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2014年師走の風景

登山
旅行・地域
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 ブログが実態に追いつきましたが、肝心の山に行けておりません。12月は桜山、日蓮アルプスへのハイキング、月居山・奥久慈男体山に行く予定でしたが、いずれも仕事の邪魔が入って行くことができませんでした。11月の独鈷山、個人で行くことにしていた蔵王も含めると5回連続で行くことができず、11月13日に行った歩の会・桧沢岳が2014年最後の山行になりました。現在、体重がうなぎのぼりになっています。037.gif
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(奥穂高山頂から見たジャンダルム)

 大目標である日本百名山は、今年までで90座まで到達しました。悪天候や仕事による妨害があるので明確には宣言できませんが2015年には残りの10座を登ることができればよいと考えています。残りの10座は、蔵王山、黒部五郎岳、大朝日岳、火打山、妙高山、十勝岳、大雪山、羊蹄山、荒島岳、白山になります。当面の予定は以下のとおりです。

  1月10日(土)~11日(日) 四阿屋山(山旅クラブ)
  1月15日(木) 竹寺・子の権現(歩の会、休暇が取れれば)
  1月17日(土) 奥武蔵主脈縦走(日和田山~物見山~越上山、山旅クラブ)
  1月24日(土)~25日(日) 日光・雲竜渓谷(山旅クラブ)
  1月31日(土)~2月1日(日) 八丈島(八丈富士、三原山、トラベルギャラリー)
  2月15日(日) 奥武蔵主脈縦走(関八州見晴台、山旅クラブ)
  3月 1日(日) 宇都宮アルプス(山旅クラブ)
  3月14日(土)  奥武蔵主脈縦走(カバ岳、山旅クラブ)
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(光岳の光石)
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(鹿島槍ヶ岳北峰から見た南峰と劔岳)
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(燧ヶ岳柴安嵓)


(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 山に行っていないのでブログに書くことがありません。12月に撮影しました日の出、夕日の写真を掲載します。
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 毎年のことですが12月31日には終いの夕日、1月1日には初日の出を見に行きます(このブログを書いているときはまだどちらも見ていません)。かつては夕日や日の出を見るために日本各地に出かけていきましたが、南関東の冬の晴天率は80%もあり最も晴れの日が多いので、ここ数年は東京湾の日の出、夕日を見に行くことにしています。058.gif
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 日の出は、城南島海浜公園から東京湾の日の出を見ることができます。城南島海浜公園はJR大井町駅から徒歩2時間です。元旦の日の出時刻は6時50分なので、4時30分には家を出なければならないので、ほとんど往きはタクシーを使います。大井町駅から約20分、料金2700円くらいです。帰りはタクシーをほとんど捕まえることができないので2時間歩いて大井町駅まで戻ってきます。電話をしても、近くにタクシーが走っていないため、断られてしまうことが多いです。
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 城南島公園の中には浜辺があり、元旦に限って浜辺に入れてくれます。普段は施錠されていて入ることができません。ただし今年は浜辺の改修工事をしており、明日元旦に浜辺に入れてくれることは安全上難しいのではないでしょうか。
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 夕日は、葛西臨海公園で撮っていたこともありますが、12月はゴルフ練習場の屋根に沈んでいくので、今はほとんど千葉県立幕張海浜公園で見ることにしています。幕張海浜公園はJR海浜幕張から徒歩20分くらいです。私の場合は大井町駅からりんかい線で新木場まで行き、新木場から京葉線で海浜幕張まで行きます。
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 正面に富士山を見ることができ、2月下旬にはダイヤモンド富士を見ることができます。私は見たことがありません。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 その他の写真としては、戸越公園に毎年12月年の瀬にヒマラヤザクラが咲きます。今年は開花が少し早く12月14日に散りかけていました。
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 戸越(とごし)公園の「戸越」とは、この丘を越えると江戸を越えることになるので、「戸越」という地名がつけられた由縁になっています。42年前の品川区では小学校2年生の社会科で習いました。現在、教えているかどうかはわかりません。
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 また最近のことですが戸越小学校の北側に「文庫の森」公園ができ、近所の人たちがウォーキングなどをしています。私が小学校の頃には、文部省の資料館が建っており、中に決して入ることはできませんでした。その庭には大きな池があり、捨てられた犬が野犬化してうろついていたことを覚えています。悪い友人たちと犬を取りに行こうと、よく中に忍び込みましたが、捕まえることはできませんでした。その池には人を襲う魚が飼われており、「手を入れないでください」という立札がかかっていました。
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 また自分のクラスには霊感の強い女子がいて、文部省資料館の建物の窓から窓へと幽霊が飛びながら移動していると言っていました。
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 皆さん、よいお年をお迎えください。
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス



 
新年山行は四阿屋山に行ってきます060.gif

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by ryott-ryott | 2014-12-31 11:44 | 2014年年末の風景 | Comments(0)

今年のGW、根津神社つつじ祭り、初夏の昭和記念公園

登山
旅行・地域
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 5月に入りましたが、まだ山には行けておりません。昨年12月2日に開聞岳に行って以来、6ヵ月が経ちました。現在は年寄りの面倒を見ながら、近所の公園の花を撮り、出かけるとしてもせいぜい4~5時間で帰って来ることができる千葉県美浜区の幕張海浜公園や立川の昭和記念公園に行く程度です。
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 先日、山旅クラブのトミーさんから6月以降の日本百名山の予定をいただきました。年寄りの状態も安定してきているので、そろそろ、いい歳、りょうちゃんも始動しようと考えています。何しろ6ヵ月以上も山にも出かけていませんし、大井町湯屋にも1年以上行っていませんので、体重もうなぎのぼりになっています。037.gif
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 今年の山行ですが、5月22日(木)の歩みの会から始動することにしました。赤城山・鈴ヶ岳です。もちろん会社は休暇を取りました。歩みの会の皆さんにも10ヵ月以上会っていないので、とても楽しみです。それよりも問題なく登ることができるかが心配です。6ヵ月以上のブランクで、体重はうなぎのぼりですが、体力はガタ落ちになっています。みなさんと一緒にゆっくり登りたいと思います。024.gif
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 6月以降の考えている山行を以下のとおりです。
 
5月22日(木) 赤城山・鈴ヶ岳(歩みの会)
6月 7日(土)~ 8日(日) 甲武信ヶ岳(山旅クラブ)
6月15日(日) 焼酎試飲会
6月21日(土)~22日(日) 蔵王連峰・熊野岳(山旅クラブ)
6月28日(土) ゲンダマ会
7月 5日(土)~ 6日(日) 巻機山(山旅クラブ)
7月12日(土)~13日(日) 平ヶ岳(山旅クラブ)
7月19日(土)~23日(日) 聖岳(山旅クラブ)
7月26日(土)~27日(日) 西吾妻山(山旅クラブ)
8月 1日(金)~ 3日(日) 奥穂高岳(山旅クラブ)
8月 9日(土)~10日(日) 高妻山(山旅クラブ)
8月13日(水)~19日(日) 黒部五郎岳~薬師岳(山旅クラブ)
8月第3~4週は山旅クラブでは劔岳と富士山なので小澤さんと木曽駒ケ岳に行こうかなと画策中です。
9月 6日(土)~ 7日(日) 赤岳(山旅クラブ)
9月13日(土)~15日(日) 鹿島槍ヶ岳(トラベルギャラリー)
9月20日(土)~23日(火) 茶臼岳~光岳(山旅クラブ)
9月26日(金)~28日(日) 火打山~妙高山(トラベルギャラリー)
10月4日(土)~ 5日(日) 苗場山(山旅クラブ)
10月11日(土)~13日(日) 会津駒ケ岳~燧ヶ岳(山旅クラブ)

