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2016年明けましておめでとうございます

登山
旅行・地域
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2016年明けましておめでとうございます。
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 昨年は4月に大洗への転勤を命じられて、山行へ出かけることができるのか、案じる日々が続きましたが、無事に日本百名山を5年と44日かけて登りきることができました。お力添えいただいた皆さんに改めて感謝申し上げます。
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 いろいろな方から日本百名山の次の目標を尋ねられますが、今年は目標を持たずに、まぁ1ヵ月に2回くらい山歩きできればよいと考えております。
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 今回は山行の報告ではなく、毎年恒例の初日の出の写真を掲載します。元日の日の出が初日の出であり、元旦といいます。この元旦は2011年からの5年間を見ると、2011年と2014年の2回しか見ることができていません。昨年2015年は曇り空で元旦を見ることはできませんでした。
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 普段大洗にいるときは出勤前に晴れていれば大洗磯前神社神磯の鳥居からの太平洋のご来光を見ていますが、東京にいるときは大田区城南島海浜公園から東京湾のご来光を見ることにしています。今年の元日は東の空を見上げるとオレンジ色に染まっていたので、初日の出を見ることができると判断して城南島海浜公園に向かいました。
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 城南島海浜公園は大井町駅からタクシーで20分です。バスも走っていますが、バスの走行時刻を待っていると、日の出時刻には間に合いません。
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 元日以外はほとんど人がいない城南島海浜公園も元日は初日の出を見に来る人で車も人も大混雑でした。
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 東海上には太陽1つ分くらいの雲が横たわっていましたが、午前6時50分過ぎに、太陽が雲の中から顔を出しました。その瞬間、集まっている民衆から大歓声があがりました。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)
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 初日の出を見たあととは、大井埠頭中央海浜公園に立ち寄り、皇帝ダリアを見てきました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 本来ならば12月31日にその年最後の夕日を見ることにしていますが、2015年の大晦日は曇り空であきらめました。その代わり、元日の昼間は快晴で、夕日を見に幕張海浜公園に出かけました。
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス


 
次回は伊豆ヶ岳の報告をします060.gif

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by ryott-ryott | 2016-01-02 13:23 | 2016年初日の出

福寿草咲き乱れる奥秩父の岩峰・四阿屋山を行く

登山
旅行・地域
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 今年もどうぞよろしくお願いします。024.gif
 今年の大目標は日本百名山100座達成でありますが、登山を中心に健康第一で歩いていきたいと思います。当面の予定は以下のとおりです。

  1月24日(土)~25日(日) 日光・雲竜渓谷(山旅クラブ)
  1月31日(土)~2月1日(日) 八丈島(八丈富士、三原山、トラベルギャラリー)
  2月15日(日) 奥武蔵主脈縦走(関八州見晴台、山旅クラブ)
  3月 1日(日) 宇都宮アルプス(山旅クラブ)
  3月14日(土)  奥武蔵主脈縦走(カバ岳、山旅クラブ)

 1月10日(土)~11日(日)は山旅クラブの新年山行で四阿屋山に行ってきました。いつものようにいい歳、りょうちゃんが写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。
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 今回は1月10日(土)に四阿屋山に登って、その晩は両神荘で新年会を執り行い、翌朝解散という、いつもとはちがう山行になります。参加者は一昨年仏果山をガイドしていただいた木之さん、浅間隠山をご一緒したY崎さん、登山道の口車のS木さん、トミーさんご夫妻と久しぶりにお会いする方ばかりでした。いい歳、りょうちゃんも年末は登山することができずに2ヵ月以上のブランクをはさんでの登山になりました。
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 両神神社で初詣。皆さんは何をお願いしたのでしょうか。トミーさんは髪が増えるようにお祈りしたのでしょうか。いい歳、りょうちゃんはもちろん日本百名山完登です。037.gif
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 コブシの蕾が膨らみ始めていました。春の足音が聞こえます。
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 四阿屋山の山頂を目指して、出発します。
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 四阿屋山は福寿草で有名ですが、この季節はまだ早いと思っていました。ところが福寿草園には幾つか黄色い花を咲かしていました。福寿草の花言葉は「幸福」です。見られるとは思っていなかった、福寿草の花を見つけることができ、みんな幸福な気持ちになりました。056.gif
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 蝋梅(ろうばい)も咲いていました。蝋梅の黄色が青空に映えていました。
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 武甲山、秩父の山並みが見えました。
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 福寿草園の階段を登りながら、両神神社奥社へ向かいます。段差の大きい急な階段と2ヵ月以上のブランクのため、いい歳、りょうちゃんは大汗をかき、先頭集団から大きく引き離されてしまいました。それでもS木さんのおしゃべりの声は聞こえてきました。
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 四阿屋山の山頂直下は急登の岩場になります。事故が多いため最近では登山禁止になっており、巻き道のほうから登っていきました。巻き道とはいえ、鎖とトラロープが張られており、かなりの急登になります。見方次第では剱岳の別山尾根よりも危険であったと思います。写真の先頭のご婦人は、若作りのS木さん。
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 おそろしい鎖場を抜けてようやく分岐に到着。山頂はもうすぐです。
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 四阿屋山の山頂に到着し、記念撮影。いい歳、りょうちゃんはバテています。
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 山頂から見た両神山。
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 おそろしい鎖場を降っていき、四阿屋山を下山しました。
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 下山途中にこんな場所がありました。
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 今日泊まる両神荘が見えます。
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 両神荘受付に置いてあったこんにゃく芋。
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 両神荘に行き、入浴を済ませ、新年会開催となりました。驚いたことに、あんなにお酒が好きだった木之さんはお酒を1滴も飲まず、ノンアルコール飲料を持参してきていました。以前の山行で私が差し出したまんじゅうを、「甘いものは食べない。」と言って断った木之さんが、お土産に羊羹とまんじゅうを買って帰っていきました。その木之さんが持ってきたノンアルコール飲料の日本酒を飲ませていただきましたが、私たちが普段飲んでいる日本酒の味とはたいへんかけ離れていました。残りをいただいて、普段よく行く「じゃんけんぽん」のトントンさんとはるさんに飲んでもらって感想を聞きました。また桑野おじいさんも飲んだようですが、よい評価は当然ながら得られませんでした。037.gif
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 両神荘の夕飯で岩魚の骨酒をいただきました。ノンアルコール日本酒は比べ物になりません。
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 またこの新年会で山旅クラブの年間の予定が発表になりました。日本百名山完登を目指すいい歳、りょうちゃんにとって、今年の日本百名山の予定は以下のようになりそうです。

