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歩の会・南アルプスの前衛、初冬の入笠山を行く

登山
旅行・地域
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 11月13日(金)は歩の会で、入笠山へ出かけてきました。入笠山は長野県南アルプスである赤石山脈の最北端の山です。山頂標高は1955 mあります。いい歳りょうちんが写っている写真は、倉持さんのブログにも掲載されています。
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 歩の会に参加するのは4月の妙義山さくらの里以来7ヵ月ぶりでした。歩の会では、毎回バスの中で会長から連絡事項があります。来年から歩の会の集合場所は新宿西口ではなく、町田駅になり、しかも毎月第3木曜日に山行に出かけるとのことが決定されたということを聞いていましたが、現在大洗と東京を往復する単身赴任の身では木曜日の歩の会には参加できないことを浅場会長に申し上げたところ、何回かは月曜日に開催してくれるということを会員の皆さんにはかっていただき、月曜日の山行も取り入れてくれることを決定してくれました。会長、歩の会の皆さん、日程のご配慮をいただき、ありがとうございます。月曜日山行にはなるべく、参加できるようにいたします。
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 またラジオで聞いた話の紹介の中で、毎回花言葉の紹介をしてくださいます。今回はヒマラヤスギの花言葉は「あなたのために生きる」でした。日本百名山を完登したいい歳りょうちゃんは、「歩の会のために生きる」ことができるように、今後も山行をご一緒したいと思います。
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 午前7時に新宿西口からバスに乗り、沢入登山口の駐車場に到着したのは午前10時前でした。倉持さんのストレッチ姿を見るのも久しぶりでした。
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 入笠山と言えば、ゴンドラで湿原の入口まで登って、そこから歩き始めるのかと思っていましたが、ゴンドラはいっさい使わずに沢入登山口から山頂へのピストンでした。
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 なだらかな登り道をゆっくりと歩いて行きました。
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 歩くこと1時間で入笠湿原に到着。この湿原の斜面の上のほうにゴンドラ駅があります。
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 入笠湿原の上で小休止。山頂までは30分くらいです。
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 12月に倉持さんはこの天文台の宿にスノーシューで来るそうです。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 山頂までもうすぐです。
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 12時山頂に到着しました。今日は薄曇りで、山頂からの展望がほとんど期待できないと思っていましたが、目の前には八ヶ岳と蓼科山、金峰山が見えました。
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 入笠山は南アルプスの前衛だけあって、南側には富士山、南アルプスの仙丈ケ岳、甲斐駒ケ岳、北岳、鳳凰三山が見えました。また西側には槍穂高連峰、立山、五竜、鹿島槍、白馬三山の北アルプス、北アルプスの南側には御嶽山と中央アルプス、さらに平らな恵那山まで、360度の展望を見ることができました。
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 山頂で30分の大休止をとり、倉持さんのミルクティーを飲むのも久しぶりでした。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 360度の展望に別れを告げて、下山を開始。
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 弾痕笹がありました。弾丸で打ち抜いたような跡がついた笹を弾痕笹といい、虫が食べたあとです。戦時中、この弾痕笹を懐に入れて戦地へ行くと、敵の銃弾にあたらないと信じられており、兵隊さんはお守りとして身につけて出征して行ったそうです。
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 入笠山にも鎖場がありました。
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 岩場コースを下山しています。
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 この季節は植物も生えていないためか、鹿よけのネットは外されていました。
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 沢入登山口を目指して下山。
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 下山後は「ゆーとろん水神の湯」に入浴しました。
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 帰りのバスの中では、いつものように日本酒で乾杯。ガイドの峯岸さんも後ろの席に来て、一杯飲んでくださいました。驚いたことに、いい歳りょうちゃんが普段お世話になっている富澤財団総帥のトミーさんは、峯岸さんと同じ年にガイド試験をパスした同期なんだそうです。峯岸さんは多分トミーさんよりは10歳くらいは年上だと思いますが、髪の毛は豊かでした。峯岸さんもトミーさんが「あんなにハゲてしまうと思っていなかった。」とは言っていませんでした。041.gif
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス


 
次回は浅間隠山・榛名山の報告をします060.gif

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by ryott-ryott | 2015-11-21 14:06 | 歩の会・入笠山

今年3度目の桜、歩の会 妙義山・さくらの里

登山
旅行・地域

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 ブログが実態に全く追いついておりません。大洗に転勤になり1ヵ月が経過しました。月曜日から金曜日までを大洗で過ごし、週末は東京に帰ってくるという生活が定着してきました。また朝は出勤までの時間に、神磯の鳥居まで行き、ご来光を拝み、大洗磯前神社にお参りをして住まいまで帰ってくることが習慣になりました。
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 5月6日(水)は大洗に一日早く帰って、いつものように早朝の散歩をして、大洗を歩いてみました。この日の朝は晴天の連休最終日であったためか、神磯の鳥居の前には20人ほどご来光を見に来ていました。またテレビ局の取材も来ており、誰かにインタビューしていました。いい歳、りょうちゃんにインタビューしてくれたら、大洗をほめちぎってあげたのに、カメラ写りもいいんだから。テレビ局は見る目がないですね。037.gif
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 この日は日の出の太陽がダルマのようになるダルマ朝日を見ることができました。
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 ご来光を拝んだあとは神社にお参りしました。5月上旬の日の出の時刻は午前4時40分くらいですが、日の出を見終わって、神社にお参りするのはだいたい5時くらいになります。いつもお参りをしたあとに御朱印をもらおうと思うのですが、神社の氏子どもはまだ寝ているため、御朱印をもらうことができません。一旦、住まいに戻って朝食を済ませて、出直して、ようやく御朱印をもらうことができました。神社の氏子なら、日の出とともに起きてもらいたいものです。037.gif
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 神社の中には「つつじの小径」があり、ツツジが花開いていました。
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 海岸沿いに歩いて、水族館まで行きました。サーファー以外にも海の中に入っている人がいました。
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 これが有名な大洗水族館。連休中はたいへんな人出だから、やめたほうがよいとアドバイスをいただいていましたが、あまり混んでいませんでした。入場料金は大人ひとり1850円です。
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 よくテレビで放映されている大水槽。半沢直樹のロケでも使われていました。
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 アンコウ。じっとしている魚はキレイに写せます。吊し切りにされないでよかったな。011.gif
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 クラゲ。
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 マンボウが水槽の中でエサを与えられていました。
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 こちらにも動かない魚がいました。
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 オオカミウオは横を向いています、生きているのか!
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 日本で一番大きい飼育されているミズダコだそうです。35 kgあるそうです。食べがいがありそうです。011.gif
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 東京スカイツリーの水族館にもいるチンアナゴ。砂の下は何 mも埋まっているそうです。
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 サメの剥製。
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 マンボウの剥製。
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 古代サメの顎の骨格。体長13 mもあったそうです。
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 プランクトン特集でカニの幼生が展示されていました。これがカニミソになるのか!
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 水族館のあとは願入寺に行きました。願入寺から見る夕景は水戸八景と言われているほど有名だそうですが、願入寺の中からは見ることができません。願入寺の裏手にある展望台のようなところからの風景になるそうですが、木が邪魔ですね。037.gif
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 海門橋、那珂湊につながっています。
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 この日は干潮であったようで、朝見る風景とはちがい、海の中からは岩が現れて、なんと神磯の鳥居で釣りをしている人がいました。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)


