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映画「阪急電車」は気持ちのいい涙が流せる映画です(^o^)丿

旅行・地域
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映画「阪急電車―片道15分の奇跡―」を見ました。とてもいい映画でした。
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 最近は「心が折れる。」という言葉がよく使われています。私も使います。おそらくは「心が挫(くじ)ける。」というのが日本語としては正しいのでしょう。そして「悩み」という言葉があります。これは「心が萎えた状態」です。苦しいことが続いている状態です。心が痛手を負っていると言ってもいいかもしれません。
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 この映画の中の登場人物は、多かれ少なかれ「心の痛手」を負っています。
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 自分の会社の後輩に、婚約者の彼を寝とられて、子どもまでつくられてしまい、婚約者から別れを告げられるOL(中谷美紀)。

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 ルックスは抜群のイケメンで、一緒に歩いているだけで周囲から注目されるような彼氏と付き合っている女子大生ミサ(戸田恵梨香)、しかしそんな彼が自慢だったミサは、彼からのDVに悩まされます。
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 また息子のセレブ気取りのPTA仲間との付き合いに翻弄され嫌気がさしているが自分から言い出せないでいる主婦(南果歩)。
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 大学受験を控え、学校の教師から今のままでは志望校は難しいと言われ、自暴自棄になっている女子高生(有村架純)。
 都会の大学に入学したものの、周囲のオシャレな友人に馴染めないでいる女子大生(谷村美月)。

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 いつも仲間外れにされて哀しい思いをしている小学生(高須瑠香)。
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 そんな人たちを乗せて走る阪急電車。その阪急電車の中での出会いによって、痛手を負って萎えた心が癒され、そして強くなっていく姿が描かれています。
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 この映画では、心を癒すためのやさしい思いやりを教えてくれています。
「岳」もいい映画でしたが、「阪急電車」は気持ちのいい涙を流せる映画でした。

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(映画「阪急電車―片道15分の奇跡―」予告編)
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(中島みゆき/宙船)

宙船(作詞、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか
その船は今どこで ボロボロに進んでいるのか
流されてまいと逆らいながら
船は挑み 船は傷み
すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は自らを宙船(そらふね)と 忘れているのか
その船は舞い上がるその時を 忘れているのか
地平の果て 水平の果て
そこは船の離陸地点
すべての港が灯りを消して黙り込んでも
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

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 詩人竹内浩三といっても、その名前や作品を知っている人は少ないでしょう。
 彼は大正10年(1921年)、伊勢市に生まれ、宇治山田中学在学中、宮沢賢治の詩に魅かれ、詩作の道に入りました。昭和17年(1942年)9月、日大芸術科を繰り上げ卒業となり、茨城県筑波山麓の落下傘部隊に入隊しました。

 その後比島作戦に従軍し、昭和20年(1945年)4月、壮烈な戦死を遂げました。陸軍兵長、23歳でした。昭和30年(1955年)、姉や同級生の手によって遺稿集『愚の旗』が出されました。私家版のわずか200冊の少部数にしかすぎませんでしたが、収められた作品『骨のうたう』が注目されました。

 詩人の桑島玄三は、彼の筑波時代の記録『筑波日記』をもとに、『純白の花負いて――詩人竹内浩三の“筑波日記”』(理論社)を出しました。そして昭和55年(1980年)5月25日には、彼の故郷、竹内家の墓地のある朝熊山上に、遺族や旧友たちの手によって、彼の詩碑が建立されたのです。

 アア 戦死ヤアワレ
 兵隊ノ死スルヤアワレ
 コラエキレナイサビシサヤ
 国ノタメ 大君ノタメ
 死ンデシマウヤ ソノ心ヤ

 『骨のうたう』の最後の一節が刻まれています。
 昭和57年(1982年)8月には、神戸女子大教授足立巻一の『戦死ヤアワレ――無名戦士の記録』(新潮社)が出され、さらに同年8月には、NHKが湯浅譲二の音楽で、ドキュメンタリー『戦死ヤアワレ』を放送して話題を呼びました。『君死にたまうことなかれ』につぐ反戦詩です。「戦死ヤアワレ」ですが、「戦争ハモットアワレ」です。
 