6月13日(土)~14日(日) 91座目:  蔵王連峰・熊野岳
7月18日(土)~20日(月) 92~93座目:妙高山、火打山
7月25日(土)~26日(日) 94座目:  大朝日岳
8月 8日(土)~16日(日) 95~97座目:大雪山、十勝岳、羊蹄山、その他
9月18日(土)~23日(水) 98座目:  黒部五郎岳~雲ノ平
10月10日(土)~12日(月) 99~100座目:荒島岳、白山

 女性陣の朝湯でだいぶ待たされましたが翌朝は両神荘で朝食を食べて、解散。翌朝は両神荘で朝食を食べて、解散。S木さんとレッドアロー号で東京に帰ってきました。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 毎年のことではありますが、元日は大田区にある東京都立城南島海浜公園に初日の出を見に行きます。今年も見に行きましたが、残念ながら、東側の空に雲がベッタリと貼り付いて、初日の出を見ることはできませんでした。空を見れば、日の出を見ることができないとわかるのですが、それでも城南島海浜公園にはたくさんの人が集まってきていました。私は空を一目見て、すぐに帰宅しビールを飲みました。
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 翌日1月2日(金)はとても良い天気に恵まれました。朝、東の空を見るとオレンジ色に染まっていたので、日の出を見ることができると判断し、城南島海浜公園に出かけました。1月2日の日の出が2015年の初日の出となりました。
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 羽田空港。
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 こんな柄の飛行機が飛んでいました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 1月3日(土)、この日も天気がよいとの予報だったので、いつもの城南島海浜公園ではなく、東海道線の根府川駅まで行ってご来光を見ました。東海道線の根府川駅のホームから駿河湾を一望できると中国整体の李先生から教えられていました。1月3日の日の出時刻は6時52分であったので、品川始発の東海道線に乗って根府川駅まで行きました。小田原駅で乗り継ぎ、根府川には6時29分に着きました。駅前には何もありません。
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 降りのホーム東京寄りから駿河湾を一望できます。この日は私以外に2名がカメラを持って来ていました。李先生によると元日は大変な人出らしいです。
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 東の空には2段重ねの雲が横たわっていましたが、雲の間からご来光を見ることができました。
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

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 昨年の大晦日、その年の最後の夕日を千葉県立幕張海浜公園に見に行きました。初日の出は多くの人が見に行きますが、年の瀬の最後の夕日を見に行く人はあまりいないと思っていましたが、最近は夕日を見に来る人が増えてきています。いい歳、りょうちゃんの影響でしょうか。
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 2014年12月31日の夕日は空を燃やすような赤い夕日でした。
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次回は奥武蔵の報告をします060.gif

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by ryott-ryott | 2015-01-18 15:51 | 新年山行・四阿屋山

2014年師走の風景

登山
旅行・地域
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 ブログが実態に追いつきましたが、肝心の山に行けておりません。12月は桜山、日蓮アルプスへのハイキング、月居山・奥久慈男体山に行く予定でしたが、いずれも仕事の邪魔が入って行くことができませんでした。11月の独鈷山、個人で行くことにしていた蔵王も含めると5回連続で行くことができず、11月13日に行った歩の会・桧沢岳が2014年最後の山行になりました。現在、体重がうなぎのぼりになっています。037.gif
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(奥穂高山頂から見たジャンダルム)

 大目標である日本百名山は、今年までで90座まで到達しました。悪天候や仕事による妨害があるので明確には宣言できませんが2015年には残りの10座を登ることができればよいと考えています。残りの10座は、蔵王山、黒部五郎岳、大朝日岳、火打山、妙高山、十勝岳、大雪山、羊蹄山、荒島岳、白山になります。当面の予定は以下のとおりです。

  1月10日(土)~11日(日) 四阿屋山(山旅クラブ)
  1月15日(木) 竹寺・子の権現(歩の会、休暇が取れれば)
  1月17日(土) 奥武蔵主脈縦走(日和田山~物見山~越上山、山旅クラブ)
  1月24日(土)~25日(日) 日光・雲竜渓谷(山旅クラブ)
  1月31日(土)~2月1日(日) 八丈島(八丈富士、三原山、トラベルギャラリー)
  2月15日(日) 奥武蔵主脈縦走(関八州見晴台、山旅クラブ)
  3月 1日(日) 宇都宮アルプス(山旅クラブ)
  3月14日(土)  奥武蔵主脈縦走(カバ岳、山旅クラブ)
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(光岳の光石)
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(鹿島槍ヶ岳北峰から見た南峰と劔岳)
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(燧ヶ岳柴安嵓)


(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 山に行っていないのでブログに書くことがありません。12月に撮影しました日の出、夕日の写真を掲載します。
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 毎年のことですが12月31日には終いの夕日、1月1日には初日の出を見に行きます(このブログを書いているときはまだどちらも見ていません)。かつては夕日や日の出を見るために日本各地に出かけていきましたが、南関東の冬の晴天率は80%もあり最も晴れの日が多いので、ここ数年は東京湾の日の出、夕日を見に行くことにしています。058.gif
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 日の出は、城南島海浜公園から東京湾の日の出を見ることができます。城南島海浜公園はJR大井町駅から徒歩2時間です。元旦の日の出時刻は6時50分なので、4時30分には家を出なければならないので、ほとんど往きはタクシーを使います。大井町駅から約20分、料金2700円くらいです。帰りはタクシーをほとんど捕まえることができないので2時間歩いて大井町駅まで戻ってきます。電話をしても、近くにタクシーが走っていないため、断られてしまうことが多いです。
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 城南島公園の中には浜辺があり、元旦に限って浜辺に入れてくれます。普段は施錠されていて入ることができません。ただし今年は浜辺の改修工事をしており、明日元旦に浜辺に入れてくれることは安全上難しいのではないでしょうか。
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 夕日は、葛西臨海公園で撮っていたこともありますが、12月はゴルフ練習場の屋根に沈んでいくので、今はほとんど千葉県立幕張海浜公園で見ることにしています。幕張海浜公園はJR海浜幕張から徒歩20分くらいです。私の場合は大井町駅からりんかい線で新木場まで行き、新木場から京葉線で海浜幕張まで行きます。
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 正面に富士山を見ることができ、2月下旬にはダイヤモンド富士を見ることができます。私は見たことがありません。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 その他の写真としては、戸越公園に毎年12月年の瀬にヒマラヤザクラが咲きます。今年は開花が少し早く12月14日に散りかけていました。
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 戸越(とごし)公園の「戸越」とは、この丘を越えると江戸を越えることになるので、「戸越」という地名がつけられた由縁になっています。42年前の品川区では小学校2年生の社会科で習いました。現在、教えているかどうかはわかりません。
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 また最近のことですが戸越小学校の北側に「文庫の森」公園ができ、近所の人たちがウォーキングなどをしています。私が小学校の頃には、文部省の資料館が建っており、中に決して入ることはできませんでした。その庭には大きな池があり、捨てられた犬が野犬化してうろついていたことを覚えています。悪い友人たちと犬を取りに行こうと、よく中に忍び込みましたが、捕まえることはできませんでした。その池には人を襲う魚が飼われており、「手を入れないでください」という立札がかかっていました。
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 また自分のクラスには霊感の強い女子がいて、文部省資料館の建物の窓から窓へと幽霊が飛びながら移動していると言っていました。
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 皆さん、よいお年をお迎えください。
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス



