日本百名山あと30座、後立山の雄峰、五竜岳を行く
旅行・地域
海外出張から帰ってきて2週間が経ちましたが、時差ボケによるものか、真夜中に目が覚めて、昼間ひどい睡魔に襲われます。今日、かかりつけのお医者さんで睡眠導入剤をもらってきました。
また先週は台風26号が日本列島を襲い、大島では甚大な被害が出ています。今週も台風27号が日本に接近することが危惧されています。1年間の台風発生個数の平均値は25.6個だそうで、平均値を超えた数の台風が発生したとニュースで騒いでいました。平均値が25.6個なので、それよりも多い年はあったはずなので、27号で終われば例年並みということでしょう。
しかしながら、昨年の同時期と比較しても、今年の山行は雨が多く、ほとんど雨具を手放すことはできませんでした。8月の最終週のトムラウシから前回報告した焼岳まで4週連続の山頂での展望なしでした。雨の山行記録更新になるかと心配する中、9月2回目の3連休、9月21日(土)~23日(月)はトラベルギャラリーで五竜岳に行ってきました。倉持さんに会うのは6月の歩みの会鹿俣山以来でした。いい歳、りょうちゃんが写っている写真は全て倉持さんのブログ「山においでよ!!!」からもらいました。
初日21日(土)は宿までの行程になります。参加者13名、ガイド、添乗員合わせて15名です。新宿駅西口に集合し、バスでテレキャビン近くの温泉宿、細野館へと向かいます。今日からの3連休の天気予報はすべてお日様マークが入っており、先週までのうっぷんを晴らしてくれそうです。写真は新宿西口にある東京モード学園のユニークな建物。
新宿は今日からお祭りをやるようでした。
初日は大町山岳博物館に寄りました。いい歳、りょうちゃんはこれで3回目です。
入口を入って、左側に特別展、右側に木製のピッケルが展示してあります。いずれも近くでの写真撮影は禁止です。峯岸ガイドによれば木製ピッケルは特許の問題があるため、写真撮影禁止なのだろうとおっしゃっていましたが、現在木製のピッケルを使っている人はいないのではないでしょうか。
一般展示はいつも同じで代わり映えしません。このような雰囲気の山小屋もないと思います。
昔の装備。左側のマネキンは全面マスクをしています。
2階の動物の剥製の展示。これも代わり映えしません。
ライチョウの剥製。
3階の展望台からの風景。左から爺ヶ岳、鹿島槍、そして今回登る五竜岳と並んでいます。
鹿島槍ヶ岳。
山岳博物館の前には花壇があり、まだ駒草が残っていました。
今晩は温泉宿の「細野館」に泊まります。最上階の5階にお風呂があります。写真は細野館での夕飯。
待ちきれずに夕飯にかぶりつく、年老いた女王様たち。
(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)
ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)
もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう
もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう
もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう
もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう
静岡県焼津港の漁船「第五福竜丸」は、昭和29年(1954年)3月1日、マーシャル群島ビキニ環礁付近で操業中、「水平線上にかかった雲の向こう側から、太陽が昇るときのような明るい現象」を眺め、そのあと白い灰が船体一面に降りそそいてきたのを、たいして気にもとめず、14日には焼津港に帰って来ました。
しかし、筒井船長以下乗組員全員が異常を訴えるので、診断してもらったところ、原爆実験による原爆症であることがわかりました。それも原子爆弾ではなく、その訳1000倍の破壊力を持つ水素爆弾の実験であることが判明しました。人々に与えた衝撃は大きなものでした。
3月末、折から三崎港に帰ってきたマグロ漁船が実験海域にいたということで、すべての廃棄処分にさせられ、人々はさらに不安つのらせ、魚ばなれの現象も引き起こしました。このような騒ぎのなかで、9月23日、第五福竜丸の無線長であった久保山愛吉(40歳)がついに“死の灰”による原爆症で亡くなりました。
これを聞いた焼津市をはじめ、全国各地、広島、長崎に続く第三の被災ということで、婦人会を中心に「原水爆禁止運動」が澎湃(ほうはい)としてわき起こって来ました。
“杉並アピール”と呼ばれる、東京杉並の主婦たちの呼びかけに応じて、「原水爆禁止の署名運動」は、国内3300万人の署名を集めて、運動の輪は大きく発展していきました。
翌年8月6日、広島で第一回の原水爆禁止世界大会が開かれたのも、このときの運動の成果といってよいでしょう。でも、この大会も政党に利用され、3つに分裂していることは残念です。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)
2日目、22日(日)はテレキャビンに乗り標高1530 mのアルプス平まで上がって、遠見尾根づたいに五竜山荘まで向かいます。細野館を午前7時に出発し、7時30分、テレキャビンに乗りました。
いよいよ出発になります。その前にアルプス平で準備体操。相変わらず倉持さんの柔軟性に衰えはありません。
アルプス平にはお花畑があり、秋の花がたくさん咲いていました。写真はマツムシソウ。
アサマフウロ。
アザミの仲間でしょうか。
花に見送られながらの出発です。午前8時05分。
白馬鑓ヶ岳が見えました。
正面の山塊がまだ行っていない高妻山、戸隠山です。
30分も歩かないうちに、地蔵平につきました。午前8時30分。
このお地蔵様は風きり地蔵と呼ばれ、山行の安全を祈願して建てられました。
風きり地蔵があんなに遠くに。
これから遠見尾根に入っていきます。ナナカマドが鮮やかでした。
紅葉と五竜岳。
