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北海道百名山完登、神々が遊ぶ庭、大雪山を行く

登山
旅行・地域

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 ブログがだいぶ追いついてきました。2010年8月29日(日)に登った富士山が日本百名山1座目でした。それからちょうど5年か経過して、100名山100座達成が目の前に迫ってきました。あの時一緒に富士山に登った大井町湯屋のメンバーで登山を継続しているのは、よしこさんといい歳りょうちゃんの二人だけです。現在100名山は97座まで到達し、残すところ黒部五郎岳、荒島岳、白山の3座となりました。

 今年のお盆休みは北海道の100名山3座、大雪山、十勝岳、羊蹄山に登りました。これで北海道の100名山はすべて登ることになりました。いつものようにいい歳りょうちゃんが写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。9月以降の山の予定は以下のとおりです。

9月19日(土)~23日(水) 黒部五郎岳(日本百名山98座目)
10月 3日(土)~ 4日(日) 八幡平・岩手山
10月10日(土)~13日(火) 荒島岳・白山(日本百名山99・100座目)
10月 17日(土)      囲碁の会
10月24日(土)      生誕50年を祝う会(雪谷高校同窓会)
10月31日(土)~11月1日(日) 本白根山・御飯岳
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 今回の山行は8月8日(土)~14日(金)の6泊7日で北海道の3座、大雪山、十勝岳、羊蹄山に登りました。初日の8日(金)は移動日で、飛行機で旭川空港へと飛び立ちました。飛行機の予約は5月末に取りましたが、当初予定していた便は満席で取ることができず、わずかに残席が残っていた日本航空で旭川までやってきました。旭川空港にはフェリーで北海道入りしたトミーさんのリムジンが迎えに来ていました。今回はいつも乗り慣れている自動車ではなく、真新しいピカピカのリムジンでした。先代のリムジンはついにお役目を終えて、世代交代とのことでした。空港でA柳さん、宿でI田さんファミリーと合流し、賑やかに北海道の旅が始まりました。
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 8月9日(日)は大雪山に登りました。このお盆は南海上に台風14号があり、北からは寒気が入って、大気の状態は常に不安定でした。雨が終日降らなかったのは、8月9日だけで、そのほかの日はいつも午後から激しい雷雨でした。しかしながら、いい歳りょうちゃんの普段の行いがよいため、3座とも登山中は雨に降られることはなく、雨具を一度も使うことはありませんでした。058.gif
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 姿見駅までロープウェイで登り、地獄谷に沿って山頂を目指します。その後、間宮岳、中岳分岐から裾合平に降りて、姿見駅までグルリと一周するコースを歩きました。
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 姿見駅から見た大雪山旭岳。大雪山は約20もの峰からなり、旭岳は北海道最高峰になります。標高2291 m。
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 地獄谷から噴煙が上がっているのが見えます。
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 イワブクロがたくさん咲いていました。チシマギキョウではないかと、いい加減なことを言ってしまいましたが、イワブクロが正式名称で、タルマエソウという別名もあります。樽前山で見つけられたことからこの名前がついています。
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 地獄谷の噴煙が姿見池に映る旭岳。
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 地獄谷の稜線を登っていきます。地獄谷はトミーさんが将来行くところです。037.gif
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 山腹から見た裾平。ところどころ雪渓が残っています。
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 山肌は赤い鉄さびの色をしています。
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 金庫岩。金庫のような直方体の岩です。
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 山頂に到着しました。いい歳りょうちゃん、日本百名山95座目になりました。天気予報では雨の可能性があったためピストンにする予定でしたが、雨が降る様子もなかったため、間宮岳から中岳分岐を通って下山することになりました。
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 旭岳山頂から間宮岳への鞍部への降りはのめりそうになるようなザレ場で、6人の登山者が来なかった水晶小屋へのアプローチを思い出しました。蟻地獄のようなザレ場の恐怖から、女の子が下ることができなくなっていました。
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 これがチシマギキョウでしょうか。チシマギキョウ越しに旭岳を撮りました。
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 ヨコヤマリンドウ。地元のおばちゃんが教えてくれました。大雪山の固有種で、どこにでもあるわけではなく、暗紫色の地味な花で滅多にお目にかかれないとのことでした。
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 石狩岳が見えます。
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 旭岳の山頂には人がたくさんいるのが見えました。
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 間宮岳までは平坦な登山道が続きます。
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 御鉢平。黒岳、北鎮岳が見えます。昨日、I田ファミリーは黒岳に行ってきたそうです。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 間宮岳山頂、標高2185 m。ほぼ平らです。
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 中岳分岐。正面の甘食型の山が中岳でしょうか。
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 リシリトウチソウ。
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 ここを降りていくと中岳温泉があります。
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 上から見た中岳温泉。
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 温泉に浸かっている人がいました。昭文社の地図にはヒグマ注意と書いてありますが、温泉客が多く、ヒグマも出てこれないようです。
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 巨大なダイコン草。こんな大きなダイコン草ははじめて見ました。
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 裾合平には、エゾノツガザクラ、アオノツガザクラ、チングルマ、シオガマ、ハクサンコザクラなど多くの花が咲いていました。
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 これはカラフトイソツツジのようです。
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 夫婦池から見た旭岳。
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 姿見駅まで戻ってきました。
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス


 
北海道の旅はまだまだ続きます060.gif

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by ryott-ryott | 2015-08-29 13:20 | 大雪山・十勝岳・羊蹄山

岩峰並び立つ穂高の盟主、奥穂高岳を行く

登山
旅行・地域
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 ブログがなかなか実態に追いつきません。8月1日(金)~3日(日)は奥穂高岳に行ってきました。いつものように、いい歳、りょうちゃんが写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。
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 日本には3000 mを超える山が21座あります。奥穂高岳は標高3190 mで3番目に高い山になります。

1富士山  3776 m
2北岳   3193 m
3奥穂高岳 3190 m
4間ノ岳  3189 m
5槍ヶ岳  3180 m
6悪沢岳  3141 m
7赤石岳  3120 m
8涸沢岳  3110 m
9北穂高岳 3106 m
10大喰岳  3101 m
11前穂高岳 3090 m
12中岳   3084 m
13荒川中岳 3083 m
14御嶽山  3067 m
15農鳥岳  3051 m
16塩見岳  3047 m
17仙丈ヶ岳 3033 m
18南岳   3033 m
19乗鞍岳  3026 m
20立山   3015 m
21聖岳   3013 m

