いい歳、りょうちゃん、愛子岳の正体を見た(^o^)丿

旅行・地域
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 今日は5月2日(月)。明日、東京に帰ることを考えると、実質、今日が屋久島の旅最終日です。最終日はどこへ行くべきか、いろいろと考えましたが、晴天に恵まれたこともあり、当初の予定通りに『愛子岳』へ行くことにしました。058.gif
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 屋久島空港を降り立ったときに、右手に見えるきれいな三角形の頂上を持つ山です。屋久島で環境のシンポジウムが開かれたときに、皇太子さまが出席されて、やはり屋久島空港から見えた愛子岳の姿を見て、「あの山の名前は何と言うのですか?」とお尋ねになったそうです。そして、愛子岳という名前であることを知り、そのあとに雅子様との間に愛子様が生まれたことを知った屋久島の人たちは愛子様の名前は屋久島の愛子岳から取ったと考えている方が多いようです。愛子様の名前は愛子岳から取ったという話を私はタクシーに乗るたびに聞かされていました。
そして、有名な「三岳」という焼酎を出している三岳酒造が「愛子」という焼酎も出しており、愛子様が生まれるや、売れ行きがよくなかった焼酎「愛子」はあっという間に売り切れてしまい、」今では予約してから10ヵ月待ちの人気なんだそうです。
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 この日、いつものように朝ごはんと昼ごはんのおにぎり弁当をホテルのフロントで受け取りました。東の空には水平線上の雲が磨りガラスの役割を果たして、真白な朝陽のシルエットを見ることができました。058.gif
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 島津さんから愛子岳は休み時間も入れて8時間くらいで登って帰って来られると聞いていたので、私は朝6時30分にタクシーでホテルを出発し、小瀬田(こせだ)にある愛子岳の登山口に向かいました。愛子様の名前は愛子岳から取ったのだという話をまた聞かされると思い、私の方から運転手さんに聞いてみました。すると運転手さんは皇族の人がこんな哀しい名前を自分の子供につけるはずがないとおっしゃっていました。愛子岳の登山口へ着くまで、愛子岳の名前の由来である「愛子岳伝説」を聞かせてもらいました。018.gif
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 小瀬田には2つの川が流れています。ひとつは「女川」、もう一つは「男川」です。そして、その間に島の集落がありました。その村には愛子と言う名前の、それは美しい女性が住んでいました。愛子は姿が美しいだけではなく、誰からも愛される優しい心の持ち主でした。大井町湯屋にはいないタイプです。
 ある日、愛子が女川のそばを通りかかると、1匹の猿が溺れかけていました。今にも川の流れの中に呑みこまれようとしている、その猿に愛子はそばに落ちていた木の枝を手を伸ばして差し出しました。猿は愛子が差し出してくれた木の枝に何とかつかまることができ、命を救ってもらいました。猿は何度も愛子にお礼を言って、山に帰って行きました。
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 翌日、愛子が家の外に出ると、家の前には山の木の実や山菜がたくさん積まれていました。昨日助けた猿がお礼に持って来てくれたのです。それだけではありませんでした。助けてもらった猿は愛子に一目ぼれをしてしまいました。それから来る日も来る日も、猿は愛子の家まで山で採った食べ物を運び、愛子に自分のところに嫁に来てほしいと迫ります。
愛子は「あなたのところへ嫁ぐことはできません。」と断りますが、それでも猿はあきらめずに毎日、愛子の家までやって来ました。今でいうストーカーです。それに愛子には結婚を約束した村の青年がいました。このままではいけないと思った愛子は、いつものようにやって来た猿に持ってきた贈り物を突き返して、031.gif
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 「私には夫婦になることを約束した人がいます。もう来ないでください。」ときっぱりと言いました。すると猿の顔は見る見るうちに赤くなり、毛は逆立ち、恐ろしい姿へと変貌して行きました。その猿は山の神の化身だったのです。山の神は愛子の腕をつかみ、連れ去ろうとします。恐ろしさの余り、泣き叫ぶ愛子。「やめてー。誰か助けてー。」山の神は愛子の体を軽々と抱え上げ、そのまま山へ連れて行ってしまいました。それ以来、愛子の姿を二度と見ることはありませんでした。031.gif
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 愛子と結婚の約束をしていた青年は愛子を失った悲しみのあまり、男川に身投げをして死んでしまいました。そして、今でも女川には愛子の波が、男川には愛子の許嫁(いいなずけ)の涙が流れていると言われています。いつしか、愛子が連れ去られた山を人々は『愛子岳』と呼びようになりました。
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 これが愛子岳伝説です。私を愛子岳登山口まで連れて行ってくれたタクシーの運転手さんは、こんな哀しい神隠し伝説がある愛子岳の名前を、皇太子さまが自分の娘につけるはずがないと言うのです。愛子様の名前は愛子岳に愛子ではないと言うのが運転手さんの考えです。私はこの運転手さんの説を支持します。
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(中島美嘉/Dear)


