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再始動、日本百名山の旅、新緑と石楠花の甲武信ヶ岳を行く

登山
旅行・地域
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 6月4日(水)、パルシステムで買ったスズメウリに水をやろうとしたら、プランターのそばで猫の親子が寝ていました。最初は猫の死骸が転がっているのかと驚きました。いい歳、りょうちゃんが、山で食べようと買っておいた魚肉ソーセージを投げ与えると、親子でたいらげてしまいました。
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 子猫は黒と、白と、三毛の3匹でした。三毛はまだ魚肉シーセージを食べることができないくらいの小ささで、母猫のおっぱいを飲んでいました。
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 こんな小さいくせに、りょうちゃんが手を出して触ろうとすると、「シャッー」と鳴いて威嚇してきます。誰が魚肉ソーセージをあげているのかわからないのでしょうか。恩知らずの猫です。
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 猫のその後ですが、甲武信ヶ岳から帰ってきた夕方は母猫が庭に来ていました。そして翌日も母猫しか現れませんでした。あんなに母猫にまとわりついていた子猫3匹の姿はありませんでした。週末の大雨で命を落としていなければいいのですが。何しろ、先週末の雨は6月1ヵ月分の雨量だったそうです。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(NHK日本名曲アルバム/銀色の道)


(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 昨年末から山行を含めた旅行を控えていましたが、年寄りも目を離せるようになってきましたので、6月7日(土)~8日(日)、久しぶりに山旅クラブの山行に参加しました。トミーさんに会うのは昨年10月末の両神山以来です。今回は日本百名山の甲武信ヶ岳です。いつものように、いい歳、りょうちゃんが写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。
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 5月22日に歩の会で赤城山・鈴ヶ岳に参加したものの、日本百名山は昨年12月2日に開聞岳を登って以来なので、実質的に6ヵ月以上のブランクをはさんでの今回の甲武信ヶ岳であったので、登りも降りもバテバテで、しかも普段ならば降りは得意なのですが、大腿四頭筋(前の太もも)がパンパンになり、降りで足を出すのもやっとの状態でした。やはり山は普段からコンスタントに登っておかなければならないと痛感しました。
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 6月7日(土)は東京は朝から土砂降りの雨で、こんな雨でも山行をやるのかと思いながら、特急あずさ号で塩山駅に向かいました。大雨でも新宿駅の特急あずさの乗客は結構いました。
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 特急あずさの車窓からの風景です。
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 塩山駅で7ヵ月ぶりにトミーさんと再会、いつもの高級リムジンカーで登山口まで行きました。登山口の駐車場では、山旅クラブの常連客のA柳さんと再会、まったくお変わりありません。Aさんは売店で草餅を購入されていました。
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 林道を歩き、登山口へと向かいます。予定では初日は近丸新道から登る予定でしたが、大雨の影響で渡渉しなければならない箇所もある可能性があり、危険なため、徳ちゃん新道のピストンに変更になりました。
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 午前10時26分。登山口は標高1100 m、甲武信ヶ岳の山頂は2475 m、標高差1375 m。しかも6ヵ月ぶりの山行で、予測通り厳しい山登りになりました。
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 13時02分。近丸新道と徳ちゃん新道の合流点、戸渡尾根の入口、標高1869 mまで約2時間30分。
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 戸渡尾根からしばらくシャクナゲロードが続きます。
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 シャクナゲはつぼみのほうが色は鮮やかです。
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 シャクナゲロードを抜けると、急登につぐ急登です。いい歳、りょうちゃんはもう前をいくトミーさんとA柳さんには大きく置かれる形になりました。写真を撮る猶予もなく、ほとんど撮っていません。
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 写真は途中に咲いていたハクサンコザクラですが、トミーさんのブログからもらいました。りょうちゃんはハクサンコザクラを撮る気力がありませんでした。しかし、この写真は花の写真としては、今ひとつです。037.gif
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 山頂が近づくにつれて、残雪も目につくようになりました。この木賊山(とくさやま)を越えて、甲武信小屋に着きました。16時06分。
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 この雨でほかの登山者にも抜かれることはなかったので、山小屋はガラガラで貸切状態ではないかと予測していましたが、ほぼ満室で混雑していました。クラブツーリズムの団体さんが50名ほど来ていました。
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 甲武信小屋の夕飯はカレーライスです。しかしNever Second、おかわりできません。よそってもらうときに、「大盛り」とか「普通」と言って、ご飯の量を申請します。夕飯後に、トミーさんと一杯飲んで、20時くらいに寝てしまいました。
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 翌朝、5時に朝食を済ませて、6時すぎに甲武信小屋を出発しました。甲武信小屋のご主人と一緒に記念撮影。
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 甲武信小屋の裏側から山頂に向かいます。約20分ほどで山頂に到着。いい歳、りょうちゃん、日本百名山76座目になりました。038.gif
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 山頂直下に咲いていたイワカガミ。
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 甲武信ヶ岳の直下から見た霞んだ木賊山。
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 木賊山の巻道を通って、昨日登ってきた道を降って行きます。
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 この急登、登るのも大変ですが、降るのも大変でした。
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 シャクナゲロードももう一度通ります。よく見ると登山道から少し中に入ったところも結構咲いていました。
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 シャクナゲの戸渡尾根を過ぎると、徳ちゃん新道に入ります。途中、鹿の死体がありました。気持ち悪くて、写真は撮りませんでした。
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 昨日は見えなかった広瀬湖が見えました。
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 普段は降りのほうが断然に得意なのですが、徳ちゃん新道あたりから太ももの前がパンパンになって、降りの斜面で足が前に踏み出せませんでした。またもや前を行くトミーさんとA柳さんがどんどんと遠ざかっていました。トミーさんのハゲ頭を目印に必死に追跡しましたが、ついには見えなくなってしまいました。041.gif
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 12時前に何とか林道にたどり着きました。6ヵ月山登りしないと、ここまで衰えてしまうものなのかと思い知らされました。この半年の間、自分としては1日1万歩を目安になるべく歩くことを心がけてきましたが、トミーさんは平坦の道をいくら歩いても意味はなく、山登りは山登りでしか鍛えられないとおっしゃっていました。
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 帰りは笛吹の湯で汗を流して、特急かいじで東京に戻ってきました。
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス



 
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by ryott-ryott | 2014-06-09 20:55 | 甲武信ヶ岳 | Comments(2)

今年も新宿御苑に桜を見に行きました

登山
旅行・地域
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 4月も終わろうとしています。久しぶりにブログを更新します。まだ山には出かけていません。最近、生協の宅配、パルシステムを始めました。パルシステムは食料品だけでなく、本やCD、服、靴、花などいろいろなものが売っていますね。花や植木の中に、スズメウリというツル科の植物が売られており、成長すると緑のカーテンになって、暑さ対策になると書いてあったので、早速買いました。写真は届いたスズメウリの苗です。
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 プランタに植え替えました。夏に花が咲き、秋には2~3 cmの実をつけるそうです。実も緑から黄色、赤へと色付き、とてもキレイだそうです。このブログでもときどき成長日記を報告することにします。ただし、スズメウリの実は毒があるため、食べられないそうです。
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 昨日は久しぶりに勇才さんに行きました。勇才さんは昨日は予定外の釣りに行き、東京湾でアジを100匹も釣ったそうです。アジフライを2枚もいただきました。
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 勇才さんに行くと必ず時事問題の話しを聞かせてもらいます。4月23日にアメリカ大統領が来て、日本にTPPを妥結するように迫りましたが、妥結しなかったことについて、勇才さんは本当によかったとおっしゃっていました。このTPPの裏にはアメリカ企業のたくらみが隠れており、そのことについては一切報道されていないというのです。TPPにもし妥結すると、アメリカ企業が遺伝子組み換えでつくった稲を日本人は買わされ、食べさせられるだけでなく、その後、日本がアメリカ企業のつくった稲を買わないと言った場合には、日本国が途方もない賠償金を請求されて、その賠償金はすべて日本国民が収めた税金で支払わされることになるカラクリがあのTPPの中に潜んでいることを、どの報道機関も言わないことに憤りを感じるとともに、アメリカ企業の手先ではないかとおっしゃっていました。アメリカ企業の稲が入ってきたら、日本のおいしいお米はすべて淘汰されてしまうことになり、しかもそのアメリカ企業の稲は、同じ企業が作った農薬を使わないと発芽しないように改良されており、何をやってもアメリカ側に金が行く仕組みになっているとのことです。オバマは、そのアメリカ企業の使い走りとして日本にやってきました。今回TPPが妥結しなかったのは、優秀な日本人がアメリカ側の企みを見抜き、必死にブレーキをかけていたからだそうです。あのTPPにはアメリカの支配階級が日本国を乗っ取るための隠された仕組みが入っており、TPPを絶対に妥結してはいけないというのが勇才さんの意見です。いい歳、りょうちゃんもこの意見に賛同します。
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 TPPが妥結したら、この高育54号も飲めなくなってしまうでしょう。
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 TPPが妥結したら、この野菜も食べられなくなってしまうでしょう。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 4月5日(土)は桜を見に新宿御苑に行きました。東京駅経由で丸ノ内線に乗って新宿御苑前に行きましたが、東京駅の丸の内南口は多くの人で埋め尽くされており、出口が人の多さで通れなくなっていました。皇居の桜の並木道「乾通り」が公開されており、そちらへ向かう人たちで大混雑していました。桜を見に行く人は皇居のほうに流れるので、新宿御苑は空いているかと思いましたが、こちらも混雑していました。
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 スズメバチの巣がありました。新宿御苑に夏は行かないほうがいいようです。
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 温室にも立ち寄りました。ミッキーマウスの木がありました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(NHK日本名曲アルバム/銀色の道)