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 さて本論の山行ですが、4月20日(月)は休暇を取って、歩の会で妙義山さくらの里へ行ってきました。今年は東京、転勤先の大洗、そしてさくらの里と3回目の桜となりました。
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 この日はあいにくの雨であったため、駐車場からさくらの里まで桜を見ながら降りていこうかとの話もありましたが、歩の会の方々はその提案を敢然と拒否し、当初の予定通り、中之嶽神社から中間道を通って第四石門まで行き、下に降りてきました。
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 第四石門に到着。
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 大砲岩。3年前にAトラベルで中間道に来ましたが、あの時は雨量も多く、煙っていて、第四石門から大砲岩を見ることはできませんでした。
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 第四石門前で記念撮影。
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 これは第二石門。
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 その後、さくらの里でお花見になりました。ミチコさんが幻の十四代を持ってきてくれました。
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 テラスで記念撮影。
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 さくらもたっぷりと楽しみました。056.gif
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 お花見宴会のあとはゴルフ場の宿泊施設で入浴し、東京まで帰ってきました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道






本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス


 
5月末、御巣鷹山に行ってきます060.gif

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by ryott-ryott | 2015-05-09 15:16 | 歩の会、妙義山・さくらの里

歩の会、早春の淡雪山を行く

登山
旅行・地域

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 ブログがまったく実態に追いついておりません。大洗に転勤し、1ヵ月が経過しました。4月23日までは毎日暖房を入れなければならないほど、寒い毎日が続いていましたが、連休直前から真夏を思わせるような暑い日が続いています。こんな極端な天候の年もめずらしいのではないでしょうか。
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 前回報告したように大洗では起床してから出社するまでの3時間ほどの間に近隣を散歩して、アパートに帰ってきて朝食を済ませています。散歩のほとんどは、大洗磯前神社の神磯の鳥居で太平洋のご来光を眺めて、神社にお参りをすることが習慣になってきました。この神磯の鳥居からのご来光は日の出の景勝地であり、4月29日の祝日は20人以上がカメラ片手に集まっていました。写真は4月30日の朝です。(30日は平日であったため4人しかいませんでした)。
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 神社は日の出とともに玄関を開けるようです。
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 神社の入口はツツジの花が満開でした。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 八丈島のあとは、2月6日(金)歩の会で淡雪山に行きました。南アルプスと甲府盆地を一望できる甲府市内の標高790 mの里山です。いつのもように新宿西口のモード学園の前での待ち合わせです。先週の八丈島で歩の会の皆さんと会ったばかりで、1週間経たないうちのうれしい再会になりました。
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 初狩SAから見た真っ白に雪化粧した富士山です。
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 登山口の近くの道路から見た白嶺三山。
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 甲斐駒ケ岳も見えました。
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 この池は大正池というそうです。
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 金子(きんす)峠から見た富士山。
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 この建物は弥勒館という美術館で、この建物の右側から登っていきます。
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 登り始めてわずか10分で淡雪山の山頂に到着。それでも東京の高尾山よりも高い標高790 mあるそうです。山頂からは白嶺三山を一望できました。
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 次は興因寺山(こういんじやま)へと向かいます。写真は山腹から見た甲府盆地と富士山です。
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 白嶺三山も見えました。
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 この登りは普通に見えますが、ぬかるんでいて、結構な悪路です。
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 興因寺山の山頂に到着。標高は854 mです。山頂で記念撮影。
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 これからは傾斜のある降りが続くということで、山頂で軽アイゼンを装着しました。
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 午後2時前に入浴施設に到着。わきには要害山の登山口がありました。
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 入浴を済ませたあとは、当然ながら生ビールです。帰りのバスの中でもお酒を飲みながら新宿まで戻ってきました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道





本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス


 
次回は第3回奥武蔵縦走の報告をします060.gif

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by ryott-ryott | 2015-05-03 09:48 | 歩の会、淡雪山・興因寺山

歩の会、南牧村の岩峰、桧沢岳を行く

登山
旅行・地域
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 ブログが実態に追いついてきました。今年、蔵王山に行くことはできませんでした。日本百名山は会津駒ヶ岳までの90座になります。残りの10座、蔵王山、黒部五郎岳、大朝日岳、火打山、妙高山、十勝岳、大雪山、羊蹄山、荒島岳、白山は来年に山頂を踏みたいと思います。