(映画「八日目の蝉」予告編)

Dear (作詞・作曲・編曲:杉山勝彦、歌:中島美嘉)060.gif

どうして私がこんな思いをするの
あなたにぶつけた すごく寂しかったから

それでも私が風邪を引いた夜には
朝日が昇るまでそばにいてくれたね

愛することを教えてくれたのは
あの日のあなたでした

あなたに名前を呼んでほしくて
はじめて声を上げ泣いたよ
あなたにもらった全てのものが
愛だと気づいたから

手と手繋いであなたと歩いた道
二人の笑顔がふいに浮かんで消える

夕日に染まる空 凪いだ海の水面も
あなたの隣ならもっと綺麗なのにね

全てのものを照らしてくれたのは
いつもあなたでした

ごめんね ありがとう 言えないままに
言葉はかすれ涙になる
あなたに会いたい 会って言いたい
誰より愛していると

知りたくも無い真実でさえ
時に知ってしまうけど
心の中にあなたがいれば
歩き続けていける

あなたに名前を呼んでほしくて
はじめて声を上げ泣いたよ
あなたにもらった全てのものが
愛だと気づいたから

ごめんね ありがとう 言えないままに
言葉は涙へ変わって
命がめぐってまた会う日まで
あなたがくれた愛を
永遠に抱き続ける

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パリのルーブル美術館へ行くと日本人観光客で賑わう場所があります。ひとつはミロの「ビーナス」像、もう一つはレオナルド・ダ・ビンチの「モナ・リザ」の絵です。
この二つの作品は、戦後日仏文化交流運動の行事として、別々に日本にやってきました。会場の東京国立博物館の混雑はものずごく、多くの怪我人がでる騒ぎも起きました。

「モナ・リザ」のモナは貴婦人の意味があり、リザは女性の名前です。最近ではイエスの情婦である説がありますが、昔はダ・ビンチの友人フランチェスコ・デル・ジョコンドのリザ夫人であったといわれています。しかし、研究者たちは、この肖像画のモデルは、当時のフィレンツェの支配者ジュリアーノ・デ・メディッチの愛人フランカビラ公妃か、マントバ侯妃のイザベラ・デステのどちらかであると発表しています。

ダ・ビンチはルネッサンスを代表する画家で「モナ・リザ」、「最後の晩餐」、「受胎告知」など、すぐれた作品を残しています。驚いたことに、彼は単なる画家だけでは終わらずに、彫刻家、建築家、音楽家、詩人、哲学者、生物学者、数学者、軍事技術家としても一流の業績を残しており、多彩な顔を持っています。

彼は1452年、イタリアのフィレンツェの西、ビンチ村に生まれ、幼くして天才の名をほしいままにし、数学・物理などの学問、音楽、特に絵画に秀でていました。
青年期は主にフィレンツェやミラノの諸都市で活躍し、晩年はフランソワ1世の保護を受けて、フランスのアンボワーズのクルー館で余生を過ごし、1519年5月2日、67歳でこの世を去りました。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(コブクロ/あの太陽が、この世界を照らし続けるように。)

(映画「岳」予告編)

あの太陽が、この世界を照らし続けるように。
(作詞、作曲:小渕健太郎)
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どんな悲しみにも ひとつの意味を注ぐように
世界中の夜に 朝を連れてくる太陽
ぼくは彷徨ってた 生きる意味を探して
君に出逢うまでの僕じゃ あの壁は越せない