 あの剱岳は3000 mに1 m足らない2999 mの標高で22番目になります。日本百名山に限定すれば、奥穂高岳はまだ登っていない最後の3000 m峰になります。
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 初日の8月1日(金)は特急あずさで松本駅まで行き、そこから乗り心地抜群のトミーさんの国産リムジンに乗って、沢渡へ行きます。上高地行きのバスに乗り換えて、上高地へと向かいます。今回はタクシーで沢渡から上高地まで行きました。タクシーの運転手さんはたいへんな安全運転で上高地までの道のりをところどころ徐行運転しながら、頼みもしない丁寧な説明をしてくれました。トミーさんは「そんなこと知ってるよ、早くしろ、このバカじじぃ!」と心の中で言っていました。041.gif
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 今回、一緒に奥穂高に行ったメンバーは花の先生、A柳さんと、青年実業家のI田さんです。河童橋からの焼岳や、梓川沿いの林道から見える穂高の山々に、I田さんはとても感激していました。
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 穂高をスケッチするおじいさん。
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 穂高神社から見た明神岳。
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 徳澤キャンプ場と徳澤ロッジ。
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 上高地から3時間で横尾山荘に着きました。初日はここに泊まります。
 横尾山荘の中はとてもきれいで、お風呂もあります。
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 横尾山荘の夕飯。
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 月が出ていました。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 2日目、8月2日(土)。この横尾大橋を渡り、涸沢を経由して、奥穂高岳の山頂まで標高差1570 mを1日で登ります。この横尾大橋を渡るのは初めてになります。
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 第9位の北穂高岳と第18位の南岳の南壁。
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 本谷橋。
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 これが有名な涸沢カール。
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 昨年登った常念岳が見えます。
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 涸沢から雪渓に沿って取り付きまで進みます。皆さん、雪渓で雪をかぶっています。
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 雪渓を歩いてくる人もいました。
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 取り付きから見た常念岳。
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 この岩場、ザイテングラートを登っていくと、穂高岳山荘にたどり着きます。
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 穂高岳山荘前でハーネスを装着し、いよいよ奥穂高岳の山頂を目指します。
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 見るからに危なそうな岩場です。
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 山頂が見えました。
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 槍ヶ岳が雲間からわずかに見えました。
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 安全な場所で記念撮影。疲れた顔をしています。いい歳、りょうちゃん、日本百名山、81座目になりました。そして、3000 m峰の日本百名山はすべて登ったことになります。
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 前穂から明神が見えます。
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 西穂からジャンダルム。私たちが登頂したときにトミーさんの知り合いのガイドさんがお客さんを連れてジャンダルムのほうから歩いてきました。I田さんもいつの日かジャンダルムに行ってみたいとおっしゃっていました。いい歳、りょうちゃんは温泉宿泊+手軽な山行以上のことは望みません。
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 上高地の街があんなに小さく見えます。
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 穂高岳山荘に戻り、みんなで登頂のお祝いをして、ビールで乾杯しました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 3日目、8月3日(日)。今日は下山して東京に戻ります。
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 朝日の中の常念岳。
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 今日は昨日以上に登山者が多く、続々と登ってきます。
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 ザイテングラートを下山中、こぶし大ほどの石が落ちてきました。幸いにして登山者の列からは外れて行ったので誰もケガをすることはありませんでした。トミーさんが言うには、落石のほとんどは他の登山者が落としたものだそうです。何年か前にも同じ場所で他の登山者が落とした石でおじいさんとお孫さんが亡くなった事故があったそうです。登山では落石には注意すると同時に、自分も落石させないように安全に留意した登山を心がけたいものです。
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 ハクサンイチゲ
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 涸沢小屋で小休止。ジョッキパフェを頼みました。2000円也。昨年までは1800円だったそうです。
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 なんとラショウモンカズラが咲いていました。羅生門の話はよくご存知だと思いますが、渡辺綱に鬼が切り落とされた腕の形に似ているということで、このような名前がつけられています。
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 ナナカマドの白い花がたくさん咲いていました。
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 帰り道はA柳さんと花をたくさん写真に撮って、上高地まで戻りました。写真はシャジン。
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 センジュガンピ。
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 クガイソウ。
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 ヤマホトトギス。
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 これはなんだっけ。比較的大きな花です。
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 オミナエシ。
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 オトギリソウも咲いていました。オトギリソウの謂われについて、I田さんに話してあげました。オトギリソウは薬草で、秘密として扱われていましたが、弟がその秘密を漏らしたため、兄が弟を斬り殺したという故事があります。I田さんは、往きでは横尾までの道のりに大変感激していましたが、帰りはもう飽きたとおっしゃっていました。私も今回4回目ですでに飽きています。トミーさんは40回は来ているそうです。037.gif
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 いつもの横尾山荘のカレーライス。しかしながらキッチン槍のカレーライスには及びません。キッチン槍のカレーライスも、その他のメニューもすべてレトルトであれだけ美味しいのは驚きます。
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 アザミ。
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 トリカブト。
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 オダマキ。
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 ながいながい道のりを経て、上高地にようやく辿り着きました。タクシーで沢渡に戻り、せせらぎの湯、龍神温泉に入浴して、東京に戻ってきました。
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス



 
次回は高妻山の報告をします060.gif

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by ryott-ryott | 2014-08-31 15:22 | 奥穂高岳

火山群の吾妻の秘境、西吾妻山を行く

登山
旅行・地域
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もう8月も終わります。ブログがまったく実態に追いついていません。近況を話しておきますと、先週、8月23日(土)日本酒仲間の小澤さんと木曽駒ケ岳に行ってきました。日本百名山84座に到達しました。その模様は、いつになるかわかりませんが、おいおいに報告します。

 9月以降の日本百名山の旅は以下のとおりです。

  9月 6日(土)~ 7日(日) 八ヶ岳・赤岳(山旅クラブ)
  9月12日(金)~15日(月) 南アルプス・光岳(山旅クラブ)
  9月20日(土)~23日(火) 北アルプス・爺ヶ岳~鹿島槍ヶ岳(山旅クラブ)
  9月26日(金)~28日(日) 火打山・妙高山(トラベルギャラリー)
 10月 4日(土)~ 5日(日) 苗場山(山旅クラブ)
 10月11日(土)~13日(月) 燧ヶ岳、会津駒ケ岳(山旅クラブ)

予定している山をすべて登ることができたならば、日本百名山は92座までに到達します。残りは8座、蔵王、黒部五郎岳、荒島岳、白山、大朝日岳、大雪山、十勝岳、羊蹄山です。北海道の3座は来年の8月のお盆休みに行くことを決めました。100座目をどこにすべきかそろそろ決めようと考えています。
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7月26日(土)~27日(日)は西吾妻山に行ってきました。いつものようにいい歳、りょうちゃんが写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。
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土曜日は猪苗代まで行き、国民宿舎裏磐梯に前泊しました。土曜日はとてもいい天気で昨年登った磐梯山がはっきりと見えました。058.gif
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国民宿舎裏磐梯の夕飯はバイキングになっており、食べたいものを食べたいだけ食べました。山旅クラブの代表ガイドのトミーさんも、もう55なので、これからの山旅クラブは温泉宿泊と手軽な山行にシフトしていくとおっしゃっていました。55とはトミーさんの髪の毛の本数ではありません、年齢です。041.gif
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岩魚の骨酒。この国民宿舎で一番のお目当てです。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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7月27日(日)の天気予報は雨マーク。土曜日は磐梯山が見えるほど天気が良かったのに、天気予報はあたってしまいました。台風12号から変わった低気圧が通過するため、朝から雨となりました。
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予定ではロープウェイで山頂駅まで行き、そこから西吾妻山の山頂を目指す予定でしたが、ロープウェイが強風で運転見合わせになっており、運転再開するとしても1時間以上あとになるとのことでした。
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山麓駅にはロープウェイの運転再開を待っている登山者がたくさんいました。天元台スキー場のほうへ移動した人もいるようでしたが、山行をあきらめて帰っていく人もいました。
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どんな状況でも、安全に山に連れて行ってくれるところが山旅クラブのいいところです。グランデコスノーリゾートスキー場に沿って、山麓駅から山頂駅まで90分かけて歩いてから、西吾妻山の山頂を目指すことになりました。057.gif
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山頂駅に着いたのは午前10時45分でした。本来のスケジュールよりも約2時間のビハインドです。
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午前11時過ぎに登山口から登り始めました。
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登山道は木の根っこと泥の悪路が続きました。
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12時58分。西大嶺に着きました。地図には「展望が良い」と書いてありますが何も見えません。
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何も見えない道をひたすらに歩きます。
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雨足も強まり、階段状の登りも川になっています。
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 避難小屋のあたりから木道が現れます。
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 13時48分。山頂に到着しました。樹林のなかにあり、晴れていても展望はありません。いい歳、りょうちゃん、日本百名山80座目になりました。写真を撮って、とっとと下山します。
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 シナノキンバイの花畑がありました。
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 イワイチョウも咲いています。晴れていたらどんなにきれいだったことでしょう。
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 ロープウェイの最終時刻は16時ちょうどです。登ってきた悪路を必死に下りました。トミーさんはどんどんと先に行ってしまい、トレードマークの頭は見えません。最後は走って、16時5分前に山頂駅にようやく到着し、ロープウェイに間に合うことができました。国民宿舎裏磐梯に日帰り温泉に入浴しましたが、到着したのは16時50分。本来ならば日帰り入浴の受付は16時30分までとのことでしたが、やさしい従業員さんが「本日だけ、次回から16時30分までにお願いします。」と言って、入れてくれました。次回からは走らない手軽な山行を希望します。037.gif
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道





本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス



 
次回は奥穂高岳の報告をします060.gif

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by ryott-ryott | 2014-08-30 11:44 | 西吾妻山

湿原と池塘の日本百名山、平ヶ岳を行く

登山
旅行・地域
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 なかなかブログを書く時間がありません。約1ヵ月ぶりの更新になります。近況は以下のとおりです。高妻山まですでに終了しています。

7月12日(土)~13日(日) 平ヶ岳
7月19日(土)~22日(火) 聖岳~上河内岳~茶臼岳
7月26日(土)~27日(日) 西吾妻山
8月 1日(金)~ 3日(日) 奥穂高岳
8月 9日(土)~10日(日) 高妻山
8月13日(水)~17日(日) 黒部五郎岳・薬師岳
8月23日(土)~24日(日) 木曽駒ヶ岳