 12月 3日(水) 庚申山・桜山(山旅クラブ)
 12月 6日(土) 臼井さんとFacebook飲み会
 12月10日(水) ハイキング(トラベルギャラリー、休暇が取れれば)
 12月20日(土)~21日(日) 月居山・奥久慈男体山(山旅クラブ)
 12月23日(火) クリスマス会
  1月10日(土)~11日(日) 四阿屋山(山旅クラブ)
  1月15日(木) 竹寺・子の権現(歩の会、休暇が取れれば)
  1月17日(土) 奥武蔵主脈縦走(日和田山~物見山~越上山、山旅クラブ)
  1月24日(土)~25日(日) 日光・雲竜渓谷(山旅クラブ)
  1月31日(土)~2月1日(日) 八丈島(八丈富士、三原山、トラベルギャラリー)
  2月15日(日) 奥武蔵主脈縦走(関八州見晴台、山旅クラブ)
  3月 1日(日) 宇都宮アルプス(山旅クラブ)
  3月14日(土)  奥武蔵主脈縦走(カバ岳、山旅クラブ)
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 11月13日(木)歩の会の山行、桧沢岳に行ってきました。前回参加したのは5月の鈴ヶ岳だったので6ヵ月ぶりの参加です。待ち合わせ場所は新宿西口モード学園前の交差点です。天気は快晴です。058.gif
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 桧沢岳は南牧村にある岩峰です。岩峰のためか、いつもは26~27人が参加していますが、今日は半数の14人にとどまりました。写真は南牧村の道の駅です。
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 大森橋にバスを止めて、ここから出発しました。
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 登山口から人家の前を通って、ほぼ直登の登山道を山頂へと向かうことになります。
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 途中の見晴台から見た風景。
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 右に見える岩峰が西峰になります。西峰でお昼ご飯を食べました。
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 西峰に向かいます。
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 西峰から浅間山が見えました。
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 西峰から見た本峰。
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 西峰でのお昼ご飯の風景。
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 眼下に紅葉が見えます。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 西峰を降りて、本峰に向かいます。
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 本峰山頂には社がありました。展望はありません。標高1133 m。
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 本峰の急坂を下ります。道はあまり整備されていません。
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 妙義山が見えました。
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 岩場を越えて、あとはつづら折りの山道を降っていきました。
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 降りの紅葉。
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 林道から見た紅葉。
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 バスが待っている大森橋へと向かいます。
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 帰りのバスの車窓から見た桧沢岳全景。
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 やまびこ荘で入浴し、鍋屋ですき焼きを食べました。歩の会常連のフジ子ちゃんから、「今回はお休みを取れたのですか?」と声をかけていただきました。私が、早く定年を迎えて、毎月皆さんと歩の会に参加したいことを答えると、フジ子ちゃんは「りょうちゃんが定年を迎える頃には、私たちみんな死んでるわよ。」とおっしゃっていました。口の悪いトミーさんならば、「まったく、その通りですね!」と言っていたことでしょう。041.gif
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 また今回、私を歩の会にスカウトしてくれたミチ子さんが何年かぶりに歩の会に参加していらっしゃいました。先日の檜枝岐で山椒魚を食べたことと、山形県や檜枝岐村で生の山椒魚を食べる習慣があることを話した所、山形県出身のミチ子さんは自分は駅前だったので生の山椒魚を食べる習慣はなかったとおっしゃっていました。038.gif
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 また来年1月31日の八丈島に歩の会の方が何名か参加されることを聞き、私もすぐに添乗員の辻さんに八丈島の山行を申し込みました。近藤富蔵の終焉の地、八丈島を歩の会の皆さんと行くことを楽しみにしています。038.gif
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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11月15日(土)、城南島海浜公園にご来光を見に行きました。風もなく穏やかな海でした。058.gif
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス



 
11月29日は夫神山、独鈷山に行ってきます060.gif

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by ryott-ryott | 2014-11-23 14:57 | 歩の会・桧沢岳