 予定した日本百名山すべての山頂を踏むことができれば94座になります。残り6座は北海道の3座(大雪山、十勝岳、羊蹄山)、荒島岳、白山、大朝日岳になります。038.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 昨年のGWは至仏山と常念岳に行きましたが、今年は山に行くことはなく、幕張海浜公園と根津神社に行ってきました。
 4月27日の幕張海浜公園の夕景です。天気予報では4月29日から30日にかけて、天候が崩れるということであったので、いつもよりも赤い夕日を見ることができました。058.gif
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 女の人が散歩をしていました。顔を見たら、おばさんでした。041.gif
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(NHK日本名曲アルバム/銀色の道)


(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 GW真っ只中で、普段は誰も来ることがない根津神社もツツジ祭りが開催されており、たくさんの人が見物に来ていました。056.gif
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 ツツジにも名前がついています。花びらの細い、この花はハナグルマ。
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 ミシマツツジ。
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 キリシマ。
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 フジツツジ。
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 黄色いツツジはキレンゲツツジ。
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 キリン。
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

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 先週の5月10日は久しぶりに立川にある昭和記念公園に行ってきました。
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 遠くから見ると水浴びをしているように見えます。
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 天気が良くて、たくさんの人が遊びに来ていました。みんなの原っぱ。
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 みんなの原っぱの北側に菜の花が咲いていました。
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 日本庭園。新緑が眩しい。
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 立派なシャクナゲが咲いていました。
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 田植えの準備をしていました。
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 赤いシャレーポピーが一面に咲いています。
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 畑では麦、じゃがいもを作っています。
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 チューリップもまだ咲いています。
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 みんなの原っぱにはアイスランドポピーの花畑があります。
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 マロニエの木。
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 約3時間ほど散策をして、帰路につきました。
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赤城山・鈴ヶ岳に行ってきます060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2014-05-17 18:02 | 根津神社・つつじ祭り | Comments(0)

今年も新宿御苑に桜を見に行きました

登山
旅行・地域
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 4月も終わろうとしています。久しぶりにブログを更新します。まだ山には出かけていません。最近、生協の宅配、パルシステムを始めました。パルシステムは食料品だけでなく、本やCD、服、靴、花などいろいろなものが売っていますね。花や植木の中に、スズメウリというツル科の植物が売られており、成長すると緑のカーテンになって、暑さ対策になると書いてあったので、早速買いました。写真は届いたスズメウリの苗です。
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 プランタに植え替えました。夏に花が咲き、秋には2~3 cmの実をつけるそうです。実も緑から黄色、赤へと色付き、とてもキレイだそうです。このブログでもときどき成長日記を報告することにします。ただし、スズメウリの実は毒があるため、食べられないそうです。
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 昨日は久しぶりに勇才さんに行きました。勇才さんは昨日は予定外の釣りに行き、東京湾でアジを100匹も釣ったそうです。アジフライを2枚もいただきました。
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 勇才さんに行くと必ず時事問題の話しを聞かせてもらいます。4月23日にアメリカ大統領が来て、日本にTPPを妥結するように迫りましたが、妥結しなかったことについて、勇才さんは本当によかったとおっしゃっていました。このTPPの裏にはアメリカ企業のたくらみが隠れており、そのことについては一切報道されていないというのです。TPPにもし妥結すると、アメリカ企業が遺伝子組み換えでつくった稲を日本人は買わされ、食べさせられるだけでなく、その後、日本がアメリカ企業のつくった稲を買わないと言った場合には、日本国が途方もない賠償金を請求されて、その賠償金はすべて日本国民が収めた税金で支払わされることになるカラクリがあのTPPの中に潜んでいることを、どの報道機関も言わないことに憤りを感じるとともに、アメリカ企業の手先ではないかとおっしゃっていました。アメリカ企業の稲が入ってきたら、日本のおいしいお米はすべて淘汰されてしまうことになり、しかもそのアメリカ企業の稲は、同じ企業が作った農薬を使わないと発芽しないように改良されており、何をやってもアメリカ側に金が行く仕組みになっているとのことです。オバマは、そのアメリカ企業の使い走りとして日本にやってきました。今回TPPが妥結しなかったのは、優秀な日本人がアメリカ側の企みを見抜き、必死にブレーキをかけていたからだそうです。あのTPPにはアメリカの支配階級が日本国を乗っ取るための隠された仕組みが入っており、TPPを絶対に妥結してはいけないというのが勇才さんの意見です。いい歳、りょうちゃんもこの意見に賛同します。
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 TPPが妥結したら、この高育54号も飲めなくなってしまうでしょう。
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 TPPが妥結したら、この野菜も食べられなくなってしまうでしょう。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 4月5日(土)は桜を見に新宿御苑に行きました。東京駅経由で丸ノ内線に乗って新宿御苑前に行きましたが、東京駅の丸の内南口は多くの人で埋め尽くされており、出口が人の多さで通れなくなっていました。皇居の桜の並木道「乾通り」が公開されており、そちらへ向かう人たちで大混雑していました。桜を見に行く人は皇居のほうに流れるので、新宿御苑は空いているかと思いましたが、こちらも混雑していました。
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 スズメバチの巣がありました。新宿御苑に夏は行かないほうがいいようです。
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 温室にも立ち寄りました。ミッキーマウスの木がありました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(NHK日本名曲アルバム/銀色の道)


(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 気温も高くなり、雲が出る日も多くなったため、これからの季節は朝日、夕日を見ることができる確率が減っていくことになると思います。写真は3月22日に見に行った幕張海浜公園の夕景です。
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

 

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by ryott-ryott | 2014-04-27 12:17 | 新宿御苑 | Comments(7)