 今日は平ヶ岳の報告をします。一昨年、越後駒ヶ岳に行ったときと同じく銀山平のログハウスに前泊し、翌朝4時に登山口へと宿のマイクロバスで向かいます。いつものように、いい歳、りょうちゃんの写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。越後駒ヶ岳は山旅クラブで行った初めての日本百名山でした。
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 銀山平のログハウス白光の夕飯、食べきれないくらいの食事の量でした。りょうちゃんは全部食べました。037.gif
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 となりに写っているのはM下さんです。ご一緒するのは昨年の仙丈ヶ岳以来でした。
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 この日は月が地球に最接近したスーパームーンの夜でした。
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 まだ太陽が昇ってこない午前4時に宿のマイクロバスで登山口へ向かいました。登山道への林道は銀山平の宿の共同所有で、いずれかの宿に泊まらなければ、この林道の登山口から登ることはできません。
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 先週の巻機山に引き続き、この平ヶ岳もとても手ごわかったです。山容は平らで、上州では塗桶山とも呼ばれているそうですが、その平らの部分に登るまでが急登に次ぐ急登で、トミーさんとM下のシルバーバックを何度も見失いました。037.gif
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 途中の急登を撮る余裕はとてもなく、登り始めて約3時間の午前8時にようやく頂上台地に着きました。
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 これが有名な玉子石です。花崗岩からできており、風化によってこのような形に玉子形になりました。
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 玉子石の根元、くびれており、ひとつの石からできているのがわかりました。
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 玉子石から頂上台地の木道を歩いて、平ヶ岳の山頂へと向かいます。
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 恐ろしい雪渓が現れました。
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 秋に行く予定の燧ヶ岳を見ながら、歩きます。
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 姫池に着きました。
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 姫池から見た平ヶ岳山頂部。
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 ワタスゲ、チングルマが木道の脇にたくさん咲いていました。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 午前9時16分、平ヶ岳の山頂につきました。いい歳、りょうちゃん、日本百名山78座目になりました。標高2141 m。利根川源流域で2000 mを超える山は、上州武尊、至仏山と、この平ヶ岳の3座しかないそうです。
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 チングルマ、今年初めて見ました。
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 ショウジョウバカマ。
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 マイクロバスが登山口に向かいに来るのは13時。先ほど登ってきた急登を必死に下っていきます。登りもきついですが、降りもきついです。トミーさんのショウジョウバカマのような頭を目印に降りていきましたが、何度も見失いました。041.gif
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 ひざがガクガクで、何人ものおじいさん、おばあさんに抜かされながらも、12時30分前に何とか登山口にたどり着くことができました。
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 朝は暗くて見えませんでしたが、この沢から3泊4日で深田久弥は平ヶ岳へ登って行ったそうです。この沢を登りつめると姫池にたどり着くそうです。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(NHK日本名曲アルバム/銀色の道)


(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道






本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス



 
次回は聖岳の報告をします

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by ryott-ryott | 2014-08-11 11:41 | 平ヶ岳

七夕前夜、織姫伝説の巻機山を行く

登山
旅行・地域
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 40日ぶりのブログの更新になります。前回の甲武信ヶ岳の2週間後に蔵王へ行く予定でしたが、急きょ行くことができなくなり、日本百名山77座目は次の巻機山にゆずることになりました。7月5日(土)~6日(日)、甲武信ヶ岳登頂から1ヵ月後、巻機山へ行ってきました。
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 ふもとの南魚沼市が、養蚕・機織りが盛んだったことから、機織りの神様が祀られた山ということで巻機山という名前がついています。巻機山の山中で機を織っている美女を見かけたという伝説もあります。しかしながら、今回の山行では織姫のような美女に巡り合うことはありませんでした。
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 7月5日(土)は前泊で、越後湯沢駅に乗り心地抜群の国産高級リムジンカーでトミーさんが迎えに来てくれました。いつものようにいい歳、りょうちゃんが写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。
まだ梅雨が明けておらず、東京は土砂降りの雨でしたが新潟の南魚沼市は青空が広がっていました。
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 本日の宿、泉屋さん。ただし、ペットボトルの自販機はありません。約100 m離れた別の店の前まで翌日の飲み物を買いに行かなければなりませんでした。
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 泉屋さんの夕飯。
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 生卵をかけて食べました。
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 泉屋さんの食堂に飾られたツキノワグマの毛皮。
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 翌日7月6日(日)、いよいよ巻機山に登ります。登山口のある桜坂駐車場は多くの登山者が集まっていました。午前5時50分、登山口を出発しました。本日は一般的な井戸尾根コースを登ります。
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 5合目から見た風景。沢筋にはまだ雪渓が残っています。
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 一昨年の秋に登った大源太山がきれいに見えました。
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 巻機山の井戸尾根はとても長く、急登に次ぐ急登。足取り重く、すっかりバテています。
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 先を歩くトミーさんはあんなに遠くなり、頭に髪の毛があるのかどうか、もうわかりません。041.gif
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 この階段を登りきり、ようやく対面に巻機山の山頂が見えました。
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 ここは9合目で、山頂ではありません。ニセ巻機山と言われています。標高1861 mです。
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 9合目からは木道が敷かれ、草原状の山道が続いていきます。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 9合目から避難小屋の間にはワタスゲがたくさん咲いていました。
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 イワカガミもたくさん咲いていました。
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 尾根道の脇には雪渓が残っています。絶対に歩きたくないところです。037.gif
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 巻機山避難小屋。
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 避難後方面から見たニセ巻機山。
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 ここからもうひと頑張りで山頂へと向かいます。
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 池塘が点在していました。
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 なだらかに見えますが、疲れた体には相当に応えます。
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 青息吐息でようやく山頂に到着かと思いましたが、この標識があるところはまだ最高点ではありません。トミーさんは環境省の職員が最高点にまで標識を運ぶのが面倒で、ここに立ててしまったのだろうとおっしゃっていましたが、「鳥瞰図でみる日本百名山」には「信仰上山頂としてきた」と記述されています。
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 信仰上の山頂から約10分ほど歩いたところに、巻機山の最高点があり、ケルンが立っています。標高1967 m。いい歳、りょうちゃん、日本百名山77座目になりました。奇しくも、この日は七夕の前日で、77座目を達成できました。
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 牛ヶ岳方面から歩いてくる人もいました。
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 見える湖は奥利根湖、人造湖です。
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 スミレ。
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 シャクナゲが咲いていました。
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 ニセ巻機山からみた巻機山の稜線。登山者が歩いています。
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 奥に円錐形の割引山(ワレメキ山)が見えます。
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 下山は登ってきた道をひたすらに下っていきました。歩いても歩いても登山口につかず、15時47分、ようやく登山口に着きました。約10時間の山行でした。やはり山登りは2週間に1度は出かけていないとダメですね。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(NHK日本名曲アルバム/銀色の道)


(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 前回、ノラ猫の親子がいい歳、りょうちゃんの家を訪ねてくることを書きましたが、うちの年寄りが少なくとも母猫は上野そろばん塾の飼い猫であることを突き止めたと言っていました。
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 飼い猫にしてはあまりにも汚いし、いい歳、りょうちゃんが与えた貴重な魚肉ソーセージを遠慮なく食べます。おそらく、そろばん塾のばあさんがエサを与えず放し飼いにしているのでしょう。
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 クロとミケが夢中で魚肉ソーセージを食べているところを捕まえて、お湯につけてジャブジャブと洗ってしまいました。ミケはおとなしくしていましたが、クロは暴れまくり、りょうちゃんの手をスキあらば噛み付こうとしていました。折角、キレイにしてあげているのに、わからないのでしょうか。恩知らずの猫です。
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス



 
次回は平ヶ岳の報告をします。

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by ryott-ryott | 2014-07-23 14:17 | 巻機山