歩の会・5月の厳冬期、赤城おろし吹く鈴ヶ岳を行く

登山
旅行・地域
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 5月22日(木)、休暇を取って、歩の会に参加しました。場所は赤城山・鈴ヶ岳です。登山をするのは実に6ヵ月と20日ぶり、歩の会に参加するのは約1年ぶりでした。写真は早朝6時のりんかい線の中の様子で、ほとんど乗客が乗っていません。
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 集合場所は今までは新宿駅西口の安田生命前でしたが、この4月からバスを止められなくなったそうであり、モード学園の十字路の一角が集合場所に変わっていました。空は雲一つない青空です。058.gif
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 午前10時40分に登山口のある駐車場に到着しました。5月も下旬にさしかかろうというのに、強風が吹き、凍えるほどの寒さでした。暑がりのいい歳、りょうちゃんも寒さに耐え切れず、上着を着てしまいました。
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 準備運動を済ませて、午前10時50分に駐車場を出発しました。歩の会、最年少49歳のいい歳、りょうちゃんの前を歩いているのは、歩の会の最年長82歳の森さんです。038.gif
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 登山口の標高は1415 m、鈴ヶ岳山頂の標高は1564 m。標高差はわずか149 m。これならば、6ヵ月ぶりに登山に挑む、いい歳、りょうちゃんでも楽勝だろうとナメテいましたが、2度の登り返しが獲得標高は700 m以上はあったのではないでしょうか。
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 途中の突端から見た地蔵岳。
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 なだらかな稜線歩きが続きます。
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 雲がかかり、赤城山系最高峰の黒檜山の山頂は見えません。
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 荒山と鍋割山が見えます。一昨年、山旅クラブで行きました。
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 歩き始めて約1時間で鍬柄山の山頂につきました。ここでお昼ご飯を食べることになりました。途中でピックアップした登利平のとりめしです。大きい鶏肉がたくさん入っていて、とても美味しいです。5箱は食べられそうです。037.gif
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 まりちゃんと班長の野中ちゃん。038.gif
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 森さんは今年から宿泊の山行は自重するとのことで、次回は9月の日帰りに一緒に参加しましょうと約束しました。
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 鍬柄山山頂の標高1562 mで、鈴ヶ岳の山頂標高とほとんど変わりません。ここからは稜線歩きで山頂に向かうのかと思いましたが、登った標高差と同じ分だけ最低鞍部まで下っていきました。
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 下ったら、当然ながら登らなければなりません。
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 岩場を真剣に登る新房ちゃん。038.gif
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 登り道の脇にシャクナゲが咲いていました。遠目で見ると綺麗な感じなんですが、近づいてみるとあまり綺麗でありません。そんな感じの女の人、よく見かけます。041.gif
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 13時7分、歩き始めてから2時間17分で鈴ヶ岳の山頂に到着しました。
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 山頂での森さん。
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 山頂で集合写真を撮りました。この写真はまりちゃんから送っていただきました。
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 山頂で小休憩し、元来た道を引き返します。先ほど登った岩場を下ります。
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 最低鞍部まで降りてきた道を登らなければなりません。
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 鍬柄山から見た荒山と鍋割山。朝とはちがう色をしていました。
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 黒檜山は相変わらず見えません。
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 15時11分、登山口に戻ってきました。
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 帰りの温泉は、山旅クラブでも何度か寄ったことのある富士見温泉ふれあい館でした。帰りのバスでは森さんと日本酒を飲みながら帰ってきました。新宿は土砂降りの雷雨でした。057.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 5月18日(日)はじゃんけんぽんのトントンさん、はるさん、カツオおばさんと一緒に西山屋さんのワインの試飲会に行きました。
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 ワイン試飲会のあとは日比谷オクトーバーフェストに行きました。大変な混雑でした。
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 夕方は新橋のガード下で一杯やりました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(NHK日本名曲アルバム/銀色の道)


(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 5月2日の幕張海浜公園の夕景を何枚か載せます。
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス



 
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by ryott-ryott | 2014-05-25 21:49 | 歩の会・赤城山鈴ヶ岳