 
新年山行は四阿屋山に行ってきます060.gif

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by ryott-ryott | 2014-12-31 11:44 | 2014年年末の風景

雪國・東京から山形・赤湯へ、日本酒酒蔵見学「中沖酒造」

登山
旅行・地域
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 昨年の12月2日に開聞岳に登って以来、2ヵ月半も山歩きには出かけておりません。今年で山登りを初めて4年目になりましたが、こんなに長いブランクは初めてです。山歩きに出かけないと、写真を撮ることもあまりなくて、ブログを更新する回数も減少気味です。最近は手頃に行ける大田区の城南島海浜公園に日の出を撮りに、千葉県美浜区の幕張海浜公園に夕景を撮りに行くことはすでに報告したとおりです。
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 先日の1月13日の成人の日の朝に撮った写真がFacebookの「空の写真館」にシャアされました。024.gif
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 その後も天気がよいときを見計らって、城南島海浜公園に出かけていきます。夕景に比べると、日の出は東の空を見れば、日の出を見れるかどうかは大体判断できます。空がきれいな朝焼けに染まっていれば、ほぼ見ることができます。日の出時刻の30分前になっても空が朝焼けに染まらず暗い朝であれば、曇で見ることができません。それに対して、夕日は、日中よく晴れていても、日没の直前に雲が広がって夕日を見ることができないことはよくあります。夕日は現場に行って、その直前まで見れるかどうかわからないというのが正直なところです。
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 写真は1月18日(土)、幕張海浜公園での夕景です。日中よく晴れて、丹沢山系の稜線に沈む夕日が見れるだろうと思い、出かけましたが、残念なことに下に待ち構えていた雲の中に沈んで行きました。
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 1月25日(土)、東の空が朝焼けに染まっていたので、城南島海浜公園に出かけました。この日は水平線上に太陽1つ分くらいの鈍色の雲が広がっており、鈍色の雲の中にうっすらと太陽の姿が見えました。
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 太陽が徐々に雲の中から姿を現しました。
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 この日は対岸の工場群の煙突は鈍色の雲の中に隠れて見えず、船の航行があまりなく、殺風景な日の出です。
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 そして上空にも雲が待ち構えており、その雲の中へと入っていきました。
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 翌週の2月1日(土)、この日も朝焼けにつられて、城南島海浜公園へと出かけました。しかしながら、先週よりも分厚い鈍色の雲がベッタリと水平線上に広がっており、太陽が見える空間は、わずかな隙間しかあいていませんでした。まるで雲に空いた窓から太陽を見ているようです。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 2月8日(土)、積雪20 cm、東京は45年ぶりの大雪となりました。
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 大井町阪急前の平和の女神像、本当に雪化粧をしています。
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 下神明駅前のタコ公園。
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 折角なので文庫の森公園、戸越公園にも行きました。文庫の森公園も真っ白です。
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 子どもたちが雪だるまを作っていました。
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 文庫の森公園の池、寒いのに結構人が遊びに来ています。
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 戸越公園の北口正門。
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 戸越公園も子どもが雪だるまを作っていました。
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 桜の木に雪の白い花が咲いていました。
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 戸越公園の池にばあさんがパンを投げ入れており、それにカモが群がっていました。
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 品川中央公園にも行きました。となりのトトロの雪だるまがありました。
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 強風でくそ寒いのに、雪合戦をしている若者がいました。暑がりのいい歳、りょうちゃんも寒さに耐え兼ねて、そうそうに帰宅しました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(NHK日本名曲アルバム/銀色の道)


(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 2月9日(日)は年に一度の酒蔵見学がありました。今回は山形県赤湯にある中沖酒造です。「一献」で有名な酒蔵です。前日の大雪の影響で、新幹線は遅れ気味でした。新幹線は予定の時刻を23分遅れて東京駅を発車、大宮から乗車する山仲間の小澤さんも在来線が遅れて、乗るべき新幹線にあわや乗れなくなるところでした。
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 関東は徐々に雲が切れて、青空がのぞき始めていました。写真は新幹線の車窓から見た男体山。
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 那須連峰も見えました。
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 新幹線に乗ること約2時間半で、山形県の赤湯駅につきました。こちらは本当の雪國です。山形県の降雪量を見れば、東京の雪なんか大したことはありません。037.gif
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 山形県のハトバス、やまばと観光ハイヤーに乗って、中沖酒造へ向かいました。
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 約20分で山沖酒造に到着しました。
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 試飲するお酒が用意されていました。早く飲みたいところですが、その前にお酒の製造工程の見学があります。
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 中沖酒造の説明をする社長と若社長。
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 お米を洗米しているところです。
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 この蒸し器で最大700 kgの酒米を蒸すことができます。
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 麹室。この上で麹米を熟成させます。麹菌がコメの中心部に浸透するに従い、酵母が生成するそうです。
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 麹米。温度管理が非常に重要だとおっしゃっていました。
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 酒母を作る部屋で、分析もしているそうです。アルコール度数は密度の測定により、酸度は中和滴定により測定します。りょうちゃんにもできそうです。
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 熱心に若社長の説明を聞く小澤さん。しかし、早くお酒を飲みたくで、心中おだやかではありません。037.gif
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 仕込みの容器の上に登り、発酵中のお酒を飲ませてもらいました。
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 長い説明は終わり、ようやく「一献」を試飲します。
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 これは南極の氷で南極観測隊から譲り受けたそうです。南極の氷は雪が何万年も積もって出来たものであり、氷に含まれている気体は何万年も前の太古の地球の空気であるとのことです。夏にこの南極の氷を日本酒に浮かべて飲む企画があり、太古の地球の空気を日本酒に溶かして飲むと宣伝されていました。
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 西山さんと社長、若社長の記念撮影。
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 見学と試飲が終了し、近くの三桝屋さんで昼食をとりながら、再び試飲をしました。
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 最後にワイナリーにも立ち寄り、ワインもいただきました。相当に日本酒を飲んだので、ワインが新鮮に感じられ、美味しかったです。
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 たっぷり日本酒を飲んで、東京へ帰ってきました。
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

 

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by ryott-ryott | 2014-02-11 15:48 | 酒蔵見学、中沖酒造