奥大雪の奥座敷、トムラウシを行く

登山

旅行・地域
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 8月24日(土)~26日(月)、トラベルギャラリーで北海道のトムラウシ山に行ってきました。参加者8名、ガイド2名、総勢10名で、いい歳、りょうちゃん以外の7名の参加者はすべて大先輩のお姉さん、いわゆる、おばちゃんでした。そして、ガイドは地元のガイドさんと白砂さんでした。白砂さんに会うのは3月の蔵王以来でした。
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 初日8月24日(土)は移動のみです。飛行機で千歳空港へと向かい、そこから道南の十勝を経由して目的地の東大雪荘までの行程になります。
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 お昼ご飯は千歳空港で炉端焼きの焼き鳥と炙り帆立丼を食べました。もちろん生ビールを飲みながらです。
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 千歳空港には美味しそうな誘惑がたくさんありました。かわった大福が売っていたので、買い求め、バスの中で頬張りました。037.gif
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 また今の時期は北海道はトウモロコシが最盛期であり、どこに行ってもトウモロコシが売られていました。北海道はトウモロコシの生産量がダントツの日本一です。写真は白いトウモロコシ、ピュアホワイトです。
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 千歳空港から東大雪山荘への行程はバスでの移動になります。ほぼ4時間かかりました。九州からの参加者を乗せた飛行機が1時間以上も到着が遅れたため、国民宿舎の東大雪荘には19時過ぎに到着しました。福岡は大雨だったそうです。写真は東大雪山荘のロビーで、とてもきれいな宿でした。白砂さんによると昔はとても汚くて、食事も今ひとつだったそうです。リニューアルしたのは最近のようです。
ロビーには千葉県から来たというおじちゃんの登山客がくつろいでおり、「今日トムラウシ山に登ってきたが、尾根に落雷があり、慌てて撤退してきた。」とおっしゃっていました。
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 到着してすぐに夕飯を食べて、入浴し、明日に備えて就寝しました。翌日は午前3時45分に宿を出発予定です。写真は東大雪荘のレストランと夕飯です。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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1974年8月26日、ハワイでひっそりと一人の老人が亡くなりました。かつて、大西洋横断飛行の快挙を成し遂げて、一躍世界の英雄として栄光の輪に包まれた、アメリカの飛行家、あのリンドバーグでした。

新聞も、若い読者はその名前も知らなくなっていると思ってか、「翼と、あれが・・・・」「悲劇の英雄飛行家・・・・」リンドバーグ逝くと、小さく報じていました。

リンドバーグが、愛機「スピリット・オブ・セントルイス」号を駆って、ニューヨークとパリの間を33時間半乗り続けて、大西洋横断に成功したのは、1927年5月21日のことでした。当時としては、宇宙飛行士が生還したのと同じように、画期的な出来事でした。

世界の多くの国々は、争って彼の偉業を称えて勲章を贈り、彼の自伝の映画化は、『翼よ、あれがパリの灯だ!』と題されて、世界的に大ヒットしたそうです。

 名声と富を双方の手に収めた彼は、世界の有名人として、社交界の花形として君臨します。日本にも1932年(昭和7年)にやってきて大歓迎を受けています。
しかし、20年も過ぎると彼を見知る人も次第に少なくなってきました。それから10年、紹介されても、解説をしないとうなずかなくなりました。さらに10年が過ぎると、この老人があの時の人かという顔つきで人々は彼に接するようになりました。それから先は、リンバーグは一切のパーティに出席しなくなりました。

 いつの間にか彼は死んだものと考えられていました。人生のはかなさ、無情ということを考えさせられる話です。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 2日目、8月25日(日)、短縮登山口からトムラウシ山までをピストンします。午前3時45分に宿を出発し、バスで短縮登山口まで向かいます。宿から約30分です。この短縮登山口ができるまでは、トムラウシ山は山中で1泊しなければならない山だったそうです。トムラウシ温泉から沢を通って行かなければならず、増水による水難事故が何度も発生したため、短縮登山口からのルートが開拓されたそうです。
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 今日の天気予報は曇りのち雨でしたが、出発時は月が出ていました。このまま天気がもってほしいと願いつつ、ストレッチを済ませて、午前4時43分に歩き始めました。
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 午前5時18分にトムラウシ温泉への分岐につきました。ここで衣服調整をしました。いい歳、りょうちゃんは最初から半袖なので衣服調整の必要はありません。途中で、地元の尾崎ガイドから、エゾマツとトドマツのちがいの説明がありました。どうでもよい話だったので内容を忘れてしまいましたが、ダケカンバの話は役にたちそうでした。尾崎ガイドがダケカンバの皮にライターで火をつけると、たちまち炎をあげて燃え上がりました。ダケカンバの皮には、油分が多く含まれており、多少雨で湿っていても容易に火をつけることができるそうです。山中でビパークしなければならなくなってしまった時に、ダケカンバの皮をしたに敷きつめ、その上に木の枝を積み上げて、火をつければ容易に暖をとることができると教えてくれました。
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 ここから急登を少し登ってカムイ天上へと向かいました。途中、ついに雨が降りだし、雨具を着なければなりませんでした。カムイ天上に午前6時21分に着きました。往きの行程では、雨が降ったり止んだりの繰り返しでした。
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 またいい歳、りょうちゃんが昭文社の地図で行程を確認していると、おばちゃんが地図を持って来ていることに感心していたので、「地図を携帯することは山歩きする基本ですよ!」と偉そうに言ってやりました。尾崎ガイドも、ガイドが途中で命を落としてしまうことも考えられ、その場合はひとりで下山するために地図は必需品だとおっしゃっていました。トミーさんと同じことを言っていました。トミーさんが言うことはウソではないようです。037.gif

 カムイ天上からはしばらくはほぼ平坦なコースを歩くことになります。しかしながら、その登山道は足首が浸かってしまうほどの泥んこ道で、コマドリ沢までの3時間半以上も悪路を歩かなければなりませんでした。
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 途中で見えたこの山並みは日本二百名山のニペソツ山です。この山は深田久弥が百名山にするかどうか迷った山であり、百名山になりそこなった山とのことです。その後、深田久弥がニペソツ山に登頂し、その素晴らしさに触れて、百名山に選ばなかったことを大変悔やんだと言われています。
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 午前8時20分、コマドリ沢分岐に着きました。ここからはようやく泥道から解放されます。皆さん、沢でドロドロになった靴を洗っていました。帰りも、あの泥道を通らなければならないことを忘れてしまっています。
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 コマドリ沢にはたくさんの花が咲いていました。写真はお馴染みのシナノキンバイ。
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 ミヤマキンポウゲ。
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 チシマフウロ。
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 皆さん、花の写真を取りながらの登山です。
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 コマドリ沢を登りきると、岩稜帯を横切らなければなりません。雨も上がり、岩稜帯のあちらこちらからナキウサギの鳴き声が聞こえてきました。ただし姿は見えません。
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 岩稜帯を横切り、しばらく登ると前トム平に到着しました。午前9時32分でした。歩き始めて、約4時間50分が経過。この前トム平では風があり、暑がりのいい歳、りょうちゃんでさえ、寒く感じました。りょうちゃんが寒く感じていたので、おばちゃんたちは凍死寸前だったのではないでしょうか。037.gif
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 次は前トム平からトムラウシ公園へと向かいます。再び岩稜帯を横切ります。トムラウシ公園まで大きな岩が堆積する岩稜帯を通過していきました。その先にトムラウシ公園が見えました。
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 トムラウシ公園に午前10時16分に到着しました。トムラウシ公園にもたくさんの花が咲いていました。写真はタカネトウウチソウ。
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 バイケイソウ。コバイケイソウではありません。
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 ニシキツガザクラ。北海道の固有種です。
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 エゾコザクラ。
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 キバナシャクナゲ。
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 チングルマ。
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 ヨツバシオガマ。
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 ウラシマツツジ。
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 ヒメクワガタソウ。
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 エゾツツジのつぼみ。
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 イワヒゲ。
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 コケモモの実が真っ赤になっていました。おばちゃんたちがコケモモ畑で人目をはばからず、花摘みをしているのが見えてしまい、とてもコケモモの実を頬張ることができませんでした。041.gif
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 トムラウシ公園から山頂まではコースタイムで約90分です。南沼分岐まで登っていきます。
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 一瞬、青空を覗くことができました。
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 山頂までもう少しです。
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 午前11時55分。ついにトムラウシ山の山頂に到着しました。今日は白砂ガイドと記念撮影を撮りました。いい歳、りょうちゃん、日本百名山67座目になりました。038.gif
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 頂上に到着し、しばらくして大粒の雨が降りだしました。展望もないため、すぐに下山を開始しました。下山時は雨が降っていたので、記録以外の写真はほとんど撮りませんでした。
 雨が強くなってきたので、ひたすらに下山を続け、再びトムラウシ公園に到着。写真はマルバミツバチがニシキツガザクラの蜜を吸っているところです。
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 前トム平。14時8分。やはり前トム平は風があり、下山時も寒く感じました。
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 コマドリ沢分岐。15時15分。
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 そして再び泥んこの悪路が登山口まで続きます。おばちゃんたちは、何とか泥道を回避するため、登山道の脇の畝のようなところを通っていましたが、外傾しているため何度も滑って転倒していました。いい歳、りょうちゃんは泥道を小さい歩幅で転倒することなく走破することができました。
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 カムイ天上。17時11分。コマドリ沢分岐からこのカムイ天上までコースタイムで1時間25分であり、1回休憩を取りましたが、かなり時間を要しました。この泥んこの悪路のためだと思います。
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 ついに登山口に戻って来ました。18時10分でした。午前4時43分に歩き始めたので、13時間37分、おおよそ14時間の行動時間でした。周辺はすでに夕闇に包まれており、日帰りピストンの最長記録でした。すぐにバスに乗り、東大雪荘へ戻りました。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