遠見尾根を進んでいきます。
歩き始めて1時間30分ほどで、小遠見山に着きました。標高2007 m。午前9時40分。
正面には五竜岳がそびえています。
遥か向こうに槍ヶ岳も見えました。
午前10時16分、中遠見山。標高2037 m。
午前11時00分、大遠見山。標高2106 m、そばに大遠見池があります。
徐々に霧が出てきました。
キイチゴがなっていました。
午前11時40分、西遠見山につきました。標高2268 m、ここでお昼ごはんとなりました。
この西遠見山から傾斜がきつくなり、ちょっとした岩場も出てきます。
下に見える道は唐松岳からの縦走路です。
目の前にライチョウが現れました。正面を向いてほしかった。
下のほうに五竜山荘が見えました。13時43分。
13時50分、五竜山荘に到着。中も外も人で溢れています。この混雑ぶりでは2人で1つの布団のようです。部屋は私たち15人が寝るにはとても窮屈で、押入れと廊下に別れて寝ました。暑がりのいい歳、りょうちゃんと、すみおばちゃんは廊下に寝ることになりました。しかしながら、混雑のせいか廊下も暑く感じました。すみおばちゃんが、若くてキレイでカワイかったら、どんなに嬉しく思ったことでしょう。あり得ないことでした。
テント場もいっぱいでした。
すぐに部屋に入りストレッチ。危ないカルト集団のように見えます。
足の踏み場もないほど混んでいます。
山荘の裏側のせまい幅の場所にもテントがびっしり張られていました。
五竜山荘の名物Tシャツ。「山が好き、酒が好き」Tシャツ。りょうちゃんも1枚買いました、3000円。すみおばちゃんは「山が好き、酒が好き、男が好き」Tシャツがほしいようです。
夕飯まで部屋でドリンクタイム。1本の缶ビール350 mlが500円、500 mlが800円、日本酒が500円でした。相当にお金を使いました。ドリンクタイムのあとは写真の撮影会になりました。心霊写真に限りなく近い人もいますが、心霊写真ではありません。
死んだように眠っているK室さん。この日はK室さんの65歳のお誕生日でした。みなさんが、死んでしまったのかと、酒を飲みながら笑いながら心配していました。
山荘到着後の14時から18時まで飲み通しで、ようやく18時過ぎに夕飯に呼ばれました。五竜山荘の夕飯はいつもカレーライスだそうです。真ん中にのっているのはホタテではなく、たまごの天ぷらです。たくさん飲んだためか、20時前には指定された廊下で寝てしまいました。
(掘六平/わさびの花の咲く頃)
(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)
わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村
腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村
初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村
最終日、23日(月)はいよいよ五竜岳の山頂にアタックします。前日は雲が多くて最後は五竜岳が隠れてしまい、天気が心配されましたが、満天の星空と月明かりに私たちの心配は杞憂に終わりました。五竜山荘から山頂までピストンでコースタイム1時間40分を要します。日が昇る5時前に山頂を出発し、帰ってきてから山荘で朝食をとることにしました。
午前5時前、ヘッドランプをつけて、山荘を出発しました。山道は月明かりで照らされています。
日の出が近づき、周囲が明るくなっていきました。もうヘッドランプは必要ありません。
まだ行っていない鹿島槍ヶ岳がキレイに見えました。双児峰の姿が鬼の角のように見えて、森ちゃんの奥様、上からマリコさんを思い出しました。今頃また夫は早朝からシバかれているのでしょうか。
五竜岳の山頂に人影が見えます。
振り返ると途中のピークに人が立っていました。
午前5時47分、雲海からのご来光を見ることができました。
朝焼けに染まる五竜岳。
午前6時5分、ついに五竜岳山頂に到着しました。今日は倉持さんと記念撮影。いい歳、りょうちゃん、日本百名山71座目になりました。
なんと朝に照らされて、影五竜を見ることができました。先週までの4週間連続の展望なしがウソのようです。
今年、2回目の登山をした剱岳。
方角を転じると白馬岳も見えます。手前に唐松岳があり、その間に不帰キレットがあると聞き、大酒を飲んで山荘で眠っているトミーさんたちが見えるようでした。
五竜岳山頂から見た鬼の角のような鹿島槍ヶ岳。
4週間分の山頂からの展望を楽しんで五竜山荘に戻ってきました。午前7時23分。
あんなにあったテントもほとんどありません。
朝食を済ませて、午前8時過ぎに山荘を出発しました。五竜山荘前で記念撮影。
雲海に出ている枝尾根が島のように見えました。
白岳から見た唐松岳。
下山をしながら五竜岳に別れを告げます。
昨日のちょっとした岩場を下ります。
遠見尾根に入っていくと雲海に入ってしまい、もう五竜岳を見ることはできませんでした。
西遠見山、午前9時30分。
大遠見山、午前10時00分。
中遠見山、午前10時37分。
紅葉の道を進みます。
リンドウもありました。
小遠見山手前の尾根道を歩きます。午前11時00分。
地蔵平、午前11時50分。
アルプス平までお花を見ながら歩いて行きました。写真はキバナニガナ。
ヒメシャクナゲの実。リンゴのようです。
アサマフウロ。
マツムシソウ。
オミナエシ。
シナノナデシコ。
エンビセンノウ。
五竜山荘で配布されたのり弁当。
リンゴのソフトクリーム。
年老いた女王様たち抜きで記念撮影。しかしながら全員50歳前後。いい歳、りょうちゃんが一番末っ子です。
テレキャビンに乗って、下まで降りてきました。この栽培種の花はなんという名前でしょうか。
このあとはいつものように入浴し、ビールを飲んで、バスの中で大宴会で新宿まで戻ってきました。やはり山行は晴天が一番です。
次回はバルセロナの模様を報告します。
by ryott-ryott | 2013-10-19 17:34 | 五竜岳