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(映画「岳」予告編)

あの太陽が、この世界を照らし続けるように。
(作詞、作曲:小渕健太郎)
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どんな悲しみにも ひとつの意味を注ぐように
世界中の夜に 朝を連れてくる太陽
ぼくは彷徨ってた 生きる意味を探して
君に出逢うまでの僕じゃ あの壁は越せない

この手は君を守るため この瞳は君を探すため
こころは君を愛すため この命は君と生きるため
ぼくに生きる意味をくれた その微笑み

人ごみに紛れて 逃げ出すのは容易くとも
一人きりの夜に 孤独から逃げ出せない
ガラス玉のような心を抱え生きてる
落とすたびに砕け散った 涙を忘れない

転がりながら辿り着いた 今がいつも君だけの頂上
心のままに生きてゆけば 時には人はぶつかり合うけれど
その魂に刻まれた模様はきっと 美しきヒビとなる

どんな命も輝いてる
あの太陽が、この世界を照らし続けるように

この手は君を守るため この瞳は君を探すため
こころは君を愛すため この命は君と生きるため

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 前回、東京近郊で見ることができる夕日スポットの紹介をしました。今週は火曜日と水曜日だけが貴重な晴れ間が覗くようです。今日火曜日は朝からかなりの雨足でしたが、午後にはあがり、陽射しが差すようになりました。057.gif058.gif
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 雨が降った後の晴れ間は空気中の塵が流されて、空気が澄むことはご存知でしょう。またまた勤め帰りに夕日を見に行きました。今日は東急目黒線の「多摩川駅」まで行き、丸子橋から夕景を撮影しました。061.gif
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 私の職場からはまず都営有楽町線に乗って月島から有楽町へ行き、そこから都営三田線に乗り換えて、日比谷から多摩川に向かいました。所要時間40分。徒歩を入れて職場から丸子橋まで58分でした。
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 西の空にはかなりの雲の量で山の稜線に沈みゆく太陽は見ることができませんでしたが、日没とともに空と多摩川が赤く染まり、きれいな夕焼けを見ることができました。私に限らず、何人もの方がカメラを片手に丸子橋からの夕景を撮りに来ていました。

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(小柳ルミ子/星の砂)

星の砂(作詞:関口宏、作曲:出門英、歌:小柳ルミ子) 060.gif


二度と出来ない恋を捨てあなた遠く
離ればなれになってゆくの 今つらいわ

嫁ぐ日岬にひとりたたずみ君住む島に
別れを告げる
凪いで凪いでまぶしいサンゴの島が
にじんで落ちて 星の砂

過ぎし日 二人は海辺に遊び
変わらぬ愛を 夕陽に祈る
いつかいつか 二人は運命にさかれ
私は遠く 石垣へ

髪にかざした ブーゲンビリア
そえぬ運命に赤く咲く
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい 星の砂

ルルル・・・・・ルルル・・・・・
ルルルル・・・・・

風よ吹け 波よ打て
それであなたにつぐなえるならば
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい この想い
届けてほしい この想い

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by ryott-ryott | 2011-05-25 22:33 | movie

いい歳、りょうちゃん、肉のまえかわへ行くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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今日の日曜日は7週間ぶりに天気が崩れ、久しぶりの雨の日曜日でした。しかしながら、今週の日曜も休日出勤でした。014.gif
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最近、休日は1週間のうち1日しかなく、その1日のお休みは大井町湯屋へ行き、大暴れアクアをやりました。インストラクターの方はいつもと違う人、代行でした。しかし、この代行の方のアクア、結構、きつく、アクアで体の芯が熱くなったのは久しぶりでした。毎週同じ人の同じ動きだと体が慣れてしまうのでしょうか、たまには違う動きをした方がよい刺激になるのだと思います。大暴れアクアが終わってから、代行の方に「疲れませんでしたか?」と聞かれて、正直に「とても疲れました。」と答えました。水の負荷を最大限に取り入れているため、私自身、少々バテ気味で大暴れになっていなかったと思います。037.gif
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そして夜はじゃんけんぽんのトントンさん、春さんに誘われて、大井町の「肉のまえかわ」に行きました。
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すずらん通りの入ったところ、和菓子屋さんの隣にある、お肉屋さん兼立ち飲み屋さん。現地集合で、少し早く着いてしまったので、焼き鳥を焼いているお嬢さんに「生ビール1杯ください。」と言ったら、冷蔵庫を指さされ、ビールは缶ビールしかないことを教えられました。焼き鳥を何本か頼み、缶ビールを冷蔵庫から出して、その場でお勘定。あとは勝手に飲むだけです。こきたない店ですが、焼き鳥に、牛刺し、レバ刺し、串カツ、メンチカツ、カツ、コロッケなどが揃っており、結構な人気です。人が入れ替わり立ち替わり来店し、常に賑わっていました。
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(並木路子/リンゴの唄、今日5月23日は作詞家サトウハチローの誕生日です。)060.gif