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 最終日、8月26日(月)、今日は東京へ帰ります。朝7時に朝食を済ませて、8時30分に東大雪荘に別れを告げて、出発しました。写真は東大雪荘の朝食です。
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 高速道路入口のドライブインのお土産物屋さんによりました。
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 トウモロコシにはいろいろな種類があるようです。
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 スープカレーのスティック。
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 ほくろ大福。
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 いい歳、りょうちゃんは白いトウモロコシ、茹でたてのピュアホワイトを買って、バスの中で食べました。1本300円でした。
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 また飛行機の時間まで猶予があるということで、ウトナイ湖に寄りました。「ウトナイ」とはアイヌ語で「骨の川」という意味です。千歳川は支笏湖を水源としています。以前は支笏川とも言われていましたが、支笏湖の「しこつ」という音が「死骨」とも聞こえて縁起が悪いことから、毎年飛来してくる縁起のよい「ツル」にちなんで、「千歳」という名称に変更しました。白砂さんが教えてくれました。038.gif
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 ウトナイ湖畔で記念撮影。
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 ウトナイ湖畔にも花が咲いていました。
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 ここ苫小牧はホッキ貝が名産だそうです。ホッキ貝をタコの代わりに入れた北寄玉を食べました。
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 東大雪荘を出発すること4時間以上、千歳空港に到着しました。ここで地元ガイドの尾崎さんともお別れです。また福岡と大阪から来たおばちゃんたちともお別れです。東京組と白砂さんとで千歳空港でスープカレーを食べ、居酒屋で出発時刻まで日本酒を飲み、羽田に戻ってきました。
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
明日は仙丈ヶ岳へ行ってきます060.gif

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by ryott-ryott | 2013-08-30 23:17 | トムラウシ山

化け猫伝説を訪ねて、新緑の皇海山を行く

旅行・地域
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 6月1日~2日は1泊2日の前泊で日本百名山の皇海山に上野・浦安特配で行ってきました。夕方16時30分に上野駅まで待ち合わせでしたが、早朝とちがって人で溢れかえっていました。写真は上野の東京文化会館前ですが、バレリーナを見ようという人で大混雑でした。やはり山行は朝早く出かけるに限ります。
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 今日は片品村の「つちいで」という宿に泊まりました。明日は午前4時30分に宿を出発の予定です。今日の宿泊は、あの「エロい話」が大好きな原田さんのご主人と、お酒を飲まないでも人の悪口が思う存分言える小沢さんが同じ部屋でした。寝ているときは二人とも死んでいるように見えました。041.gif
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 予定通り、午前4時30分に宿を出発。皇海山の登山口まではバスで1時間30分かかります。午前6時に登山口駐車場に到着。いつものように準備体操をしました。写真はお馴染みの倉持さんのストレッチです。038.gif038.gif
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 駐車場で記念撮影。みんな朝から元気です。038.gif
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 午前6時30分に出発しました。
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 上を見上げると赤ヤシオが咲いていました。056.gif
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 参加者19名、ガイド、添乗員総勢21名の大行列で頂上を目指します。
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 何箇所か沢を横切りました。
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 登山道は比較的なだらかな道が続いていましたが、沢が途切れたあたりから勾配が大きくなってきます。
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 急坂を昇る前にしばし休憩。写真はお酒を飲まないで人の悪口を思う存分言える小沢さんです。人が悪そうな顔をしています。038.gif037.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 明智光秀が、京都の本能寺に信長を急襲し、彼を自害させたのは、天正10年(1582年)6月2日のことでした。しかし、天下を取った光秀は、備中からすぐに兵を返した秀吉と戦って敗れ、逃げる途中、山科小栗栖の里で、土民の竹槍で刺され、あっけなくその生涯を閉じてしまいました。

 光秀政権はわずか11日間で、世に“光秀の三日天下”といわれました。“悲運”というより“不運”の人かもしれません。なぜならば、不運の第一は毛利家への密書です。
光秀は本能寺の変のあと、近隣の群雄に密書を送り、信長の死を報じるとともに、自分への協力を呼びかけました。

 光秀としては、中国攻めで秀吉が対戦している毛利軍の小早川隆景宛に密書を送り、秀吉討伐を依頼しました。それがなんと、暴風雨のせいもあって、飛脚が陣地を間違えて秀吉陣営に飛び込んでしまったのです。
 そこは秀吉、なにくわぬ顔で早々と和議を結び、その足で一気に北上しました。毛利家に第二の飛脚が変報を届けたのは、和議締結の2日後ですから、あとのまつりです。

 第二に、信長の盟友徳川家康を一日の違いで逃がしてしまったことです。堺見物をしていた家康は、変報を聞くと直ちに伊賀山中を越えて三河に脱出しました。光秀の追っ手が襲ったときは一足違いで逃げられたあとでした。

 第三は、土民の竹槍で殺されたことです。これなども大将たるもの不運のきわみです。

 光秀はすごくマジメ人間であったようですが、天下を取るには、それだけの器量と、“運”に恵まれていなければいけないという、歴史の教訓の一つです。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)


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 いよいよ急坂を登ります。泥の急坂で、雨が降っていたら滑って登れなかったのではないでしょうか。今日の天気予報は雨でしたが、幸いにして雨には降られず、時々日が差すほどのお天気でした。
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 泥の急坂を登りきると、鋸山が見えました。
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 白い花はオオカメノキの花です。葉っぱが亀の形をしているため、オオカメノキというそうです。
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 頂上へ向けて、最後の勾配を上がって行きます。
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 悪い人相の小沢さんを囲んで記念撮影。小沢さんは川崎の大金持ちというウワサです。038.gif
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 桜が咲いていました。056.gif
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 コバイケイソウの緑が鮮やかでした。まだ花は咲いていませんでした。
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 今日、お誕生日を迎えるお二人さん。27歳と61歳。
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 頂上直下の青銅の剣です。ここ皇海山は南総里見八犬伝で化け猫退治の伝説の舞台になっています。そのことをみなさんに教えてあげましたが、誰も信じてくれませんでした。化け猫みないな人たちです。037.gif
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 午前9時48分、ついに皇海山の頂上に到着。写真はお誕生日を迎えたお二人さん。孫と爺やではありません。038.gif
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 頂上で全員の記念撮影。いい歳、りょうちゃんは皇海山で日本百名山57座目になりました。038.gif
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 頂上でお昼ご飯を食べました。
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 頂上での記念撮影が続きます。
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 「エロい話づき」の原田さんのご主人と、りょうちゃんより遥かに年上のすみお姉ちゃん。037.gif
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 原田さんご夫妻、7月6日の敬老会はどうぞよろしく。037.gif
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 皇海山の頂上は樹林に囲まれて眺望を望めませんでしたが、桜が咲いていました。056.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度


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 約30分の大休憩を頂上で取ったあと、下山を開始。あっという間に鋸山が見える場所まで戻ってきました。鋸山を登っている人が見えました。
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 そして先ほど上がってきた泥の急斜面を降りていきました。雨が降ってなくて、本当によかったです。
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 ゴロゴロ石の急勾配を下山します。
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 石の上でポーズをとる石原ガイド。6月14日にヨーロッパに旅立つそうです。お元気で。
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 新緑が鮮やかでした。
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 ミツバオウレンが咲いていました。056.gif
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 登山口はもうすぐです。
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 バスに乗り、温泉へ向かいます。バスの車窓から見た皇海山。雲がかかっていました。
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 この洞窟はパワースポットだそうです。倉持さんのブログからもらいました。038.gif
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 入浴を済ませ、お誕生祝いをして、いつものようにバスの中で大宴会をし、東京まで戻ってきました。写真は夕飯に出された舞茸弁当です。とても美味しかったです。りょうちゃんはあと2箱は食べられます。037.gif
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地