2014年成人の日の朝

登山
旅行・地域
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 山に行かないとブログに書くことがあまりありませんが、年が明けましてから新しいミラーレス一眼OLYMPUS OM-D E-M1を買いました。従来はPanasonicのLUMIXを使用しており、レンズの互換性があるOM-Dをいずれ買うことを考えていました。山に出かけることが多いため、雨に濡れても大丈夫であるというOM-Dを買うことを1年以上も前から決めていました。
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 しかしながら、私が月に1回ほど通っている中国整体の先生はOM-DよりもSONYのα7を買うべきだと主張されて、年が明けてからα7を一緒に買いに行こうと誘われました。先生は、α7はセンサーがフルサイズであるため、写真の鮮明さがほかのカメラで撮影したものとは比べものにならないと言うのです。私の写真の先生でもある李先生がそれほどまでに言うならばα7を買おうかと心変わりし、先生にいつ買いに行くのか尋ねると、先生は「α7を買うのをやめた!」と予想もしていない答えが返ってきました。α7はまだレンズが揃っていないこと、バッテリの保ちが弱いことを理由に挙げられていました。しかも防塵防滴ではないため、山に持っていくには適当でないので、先生は私にOM-Dにしたほうがいいと、先日とまったく正反対のことをおっしゃっていました。
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 1月4日、当初の予定通り、ついにOM-Dを大井町駅前のヤマダ電機に買いに行きました。ヤマダ電機でもOM-Dよりもα7の販売に力を入れており、OM-Dの販売にはあまり熱心ではないように感じられ、店頭でもどちらにすべきか少し迷ってしまいました。α7では、朝日・夕日を撮るのに必要な200 mmレンズは今年の3月以降の販売であること、李先生がおっしゃっていた通り昔の型のバッテリをそのまま使用しているため保ちがよくないことがわかり、OLYMPUS OM-D E-M1を買いました。写真がそのカメラです。今年はこのカメラを持って山に行こうと考えています。しかしながら、山に持っていくには少し重いかもしれず、トミーさん、倉持さんに怒られるのではと恐れています。
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 その新しい相棒のカメラを持って、さっそく夕日と朝日を撮りに行きました。1月11日(土)の夕方、もう何回も行っている千葉県の幕張海浜公園に行きました。幕張海浜公園はJR京葉線の海浜幕張駅から歩いて約15分の砂浜がある公園で、天気がよければ海をはさんで真正面に富士山と丹沢山系が見える、都心から手軽に行くことができる夕景の名勝地です。私の場合は、大井町駅から「りんかい線」に乗って、終点の新木場で京葉線に乗り換えて行きます。大井町から新木場まで15分、新木場から海浜幕張まで快速で22分です。写真は幕張海浜公園の手前にある庭園の見浜園の中の写真です。いつもは素通りしていますが、日没まで少し時間があったので立ち寄りました。入場料100円です。
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 見浜園の中を一周して、いつもの砂浜に行きました。この日は風もなく、とても穏やかでした。
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 雲が少し多く太陽もにじんでいます。
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 その雲の中から太陽が線香花火のように降りてきました。その下に飛行機が旋回しています。
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 夕日を見に来た老夫婦。顔を見たら若くありませんでした。037.gif
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 太陽からの光の道が砂浜までまっすぐ来ています。
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 下にはぶ厚い雲があり、その中に沈んでいきそうです。
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 太陽が雲の中に沈んで行きましたが、下の雲がすこし切れており、太陽に雲の帯がかかっています。
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 空も海も真っ赤に染まっていきました。
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 太陽が沈むと気温が一気に下がります。夕日を見に来ていた人たちが引き上げていきました。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 3連休の真ん中の日曜日は残念ながら会社に休出でした。帰りにどこかで写真を撮ろうと考えていました。日も暮れてしまい、会社帰りにじゃんけんぽんに行きました。お店には珍しく変人シェフが来店しました。変人シェフが言うには2年以上顔を合わせていないとのことです。また大井町湯屋仲間のN丸夫妻、桑野さん、それから料理の腕が上がっている変態シェフと第一三共製薬の売人で人相の悪い近藤さん、「いい歳、りょうちゃん」のFacebookをいつも炎上させようとたくらんでいる洋子おばさん、まだ生きていることを確認できたよしえおばあちゃんが来ていました。037.gif
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 洋子おばさんとよしえおばあちゃんから、遺影を撮ってくれと頼まれました。相変わらずヒドイ面構えなので、このブログには載せません。のっぺらぼうのほうがとてもキレイな顔立ちをしています。変に目鼻が付いているので、洋子おばさん、美紀おばさん、よしえおばあちゃんのように苦労しなければなりません。よしえおばあちゃんは、私が撮った写真を見て、気に入らないとおっしゃっていました。鏡を持っていないのでしょうか。写真は生牡蠣です。のっぺらぼうのように「ツルン」としていて、とても美味しいです。041.gif
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 これは栃尾揚げです。最近はいつもこの栃尾揚げを頼むことにしています。イトーヨーカ堂の豆腐売り場にも売っており、じゃんけんぽんに行かないときは家で焼いて食べています。イトーヨーカ堂の栃尾揚げは1枚220円です。038.gif
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 変人シェフとシェアして食べました。メンチカツとハムカツです。
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 ふぐの唐揚げも食べました。最近はじゃんけんぽんには土曜日の早めの時間に行って、夜8時前には帰るのですが、この日は知り合いが多く、夜の11時過ぎまで飲んでしまいました。068.gif
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(NHK日本名曲アルバム/銀色の道)


(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 3連休最終日、1月13日(月)。今日は成人の日です。昨年の成人の日は山旅クラブで浅間隠山と鼻曲山に行っており、爆弾低気圧の影響で大荒れの成人の日に東京まで帰ってきたことを覚えています。今年の成人の日は朝からとてもよい天気で、東側の空を見ると赤い朝焼けになっていることがわかったので、城南島海浜公園に日の出を見に行くことにしました。前日の夜は11時過ぎまで飲んでいたので、起きることがたいへんしんどかったのですが、何とか起きて大井町駅からタクシーに乗り、城南島海浜公園に向かいました。今年2回目、元旦以来です。
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 元旦の日は日の出を見に来る人で、城南島海浜公園の砂浜が埋め尽くされますが、元旦以外はほとんど人がいません。この日も写真を撮りに来ている人が私以外に2人ほどいましたが、日の出の写真ではなく羽田空港から飛び立つ飛行機の写真を撮りに来ているようでした。
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 タクシーに乗っていると海のほうに雲が出ているのが見えましたが、城南島海浜公園に着くと太陽が昇ってくる位置には雲がまったくないことがわかりました。
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 6時51分、太陽が東の空に顔を見せました。
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 太陽から煙が出ているように見えます。
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 水鳥が横切って行きました。
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 帰りは歩いて大井町駅まで帰りました。城南島海浜公園から大井町駅まで2時間ほどかかります。日の出を見た帰り道、大田スタジアムを横切り、立会川駅の手前に坂本龍馬の銅像が立っていました。ペリーの黒船が来た当時、土佐藩の下屋敷がこの立会川の河口付近にあり、坂本龍馬は警護のためにその下屋敷に居たそうです。
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

 

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by ryott-ryott | 2014-01-15 13:40 | 成人の日の朝 | Comments(2)

2014年明けましておめでとうございます/元旦の朝

登山
旅行・地域
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 2014年明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。おかげさまで昨年2013年は目標としている日本百名山の山頂踏破は75座を数え、4分の3を終えることができました。今年の目標は特に設定せずに、ひとつひとつこなしていこうと思います。038.gif
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 この年末年始はとくに山歩きに出かけておりません。毎年のことですが年末年始の風景として、朝焼け、夕景、冬の花、クリスマス会などを写真に撮りましたので掲載します。
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 12月23日(月)じゃんけんぽんのトントンさん、はるさんにクリスマス会にお招きいただきました。お店は大森のイタリアンレストランのBACCOです。068.gif
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 写真は三浦大根など三浦半島で採れた野菜の前菜です。
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 魚の名前を聞きましたが忘れてしまいました。三浦半島の近傍で獲れた魚のカルパッチョです。
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 手前の白い部分はハチミツが塗ってあり、甘いピザです。チーズとハチミツはとても合いますね。
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 ラザニアです。
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 三浦半島で採れた野菜のパスタです。
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 三浦半島で獲れた魚と肉の盛り合わせです。
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 髪型を変えたトントンさん、早々と寝てしまいました。037.gif
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 左から美紀おばさん、岡田家のお嬢さん、岡田ママさん。美紀おばさんと岡田ママさんは顔に自信がないためピースで顔を隠しています。いっそのこと、すべて顔を覆ってくれれば写真の邪魔になりません。041.gif
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 したがって、美紀おばさんと岡田ママさんを抜かした写真がこちらです。まだ19歳だそうです。岡田家のお嬢さんは岡田ママさんに似なくて本当によかったですね。041.gif
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 家に凶暴なかみつき犬を飼っている洋子おばさんと美紀おばさん。相変わらずヒドイ面構えですね。ピースでしっかりと顔を隠してください。041.gif
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 はるさんと変態シェフ。変態シェフも「永遠の0」を見たそうですが、ピンと来なかったとおっしゃっていました。私も早々と「永遠の0」を見に行きましたが泣くことができませんでした。原作本は500ページにも及ぶ大作で、2時間ほどの映画の中に登場人物の細かい心理描写や戦争に関する情報を入れることができなかったのではと思っています。
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 最後は全員で記念撮影。左のおじさんは岡田家がよく通っているお店のマスターだそうです。マスターさんが撮った写真はどれも使えませんでした。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 毎年恒例にしていることにその年の終いの夕日を見に行くことにしています。最近は葛西臨海公園ではなく、JR海浜幕張駅から行ける幕張海浜公園に行っています。12月31日(火)は風もなく穏やかな1日でした。遠くのほうにヨットが浮かんでいました。
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 翌日の元日は新月で、この日も潮が満ちてきており、水に入らなければ堤防に上がることはできませんでした。
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 空を紅く染めながら、太陽が徐々に沈んでいきます。
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 海には水鳥がたくさん浮かんでいました。
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 毎年、今年最後の夕日を見に来る人は数えるほどしかいませんが、今年は珍しく50人ほどの人が見に来ていました。
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 大晦日、地平線近くの空は霞んでいて富士山は最初は見えませんでしたが、夕焼けに炙り出されてきました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