 福井の永平寺は、曹洞宗の大本山です。ここでは毎年5月23日から6月12日まで「眼蔵会」が開かれます。開祖道元禅師の書かれた『正法眼蔵』(しょうほうげんぞう)を講讃する法会です。
 開祖道元は正治2年(1200年)4月2日に生まれました。道元の父は、内大臣久我通親(くがみちちか)、母は関白藤原基房(もとふさ)の娘です。道元3歳のとき父を、8歳のときに母を失いました。この母の死が、幼な心にも出家を決意させたのでしょう。道元はこう述べています。
「即ち高雄寺にて香烟の上るのを見て、生滅無常を悟り、それより発心す。」(『伝承録』)

両親を失った道元は、13歳のとき伯父の養家先を出、比叡山にいた良顕法眼のもとに走り、その世話で般若谷の千光房に入山します。臨済宗の開祖になった栄西禅師の指導を受けましたが、道元は天台教学にあきたりず、24歳の春、仲間数人とともに中国に渡ります。
 中国では長翁山の如浄禅師について、臨済宗の本義を学びます。やがて日本に帰り、有名な『正法眼蔵』を書き上げ、“禅”の修行に励みます。

 「仏道をならうというは、自己をならうなり。自己をならうというは、自己をわするるなり。自己をわするるというは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるというは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり・・・・・」(『正法眼蔵』より)
“身心脱落”それが禅であり、その修業が座禅です。“只管打坐”(しかんたざ)ともいいます。
 道元は率先垂範“只管打坐”に徹し、建長5年(1253年)8月28日、53歳で遷化しました。仏性伝東国師、承陽大師号を下賜されました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)
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(五木ひろし/契り/映画「大日本帝国」)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif
あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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「肉のまえかわ」は揚げもの、牛刺し、レバ刺し、串焼きがなくなると、お客さんも少なくなり、午後8時には閉店の様子。
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まだ早いので、やはり立ち飲み屋さんの「BEE」に行きました。カウンターには爬虫類を漬け込んだお酒が並んでおり、私はハブ酒を飲みました。
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BEEの金券、1000円で1100円分もらえます。071.gif
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先週の日曜日、月曜日、金曜日は貴重な夕陽を見ることが出来ました。日曜日の夕陽は先週、報告しました。平日の夕陽は、会社帰りにお台場へ行き、お台場海浜公園から写真を撮りました。今まではよく葛西臨海公園へ行っていましたが、お台場でもきれいな夕焼けを見ることが出来ると聞き、ぶらりと立ち寄りました。
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大井町から臨海副都心線で8分、東京テレポート駅で降り、フジテレビ局の前を過ぎて、お台場海浜公園へ。林立するビルの間へ太陽が沈んで行きました。空を見上げると、夕月が出ていました。会社帰りに撮った夕景の方が、秋田で撮影したものよりもよく撮れていると思いました。

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(倍賞千恵子/下町の太陽)

下町の太陽(作詞:横井弘、作曲:江口弘志、歌:倍賞千恵子)
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下町の空に かがやく太陽は
よろこびと 悲しみ写す ガラス窓
心のいたむ その朝は
足音しみる 橋の上
あゝ太陽に 呼びかける