この手は君を守るため この瞳は君を探すため
こころは君を愛すため この命は君と生きるため
ぼくに生きる意味をくれた その微笑み

人ごみに紛れて 逃げ出すのは容易くとも
一人きりの夜に 孤独から逃げ出せない
ガラス玉のような心を抱え生きてる
落とすたびに砕け散った 涙を忘れない

転がりながら辿り着いた 今がいつも君だけの頂上
心のままに生きてゆけば 時には人はぶつかり合うけれど
その魂に刻まれた模様はきっと 美しきヒビとなる

どんな命も輝いてる
あの太陽が、この世界を照らし続けるように

この手は君を守るため この瞳は君を探すため
こころは君を愛すため この命は君と生きるため

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 愛子岳伝説を聞きながら、愛子岳登山口に到着しました。愛子岳登山口にはバイクが1台置いてあり、すでに登山を始めている方がいるようです。運転手さんに15時くらい下山する予定なので、登山口に迎いに来てくれるようにお願いしました。
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 運転手さんは私に、「右側の舗装された道ではなくて、左側の山道を登って行くんだよ。」と、教えてくれました。右側の道をいくら進んでも愛子岳には辿りつけないそうです。私はいつものようにストレッチをして、いよいよ愛子岳登山を開始しました。6時48分。070.gif
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 私は自分が小栗旬になったような気持ちで山道を歩きました。愛子岳登山口の標高は約200 mであり、頂上の標高1235 mまで約1000 mの標高差を登って行きます。 山頂が周囲の山々に比べると低いため、照葉樹林帯の山道が続きます。単調な登り道です。070.gif
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  山道には印となるペイントやヒモが木に巻きつけられていますが、愛子岳の山道はその目印が見つけづらい場所もあり、下りのときに2回ほど山道を外れそうになりました。
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 とにかく単調な登りが延々と続きます。標高700 mを過ぎたあたりから、山道に岩や石が多くなってきました。標高600 m地点、8時8分、標高800 m地点8時40分。そして標高900 mあたりまで登ると、向こうから下山してくる、江口洋介似の青年がいました。登山口にバイクを置いていた方です。若い江口洋介と、年を取った小栗旬とがすれ違いました。年とった小栗旬が「頂上に何人くらいいますか?」と尋ねると、若い江口洋介は「誰もいませんよ。宮之浦もよく見えるし、ひとり占めですよ。」と答え、下山して行きました。ここから標高1000 mまで結構急な山道が続きます。9時17分。登山開始をして2時間29分が経過していました。予定通りです。038.gif
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 標高1000 mを越えると、しばらく平坦な道が続きます。そして樹々の間から愛子岳の本当の姿が現れました。名前は愛子だけど、その姿は岩肌をあらわにした男のような顔をしています。じゃんけんぽんに来る女性客にこういうタイプの人が結構います。あの人です。本当にあの山を登ることができるのでしょうか。
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 ここから愛子岳の本当の登りが始まりました。急な岩場を登っていくと、長いロープが現れます。ロープを頼りに何とか登ります。038.gif
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 中継点、さらに急峻な登り。ロープが下がっているがどこに足をかければいいのでしょうか。そしてようやく標高1200 mへ到着。10時30分。頂上の1235 mまであと少し。
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 しかし、ここからはロープがありません。頼りにしていたロープが途切れてしまい、岩場の石、岩、でっぱりを見つけながら、手と足をかけて登って行きました。一見、大きくて動きそうにない石も手をかけてよく確認しなければ、ゴロゴロと動きます。ここで落ちたら大袈裟と思われるかもしれませんが死んでしまうでしょう。もう写真を撮る余裕はありません。自分が小栗旬になったつもりでいることもすっかり忘れてしまっていました。037.gif
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 そして、何度も心が折れそうになりながらも、ついに愛子岳の頂上に辿り着きました。10時44分。登山を開始してから3時間58分が経過していました。青い空と青い海、屋久島の山々が年をとった小栗旬を出迎えてくれました。あの若い江口洋介似の青年が言っていたように、頂上には私ひとりしかいませんでした。058.gif
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 石に上にカメラを置いて、タイマーで写真を撮りました。とても疲れた顔をしています。
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 頂上で持ってきたおにぎり弁当を食べて、周りの景色を写真に撮りました。
 頂上から見た宮之浦岳方面。
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 頂上から見た荒川ダム方面。
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 祠に無事に登ることができたお礼とこれからの下山の無事を祈ります。
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 頂上にどのくらいいたでしょうか。ひとりの若者と50歳前後の夫婦が登って来ました。その若者は登山口から約2時間で頂上に着いたと話していました。私の半分の時間じゃないかと思いましたが、自分は自分のペースで行くだけです。だいぶ休憩も取ったので、そろそろ降りようと考えていましたが、この岩場の下りは登り以上に気を使います。私は何度も「もう大丈夫か!」と心の中で自問自答しました。11時30分に下山を開始。
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 一歩づつ、足場を確認しながら、岩場を降りて行きました。その途中、4人の登山者とすれ違いました。私の前にひとり下山しているので、今日の愛子岳登山者数は自分を入れて9名と言うことになります。
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 そのうちの3名は70歳前後のおばあさんと二人の夫婦でした。おばあさんはステッキを持っていたので、私がしまった方がいいですよと言うと、そのおばあさんは「何回も来て、慣れているから大丈夫なの。」と言って、おこられてしまいました。私も何とか一番最初のロープの位置まで戻って来ることができました。12時55分。下山を開始して1時間25分、登山を開始して6時間7分の経過。037.gif
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 標高1000 mの平坦な道を進み、そして登ってきた単調な登り道を今度は下って行きます。ここまできたらほとんど降りてきたも同然と思いながら、登山道を下って行きました。
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 登りのときも感じましたが愛子岳は登山道の目印が少なく、一歩間違ったら迷ってしまうことです。登山道の目印になるマーカーや紐を確認しながら進んでいきますが、樹林帯の木にピンク色のテープで数字が記載されていました。登山道の目印もピンク色の紐であったので、樹に貼り付けてある数字を登山道の目印と勘違いして、2回ほど登山道から外れそうになり、この道は見覚えがないなぁと思い、引き返すと違う方向に登山道の印がありました。こういう時は自分の記憶と勘だけが頼りです。
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 結局、登山道を外れそうになったこともあり、私の後から登ってきた7人の登山者全員に追い抜かれてしまいました。一番最後の人は、私に追いついた時に私が怪我をしたのではないかと思ったそうです。その最後の人と一緒に登山口まで何事もなく戻って来ました。やはり、他の登山者の方と一緒になると安心します。15時57分。登山を開始して9時間9分。島津さんがおっしゃっていた休み時間を入れて8時間というコースタイムを約1時間オーバー。しかし、年をとった小栗旬はとても満足していました。
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 登山口に着いたら、愛子岳伝説を教えてくれた運転手さんに電話をしようと思っていましたが、すでに迎えに来ていただいていました。私が朝登るときに15時くらいに降りてくると言っていたので、14時から待っていてくれたそうです。約2時間お待たせしてしまいました。