2014年成人の日の朝

登山
旅行・地域
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 山に行かないとブログに書くことがあまりありませんが、年が明けましてから新しいミラーレス一眼OLYMPUS OM-D E-M1を買いました。従来はPanasonicのLUMIXを使用しており、レンズの互換性があるOM-Dをいずれ買うことを考えていました。山に出かけることが多いため、雨に濡れても大丈夫であるというOM-Dを買うことを1年以上も前から決めていました。
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 しかしながら、私が月に1回ほど通っている中国整体の先生はOM-DよりもSONYのα7を買うべきだと主張されて、年が明けてからα7を一緒に買いに行こうと誘われました。先生は、α7はセンサーがフルサイズであるため、写真の鮮明さがほかのカメラで撮影したものとは比べものにならないと言うのです。私の写真の先生でもある李先生がそれほどまでに言うならばα7を買おうかと心変わりし、先生にいつ買いに行くのか尋ねると、先生は「α7を買うのをやめた!」と予想もしていない答えが返ってきました。α7はまだレンズが揃っていないこと、バッテリの保ちが弱いことを理由に挙げられていました。しかも防塵防滴ではないため、山に持っていくには適当でないので、先生は私にOM-Dにしたほうがいいと、先日とまったく正反対のことをおっしゃっていました。
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 1月4日、当初の予定通り、ついにOM-Dを大井町駅前のヤマダ電機に買いに行きました。ヤマダ電機でもOM-Dよりもα7の販売に力を入れており、OM-Dの販売にはあまり熱心ではないように感じられ、店頭でもどちらにすべきか少し迷ってしまいました。α7では、朝日・夕日を撮るのに必要な200 mmレンズは今年の3月以降の販売であること、李先生がおっしゃっていた通り昔の型のバッテリをそのまま使用しているため保ちがよくないことがわかり、OLYMPUS OM-D E-M1を買いました。写真がそのカメラです。今年はこのカメラを持って山に行こうと考えています。しかしながら、山に持っていくには少し重いかもしれず、トミーさん、倉持さんに怒られるのではと恐れています。
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 その新しい相棒のカメラを持って、さっそく夕日と朝日を撮りに行きました。1月11日(土)の夕方、もう何回も行っている千葉県の幕張海浜公園に行きました。幕張海浜公園はJR京葉線の海浜幕張駅から歩いて約15分の砂浜がある公園で、天気がよければ海をはさんで真正面に富士山と丹沢山系が見える、都心から手軽に行くことができる夕景の名勝地です。私の場合は、大井町駅から「りんかい線」に乗って、終点の新木場で京葉線に乗り換えて行きます。大井町から新木場まで15分、新木場から海浜幕張まで快速で22分です。写真は幕張海浜公園の手前にある庭園の見浜園の中の写真です。いつもは素通りしていますが、日没まで少し時間があったので立ち寄りました。入場料100円です。
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 見浜園の中を一周して、いつもの砂浜に行きました。この日は風もなく、とても穏やかでした。
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 雲が少し多く太陽もにじんでいます。
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 その雲の中から太陽が線香花火のように降りてきました。その下に飛行機が旋回しています。
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 夕日を見に来た老夫婦。顔を見たら若くありませんでした。037.gif
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 太陽からの光の道が砂浜までまっすぐ来ています。
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 下にはぶ厚い雲があり、その中に沈んでいきそうです。
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 太陽が雲の中に沈んで行きましたが、下の雲がすこし切れており、太陽に雲の帯がかかっています。
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 空も海も真っ赤に染まっていきました。
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 太陽が沈むと気温が一気に下がります。夕日を見に来ていた人たちが引き上げていきました。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 3連休の真ん中の日曜日は残念ながら会社に休出でした。帰りにどこかで写真を撮ろうと考えていました。日も暮れてしまい、会社帰りにじゃんけんぽんに行きました。お店には珍しく変人シェフが来店しました。変人シェフが言うには2年以上顔を合わせていないとのことです。また大井町湯屋仲間のN丸夫妻、桑野さん、それから料理の腕が上がっている変態シェフと第一三共製薬の売人で人相の悪い近藤さん、「いい歳、りょうちゃん」のFacebookをいつも炎上させようとたくらんでいる洋子おばさん、まだ生きていることを確認できたよしえおばあちゃんが来ていました。037.gif
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 洋子おばさんとよしえおばあちゃんから、遺影を撮ってくれと頼まれました。相変わらずヒドイ面構えなので、このブログには載せません。のっぺらぼうのほうがとてもキレイな顔立ちをしています。変に目鼻が付いているので、洋子おばさん、美紀おばさん、よしえおばあちゃんのように苦労しなければなりません。よしえおばあちゃんは、私が撮った写真を見て、気に入らないとおっしゃっていました。鏡を持っていないのでしょうか。写真は生牡蠣です。のっぺらぼうのように「ツルン」としていて、とても美味しいです。041.gif
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 これは栃尾揚げです。最近はいつもこの栃尾揚げを頼むことにしています。イトーヨーカ堂の豆腐売り場にも売っており、じゃんけんぽんに行かないときは家で焼いて食べています。イトーヨーカ堂の栃尾揚げは1枚220円です。038.gif
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 変人シェフとシェアして食べました。メンチカツとハムカツです。
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 ふぐの唐揚げも食べました。最近はじゃんけんぽんには土曜日の早めの時間に行って、夜8時前には帰るのですが、この日は知り合いが多く、夜の11時過ぎまで飲んでしまいました。068.gif
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(NHK日本名曲アルバム/銀色の道)


(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 3連休最終日、1月13日(月)。今日は成人の日です。昨年の成人の日は山旅クラブで浅間隠山と鼻曲山に行っており、爆弾低気圧の影響で大荒れの成人の日に東京まで帰ってきたことを覚えています。今年の成人の日は朝からとてもよい天気で、東側の空を見ると赤い朝焼けになっていることがわかったので、城南島海浜公園に日の出を見に行くことにしました。前日の夜は11時過ぎまで飲んでいたので、起きることがたいへんしんどかったのですが、何とか起きて大井町駅からタクシーに乗り、城南島海浜公園に向かいました。今年2回目、元旦以来です。
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 元旦の日は日の出を見に来る人で、城南島海浜公園の砂浜が埋め尽くされますが、元旦以外はほとんど人がいません。この日も写真を撮りに来ている人が私以外に2人ほどいましたが、日の出の写真ではなく羽田空港から飛び立つ飛行機の写真を撮りに来ているようでした。
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 タクシーに乗っていると海のほうに雲が出ているのが見えましたが、城南島海浜公園に着くと太陽が昇ってくる位置には雲がまったくないことがわかりました。
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 6時51分、太陽が東の空に顔を見せました。
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 太陽から煙が出ているように見えます。
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 水鳥が横切って行きました。
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 帰りは歩いて大井町駅まで帰りました。城南島海浜公園から大井町駅まで2時間ほどかかります。日の出を見た帰り道、大田スタジアムを横切り、立会川駅の手前に坂本龍馬の銅像が立っていました。ペリーの黒船が来た当時、土佐藩の下屋敷がこの立会川の河口付近にあり、坂本龍馬は警護のためにその下屋敷に居たそうです。
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

