旅行・地域

3連休7月13日(土)~15日(祝・月)、山旅クラブで岩木山と八甲田山に行ってきました。今週から10月までの毎週末は日本百名山へ出かけます。山旅クラブとトラベルギャラリーで12月第1週までに、すべて無事に頂上を踏めれば78座に到達する予定です。年始の立てた目標の80座には及びませんが、今年は何とか78座クリアしたいと思います。例によって、りょうちゃんが写っている写真はトミーさんのブログからもらいました。


新幹線の「はやぶさ」に乗り、新青森から弘前へと向かいます。「はやぶさ」号に初めて乗りました。

新青森から特急「つがる52号」に乗って、弘前へ向かう予定でしたが、東北地方はまだ梅雨の真っ最中で秋田県の大雨の影響で「つがる52号」は運休になってしまいました。仕方なく普通列車の弘前行きに乗って、弘前駅へと向かいました。写真は車窓から見た岩木山です。青森県だけはいいお天気でした。


弘前駅で、山旅クラブのトミーさんと再会。いつもの乗り心地抜群の高級リムジンに乗車し、弘前城近くで郷土料理のお昼ご飯を食べました。写真はけの汁という食べ物です。

私は満天そばなるものを食べました。

初日は移動日で、弘前城の見学をしました。

土曜日はとてもいい天気で、容赦なく日が照りつけていました。私たちは「ちりんちりんアイス」を食べながら庭園内を散歩しました。


弘前城は1610年に2代藩主津軽信枚(のぶひら)のときに完成しましたが落雷で焼失し、現在の天守閣は1810年に9代藩主津軽寧親(よりちか)が再建したものです。

お城の中には津軽藩ゆかりのものが展示されていました。こういう顔したおばさん居ますね。




弘前城から見た岩木山。トミーさんによれば、見えているあの雪渓を登っていくとのことでした。初日からひどいことを言う人です。


岩木山神社から見た鳥居越しの岩木山。何度見ても雪渓は消えません。


今日の宿は「アソベの森 岩木荘」です。



岩木荘の屋上から見た岩木山。

今日は岩木荘でくつろいで、明日の登山に備えます。






(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)
ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)
もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう
もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう
もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう
もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

7月14日は、フランスの革命記念日です。フランス全土ではこの日、夜を徹して飲み、踊り、騒いで、お互いに祝い明かします。日本ではこれは「パリ祭」と呼んでいます。
昭和7年(1932年)に封切られたフランスのルネ・クレール監督のつくった映画『巴里祭』(邦題名)が大ヒットして以来「パリ祭」が定着しました。
ところで、フランス革命はどうして起きたのでしょうか。原因はいくつもあります。直接には宮廷の財政の破綻が引き金でした。マリー・アントワネットと結婚して話題をまいたルイ16世は、ルイ14世以来のたび重なる戦争の失敗と、宮廷の浪費で、財政状態は極度に悪化していました。
ルイ16世は、当時、第一身分聖職者、第二身分貴族、第三身分市民の三階層で構成されている「三部会」を招集し、従来免除されている貴族にも課税をすることを通告しました。貴族は猛反対をしましたが、市民たちは「国民議会」を組織して、封建制の打破をうち出しました。
ルイ16世はあわてて軍隊を出動し、「国民議会」を武力で威嚇しました。興奮したパリ市民は、7月14日の朝、蜂起してまず政治犯が収容されているバスティーユ監獄を襲い、体制側の強い弾圧を排除して、政治犯全員の釈放に成功しました。
パリ市民は引き続き国民軍を編成し、権力と勇敢に戦っていきました。その勝利の報はフランス全土の農民たちを勇気づけ、各地でいっせいに立ち上がりました。貴族たちも、従来の封建的特権の廃止を申し出てきました。
革命は1日で終わったのではありません。実はこれをきっかけに、5年かかって集結を見たのです。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

2日目の7月14日(日)、今日はいよいよ岩木山へと登ります。朝は青空も見えて幸先のいいスタートかと思いましたが、出発時にはにわかにかき曇り、岩木山は鈍色の雲の中に隠れてしまいました。写真は午前6時頃に岩木荘の屋上から見た岩木山です。

岩木荘の朝ごはんも豪華でした。


岩木荘から歩いて、百沢の登山口から頂上を目指します。標高差1400 m以上を登ることになります。

しばらくは樹林帯を進みます。海抜200 mくらいからの出発もあって、かなり蒸し暑く、いい歳、りょうちゃんは汗が滝のように流れていました。



姥石。岩木山は信仰の山であり、明治時代までは女人禁制の山でした。その昔、安寿姫のお供についてきた乳母が山の神様の怒りにふれて、岩にされたのがこの姥石であるとの伝説があります。