(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 気温も高くなり、雲が出る日も多くなったため、これからの季節は朝日、夕日を見ることができる確率が減っていくことになると思います。写真は3月22日に見に行った幕張海浜公園の夕景です。
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

 

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by ryott-ryott | 2014-04-27 12:17 | 新宿御苑 | Comments(7)

百人サックス&歩みの会、花の鹿俣山を行く

旅行・地域
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 6月8日(土)は先々週の上智大学の銀祝で25年ぶりにお会いした片岡さんからお知らせいただき、桜木町の横浜にぎわい座に百人サックスを聴きに伺いました。にぎわい座は普段は落語の寄席をやっているようです。
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 少人数のユニットライブから始まり、すべてのユニットのメンバーによる演奏(百人サックス)、プロによるライブの3部構成でした。当初、入場料は500円とのことでいたが、会場に行くと無料になっていました。038.gif
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 演奏の曲目も、本格的なジャズはもちろんのこと、J-POPから演歌まで多岐にわたっていました。写真は「津軽海峡冬景色」を演奏する片岡さん。038.gif
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 トークも面白く、「デスペラード」という曲は「ならず者」という意味だそうですが、その「ならず者」を結婚式で演奏したというトークに会場は爆笑していました。037.gif

 百人サックスでは会場いっぱいに演奏者が並び、自分のすぐ目の前に演奏者がいて、私のために演奏してくれていると錯覚するくらいでした。038.gif

 最後はプロの演奏で、終演時間の17:30を超えての演奏を楽しく観覧しました。片岡さん、ありがとうございます。038.gif038.gif038.gif


 翌日の日曜日は、勇才さんから鯖が釣れたとの連絡が有り、勇才さんに行きました。
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 いつもの茶碗蒸し。今日は本蛤が入っていました。
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 鯖を塩につけて水分を抜いています。
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 鯖を酢でしめて、〆鯖を作ります。
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 刺身の様な〆鯖でした。
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 〆鯖の炙り。
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 首を折って、血抜きした鯖を持つ勇才さん。今日は鯖づくしです。
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 鯖の味噌煮。
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 勇才農園の茄子の炒め物。
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 うつぼの干物。
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 最後は桜えびとマグロの漬け丼。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 ある雑誌が、「6月10日は何の日か知っていますか」とインタビューを試みたことがあります。「梅雨入りの日かな」「父の日と違う」「時の記念日?わかった、日本人がはじめて時計をつくった日じゃない」こんな答えがかえってきました。

 「時の記念日」は、天智天皇(671年)が、はじめて水時計(漏刻)を新台に置き、鐘鼓を打って時を知らせた『日本書紀』の故事に基づいて、大正9年(1919年)に、生活改善同盟の提唱で設けられたものです。

 国民が時間を尊重し、正確な時間の観念を普及し、生活の合理化、改善をはかるのが目的でした。日本ではじめてつくられた水時計(漏刻)というのは、水槽に水を張り、その水槽に小さな孔をあけ、漏れた水によって時を計ったものです。時間を尊重し、正確な時間の観念を普及するためにつくられた「時の記念日」も、制定以来60有余年も過ぎたのに、土地による「○○時間」と称するものが依然として残っています。

 「少年老い易く、学成り難し、一寸の光陰、軽んべからず」昔、旧制中学の漢文の時間に習った言葉が懐かしく思い出されます。

 時計でもう一つ思い出すのは、「時計の塔」のことです。ヨーロッパを歩くと、噴水、彫刻と並んで、立派な「時計塔」がたくさん目につきます。ウィーンやロンドンの議事録、コペンハーゲンやマンチェスターの市庁舎、ロンドン、パリ、バーゼル、ヘルシンキの駅舎、ベネチアのサン・マルコの大聖堂をはじめ、教会にある「時計塔」・・・・・日本から行くとうらやましく思います。

 札幌の「時計台」も有名ですが、やはりあの時代、欧米の模倣として作られたものでしょう。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 6月10日(月)は休暇を取って、歩みの会で鹿俣山(かのまたやま)に行ってきました。今日は玉原(たんばら)湿原を横切り、スキー場を通って、鹿俣山へと登ります。
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 玉原湿原駐車場のレストハウス。
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 レストハウスで売っていた日本酒「尾瀬の雫」。しかしながら、戻ってきた時にはレストハウスは閉店になってしまいました。
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 レストハウス前の花壇にオダマキが咲いていました。栽培種です。
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 いつものように準備体操から始まります。この方の柔軟性は健在でした。038.gif
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 大人数でいよいよ出発です。
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 玉原湿原に入る前の車道でエビネチドリが咲いていました。
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 ブナの湧水を汲む千田ガイド。
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 玉原湿原に入っていきます。
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 オゼダイゼキ、灯台草とも言うそうです。
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 モウセンゴケ。
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 ブナ林の中を進んでいきます。
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 マイヅルソウ。マイヅルソウは2枚葉でないと花をつけないそうです。
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 チゴユリ。
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 はせやんが好きなコバイケイソウ。
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 朴の木の葉。朴葉焼きが食べたくなりました。
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 ユキザサ。
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 ラショウモンカズラ。この名前の「ラショウモン」は「羅生門」で、渡辺綱が切り落とした鬼の腕に形が似ていることに由来しています。
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 ギンリョウソウ。
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 夏ゼミの抜け殻がたくさんありました。
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 ブナ平で昼食となりました。今日のお弁当はダルマ弁当でした。038.gif
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 昼食後、ブナ平で記念撮影。024.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

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 ブナ地蔵。よく見るとお地蔵様に見えるようです。
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 トチノキの花が咲いていました。
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 スキー場を横切って行きます。
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 スキー場で記念撮影。
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 玉原湖が見えます。
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 ミドリユキザサ。
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 エンレイソウ。
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 サンカヨウの白い花が咲いていました。
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 1枚葉のマイヅルソウ。1枚葉は花を付けません。
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 14時09分鹿俣山の山頂に到着。標高1637 m。
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 頂上で記念撮影。倉持さんのブログからもらいました。
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 下山を開始。
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 下山途中から見た上州武尊山。
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 夏ゼミ。
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 ウワミズザクラ。
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 クリンソウが鮮やかでした。
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 下山後の入浴は、望郷の湯でした。今回もバスの中で大宴会をして、東京まで戻ってきました。038.gif 
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地




 
次回は猫魔岳&磐梯山の報告をします。060.gif

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by ryott-ryott | 2013-06-23 16:49 | 歩みの会・鹿俣山 | Comments(0)

第80回日本ダービー馬を考える&夏山に向けて減量を開始する

旅行・地域
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 大小山の模様は次回報告します。今日は来週5月26日(日)に行われる第80回日本ダービーの予想から書きます。024.gif
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 結論から言うと、2013年の日本ダービー馬はロゴタイプにします。ロゴタイプの戦績は、かつてのダービー馬、ミホノブルボン、ナリタブライアンのものと瓜二つです。500万下、朝日杯FS、スプリングSを1着で通過した皐月賞馬は例外なく日本ダービー馬になっています。3年前のローズキングダムは朝日杯FS馬でありながら、スプリングSは3着、皐月賞は4着であったため、日本ダービーは2着に甘んじたと考えます。今年の私の日本ダービー馬はロゴタイプです。

 相手は青葉賞を勝ったヒラボクディープにします。ミホノブルボンのときの2着は同じ7枠のライスシャワーで、もう一頭の同枠馬は青葉賞を勝ったゴールデンゼウスでした。ナリタブライアンのときは2着は青葉賞を勝ったエアダブリンでした。

 また5月の東京競馬場で行われるGⅠは出目が連動する傾向があります。第1週のNHKマイルCは4枠の馬が勝ちました。2週目のヴィクトリアマイルは4枠の馬が2着でした。今週のオークスで4枠が連対すれば、来週の日本ダービーでも4枠が連対する可能性が高くなると思います。

 結論は、ロゴタイプからヒラボクディープの馬番、出目を考慮すればロゴタイプから4枠の2頭、ロゴタイプが4枠に入った場合は(4-4)の揃い目、ロゴタイプの入った枠の揃い目も抑えたほうがいいでしょう。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 安政4年(1857年)5月26日、この日幕府はアメリカの下田領事館ハリスとの間に、第二下田条約を結び、和親条約の一部を改正しました。

   かごでいくのはお吉じゃないか
   下田港の春の雨
   泣けば椿の花が散る・・・・・

 世にいう“唐人お吉”は、実はこの条約の交渉中に起こってきたものです。交渉の途中でハリスから、身のまわりの世話をする女を出せと、要求されたからです。つまり“おめかけさん”の提供です。
 奉行所は、普通の家の娘さんでは親が承知しないだろうと、芸妓のなかから選考することにし、無理矢理お吉に承諾させました。