 

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by ryott-ryott | 2014-01-15 13:40 | 成人の日の朝

2014年明けましておめでとうございます/元旦の朝

登山
旅行・地域
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 2014年明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。おかげさまで昨年2013年は目標としている日本百名山の山頂踏破は75座を数え、4分の3を終えることができました。今年の目標は特に設定せずに、ひとつひとつこなしていこうと思います。038.gif
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 この年末年始はとくに山歩きに出かけておりません。毎年のことですが年末年始の風景として、朝焼け、夕景、冬の花、クリスマス会などを写真に撮りましたので掲載します。
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 12月23日(月)じゃんけんぽんのトントンさん、はるさんにクリスマス会にお招きいただきました。お店は大森のイタリアンレストランのBACCOです。068.gif
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 写真は三浦大根など三浦半島で採れた野菜の前菜です。
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 魚の名前を聞きましたが忘れてしまいました。三浦半島の近傍で獲れた魚のカルパッチョです。
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 手前の白い部分はハチミツが塗ってあり、甘いピザです。チーズとハチミツはとても合いますね。
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 ラザニアです。
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 三浦半島で採れた野菜のパスタです。
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 三浦半島で獲れた魚と肉の盛り合わせです。
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 髪型を変えたトントンさん、早々と寝てしまいました。037.gif
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 左から美紀おばさん、岡田家のお嬢さん、岡田ママさん。美紀おばさんと岡田ママさんは顔に自信がないためピースで顔を隠しています。いっそのこと、すべて顔を覆ってくれれば写真の邪魔になりません。041.gif
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 したがって、美紀おばさんと岡田ママさんを抜かした写真がこちらです。まだ19歳だそうです。岡田家のお嬢さんは岡田ママさんに似なくて本当によかったですね。041.gif
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 家に凶暴なかみつき犬を飼っている洋子おばさんと美紀おばさん。相変わらずヒドイ面構えですね。ピースでしっかりと顔を隠してください。041.gif
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 はるさんと変態シェフ。変態シェフも「永遠の0」を見たそうですが、ピンと来なかったとおっしゃっていました。私も早々と「永遠の0」を見に行きましたが泣くことができませんでした。原作本は500ページにも及ぶ大作で、2時間ほどの映画の中に登場人物の細かい心理描写や戦争に関する情報を入れることができなかったのではと思っています。
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 最後は全員で記念撮影。左のおじさんは岡田家がよく通っているお店のマスターだそうです。マスターさんが撮った写真はどれも使えませんでした。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 毎年恒例にしていることにその年の終いの夕日を見に行くことにしています。最近は葛西臨海公園ではなく、JR海浜幕張駅から行ける幕張海浜公園に行っています。12月31日(火)は風もなく穏やかな1日でした。遠くのほうにヨットが浮かんでいました。
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 翌日の元日は新月で、この日も潮が満ちてきており、水に入らなければ堤防に上がることはできませんでした。
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 空を紅く染めながら、太陽が徐々に沈んでいきます。
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 海には水鳥がたくさん浮かんでいました。
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 毎年、今年最後の夕日を見に来る人は数えるほどしかいませんが、今年は珍しく50人ほどの人が見に来ていました。
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 大晦日、地平線近くの空は霞んでいて富士山は最初は見えませんでしたが、夕焼けに炙り出されてきました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

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 年が明けて2014年。紅白なんかを見て夜ふかしなんてしていられません。毎年恒例の初日の出を城南島海浜公園へと見に行きました。昨年、一昨年は雲が多くて元日に初日の出を見ることができていないため、見ることができれば2011年以来3年ぶりの元日の初日の出になります。朝5時前におきて、タクシーを呼びました。城南島海浜公園に行くにはバスか徒歩しかありません。徒歩で行くと2時間もかかるため、往きはタクシーを利用します。大体3000円弱かかります。通常ならば、大井町駅前からタクシーを拾うのですが、元日はタクシーが並んでいないことがあるため、電話でタクシーを呼びました。それでも元日はタクシーの台数が少ないために断られることが度々あります。
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 太陽が顔を出しました。058.gif
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 空を赤く染めながら、太陽が昇ってきました。それと同時に周囲からは大歓声が上がります。普段、ほとんど人がいない城南島海浜公園も元日だけは初日の出を見に来る人が大勢いて、公園の砂浜を埋め尽くします。071.gif
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 今日は新月のため、潮が満ちて砂浜に潮だまりが出来ています。
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 初日の出を拝んで、2014年を健康に乗り切ることができるように祈り、家に帰ってきました。写真は年末に戸越銀座で買ったのし鳥と西山さんから買ったローストビーフです。のし鳥とは鶏肉をのして(伸ばして)、卵などで固めて焼いたおせち料理です。「のし」とはのし紙の「のし」で、おめでたいときの贈り物に使う包み紙です。昔はのし鮑が使われていましたが、簡素化されてのし鮑をかたどった「のし」紙になり、「のし」紙を見立てたのし鳥という料理ができました。「おめでたい」という意味がある料理です。038.gif
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 さて今まで2011年の初日の出の写真を表紙に使ってきましたが、今日から写真を変えることにしました。しかしながら2014年元旦の写真ではありません。年末年始は天候がよくほぼ毎日朝日を見ることができています。元日の日の出の写真は少し霞みがかっていたため、次回きれいな初日の出を撮ることができるまでは前回紹介した12月30日(月)に撮った日の出の写真を表紙として使うことにします。038.gif


新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 

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by ryott-ryott | 2014-01-02 22:14 | 2014年初日の出

北アルプスに響く歌声とともに、第100回あづみ野歌声喫茶

登山
旅行・地域
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 今年も残すところわずかになりました。11月に行った歌声喫茶の報告をします。2013年11月17日(日)、第100回あづみ野うたごえ喫茶に行ってきました。特急あずさ号に乗り、松本まで行き、そこから大糸線に乗り換えて穂高駅まで向かいます。
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 車窓から見た白峰三山。
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 甲斐駒ケ岳も見えました。
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 大糸線の車窓から見た常念岳。
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 穂高駅には12時46分に着きました。前回のうたごえ喫茶をに参加したのは1年以上も前のことでした。今回もこのお店でお昼ご飯を食べました。
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 1日10食限定のトンテキ定食を食べました。
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 穂高神社ではそば祭りをやっていました。
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 ゆるキャラが神社内を練り歩いていました。
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 安曇野の野菜をたくさん積んだ山車。
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 嬉しいことに日本酒の試飲会もやっていました。歌う前に一杯飲んでしまいました。
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 このどぶろくが一番美味しかったです。
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 一杯やったところで、会場のホワイトトークハウスに向かいました。
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 少し早めに会場に行ったつもりでしたが、記念すべき第100回目ということもあり、会場はほぼ満席状態でした。80名以上の方が参加されていたそうです。
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 オープニングはいつものようにテーマソング「さあ みんなで 歌おう」から始まります。この歌の作詞作曲者はあづみ野うたごえ喫茶の生みの親、大森隆さんで既に故人となっています。現在は奥様、息子さんが遺志を引き継いで、ついに第100回を迎えています。038.gif
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 その記念すべき第100回あづみ野うたごえ喫茶にオペレ歌手の向野由美子さんが特別ゲストとして招かれていました。
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(Time To Say Goodbye)