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 年が明けて2014年。紅白なんかを見て夜ふかしなんてしていられません。毎年恒例の初日の出を城南島海浜公園へと見に行きました。昨年、一昨年は雲が多くて元日に初日の出を見ることができていないため、見ることができれば2011年以来3年ぶりの元日の初日の出になります。朝5時前におきて、タクシーを呼びました。城南島海浜公園に行くにはバスか徒歩しかありません。徒歩で行くと2時間もかかるため、往きはタクシーを利用します。大体3000円弱かかります。通常ならば、大井町駅前からタクシーを拾うのですが、元日はタクシーが並んでいないことがあるため、電話でタクシーを呼びました。それでも元日はタクシーの台数が少ないために断られることが度々あります。
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 太陽が顔を出しました。058.gif
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 空を赤く染めながら、太陽が昇ってきました。それと同時に周囲からは大歓声が上がります。普段、ほとんど人がいない城南島海浜公園も元日だけは初日の出を見に来る人が大勢いて、公園の砂浜を埋め尽くします。071.gif
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 今日は新月のため、潮が満ちて砂浜に潮だまりが出来ています。
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 初日の出を拝んで、2014年を健康に乗り切ることができるように祈り、家に帰ってきました。写真は年末に戸越銀座で買ったのし鳥と西山さんから買ったローストビーフです。のし鳥とは鶏肉をのして(伸ばして)、卵などで固めて焼いたおせち料理です。「のし」とはのし紙の「のし」で、おめでたいときの贈り物に使う包み紙です。昔はのし鮑が使われていましたが、簡素化されてのし鮑をかたどった「のし」紙になり、「のし」紙を見立てたのし鳥という料理ができました。「おめでたい」という意味がある料理です。038.gif
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 さて今まで2011年の初日の出の写真を表紙に使ってきましたが、今日から写真を変えることにしました。しかしながら2014年元旦の写真ではありません。年末年始は天候がよくほぼ毎日朝日を見ることができています。元日の日の出の写真は少し霞みがかっていたため、次回きれいな初日の出を撮ることができるまでは前回紹介した12月30日(月)に撮った日の出の写真を表紙として使うことにします。038.gif


新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 

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by ryott-ryott | 2014-01-02 22:14 | 2014年初日の出 | Comments(0)

北アルプスに響く歌声とともに、第100回あづみ野歌声喫茶

登山
旅行・地域
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 今年も残すところわずかになりました。11月に行った歌声喫茶の報告をします。2013年11月17日(日)、第100回あづみ野うたごえ喫茶に行ってきました。特急あずさ号に乗り、松本まで行き、そこから大糸線に乗り換えて穂高駅まで向かいます。
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 車窓から見た白峰三山。
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 甲斐駒ケ岳も見えました。
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 大糸線の車窓から見た常念岳。
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 穂高駅には12時46分に着きました。前回のうたごえ喫茶をに参加したのは1年以上も前のことでした。今回もこのお店でお昼ご飯を食べました。
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 1日10食限定のトンテキ定食を食べました。
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 穂高神社ではそば祭りをやっていました。
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 ゆるキャラが神社内を練り歩いていました。
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 安曇野の野菜をたくさん積んだ山車。
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 嬉しいことに日本酒の試飲会もやっていました。歌う前に一杯飲んでしまいました。
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 このどぶろくが一番美味しかったです。
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 一杯やったところで、会場のホワイトトークハウスに向かいました。
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 少し早めに会場に行ったつもりでしたが、記念すべき第100回目ということもあり、会場はほぼ満席状態でした。80名以上の方が参加されていたそうです。
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 オープニングはいつものようにテーマソング「さあ みんなで 歌おう」から始まります。この歌の作詞作曲者はあづみ野うたごえ喫茶の生みの親、大森隆さんで既に故人となっています。現在は奥様、息子さんが遺志を引き継いで、ついに第100回を迎えています。038.gif
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 その記念すべき第100回あづみ野うたごえ喫茶にオペレ歌手の向野由美子さんが特別ゲストとして招かれていました。
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(Time To Say Goodbye)


(お菓子と娘)


(喝采/ちあきなおみ)
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 約3時間にわたって繰り広げられた第100回あづみ野うたごえ喫茶は無事に閉幕し、東京までの長い長い家路につきました。東の空には満月が浮かんでいました。072.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 ”碁”が日本に伝来したのは、正倉院の御物に、豪華な碁盤と碁笥(ごけ)があるところから、奈良時代と見られています。『源氏物語』にも出てきますが、平安時代はまだ貴族の人たちに限られていました。室町から戦国時代にかけては武士と僧侶の間に普及し、江戸時代に入って、庶民のものになりました。

 江戸時代は、歴代“碁”を保護し、本因坊、井上、安井、林の四家を家元に任じ、五百石の知行を与えて、諸制度の整備をはからせました。毎年1回、11月17日を将軍上覧の「御城碁」と決めて、四家を争わせ、技を競わせました。そしてその勝者を“名人碁所”の地位につけました。名人とは九段の意味で、手合制として七段上手に向先、八段準名人に向
先で打つ資格です。碁所というのは、棋界の統括をする職名です。

 したがって“名人碁所”とは、将軍の碁の指南役であり、御城碁の采配、段位の認定、免状の発行など、碁に関するすべてをとりしきる、最高栄誉、尊称と富を集める最高の役職でした。その意味では江戸時代の囲碁史は、“名人碁所”をめぐる棋院四家の抗争史であったといえます。

 初代“名人碁所”も就任し、その制度の基礎を築きあげたのは、本因坊一世算砂です。算砂は、京都寂光寺の僧侶で、その住居としている塔頭名をとって本因坊を名乗りました。ちなみにに、今日まで正式に名人の地位についた人は、本因坊家では一世算砂、四世道策、五世道知、九世察元、一二世丈和、一九世秀策、二一世秀哉の7人。井上家は元祖中村道碩、四世因碩の2人。安井家は二世算和の一人。合計10人だけで、林家からは一人も名人が出ていません。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 12月の韓国岳・高千穂峰・開聞岳以来、山歩きには出かけておりません。毎年のことですが年末年始は朝日と夕日を見に出かけています。出かけると言いましても遠方へ出かけるわけではありません。朝日は住んでいる品川区内の城南島海浜公園で、夕日はおもにJR海浜幕張駅の幕張海浜公園に見に出かけます。11月から翌年の2月にかけて、冬の晴天率は関東が群を抜いています。関東の沿岸で見る冬の朝焼け、夕景を何枚か掲載します。058.gif
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 11月16日(土)歌声喫茶の前日に幕張海浜公園に出かけました。夕日を見るためです。写真は堤防のはしから見た夕日です。前に夕日を見ている若い女性がシルエットになっています。シルエットでみると誰でも美しく見えます。041.gif
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 この日は雲が多くて、雲の中に太陽が沈んで行きました。
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 振り返ると東の空には月が浮かんでいました。
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 12月7日(土)同じく幕張海浜公園に行きました。砂浜には2つの堤防があり、今日は南側の堤防越しに夕日を見ることにしました。写真は堤防の先端に家族連れが向かっているところです。
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 この日も雲の中に太陽が沈んで行きました。
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 海にたくさんの渡り鳥が浮かんでいました。
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 あきらめて砂浜を歩いて帰ろうとしていると、雲の下から太陽が再び現れました。
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 12月14日(土)、この日の幕張海浜公園は雲がなく、山の稜線に沈んで行きました。
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 12月21日(土)、雲の切れ間から太陽が落ちるように沈んていき、雲に反射して、空が燃えるようでした。
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 12月28日(土)、12月は毎週土曜日4週連続で幕張海浜公園に来ることになりました。この日も南側の堤防越しに見ることにしました。若い女性が堤防の上を歩いています。堤防から落ちるところを写真に撮りたいと思いました。041.gif
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 今日は富士山もきれいに見えました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