 お吉は下田の船大工の娘として生まれ、7歳のとき下田の芸妓置屋に養女として出されていました。
 ここで遊芸の道を仕込まれ、14歳で芸妓になりましたが、唄が上手で“新内明烏のお吉”ともいわれ、気っぷもよく評判の芸妓だったといわれます。
 それだけに、異人さんのおめかけ“洋妾”(ラシャメン)になったことは、下田だけでなく、江戸でも話題になりました。だれいうとなく“唐人お吉”の名前がつけられました。

 お吉は安政6年(1859年)5月に、下田の領事館閉鎖とともに横浜に移り、ラシャメンもやめて、女髪結として明治4年(1871年)に、故郷下田にもどってきました。
 しかし、世間の風は冷たく、彼女も恋人鶴松と別れ、深酒に浸り、職も転々として、晩年は中風で倒れ、明治23年(1890年)3月27日、稲生沢河畔に身を投じて死にました。享年50歳でした。
 
この薄幸なお吉の墓は下田の宝福寺にあり、訪れる観光客のたむける香華が絶えないそうです。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)


 虎ノ門にこんな神社があるのを発見しました。072.gif
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 今年のGWはすでに報告したとおり至仏山と常念山脈へ出かけ、10連休のうち6日間も山歩きしていました。連休の最終日はじゃんけんぽんへ行きました。
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 5月から徐々に山歩きを開始しています。トミーさんのご忠告を真摯に受け止めて、今後負担なく山歩きをするべく、減量していくために、トントンさんには野菜中心で高タンパク低脂肪の料理をお願いしました。写真は高タンパク低脂肪の茶碗蒸しです。037.gif
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 日本酒も飲みました。このGWはじゃんけんぽんは2日間しかお休みしなかったそうです。038.gif
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 高タンパク低脂肪のお刺身。
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 トマトが入った野菜サラダ。トマトのリコピンは脂肪を燃焼してくれるそうです。
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 私の高タンパク低脂肪の要望に応えてくれ、今日は鶏肉の焼肉をつくってくれました。せせり、もも、胸肉になります。
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 焼きあがり。いくらでも食べられます。038.gif037.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

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 高タンパク低脂肪の食生活はまだまだ続きます。5月9日(木)は勇才さんで日本酒の試飲会があるというので山歩き仲間の森ちゃんとはせやんの3人で参加しました。この日は島根県安来市の吉田酒造の日本酒試飲でした。森ちゃんは安来市に出張でよく行ったそうで、ご存知のようでした。
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 トマト。リコピンが脂肪を燃焼してくれます。
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 高タンパク低脂肪の鶏肉。
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 野菜の煮物。
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 今日は立食での試飲になります。店内は大賑わいでした。024.gif
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 吉田酒蔵の蔵元さん。
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 試飲会の挨拶をする勇才さん。
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 カツオの干物だそうです。
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 いつもの蒸し牡蠣。
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 今日、試飲した吉田酒造の月山ラインナップ。
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 試飲会では大抽選会があり、森ちゃんと私は誰も買わない勇才Tシャツが当たってしまいました。勇才Tシャツを着て、蔵元さんと記念撮影。037.gif
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 外でも大賑わい。
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 最後は勇才さん定番の筍ご飯のカレーライス。高タンパク低脂肪ではありませんが、カレーの中のクルクミンなどのスパイスは脂肪を燃焼し、代謝をアップするそうです。しかしながら勇才さんは、自分が作った料理を食べるお客が太っていくのを見ると、とても嬉しいそうです。悪い人です。037.gif
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


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 5月16日(木)、先週の試飲会からちょうど1週間後、同じく山歩き仲間のタッキー瀧本さんが会社の懇親会を大井町の勇才を貸し切ってやるとのご連絡をいただき、タッキー瀧本さんの会社とは全く関係のない私も誘っていただきました。040.gif
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 茶碗蒸し。
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 マグロの漬け。
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 サザエさん。
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 鮎。
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 日本酒を次から次へと飲みました。
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 これからタイのグリーンカレーを作るという勇才さん。
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 出来上がったグリーンカレー。今日も勇才さんは料理を食べた客が太っていくのを見るのが楽しみだとおっしゃっていました。勇才さんは私をもっと太らせたいようです。037.gif
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 タッキー瀧本さん、会社のご同僚の方と一緒に記念撮影。お話を伺うと、私が勤めている会社のすでに退職された先輩方と実懇の間柄であったと聞き、とても懐かしく思いました。タッキー瀧本さん、どうも有難うございました。また、おしきせの会をやりましょう。038.gif
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次回、大小山の報告をします。060.gif

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by ryott-ryott | 2013-05-19 11:02 | 第80回日本ダービーを考える | Comments(0)

りょうあしの会、おしきせの会

旅行・地域
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 4月に入ってから、まだ1回も更新しておりません。私自身が山行に行っておらず、山行に関する報告の記事が書くことができないからです。3月の歩みの会のときに、倉持さんから浦安・上野特配グループの名称を考えてほしいとの依頼がありました。特配グループも、歩みの会のように会員制にし、会費をとって、会則を定めて運営していくとのことでした。

 私が所属している「歩みの会」という名称がとてもいい名前だけに、これに寄り付けるような名前を考えることは容易ではありません。何事でも名前はとても大事なものであり、ほかの名前の模倣のない独創性と、山行の特徴をあらわす名前の由来がなければなりません。「歩みの会」の歩は、将棋の「歩」で敵陣に入ると「金」に変わることから、山に入れば「金」の歩きを見せるという考えから、「歩みの会」という名称にしたと浅場会長から教えてもらいました。038.gif

 この1ヵ月あまり、いろいろと考えましたが、「歩みの会」により付けることができる名前はなかなか思いつきませんでした。ここは初心に帰って、登山の「登」という字の成り立ちを調べて、ヒントを得ようと考えました。漢字はある姿を象形し、成り立っています。「登」の豆の上の文字は部首名「はつがしら」といい、両足を左右に開いたさまを描いており、「両足でしっかり立って登っていく」という意味があります。また「はつがしら」には「はねる」という意味もあり、「発展」「発達」「発育」「発起」「発想」など前進をあらわす言葉につながっていきます。「はつがしら」のもととなる「両足」を平仮名にして「りょうあしの会」という名称を考えました。これからの特配グループの前進を「発願」(祈願すること)し、「りょうあしの会」という名称を提案します。038.gif
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 先週の4月13日(土)は蔵王でご一緒した原田さんのご主人と勇才さんに飲みに行きました。原田さんの奥様はときどき特配でご一緒するのですが、ご主人は蔵王で初めてお会いしました。以前、原田さんの奥様がお酒を召し上がりすぎて、はせやんが奥様をご自宅まで送っていったことがあり、その後しばらく奥様は特配の山行に参加されませんでした。倉持さんのお話では、原田さんのご主人はたいへんに厳格な方で、奥様に「そんなになるまで酔っ払うのなら、今後、山に行ってはいけない」とおっしゃっていたとのことです。037.gif
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 蔵王に行くバスの中で初めてその姿を見たときは、進藤英太郎を思わせる、とても怖そうなカミナリ親父に見えましたが、お酒を飲んだら、ほとんどが女性の話のていたらくで、厳格という言葉とは程遠い72歳のおじいさんでした。写真は店内での記念撮影、一番奥の白いヒゲのおじいさんがその人です。037.gif
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 毛ガニの山。
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 智則。5月9日(木)に勇才さんでこの酒蔵の試飲会があり、はせやんと森ちゃんと一緒に申込みました。
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 勇才名物の茶碗蒸し。
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 刈穂。
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 酔鯨。これだけお酒があるのに、おじいさんは焼酎ばかり飲んで日本酒には口をつけませんでした。そして、お酒を飲まないであれだけ人の悪口が言える小沢さんは本当に悪い人だとおっしゃっていました。041.gif
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 筍ごはん。
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 おじいさんは次回はアレグロピアットに行きたいそうです。よしこさんに任せます。041.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 夏目漱石の弟子で、唯美主義の小説を書き、名随筆、名紀行文の作者として評判の高かった”百鬼園” 内田百聞は、昭和46年(1971年)4月20日、東京麹町の自宅で老衰のため81歳で亡くなりました。

 百聞は、小説も書きましたが、それよりは『百鬼園先生言行録』『百鬼園随筆』『百鬼園日記』など、一連の“百鬼園もの”など、あるいは、全国の主要鉄道を乗りまくった紀行文、いわゆる“阿房列車もの”のほうが人気が高く、広い固定読者層をもっていた一風変わった作家であったと思います。

 百聞の生家は岡山市の造り酒屋。旧制岡山中学校、近所の百間川という、昔岡山城下の大水を救う放水路として作られた空川でよく寝そべって本を読んだところから、百聞の号をとったといわれます。

 百聞が文筆への道を志したのはこのころで、漱石の『吾輩は猫である』を読んで、すっかり漱石崇拝者になり、自作の原稿を送って、漱石から好意的な返事をもらったのを機会に、漱石の弟子入りを決意、たまたま東大に入学したこともあって、毎週一回、漱石邸の面会日には欠かさず訪問して、師事することを許されました。

 大学卒業後、職がなく、しばらく浪人しているときには、漱石の著書の校生を手伝ったりして、経済的援助も受けていました。漱石や門下の芥川竜之介の世話で、陸軍幼年学校、陸軍士官学校、海軍機関学校の教官、法政大学教授などもつとめたのですから、作家の経歴としては変わっているほうです。