 
明日は歩みの会に行ってきます。060.gif

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by ryott-ryott | 2013-06-09 17:34 | 皇海山

安曇野の大地溝帯、白き常念山脈を行く

旅行・地域
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 5月連休の後半、5月3日(金)~5日(日)は山旅クラブで燕岳~大天井岳~常念岳に行ってきました。例によって、いい歳、りょうちゃんが写っている写真はトミーさんのブログからもらいました。038.gif
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 1日目は大糸線の穂高駅まで移動し、中房温泉から燕山荘まで登ります。GW真っ只中、東京駅の新幹線乗り場は大混雑していました。これから長野まで行き、長野からリゾートビューしなの号に乗って松本まで移動し、大糸線に乗り換えて穂高駅に向かいます。しなの号も大糸線もほぼ満席でした。
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 本日からの北アルプス縦走への参加者はお客6名、トミーさん夫妻とサブガイドを入れて総勢9名でした。いつのもリムジンカーではなく、大型の乗合いタクシーに乗って中房温泉の登山口へ向かいました。写真は中房温泉で、午前11時30分に到着し、昼食と準備体操を済ませて、午前11時50分に登り始めました。
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 第一ベンチまでは雪もなく、普通の登りですが、第一ベンチを過ぎたあたりから雪がつき始め、アイゼンを装着しました。
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 このおじさんは誰かわかりますか。私はアミューズのツアーで何度もお世話になった瀬川さんが、本日山旅クラブのサブガイドとして同行しました。038.gif
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 ひたすらに登り15時30分に合戦小屋につきました。今日はスイカは売っていませんでした。
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 合戦小屋まで来ると、樹林帯を抜けて、雪の稜線を歩いていきます。今回の雪山は至仏山のように雪に沈むことなく歩くことができました。037.gif
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 ここまでくると雪の槍ヶ岳を見ることができます。
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 今日、歩いてきた雪の稜線。
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 17時00分に燕山荘につきました。燕山荘前から見た槍ヶ岳。
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 燕岳には2日の朝に行く予定です。
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 燕山荘といえば赤沼オーナーのアルプスホルンの演奏があります。今日も夕飯のときに赤沼オーナーのホルン演奏と、山のお話がありました。私たちは2日目以降は大天井岳~常念乗っこしまで縦走する予定でしたが、赤沼オーナーのお話では夏山のトラバース路は大変に危険であるため、トラバース路には入らずに、大天井岳は直登するようにとのことでした。先日もトラバース路に入ってしまったパーティーがレスキューを呼ぶことになったとお話していました。
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 夕飯後、瀬川さんが赤沼オーナーに交渉して、一緒に記念撮影を撮っていただきました。038.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 「憲法は、革命やクーデターの決算書である」こんな言葉がありますが、たしかにいずれの国でも、一国の政治的支配体制が変革をすると、新しい支配体制の意向を受けた、法的統括としての憲法がつくられます。

 明治憲法も、明治維新を成し遂げた明治政府の意向を入れた憲法です。戦後の「平和憲法」と称される現行日本国憲法も、昭和22年(1947年)5月3日に施行されました。

 当時の吉田茂首相は「われわれ国民の自由な総意によって確定された・・・・・」と談話の中で強調していますが、それはタテマエ論であって、実際は新しい政治体制の支配者、アメリカ占領軍の意向を尊重してつくられたものです。現在、憲法“第9条”が問題になっていますが、マッカーサー司令部が最初に示した草案は、次のようなものです。

 国家主権の発動としての戦争は廃止される。日本は、紛争解決の手段としての戦争のみならず、自国の安全を維持する手段としての戦争をも放棄する。日本は、その防衛と保全とを、今や世界を動かしつつある崇高なる理想に委ねる。
 日本が陸・海・空軍を維持する機能は将来共に許可されることがなく、日本軍に交戦権が与えられることもない。

 この起草者が、実はチャールズ・ケーディス陸軍大佐でした。彼は昭和33年(1958年)に批准されたパリの不戦条約をモデルに、理想的な“第9条”を書き上げたのです。

 この“不戦のの誓い”の平和憲法、現在の国際情勢の変化のなかで、果たして守りきれるでしょうか。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 5月4日(土)、2日目はまず燕岳の頂上を踏みに行って、燕山荘から表銀座コースを通って、大天井岳直登、常念乗っこしまでのロングコースを歩く予定です。
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 6時30分に燕山荘を出発し、6時50分には燕岳の頂上に到達しました。頂上で記念撮影。
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 メガネ岩の前でも記念撮影。
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 イルカ岩。
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 燕岳の稜線からの槍ヶ岳。
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 テント場の右には雪庇がありした。
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 午前8時00分、いよいよ常念小屋までのロングコースを歩くことになります。
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 今年の夏に歩く裏銀座コースを眺めながら大天井岳を目指します。写真はゲイロ岩で、この岩の中をくぐって、向こう側へと抜けていきます。
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 稜線の先に真っ白な大天井岳が見えます。歩いても歩いて、なかなか到着しません。042.gif
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 今回の最大の難所、大天井岳の直登コースに到着しました。
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 いい歳、りょうちゃんも含め、技術的に不安のあるメンバーはトミーさんとロープで繋がれて、この直登コースをロープがたるまないように慎重に登っていきました。この直登コースは夏山だとコースタイムは40分だそうです。体力的にも大変でしたが、急斜面の直登は剱岳の平蔵のコルよりも怖く感じました。042.gif
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 12時24分、ようやく大天井岳の頂上に到着しました。頂上につく少し前から曇り始め、雪が降りだしました。さっさと写真を撮って、先へと進みます。
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 大天井小屋は営業していませんでした。営業開始は6月30日になります。
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 大天井岳から常念乗っこしの常念小屋までもとても長かったです。雪がついていない、石が転がっている登山道をおおくあり、アイゼンをつけたまま歩くと、足への負担が大きく、墓石山のときと同じように疲労困憊になりました。037.gif
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 途中白い雷鳥がいましたが、私のカメラではこの大きさが精一杯です。
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 15時19分、ようやく眼下に常念小屋が見えました。しかしまだまだ距離があります。
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 ここまで来ると、雪の常念岳も見えます。
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 16時過ぎにようやく常念小屋に到着しました。燕岳への往復も入れると約9時30分の行動時間でした。
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 常念小屋は連休とあって多くの人が泊まっていましたが、一人一枚の布団で寝ることができました。写真は常念小屋の夕飯です。今回も常念小屋について、ビールを飲み、夕飯を食べたあと、疲れて19時過ぎに寝てしまいました。037.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

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 5月5日(日)、3日目。前日19時すぎに寝てしまったため、午前2時に目が覚めてしまいました。しかし午前3時頃に仕度をして小屋を出ていく人も何人もいました。今日の日の日の出は午前4時50分。小屋の前ではたくさんの人はご来光を待っていました。058.gif
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 太陽が昇ってくると大歓声が上がりました。まるで初日の出を見ているかのようです。058.gif
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 朝焼けに染まる槍ヶ岳。
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 朝焼けに染まる常念岳。
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 今日の天気は快晴。ザックを小屋の前にデポして、午前6時30分に常念岳の山頂を目指しました。
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 この天気のよさに常念岳の登山道は大渋滞です。
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 つねに槍ヶ岳連峰を見ながらの登山です。
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 山頂に人がいるのが見えます。
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 午前8時15分、常念岳の山頂に到着しました。山頂で記念撮影。いい歳、りょうちゃん、日本百名山56座目になりました。038.gif
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 頂上から360度見わたすことができました。木曽御嶽山と乗鞍岳。
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 穂高連峰、右から奥穂高、唐松岳、前穂高、西穂高、北穂高。山口さんが教えてくれました。
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 蝶ヶ岳。
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 遥か向こうに見えるのは中央アルプスでしょうか。
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 たくさん写真を撮って、山口さんと青柳さんに山の名前を教えてもらって、午前8時30分に下山を開始しました。
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 常念小屋前には午前9時30分に戻ってきました。大休憩をとり、午前10時に登山口を目指して下山を開始しました。常念乗っこしで記念撮影。
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 下山は沢づたいに一の沢を目指して降りていきました。
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 スキーで降りてくる人もいました。
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 途中から夏道に合流し、14時前に一の沢登山口に降りてきました。
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 近くのしゃくなげの湯で入浴し、GW終盤の大混雑のスーパーあずさに乗って東京に戻ってきました。
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 来週の5月18日(土)はトラベルギャラリーで大小山に行ってきます。