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 朝日は城南島海浜公園に見に行きます。城南島海浜公園に行くにはバスしかありませんが、早朝は動いていないのでタクシーか徒歩になります。タクシーで行く場合は大井町駅から約20分で城南島海浜公園の正門にたどり着くことができます。徒歩だと、いい歳、りょうちゃんの足で約2時間かかります。
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 毎年、元旦は初日の出を見るため多くの人が城南島海浜公園の浜辺を訪れます。しかしながら、元旦以外はほとんど人がおりません。浜辺は通常は施錠されていて入ることができませんが、管理人のおじさんによっては、元旦以外の日でも開けてくれ入ることができます。写真は12月14日(土)の様子。人が一人もいません。
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 船で漁をしている人がいました(12月28日)。
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 朝焼けに染まる羽田空港。
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 東京湾は大きな船が行き交います。
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 12月30日(月)も初日の出の下見に行きました。とてもいい写真を撮ることができ、T中さんから「初日の出を見に行かなくても、もうこれでいいじゃないですか!」と言われてしまいました。037.gif
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 このおじさんは海に向かって歌を歌っていました。037.gif
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 朝日を見る男女のシルエット。
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
元旦は初日の出を見に行きます060.gif

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by ryott-ryott | 2013-12-31 10:42 | 第100回あづみ野うたごえ喫茶 | Comments(4)

春を迎えに、陽だまりハイク、歩みの会・古賀志山を行く

旅行・地域
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 3月9日(土)~10日(日)は山旅クラブで雪山の日光白根山に行く予定でしたが、家の都合で行けなくなってしまいました。ごめんなさい。3月の第2週くらいから、花粉症の症状がひどく、3月17日(日)のあづみ野歌声喫茶へ出かけることも取りやめにしました。040.gif
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 現在、東急大井町線の高架下は耐震強化工事をしており、高架下にあったお店はすべて立ち退きを強いられたようです。最後まで立ち退かなかった「福万食堂」も昨年末をもって営業終了したとの貼り紙がされていました。
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 東急社員による立ち退きの悪いうわさはたくさん聞きました。立ち退き料130万円で立ち退きを迫り、「これでは新しい住居も探せない」と立ち退きできないことを懇願する住民に一切取り合わなかったという話を聞きました。
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 写真は高架下の福万食堂で、昔は歩道の右側にも小さな商店街があり、店が軒を連ねていました。第一京浜から大井町にかけて、道路を繋いでおり、その商店街もなくなって20年近く経ち、ようやく道路が出来つつあります。この道路は私が小学生のことから大地震が起こったときのための避難道路としてつくる話がありました。それから40年以上経った今でもまだ完成していません。
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 写真は昭和3年(1928年)頃の大井町駅付近の大井町線高架(郷土出版社「目で見る品川区の100年」p.75から引用)。高架下は何もありません。
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 昭和28年(1953年)頃の大井町駅西口広場(郷土出版社「目で見る品川区の100年」p.141から引用)。現在イトーヨーカ堂が建っている場所に居住地域が見えます。この居住地域は昭和38年(1963年)に解体されています。
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 また荏原第三中学校は大間窪小学校と合併し、小中一貫の「豊葉の杜学園」という名前で、今年の4月からスタートするそうです。豊葉の「豊」は豊町、「葉」は二葉町から取り、「ほうよう」と読みます。新しい校舎で勉強できる子どもたちは羨ましい限りです。038.gif
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 大間窪小学校正門、昭和28年(1953年)(品川WEB写真館から引用)。
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 上空から撮影した大間窪小学校、昭和29年(1954年)(品川WEB写真館から引用)。
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 荏原第三中学校校舎、昭和22年(1947年)(品川WEB写真館から引用)。
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 荏原第三中学校朝礼の風景、昭和47年(1972年)(品川WEB写真館から引用)。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 武田勝頼は、父信玄の「3、4年は父の死を秘し、国内の備えを堅めよ」という遺言に背き、老練な家老たちの諫言もきかず、父の死後10ヵ月にして、早くも美濃、駿河に攻め入りました。

 幸いこのときは勝利をおさめましたが、その余勢をかって、天正3年(1575年)5月、こんどは三河長篠城を攻めました。しかし、前回と違い今回は決定的な大敗北を喫しました。
 勝頼はこの戦いで、信玄以来歴戦の有力な武将の大半を戦死させ、無敗を誇った虎の子の武田騎馬隊を壊滅させてしまいました。信長の技術革新の戦略、3000挺呈の鉄砲という新兵器の前に、もろくも崩れ去ってしまったのです。
 一族、家臣どもの多くは、勝頼に見切りをつけて、次々と斜陽の武田家を離れていきました、

 巻き返しをはかろうとしても、もはやかつての武田軍団の姿はなく、結局、天正10年(1582年)3月11日、木曾義昌との戦に敗れ、天目山で自刃してしまいました。享年36歳でした。

 名門甲斐の武田家を、父信玄死後10年にして滅亡させてしまった勝頼は、いつも暗愚の2代目という歴史的評価を与えられておりますが、なかにはこれと反対の説を唱える学者がいます。
 つまり、勝頼は、若き日の信長と同じような気性を持ち、軍事的には非凡な才をもった武将であった。

 信玄の遺言といわれるものは、家臣団の老臣たちの作である。したがって、あのとき信玄が死んでも、そのまま上洛を続ければ、信長も浅井、朝倉との戦いで苦戦をしていたときだけに、勝頼が天下をとることができたであろうという見解です。

 勝頼の才能を家臣たちが見抜けなくて、失したためというのですが、どうでしょうか。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 3月9日(土)の夕方は花粉の嵐の中、再び幕張海浜公園に夕日を見に出かけました。058.gif
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 夕日が沈んでくると、富士山が炙り出されてきますが、この日は春霞で富士山を見ることができませんでした。
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 今回は夕日を見に来ている人たちを入れて撮ってみました。
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 実際には堤防の上でこのように人が夕日を見ていました。
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 夕日を見に行った帰りに、久しぶりに勇才さんに行きました。
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 勇才さんからはまたもや木曜スペシャル的なお話しを聞くことができました。先日、ロシアで隕石が落下し、周辺の建物の窓ガラスなどが破損したというニュースがありました。その時に隕石をUFOが追跡し、隕石が落下寸前にUFOからミサイルが発射されて隕石を破壊したと言うのです。YouTubeの動画にはっきり写っているとおっしゃっていましたが、私は見つけることができませんでした。もし隕石がUFOに破壊されなかったら、地球の被害は甚大となり、それを食い止めるために銀河連合なる宇宙人の集団が隕石を撃墜したとおっしゃっていました。
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 また自民党に政権交代し、現在株価も上がって、景気回復の兆しが見えているような錯覚になっていますが、必ずその反動が来るともおっしゃっていました。かつて消費税増税を絶対にやらないといっていた野田佳彦が、民主党のトップになると消費税を上げることに方向転換したのは、影の首相と呼ばれる財務省前事務次官の勝栄二郎が民主党議員を買収したためだと言います。増税することに成功した勝栄二郎はその後IT会社の社長に天下り、増税成功のご褒美にIT関連事業に500億円の予算が計上されました。前年度の予算は5800万円と比較すると桁外れで、こういうことを平気でやっている自民党は今に大きな失敗をすると勇才さんはおっしゃっていました。
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 のれそれ。穴子の稚魚。ニンニクの芽を擦りおろした酢味噌で食べました。
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 ミンク鯨。
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 毛ガニ。
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 白子焼き。
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 白子のグラタン。
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 あさりのペスカトーレ。
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 三色丼。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