焼け止まりヒュッテ。ヒュッテというには粗末なものでした。


焼け止まりヒュッテの先を進むと、ついに恐れていた雪渓が現れました。



軽アイゼンをつけて、りょうちゃんはトミーさんにロープで繋がれて、約700 mの長さの大沢の雪渓を登っていくことになりました。傾斜の角度は30°はあったでしょうか。滑落しないように慎重に登っていきました。

あの泉田さんよりも口汚く、トミーさんから「何でこんな所で滑ってんだ!」とどやされながらも何とか雪渓を登りきりました。


雪渓を登りきると、そこには可愛らしいミチノクコザクラが咲いていました。


ショウジョウバカマも咲いていました。

帰りは8合目の駐車場から13時35分のバスに乗って下山する予定であったので、ここから駆け足で頂上まで駆け上がっていきました。いい歳りょうちゃんは写真を撮っていると、あっという間に先頭の二人から引き離されてしまい、青息吐息で追走しました。


リフトのある登山道から多くの登山者が合流して結構混雑していました。

12時50分過ぎ、ようやく岩木山山頂に到着しました。いい歳、りょうちゃん日本百名山59座目になりました。


13時35分のバスに乗るため、山頂から8合目駐車場まで駆け下りていきました。


何とかバスに乗ることができ、アソベの森岩木荘で入浴し、次の目的地の八甲田リゾートホルヘと向かいました。もちろん乗り心地抜群の高級リムジンカーで。途中、城ヶ倉大橋に立ち寄り、大渓谷の眺望を楽しみました。122 mの高さがあるそうです。


写真は八甲田リゾートホテル。明日はロープウェイに乗って、八甲田連峰を縦走します。

岩木山の疲れをとって、明日の登山に備えます。



(掘六平/わさびの花の咲く頃)
(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)
わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村
腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村
初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村
(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)
あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)
夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度
赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度
広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

ロープウェイの駅は八甲田リゾートホテルから歩いてわずかのところです。

8時45分、臨時始発のロープウェイに乗り、標高1300 mまで一気にあがります。

赤倉岳、井戸岳、そして八甲田連峰の最高峰、八甲田大岳へと縦走していきます。


しばらくは湿原地帯の山歩きです。花がたくさん咲いていました。




ここから見えるのが赤倉岳です。

赤倉岳の山頂にはヨツバシオガマやベニバナイチヤクソウがたくさん咲いていました。


オトギリソウも咲いています。

第二のピーク、井戸岳はいつの間にか通過していました。


オダマキが咲いています。

チングルマのなれの果て。

この避難小屋の前でお昼休憩、お昼ご飯を食べました。


ここにもヨツバシオガマがたくさん咲いていました。

いよいよ大岳へと登ります。途中に小さい雪渓がありましたが何とか通過し、ついに大岳山頂に到達しました。12時04分。いい歳、りょうちゃん、日本百名山60座目に到達しました。


山頂の風景。山頂で20分ほどの大休憩をとりました。

ウサギギクが咲いていました。

下山を開始。

鏡沼。

シュロソウが咲いていました。毒草です。

そして、またもや雪渓が現れました。雪渓など見たくもありませんが、雪渓の上を吹いてくる風は冷たくて心地よかったです。


雪渓が終わると、再び湿原歩きになります。


チングルマが咲いていました。

これがハクサンチドリです。

コケモモの花。

コバイケイソウ。

マルバモウセンゴケ。

キキョウの仲間でしょうか。

ここから酸ヶ湯のほうへと下山していきます。八甲田山はやはり火山らしく、イオウの匂いがしていました。

ゴゼンタチバナ。

登山道の黄色いのは析出したイオウです。

南八甲田連峰の山並みを見ながら、沢づたいに下山していきます。

タニウツギが咲いていました。

この沢づたいの道が泥々の悪路でした。まだ雪渓のほうがましかもしれません。15時12分に登山口に到着しました。

酸ヶ湯には入らずに、八甲田リゾートホテルの温泉に入浴して帰路につきました。


新青森の駅まで高級リムジンで送ってもらい、馬刺しの握りを食べました。

新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき
うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地
こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地
明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地
61座目は上州武尊山へ行ってきます。






















▲ by ryott-ryott | 2013-07-19 23:50 | 岩木山・八甲田山