下町の恋を 育てた太陽は
縁日に 二人で分けた 丸いあめ
口さえきけず 別れては
祭りの午後の なつかしく
あゝ太陽に 涙ぐむ

下町の屋根を 温める太陽は
貧しくも 笑顔を消さぬ 母の顔
悩みを夢を うちあけて
路地にも幸の くるように
あゝ太陽と 今日もまた


(あずみ野うたごえ喫茶/下町の太陽)
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by ryott-ryott | 2010-05-23 22:24 | おいしい

いい歳、りょうちゃん、休日出勤前夜の鯨飲馬食ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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今週の日曜日も晴れて、6週間連続の晴天になりました。私は今週の日曜日もまた会社へ出勤で、5週間連続で日曜日の大井町湯屋へ行くことができませんでした。休日出勤はいつまで続くのでしょうか。014.gif
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 土曜日の夜は中丸家に御招待されました。中丸さんは大井町湯屋仲間であり、飲み仲間でもあります。お料理を用意していただきましたが、食べること、飲むこと、話すことに夢中になり、写真を撮り忘れてしまいました。037.gif
 3人でお酒をどのくらい飲んだでしょうか。かなりの量のお酒を戴きました。
 食前酒として持参した獺祭のにごり酒は、中丸さんの御主人が栓を開けた途端、お酒が勢いよく噴き出して半分くらいに減ってしまいましたが、その後、お正月に持って行った久保田紅寿がまだ手つかずで取ってあり、3人でその一升を平らげ、さらにお土産に差し上げた角館のお酒もほとんど、なくなってしまいました。
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 お酒をたくさん飲んだので、何を話したかよく覚えていませんが、どうやら中丸さんは私が雨男であると勘違いしているようです。

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昔の大師橋
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 国立公園十和田湖は、いまでこそ風光明媚な景勝地、奥入瀬の渓流と美しい紅葉、神秘な湖とヒメマスの養殖で知られますが、明治38年(1905年)の秋までは、魚一匹棲まない“魔の湖”でした。その十和田湖にヒメマスを放し、湖のほとりでに旅館をたて、道路を改修して交通の便をはかり、案内書をつくって全国に配布し、国立公園指定の働きかけをするなど、生涯をこの十和田湖開発に尽くした恩人とも呼ぶべき功労者がいました。和井内貞行(わいないさだゆき)という人です。
 彼は安政5年(1858年)、秋田県毛馬内町に生まれました。26歳の時、小坂鉱山から十和田鉱山へ転勤になったのが、この湖との出会いでした。

“こんなきれいな湖に、どうして魚がいないのだろう”と疑問を抱き、明治17年(1884年)の秋、自分の月給をさいて、600匹のコイを放流したのが最初の魚との取り組みでした。
 明治17年(1884年)から21年間に、コイ5万匹、マス159万匹、サケ5万匹、フナ、イワナ3000匹という膨大な量の稚魚を放しましたが、思うように魚が育ちません。
 退職金は使い果たし、借金をしながら最後の望みを北海道の“カバチョッポ”に託しました。“カバチョッポ”とはアイヌ語のヒメマスのことです。

 明治38年(1905年)9月、放流3年目にして、ついにヒメマスが大きく育ってもどってきました。彼の伝記の標題『われ幻の魚をみたり』は、このときの感激を表したものだと思います。
 これに自信を得て積極的に十和田湖開発に乗り出したのです。
 大正11年(1922年)5月16日、65歳で亡くなりましたが、その遺骨は十和田湖の神社に祀られ、昭和8年(1933年)、社号は和井内神社と改修されました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)
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(五木ひろし/契り/映画「大日本帝国」)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif
あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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5月29日(土)は麻布十番にある串焼き屋さん『あべちゃん』に行ってきます。024.gif
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今日の日曜日も湯屋に行けませんでしたが、帰宅途中、大師橋から夕焼けを見ることが出来ました。太陽は地平線の雲に隠れてしまい、最後の沈むところまでは見ることはできませんでしたが、夕陽を関東で見るのは久しぶりでした。日曜日は連続6週間の晴天だったそうですが、夕方には雲が垂れこめてきて、夕陽らしい夕陽を見ることができなかったと思います。
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陽が沈むと、西の空に光る三日月が現れました。したがって、今日は旧暦では4月3日です。新月から数えて3日目なので、三日月になります。昔は月を見るだけで日にちがわかるので、太陰暦の方が便利だったかもしれません。