 百聞の随筆は、謹厳そうな文章のなかにも、独特のユーモアが光るのは、師の漱石から学んだものと、もうひとつは、この教官、教授時代につちかわれたもののような気がします。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 翌日4月14日は例年この時期にある焼酎の試飲会があり、渋谷のシダックスビルまで行ってきました。
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 バラのエキスの入った焼酎。ピンク色は瓶の色で、焼酎自体は無色透明です。飲み終わると、ほんのりバラの香りがします。056.gif
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 黒さそり。
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 サインをする黒瀬安光さん。以前の風貌とすっかり変わっていたので、本人だとわかりませんでした。037.gif
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 黒瀬安光さんと記念撮影。
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 大井町のじゃんけんぽんがおつまみを出店していました。
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 おつまみ作りが忙しくて、トントンさん、はるさんは今回はそんなに飲めなかったのではないでしょうか。私は出店された酒造をすべて周り、飲みすぎてしまいました。037.gif
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 左から宇田川さん、すっかり年を取った美紀ちゃん、岸さんの前のパートナー。宇田川さんはダイエット中と伺いましたが、効果はあったのでしょうか。
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 試飲会でいつもお会いする試飲会マニアの方たち。
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 西山さんのお嬢さん。若くて、かわいいひとはいいですね。将来、誰かさんのようにアル中おばさんにならないでくださいね。038.gif
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 沖縄民謡の披露がありました。試飲会が終了し、トントンさん、はるさん、美紀ちゃんと焼き鳥を食べに行きました。037.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

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 4月20日は都合で山行に行くことができませんでした。この日は朝から気温が低く、つい先日、暑かったのがウソのようです。午後から冷たい雨も降りだしました。
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 私は久しぶりに大井町湯屋へ出かけました。今年3回目です。夕方は新装のじゃんけんぽんへ行きました。移転後、しばらくは土曜日も営業するそうです。写真はじゃんけんぽんの玄関です。
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 トントンさんのお話では、移転して客層が変わったとのことです。前の店舗ではサラリーマンがほとんどだったそうですが、こちらの店では近所の人が来店するとのことです。この日も銭湯帰りのおじいさんが私の隣に座っていました。歯がないので、柔らかいものしか食べられないそうです。037.gif
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 じゃんけんぽんのラベルの日本酒。来福酒造さんが開店祝いに作ってくれたそうです。
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 そらまめ。
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 お刺身。
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 生牡蠣。
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 鳥の唐揚げ。
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 牛すじ。
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 焼き筍。
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 最後にカツオの漬け丼をいただきました。
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地




 
水曜日、歩みの会に行ってきます。060.gif

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by ryott-ryott | 2013-04-21 12:34 | おしきせ | Comments(0)

春を迎えに、陽だまりハイク、歩みの会・古賀志山を行く

旅行・地域
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 3月9日(土)~10日(日)は山旅クラブで雪山の日光白根山に行く予定でしたが、家の都合で行けなくなってしまいました。ごめんなさい。3月の第2週くらいから、花粉症の症状がひどく、3月17日(日)のあづみ野歌声喫茶へ出かけることも取りやめにしました。040.gif
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 現在、東急大井町線の高架下は耐震強化工事をしており、高架下にあったお店はすべて立ち退きを強いられたようです。最後まで立ち退かなかった「福万食堂」も昨年末をもって営業終了したとの貼り紙がされていました。
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 東急社員による立ち退きの悪いうわさはたくさん聞きました。立ち退き料130万円で立ち退きを迫り、「これでは新しい住居も探せない」と立ち退きできないことを懇願する住民に一切取り合わなかったという話を聞きました。
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 写真は高架下の福万食堂で、昔は歩道の右側にも小さな商店街があり、店が軒を連ねていました。第一京浜から大井町にかけて、道路を繋いでおり、その商店街もなくなって20年近く経ち、ようやく道路が出来つつあります。この道路は私が小学生のことから大地震が起こったときのための避難道路としてつくる話がありました。それから40年以上経った今でもまだ完成していません。
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 写真は昭和3年(1928年)頃の大井町駅付近の大井町線高架(郷土出版社「目で見る品川区の100年」p.75から引用)。高架下は何もありません。
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 昭和28年(1953年)頃の大井町駅西口広場(郷土出版社「目で見る品川区の100年」p.141から引用)。現在イトーヨーカ堂が建っている場所に居住地域が見えます。この居住地域は昭和38年(1963年)に解体されています。
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 また荏原第三中学校は大間窪小学校と合併し、小中一貫の「豊葉の杜学園」という名前で、今年の4月からスタートするそうです。豊葉の「豊」は豊町、「葉」は二葉町から取り、「ほうよう」と読みます。新しい校舎で勉強できる子どもたちは羨ましい限りです。038.gif
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 大間窪小学校正門、昭和28年(1953年)(品川WEB写真館から引用)。
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 上空から撮影した大間窪小学校、昭和29年(1954年)(品川WEB写真館から引用)。
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 荏原第三中学校校舎、昭和22年(1947年)(品川WEB写真館から引用)。
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 荏原第三中学校朝礼の風景、昭和47年(1972年)(品川WEB写真館から引用)。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 武田勝頼は、父信玄の「3、4年は父の死を秘し、国内の備えを堅めよ」という遺言に背き、老練な家老たちの諫言もきかず、父の死後10ヵ月にして、早くも美濃、駿河に攻め入りました。

 幸いこのときは勝利をおさめましたが、その余勢をかって、天正3年(1575年)5月、こんどは三河長篠城を攻めました。しかし、前回と違い今回は決定的な大敗北を喫しました。
 勝頼はこの戦いで、信玄以来歴戦の有力な武将の大半を戦死させ、無敗を誇った虎の子の武田騎馬隊を壊滅させてしまいました。信長の技術革新の戦略、3000挺呈の鉄砲という新兵器の前に、もろくも崩れ去ってしまったのです。
 一族、家臣どもの多くは、勝頼に見切りをつけて、次々と斜陽の武田家を離れていきました、

 巻き返しをはかろうとしても、もはやかつての武田軍団の姿はなく、結局、天正10年(1582年)3月11日、木曾義昌との戦に敗れ、天目山で自刃してしまいました。享年36歳でした。

 名門甲斐の武田家を、父信玄死後10年にして滅亡させてしまった勝頼は、いつも暗愚の2代目という歴史的評価を与えられておりますが、なかにはこれと反対の説を唱える学者がいます。
 つまり、勝頼は、若き日の信長と同じような気性を持ち、軍事的には非凡な才をもった武将であった。

 信玄の遺言といわれるものは、家臣団の老臣たちの作である。したがって、あのとき信玄が死んでも、そのまま上洛を続ければ、信長も浅井、朝倉との戦いで苦戦をしていたときだけに、勝頼が天下をとることができたであろうという見解です。

 勝頼の才能を家臣たちが見抜けなくて、失したためというのですが、どうでしょうか。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 3月9日(土)の夕方は花粉の嵐の中、再び幕張海浜公園に夕日を見に出かけました。058.gif
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 夕日が沈んでくると、富士山が炙り出されてきますが、この日は春霞で富士山を見ることができませんでした。
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 今回は夕日を見に来ている人たちを入れて撮ってみました。
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 実際には堤防の上でこのように人が夕日を見ていました。
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 夕日を見に行った帰りに、久しぶりに勇才さんに行きました。
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 勇才さんからはまたもや木曜スペシャル的なお話しを聞くことができました。先日、ロシアで隕石が落下し、周辺の建物の窓ガラスなどが破損したというニュースがありました。その時に隕石をUFOが追跡し、隕石が落下寸前にUFOからミサイルが発射されて隕石を破壊したと言うのです。YouTubeの動画にはっきり写っているとおっしゃっていましたが、私は見つけることができませんでした。もし隕石がUFOに破壊されなかったら、地球の被害は甚大となり、それを食い止めるために銀河連合なる宇宙人の集団が隕石を撃墜したとおっしゃっていました。
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 また自民党に政権交代し、現在株価も上がって、景気回復の兆しが見えているような錯覚になっていますが、必ずその反動が来るともおっしゃっていました。かつて消費税増税を絶対にやらないといっていた野田佳彦が、民主党のトップになると消費税を上げることに方向転換したのは、影の首相と呼ばれる財務省前事務次官の勝栄二郎が民主党議員を買収したためだと言います。増税することに成功した勝栄二郎はその後IT会社の社長に天下り、増税成功のご褒美にIT関連事業に500億円の予算が計上されました。前年度の予算は5800万円と比較すると桁外れで、こういうことを平気でやっている自民党は今に大きな失敗をすると勇才さんはおっしゃっていました。
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 のれそれ。穴子の稚魚。ニンニクの芽を擦りおろした酢味噌で食べました。
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 ミンク鯨。
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 毛ガニ。
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 白子焼き。
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 白子のグラタン。
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 あさりのペスカトーレ。
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 三色丼。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