新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地




 
来週、大小山に行ってきます。060.gif

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by ryott-ryott | 2013-05-12 12:00 | 燕岳・大天井岳・常念岳

夏を待つ白き尾瀬、雪山の至仏山を行く

旅行・地域
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 4月27日(土)~29日(月)は山旅クラブで雪山の至仏山に行ってきました。今回の参加者は私一人だけでした。いつものようにいい歳、りょうちゃんが写っている写真はトミーさんのブログからもらいました。038.gif
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 今回の予定は27日(土)に鳩待山荘まで移動し、28日(日)に至仏山登頂、29日(月)はアヤメ平方面の雪山ハイクになります。4月27日、東京は青空が広がり、上越新幹線は熊谷までは富士山をうっすらと見ることはできましたが、上毛高原は鈍色の曇り空でした。いつものようにトミーさんのリムジンカーに乗せていただき、鳩待山荘へと向かいました。038.gif
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 鈍色だった曇り空はさらに雲が厚くなり、ついに雨が降りだし、さらに標高が上がると雪へと変わっていきました。鳩待山荘に到着した頃には、風も強く、積雪10 cm以上の猛吹雪でした。
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 至仏山に登る28日の天気予報は晴れであるので、27日はコンビニで調達したおつまみとお酒で乾杯し、夕飯を食べたあと、19時前には寝てしまいました。写真は鳩待山荘の夕飯です。068.gif
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 19時前に寝てしまったので、夜中の1時過ぎに目が覚めてしまいました。外からは唸るような風の音が聞こえてきて、本当に天気が回復するのだろうかと思いで朝を待ちました。しかしながら、天気は回復せず、雪が降り続いていました。朝食を済ませて、ワカンをつけて、午前8時に登山口を出発しました。
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 私たちのような登山者は少なく、ほとんどがスキーヤーかボーダーでした。彼らはスキーあるいはボードを背負って、頂上の高みから下まで滑るため、登っていきます。
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 昨日降った雪のため、新雪が積もり、心配していたことに常に苦労しました。ワカンをつけているものの、体重がある私は常に新雪に足を取られて、足を持ち上げても持ち上げても前にはわずかしか進むことができず、昔の体育の時間でしごかれていることを思い出しました。果たして、日本百名山の数を1つ付け加えることができるであろうか、半分は諦めながらの登山となりました。トミーさんも諦めていたようです。写真はトミーさんが撮ってくれたもので、トミーさんからかなり引き離され、しかも後ろのスキーヤーにも抜かされてしまいました。私は頂上に到着するまで、ほとんど写真を撮る余裕がありませんでした。042.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 会津若松市に、会津藩家老西郷頼母の屋敷を復元した「会津武家屋敷」があります。この屋敷の当主西郷頼母の一生は、苦悩に満ちた悲運の生涯でした。

 鶴ヶ城落城の寸前には、頼母の母、妻、娘など一家21人の婦女子がことごとくこの屋敷で自刃して果てました。しかし西郷頼母は、時世を見て終始非戦論、和平論を唱えて行動し、自らも生き残ってしまったために、会津ではあまり同情されておりません。

 彼の悲劇は、いや会津藩の悲劇は、藩主松平容保が京都守護職を引き受けたときから起こりました。国元の筆頭家老西郷頼は、急ぎ江戸に上り、守護職就任の辞退をすすめますが聞きとどけられません。1年後再び京都に出向いて辞職を迫りますが、かえって不敬であるとされ家老職を免ぜられます。

 やがて、鳥羽、伏見の戦で敗れた会津藩は、朝敵にされ、薩長連合の西軍に攻められる立場に変わります。この非常事態の発生で頼母も許されて家老に復活、白河口の守備総督につきます。情勢の不利はまぬがれず、彼は西軍と和平交渉を開始しますが阻止されmまたまた蟄居を命じられました。

 西軍は白河口を突破し、会津鶴ヶ城も包囲され、敗色は濃厚になってきました。頼母は城内に入り、無血開城を説きますが、殺気だった藩士たちに、逆に殺されそうになりました。藩主容保は、将軍要請の名目で彼を場外に脱出させました。仙台で落城を聞いた彼は、そのまま函館の戦に参加しますが敗北し、館林に幽閉されます。

 明治新政府ができて許され、容保がついた東照宮宮司の下で禰宜などをつとめましたが、故郷忘れがたく、晩年はひっそりと会津若松に帰り、明治36年(1903年)4月28日、74歳で没しました。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 雪の勾配のある斜面をようやく登りきると、樹林帯を抜けて、少し平らな場所に出てきます。しかし、風は強く、視界はホワイトアウトでほとんど何も見えませんでした。私たちを抜かしていったボーダーの人たちも、これ以上進むのは危険だと言って、引き返してくる方たちが何人もいました。
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 写真はたぶん小至仏を登っているところです。この小至仏を越えて、至仏山の本峰へと向かうのですが、ここの斜面の登りが今回最もきつかったです。足は膝くらいまで新雪に沈んでしまい、トミーさんからは「何でそんなに沈んじゃうの?体重が重いんだな。」「早くしないと日が暮れちゃうよ!」と散々に言われながらも、必死に登りました。しかし前になかなか進みません。山は雪がないほうがいいですね。037.gif
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 12時40分、登り始めてから4時間30分以上もかかって、ようやく至仏山の山頂に到着しました。疲労困憊で、写真の山頂の標識を見たとき、墓石に見えました。いい歳、りょうちゃん、日本百名山55座目になりました。037.gif
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 至仏山の墓標と一緒に記念撮影。037.gif038.gif
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 山頂にはスキーヤー、ボーダーが沢山いました。滑るために、晴れるのを待っていました。何も見えない状態で滑ることは危険だそうです。
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 私たちは登山に来たので、晴れるのを待たずに13時過ぎに下山を開始しました。下山を開始して10分も経たないうちに、徐々に雲が取れてきました。正面には登りでは何も見えなかった小至仏が見えます。
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 小至仏のトラバース路に人の行列が見えます。
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 山頂方面。
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 振り返ると白い尾瀬ヶ原と燧岳が見えました。
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 小至仏を降りてくると、正面にきれいな三角錐の山が見えます。尾瀬の笠ヶ岳だそうです。
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 麓のほうには沼か湖も見えました。
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 天気が回復し、ボーダーの人達が続々と登っていきました。
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 正面に見える黒い山塊は赤城山・黒檜山だそうです。
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 小至仏の前の平原。登るときに何も見えなかった場所です。
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 りょうちゃんの横をスキーヤーが滑っていきました。
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 すっかり青空が広がり、日光白根山、皇海山、赤城山、上州武尊山の関東の百名山が見えました。
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 左側に鳩待山荘も見えます。
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 尾瀬ヶ原と燧岳。
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 15時30分に鳩待山荘に戻ってきました。鳩待山荘にはお風呂があります。お風呂に入って、汗を流し、缶ビールと日本酒を飲み、同室の方からダバダ火振り(栗焼酎)ももらって、夕飯を済ませると、昨日と同様に19時前には布団を引いて寝てしまいました。037.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

