いい歳、りょうちゃん、堤焼窯元を訪ねるヽ(^o^)丿

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10月13日火曜日は世の中では連休は終了しているのですが、私の勤め先は幹部の皆さんがゴルフをやるためのスポーツ奨励の日として休日でした。もちろん私は12日の夜も松島に滞在し、松島2回目の朝日を撮影しに、近くの双観山展望台へ行きました。双観山は結構、松が生い茂っており視界が狭かったです。この松を勝手に切ることはできないそうであり、松が伸びるだけ伸びています。松島四大観の一つである扇谷は生い茂る松でいまや松島湾の景観を眺めることが出来ないようです。しかし、何とか朝日を撮影することが出来ました。058.gif

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日蓮宗の開祖日蓮は、安房(千葉県)小湊の漁師の子に生まれました。

15歳で出家して仏教を学びますが、同じ仏陀(釈迦)の教えなのに、天台宗、真言宗、浄土宗、浄土真宗、禅宗など、各宗派に分かれて競い合うのか疑問を感じたといいます。

日蓮は、そのため鎌倉、京都、奈良の各寺を巡訪し、七千余巻の教典を調べ、結論として、「法華経」だけを唱和すれば、それが一番正しいと悟ります。
「南無阿弥陀仏」の念仏と同じく、「南妙法蓮華経」のお題目を唱えれば救われる-これを教義としました。手法は浄土宗と同じです。

ただ、鎌倉仏教としては、最後になったとせいか、日蓮宗(法華宗)以外の宗派は、ことごとく邪教として徹底的に闘いました。各宗派を全部敵にまわしたのですから、再三捕えられ、打ち首寸前、流罪に処せられたり数多くの法難に遭いました。

佐渡島の流罪から赦免された日蓮は、甲斐(山梨)の身延山に道場を建て隠棲しました。
これがのちの日蓮宗総本山久遠寺です。弘安五年(1282年)10月13日、旅先の武蔵国池上(東京都、現在の池上本門寺)で61歳の生涯を閉じました。

日蓮宗は、日蓮の死後弟子たちの力で隆々発展し、数多い分立各派(門流と呼びます)が誕生します。富士山麓に創建された大石寺が、富士門流の一つで、現在の創価学会の本拠になっていることはご存知の通りです。

日蓮は元の襲来を予言し、それを退散させ、今日の福岡市を護ったということで、福岡市の県庁脇の小公園に、大きな日蓮の立像が建っています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)


輪王寺山門
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お釈迦様の足跡
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朝日を撮影後、ホテルへ戻り、朝食を済ませてチェックアウト。松島に別れを告げて、仙台へ向かいました。
仙台は輪王寺へ行きました。もともと輪王寺は1441年に11代の伊達持宗が福島県の梁川に創建したお寺です。伊達家の居城が梁川から西山・米沢・会津・米沢・岩出山・仙台と変遷したため、輪王寺もまた転々として、今の仙台に移ったのは17代政宗の1602年(慶長7年)の時でした。
輪王寺は明治9年に火事で焼けてしまいまい、その後、大正に再建されたときに庭園も現在の規模に建設されました。
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私が訪れた時、輪王寺の中では写経をやってました。そして庭園は庭師の方が植物を植えかえていました。10月も中旬に差し掛かろうというのに、庭園の中にはスズメバチが飛んでおり、私の耳元をかすめて行きました。071.gif

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輪王寺を見た後、近くの堤焼の工房を見学してきました。今は窯を使ってなく、専門の工場で作っているそうです。堤焼きの歴史は古く、あの多賀城(坂上田村麻呂の時代、平安時代)の瓦にも使われていたといいます。堤人形屋「つつみのおひなやっこや」のご主人が工房を案内してくださいました。

堤焼はもともと人形を作っていたわけではなく、日常生活に必要な日用品を焼いて作っており、そのときに人形も作られていたと言います。027.gif

ちょっとした坂道に6つの登り窯があり、中はレンガ作りになっていました。焼成するときの温度は1400 ℃にも達するそうであり、レンガは1400 ℃の高温に長年さらされるとガラス状に変質してしまうとのこと。


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工房には平安時代に作られた瓦が無造作に置いてありました。
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こちらは天保14年(1843年)に作られた「鬼瓦」。
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主に水がめを作っていたようです。
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お宮も陶器として焼いて作っていたそうです。
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これはかまぼこのすり鉢。仙台といえば、「笹かまぼこ」ですが、昔は冷蔵庫がなかったため、魚をすり身にして焼いて日持ちさせたのが始まりだそうです。
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戦時中、飛行機のエンジンに燃料を供給する容器。金属製では燃料の燃焼熱で金属製容器が溶けてしまうため、陶器で作られていました。
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これは伊達家が戦国時代に使った大砲の砲弾だそうです。
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初代横綱谷風の堤焼人形、寛政元年(1789年)製作。
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堤町の様子を示した絵巻。その当時は各家に堤焼を焼く窯を持っていたそうです。
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どれも博物館にあってもおかしくないものばかりでした。時々、歴史資料館からこの工房にあるものを借りに来るそうです。そして、この工房の先に文学館があるそうなのですが、その文学館よりもこの堤焼工房を訪れる人が多いとおっしゃっていました。

古くは平安時代から江戸、明治、そして昭和へと時の流れを体験できた工房見学でした。

仙台、もちろん牛タンを食べて、東京へ帰りました。


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by ryott-ryott | 2009-10-16 01:05 | 奥の細道