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 3月11日(月)は休暇を取って、歩みの会で古賀志山に行ってきました。今回は24名が参加で、先週蔵王でご一緒しました兵藤さんが歩みの会にテスト入団として参加しました。蔵王と同じく、ガイドは白砂さん、添乗員は倉持さんでした。038.gif
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 新宿を7時15分に出発し、9時30分には古賀志山の駐車場に到着しました。杉が真っ赤な花粉をつけています。誰か焼きはらってください。037.gif
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 出発前にいつもの準備体操をします。倉持さんは、相変わらず体が柔らかいです。038.gif
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 赤川ダムから見た古賀志山です。
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 ここは自転車レースのJapan Cupのコースにもなっているそうです。
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 空は雲一つない青空です。058.gif
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 いよいよ登山口から登山開始です。9時57分。北コースから登り、古賀志山山頂、御岳を経由して、南コースを下山する予定です。
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 26名の大行列で進みます。038.gif
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 歩くこと約30分、斜度が上がって行きます。
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 古賀志山の稜線に出る手前の登り、両側が崖になっている岩場を登ります。10時54分。
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 この岩場を登りきったところで小休止、みんなでお饅頭を食べました。
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 この急登を登れば、古賀志山の山頂に辿り着きます。
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 午前11時37分。古賀志山の頂上に到着しました。標高583 m。
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 記念撮影後、お昼ご飯を食べました。ほかの登山者の方から、「大勢なのに静かですね」と言われました。食べているときは皆さん静かです。037.gif
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 山頂からの田園風景。
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 古賀志山の山頂からは、男体山は木に阻まれてよく見えません。昼食を済ませて、男体山がよく見える御岳のピークに向かいました。
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 御岳のピークに行くためには、ちょっとした岩場を越えていきます。巻道もあり、巻道を行ったグループのほうが早く御岳に到着しました。
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 はしごもありました。
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 御岳に到着。12時26分。御岳から見た日光の峰々。
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 昨年登った雄大な男体山。男体山の左に見える白いピークは赤城山だそうです。地元の人が教えてくれました。
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 古賀志山の山塊の向こうには鶏頂山があり、その右側に茶臼岳が見えました。
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 真ん中の三角のピークは皇海山だそうです。この写真は兵藤さんにもらいました。
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 御岳のピークは歩みの会で大賑わいです。024.gif
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地



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 風景を十分に楽しみ、下山を開始しました。12時38分。
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 先ほど登ったはしごを降りて、分岐まで戻ると、あとは単調な下りになります。
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 林道歩きもありました。林道では地面がコンクリートであり、スギ花粉で一気に目がかゆくなりました。
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 地面が土であると割合に花粉症は平気です。
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 赤川ダムの展望台で記念撮影。13時50分。
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 赤川ダムのところまで戻ってきました。赤川ダム越しに見た古賀志山を再び撮影。
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 サンピアで入浴を済ませ、ビールで一杯。昨年、歩みの会でお天気山に来た時に立ち寄った入浴施設です。068.gif
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 バスでお蕎麦屋さんまで移動し、鹿沼名物のニラそばを食べました。
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 バスの車窓から見た男体山、兵藤さんから写真をもらいました。いつものようにバスの中で乾杯をしながら新宿まで戻ってきました。今回歩みの会にテスト入団した兵藤さんは、帰りのバスの中で歩みの会への入会が満場一致で承認されました。038.gif038.gif
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来週、赤岳に行ってきます。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2013-03-16 22:07 | 歩みの会・古賀志山 | Comments(3)

東日本大震災を乗り越えて、石巻・墨廼江酒造酒蔵見学

旅行・地域
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 赤城山の翌週は、山登り以外の予定がいろいろとありました。まず9日は会社関係者のOBの先輩たちと囲碁を打ちました。いい歳、りょうちゃんの成績は5勝2敗で優勝しました。前回も5勝0敗で優勝したので、2回連続での優勝となりました。優勝したからといって、何か貰えるわけではありません。最後は先輩方のお話しを聞いての会食でお開きとなります。037.gif
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 写真は熱戦を繰り広げる先輩方。お年寄りの囲碁を見ても全く勉強になりません。私が写真を撮ると、顔を大写しに撮ると年寄りであることがバレるから、次回は集合写真を撮って、顔を小さく写すように言われました。写り具合の大小にかかわらず、お年寄りの顔を若く見せることはできません。037.gif
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 そして、今週、来週はお馴染みの葛西臨海公園や、若洲海浜公園でダイヤモンド富士が見えるはずです。2月17日、葛西臨海公園でのダイヤモンド富士を狙っていましたが、残念ながら、雲が多く断念しました。その前の2月10日、ダイヤモンド富士を見るにはまだ20日ほど早いですが、幕張海浜公園に行ってきました。幕張海浜公園はJR京葉線の海浜幕張駅から徒歩で20分くらいです。058.gif
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 2月10日は風がなく、浜辺はとても穏やかでした。そして、今日もパラグラーダーでおじさんが空を飛んで遊んでいました。
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 浜辺には結構、人が来ていました。
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 このダイヤモンド状の太陽が富士山の真上にかかってくるとダイヤモンド富士になります。058.gif
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 建物に反射したダイヤモンド。058.gif
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 これから空へ飛び立ちます。
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 波打ちぎわに鳥が集まっていました。
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 太陽が徐々に空と海を赤く染めていきます。
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 遥か向こうに東京ゲートブリッジが見えます。
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 日が沈むにつれて、見えなかった富士山が炙り出されてきました。
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 20日後のダイヤモンド富士が楽しみです。ただし、快晴であることが条件です。058.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 西行は、本名佐藤義清(のりきよ)、代々藤原氏の一門で、鳥羽院を警護する左兵衛尉(さひょうのえじょう)という北面の武士でした。

 それが突然、23歳の若さで出家して、仏道と花道に専念するようになりました。一説によれば、ある高貴な人妻にほのかな恋をして、その失恋の結果だともいわれます。

 これは高山樗牛の名作『滝口入道』が、この義清をモデルにして描かれたと伝えられるからでしょう。また別の説によりますと、ある日前日まで一緒に仕事をしていた友人が、一晩でポックリ死んでしまったのがショックで、人間の生命のはかなさ、世の無常を感じて出家したとも言われています。

 西行を名のり、諸国をまわって、好きな歌を詠みながら、血なまぐさい戦乱無常の世を生き抜きました。西行の自然を愛し、物のあわれを主題にした作風は、後年の芭蕉の俳句に引き継がれて行きました。

  心なき 身にもあわれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ

  年たけて また越ゆべしと 想いきや 命なりけり 小夜の中山

 新古今集に収録されている歌です。西行は晩年、自分の死を予感したのでしょうか、

  願わくは 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月のころ

 と歌いましたが、その希望通り、建久元年(1190年)2月16日、現在の大阪府南河内郡河南町にある弘川寺で亡くなりました。72歳でした。希望する季節に死ねる人は幸福ですね。 