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by ryott-ryott | 2010-05-17 00:15 | おいしい

秋田県の旅・第4話 男鹿半島に空のパレットを観ましたヽ(^o^)丿

旅行・地域
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5月2日(日)の日の出の時刻は、東京では4:40くらいであったと記憶しています。ホテルサンルーラル大潟は屋上を開放しており、屋上での写真撮影はOKとのこと。しかし開放時間は9:00~18:00であり、日の出も日の入りも時刻が外れているため、ホテルの従業員の方に朝4:30に開けてほしいとお願いしたところ、快く承知してくれました。朝4:30にロビーの受付へ行き、当直の方に屋上を開けていただきました。ただ、この日は東側に厚い雲があり、日の出は撮影できませんでした。072.gif
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朝食後、ホテル周辺を散歩しました。朝陽の中、菜の花がどこまでも続いていました。056.gif
今日はいよいよ男鹿半島へ行って、夕景を撮る予定です。空を見上げると陽射しはあるのですが、遠く海の方は白く霞んでいました。

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男鹿半島は男鹿線で男鹿駅までしか鉄道が通っていないため、ホテルから地元大潟村の第一タクシーをチャーターして、男鹿半島一周と最後夕方に入道崎に行ってもらうことにしました。大潟村のタクシー会社は第一タクシーしかなく、第一タクシーの社長・中西さんが案内してくれました。
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最初は寒風山(標高355 m)へ向かいました。寒風山は遠くから見るとなだらかな丘に見えますが、火山であり、火山岩がごろごろしているため樹木は生えておらず、枯れ芝が広がっています。1年に1度、山焼きをして枯れ芝を焼き払うそうですが、今年は天気が悪く、山焼きは出来なかったとのこと。そして、枯れ芝の中には山菜が自生しており、地元の方が山菜を取りによく入っているそうです。ただし、山の中にはマムシも多くいるため、むやみに入らないほうがよいと言われました。

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(まんが日本史主題歌/サーカス「風のメルヘン」)

パリのルーブル美術館へ行くと日本人観光客で賑わう場所があります。ひとつはミロの「ビーナス」像、もう一つはレオナルド・ダ・ビンチの「モナ・リザ」の絵です。
この二つの作品は、戦後日仏文化交流運動の行事として、別々に日本にやってきました。会場の東京国立博物館の混雑はものずごく、多くの怪我人がでる騒ぎも起きました。

「モナ・リザ」のモナは貴婦人の意味があり、リザは女性の名前です。最近ではイエスの情婦である説がありますが、昔はダ・ビンチの友人フランチェスコ・デル・ジョコンドのリザ夫人であったといわれています。
しかし、研究者たちは、この肖像画のモデルは、当時のフィレンツェの支配者ジュリアーノ・デ・メディッチの愛人フランカビラ公妃か、マントバ侯妃のイザベラ・デステのどちらかであると発表しています。

ダ・ビンチはルネッサンスを代表する画家で「モナ・リザ」、「最後の晩餐」、「受胎告知」など、すぐれた作品を残しています。驚いたことに、彼は単なる画家だけでは終わらずに、彫刻家、建築家、音楽家、詩人、哲学者、生物学者、数学者、軍事技術家としても一流の業績を残しており、多彩な顔を持っています。

彼は1452年、イタリアのフィレンツェの西、ビンチ村に生まれ、幼くして天才の名をほしいままにし、数学・物理などの学問、音楽、特に絵画に秀でていました。
青年期は主にフィレンツェやミラノの諸都市で活躍し、晩年はフランソワ1世の保護を受けて、フランスのアンボワーズのクルー館で余生を過ごし、1519年5月2日、67歳でこの世を去りました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(五木ひろし/契り/映画「大日本帝国」)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif
あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに


真山(しんざん)神社
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お薬師如来様
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お神輿、右は正徳4年(1714年)に作られたものです
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鬼がひっくり返したという「逆さ杉」
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男鹿半島と言えば、なまはげが有名です。なまはげは動物と同じように1匹、2匹と数えるそうです。そして、伝説ではなくて、本当にいたという説もあります。昔、ロシアの難破船が漂着して、毛むくじゃらのロシア人が日本の山中に住み、その土地の日本人から鬼として恐れられていたという話もありました。027.gif
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このなまはげ像は博多人形だそうです。
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今日の最終目標は夕刻に海岸で夕景を写真に撮ることです。タクシーの中西さんがおっしゃるには、やはり入道崎灯台の下の海岸で撮影するのが一番よいとのことでした。入道﨑で夕景を撮るべく、海岸に降りて、どこでお日様を撮ろうかとしばし散策しました。入道崎灯台がある丘から、海岸へ降りて行くには3つほど階段がありますが、かなり勇気が必要でした。071.gif
それでも、何とか写真を撮り場所のあたりをつけておき、再び、灯台のある丘へ昇って戻りました。

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そして、男鹿半島にある水族館GAOにも寄りました。水族館“GAO”の名称は男鹿(OGA)を逆さに読んでGAOとしたそうです。なんとも簡潔なネーミング。連休中とあってGAOの中はかなりの人で賑わっていました。最初は入るつもりはなかったのですが、夕刻まで時間があるため、駆け足で水族館の中をまわりました。
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この水槽は40 cmの厚みのアクリル板で出来ています。
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鰰(ハタハタ)の標本。
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白クマの豪太くん、白クマというよりもドロクマです。037.gif
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男鹿温泉郷の近くを通り、ゴジラ岩を観に行きました。ゴジラ岩の近くではたくさんの釣り人が海の波と格闘しながら釣りをしていました。数回に1度は大きな波が岩の上まで押し寄せてくるため、釣り人は釣り道具を波にさらわれないように配慮しながら釣りをしなければならないそうです。私の目の前でも波をかぶっている釣り人がいました。私には、恐ろしくて、とても真似ができません。
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ゴジラ岩、ここで夕景を撮影する方もいらっしゃるようです。
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寒風山、なまはげ館、GAO、ゴジラ岩を経由して、夕方、17:30、最終目的地の入道崎に再びやって来ました。東京での日の入りは18:23くらいでしたが、入道崎のお店で聞くと、日の入り時刻は18:35とのこと、約10分遅くなっていました。さきほどまで西側の空には何やら怪しい雲が垂れこめて来ましたが、その雲も徐々に薄くなっていき、この調子ならば、何とか夕陽を撮ることが出来そうでした。昼間、あたりをつけておいた撮影場所にカメラと三脚を持って再び降りて行きました。そこには青い空と雲と夕陽があり、空のパレットが広がっているようでした。058.gif058.gif058.gif
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一通り、太陽が見えなくなるまで写真を撮って、灯台のある丘に上がって来ました。太陽が沈むと、気温が一気に下がったことがわかりました。夕闇の中、入道崎に別れを告げて、ホテルサンルーラル大潟へと戻って来ました。
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朝の10:00から19:40過ぎまで案内してくれたタクシーの中西さんとも、ここでお別れ。今日、周ったもらったところ以外にも男鹿半島には見てないところがまだまだたくさんあること、それから五能線で海岸沿いに北上するのも風景がよく、写真を撮るには最高であることを教えてもらいました。五能線での旅を是非検討してみたいと思います。
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To be continued.

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by ryott-ryott | 2010-05-09 10:32 | 秋田県の旅

秋田県の旅・第3話 秋田千秋公園と八郎潟桜並木をゆくヽ(^o^)丿

旅行・地域
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秋田の旅・第3話。このシリーズは第5話まで報告します。
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5月1日(土)の朝も田沢湖は雨でした。しかも昨夜は稲光を伴なう激しい雷雨でした。湖から龍が現れるのではないかと思うほどでした。
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この日で田沢湖には別れを告げて、第2の本拠地である八郎潟へと向かいました。田沢湖から終点・秋田まで秋田新幹線で向かいました。田沢湖では悪天候でしたが、秋田へ近づくにつれて雲が薄くなり、日差しと雲の間から青空が顔を覗かせる空模様でした。