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 3月11日(月)は休暇を取って、歩みの会で古賀志山に行ってきました。今回は24名が参加で、先週蔵王でご一緒しました兵藤さんが歩みの会にテスト入団として参加しました。蔵王と同じく、ガイドは白砂さん、添乗員は倉持さんでした。038.gif
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 新宿を7時15分に出発し、9時30分には古賀志山の駐車場に到着しました。杉が真っ赤な花粉をつけています。誰か焼きはらってください。037.gif
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 出発前にいつもの準備体操をします。倉持さんは、相変わらず体が柔らかいです。038.gif
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 赤川ダムから見た古賀志山です。
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 ここは自転車レースのJapan Cupのコースにもなっているそうです。
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 空は雲一つない青空です。058.gif
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 いよいよ登山口から登山開始です。9時57分。北コースから登り、古賀志山山頂、御岳を経由して、南コースを下山する予定です。
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 26名の大行列で進みます。038.gif
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 歩くこと約30分、斜度が上がって行きます。
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 古賀志山の稜線に出る手前の登り、両側が崖になっている岩場を登ります。10時54分。
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 この岩場を登りきったところで小休止、みんなでお饅頭を食べました。
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 この急登を登れば、古賀志山の山頂に辿り着きます。
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 午前11時37分。古賀志山の頂上に到着しました。標高583 m。
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 記念撮影後、お昼ご飯を食べました。ほかの登山者の方から、「大勢なのに静かですね」と言われました。食べているときは皆さん静かです。037.gif
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 山頂からの田園風景。
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 古賀志山の山頂からは、男体山は木に阻まれてよく見えません。昼食を済ませて、男体山がよく見える御岳のピークに向かいました。
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 御岳のピークに行くためには、ちょっとした岩場を越えていきます。巻道もあり、巻道を行ったグループのほうが早く御岳に到着しました。
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 はしごもありました。
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 御岳に到着。12時26分。御岳から見た日光の峰々。
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 昨年登った雄大な男体山。男体山の左に見える白いピークは赤城山だそうです。地元の人が教えてくれました。
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 古賀志山の山塊の向こうには鶏頂山があり、その右側に茶臼岳が見えました。
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 真ん中の三角のピークは皇海山だそうです。この写真は兵藤さんにもらいました。
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 御岳のピークは歩みの会で大賑わいです。024.gif
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地



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 風景を十分に楽しみ、下山を開始しました。12時38分。
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 先ほど登ったはしごを降りて、分岐まで戻ると、あとは単調な下りになります。
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 林道歩きもありました。林道では地面がコンクリートであり、スギ花粉で一気に目がかゆくなりました。
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 地面が土であると割合に花粉症は平気です。
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 赤川ダムの展望台で記念撮影。13時50分。
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 赤川ダムのところまで戻ってきました。赤川ダム越しに見た古賀志山を再び撮影。
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 サンピアで入浴を済ませ、ビールで一杯。昨年、歩みの会でお天気山に来た時に立ち寄った入浴施設です。068.gif
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 バスでお蕎麦屋さんまで移動し、鹿沼名物のニラそばを食べました。
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 バスの車窓から見た男体山、兵藤さんから写真をもらいました。いつものようにバスの中で乾杯をしながら新宿まで戻ってきました。今回歩みの会にテスト入団した兵藤さんは、帰りのバスの中で歩みの会への入会が満場一致で承認されました。038.gif038.gif
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来週、赤岳に行ってきます。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2013-03-16 22:07 | 歩みの会・古賀志山 | Comments(3)

東京夕日レポート、幕張海浜公園&東京ゲートブリッジ

旅行・地域
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 1月19日の囲碁大会が中止になってしまいましたが、ほかの用事が出来て、山に行くことができませんでした。用事を済ませて、さかいやスポーツへ行き、カンジキとATCを買ってきました。もっと高いものかと思いましたが、カンジキは7056円、ATCは1995円でした。いずれもポイント500円引きで買いました。
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 ATCは懸垂下降の時にロープを通して使用する治具です。店には、通常のもの、1本のロープだけを通して使うもの、ロープの摩擦が効くように溝が切ってあるものの3種類がありました。店員さんは私を見て、溝が切ってあるものは摩擦が効くため、体重が重い人でも楽に操作ができると説明してくれました。私はその肥満者用のATCを購入しました。037.gif
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 19日の天気予報は晴れのち曇りでした。空を見ると雲は全くなく、きれいな夕日が見ることができるのではないかと思い、幕張海浜公園へ行きました。幕張海浜公園はJR海浜幕張駅から徒歩で20分ほどです。大晦日にも夕日を見に行ったところです。058.gif
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 幕張海浜公園の浜辺ではパラグライダーでおじさんたちが遊んでいました。
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 夕日を背景におじさんが飛んで行きました。
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 赤い夕日が空と海を赤く染めながら、海の向こうの山並みに沈んでいきました。058.gif
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 最初は見えなかった富士山が、夕焼けに炙り出されて、姿を現しました。058.gif
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 空に月が浮かんでいました。072.gif
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 太陽が沈みきったあともまだ空を飛んでいました。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 慶応4年(1867年)3月、徳川慶喜が大政奉還をしたにもかかわらず、新政府側は、この際徳川家を根こそぎ滅ぼし、旧幕府の土地をすべて没収すべく、、東征軍を派遣、江戸城の総攻撃を命じていました。

 幕府側にも強い主戦論がありましたが、時の陸軍総裁勝海舟はそれをおさえ、総攻撃の前日、東征大総督参謀西郷隆盛と、高輪にある薩摩藩邸で歴史的会見を行い、総攻撃の中止、江戸城の無血開城を約し、その通り実行しました。現在、東京大森の旧薩摩藩邸跡には、その歴史的会見の記念碑が建てられています。

 “江戸を救った男”勝海舟は、文政6年(1823年)江戸本所で、御家人勝小吉の子として生まれました。勝家は幕臣には違いありませんが、曽祖父の男谷検校が株を買って武士になった新しい家柄で、禄高40俵という貧しい家庭で育ちました。

海軍伝習所の教授方頭取、幕府の軍艦「咸臨丸(かんりんまる)」の艦長として渡米、帰国後、幕府の海軍創設に尽力して軍艦奉行、のちに陸軍総裁になりました。

明治政府になってから、参議兼海軍卿、元老院議員、枢密顧問官などを歴任、明治32年(1899年)1月19日、76歳で亡くなりました。

 多数の著書がありますが、有名なのは晩年彼の座談をまとめた『氷川清話(ひがわせいわ)』です。先見力に富み、江戸っ子らしい語り口でで、、ザックバランに本音を吐いて世相、人物を斬りまくっている内容は、若い人にも一読の価値があると思っています。

福沢諭吉は大の勝嫌いで、「痩我慢の説」で彼をこきおろしています。海舟の夫人も、彼の墓に一緒に入るのを嫌ったと伝えられます。毀誉褒貶(きよほうへん)、逸話の多い人物であったことはたしかです。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 翌日の1月20日(日)の天気予報は快晴でした。前日の19日が晴れのち曇りで、きれいな夕日を見ることができたので、今日も間違いなく見ることができると考え、東京ゲートブリッジへ出かけました。東京ゲートブリッジに出かけた理由は、日経新聞のWEBで、「東京23区から見える富士山、ベスト10は」という記事があり、東京ゲートブリッジの橋脚の下からのダイヤモンド富士の写真が掲載されており、20日はダイヤモンド富士の日ではありませんでしたが、素晴らしい夕日を見れるのではないかと思ったからです。写真はWEBから引用しました。
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 東京ゲートブリッジはりんかい線の新木場駅から徒歩で60分かかります。今日は若洲キャンプ場行きのバスに乗りました。バスに乗ること約10分で目的地に着きました。
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 折角、ゲートブリッジに来たので、橋の上に上がり中防昇降施設まで往復歩きました。
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 ダイヤモンド・ゲートブリッジ。
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 向こうにもダイヤモンドが見えます。
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 橋の上から見た光景。東京スカイツリーが見えます。
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 写真からはわかりませんが、東京ゲートブリッジの上は大変な強風でした。こんな日にゲートブリッジを歩いている人はほとんどいませんでした。あまりの強風で、路肩に寄せられてしまっているお年寄りがいました。037.gif
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 空には月が浮かんでいます。
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 中坊昇降施設までは写真を撮りながらゆっくり歩いて約30分でした。この先は行き止まりになっており、また若洲まで戻らなければなりません。
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 天気はいいのに、振り返っても誰もいません。
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 橋の上は寒いので、早々に若洲まで引き返し、下まで降りました。しかし、下も寒かったです。
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 私は東京ゲートブリッジの真下に赤い太陽が落ちてくるのが見える位置に移動しました。ところが昼間は天気予報どおり快晴であったのに、太陽が傾きかけた午後4時過ぎ、太陽が沈む方向に雲がベッタリと貼り付き始めました。普通、これだけ風が強ければ、雲は流されてしまうはずで、私の他にも夕日を撮りに来た人がたくさんいました。しかし無情にも、雲は流されないまま、その場所に留まり続け、19日に見たような夕日を見ることができませんでした。
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 これが今日精一杯の東京ゲートブリッジの夕日です。寒い思いをして行ったのに、“あゝ、無情“というしかありません。031.gif
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 右側に富士山が炙り出されてきました。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度