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 そして翌週、2月16日(土)は年に一度の日本酒の酒蔵見学に行ってきました。今日の酒蔵見学会は石巻の墨廼江酒造です。墨廼江酒造は3年前の2010年の3月にも行きました。今回は2回目になります。前回は東日本大震災の1年前で、仙台から仙石線に乗って、石巻に向かいましたが、あの地震で仙石線が寸断されてしまい、古川駅から小牛田駅を経由して石巻へと向かいました。
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 JR古川駅は仙台の次の駅で、ここで陸羽東線に乗り換えますが、アクシデントが発生しました。私たちが乗るはずの10時50分発の電車が車両故障で運休になってしまい、その次の電車は1時間後の発車です。ただでさえ、古川駅で50分待つ予定であったので、小牛田駅までタクシーで行くことになりました。写真は古川駅の吊るし雛です。
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 小牛田駅前。
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 小牛田の名前の由来。
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 小牛田駅では鉄道写真家の武川さんが個展を開いていました。鉄道と陽の光を取り入れた見事な写真を展示しており、写真の設定などひとつひとつ丁寧に説明してくれました。
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 小牛田駅から石巻までは石巻線に乗って約40分ほどです。今回の参加者は全員で12名でした。めずらしく、女子大生と、そのお友達と若い女性が2人も参加しており、いい歳、りょうちゃんはとても嬉しくなりました。前回のように聞かなくてもいい質問ばかりする質問おばさんや、寒風吹きすさぶ石巻の街を裸足で歩いている人は参加していませんでした。041.gif038.gif
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 石巻の駅構内は、石ノ森章太郎のチャラクターが展示されています。
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 石巻駅まで墨廼江の澤口社長が出迎えてくれ、墨廼江酒造までブラブラと歩いて行きました。この日の石巻もどんより曇り、風があり、寒い一日でした。
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 まずは事務所に案内されて、東日本大震災当日のお話しを伺いました。墨廼江酒造さんがある通りから東側に通りを2つ隔てて、川があります。その川が津波で増水し、石巻の街を急襲しました。墨廼江さんも約1.5 mほど浸水したそうです。澤口社長のお話では川から距離が明暗を分け、墨廼江酒造は川から離れていたため、まだ被害が少ないほうであったとおっしゃっていました。川に近い通りでは、家も人も流されて600人の命が犠牲になりました。津波に流されまいと電線をつかんだために感電死し、津波が引いたあとに電線に何人ものご遺体が吊り下がっている悲惨な光景や、流されていく人と目が合ったが、助けることができなかったという哀しいお話しを伺いました。あの地震から2年近く経っていますが、がれきも片付けられて、以前の街並みに戻りつつあるのは最近になってからだそうです。
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 これから酒蔵の中を見学させていただきます。地面のコンクリートはうち直したそうです。震災後はヘドロで覆われて、水洗いを何回しても、乾燥すると塩分が浮き出てしまったそうです。
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 入口に積んでった酒米も泥水に浸水し、約4.5 トンの酒米を廃棄処分したとおっしゃっていました。
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 酒米の洗浄機。
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 洗浄された酒米は蒸し器へとベルトコンベアで運ばれ、釜で蒸し上げられます。
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 蒸し上げられた酒米は麹室へと運ばれます。酒米に麹菌を植え付けて、デンプンをブドウ糖へと分解していきます。この麹室では余分な水分を乾燥させるため、空調管理されていますが、地震後は2週間ライフラインが止まってしまい、麹もダメかと思ったそうです。しかし、たまたま気温が低い日が続き、麹は無事だったとおっしゃっていました。この時、日本酒は強い酒であると認識されたそうです。
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 麹室で糖化させた酒米に酵母、水、蒸した酒米を加え、アルコール発酵をさせていきます。酵母菌はブドウ糖を食べて、アルコールを放出していきます。この最初の段階のものを酒母と言います。酒母室の中はとてもいい香りがたち込めていました。
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 酒母に雑菌が入って増殖しないように添加するのが乳酸です。お酒の酸味のほとんどは乳酸、クエン酸だそうです。この乳酸を作り出す乳酸菌が酒蔵の中に生息しており、自然に発酵させる方法が山廃仕込みだと教えていただきました。
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 酒母と水と蒸した酒米を大きなタンクに移して、発酵を進めて日本酒を作っていきます。
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 これが搾られて、日本酒が出来上がります。搾って、最初に出てくるのが「あらばしり」、次は中汲み、この中汲みが日本酒として一番品質が高いものです。そして、圧力をかけて搾りだしたものが「せめ」といいます。
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 酒蔵の分析室。酸度、糖度を測ります。
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 墨廼江さんの中にある八幡神社。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

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 墨廼江酒造さんで一通りの工程を見学したあとは、石巻のお店で墨廼江さんのお酒を試飲しました。
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 お店に行くまで、石巻の商店街の中を歩いていきます。つい最近までがれきが散乱していたそうです。
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 更地になっている場所はかつて家が建っていたそうです。すべて津波で流されてしましました。
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 地震当時の写真が貼られていました。
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 八幡家さんで日本酒を試飲します。
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 日本酒を試飲しながら、食事をいただきました。
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 女将さんの地震当日のお話を聞きました。このお店は川のそばであり、地震当日は2階寸前まで水に浸かったそうです。地震から2年近く経って、ようやく店の修繕費をもらうことができたそうです。しかし、役人から「2階は水に浸かっていないのに、なぜ修繕するのか」とか、「建て直す前は断熱材が入っていなかったはずなのに、なぜ入れるのか」と、言われたそうです。役人は血も涙もありません。
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 試飲が終わり、澤口社長と記念撮影。038.gif
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 浦安湯屋の和さんが、若い女性陣との写真を撮ってくれました。038.gif
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 この川を津波が逆流し、石巻の街と人を襲いました。
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 石ノ森萬画館。石ノ森萬画館は工事のため、お休みでした。
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 川のそばにマガモが歩いていました。勇才さんがいたら、しめていたでしょう。037.gif
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 笹かまを買いましたが、帰りの石巻線と新幹線の中でみんなで食べてしまいました。
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 さて来週23日(土)は浦安湯屋のメンバーと新年おしきせの会を開催します。参加者は、和さん、ともちゃん、千吉良さん、ハニー羽入さん、あきちゃん、はせやん、よしこさん、ベジータ宮崎さん、いい歳、りょうちゃんの9名で、森ちゃんは間に合ったら参加します。

 いい歳、りょうちゃんの今後の予定です。

 2月23日(土) 新年おしきせの会(アレグロピアット)
 2月24日(日)来福酒造試飲会(川崎)
 3月 2日(土)・3日(日) 蔵王山スノーシューハイク(倉持さんたちと)
           日本百名山55座目
 3月 9日(土)・10日(日) 雪山・日光白根山(山旅クラブ)
 3月11日(月)休暇を取って古賀志山(歩みの会)
 3月17日(日)あづみ野うたごえ喫茶
 3月23日(土)~25日(月)雪山・赤岳(山旅クラブ)、日本百名山56座目
 4月27日(土)~29日(月)雪山・至仏山(山旅クラブ)、日本百名山57座目
 5月3日(金)~6日(月)雪山・燕岳~大天井岳~常念岳(山旅クラブ)
           日本百名山58座目

 いままで長年(約10年間)、ドコモのガラケーを使っていましたが、ついにiphone5に乗り換えてしまいました。メールアドレスが変わっています。おもなメンバーには連絡したつもりですが、まだ聞いていないという方はお知らせください。

 iphone5を買ってきて、自宅で電話帳をダウンロードするのですが、なかなかうまく行きませんでした。10年前にドコモで新しい機種にしたときは電話帳のコピーなどすべて店でやってくれたと思いましたが、個人情報保護法で店の人はできないとおっしゃっていました。
 Apple Storeにアクセスして、「電話帳かんたんコピー」というアプリで電話帳のダウンロードを行うのですが、Apple Storeにアクセスしても検索キーをタップしても機能できず、ダウンロードができませんでした。
Facebookのお友達に聴いたり、最後はカスタマーセンターに電話をして、ようやくできました。できなかった理由を教えてもらうと、とても、つまらないことでした。アプリをいくつも立ち上げていると、メモリ不足になってiphoneがフリーズしてしまったとのことです。いくら容量の大きい機種でも、メモリは512MBしかなく、注意が必要とのことです。
 このようなことはやはり説明書に書いておいてもらわないと、原因が全くわかりません。これからのiphone生活は前途多難です。写真はiphone5の画面。
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付録のiPad。iphone5を買ったら付いてきました。しかし、電話代からしっかり引かれるようです。
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
3月初めに蔵王に行ってきます。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2013-02-19 23:50 | 石巻・墨廼江酒造 | Comments(0)