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秋田から奥羽本線で八郎潟へと向かう予定ですが、秋田駅で寄り道をしました。秋田の千秋公園は4月29日(祝・木)の時点で桜が満開との情報。千秋美術館へ立ち寄った後に、満開の桜の千秋公園へ行きました。

やはり秋田の千秋公園も例年に比べると桜の開花は遅れており、桜が満開であるにもかかわらず、桜祭りは終わっていました。しかしながら、千秋公園の桜は見事なもので、桜の下にはたくさんの花見客で賑わっていました。


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(まんが日本昔話「五郎兵衛淵」)

5月1日は労働者の祭典、メーデーです。
メーデーの起こりはは、1886年5月1日、アメリカのシカゴで、53万人の労働者が団結し、ゼネストを実施して8時間労働を勝ち取ったことが発端です。
そして、この勝利はヨーロッパの労働者にも刺激を与え、それから3年後の1889年、パリで開かれた国際社会党大会で、この日を記念し、世界的な労働者の連帯をはかるため、毎年5月1日、世界各地でメーデーを開くことが決められました。
 日本でメーデーがはじめて行われたのは、大正9年(1920年)です。5月1日が土曜日だったので5月2日の日曜に実施されました。上野公園に5000人の労働者が集まったと記録されています。
 戦前のメーデーは昭和11年(1936年)の第13回メーデーを最後に、戦争のため中断。戦後は昭和21年(1946年)に11年ぶりに復活して今日に及んでいます。
 ところで、メーデーを扱った文学作品はいくつかありますが、代表的なものは、昭和27年(1952年)5月1日、皇居前広場で”血のメーデー”といわれた、第23回のメーデーを描写した阿部知二の『日月の窓』ではないでしょうか。デモ隊6000人、警官5000人が大乱闘の末、2人が射殺された事件です。
 阿部知二は、明治36年(1903年)岡山県に生まれ、姫路中、八高、東大英文科を卒業した小説家、評論家、英文学者として知られた人です。
 彼は戦後、従来の自由主義的立場から、次第に革新陣営に近づき、進歩的知識人として、種々の社会活動に参加して活躍しました。
 昭和48年(1973年)4月、70歳で亡くなりました。『阿部知二作品集』全5巻(河出書房)、『阿部知二全集』全13巻(河出書房新社)があります。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(五木ひろし/契り/映画「大日本帝国」)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif
あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに


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千秋公園で満開の桜を見た後、奥羽本線に乗り、八郎潟駅へ。第2の本拠地、ホテルサンルーラル大潟へ向かいました。駅から車で約20分のところ、大潟村にあります。男鹿半島での夕景を写真に撮影したくて男鹿半島の宿泊先を探していたのですが、すべて満室であり、唯一、空室があったのがサンルーラル大潟でした。しかし、この日のサンルーラル大潟も連休中とあって、満室だったそうです。
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八郎潟のほぼ真ん中を突っ切って、10 kmにも及ぶ桜並木・菜の花ロードには圧倒されました。地元の方の話では、今年は気温が低いため、桜も菜の花も花の粒が小さいとおっしゃっていました。しかし、はじめて見る私にとっては、とても感動的な風景でした。
千秋公園でも、八郎潟の桜並木・菜の花ロードでも感じたことは、桜には香りがあるということです。東京での花見の時にはわかりませんでしたが、満開の桜の下、桜にはあの独特な香りがあることがわかりました。桜餅や桜湯の匂いです。あの香りは人工的につくられたものかと思っていましたが、実は桜そのものの香りでした。

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田沢湖での悪天候が嘘のように、八郎潟では晴天に恵まれました。そして、夕方、ホテルの近くの宮沢海岸へ夕陽を撮りに行きました。晴天といっても、風は強くて、結構、砂まみれになってしまいましたが、今回の旅ではじめて夕陽を撮ることが出来ました。
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ホテルに戻って夕飯後、温泉に入りました。大潟村から出る温泉は海藻が堆積した地層から湧き出ており、茶色いお湯でした。関節部の痛みや美肌に効果があることが、大学の研究者によって立証されたそうです。

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さて、次回、秋田の旅第4話は男鹿半島の周遊記を報告します。

To be continued.

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by ryott-ryott | 2010-05-08 03:26 | 秋田県の旅