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 17時01分のバスに乗り、新木場駅まで帰ってきました。バスは40分に1本くらいしかありません。東京ゲートブリッジと新木場駅間は歩くと1時間かかります。
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 大井町湯屋で風呂に入って行こうかと思いましたが、1月20日は休館日であることを忘れていました。休館日がわからないほど、最近は大井町湯屋へ行っていません。そして、この日は日曜日でしたが、勇才さんが営業しているというので、夕飯を食べに行きました。068.gif
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 日曜日であるにもかかわらず、私を含めてお客さんは9名も来ました。最初は年配者3名、若いカップル1組、そして、いい歳、りょうちゃんの合計6名でしたが、その後、予約を取っていないという若者1名とカップル1組が来ました。
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 私の隣に座ったのは保母さんと若者のカップルで山形県出身だそうです。私が鳥海山に行ったことがあることを話すと、その若者は雪山歩きで雪の上に出てくる黄色い山椒魚を食べるのが習慣であると話してくれました。山椒魚をツルッと飲みこんでしまうそうです。私にはマネできそうもありません。037.gif
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 鴨鍋。
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 鴨南蛮。
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 名前を忘れてしまいました。こんな顔したオバサンいますね。
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 蒸し牡蠣。
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 ひつまぶし。
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 写真のお酒は年配者3名のお客さんが持ってきた「どぶろく」の上澄みで25度あるそうです。勇才さんは密造酒であるに違いないとおっしゃっていました。041.gif
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
今週末は奈良の若草山に行ってきます。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2013-01-23 21:31 | 海浜幕張&東京ゲートブリッジ | Comments(0)

年末年始の風景、大晦日その年最後の夕日

旅行・地域
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 新年あけましておめでとうございます。年末年始から暴飲暴食の日々が続いています。その暴飲暴食の片棒を担いでいるのは勇才さんです。通常のお店は12月28日までの営業ですが、勇才さんのお店は年末年始休まずに営業し、1月5日(土)から9日(水)までお休みするそうです。その勇才さんに行くと、12月22日マヤ暦最終日には何も起こらなかったけれども、確実に最終章へのカウントダウンが始まった気がするとおっしゃっていました。
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 また先日の12月16日(日)に行われた衆議院選挙では不正選挙が行われた可能性があるともおっしゃっていました。投票用紙、投票箱、票の回収と集計は株式会社ムサシという会社が一手に請け負っており、当初の出口調査と比べると、明らかに1000万票が忽然と消えてしまったと言うのです。この1000万票が消えなければ、日本未来の党が30%以上の得票率で第1党になっていたはずであり、そうはさせてはいけないという力が働いたというのが勇才さんのご意見です。こういうお話を勇才さんにさせると、いつまでも話しています。 今年も木曜スペシャル的なお話、楽しみにしています。038.gif
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 おだまき。茶碗蒸しにうどんを入れたものです。勇才さん子どもだった頃のおやつだそうです。
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 お刺身。
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 西京漬け。
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 鴨鍋。
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 グリーンカレー。
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 このお酒はモーツァルトを聴かせて発酵させたそうです。“Sonzen”(ソナタ)といいます。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 12月31日の夜のテレビは「紅白歌合戦」「ゆく年くる年」に続いて、各地の”除夜の鐘”を聴かせてくれます。最近は、衛生中継を使って中国の名刹寒山寺の”除夜の鐘”まで聞かせてくれるので、近年はこの寺の”除夜の鐘”を聴きに、大晦日になると、たくさんの日本人観光客が訪れます。

 寒山寺は、中国蘇州の西郊5 kmの楓橋鎮にあって、6世紀初頭(梁代の天監年間)に建立され、唐代の詩僧寒山が住職をしていた関係で、寒山寺と名づけられました。唐代の詩人張継がこの寺に寄って、楓橋鎮に夜泊したときつくったのが、『唐詩選』に載っている有名な七言絶句『楓橋夜泊』の詩です。

  月落烏啼霜満天(月落ち烏啼いて霜天に満つ)
  江楓漁火対愁眠(江楓漁火 愁眠に対す)
  姑蘇城外寒山寺(姑蘇城外 寒山寺)
  夜半鐘声到客船(夜半の鐘声 客船に到る)

 愁眠とは旅愁のことで、旅先でなかなか寝つかれないこと。姑蘇城は今の蘇洲の町。春秋時代、呉王夫差の宮殿のあったところです。古来、この近くに烏啼山という山があるので、「月は烏啼に落ち」と読むのが正しいと議論されましたが、調べた結果、この山の命名はこの詩のできたあととわかって一件落着しました。
張継は中唐の詩人で、襄州(湖北省襄陽)の人です。官吏で『楓橋夜泊』と題する詩集一巻があるだけです。

 “除夜の鐘”は日本では大晦日、百八の煩悩を洗い清めるために撞きますが、本来中国では唐の時代は各寺院で朝夕毎日撞いていたそうです。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 さて、ようやく休暇に入り、年末は神棚の御札を納めに戸越八幡神社へ行ってきました。その途中に戸越公園があるのですが、ヒマラヤザクラが咲いていました。056.gif
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 戸越八幡神社。
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 「戸越」の名前の由来の碑。ここは坂道の上に有り、昔は小高い丘になっていたようであり、その丘を越えていくと江戸を超えるので、「戸越(とごし)」という地名がついたようです。私はこのことを小学校2年生の社会科で習ったのを覚えています。
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 ルンビニ幼稚園のお地蔵様。
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 12月16日のブログで、映画館「大井武蔵野館」があった通りの写真を品川WEB写真館から引用して紹介しました。
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 その通りは現在、このようになっています。左手前のマンションの場所に「大井武蔵野館」がありました。
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 その奥に見える高い建物は広町にあるJR社宅のアパートです。昔は郷ひろみとその家族が住んでいたという噂がありましたが、見たことはありません。
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 年末の大掃除で書類を整理していると、上智大学から送られてきた来年度のカレンダーが出てきました。その写真の中に大正3年(1914年)に完成した赤レンガの校舎の写真がありました。昨年の1月、広島へ行った時にピースボランティアの辻さんのお仲間の細川さんから、原爆ドームである広島物産陳列館を設計したヤンレツルが上智大学の校舎も設計していることを教えていただき、6月のゲンダマ会のときに、先生方はじめ、知っていそうな年寄りの方にそのことを尋ねてみましたが、誰ひとりご存知の方はいませんでした。その後、フェイスブックにヤン・レツルの記事があり、あのウキペディアに上智大学は関東大震災(1923年)で倒壊したと記述されていました。校舎の一部でも残っていたら、写真に撮りたいと考えており、90年も前に地震で倒壊したら、その一部も残っていないだろうとあきらめていました。
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 しかし、そのカレンダーには大正3年(1914年)の校舎が写っていました。年代的に見ても、おそらくはこの赤レンガの校舎こそ、ヤン・レツルが設計したものに間違いないと思います。私はこの写真をスキャンして、すぐに広島の辻さんへ送りました。写真はその上智大学の赤レンガ校舎で、カレンダーをスキャーナーで画像にしたものです。
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 赤レンガ校舎の教室。
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 メインストリート。昭和7年(1932年)。
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 聖イグナチオ教会の前のカマボコハウスと書いてあります。昭和25年(1950年)。何のために建てられたのでしょうか。
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 聖イグナチオ教会。昭和30年(1955年)。右上に見えるのは迎賓館だと思います。
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 上智会館学生寮。昭和33年(1958年)。現在は取り壊されて、ありません。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度


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 12月31日、お天気であれば、毎年、その年の最後の夕日を見に行くことにしています。初日の出はたくさんの方が見に行かれるようですが、その年最後の夕日を見に行く人はほとんどいません。おそらくはいい歳、りょうちゃんだけではないでしょうか。今年は海浜幕張に行ってきました。海浜幕張駅を降りて、約20分で海浜幕張公園の砂浜につきます。天気が良ければここから富士山が見えるのですが、今日の大晦日は見えませんでした。
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 南のほうは青空が見えています。
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 北のほうには東京スカイツリーが見えます。
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 この日は風もなく、穏やかな一日であり、浜辺に遊びに来ている人がいました。
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 徐々に日が傾き、真上の厚い雲の中から師走の太陽が現れました。058.gif
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 周囲を赤く染めながら、太陽が降りてきます。
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 工場の煙突からの炎で太陽が燃えているように見えます。
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 太陽が沈みきり、海と空が真っ赤に染まりました。
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
新年山行は丹沢・仏果山に行ってきます。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2013-01-02 11:56 | 2012年最後の夕日 | Comments(0)

日和田山3点確保トレーニング&亀戸ホルモン

旅行・地域
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 12月4日(火)に倉持さんからアミューズトラベルが自主廃業するとの連絡をいただきました。その翌日、アミューズトラベルから電話があり、廃業するため、現在申し込んでいるツアーの入金分を返却したいので口座を教えてほしいと連絡がありました。浅場会長からは歩みの会の忘年登山を実施するということを聞いていたので、来年度以降の歩みの会についてどうなるのか尋ねると、別会社に営業を譲渡して、ツアーを継続するとのことでした。