(お菓子と娘)


(喝采/ちあきなおみ)
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 約3時間にわたって繰り広げられた第100回あづみ野うたごえ喫茶は無事に閉幕し、東京までの長い長い家路につきました。東の空には満月が浮かんでいました。072.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 ”碁”が日本に伝来したのは、正倉院の御物に、豪華な碁盤と碁笥(ごけ)があるところから、奈良時代と見られています。『源氏物語』にも出てきますが、平安時代はまだ貴族の人たちに限られていました。室町から戦国時代にかけては武士と僧侶の間に普及し、江戸時代に入って、庶民のものになりました。

 江戸時代は、歴代“碁”を保護し、本因坊、井上、安井、林の四家を家元に任じ、五百石の知行を与えて、諸制度の整備をはからせました。毎年1回、11月17日を将軍上覧の「御城碁」と決めて、四家を争わせ、技を競わせました。そしてその勝者を“名人碁所”の地位につけました。名人とは九段の意味で、手合制として七段上手に向先、八段準名人に向
先で打つ資格です。碁所というのは、棋界の統括をする職名です。

 したがって“名人碁所”とは、将軍の碁の指南役であり、御城碁の采配、段位の認定、免状の発行など、碁に関するすべてをとりしきる、最高栄誉、尊称と富を集める最高の役職でした。その意味では江戸時代の囲碁史は、“名人碁所”をめぐる棋院四家の抗争史であったといえます。

 初代“名人碁所”も就任し、その制度の基礎を築きあげたのは、本因坊一世算砂です。算砂は、京都寂光寺の僧侶で、その住居としている塔頭名をとって本因坊を名乗りました。ちなみにに、今日まで正式に名人の地位についた人は、本因坊家では一世算砂、四世道策、五世道知、九世察元、一二世丈和、一九世秀策、二一世秀哉の7人。井上家は元祖中村道碩、四世因碩の2人。安井家は二世算和の一人。合計10人だけで、林家からは一人も名人が出ていません。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 12月の韓国岳・高千穂峰・開聞岳以来、山歩きには出かけておりません。毎年のことですが年末年始は朝日と夕日を見に出かけています。出かけると言いましても遠方へ出かけるわけではありません。朝日は住んでいる品川区内の城南島海浜公園で、夕日はおもにJR海浜幕張駅の幕張海浜公園に見に出かけます。11月から翌年の2月にかけて、冬の晴天率は関東が群を抜いています。関東の沿岸で見る冬の朝焼け、夕景を何枚か掲載します。058.gif
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 11月16日(土)歌声喫茶の前日に幕張海浜公園に出かけました。夕日を見るためです。写真は堤防のはしから見た夕日です。前に夕日を見ている若い女性がシルエットになっています。シルエットでみると誰でも美しく見えます。041.gif
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 この日は雲が多くて、雲の中に太陽が沈んで行きました。
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 振り返ると東の空には月が浮かんでいました。
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 12月7日(土)同じく幕張海浜公園に行きました。砂浜には2つの堤防があり、今日は南側の堤防越しに夕日を見ることにしました。写真は堤防の先端に家族連れが向かっているところです。
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 この日も雲の中に太陽が沈んで行きました。
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 海にたくさんの渡り鳥が浮かんでいました。
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 あきらめて砂浜を歩いて帰ろうとしていると、雲の下から太陽が再び現れました。
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 12月14日(土)、この日の幕張海浜公園は雲がなく、山の稜線に沈んで行きました。
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 12月21日(土)、雲の切れ間から太陽が落ちるように沈んていき、雲に反射して、空が燃えるようでした。
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 12月28日(土)、12月は毎週土曜日4週連続で幕張海浜公園に来ることになりました。この日も南側の堤防越しに見ることにしました。若い女性が堤防の上を歩いています。堤防から落ちるところを写真に撮りたいと思いました。041.gif
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 今日は富士山もきれいに見えました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

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 朝日は城南島海浜公園に見に行きます。城南島海浜公園に行くにはバスしかありませんが、早朝は動いていないのでタクシーか徒歩になります。タクシーで行く場合は大井町駅から約20分で城南島海浜公園の正門にたどり着くことができます。徒歩だと、いい歳、りょうちゃんの足で約2時間かかります。
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 毎年、元旦は初日の出を見るため多くの人が城南島海浜公園の浜辺を訪れます。しかしながら、元旦以外はほとんど人がおりません。浜辺は通常は施錠されていて入ることができませんが、管理人のおじさんによっては、元旦以外の日でも開けてくれ入ることができます。写真は12月14日(土)の様子。人が一人もいません。
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 船で漁をしている人がいました(12月28日)。
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 朝焼けに染まる羽田空港。
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 東京湾は大きな船が行き交います。
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 12月30日(月)も初日の出の下見に行きました。とてもいい写真を撮ることができ、T中さんから「初日の出を見に行かなくても、もうこれでいいじゃないですか!」と言われてしまいました。037.gif
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 このおじさんは海に向かって歌を歌っていました。037.gif
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 朝日を見る男女のシルエット。
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
元旦は初日の出を見に行きます060.gif

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by ryott-ryott | 2013-12-31 10:42 | 第100回あづみ野うたごえ喫茶

世紀の天体ショー 932年ぶりの金環日食・速報ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 今日、5月21日(月)待ちに待った金環日食を大田区の城南島海浜公園に見に行ってきました。東側の空には分厚い雲がありましたが、午前7時35分、金環日食を見ることができました。もちろん休暇をとりました。中国整体の李先生が早く載せろとうるさいので、今回はいつものスタイルではなく、速報として写真を掲載します。後日、またいつものスタイルで報告します。024.gif
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 城南島海浜公園はいつも初日の出を見に行くところです。058.gif
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 東の空には絶望的な分厚い雲が。
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 スカイツリーがかすんで見えます。
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 ギャラリーもあきらめ気味。
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 仕方がないので船を撮りました。
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 みんながあきらめかけた時、午前7時32分、雲の薄みからリングの一部が見えました。038.gif
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 そして午前7時35分、リングがつながった金環日食を見ることができました。城南島海浜公園に来ていたギャラリーから大歓声と拍手が湧き起りました。雲がフィルター替わりになり、肉眼でも見ることができました。この写真はデジカメで撮りました。038.gif
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 この日のためにND100000のフィルターを購入していましたが、この写真はフィルターをはずして、撮りました。038.gif
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 午前7時37分。
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 午前7時46分。
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 午前7時51分。
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 午前7時57分。
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 午前8時17分。
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 午前8時29分。
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 以上、932年ぶりの金環日食速報でした。038.gif
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by ryott-ryott | 2012-05-21 15:09 | 金環日食