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 ホテルに戻り、愛子岳踏破を祝して三岳で乾杯しました。068.gif
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 これで、いい歳、りょうちゃんの屋久島の旅は終わりです。屋久島の全てを見るためには4泊5日では足りません。また屋久島に来ることを心の中で誓って、東京に戻って来ました。

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(小柳ルミ子/星の砂)

星の砂(作詞:関口宏、作曲:出門英、歌:小柳ルミ子) 060.gif


二度と出来ない恋を捨てあなた遠く
離ればなれになってゆくの 今つらいわ

嫁ぐ日岬にひとりたたずみ君住む島に
別れを告げる
凪いで凪いでまぶしいサンゴの島が
にじんで落ちて 星の砂

過ぎし日 二人は海辺に遊び
変わらぬ愛を 夕陽に祈る
いつかいつか 二人は運命にさかれ
私は遠く 石垣へ

髪にかざした ブーゲンビリア
そえぬ運命に赤く咲く
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい 星の砂

ルルル・・・・・ルルル・・・・・
ルルルル・・・・・

風よ吹け 波よ打て
それであなたにつぐなえるならば
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい この想い
届けてほしい この想い


さて、ハードボイルド、いい歳、りょうちゃん、次の活躍は

「いい歳、りょうちゃん、瑞牆の頂から富士を見る」お楽しみに。

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by ryott-ryott | 2011-05-13 02:17 | 遠く、屋久島へ