サハリン)の国境を、人気女優がその愛人と、恋の逃避行を兼ねて、ソ連を越境、亡命をはかったのですから、当時としては大変な話題をまきまし。
 その第一報はを伝えた新聞記事です。

「新派、井上正夫一座の女優岡田嘉子(38)がひょっこり厳寒の北樺太に登場。北緯50度の国境線近くで行方不明となり、関係方面で目下捜索中である。嘉子は実父が昔、樺太で事業に関係したところから、かねて雪の樺太に憧れを持っていたが、この暮、出演契約中の大阪の劇場から1ヵ月の休暇をもらったので、若き愛人、新協劇団所属の演出家杉本良吉こと吉田好正君(32)と携えて樺太を訪問し、雪の異国情調を満喫すること2日、慰問袋その他を買い、国境線守備隊の警察官慰問に出かける旨を宿の者に残し、自動車で国境に向け出発した。」(「東京日日新聞」5日付)
 当時、亡命は確認されませんでしたが、戦後二人ともも、モスクワ放送局の日本向けアナウンサーとして手伝っていたことが明らかにされました。
 彼女はその後、モスクワ大学で演劇を学、病死した愛人杉本良吉の遺志をついで、演出家として活躍しました。
 しかし、“望郷”の念もだしがたく、昭和48年(1973年)、35年ぶりに日本に帰ってきました。

 現在は、ときどきソ連にもどる程度で、日本に滞在し、たまにテレビドラマに出演したりしながら日ソ親善のために尽くされています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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<おまけの年末散策>
12月30日に戸越銀座の洋食屋「ブルドック」へ行って、準備中のため門前払いされたことを報告しましたが、12月31日大晦日、こりもせず、再度訪ねました。しかし、「ブルドック」も年末年始休暇に突入し、1月4日までお休みとの貼り紙。こういう時って、なかなか、そのお店に行けないものなのです。
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 戸越銀座の商店街のピークは30日なのでしょう。もうほとんどのお店が閉めており、お正月準備をしているようです。そして、牛乳屋さんで日本酒を買って、帰りました。
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 冒頭に城南島での初日の出を紹介しました。初日の出は多くの人が見に行くのに、その年最後の夕陽、ラスト・サンセットはほとんどの人が見に行くことはありません。2010年最後の夕陽を千葉県の稲毛海岸まで見に行きました。
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稲毛海岸の海浜公園まで駅から歩いて30分近くかかりましたが、大晦日の空もほとんど雲のない快晴の青空。目の前には富士山、東側には京葉工業地帯、西には東京スカイツリーを見ることが出来ました。

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by ryott-ryott | 2011-01-01 13:35 | 太陽散歩 | Comments(0)