高峰山・千畳敷カールの雪上講習ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 いつも冒頭に掲げている写真は2011年元旦に城南島海浜公園で撮った初日の出の写真です。この写真よりもいいショットが撮れたら差し替えようと思っていますが、なかなか撮ることができないでいます。今日、2012年元旦も初日の出を見ようと出掛けましたが、厚い雲に阻まれて初日の出を見ることはできませんでした。058.gif
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 1月の城南島では目の前の水平線から日が昇ってきます。あきらかに雲で初日の出が見えないというのに、多くの人が海岸線に列をつくって立っていました。
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 船の上にもたくさんの人がいるのが見えました。初日の出ツアーで初日の出を見に来たのでしょう。お気の毒さまです。
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 羽田の夜景。072.gif
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 さて12月23日からの3連休はアミューズの雪上講習に参加してきました。まず23日は日帰りで高峰山へ行ってきました。本来は浅間山の麓で雪上講習を行う予定でしたが、浅間山は雪が少ないため高峰山に変更になりました。
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 今回もじゅんやさん夫妻とご一緒出来ました。アミューズに連絡して、じゅんやさん夫妻と横並びの席にしてほしいとお願いし、その通りにしていただきました。海外の勤務事情の話から、海外での食事はおいしくないという話に至り、そこからヨーロッパの人種、いわゆるコーカソイドは舌にアミノ酸のグルタミン酸などの旨み成分を感知する味覚がないため、ヨーロッパ人が作る食事はおいしくないということを教えていただきました。
 コーカソイドは甘い、塩辛い、苦い、酸っぱいなどの基本的な味覚はありますが、旨いという感覚がないそうです。コーカソイドが読んだら怒るかもしれませんね。037.gif
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 バスは高峰高原ホテルの駐車場に停車させて、クランポンとストックを持って、近くのスキー場へ。班わけをして、そこで歩く練習をしました。
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 クランポン装着後、斜面の上り降りをしました。歩幅は小さく、なるべく地面に平行に足を運び、クランポンをズボンにひっかけないように、こぶし1個分開けます。
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 一通り練習した後、高峰山の山頂へ向かいました。
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 空は雲ひとつなく、雪化粧した黒斑山が見えました。
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 富士山も見えました。
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 頂上でじゅんやさんたちと記念撮影。
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 高峰神社。
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 山頂から撮ったダイヤモンド。058.gif
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 下山後は高峰高原ホテルで入浴して帰って来ました。もちろん、じゅんやさんたちと盃をかわしながらです。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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「東京裁判」・・・・正式には、戦後連合国側が設置した「極東国際軍事裁判」といいます。
 昭和21年5月3日から、東京市谷の元陸軍省の建物で開かれ、2年半の歳月をかけて、昭和23年11月12日に判決が下りました。各国から派遣された裁判官の中には、インドのパル判事、フランスのベルナール判事のように「裁判のやり方が公平でない。戦争犯罪人などは裁けるものではない。」と全員無罪を主張した少数派もいました。しかし、結局はアメリカ、ソ連など勝った大国側の主導で押し切られ、国内国外二千数百人が戦犯として処刑されました。

開戦時の首相・陸軍大将東条英機など、7人のA級戦犯(重要戦争犯罪人)は、判決の下った翌月の12月23日零時過ぎ、絞首刑となりました。連合国軍側は、その遺骨が埋葬され、将来殉国者の扱いを受けるのをおそれ、火葬にしてその骨灰をひそかに海中に投棄させました。しかし、実際は日本人関係者の一人がその骨灰の一部を盗み出し、名古屋郊外三ヶ根山頂に埋葬しました。現在その場所には「殉国七士の墓」の石碑が建っています。

それにしても、「東京裁判」とは何だったのでしょう。「平和」と「人道」を掲げて裁いた国々は、あれ以降もベトナム、アフガン、フォークランド、中東など、世界各地で戦争を繰り返しています。仕掛け人はわかっていても、一向に戦争の犯罪を裁く軍事法廷は開かれておりません。結局今となってみると、「東京裁判」は、勝者が敗者を裁く懲罰、復讐、報復にしか過ぎなかったことがわかってきたからでしょうか。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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そして翌12月24日は1泊で千畳敷カールでの雪上講習へ出かけてきました。天気にも恵まれた出発となり、ホテル千畳敷でのご来光撮影に胸が膨らみます。
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駒ヶ根でバスを乗り換え、ロープウェイのしらび平駅へ。標高があがるにつれて、先ほどまでの青空はどこかへ行ってしまいました。上の方を見ると雲がかかっており、寒々としていました。千畳敷の駅に着いて、温度計を見ると氷点下13 ℃でした。
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ホテル千畳敷の食堂で食事を済ませて、不要なものはホテルにデポして、すぐに寒風吹きすさぶ外へ出ていきました。クランポンを装着し、準備体操を行って、真っ白な千畳敷カールへと歩いてゆきます。
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 ここでいい歳、りょうちゃんにトラブル発生。雪は思ったよりも深く、一歩踏み出すと腰まで入ってしまい、足を引き抜くのも一苦労。もがけばもがくほど、疲労が重なり、雪上講習の目的地に着くまでかなり体力を消耗してしまいました。
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 まずは歩き方の練習で、ガイドの五十嵐さんの指示で斜面を5往復するようにとのこと。この斜面も当然ながら雪が深く、私にとっては白い蟻地獄同然でした。他の年配者の方々が膝まで入らない深さで往復してゆくのに対して、やはり私は一歩踏み出すと膝では留まらず、腰まで埋まってしまいました。足を踏み出せば、その繰り返しです。見兼ねた五十嵐さんが私の前に立って、歩き方を丁寧に教えてくれました。足を引き抜く時に膝で雪を押し固めながら、その押し固めた雪の上に足をおく繰り返しをするとのこと。5往復はできませんでしたが、何とか、もがきながらも2往復しました。あの泉田さんも私の前に立って歩き方のコツを教えてくださいました。体を真っ直ぐ重力方向と平行に立てて、足をけり込みながら歩くのだそうです。
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 そして、ここで班わけして斜面を迂回する練習をしました。私は五十嵐さんのグループで、あまりにも無様だったためか、五十嵐さんのすぐ後ろにつくように指示されました。迂回するときは山側の足は進行方向に平行に、下側の足は少し斜めにして下側に向けて進みます。そうすることによって、下側の足で滑ることを防止できます。
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 そしてピッケルを使っての耐風姿勢と滑落停止の練習。滑落した時はすぐにうつ伏せになってピックを斜面に突き刺します。しかし、滑落のスピードがついていると、ベテランの人でもなかなか止められないため、転倒、滑落しないように歩くことが重要になります。