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 翌日29日(月)は鳩待山荘の裏手から横田代の湿原を通って、中原山、アヤメ平方面まで雪山ハイクの予定でしたが、再び私が雪に足を取られてしまい、進むのに四苦八苦してしまったため、横田代の湿原までのハイクとなり、中原山とアヤメ平までは行くことができずに戻ってきました。トミーさんは横田代も行けないと思ったそうです。私も行けないと思いました。前日のダメージもあり、深いところでは膝下まで沈んでしまったため、至仏山以上につらい雪山ハイクになりました。写真は鳩待山荘の裏手から見た真っ白な至仏山。
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 足取り重く歩いています。前日と違い、気温も高く汗びっしょりになってしまいました。042.gif
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 こちらのほうはほとんど人が歩いていませんでした。この雪山ハイクですれ違ったのは、夫婦2組と地元の高校生だけでした。
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 傘雲でしょうか、天気は翌日にかけて下り坂の予報です。
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 午前10時20分過ぎ、歩き始めて約3時間で横田代の湿原に到着しました。
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 湿原は樹林が切れるため、周囲の山を見ることができました。写真は燧岳。
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 至仏山。
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 平ヶ岳。
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 会津駒ケ岳。
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 午前10時40分に下山を開始。鳩待山荘にお昼過ぎに戻ってきました。
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 その後、リムジンカーに乗り、花咲くの湯で入浴し、食堂で一杯やりました。
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 花咲くの湯からは皇海山が見えました。
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 これはウルップ草かと思いましたが違うようです。
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 写真は花咲の湯の前の鯉のぼり。トミーさんに上毛高原駅まで送っていただき、18時30分に帰宅できました。今回の至仏山では、かなり雪に苦しめられて、5月3日からの燕~大天井~常念岳は何度もキャンセルしようかと思いましたが、トミーさんが大丈夫だと励ましてくれるので、行くことにしました。5月3日から燕~大天井~常念岳に行ってきます。
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地




 
連休後半は燕~大天井~常念岳に行ってきます060.gif

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by ryott-ryott | 2013-05-01 13:34 | 雪山・至仏山

春の足音を聞く、早春の雪山ハイク、赤城山・黒檜山を行く

旅行・地域
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 先週の2月2日(土)、山旅クラブで雪山の赤城山・黒檜山に行ってきました。例によって、いい歳、りょうちゃんが写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。
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 この日の天候は、天気予報によると低気圧の寒冷前線が通過し、山は強風を伴う雨か雪のはずでした。家を出たときには雨が降っていましたが、上越新幹線に乗って、熊谷を過ぎた頃にはすっかり青空になっていました。12月に赤城山・鍋割山に行ったときも、同じように天候がいい方向にハズレてくれたのを覚えています。どうやら、赤城山とは相性がいいようです。2月の赤城山は厳冬期で、通常、気温は氷点下のはずですが、この日は終始0 ℃以上のプラスの気温で、いい歳、りょうちゃんは汗びっしょりになってしまいました。写真は手前に見えるのが駒ケ岳、左側に写っているピークが黒檜山です。
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 登山口の駐車場に到着し、用意をして、いよいよ登山開始です。今日は駒ケ岳から黒檜山へと縦走し、大沼の脇に降りてくる行程です。今回、黒檜山が3回目になるという赤城山好きの山ちゃんによると、昨年は寒くて仕方なかったとおっしゃっており、今日のように駐車場で日差しの中、のんびりと用意ができるのはとても珍しいそうです。058.gif
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 最初はアイゼンをつけずに、しばらく登りましたが、やはり、いい歳、りょうちゃんはアイゼンをつけないと滑ってしまい集団から引き離され気味になりました。しかし、すぐにアイゼンをつけることになりホッとしました。今回の山旅クラブではじめて有名な山ちゃんに会うことができました。山ちゃんはとてもゆっくりアイゼンをつけており、トミーさんがイッラとしていることがわかりました。037.gif041.gif
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 駒ケ岳の手前で見た風景。風はほとんどなく、陽春の雪山登山という感じです。
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 駒ケ岳へと続く尾根道は雪の回廊になっていました。右側は雪庇があり、切れ落ちています。042.gif
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 1つ目のピーク、駒ケ岳。駒ケ岳山頂で記念撮影、りょうちゃんの後ろに写っている方が有名な山ちゃんです。038.gif
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 駒ケ岳を過ぎると、赤城山系の最高峰、黒檜山を捉えることができます。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 寛文12年(1672年)2月2日―――この日、有名な赤穂浪士吉良邸討入りのモデルとされた、「浄瑠璃坂の仇討ち」が行われました。

 事件の発端は下野国宇都宮城主奥平美作守忠昌の法要の席です。奥平家の老臣奥平内蔵亮(くらのすけ)が、日ごろの遺恨か、突然万座の中で奥平隼人に斬りかかりました。隼人はすぐに斬り返し、内蔵亮に深傷を負わせたところで取りおさえられました。内蔵亮はすぐに自刃しました。

 喧嘩両成敗、両家改易です。おさまらないのは内蔵亮の息子源八です。父の無念を晴らすべく敵討ちを計画、ひそかに同志40余名を集め、江戸市ヶ谷、浄瑠璃坂に住む、隼人の邸を急襲しました。白木綿の揃いの上衣、背中には丸に一文字、雪の夜に手にした松明・・・・・一同は激闘数刻、隼人の父と弟は討ち取りましたが、肝心の隼人は打ち損じました。

 あきらめて引き揚げはじめたところ、幸運といおうか、隼人にとってはふうんといおうか、隼人を先頭に救援の騎馬武者20余名が襲いかかってきました。隼人は、馬から下りるとたん、足をふみはずし、側溝にはまり、あっ気なく討ち取られました。

 源八たちは大老井伊家の上屋敷に出向き、事情を報告したあとの処置を待ちました。久し振りの仇討で江戸市中は湧きましたが、処分は遠島と決まり、一件落着となりました。

 赤穂浪士の討入りはは、それから30年後です。赤穂浪士の場合は、遠島でなく切腹でした。江戸の町民はこのときのことを知っていただけに、切腹に対して同情的でした。だが、結果論としては切腹したことで、その名が後世に残ったとも言えます。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 青空の下、白銀を踏みしめて黒檜山山頂を目指します。
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 振り返ると先ほど通過した駒ケ岳が見えます。
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 最後の急登。この急登がとてもきつく感じました。全くの無風で、暑さとの闘いで、ようやく稜線に辿り着きました。042.gif038.gif
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 この鳥居はまだ頂上ではありません。
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 この鳥居から約3分のところに黒檜山山頂がありました。標高1828 m。いい歳、りょうちゃん、日本百名山54座目になりました。赤城山・黒檜山は過去2回、ツアーに申込みましたが、その2回とも催行にならず、3度目にして黒檜山の山頂に辿り着くことができました。
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 山頂から少し進んだところからがビューポイントになります。
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 真ん中の台形の山が皇海山、その右後ろに男体山が見えます。
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 上州武尊山。
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 谷川連峰は雲に煙っていました。
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 丸い山は赤城山系の鈴ヶ岳、その後ろにかすかに浅間山が見えました。鈴ヶ岳の前の湖は凍結した大沼です。
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 季節はずれの暖かさに山頂は登山者で大賑わいでした。058.gif
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 ビューポイントで景色を楽しんだあと、下山を開始。トミーさんの好きな登山道を外す下り道で、男性陣が先頭を歩き、ラッセルをしながら降りていきました。先頭を行く山ちゃんが、りょうちゃんに前に行ってラッセル車になるように促されました。
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 登りで、このラッセルをしたら、バテてしまったでしょう。038.gif
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 再び登山道に戻り、急勾配の雪道を下って行きます。
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 徐々に大沼が大きく見えてきました。
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 大沼の赤城神社が見えます。
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 午前10時に登山を開始して4時間20分、14時20分に登山口まで下山してきました。
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 大沼の湖畔沿いに駐車場へ向かいました。大沼は一面凍結し、ワカサギ釣の人で賑わっていました。
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 今回も「ふれあいの里」で入浴し、入浴後にビールで一杯やりました。山ちゃんは入浴もゆっくりで、お風呂上がりに牛乳を飲んでいました。私が「ビールを飲まないのですか?」と聞くと、飲むことはできるが好きではないとおっしゃっていました。山旅クラブで、りょうちゃん以外の男性のお客さんはお酒を飲む人は少ないようです。068.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度


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 赤城山の翌日、横浜パシフィコへ行き、CP+の展示会へ行ってきました。
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 最終日の日曜日とあって、結構な人出でした。
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 驚いたことに、各メーカーのブースにはモデルと思われる女性が立っており、カメラを向けると笑顔でポーズを取ってくれます。いかにも「オタク」と思えるようなオッサン達が美女を取り囲み写真を撮っていました。私もその中に混じって、写真を撮ってしまいました。037.gif
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
来週は石巻の墨廼江酒造へ酒蔵見学に行ってきます。060.gif

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by ryott-ryott | 2013-02-10 14:44 | 赤城山・黒檜山