いい歳、りょうちゃん、土門拳記念館を行く~さらば、酒田~ヽ(^o^)丿

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じゃんけんぽんへ行ったら、エルビーさんが持ってきてくれたというハゼを唐揚げにして出して戴きました。011.gif
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今日10月3日は仲秋の名月、十五夜の月でした。日曜日は満月です。072.gif

いつものように大井町湯屋へ行き、新しいインストラクターのエアロ、中国整体、大暴れアクアビクスをやりました。中国整体が終わった後に、お昼御飯を「木洩れ日」さんに食べに行くところ、ポリスマンさんにバッタリ。ポリスマンさんたちも「木洩れ日」さんでご飯を食べてきたところだったそうです。041.gif


(Fit’s CM)
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「晩鐘」「種まく人」「落穂拾い」「羊飼いの少女」・・・・田園の叙情と祈りをテーマにした、ミレーの絵は、日本では明治以来親しまれてきました。
明治の文豪、高山樗牛(たかやまちょぎゅう)は「晩鐘」を見て、こんな一文を書いています。

「一日の業を終わりたる若き農夫その妻と、今方(まさ)に家路につかんとする時、エンジェラスの祈禱を告ぐる夕べの鐘の音響きわたりぬ。二人は頭(こうべ)を垂れて無言の祈りを捧げぬ。地には平和あり、天には光あり、人には愛情あり。而して天国の響きに応ふるこの祈りだにあらば、吾等この世に於いて何の求むる所ぞや・・・・・」(明治35年「文芸界」)

素朴な農民たちの姿を描く彼の絵は、今日になっても日本人の共感を誘わずにはおきません。
ミレーは1814年10月4日、北仏ノルマンディー地方の小村グリュシュイの農家で生まれました。
23歳でパリに出て、最初肖像画家を志しましたが、35歳のとき、パリから60 kmあまり南下したバルビゾンに移り、働く農民の姿を描く農民画家として、そこで60年の生涯を終えました。
わが国では、1977年、山梨県立美術館が1億700万円でミレーの名作「種まく人」を購入して当時話題になりました。

この絵は、最初の持ち主はパリ内務省の役人アルフレッド・サンシュ。1837年にニューヨークに渡り、鉄道王2代目W・H・バンダービルトが2番目の所有者。次にフィラデルフィアのプロビデント・ナショナル銀行が3番目、1977年競売に出され、東京の画商が落札して、山梨の県立美術館に収めたものです。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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土門拳記念館
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山形・酒田の旅、最終日。

9月23日秋分の日、この日も朝から激しい雨でした。夕方の帰りの飛行機の時間まで酒田の街をブラブラしようかと思っていましたが、結構な雨量のため、それもままならず。057.gif

最上川を渡って、飯森山公園にある土門拳記念館に行きました。土門拳は既に故人ですが、酒田出身の世界的な写真家であり、土門拳記念館は日本で最初の写真美術館です。土門拳の全作品が収蔵・展示されています。


ごみ捨て場のバー、大森駅付近、東京 林忠彦、1950年
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倒壊したビルを家に、江戸川橋、東京 林忠彦、1947年
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終戦の日の太陽、高田、新潟 濱谷浩 1945年
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焼け跡の母子、高田馬場、東京 林忠彦 1947年
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広島平和記念公園、広島 土門拳 1957年
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配給を受ける長い列、銀座 東京 林忠彦 1946年
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SKDの踊り子、浅草国際劇場屋上 東京 田沼武能 1949年
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本郷森川町 東京 木村伊兵衛 1953年
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銀座の若者 東京 田沼武能 1960年
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海抜ゼロメートル地帯の洪水、大島 東京 長野重一 1959年
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土門拳記念館を見た後は、明治26年(1893年)に建てられた米の保管倉庫である山居(さんきょ)倉庫へ行きました。11棟のうちの1棟は現在も農業倉庫として使用されています。私が訪れた時にはジュサブロ―の人形展が開かれていました。

山居倉庫
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山居倉庫とケヤキ並木
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昔は米俵5つ 300 kgの米を背負っていました
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最後は明和5年(1768年)に建造された本間家旧本邸と酒田を代表する廻船問屋の旧鐙屋(あぶみや)を見学しました。004.gif

本間家旧本邸の入り口
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廻船問屋は現在の商社。昔は来客をこのようなご馳走でもてなしたそうです。011.gif
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昔のかき氷機。鰹節削り機かと思いました。037.gif
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鐙屋の繁栄ぶりは井原西鶴の「日本永代蔵」で紹介されています。004.gif
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浄福寺・唐門
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シルバーウィーク後半はお天気に恵まれませんでしたが、日本の文化文芸に接した酒田の旅を楽しみました。夕方、庄内空港へ向かい、酒田の街に別れを告げました。004.gif
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by ryott-ryott | 2009-10-04 01:28 | museum