 一通り、1日目の訓練を終えて、またもやラッセルしながらホテルへと戻って行きました。私はこの行き帰りのラッセルでくたびれてしまい、部屋に着いてすぐ寝てしまいました。そして雌阿寒岳、斜里岳、羅臼岳でご一緒した兵頭さんと同じ部屋になりました。兵頭さんも「観光に来たのにこんなに疲れるとは。」とおっしゃっていました。
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 ホテル千畳敷の夕飯。
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 夕飯後はガイドさんの部屋に集まって、クリスマスの抽選会がありました。私は年末ジャンボ宝くじを戴きました。まだ番号をチェックしていません。038.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(坂本スミ子/夜が明けて)

夜が明けて(作詞:なかにし礼、作曲:筒美京平、歌:坂本スミ子)

夜が明けて 手さぐりをしてみた
ぬけがらのとなりには 誰もいない
目をあけて 部屋のなか見てみた
陽がもれる窓のそば 誰もいない
夢を追いかけて
ひとりふかす たばこのけむり
白い 白い
夜が明けて 夢をみたまくらに
あの人のかみの毛が ひとつのこる
テーブルの 灰皿の中には
あのひとのすいがらが ひとつのこる
あせたくちびるを
かんでひいた ルージュの赤が
つらい つらい

われた手鏡に
語りかける おんなの朝は
ひとり ひとり

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 千畳敷2日目はスリングの使い方の練習です。ザイルに60 cmスリングを巻きつけて、安全確保をしながら、ザイルに沿って進む練習です。最初はセルフビレ―も含めて、ホテル千畳敷の食堂で練習をしてから、外へ行き、目的地に歩いてゆきました。この目的地に歩いてゆくのが一苦労です。042.gif
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 仙石さんと泉田さんが張ったザイルにひとりずつスリングを巻き付けて、斜面の上まで登って行きます。食堂ではうまくザイルに巻きつけることができましたが、屋外で雪が降る中、オーバーグローブをはめての操作はなかなかうまくいきません。ようやく60 cmスリングを巻きつけて安全環カナビラとハーネスを連結し、斜面の頂上で120 cmスリングでセルフビレ―を行って、60 cmスリングを斜面を降りるザイルに巻つけなおして、斜面を下って行きます。他の人が何往復かしている中、私は1往復しかできませんでした。
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 ここで2日間の全講習を終了し、ホテル千畳敷に戻りました。雪が降り、風もあったので、ロープウェイの運行が心配されましたが、無事にしらび平まで降りて来ることができました。しらび平では雪かきをしていました。
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駒ヶ根の湯に入って、新宿まで戻って来ました。
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2日から広島修学旅行へ行ってきます。060.gif

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by ryott-ryott | 2012-01-01 14:47 | 雪上講習

A Happy New Year!ヽ(^o^)丿大歓声の2011年初日の出

旅行・地域
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 2011年お正月。年末から何箇所か初日の出スポットを探していたため、今日の元日は素晴らしい初日の出を拝むことが出来ました。
 朝4時に起床し、準備をして、城南島海浜公園へ行きました。先日の下見のときは誰もいなかったのに、今日は天気がいいこともあって、たくさんの人が初日の出を一目見ようと、城南島海浜公園に詰めかけていました。

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 東京湾の向こう側から徐徐にオレンジ色の光が増して、太陽が顔をのぞかせると、周りから新年を祝う大歓声が上がりました。
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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 社会主義の国と違って、自由主義国、わけても日本から他の国に亡命することはほとんどありません。
 それが、戦争前の昭和13年(1938年)1月3日、まだ日本の領土であった樺太(現・サハリン)の国境を、人気女優がその愛人と、恋の逃避行を兼ねて、ソ連を越境、亡命をはかったのですから、当時としては大変な話題をまきまし。
 その第一報はを伝えた新聞記事です。

「新派、井上正夫一座の女優岡田嘉子(38)がひょっこり厳寒の北樺太に登場。北緯50度の国境線近くで行方不明となり、関係方面で目下捜索中である。嘉子は実父が昔、樺太で事業に関係したところから、かねて雪の樺太に憧れを持っていたが、この暮、出演契約中の大阪の劇場から1ヵ月の休暇をもらったので、若き愛人、新協劇団所属の演出家杉本良吉こと吉田好正君(32)と携えて樺太を訪問し、雪の異国情調を満喫すること2日、慰問袋その他を買い、国境線守備隊の警察官慰問に出かける旨を宿の者に残し、自動車で国境に向け出発した。」(「東京日日新聞」5日付)
 当時、亡命は確認されませんでしたが、戦後二人ともも、モスクワ放送局の日本向けアナウンサーとして手伝っていたことが明らかにされました。
 彼女はその後、モスクワ大学で演劇を学、病死した愛人杉本良吉の遺志をついで、演出家として活躍しました。
 しかし、“望郷”の念もだしがたく、昭和48年(1973年)、35年ぶりに日本に帰ってきました。

 現在は、ときどきソ連にもどる程度で、日本に滞在し、たまにテレビドラマに出演したりしながら日ソ親善のために尽くされています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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<おまけの年末散策>
12月30日に戸越銀座の洋食屋「ブルドック」へ行って、準備中のため門前払いされたことを報告しましたが、12月31日大晦日、こりもせず、再度訪ねました。しかし、「ブルドック」も年末年始休暇に突入し、1月4日までお休みとの貼り紙。こういう時って、なかなか、そのお店に行けないものなのです。
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 戸越銀座の商店街のピークは30日なのでしょう。もうほとんどのお店が閉めており、お正月準備をしているようです。そして、牛乳屋さんで日本酒を買って、帰りました。
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 冒頭に城南島での初日の出を紹介しました。初日の出は多くの人が見に行くのに、その年最後の夕陽、ラスト・サンセットはほとんどの人が見に行くことはありません。2010年最後の夕陽を千葉県の稲毛海岸まで見に行きました。
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稲毛海岸の海浜公園まで駅から歩いて30分近くかかりましたが、大晦日の空もほとんど雲のない快晴の青空。目の前には富士山、東側には京葉工業地帯、西には東京スカイツリーを見ることが出来ました。

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by ryott-ryott | 2011-01-01 13:35 | 太陽散歩