東京夕日レポート、幕張海浜公園&東京ゲートブリッジ

旅行・地域
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 1月19日の囲碁大会が中止になってしまいましたが、ほかの用事が出来て、山に行くことができませんでした。用事を済ませて、さかいやスポーツへ行き、カンジキとATCを買ってきました。もっと高いものかと思いましたが、カンジキは7056円、ATCは1995円でした。いずれもポイント500円引きで買いました。
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 ATCは懸垂下降の時にロープを通して使用する治具です。店には、通常のもの、1本のロープだけを通して使うもの、ロープの摩擦が効くように溝が切ってあるものの3種類がありました。店員さんは私を見て、溝が切ってあるものは摩擦が効くため、体重が重い人でも楽に操作ができると説明してくれました。私はその肥満者用のATCを購入しました。037.gif
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 19日の天気予報は晴れのち曇りでした。空を見ると雲は全くなく、きれいな夕日が見ることができるのではないかと思い、幕張海浜公園へ行きました。幕張海浜公園はJR海浜幕張駅から徒歩で20分ほどです。大晦日にも夕日を見に行ったところです。058.gif
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 幕張海浜公園の浜辺ではパラグライダーでおじさんたちが遊んでいました。
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 夕日を背景におじさんが飛んで行きました。
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 赤い夕日が空と海を赤く染めながら、海の向こうの山並みに沈んでいきました。058.gif
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 最初は見えなかった富士山が、夕焼けに炙り出されて、姿を現しました。058.gif
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 空に月が浮かんでいました。072.gif
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 太陽が沈みきったあともまだ空を飛んでいました。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 慶応4年(1867年)3月、徳川慶喜が大政奉還をしたにもかかわらず、新政府側は、この際徳川家を根こそぎ滅ぼし、旧幕府の土地をすべて没収すべく、、東征軍を派遣、江戸城の総攻撃を命じていました。

 幕府側にも強い主戦論がありましたが、時の陸軍総裁勝海舟はそれをおさえ、総攻撃の前日、東征大総督参謀西郷隆盛と、高輪にある薩摩藩邸で歴史的会見を行い、総攻撃の中止、江戸城の無血開城を約し、その通り実行しました。現在、東京大森の旧薩摩藩邸跡には、その歴史的会見の記念碑が建てられています。

 “江戸を救った男”勝海舟は、文政6年(1823年)江戸本所で、御家人勝小吉の子として生まれました。勝家は幕臣には違いありませんが、曽祖父の男谷検校が株を買って武士になった新しい家柄で、禄高40俵という貧しい家庭で育ちました。

海軍伝習所の教授方頭取、幕府の軍艦「咸臨丸(かんりんまる)」の艦長として渡米、帰国後、幕府の海軍創設に尽力して軍艦奉行、のちに陸軍総裁になりました。

明治政府になってから、参議兼海軍卿、元老院議員、枢密顧問官などを歴任、明治32年(1899年)1月19日、76歳で亡くなりました。

 多数の著書がありますが、有名なのは晩年彼の座談をまとめた『氷川清話(ひがわせいわ)』です。先見力に富み、江戸っ子らしい語り口でで、、ザックバランに本音を吐いて世相、人物を斬りまくっている内容は、若い人にも一読の価値があると思っています。

福沢諭吉は大の勝嫌いで、「痩我慢の説」で彼をこきおろしています。海舟の夫人も、彼の墓に一緒に入るのを嫌ったと伝えられます。毀誉褒貶(きよほうへん)、逸話の多い人物であったことはたしかです。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 翌日の1月20日(日)の天気予報は快晴でした。前日の19日が晴れのち曇りで、きれいな夕日を見ることができたので、今日も間違いなく見ることができると考え、東京ゲートブリッジへ出かけました。東京ゲートブリッジに出かけた理由は、日経新聞のWEBで、「東京23区から見える富士山、ベスト10は」という記事があり、東京ゲートブリッジの橋脚の下からのダイヤモンド富士の写真が掲載されており、20日はダイヤモンド富士の日ではありませんでしたが、素晴らしい夕日を見れるのではないかと思ったからです。写真はWEBから引用しました。
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 東京ゲートブリッジはりんかい線の新木場駅から徒歩で60分かかります。今日は若洲キャンプ場行きのバスに乗りました。バスに乗ること約10分で目的地に着きました。
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 折角、ゲートブリッジに来たので、橋の上に上がり中防昇降施設まで往復歩きました。
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 ダイヤモンド・ゲートブリッジ。
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 向こうにもダイヤモンドが見えます。
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 橋の上から見た光景。東京スカイツリーが見えます。
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 写真からはわかりませんが、東京ゲートブリッジの上は大変な強風でした。こんな日にゲートブリッジを歩いている人はほとんどいませんでした。あまりの強風で、路肩に寄せられてしまっているお年寄りがいました。037.gif
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 空には月が浮かんでいます。
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 中坊昇降施設までは写真を撮りながらゆっくり歩いて約30分でした。この先は行き止まりになっており、また若洲まで戻らなければなりません。
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 天気はいいのに、振り返っても誰もいません。
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 橋の上は寒いので、早々に若洲まで引き返し、下まで降りました。しかし、下も寒かったです。
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 私は東京ゲートブリッジの真下に赤い太陽が落ちてくるのが見える位置に移動しました。ところが昼間は天気予報どおり快晴であったのに、太陽が傾きかけた午後4時過ぎ、太陽が沈む方向に雲がベッタリと貼り付き始めました。普通、これだけ風が強ければ、雲は流されてしまうはずで、私の他にも夕日を撮りに来た人がたくさんいました。しかし無情にも、雲は流されないまま、その場所に留まり続け、19日に見たような夕日を見ることができませんでした。
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 これが今日精一杯の東京ゲートブリッジの夕日です。寒い思いをして行ったのに、“あゝ、無情“というしかありません。031.gif
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 右側に富士山が炙り出されてきました。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度


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 17時01分のバスに乗り、新木場駅まで帰ってきました。バスは40分に1本くらいしかありません。東京ゲートブリッジと新木場駅間は歩くと1時間かかります。
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 大井町湯屋で風呂に入って行こうかと思いましたが、1月20日は休館日であることを忘れていました。休館日がわからないほど、最近は大井町湯屋へ行っていません。そして、この日は日曜日でしたが、勇才さんが営業しているというので、夕飯を食べに行きました。068.gif
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 日曜日であるにもかかわらず、私を含めてお客さんは9名も来ました。最初は年配者3名、若いカップル1組、そして、いい歳、りょうちゃんの合計6名でしたが、その後、予約を取っていないという若者1名とカップル1組が来ました。
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 私の隣に座ったのは保母さんと若者のカップルで山形県出身だそうです。私が鳥海山に行ったことがあることを話すと、その若者は雪山歩きで雪の上に出てくる黄色い山椒魚を食べるのが習慣であると話してくれました。山椒魚をツルッと飲みこんでしまうそうです。私にはマネできそうもありません。037.gif
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 鴨鍋。
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 鴨南蛮。
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 名前を忘れてしまいました。こんな顔したオバサンいますね。
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 蒸し牡蠣。
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 ひつまぶし。
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 写真のお酒は年配者3名のお客さんが持ってきた「どぶろく」の上澄みで25度あるそうです。勇才さんは密造酒であるに違いないとおっしゃっていました。041.gif
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
今週末は奈良の若草山に行ってきます。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2013-01-23 21:31 | 海浜幕張&東京ゲートブリッジ | Comments(0)