 いままで何度も書きましたが、アミューズの参加基準はとてもいい加減で、山登りをさせても歩くことができない年配者を、お得意様であるという馴れ合いだけで参加させ続けていました。マナーも悪く、尊敬するには価しない年寄りたちです。白馬岳での滑落事故は、本来は参加させてはいけない年配者をなあなあ主義で参加させてたために起こってしまったと思っています。アミューズが2回目の死亡事故を起こすのは時間の問題だったかもしれません。
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 写真は10月末にアミューズで行った伊吹山と恵那山の集合写真です。私が参加したアミューズの最後のツアーになりました。廃業を決めたアミューズから伊吹山と恵那山の集合写真が送られてくるとは思いませんでした。その最後のツアーのガイドは一番右に写っている怖い顔をした泉田さんでした。登山中はたいへんに厳しく、少しでも危険につながる行動があれば大きな雷が降ってきます。たぶんアミューズに参加しているほとんどのツアー客、特に年配女性の大半は嫌煙していたのではないでしょうか。飯豊山のツアーでも、次回の塩見岳を泉田さんが担当するとわかった時に、婆さんどもがひどく文句を言っていたのを覚えています。しかし私は泉田さんのようなガイドさんがもっとたくさん居れば、なあなあ主義のアミューズが廃業する事態にはならなかったのではないかと思っています。
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 「安全」の「安」とは本来どう言う意味があるのか、ご存知のことと思いますが、値段が安いという意味でだけではありません。「宀」(べん)は祖先の霊を祭っている廟(みたまや)の屋根を示し、「安」は廟の中に女の人が座っている形を表しています。嫁いできた新婦が廟でお参りをしている姿です。夫の家の人になるための儀式を行っており、その家の人となることこそ、「安らかに暮らせる」という意味が込められています。「安全」の「全」は全身全霊の意味です。全身全霊でその家の人になる儀式を行っていることが「安全」の語源です。

 いつも厳しく注意喚起してくれた泉田さんは安全に山登りすることを常に教えてくれていたと思います。その泉田さんにもうお会いできないのはとても残念でなりません。
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 さて12月8日(土)は山旅クラブで日和田山に3点確保のトレーニングへ行ってきました。日和田山は7月以来、2回目です。朝7時35分、西武池袋線に乗って、高麗駅へと向かいました。「快速急行」西武秩父行きは「高麗」に停車してくれるとはわからず、飯能駅で降りてしまいました。快速急行が発車してしばらくして、そのことに気がつき、あわてて飯能からタクシーに乗って、高麗駅に駆けつけました。トミーさん、奥様、青柳さんと茂来山以来の再会になります。そして配布された名簿には、トミーさんにいつも酷いことを言われているキノピー木之下さんの名前もありましたが、いらっしゃいませんでした。トミーさんが確認したところ、前日に飲みすぎ、泥酔して家の玄関でお休みになってしまったようです。トミーさんは何でもばらしてしまいます。037.gif
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 私たちは高麗川に沿って登山口まで行き、7月と同じく高さ数 mの子供岩で3点確保のトレーニングを行いました。
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 子供岩の前でハーネスとヘルメットを装着し、ハーネスの前に通した安全環2つにロープをつけて、3点確保しながら、子供岩を登り、クライムダウンで岩場を降ります。クライムダウンとはホールドを探しながら、3点確保で自力で降りることを言います。写真は準備をするトミーさん。
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 青柳さん、いい歳、りょうちゃんと順番にトレーニングを進めていきました。
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 そしてトミーさんの奥様が私たちにお手本を見せてくれました。難しいルートを身軽にスイスイ登り降りしていました。こういう時は動画を撮るべきでした。
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 私たちが3点確保の登りとクライムダウンの練習を何回か済ませて、休憩していると、前日泥酔して朝来ることができなかったキノピー木之下さんが子供岩のところに現れました。その後、ATCという治具を使って、懸垂下降の練習をしました。写真は懸垂下降の姿勢について説明するトミーさん。左手前のおじさんが泥酔していたキノピー木之下さん。
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 懸垂下降の姿勢を練習するため、ロープをたわませて少し体を持ち上げて岩を登ろうとしましたが、なかなか登ることができず、本日の練習の中で一番難しかったです。写真は懸垂下降を難なくこなし、私たちにお手本を見せてくれているトミーさんの奥様。
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 昼過ぎまで子供岩で練習をしたあと、お昼を済ませて、男坂から鳥居のある頂上を目指しました。トラバースはせずに、岩場を3点確保で登っていく実践を行いました。
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 鳥居の場所に到着。ここは山頂ではありませんが、山頂より見晴らしがいいそうです。
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 巾着田。
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 遥か遠くには東京スカイツリーが見えました。
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 富士山は見えませんでしたが、丹沢の山並みが見えました。
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 鳥居の場所で記念撮影(トミーさんのブログからもらいました)。
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 鳥居の場所から下山を開始しますが、岩場で懸垂下降の練習をしました。懸垂下降で登るのは大変ですが、下降するのは比較的容易にできました。これならば源治郎尾根恐れるに足らずです。038.gif
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 男岩の裏。
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 男岩ではたくさんのクライマーが練習をしていました。
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 15時すぎに高麗駅前に戻ってきました。ここで皆さんともお別れ。次回は赤城山・鍋割山になります。
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 高麗駅のホームから見た日和田山。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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  明治の文豪のなかで、今も一番広く読まれているのは、やはり夏目漱石です。高校生・大学生が、電車の吊り皮につかまりながら読んでいる文庫本をみると、『吾輩は猫である』『坊ちゃん』『草枕』が多いようです。

 「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。(中略)どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画ができる・・・・・」 ご存じ『草枕』の一節です。

 こんな漱石への親近感、国民の人気が反映して、今回の紙幣の肖像に使われるようになったのでしょう。ヒゲをはやし、どうしても70歳ぐらいにみられますが、実際は、大正5年(1916年)12月9日、50歳で亡くなりました。

 晩年は「則天去私」と、悟ったようなことを言っていましたが、亡くなるとき、“死にたくない!”と叫んで、まわりにいる人を困らせたといいますから、普通の人間と変わりないようです。

 漱石について感心することは、作品は別として、“漱石山脈”といわれる多彩な門下生を育てたことです。

 安倍能成、阿部次郎、和辻哲郎、岩波茂雄、芥川竜之介、久米正雄、松岡譲、鈴木三重吉、森田草平、野上豊一郎、野上弥生子、寺田寅彦、小宮豊隆、松根東洋城・・・・・・戦前のわが国の哲学、科学、文学の分野で、超一流といわれる人物を数多く輩出したことです。普通の作家ではできません。

 人脈の裾野の拡がりというのは、文学の世界に限らず、人物評価の大事な基準の一つだと思います。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)


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 日和田山から帰ったあと、勇才さんに行きました。予約の電話をすると今週も何とか10席目に滑り込むことができました。
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 そしてお隣の席には、先週もお会いした若者二人がいました。お二人は勇才の近くの会社に勤めており、ほぼ毎週勇才に通われている常連さんです。
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 お刺身盛り合わせ。
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 牡蠣入り茶碗蒸し。
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 ウマヅラハギ。
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 今日のメインディッシュは豚しゃぶでした。
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 ほうれん草も豚しゃぶと一緒に食べました。
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 白子鍋。
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 鳥の雑炊。
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 いくら丼。以上のメニューは私一人で食べたわけではありません。若者二人とシェアしました。さすがにこのいくら丼は入りませんでしたが、写真だけ撮らせてもらいました。若者二人はペロリ食べてしまいました。038.gif
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 昭和30年代の勇才さん。038.gif
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 現在の勇才さん後ろ姿、左側です。時の流れを感じます。037.gif
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 さて次の写真は1985年8月12日18時56分に群馬県の御巣鷹山に墜落した日航ジャンボ機JAL123便のエンジンを回収している場面です。勇才さんがスマートフォンの画面で見せてくれました。写真は「(新)日本の黒い霧」から引用しました。
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 勇才さんに来ると必ず世紀末伝説や事件簿の謎のような「木曜スペシャル」的なお話を聞かせてくれます。ジャンボ機のエンジンならば、直径2 m以上あるはずですが、写真のエンジンは周りに写っている人の大きさから判断しても直径1 mほどにしか見えません。つまり、この写真に写っているエンジンはジャンボ機のものではなくアメリカの軍用機のものだというのです。報道ではB747型機の圧力隔壁、垂直尾翼の損傷が原因で墜落したとされていますが、米国軍によって撃墜されたというのが勇才さんの主張です。どういう形で墜落に至ったかは知る由もありませんが、写真のエンジンは撃墜した側の残骸であると勇才さんは言います。

 では何故JAL123便は撃墜されたのか。この日航ジャンボ機墜落事故からわずか1ヵ月後にプラザ合意が締結されます。このプラザ合意には当時の中曽根政権は前向きではなく、プラザ合意に反対する4人の財界人がJAL123便に乗っていたというのです。プラザ合意に反対する4人の財界人を葬るとともに、プラザ合意になかなか踏み切れなかった中曽根政権への脅しとして、JAL123便は撃墜されたという見方です。

 勇才さんの話はまだ続きます。JAL123便墜落の翌朝に御巣鷹山に登った人が異様な光景を目にしています。JAL123便が墜落した時刻は18時56分ごろですが、目撃者が山に登った翌朝にはすでに自衛隊員100名以上が墜落現場に到着していたといいます。その自衛隊員の腰には長さ40 cmのアーミーナイフが携帯されていたそうです。報道では生存者は女性4名でしたが、目撃者によると指がちぎれた男性の生存者が一人いたそうです。指がちぎれていたほかには、大きな損傷もなく、死亡するようには見えなかったといいます。そして周囲からはまだ生きていると思われる40~50人の呻き声が聞こえたそうです。ところが下山を開始しようとしていた午前5時には呻き声はぴたりと消えたしまったというのです。「(新)日本の黒い霧」のブログではそれ以上のことは書いていません。プラザ合意に反対する財界人4人を乗せたJAL123便は米軍機によって撃墜され、生存者は自衛隊員に扮した何者か(米軍)によって、次々とアーミーナイフで命を奪われていったというのが勇才さんの推測です。その時の生存者4人が、その後、マスメディアで事故について一切証言していないのがいい証拠であるとおっしゃっていました。

