ゲンダマ会

6月27日、上智大学に行ってきました。

りりこ、赤くなりました。056.gif
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四ツ谷駅。すっかりきれいになりました。
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大学の中に立派なビルが建っています。中にはコンビニもあるそうです。私が学生の時とは違います。その前にはやはり様変わりしたイグナチオ教会。
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土手から見た風景。大学グラウンド。
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土手から見た迎賓館。
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野球やってました。
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大学の中には昔の古い建物も建っています。いずれ建て直す計画だそうです。
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すまじきものは宮仕え

今週、大井町湯屋で久しぶりに晴れ男さんに会いました。お休みを取って、沖縄に行ってきたそうです。晴れ男さんに「休んでばかりでいいですね」と言ったら、「そっちこそ遊びほうけているくせに」と反論されてしまいました。自由が利かない宮仕えもつらいものなんですよ、晴れ男さん。週末ぐらい、遊ばせてくださいな。041.gif

そして、いつもの土曜日は湯屋に行き、裕太郎エアロとトレーニングをやりました。インストラクターの裕太郎さんは会うたびにスマートになっていきます。帰りがけの裕太郎さんと話をしたら、3月1日から間食をやめたら、この6月までに16~17 kgもの減量ができたそうです。私は、この「間食(かんしょく)」を「豚足(とんそく)」と聞き間違えて、豚足を食べてことをやめれば、痩せるだろうと思いましたが、ポリスマンさんの奥さんから『 「豚足」じゃなくて、「間食」だよ 』と教えられ、「羨ましいでしょ」と体重がなかなか減らない私に苦言を浴びせて行きました。

今日はアクアビクスはやらずに、湯屋から帰宅し、上智大学に向かいました。


(まんが日本昔ばなし/耳なし芳一)

ラフカディオ・ハーン。日本に帰化して小泉八雲と名乗りましたが、この人ぐらい異国人でありながら、日本を愛し、日本の思想、風俗、歴史、伝統芸能に精通し、それを明治時代に世界へ紹介してくれた人は、他にいなかったように思います。
「知られざる日本の面影」「日本雑記」などの評論の他、「骨董」「怪談」など、すぐれた短編小説を海外で発表し、大変な反響を呼びました。
特に「怪談」のなかの一遍“耳なし芳一のはなし”は有名で、戦前の国語の教科書に載りましたし、戦後は映画にもなりました。
ハーンは1850年6月27日、ギリシャで生まれました。父はアイルランド系英国人、母はギリシャ人でした。
父母が離婚したので、単身アメリカに渡り、新聞記者をしながら東洋の研究、特に日本について勉強しました。
明治23年、彼が40歳のとき来日しました。ニューオリンズの万国博覧会で知り合った文部省事務官服部一三の世話で、松江市の旧制中学、師範学校の英語教師として、松江に赴任したのが、彼の生涯を決定づけました。
 この土地で、松江藩士の娘、小泉節子と結婚しました。妻の姓と、出雲の故事が気に入って「小泉八雲」と姓名をかえ、日本に帰化したのです。
その後、五高(熊本)、東大、早稲田大学で教鞭をとりながら。作品を書き続け、明治37年9月26日、東京の自宅で亡くなりました。54歳でした。
彼の功績は、日本を海外に紹介しただけではなく、逆に欧米の文学を日本に紹介した点も見逃すことはできません。
松江市には、彼が新婚時代を過ごした武家屋敷が、そのまま記念館として保存されています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)


ゲンさんと池内先生。
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この日、6月の最終土曜日に毎年開かれている「ゲンダマ会」に行ってきました。「ゲンダマ会」とは化学科の分析化学研究室の同窓会で、その当時に教授の佐藤弦(さとうげん)先生のお名前から付けられました。

昨年も思いましたが、女性の学生さんの数がかなり多く、半分以上占めていることには驚きました。私が学生の時の分析化学研究室には同級生10人中、一人しかいなかったことを考えると劇的に増えています。
それから、これだけ世の中が不景気で宮仕えの私なんか賞与が先送りになっているのに、研究室の学生さんはみなさん就職を決められて、前途洋洋。若いって羨ましい。
私が勤める会社にも毎年、学生さんが何人か就職活動でやってきますが、特に女性のほとんどが「水処理」を希望する人が多いです。「水処理」にきれいなイメージを持っている方が多いようですが、実際は汚い泥水を取り扱わなければならないことにガッカリされる方も多いようです。


(いきものがかり/青春ライン)

そして、1年ぶりの懐かしい再会。佐藤弦先生は今年79歳。私が学生の時から全くその風貌は変わってなく、スター・ウォーズのヨーダとあだ名されていました。先生に「まったく変わりませんね」と言ったら、先生は「あなたが年を取っただけだよ」とおっしゃいました。何年か前にお会いした時は、「カラスの鳴き声が気になって、大学を辞めてから家でカラスの鳴き真似をしている」とおっしゃったときには、皆さんが心配しておられましたが、今回は「電荷が電場の中を進むときに電荷のまわりに磁場が発生するが、その電荷と一緒に進むと磁場が自分の目にどう映るか気になっている」と誰も思い浮かばない発想のお話をされていました。026.gif

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清水先生は髪がいっそう白くなった感じでしたが、定年しても清水節は健在でした。先生は大学に勤めていたときは自分の専門以外には目が向かなかったが、定年してやることがなくなり、かえって世の中のいろいろな出来事に目が向くようになったそうです。そして、いかに新聞やマスコミが言っている科学の話はデタラメが多いこと、エコという名前を偽って金儲けしようとしている連中がいること、経済評論家がウソつきであることが、長年の化学フィールドの経験から手に取るようにわかるとおっしゃっていました。

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定年退官以来、5年ぶりに池内先生にお会いすることができました。私に会うなり、「ちゃんとやってる?腰を落ち着けてやる気になった!」と叱られているような感じでした。会社の仕事がつまらなくて、先生に相談したこともありました。私が会社に入ってからも、いろいろとご心配をおかけした、やさしい先生です。実は今も「なんて面白い仕事だろうか」という代物に出会ったことはありませんが、この年齢になると諦め半分、割り切り半分でやるしかありません。先生はいまや悠々自適の生活、毎日お宅で好きなことをやっているそうです。出席者の名簿に私の名前があり、私に会うことを楽しみにしていたと言っていただきました。001.gif

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私が学生の時の先生は皆さん退官されて、もう一人もいらっしゃらないそうです。「ゲンダマ会」も若い人がたくさん入って、若返っており、3人の先生が退官された後も、継続されて、科学の進歩とともに「ゲンダマ会」も進歩していることがわかり、嬉しい一日でした。003.gif


(森田公一とトップギャラン/青春時代)

大井町に8時半過ぎに戻ってきました。じゃんけんぽんによったら、これからモツ焼き屋さんの「しげ」に行くことになりました。春さん、トントンさんから日曜日の宝塚記念競走の馬券を買ってもらえないかと、買い目を渡されて、頼まれました。私は前回日本ダービーが的中したので、もう二匹目のドジョウはいないと思っていますが、春の天皇賞馬(①マイネルキッツ)から遊んでみましょうかね。

刺し盛り011.gif
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串焼き011.gif
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しげの前で3回目の記念撮影011.gif
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by ryott-ryott | 2009-06-28 13:23 | 同窓会