勇才さんが信じているマヤ暦最終日2012年12月22日に果たして人類は滅亡してしまうのでしょうか。その日は浦安湯屋のメンバーと忘年おしきせの会をやる日です。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度


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 翌日の日曜日はじゃんけんぽんのトントンさん、はるさんと久しぶりに亀戸ホルモンへ行ってきました。いい歳、りょうちゃんが剱岳登攀が終わったらお祝いに亀戸ホルモンに行こうとお約束していましたが、その後も山に行き続けたため、今日ようやく亀戸ホルモンへ行くことができました。
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 亀戸ホルモンは夕方なので、それまで夕日を見に葛西臨海公園へ行ってきました。
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 水族館にも寄りました。大人一人700円です。
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 日曜日とあって水族館の中は大混雑でした。
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 これは昨日勇才さんで食べたウマヅラの仲間でしょうか。
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 今度、勇才さんでイカの姿造りを食べさせてもらいたくなりました。
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 昼間は太陽が眩しかったのですが、夕方は雲が出てきて、赤く丸い夕日を見ることできませんでした。
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 夕景を撮影したあと、亀戸へと向かいました。それにしても風が強く、寒い葛西臨海公園でした。
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 日が沈むとすぐに暗くなってしまいます。まだ17時前だというのにすっかり夕闇に覆われてしまいました。亀戸に着いたのは17時20分でした。ところが待ち合わせ時間を18時と8時を間違えてしまい、実際の待ち合わせ時刻よりも2時間30分以上も早く亀戸についてしまいました。明るければ、亀戸天神へお参りにでも行くところでしたが、暗くて寒いので、アトレで時間を潰しました。待ちくたびれました。
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 ようやく本当の待ち合わせ時刻になり、岩崎医院の院長先生、将来院長婦人になるかもしれない許嫁(いいなずけ)の千恵ちゃん、院長先生のお友達、トントンさん、はるさん、全員で8名で亀戸ホルモンへ行きました。
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 大村崑のオロナミンC。
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 院長先生、両手に花。普段、下品なことばかり言うので、「淫長先生」と呼ばれています。
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 今日のお目当てはやはり「レンガマックス」です。レンガマックスは横隔膜で、レンガのような塊の肉です。レンガという名前からは想像できないほどのやわらかさです。
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 しかしもっとすごい肉がありました。レンガ武蔵。東京スカイツリーにちなんで命名されているようです。1つの塊で600 gあり、長さは智恵ちゃんの顔の3倍くらいありました。
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 亀戸ホルモンでたっぷり食べてしまいました。
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今週は赤城山・鍋割山と歌声喫茶に行ってきます。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2012-12-14 00:28 | 日和田山トレーニング | Comments(0)

師走の紅葉、昭和記念公園&勇才開店3周年

旅行・地域
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 まずは連絡です。「なんでもトライアスロン」の掲示板にも掲載しましたが12月22日(土)に恒例の忘年おしきせの会をやります。今年は大井町の名店「じゃんけんぽん」で行います。今のところ、参加の連絡を頂いているのは、あきちゃん、あやちゃん、あやや、安藤さん、かずさん、かとたつさん、じゅんやさん、タッキー滝本さん、チギ千吉良さん、ハニー羽入さん、ベジータ宮崎さん、よしこさん、そしていい歳、りょうちゃん以上アイウエオ順の13名です。まだ有余がありますので、参加希望の方は連絡をください。
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 12月もアミューズトラベルのツアーがなくなってしまったので、12月15日(土)は山旅クラブで赤城山・鍋割山、冬晴ハイクに行くことにしました。また16日(日)はあづみ野うたごえ喫茶に行ってきます。038.gif
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 12月1日も本来ならばアミューズで明神ヶ岳・明星ヶ岳に行く予定でしたが、ツアーが取り止めになってしまったため、紅葉を見に、昭和記念公園に行ってきました。紅葉情報では12月初めは紅葉が見ごろで、コウテイダリアも咲いているとのことです。056.gif
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 昭和記念公園はJR立川駅から徒歩15分です。昭和記念公園は昭和58年(1983年)に昭和天皇の在位50年を記念し、立川基地の跡地に開園されました。入場料は400円です。ただ日曜日などは無料で入場できるようです。今日は土曜日であったため400円の入場料を取られました。
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 天気予報では晴れのはずだったのですが、立川駅に着く直前から雨が降り始めました。雨足も次第に強くなり、昭和記念公園から大慌てで帰っていく人がたくさんいました。おそらく天気予報を見て、傘も持たずに出かけていたのでしょう。この雨で公園の中はほとんど人がいませんでした。057.gif
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 雨の中でも、真っ赤な紅葉が映えていました。038.gif
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 大きなコウテイダリアが咲いていました。寒気で霜が降りると一気に散ってしまうそうです。056.gif
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 イチョウの大木。黄色が鮮やかでした。
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 イチョウ並木。イチョウの葉はほとんど散っていましたが、地面にはイチョウの黄色い絨毯が敷き詰められていました。038.gif
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 もみじの絨毯。歩き始めて30分が経過し、先程まで降っていた雨が上がりました。
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 みんなの広場。雨も上がって、大きな木の周りに人が集まってきました。
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 空を見上げると、雲が切れ、青空が広がってきました。058.gif038.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 12月1日は「映画の日」です。明治29年(1896年)、神戸の「新港クラブ」で、わが国ではじめて映画が上映されたのを記念して、昭和31年(1956年)に制定されました。
 この映画の日にちなんでか、この月二人のの偉大な映画人が亡くなっています。

 一人は、昭和38年(1963年)12月12日、60歳で亡くなった日本映画の名監督、芸術院会員でもあった小津安二郎です。彼は明治36年(1903年)、東京深川に生まれ、三重県宇治山田中学校卒業後、大正12年(1923年)に松竹蒲田に入社しました。

 以来、30有余年『東京物語』『戸田家の兄弟』『父ありき』『晩春』『麦秋』『彼岸花』『秋日和』など、庶民の生活を“気品”と“人生味”と“ユーモア”で、国際的にも賞賛された数多い日本映画の名作を残して去りました。

 もう一人は、1977年12月25日、スイスの自宅で88歳で永眠した、世界の喜劇王チャップリンです。『黄金狂時代』『街の灯』『モダン・タイムス』『独裁者』『殺人狂時代』『ライムライト』『ニューヨークの王様』・・・・など。彼の名作は世界の多くの人に見られています。

 映画『ライムライト』で、チャップリンがクレア・ブルーム演じる踊り子を励ます言葉が印象的でした。「この人生は、どんなに辛くても生きるに価する。そのためには三つのことが必要だ。勇気と希望と、そしてサム・マネー(わずかな金)だ。」貧乏人の子として育った彼の根底にあるヒューマニズムとペーソスが言わせた言葉でしょう。
 チャップリンはアメリカで喜劇王の地位を気づいたにもかかわらず、アメリカが嫌いで、それを皮肉って作ったのが『ニューヨークの王様』です。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 昭和記念公園内に日本庭園があります。この庭園の紅葉もまた見事でした。写真は地面に落葉したカエデの葉で、赤い絨毯が敷き詰められているようでした。
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 池には逆さの紅葉が写っています。
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 空はすっかり青空です。
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 日差しに照らされた紅葉は燃えるように赤く、見事というしかありません。058.gif038.gif
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 雨上がりで気温は低くかなり寒く感じましたが、高い竹が風に吹かれて美しい情景でした。
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 紅葉と緑の竹。
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 日に透かされたカエデの葉。
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 強風で噴水の水が吹き飛ばされています。
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 イチョウ並木。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)


命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよで
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度


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 最初は雨が降って、紅葉を適当に見て切り上げようと思っていましたが、すっかり晴れて、青空の下で紅葉を見ることができました。
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 大井町駅まで戻ってきて、久しぶりに勇才さんに行こうと思い、電話をすると今日は開店3周年記念で既に9名の予約が入っているとのことでした。なんとか最後の10席目に滑り込むことができました。勇才さんはカウンター10席のお店です。
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 3周年記念のポスター。紅葉を見たあとに、もみじ肉とは出来すぎています。038.gif
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 準備が着々と進んでいました。
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 鹿肉のシチュー。最初は8人の予約だったそうですが、人数が増えたため、分け前が減ってしまったようです。037.gif
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 お隣に座ったご年配のご婦人が持ってきたエビスビール限定の日本酒です。
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 茶碗蒸し。牡蠣が入っていました。
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 鮭の親子。
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 マンボウの腸。
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 ズワイガニ。
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 鹿肉を裁く、勇才さんの腕。
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 この鹿肉は生でも食べられます。
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 鹿肉のステーキ。
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 最後はうどんを戴きました。
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 もちろん日本酒もたくさんいただきました。以前にも紹介しましたが、勇才さんは2時間5000円で、2時間以上は1時間1000円追加になります。今日は3周年記念であるため、全員ひとり6000円でした。038.gif
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 この写真は昭和30年代の勇才さん。髪の毛、ふさふさで今や見る影もありません。037.gif
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
来週は日和田山に行ってきます。060.gif

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by ryott-ryott | 2012-12-02 19:18 | 紅葉の昭和記念公園 | Comments(0)